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鏡の記憶

誰も居ない部屋の扉が開かれた
「今日の授業はこれで終わりですね・・」
少し疲れた様子の、ゼルグだった
丁度授業が終わり自分の部屋へと帰ってきたところで
静かに歩くと何時も座っている椅子へと腰掛ける
目を瞑りながらひとつ多きな息を吐くと
机にある引き出しの方に目をやり其処を開いた
引き出しの中には、授業に行く前に置いたあの鏡が置いてあり
それを手に取って覗き込む
鏡は、自分の顔を映すだけで精一杯の大きさで
造りも随分と簡素な物だった
それでも傷一つ付いていない事から、大切に使われていた事が分かる
「・・随分大事にしていたんですねぇ」
懐かしそうに、ゼルグが呟く
「今は何処にいらっしゃるんでしょうか・・」
鏡を机の上に置いて、振り返ると窓から外を眺めた
空は雲で覆われていて今にも泣き出しそうな程の天気で
あの日と、少し似ているとゼルグは思った



ゼルグは、道を歩いていた
空は一面が雲で覆われていて、太陽の光もほとんど見当たらず
時刻は昼だというのに夜ではないだろうかと思ってしまう程だった
「一雨来るかもですね・・」
空を見上げて一言零す
隣町に用事があり、其処まで行っていたのだが
すっかり帰りが遅くなってしまったところだった
本当ならもう既に学園に戻っている頃なのだが
ついつい話が進んでしまい、今に至っている
「有意義な話だったからいいんですけどね」
自分を納得させる様に、口元を緩ませながら声に出した
そんな事を考えていると、鼻先に一粒の雫が落ちる
一つ降った雫に続く様に更にその身体に雨の雫が当たった
次第にその量は多くなり、雨の落ちる音が耳に入る
強い雨だと認識すると、辺りを見渡した
近くの森の中に木々に埋もれた一つの大きな館があるのを見つける
「あんな所にもあったんですね・・」
他にはそれらしき建物も見当たらず、雨宿りをさせてもらおうと館へと走り始めた

館の入口に着いた頃には、身体が大分濡れていて
その身体を乾かす様に掌に炎を出した
屋敷の扉を背に、暫くの間じっとして身体を乾かしていたのだが
背中に、扉の開く音が聞こえて振り返る
扉の隙間から、狼の顔をした少年がこちらを覗き込んでいた
「ああ、すみません・・雨が降っていたのでお借りしています」
自分がこの館に向かって走ってくるのを中から見ていたのだろう
不思議そうにこちらを見つめる少年に向けて、ゼルグが愛想良く笑った
ゼルグの顔をじっと見つめていた少年だったのだが
扉を少し大きく開くと手招きをしてみせる
「入って・・・よろしいのですか?」
少年が、小さく頷いた



館の中に入ると、先を少年が先導する
明かりが無いのか外以上に暗さが空間を支配していて
必要以上に目を凝らす必要があった
入って直ぐ横を見ると、大きな鏡があるのを見つける
半分程布が被らされていたが、それでも大きな鏡で
鏡に視線を向けるゼルグを映し出していた
鏡を見ていた顔を慌てて正面の少年に向けると
ゼルグを待っているのか、振り返ってこちらを見つめていた
少年の方に向けて歩みを進めると、それに合わせる様に少年もまた歩き始める
そのまま館の中を暫くの間案内された
館の中は酷く汚れており、所々破損が酷くて進めない所も多かった
途中窓のある廊下に出ると窓の前で少年が立ち止まり窓を指差す
窓から外を見下ろすと、丁度自分が走ってきた道が見えた
「なるほど、此処から見ていたんですね?」
その言葉にも、少年は頷いた

最後に、地下に案内される
此処が少年の部屋になっているのか、部屋に着いた少年は
傍にあった椅子をゼルグに向かって差し出すと、ベットに座る
「他に、誰か此処には住んでおらっしゃらないのですか?」
暫く考えてから、初めて少年が首を横に振った
誰も居ないという返事だと受け止めると、少年を見つめる
着ている物は随分と質素な物で、それと対照的に置いてある家具は立派な物だった
「ご両親や、お友達は?」
また少年が首を横に振った
「一人・・ですか」
最後に、頷いてみせる
それを見届けると同時に鼻を掠める異臭を感じた
異臭のする方へ顔を向けると、机の上には幾つかの木の実が置いてあり
半分程齧られた跡があった
その木の実の一部が腐り始めているのだろう
少年は痩せていて、無理をして食べているのが感じ取れた
「ちゃんとした物を食べないと・・街には出たりしないんですか?」
問われて、少年は自らの口を指差すとその後に首を横に振る
「喋れない・・?」
ゼルグが言うと、少年は俯いた


