ヨコアナ
静かな草原
青空を見つめていた
時折、大小様々な雲が視界に入ってきては通り過ぎた
風が吹くと、辺りの草が靡いて音を立てた
それに合わせて風を受けた体毛もほんの少しだけ揺らめく
それが心地良いと思った
「・・・やっぱりサボってる」
声が聞こえて、視線を頭の上に向けた
自分を呆れた顔で見つめる逆さまの顔が、其処にあった
「なんだ、グリスか」
名前を呼ばれたグリスは、溜め息を一度吐いた
「ラグ、またサボり?」
「俺の名前はラグじゃねぇ、ラグズだ」
「だって言い難いんだもんそれ」
今までにも何度かあったやり取りだった
グリスの真似をするのが半分、本当に諦めたのが半分
その顔を見ながら、ラグズは皮肉る様に笑ってやった
それを見たグリスは眉を顰める
「あんまりサボると退学になるよ?」
「結構、別にそうなっても困ることはねえよ」
それを聞いて、グリスの顔が心配そうな表情に途端に変わる
「な、なんだよ・・」
その顔を見ると思わず怯んでしまう
「僕一人部屋は寂しいな・・・」
言うと同時にグリスが顔を上げて歩き出した
慌てて身体を起こすと、既に表情は見えなかった
「・・・わかったよ、行けばいいんだろ」
横まで走ると、待ってましたと言わんばかりにグリスが笑っていた
直視出来なくて、また青空を見つめた
ラグズは、グリスと同じ部屋に住む学園の生徒だった
グリスとは同期で、大体は同じ授業を受けている
それでもグリスはゼルグの教えがあるのか、最初から幾つも魔法を扱えるのを見て
最初に会った時、ラグズは気に入らない奴だと思った
同じ授業を受けたり、部屋で話をする内に
自分が他の生徒よりも一つ抜け出た事を鼻に掛ける様な素振りが何一つ無いのを見てその考えを改めた
それからは気づくと、自然に目がグリスに向かっていた
自分が好意を抱いていると気づくのにも時間は掛からなかった
今は時折他愛も無い話をするだけに止めていた
まだ、そうなるには早いと思ったのだ
「先生、ラグズを連れてきました」
教室の扉を開いてグリスが笑顔で言う
それに、授業をしていた教師が顔を向けた
「ご苦労さん、ラグズ・・・お前はもう少し真面目だといいんだがな」
何も言わずにラグズは頭を下げた
成績は悪い方ではなかった、グリスの様な抜きんでた存在を数に入れなければ生徒の中では上位だったが
それに甘える事はなかった
ただ、何となく授業を受けるのが面倒に思えた時にああして抜け出しては草の上で空を見ている
そうすると、同室のグリスが大抵は捜してくるように言われてやってくるのだ
それを待つのも、最近は抜け出す理由に入っていた
「もう、いい加減にしてよ?捜す僕の身にもなってよね」
授業が終わって、グリスが自分に言った言葉だった
「お前だって授業少しはサボれてるだろ?」
「僕はサボるつもりないもん」
抱き込もうとする様な言い方に直ぐにグリスが反論をする
言い訳をするだけ無駄だと判断すると、話題を変えようとあれこれ口から言葉を出した
呆れた様に自分をグリスが見つめるのだがそれでいいと思った
こうしている時間が好きなのにも、最近気づいた
話をしながら歩いていると、グリスの表情が変わるのが見えた
この表情はと思い、前方に視線を移す
前方に二人組が現れた
片方かラグズと同じ狼人で、もう片方は虎人だった
「ベイン先輩!フェイン先輩!」
グリスが嬉しそうに声と手を上げた
「お、グリスか!」
フェインと話す事に夢中になっていたベインが、グリスを見て顔を綻ばせた
その隣に居るフェインも、ベインから開放されたと薄笑いを浮かべていた
二人が目の前まで来るとラグズは頭を下げた
隣のグリスはさっさと話を始めていて、ベインを見て嬉しそうに笑った
他愛も無い話に止めている理由は、もう一つあった
