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蝕み

大きな病院の、ある一つの病室
其処に、病気がちの犬人が居た
既に血縁の者は居らず、働く事も出来ない犬人は
毎日病室のベットに横になっては、何時の日かやってくるであろう死を待っていた
その日もまた、同じ様にそれを待っていた
ベットから立ち上がると、だるい身体を叱咤して窓から外を見る
此処は一階なので、病院の中庭にある綺麗な緑が見えた
外へ出てみたいとも思うが、厳重注意を受けているために中々そうする事も出来ず
通常表に出るには誰かの助けが必要だった
それは無理も無い事で、一度発作が起こればとても犬人は自力でその場から
動く事さえもままならない程にその身体は病魔に蝕まれていたのだ
それでも、発作さえ起きなければそこそこの動きも出来るので
犬人は元気な時はなるべく部屋の中を歩いたりする様にしていた
そうでもしない限り、自分が生きている事を忘れてしまいそうだった
それがどうしても怖かった
身体に負担を掛けない様にゆっくり、ゆっくりと部屋の端から端へと歩いた
此処は個室の病室なのでそれ程広くはなく、何度も狭い場所を往復するしかなかった
それでも、大部屋ならばそれはそれで他の患者が居てこの様な事も中々出来ないのだが
部屋の往復を十数回程した頃だろうか
身体に疲労感も溜まり、部屋にある椅子に座って身体を休めていた
目を瞑り、思考を巡らせていた
このまま自分は、此処で死ぬのだろうか
年老いたままの何も誇れる物など無い程になりやがて息を引き取るのか
それがとても悲しかった
しかし自分にはどうする事も出来なかった
今の医療技術では、自分の病気を治す事は不可能に近かったのだ
死ぬ瞬間の事を考える
一瞬にして死ぬのだろうか
人は死ぬ瞬間にそれまでの思い出が走馬灯の様に浮かぶと言うが
ほとんどがこの病院での思い出しかない自分には、一体何が見えるというのだろうか
其処まで考えたところで、その耳に微かな物音が聞こえた
最初は酷く小さな音だったのだが、それが段々と近づいて来る
何事かと、閉じていた瞳を開いた

「こら!廊下を走るんじゃない!!」
声が聞こえた、この声はこの病院の医者の一人だ
「すみません、急いでるんで!」
もう一つ聞こえた声は、聞いた事の無い声だった
長い間この病院に居るために、声を聞くだけで医者かどうかさえも解る様になっていた
不意に自分の部屋の扉が開かれる
「おおおぅ!?」
声を上げて、一人の狼人が勢い良く入って来ては豪快に転んだ
一瞬目を見開くが、然程驚く事も無く犬人はその様子を見ていた
「お、おい君!そこはシュウ君の部屋だぞ!」
先程聞こえた医者の一人が叫んでいた
「いってぇー・・・・お、ここは・・?」
起き上がった狼人は、辺りを見渡すと犬人の姿を捉えた
「おまえ・・誰だ?」
狼人が問い掛けた
「いきなり部屋に入って来てそれは無いんじゃないのか?」
無愛想に、犬人も答えた
そうこうしている間にも、部屋に叫んでいた医者が入って来る
「この部屋に入るんじゃない!」
物凄い剣幕で怒鳴る医者に、犬人は目を瞑り狼人はただ驚いていた
「そ、そんなに怒るなよ先生・・・」
「ここは重病患者の病室だ、勝手に入るもんじゃない!」
「重病・・・・患者?」
その言葉に、狼人が犬人を見た
そのまま一度部屋の外へ出て、扉の横に掛けてある名前を読む
「えーっと・・・アキ」
「シュウ(秋)だ」
予想をしていたのか、狼人が読み間違えた瞬間に犬人のシュウはそれを訂正する
「お、シュウって読むのか・・わりいわりい」
頭を掻きながら部屋へ戻ろうとする狼人を、医者が止めた
「君はもう出て行きたまえ、ここに用は無いのだろう」
「あ、そうだった・・先生、俺の友達の部屋は?」
「君の友達はここではなくて一つ上の階だ」
「そっか、ありがとう先生!それと・・・アキ?またな!」
其処まで言うと、全速力でその場から走り出す狼人
医者がまた怒鳴り声を上げると、遠くから謝罪の言葉が聞こえた
漸くその場に静寂が訪れると、医者も二言三言シュウに話してから部屋を出て行った
その全てを、興味が湧かない顔でシュウはただ見ていた

