ヨコアナ
5.ずるい虎
女装した男にちやほやされてるデリオスの姿を見つめながら、俺は食事を取っていた。
立食形式なので足が辛いけれど、料理はなかなかの物である。
ロイガにも食べさせたいけれど、ガードでもあるロイガは基本的には食べられる事を許されていない。
せっかくなのでロイガの分も食べてやろう。
黙々と食べる俺に、ロイガの視線が突き刺さる。
食べてばっかりでずるい、というよりはデリオスに接触しろと言いたいのだろう。
俺だってそうしたいけれど、あの空間に踏み入るのはちょっと辛かった。
獣人は化粧がしづらいからあんまりケバい奴はいないけれど、人間みたいに化粧のできる個所がひとつだけある。
それは目だ。
アイライン引いたり、つけまつげしたり、兎にも角にもデリオスを取り囲む男の数人はそんなケバい見た目である。
あんなのに近づいたら噴き出しかねない。
加えて、化粧ができない代わりなのか香水の臭いがとにかく酷かった。
あんなのに近づいたら嘔吐しかねない。
そんな訳で、俺は黙々と出された料理に手を付けていた。
食べ物は美味しいけれど、白いドレスだから汚したら残念な事になるのでかなり神経を使う。
ついでに女らしい仕草で食べなくてはいけない訳で。
食事を取るだけでも大変なのであった、女らしい仕草を頭の中で必死に思い出す。
真っ先に浮かんできたのがサキの姿だった。
流石にお嬢様だけあるのか、サキのテーブルマナーには何一つ欠点が見当たらなかった。
そんなサキを思い出して俺はできるだけ綺麗に食事を取る。
とはいえ、この間と違い立って食べてるから全部同じ様にはできないけれど。
デリオスは相変わらず女男の群れに呑まれてる。
よく平気だな、あの臭いの中で。
こういうのよく開いてるみたいだし慣れたのかな。
そんな事を考えながら引き続き料理を頬張る、このお肉美味しい。
やる気も出さずにのんびりしていると、不意にデリオスが軽く手を叩いた。
「それではこれよりダンスのお時間になります」
えっ、そんな事まですんのかよ。
慌てて俺は皿を置いておずおずと人の群れへと向かう。
既に思い思いにペアを組んでいるのか、然程時間も掛けずに二人一組になっていた。
デリオスは女装した男だけを招いているので、それ以外の男はデリオスが用意したのだろう。
中にはロイガみたいに付き添いの人も居るのかも。
あれ、男同士で踊るのってマナー違反じゃないっけ。
女装してるしいいのかな、駄目だったら誰とも踊れないし。
女の気配の無いむさいパーティ会場である、細かい事は気にしないのだろう。
続々とペアが決まっていく中俺はぽつんとしていた。
なんだか仲間はずれである、転びそうだから踊りたくないのが本音なのでそれも構わないけれど、
これだとデリオスに近づくのが難しいなあ。
肝心のデリオスは、数人に取り囲まれてちょっといざこざがあったみたいだけど順番に踊ろうという事でどうにか相手を決めた様だった。
仕方なく、壁際に立ってそれを見つめる。
こういうの壁の花って言うんだよな。
あれ、男だからシミの方なのかな。
「ラスト」
そんな俺の所にロイガがやってくる。
「お前は踊らないのか」
「だって、こんなヒール履いたまんまじゃなあ? すっころんだら完全に笑い物だよ。
相手にも恥かかせそうだし」
「そうか」
ロイガはちょっと考える仕草をした後、さっと俺に手を差し出す。
「……踊りたくないんだけど」
「追い出されるぞ」
「わかったよ……」
溜め息を吐いて、ロイガの手を掴むと強引に引き寄せられる。
車を降りた時の様にロイガの胸に収まった。
「お前強引過ぎ」
「すまんな」
悪びれた様子もなく、定位置に着くと少し待ってから音楽が掛かりはじめる。