目の前のベインだった
どうやら、グリスはベインの事を想っている様で
それは自分がグリスに抱くものの様に一途なものだった
「隣にいるのは・・ラ、ラズ・・・・?」
「先輩、ラグズですよ」
「ああ、そっか」
そのやり取りに、何も声を掛けなかった
「元気無いな、なんかあったのか?」
お前のせいだ、ラグズは心で呟く
「何も」
素っ気無い返事をした
次にはその隣に居るフェインへと視線を向ける
相変わらず、圧倒されそうな魔力を感じた
教師からも確かに魔力を感じるのだが、その力は落ち着いていて
反対に目の前のフェインから感じるのは荒々しい力だった
「学園はもう慣れたのか?」
グリスと学園に来て、まだ半年程度しか経っていなかった
フェインはそれを気に掛けているのか、少し心配した様な顔をする
「大丈夫です、ありがとうございます」
フェインには丁寧に受け答えをした
隣では変わらずにベインを見つめたり、時折声を掛けてはしゃぐグリスが居て
苛立ちが込み上げたが、表情には決して出さなかった
「俺は次の授業があるので、これで」
再度頭を下げると、さっさと歩き出した
グリスはまだその場に残っていた
「・・・あ、僕も行かないと」
大体の話をすると、グリスは思い出したかの様に呟いた
「またな!」
ベインが言うと、グリスも笑って手を振ってその場を後にした
「お前、嫌われてるのか?」
二人だけになるとフェインが呟く
「へ?誰にだ?」
ベインは突然そんなことを言われたという様な顔をしていた
「・・何でもない」
遠くに居るグリスと、更に遠くに居るラグズにフェインが視線を送った
自分に対する態度と、ベインに対する態度が随分違うものだとフェインは思ったのだが
当のベインは何も感じていないらしく、それならば無理に事を荒立てたくはなかった
隣でベインが煩く喋り始める
これ以上面倒なことに縛られたくなかった
そんな事を思いながら、隣に居る面倒事に気づかれない様にフェインは歩き出した
後ろから、足音が聞こえた
それが隣に来ると、次は息を整える音がする
「・・・ベイン先輩のこと嫌いなの?」
グリスは自分の対応の違いを見抜いていたのか、それを口にした
「別に、嫌いじゃない」
好きでもない、それは言葉にしなかった
グリスがベインを好きな理由が、自分にはよく分からなかった
学園に居るとよくベインがフェインの事を追い掛ける姿を見ることが出来て
それを見る度に、フェインを気の毒に思う
グリスもその光景ぐらいは見ているはずなのに、何故ベインが好きなのか
フェインの様に思わず身構えてしまう程の魔力も感じられなかった
部屋に着くまでその事を考えていたのだが答えは見つけられず
自分の寝床に入ってのんびりとしているグリスを見上げた
「・・なに?」
視線に気づいたのか、グリスは自分を見つめるが
無言で自分の寝床へと入った
向かい合わせた掌の間に、眩い光があった
丁度実技の授業をしているところで向かい側には同じ様に光を操るグリスが居た
あれからずっとベインの良い所を考えていたのだが
ラグズには何一つとして見つけ出す事が出来なかった
「・・なあ」
「なに?気が散るから変なこと言わないでよ」
グリスの光は大きくなっていて、何処まで光らせる事が出来るのか挑戦しているのだろう
心の中でにやりと笑った
「ベイン先輩のこと好きなのか?」
光が弾け飛んだ
ベインの名前を聞いた瞬間に、グリスは固まってしまい
その場に維持させていた魔力が狂って爆発を起こしていた
「グリス、お前掃除当番」
それを見ていた教師がグリスの名前を呼んだ
「・・・・・変なこと言わないでって言ったじゃん」
恨めしそうに自分を見つめていた
「心配すんな」
次の瞬間、腕の安定させている魔力の流れに強引に新しい魔力を捻じ込んだ