一日が早く過ぎるとは、考えた事があまり無かった
何故なら、長い間まったく同じ時間を感じているからだった
夕日が鮮やかに中庭とその病室を照らし出したその場所で
シュウは窓から見える外の景色を見ていた
その窓が、何者かの手によって軽く叩かれる
慌ててそちらへ視線を向けると、昼間シュウの病室に飛び込んで来た狼人の姿があった
仕草だけて窓を開けろという指示を出されたので、仕方なく窓を開ける
「よっ、アキ」
「・・・シュウだよ」
「そうだっけか?細かい事は気にするなって」
「名前は細かくない・・はず」
しかしシュウ自身、あまり名前を呼ばれる事には慣れておらず
細かくないと断言出来ないのが悲しいところであった
「さっきこの部屋入った時に重病患者って言われたけど・・おまえ、なんかの病気なわけ?」
狼人が、然程気にしない様子で問い掛けた
その問いに、シュウは黙ったまま窓を閉めようとする
慌てて閉まりかけた窓に狼人が手を掛けた
「悪かった、俺が悪かった・・閉めるな」
力では適わないと思い、その手を止める
「病気じゃなければ・・・こんな所にいない」
少し、寂しそうにシュウが呟いた
「悪い・・本当に訊かなきゃよかったみたいだな」
今更言ってしまった事を後悔したのか、狼人が俯いた
「気にするな、よくある事だ」
どうにか慰めようとする、慰めてもらいたいのは自分のはずだったのだが
「・・俺また来るよ、また後でなアキ!」
「だからシュウだと・・・・・」
注意しようとしたのだが、もう既にその姿は遠くなっていて
少しだけ溜め息を吐くとシュウは今度こそ窓へと手を掛けて、それを完全に閉めた


夜になってもシュウのやる事は変わらなかった
夕方の内に食事は済ませているし、この部屋にはテレビといったものも無い
頼めば置いてくれるのかも知れないが、金の持っていない自分が頼むのもおこがましいと思うのと
元々そういった物に然程興味を持たない事から、そういった類の物はこの部屋には存在しない
あるのは自分が寝るためのベットと緊急用のボタン、それと先程の窓と言ったところか
暗くなった病室で、明かりも点けずにシュウが部屋の中で窓から外を見ていた
その胸に、突然痛みが走る
慌てて胸を手で押さえるが何の効果も無く、力なく床へと座り込む
暫く、耐え難い痛みが続く
誰かを呼びたかったが、無意識に開いた口を直ぐに閉じた
どうせ人を呼んだとしても大した治療も受けられないのだ
結局自分がこの痛みを我慢するしか道は無かった
どうにかその発作が治まると、最後の力を振り絞り立ち上がってベットへと倒れ込む
身体中に脂汗が噴出していて、酷く気分が悪かった
「もう・・殺してくれ・・・・・」
誰にともなく言う、自分以外にそれを聴く者は居ない
「助けて・・・・・」
伸ばした手は、白いシーツだけを幾度となく掴んだ