「ロイガ、俺踊れない」
「俺に合わせていろ、転びそうなら引っ張ってやるから」
「踊ったご経験は?」
「無い」
「……お手柔らかに」
周りの動きに合わせて、ロイガが俺の手を引き足を動かす。
ちょっと不格好だけど、それに合わせる俺もヒールのせいもあってたどたどしいのでまあお似合いだろう。
「ブレスレットはいけそうか」
踊りながら、小声でロイガは話しはじめる。
「どうかな、近づきたかったんだけどデリオスの周りが臭くてもう駄目」
「まあ、そうだな」
ロイガも臭いは駄目なんだろう、にんにくも苦手みたいだし。
「この後の相手も決まってるそうだから、デリオスと踊るのは無理みたい」
「そうか、このまま食って踊って帰るか?」
「いいの?」
「駄目で元元の依頼でもあったしな、どうしても無理なら俺は構わない。
俺はお前の護衛としているだけだからな、お前を守れればそれでいい」
ちょっとした愛の告白の様な、俺とお前の仕事は違うんだからと冷たい様な、いろんな意味が籠ってる気がする言葉だった。
「俺としては帰りたいけど、もうちょっと頑張ってみるよ」
「何かあったら呼べよ」
「うん」
回りながらデリオスに視線を送る。
踊ってる最中に露骨に視線を外しても失礼だけど、ロイガだし構わなかった。
当のデリオスも、なんだか気が抜けた表情で辺りを見ていた。
あんまりいい奴と踊れてないのかな、とその相手を見て俺は慌てて視線をロイガに戻す。
「やっぱ目に毒だよな、女装してる男なんて……俺、気持ち悪くない?」
「俺はいいと思ってるが」
「嬉しい様な嬉しくない様な」
一曲目が終わる。
刹那の静寂の後、喧騒が戻ってきた。
ロイガが俺の手を放すのと同時に距離を取る。
「すみません、少し風に当たってきますね」
「畏まりました」
ロイガに軽く目配せをしてから、俺は人の波から抜け出した。
バルコニーに出てから、俺は手摺に突っ伏して大きく息を吐いた。
室内からは見えない角度だからここでは一息吐ける。
手摺から階下を見下ろすと、屋敷の庭が見えた。
「気分でも悪いのか」
しばらくだらだらしてると、声が掛けられて慌てて姿勢を正す。
ゆっくり振り向くとデリオスが俺を心配そうに見つめていた。
「少し、香水の臭いにやられてしまいまして。もう大丈夫です」
「はは、あんなに臭いんじゃ無理もねえのかな」
そう言うデリオスの仕草に辛そうな物は見当たらない。
やっぱり慣れてるんだな、俺の方が鼻が利くってのもあるんだろうけど。
「えっと、名前は……」
デリオスの言葉に口を開いた俺は一時口籠った。
頭の中で、招待状に書いておいた偽名を思い出して遅れて自己紹介をする。
「デリオス様は、踊らなくてよろしいのですか?」
「俺も疲れちまってよ、約束した分は踊ってきてあとはウチの奴らに任せたわ」
その口調はやけに砕けている。
多分これが素なんだろう、ここだけ見てるとちっとも女装好きには見えない。
正しくは、女装した男が好きなんだろうけど。
「ちょっと」
デリオスが片手を上げて軽く頭を下げると部屋の中へと消える。
「おまたせ、飲めるかい」
特に気にする事もなく再び庭を眺めていると、戻ってきたデリオスの手には握られたワイン。
それを傍の備え付けのテーブルの上に置くと、また部屋に行って今度はトレーを持ってきた。
白い布が掛けられたトレーの上には多分ワイングラスでも乗せてるんだろう。
「少しなら」
正直あんまり飲みたくはなかった。
ワインはそんなにアルコール高くないけど、いつも飲んでるソフトな奴よりはやっぱり高くて。
ソフトな奴をちびちびやってるだけで酔っちゃう勢いの俺にとっては辛い物があった。
ワインだから何かで割る訳にもいかないし、それはそれで飲む量が増えるのでやっぱきつい。