少し遅れてからラグズの光も見事に爆発した
意図的に発生させたためか、グリスの光よりも大きな音が鳴った
「ラグズ、お前もだ」
教師からの言葉にラグズが微笑んで頷いた
二人だけが教室に残って掃除をしていた
最初は面倒臭そうに掃除をしていたグリスだったが
元々綺麗好きなのもあってか、何時の間にか掃除を楽しんでいる様な顔をしていた
「で、どうなんだ?」
授業中に問い掛けた事を口にした
それで、また表情は変わる
「ベイン先輩・・?」
手を休めてグリスが困った様な顔をした
「好きなんだろ?」
何時もの様子を見ていれば、それは分かり過ぎる程分かった
その度に自分の中で焦りや苛立ちが込み上げるのだ
そんなラグズの心など知るはずもないグリスは、口を開いた
「・・好きだよ」
「どの辺が?」
「どの辺って・・・・・・」
グリスが考え始めるのだが、其処から先は言葉になることはなく
何故かグリスは首を傾げていた
「無いのか?」
「ち、違うよそういう訳じゃないって」
慌ててグリスが弁解をする
「よく分かんないけど、好きかな・・」
結局、そんな曖昧な返事をされた
納得出来なくて傍まで歩み寄るとその顔を見つめる
「ベイン先輩がさ、フェイン先輩と居るとよく笑ってて・・・それを見るのが好きなんだよ」
歩みが止まった
目の前にある顔は、幸せそうに微笑んでいたが
それでも僅かに寂しさを滲ませていた
其処から先は何もお互いに喋らず、黙々と作業を続けて教室を後にした
夕焼けの空を見上げていた
今は授業を抜け出した訳ではなく、単に今日の授業が全て終わって何となく此処へ来たのだ
何時もは教師に言いつけられてやってくるグリスも来る事はないのだろう
言われなければ捜しに来ないのかと思うと、苦笑いを零した
「こんな所に居るのか」
聞こえないはずの声が聞こえて、慌てて起き上がった
振り返ると、自分を見下ろすフェインが居た
無言のままそれに頭を下げる
自分と同じ様にフェインが隣に座った
盗み見る様にその顔を見つめたが、無表情に夕日を見つめていた
「・・先輩」
声を出すと、フェインは返事をする代わりに自分に視線を向けた
「ベイン先輩のこと、好きなんですか?」
初めて、その顔に変化と言えるものが訪れる
「・・・・・いきなり何だ」
目を少し大きく開いてフェインが言う
フェインからすれば突然過ぎる質問なのだろう
自分にとっては、此処最近の疑問の一つだった
視線を送ると、フェインが困った様に俯いていた
「・・別に、好きじゃない」
否定する様にフェインは言った
それでも、表情は何時もの無表情とは掛け離れていた
それを見てからまた地面にラグズは横になった
「嫌いでもない、か」
フェインの少し驚いた顔がこちらに向いた
自分と似ているのだろうかと思った
驚いた顔も次第に大人しくなると、また夕日を見る
「確かにそうかもな・・・嫌いじゃない、たまにうざいけどな」
何時ものフェインの顔に戻っていた
ベインが傍で煩くしていて、それを冷めた様な目で見つめる時の顔だった
二言三言話すと、フェインは挨拶をして帰っていった
結局、フェインもベインの何処が好きなのかという明確な答えを示すことはなかった
それでも、二人の様子を見ると大体の事は理解出来た
フェインも恐らくはベインが好きなのだろう
性格からして、それを表に出すことなどほとんどないのだろうが
それも、自分と似ていると思った
グリスのことを考えた
報われない想いをベインに抱いている
不憫だと思うのと、好都合だという気持ちがあった
「・・グリス」
声に出すと、会いたくなった
今何処に居るのだろうかと考えるのだが見当などつくはずもなく