何時の間にか意識を失っていたのか
窓から射し込む幾つかの光の筋の内の一つが瞼に当たり
眩しさにより意識が覚醒する
「・・う・・・・・」
反射的に胸に手を当てる、既に痛みは無くなっていた
身体中を確認するが、今は先程より調子が良いみたいで寝床から立ち上がる
何時も通り暫く窓の外を見ていた
目を瞑り、太陽の光を心地良く感じていた頃に
窓を叩く音がして、目を開いた
視線の先に居たのは予想していた通りあの狼人で
向こうが開けろという指示を出すよりも先に、こちらから窓を開けた
「よっ、アキ!」
「・・・・・」
もうそれを注意する気力も無くなっていた
何より、今は気分が悪くて仕方がなかったのだ
「なんの用だ」
「遊びに来たぜ!」
高らかにそう宣言する狼人の瞳は、何処までも澄んでいた
「アキは外出られるのか?部屋ん中ずっといたら退屈だぞ」
そう言われて、少し待つように言い部屋から出る
本当なら見つかれば叱られるだけでは済まないのだが、何故かこの時はそれでも構わないとさえ思った
何より、あの狭い病室の空気が耐えられなかったのは否定出来ない事実でもあった
病院の入口にまで来ると、何人かの看護婦がシュウを見つめていたが気にする事なく進む
外へ出ると、自分の部屋の窓があった場所を頭の中で導き出してそちらへ歩を進めた
早足で歩けば、然程時間を掛ける事なく部屋の窓の前まで辿り着く事ができ
その前に、あの狼人が待ちかねた様な表情で立っていた
「・・おまえ、意外に背高いんだな!」
「別に・・」
狼人とシュウが並ぶと、シュウが少しだけ背が低い程度で
もっと小さいと思っていたのか意外そうな顔をしていた
「よし、向こう行こう!」
シュウの手を掴みを歩き出す狼人
「あ・・・その、名前は・・?」
今更ながらに、その名前を聞いていないと思うとシュウが問い掛けた
「俺か?俺の名前はコウイチって言うんだ、よろしくな!」

コウイチに手を引かれて、シュウは病院の庭を歩いていた
久しぶりに歩いた外の天気は部屋の中から見ていた以上の快晴で
太陽の光が暖かく二人を包んでいた
しかし、病気がちで体力の無いシュウはコウイチの手に引かれて歩くだけでも体力を消耗していってしまい
暫く歩くと、もう息が上がっていた
「待って・・息が」
シュウがそう言うと、素早くコウイチが止まった
「だ、大丈夫か!?」
まさかこれ程までに身体が弱いとは、コウイチにとって誤算であった
近くのベンチまで移動すると、シュウを座らせてその横にコウイチも座った
ぐったりとした様子のシュウは、少々荒い息で呼吸をしていた
「ごめん・・昨日発作があって、体力が無いんだ」
揺れていたその身体が、コウイチの肩へと倒れ込む
「俺が無理矢理連れてきたから・・・・すまん」
その場から動かず、じっとシュウの凭れ掛かる身体をコウイチが支える
「・・もう、平気」
大分楽になったのか、先程までの元気な様子へとシュウが回復した
「歩くのキツイんだよな・・じゃ、話するか」
方針を切り替えたのか、コウイチが別の提案をする
「アキ、アキってここにずっといたのか?」
「ああ・・物心ついた時からかな」
「親は?」
「12歳の頃に、二人揃って交通事故で死んだ・・」
「・・・・・」
コウイチは、内心自分を責めていた
こんな返事まで聞かされては、まるで自分がシュウを虐めていると錯覚しそうになってしまう
「あ、アキはテレビ見るか?昨日の番組面白かったよな!」
「・・・・ごめん、テレビ置いてないあの病室」
その返答に、コウイチが俯いた
「ご、ごめん・・・俺、話せる話題とか無くて」
その様子を見て、シュウが落ち込んでしまう
「いや、いいって!俺の話題の出し方がマズかった!」
コウイチが、目の前で手を合わせて謝る
その様子に、何故かシュウは笑い出してしまった
「面白いな、コウイチは」
シュウの一言に、コウイチが顔を跳ね上げて
シュウに合わせるかの様に笑った

「それでな、海ってのは広くてしょっぱくて・・・」
「それぐらいは知ってるって、誰でも」
シュウに関する話題は避けて、コウイチが自分の体験談を話していた
外にあまり出た事のないシュウはその話に興味を示しており
コウイチも日頃の体験を話すだけでいいのならとそれを面白可笑しく話す
「しかし・・・今日暑いなほんと」
「久しぶりに外出たし、喉渇いた・・・」
先程まで優しく二人を包んでいた太陽の光は、今は眩しすぎる程に輝いていて
夏の香りを運び込んで来ていた
「あ、俺ジュース買って来るわ!」
立ち上がり、少し遠いが微かに見える自動販売機を指差すコウイチ
「アキの分も買ってくる!」
一気に走り出すコウイチ、その速さをシュウが見つめていた
「・・・・すごいな・・」
自分には、とても無理な事をあっさりとしてしまうコウイチを羨ましく思う
既に豆粒程の大きさになっているコウイチを暫く見ていたが、顔を上げると庭を見渡す
此処は木陰になっていて太陽の光は直接当たらないのだが、他の所にはその光が燦々と降り注がれていた
たまになら、外に出るのも悪くないものだと思う
そう思っていた矢先に、忘れかけていたあの痛みが再び自身の身体へと押し寄せる
胸が引き裂かれそうな痛みに、呻き声を上げた
胸に爪を立ててそのまま前のめりに崩れ落ちた
自分の身体が、まるで別物の様に痙攣しているのがありありと感じられた