そんな俺の内心を知る由もないデリオスは暢気にワインの蓋を開けている。
ラベルも何もついてないけど、デリオスの所で作ったものなんだろうか。
蓋を開けると、デリオスはワイングラスに直接注がず硝子の容器に一度ワインを入れている。
赤い色の液体が底の広い容器に満たされていく様は、なんというか実験でもしてるみたいだった。
途中までそれを見守ってから、残りを見るのを俺はやめた。
グラスに液体の注がれる音に耳を欹てる。
「どうぞ」
そう言ってデリオスが差し出したグラスを俺は受け取った。
躊躇うと余計飲みたくなくなるので、とりあえず一口飲む。
喉に通して嚥下すると、続け様に俺はグラスに口を付けて残りを一気に飲み干した。
「ごちそうさま」
少し強めに力を籠めてワイングラスを戻す。
ちょっとくらくらした、気持ち悪い。
デリオスはワイングラスを元に戻すとそのまま布を被せる。
お前飲まないのかよ、と心の中でだけ突っ込みを入れる俺。
「今度はもっといいものを用意しておくよ」
デリオスが口元に笑みを浮かべてそう言った。
ほろ酔い気分のままデリオスと会話をする。
酔ったままお淑やかに振る舞って、丁寧に話すのはかなりきつい。
「そのブレスレット、綺麗ですね」
霞みがかっていた意識が、鈍い光を放つブレスレットを見ると途端に晴れて俺は言葉を口にした。
「ああ、これか。父から貰った物なんだがなかなかいいもので、よくつけてるんだ」
嘘つけ、と言いたいけれどここは我慢。
「そうなんですか、デリオス様にとてもお似合いですよ」
改めて見てもデリオスにそのブレスレットはよく似合っていた。
身体が黒い上にごついからこういうぎらぎらしたものが様になるんだよな。
「これが欲しいのか?」
「え?」
一瞬背中がひやりとする。
「結構これを褒める奴が多くてさ。まあくれてやったりはしないが、君が欲しいのなら俺も考えるよ」
「そんなつもりでは」
気づかれたのかと思ったけどどうやら違う様だ。
おねだりしたらよかったかなとちょっと遅れて反省する。
でもそれで依頼人に返しても、いずればれてまた喧嘩になるだろうしなあ。
「……お前は物じゃ釣れないみたいだな」
一度盛大に溜め息を吐いたデリオスが俺を静かに見つめる。
お前呼ばわりに内心引っ掛かりつつも、酒が入ってるせいもあって俺は妖しく笑ってみせた。
「ここに来るのは金目当ての奴ばかりだ、俺がちょっと甘い事言ったり、なんかしてやれば黄色い声を出す奴ら」
黄色っていうか寧ろ黄土色の声だけどな。
言わない言わない。
「これだって思った奴は思い通りになってくれないもんだ」
「そうですね」
あいつも思い通りにはなってくれなかったなあとちょっとおセンチな気分になる。
「お前はちっとも靡いてくれないな、俺の招待状を持ってきた癖に」
「ただ、お呼ばれされただけですから」
「そうだな。今までの奴らを見てて麻痺してたわ」
気づくと、背後から俺はデリオスに抱き締められていた。
駄目だ酒入ってるとまともに動けない。
「……俺の物になってくれないか」
「そこまで尻軽じゃありません」
「俺は本気だ」
首筋に屈んだデリオスの鼻息が当たる。
「ちょっと、やめ……」
振り解こうとするけど、とても力で敵いそうになかった。
デリオスの手が俺の胸に触れる。
「お、おいやめろ!」
「やっぱりな、女になりきれてねぇ……俺はそういう男が好きなんだよ」
つくづく俺って特殊な性癖持ちのストレートな行動取っちゃうんだな、モテるって辛い。
「うぁっ、や、やめろっ」
強引に突っ込まれた腕が俺の胸を揉みしだく。
慌ててデリオスの手を掴むが、やっぱり取れそうにない。
もう一方の手が俺の身体を撫で回すと今度はドレスのスカートを捲りあげて腕が侵入してくる。