この場で横になっているよりは何か行動をした方が見つけられるだろうと判断をすると、勢い良く起き上がった
部屋に戻ってきた
グリスと、自分の部屋だ
帰る途中でグリスが居そうな場所を幾つも捜したが、何処にもその姿は見当たらず
此処に居なければどうしようもないと思っていたのだが
部屋の中にグリスは居た
「どうしたんだ?明かりもつけないで」
部屋は闇に覆われていて、それでもグリスの気配を感じる事は出来た
明かりを点けるとグリスは自分に背中を向けていて
一向に振り向く気配が無いのを不審に思い、腕を掴んで振り向かせた
「・・どうした?」
何時もは笑っているか、自分にはよく見せる怒った様な顔をしていたグリスが
今は泣き出しそうな表情になっていた
「なんでもない・・・」
掴まれている腕を放そうとグリスが手を伸ばすが、その手からは力をほとんど感じなかった
「ベインか?」
動きが止まった
堪えていた涙が頬を伝ったところで、ラグズはその身体を抱き締めた
「ラグズ・・・・」
黙ったままグリスは抱き締められていて、次第に胸に濡れた感触が広がる
安心させる様に背中を擦ったが内心は穏やかではなかった
自分の中で、ベインが嫌いな位置に移動を始めていた
「ベイン先輩がさ・・」
数分経つと、漸くグリスが声を出した
「すごく幸せそうだったから・・・だから」
その後は、音に出していたが言葉としては上手く聞き取れなかった
何処かで、あの二人の様子でも見たのだろう
堪えていた何かが抑えきれなくなったのか、また曇った泣き声が聞こえた
眠るグリスの顔が目の前にあった
泣き疲れて、今は穏やかな顔をして眠っていた
布団の端を掴むとその身体に被せて、自分も隣に横になっていた
泣き出したグリスの身体を抱き締めただけで、それ以上先には手を出さなかった
まだ其処までの仲ではないだろうと頭の中で自分が言い放ったのと
こんな時のグリスに付け込んでもなんの意味も無いと思ったからで
出来るのは、時折布団越しに身体を撫でることぐらいだった
眠るその身体が僅かに動く
我慢出来なくなって、思わず抱き寄せた
それでも、其処から先には決して進むことはなかった
空を行く雲を見つめていた
それを見送っては、欠伸をすると気だるそうに腕を大地に置く
「またサボってる・・」
逆さまの顔が見えた
それに、ラグズは不適に笑う
グリスは何時もと変わらなかった
目覚めてラグズが隣に居ることに多少は驚いたものの、自分の今までの状態は充分に分かっていたのか
特に何も言わずに何時も通りに授業に出た
グリスが変わらずにいるのなら、自分も変わらずにいようとラグズも特に対応は変えなかった
一度溜め息を吐くと、グリスが隣に座った
「・・・戻らなくていいのか?」
連れ戻しに来たはずなのに、隣に座ったグリスに疑問を抱いた
「今日は僕もサボりだよ」
「お前がか?」
思わずその顔を見つめる
グリスが授業に出ないことなど、体調不良の時以外に今までありえなかったのだ
表面には出さないが、それほど気にしているのだろうかと心配になった
自分の反応を予想していたのか、グリスもこちらを向いていて
目が合うとにっこりと笑った
それに思わず視線を逸らす
「行こうよ、先生怒ってるよ?」
立ち上がるとグリスが自分の肩を叩いた
「サボりじゃないのか?」
「あんまりサボると癖になるからダメ」
仕方ないといった様子で立ち上がる
先をグリスが歩いていると、一度だけ振り返った
「ありがとうラグ・・ごめんね」
感謝と、謝罪の両方の言葉を聞いて思わず立ち止まる
グリスが何に対して謝っているのかがよく分からなかった
自分の想いを感じて、それに対して言っているのかも知れないと思うのだが
それを訊くのは憚られている様な気がした
胸の中で、好きだと呟いてから
結局、また空を見つめた