「んー・・・炭酸は身体に悪いかな、果物類でいいか」
自動販売機から自分の分とシュウの分を取り出すと、それを両手に持って立ち上がる
振り返って視界に入ったその世界には
地面に、人形の様に倒れているシュウの姿が映っていた

「・・・アキ!」
手に持つ缶が地面に落ちるのが感じられた
それを気にすることなく、全速力でその場へと走った
その身体を支えると、顔を見つめる
「アキ!大丈夫かアキ!?」
「う・・・」
苦しそうに歪んでいた顔が、少しずつ元へと戻りはじめる
程無くして、シュウが目を開いた
「あ・・・コウイチ」
「アキ!平気か?」
「アキじゃな・・いって」
こんな時にまで、訂正をしてしまう自分の性格が今はとても滑稽にシュウには思えた
「平気だよ、もう少しすれば・・・治るから」
「先生呼んだ方がいいか?」
心配そうにコウイチが声を出す
「ううん、無駄だよ・・呼んでも」
「なんで無駄なんだよ!?医者なんだろ!」
そう言われても、シュウは首を横に振った
「だって・・・治らないから、これは」
その一言で、コウイチの全ての動きが僅かだが確かに止まった

「なんだよ・・どういう事なんだよ!?」
腕の中で静かに呼吸をするシュウに、コウイチが尋ねる
だがシュウは何も言わずにコウイチの顔を見つめていた
「なんか、言えよ・・・」
「・・ごめん、ありがとう」
シュウの口から弱々しく謝罪と感謝の言葉が放たれた
「もう大丈夫だよ」
ゆっくりとシュウが起き上がる、それに合わせて添えていた手をコウイチが引いた
「本当か?もう平気なんだな?」
とても大丈夫そうには見えないシュウを心配する
「多分、今日はこれ以上悪くならないよ」
立ち上がって振り返ると、シュウが薄く笑っていた
「そろそろ帰らないと、先生に怒られる」
そう言って先を歩き出す
慌ててその横に、コウイチも並んで歩き出した
病院の部屋の前まで来ると、シュウが振り返った
「じゃあ、またなコウイチ」
部屋の中へと、その姿が消えはじめる
その手を、コウイチが掴み取った
「ん・・?」
不審そうにシュウがまた振り返る
「どうした?」
問い掛けるが、コウイチは何も言わずにシュウを見ていた
「なんでもない、またな」
手を放すと、一気にコウイチは走り出して目の前から消えた
暫く一瞬だけ強く握られていた手を見つめていたが
シュウもまた、部屋に入り扉を閉めた