少しの間、二人は話し込んでいた
話し込むといっても少年が喋れないために
ゼルグが喋り、少年は首を縦か横か
分からない時は傾げるだけだったが
それでも久しぶりに人と話をしたのか、少年はゼルグの言葉一つ一つを真剣に聞いていた
「そろそろ帰らないとですね・・」
話し始めてからどれくらいの時間が経ったのかはよく分からなかったが
学園に帰れば用事のあるゼルグは、余り時間が無かった
少年が立ち上がるとまた先を歩き出す
雨は上がったのか、上に戻っても雨の当たる音は聞こえなかった
館の入口まで少年がゼルグを見送りに来る
「また来ます、お元気で」
ゼルグが手を振ると、少年も手を振った
雨が上がった空は今は晴れていて、何処か晴れやかな気分で学園に向かってゼルグは歩き出した



それから、一週間が経つとゼルグは今日も少年の館へ向かった
初めて訪れてから既に四回目の訪問になっており、少年も慣れた様子でそれを迎える
「今日は、お土産も持ってきましたよ」
来る度にゼルグは何か食べ物を少年に渡すのだが
それ以外に渡したい物があるのか、大事そうに持っていた物を差し出す
手渡されたのは小さな手鏡で、少年はそれを不思議そうに見つめていた
「この部屋には、鏡が無いみたいですしね」
入って直ぐにならあったのだが、この部屋を何処を見渡しても鏡は見当たらなく
何となく街を歩いていた時に目に付いた手鏡を持ってきたのだ
最初は贈り物に嬉しそうな顔をしていた少年だが、鏡で自分の顔を見ると表情を曇らせた
「自分の顔、あまり見ないんですか?」
入口の鏡は滅多に見ないのか、自分の顔を見たのは久しぶりの様で
痩せていて、余り笑わない顔が映された鏡を見て肩を落としていた
少年が手鏡を握り締める
すると、少年から強い魔力を感じた
「・・これは・・・」
今までまるで魔力を感じる事がなかったのだが、その時感じた魔力はかなりの量を持っていた
握り締めていた手を放すとその魔力も消え去る
感情によって魔力が出てくる様だった
「貴方は喋れない代わりに、魔力があるんですね」
時折、身体の何処かに障害を持つ者はその代わりに強い魔力を持つものが居る
この少年も恐らくそれに該当するのだろうとゼルグは思った

自分の持つ魔力に余り感心が無いのか、ゼルグの言う事に少年は首を傾げた
その後は、また何時もの様にゼルグが様々な話を始める
少年はゼルグの話に出てくる一人一人の相手に興味を持っていた
「皆さん、優しい人ばかりですよ」
ゼルグが言うと、少年が感心した様な顔をする
「貴方にもそんな相手が、何時か出来ます」
その言葉に、少年が俯いた
喋る事が出来ない少年の知り合いは、今はゼルグのみで
沢山の知り合いや友人の居るゼルグが羨ましいのだろう
ただ、自分がそうなりたくても声が出ないのが悩み事だった
「声が出なくたって、友達は出来ますよ」
諭す様に言い聞かせるのだが、それでも少年は俯いたままだった



次に館へと来た時、少年は入口には居なかった
それでもこの館の道を自分は既に大分知り尽くしていて
苦労する訳でも無く少年の部屋へと向かう
部屋に着くと、ベットに寝ていた少年が飛び起きた
ゼルグの場所とは反対の方向を向いていたのに直ぐに反応したのを不思議に思うが
その手に、あの鏡が握られているのを見てなるほどと思う
「そういう使い方も出来ますね、鏡は」
駆け寄ってきた少年はゼルグに鏡を向ける
別の使い方をした少年に微笑む自分の顔が映されていた
「自分の顔を見ないといけませんよ」
そう言われて、少年が鏡を恐る恐る見つめる
視線の先には、やっぱりまだ何処か不安げな顔が映っていて
それを見るのが嫌な様子だった
「何時か、此処を出るのでしょう?」
何度も話し合っている内に、少年は外に行きたいという意志を持っているのを知った
それでもやはり喋れないのを不安に思っているのか、何かを迷っている様子で
何とか助けになれないかとゼルグは考えていた
その日もゼルグは少年に様々な事を語るのだが
それが何時もと違う話なのは、聞いている少年が一番分かっていた
「貴方は、貴方の大切な人を見つけなくてはいけません」
最後にそう言うと、理解したのか少年は今までよりも更に大きく頷く
帰り際外に出たゼルグが手を振ろうと振り返ると
館から外に出なかった少年が外に出て見送りに来ていた
ゼルグの腕を掴むと、ゼルグを見つめた
目が合うと、少年が笑った
今まで見てきた笑みよりもずっと笑った顔をしていて
外に出て明かりに照らされたその顔が、輝いて見えた
それに合わせる様にゼルグも笑った