病院の外まで走ると、コウイチが立ち止まった
「・・シュウ」
今度は、その名前をしっかりと呼んだ
そのまま、歩き出したコウイチは病院の前から立ち去った



数日が過ぎた頃だろうか
夏の容赦無い太陽の照り付ける日が続いていたのだが
此処に来て一転、コウイチが来た次の日からは空は雲に覆われて
大粒の雨を何時までも流し続けていた
窓に手を添えてそれを眺める
添えている手の周りは、自らの体温で白く曇っていて
ほんの少しだが、自分は生きているのだという事が感じられた
あれからコウイチが病院に訪れた事はまだ一度も無い
話によるとコウイチが見舞いに来ていた友達とやらが、あの日退院をしたという事で
ならば、自分に態々会いに来るまでも無いのだろうとシュウは解釈していた
それが少しだけ寂しいのには、気づいていなかった
発作の方はというと、昨日一度起こった切りで
珍しく自分にとっては調子の良い日々を送っていた
しかし身体の調子が良くても、一人では外に出る事も儘ならないのだ
調子の悪かったあの時は、外に出る事が出来たというのに
調子の良い今では、それが叶わない
連れ出してくれた存在が居たからだった
「・・・コウ・・・イチ」
自分でも意識しないままに、口からその名が出た
慌てて自分の口に手を当てる
「・・もう来ないんだよ、あいつは」
言い聞かせる様に、諭す様に言うと
小さく溜め息を吐いてベットへと座った
部屋を見渡す
この部屋は落ち着く場所だった
それなのに、何故今はちっとも落ち着く事が出来ないのだろう
居ても立ってもいられなくて、部屋から抜け出した
廊下に居る医者に見つからない様に視線を掻い潜って入口へと向かう
入口の自動ドアを通れば、強い雨の音が耳によく聞こえた
外に出る機会の少ない自分にとって、雨は嫌いな物ではなかった
それでも気分が滅入る事はあるので好きな訳でもないのだが
其処から暫く、黙ったままシュウは外を見ていた
視界は悪く、何処までも同じ様な風景ばかりで
興味を引く物は何一つとして見当たらずにいた
段々と何も無い景色に飽きてきたのかシュウが踵を返す
今の季節は決して寒くはないのだが、最近の連続した雨で今日は肌寒い日だった
「アキ!」
病院の中へと足を一歩踏み出した瞬間あの声が聞こえた
途端に弾かれた様にシュウが振り返る
視界の隅に先程まで捉えられなかった人影を確かに見つけた
「コウイチ・・・」
目の前まで来ると、コウイチが大きく息を吸った
その身体は全身濡れており、長時間この雨の中に居たのが分かった
「久しぶりだな、アキ」
「あ、ああ」
何時も通りの笑顔でコウイチが声を掛けた
何となく気まずくて、シュウが小さく返事を返す
「コウイチ、なんでそんな濡れてるんだ?」
「あーこれか、本屋行ったんだけど行く時は弱かったのに帰る時には強くなっちまって・・」
身体に張り付く服を鬱陶しそうにコウイチが見つめる
「それで、その帰りにこの病院の前通ってみたらそこにアキがいたから!」
そしてまた、笑った

「・・・とにかく、雨が止むまではここにいたほうが」
病室へとコウイチを案内しベットへとシュウが座る
コウイチは部屋に備え付けてある簡易椅子へと座った
「はいタオル」
部屋まで来る途中に貰っておいたタオルを手渡す
「お、サンキュ」
それを受け取って、ずぶ濡れの身体を拭き回す
その様子を見てから立ち上がると、窓の外を見た
雨は未だにその強い勢力を保っており、もう暫くコウイチはこの場に居る事になりそうで
少しだけ嬉しい自分と、不安な自分の存在を感じる
「最近は大丈夫か?発作とか起こってないよな?」
後ろからコウイチの声が聞こえる
「最近は・・」
昨日起きたばかり、とはとても言えずに言葉に詰まってしまう
「平気だよ、調子がいいんだ」
嘘でもあるが本当の事でもあった
何時もならば、二日に一度は発作に見舞われているというのに
既にあの日から四日以上経った今は一度しか発作が起きていないのだ
「そうか、よかったな!」
嬉しそうな声が聞こえて、振り返った
其処には濡れた身体を拭くために上半身裸になったコウイチが居た
「寒いなー今日は」
気にする様子も無いコウイチは相変わらず笑っていたのだが
「あ、ああ・・・寒いな」
目のやり場に困り慌てて窓の方を向いた
「寒い季節は・・人肌が恋しいな!」
突然そう言うと、コウイチは目の前の自分に背を向けているシュウへと抱き付いた