その日から、少年は館から姿を消した
館へ訪れたゼルグが何度捜しても少年は見つからなくて
少年の部屋には机の上に鏡だけが置かれていた
戻ってくるつもりなのか、それとも鏡を捨てたのか
それは分からなかったが、もし何時か戻ってきた時のために鏡はそのままにしておいた
鏡からは不思議な魔力を感じていて
あの少年が何時も大事そうに抱えていたから、自然とそうなったのだろう
魔力は酷く強い物で、このままではあの少年が帰る前に誰かが持ち去るのではと考えたゼルグは
その魔力を抑える魔法だけを掛けた
館から出る際に、館の窓を見るが
やはり少年の姿は無かった
何時もはゼルグが来る時間になると其処から外を見ていたのだが
本当に少年は姿を消してしまったらしく
そのまま、ゼルグは学園へと戻っていった





少年が姿を消してから随分な時が経った
その頃になると魔物の挙動が少しずつおかしな物になり
このままでは鏡の微量な魔力を感じた魔物が館を荒らすのではないかとゼルグは不安になる
それで、今回の任務を生徒に頼む様にしていた
自分が行けば済みそうだったが、忙しくてとても暇を見つけられず仕方なく頼んだ形となる
最初は直ぐに済むと思っていたのだが、生徒達がおかしな幻影を見せられていると報告を受けて
真先にあの鏡の事が浮かんだ
自ら取りに行こうかと思っていた頃に丁度フェインとベインが目に止まり
これが駄目なら何とかして自分で向かおうと決めていたのだが
意外にも二人は鏡を持ち帰ってきたのだ
間違えるはずもなく、自分が手渡した鏡で
ただの街で売られていた鏡が此処までの物になったのに少し驚く
「元気で暮らしているといいのですが・・・」
少年の事が頭に浮かんで、ゼルグは心配を口にする
窓から相変わらず外を眺めていたのだが
後ろに、魔力を感じて振り返った
振り返った先には、あの少年が昔と変わらない姿で自分を見つめていた

「何故、此処に・・・・」
言いかけて、机の上に置いた鏡に目を引き付けられた
鏡は淡く光っており其処から魔力を感じる
「・・私の心の中を映し出したのですか」
映し出された少年が、昔と同じ様に頷く
「姿がそのままなのも当たり前ですよね、私の心の中に居る姿なんですし・・」
今、もし少年がまだ生きているのなら少しは大きくなっているのだろう
その姿が見れないのが少し残念に感じられた
少年が、口を開いた
何かを言おうとしているのだとその顔を見つめるが
声が出なくて、少年は俯いてしまう
「私は貴方の声を聞いてませんしね、喋れなくても無理はありません」
今の少年が喋れる様になっていたとしても、目の前の少年は喋れないのだろう
「何か、御用ですか?」
用事があるのは、少年ではなく少年を映し出している鏡なのだろう
少年はまた、同じ様に考える仕草をしてからもう一度口を開く
今度はゆっくりとした動きで、声は出ていなかったが何を言っているかが分かった
「ありがとう・・・ですか」
当たっているのか、少年が笑った
最後に見た時の顔と似ていたが、何故かあの頃よりも更に幸せそうな顔をしていると思った
笑っている少年の身体が光り始める、身体から光の粉が上がり始めていた
「貴方の主人は、元気でいらっしゃいますかね・・?」
言葉に、少し少年は悩むが
大丈夫だろうと言う様に大きく頷いてみせた
次の瞬間、少年の身体が一瞬にして全て粉になると程無くして目の前から消え去った

最後の粉の一粒が消えるまで、ゼルグはそれを見つめ続けていた
机にある鏡を手に取る
「・・きっと、何処かで元気に暮らしていますよね」
鏡に向かって笑い掛ける
応える様に、鏡が光った

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