「うわあぁ!?」
予想をしていなかったコウイチの行動に、シュウが大声を上げる
「おーぬくいなアキは」
「や、やめろって!」
腕の中でシュウが暴れるが、元々力の無いシュウでは何をしても振り解く事は出来ず
やがて小刻みに震えるだけになってしまう
「・・・アキ?」
名前を呼ぶだけで、身体が敏感に震えた
「大丈夫か?」
腕から解放して回り込みその顔を見ると、今にも倒れそうな表情をしていた
「ご、ごめんびっくりしたから」
解放されて安心したのか、その空気が先程の穏やかなものへと戻った
「それじゃもう一度・・」
「もういい!」
再度抱き付こうとしたその身体を必死に押さえて抵抗する
「わ、バランス崩れる・・・」
「ぬくいぬく・・おおぉ!?」
凭れ掛かる様に体重を掛けられて支えきれなくなったシュウが、数歩下がって体勢を崩す
そのまま後ろに倒れるのだが、丁度ベットがあり床に倒れる事だけは免れた
コウイチの重さまでも受け止めたその身体に圧力が掛かり小さく悲鳴が洩れた
「わ、悪い痛くなかったか?」
ベットに腕を立てて、コウイチが自分の身体を持ち上げて圧力を無くす
目の前に、シュウの顔があった
「アキ」
「・・なに?」
圧迫感と痛みで瞳を閉じていたシュウが目を開いた
目の前には、自分を見つめるコウイチの顔があって思わず息を呑む
「アキ・・・」
もう一度言うと、コウイチの表情が何時もとは違うものへと変わっていた
「コウイチ?」
不安になり声を出すが、コウイチの様子が変わる事はなく
徐々にその距離が詰められて行く
「・・・・・あ!」
あと少しといったところで、シュウが声を上げた
「ど、どうした?」
その声に正気に戻ったのかコウイチが慌てて離れる
「雨、止んでる」
指を差したその先を振り返ってみると、先程までの大雨は何処かへと消え去り
静かな外の風景が見えた
「もう止んだか・・それじゃ帰るか」
先程までシュウにしていた事を今更思い返して居たたまれない気分になったのか、素早く立ち上がると
コウイチは簡易椅子に置いていた上着を着ると部屋の入口まで向かう
「んじゃアキ、またな・・・それと、ごめん」
言葉と同時に扉が閉められる
「あ・・また・・・・」
結局、それだけしか別れの挨拶は言えなかった
窓から外を見れば、雲の合間から太陽の光が少しだけ射し込んでいて
その光が、病院から出て行くコウイチの姿を照らしていた
コウイチの居なくなった病室は、酷く閑散としており
ベットまでゆっくり歩くとそれに倒れ込む
次にコウイチが来てくれるのは何時なのだろうか
もう来てくれないというのもありえない事ではないのだ
不安にならない訳ではない
それでも、今だけはあの笑っていた顔を思い出して
今のこの残った温もりに身を預けていたいと思った



二日後、シュウの元へとコウイチがまた現れる
予想よりも早い来訪に、何時も通りに部屋で歩いていたシュウが驚いた
「よっ、アキ!」
相変わらず最初に読み間違えたままのその名を呼ばれる
最近では訂正する事も無くなり、それが自分のコウイチから呼ばれた時の名前だと割り切っていた
自分の座るベットの横にコウイチも座り、他愛無い話を今日もする
何故だろうか、前の自分ならそれを夢中で聞いていたのに
今はその話に集中する事が全く出来なかった
「どうした?アキ・・・今日は元気無いぞ?」
シュウの様子の変化に気づいたのか、コウイチが問い掛けた
「あ、いやなんでも」
「胸が痛むのか?」
心配そうにアキの顔を覗き込む
「平気だよ、言っただろ調子がいいんだ最近は」
嘘の様に発作が無くなっていた
それがコウイチのおかげだと思った
コウイチが、自分に力を与えていてくれるのだと
しかし、其処まで考えたところで別の考えが浮かぶ
コウイチは自分に様々な事を話し、与えてくれる
ならば自分がコウイチにしてあげられる事は何なのか
それを考えてみたが、何一つとして答えは浮かばなかった
身体が弱く、まともに動く事さえ出来ない自分に何が出来るというのか
「アキ・・?ほんとに大丈夫なのか?」
考えていて動きの止まっていたシュウを心配する
「・・コウイチ」
その口から、言葉が漏れた
「もう、ここには来るな」

「どういう・・・意味だ?」
コウイチの目が見開かれて、シュウを見つめる
「コウイチも暇じゃないんだろ?だったらこんな所に来ないでやる事があるだろ」
冷たく言い払うとシュウが立ち上がり窓から外を見る
「アキ・・・?」
コウイチも立ち上がり、その肩を掴んだ
直後にその手が払われる
「もう、来ちゃいけない・・コウイチ」
「なんで・・・・そんな事言うんだよ!?」
コウイチの怒鳴り声に、シュウが震えた
「来ちゃいけないんだ・・もう」
「だからどうしてだって聞いてるんだ!」
「俺には・・・・お前にしてやれる事なんて何一つないじゃんか・・」
シュウの頬に、一滴だけ雫が流れた
「コウイチが色んな話をしてくれる度に俺、嬉しくて
でも俺はコウイチになにもしてやれないじゃないかよ・・」
きつく拳を握り締めて、シュウが俯いた
「アキ・・俺はおまえになにかを求める訳じゃない、おまえと話したいから来ただけだ
おまえに会いたいから来たんだ、俺が勝手に来たんだ」
その言葉に、黙ったままシュウが耳を傾ける
「だから、そんな事気にするなよ・・・」
普段は笑っていたコウイチの表情が、この間の様な真面目な顔をしていた
暫く、コウイチは様子を見ていたのだが
シュウの息遣いが荒い事に気づく
「アキ!?」
慌ててシュウの肩をもう一度掴むと、その身体がコウイチへと凭れ掛かる
「来ちゃ・・ダメだ、コウイチ・・・・俺・・なにもしてやれ・・・ない」
手の中でふらつきながらも、コウイチから離れようとシュウが抵抗する
「発作来てるんだろ!?医者呼ばねぇと!」
その身体を支えてコウイチが立ち上がる
「無駄だよ・・・対処法なんて、無いんだ」
「無駄なんて言うな!!」
廊下まで出ると、大声を出す
直ぐに医者が駆けつけて来る
場所を移して、ベットへとシュウは運ばれた
「どうなんだ!?先生!」
「ある程度の処置はしました、後は・・シュウ君の頑張り次第です」
「処置って・・・ほとんどなにもしてねえじゃねぇかよ!」
ただ寝かせて、軽くシュウの身体を診た程度だった
「残念ながら、今の医療技術ではシュウ君にしてあげられる事は何もありません・・」
「そんな・・・・・」
苦しそうに顔を歪ませるシュウを、見下ろす
医師が部屋から立ち去ると、二人だけが部屋に残った



胸に痛みを感じている
酷く久しぶりな気がした、何年も忘れていたかのような
本当はほんの数日の間だけ発作が来ていなかっただけなのだが
こうやってこの痛みさえも懐かしく感じれるのは、コウイチのおかげなのだと思う
瞳を開けば、自分の顔を見つめるその顔があった
「・・アキ!」
自分が起きた事に、コウイチが笑って声を上げた
「よかった、無事なんだな・・・・」
「コウ・・・・イチ」
「胸痛くないか?もう」
少しだけ未だ顔を顰めているシュウに、問い掛ける
「・・・・ごめん、コウイチ・・俺」
「言うな」
シュウが口を開いた瞬間に、コウイチがそれを止める
「お願いだから、その先は言わないでくれよ・・」
そうしてまた、あの顔になる
「・・・ありがとう」
「・・おう」
シュウが、笑った


「その・・・コウイチ、本当にいいのか?」
「今更なに言ってんだよ!ダメだったら言わねえよあんな事!」
「でも俺、なにも出来ない・・」
「ならこれから頑張りゃいいだろ!」
「・・・うん」
あの後、コウイチはシュウの面倒を自分が見ると病院へと申し出た
もちろん事前にシュウに断っての事だが
初めは首を縦に振ろうともしなかったシュウだが、コウイチの必死の説得でどうにか承諾した
病院の方はというと、血縁者や身寄りの居ないシュウを持て余していたのか
然程待つ事も無く、シュウが退院する事を許可した
コウイチの借りているアパートの前まで来ると、シュウが立ち止まる
「ちょっとボロいけど、大家さんいい人だし家賃も安いからいい感じだぞ」
「・・・一人暮らししてるんだよな、コウイチは・・・・すごい」
「慣れれば普通だって!」
シュウの手を引いて、階段を上がった
コウイチの借りている部屋の前まで来ると、表札にシュウが目を通した
「・・サチカズ」
「わざとだろソレ、コウイチ(幸一)だ」
先に扉の鍵を開けて中に入っていたコウイチが首を出して注意する
「・・・仕返し」
小さく呟くと、シュウもその部屋へと入った
扉が閉まると同時に中から小さな灯りが点いた

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