中の服も掻き分けると、デリオスの手が直に俺のペニスを握った。
「や、やぁっ……んっ」
両手で俺を蹂躙しながらデリオスは俺の耳を咥えると、長い舌で愛撫を加えてくる。
三ヶ所を同時に刺激されて、酒に酔った俺は必死に快楽を受け流す事しかできなかった。
腰の辺りには、ガチガチになったデリオスのペニスが服越しに擦りつけられている。
「もっと声出せよ、俺が女にしてやる」
徐々に熱を持って立ち上がってきた俺のペニスを強引に扱かれる。
「ひっ! あぁん!!」
「そうだ、その調子だ」
酒で自制の利かなくなった俺の喘ぎにデリオスが興奮を示す。
デリオスの垂らした涎が、頬を流れて俺が流した涙に混ざった。
必死にデリオスを止めようとした俺の手はがくがくと震えて今は添えられているだけだ。
絶頂に少しずつ押し上げられていく中、不意にロイガの顔が浮かんだ。
ここで大声を出したらロイガは助けに来てくれるだろう。
助けてほしいのに、俺は声を出せなかった。
ロイガに、こんな俺を見られたくないと思ってしまったのだ。
「ん!!! うっ、くぅ! うぅ……」
身体を跳ねあげて俺はデリオスの手の中で射精をした。
必死に声を押さえて。
下着の中が生温かい液体で満たされていくのが嫌って程伝わってくる。
「はぁ、はぁ……」
ようやく口を開いて何度も呼吸を始めると、デリオスが俺の顔を強引に向かせて唇を合わせる。
長い舌が俺に遠慮する事なく侵入してくる。
下からは、俺の精液を絞り取る様にデリオスの手がぬちぬちと音を立ててまだ動いていた。
射精の波が引きはじめた頃にやっと唇が離れる。
「気持ちよかったか?」
デリオスが口元を緩ませて俺に問い掛けてくる。
「…………ふっざけんなああぁぁ!!!」
手を払いのけると、俺はさっきロイガに予行演習した通りに肘をみぞおちにぶち込む。
ぐえっとデリオスの悲鳴が聞こえた。
素早く振り向いて、唖然としているデリオスに今度は全身から拳に力を送りこむ様にして再度みぞおちに突きを入れる。
それで、デリオスが倒れて動かなくなった。
と同時に俺も床に崩れ落ちる。
「ラスト」
俺の声を聞いたロイガがやってくると、漂う臭いに微かに顔を顰めた。
「ロイガぁ」
加えて俺がぼろぼろ泣いてるんだからロイガは戸惑っただろう。
ドレス着てセクハラされた挙句イかされたところなんて、ロイガに見てほしくなかったけどどうしようもなかった。
「おい、何してるんだ!!」
しかもロイガの後ろには更に騒ぎを聞きつけたガード達が。
ロイガが軽く舌打ちをする。
「逃げるぞ」
デリオスの腕のブレスレットを手早く回収したロイガに身体を起こされる。
俺がまともに歩けない事を察知すると、慣れた手つきで抱き上げられる。
そのままロイガは手摺に足を掛けると身を乗り出した。
「えっ、ちょっ、ロイガここ二階!」
俺の忠告を無視して、ロイガは宙に舞った。
ロイガの顔しか見えない俺は、下が見えない事が怖かったり濡れた股間がすーすーしたりでまともに事態を把握できなかった。
ずどんと物凄い着地音が響き渡る。
微かにロイガが顔を顰めたが、何も無かった様にそのまま走り出す。
結局そのまま、入口のガードもロイガは殴り飛ばすと俺達は屋敷から一目散に逃げ出した。
黒い瞳が俺とロイガを見つめていた。
「……以上になります、申し訳ありません」
言ってから俺はブレスレットを依頼人の牛人に渡す。
「いや、いいんだ。私はよくやってくれたと思ったよ……すまないね」
申し訳なさそうに依頼人は頭を下げてくる。
一部始終を話した訳ではないけれど、自分の息子が女装した男にセクハラしてぶっ飛ばされたなんて聞かされたら、
こんな反応するしかないのかも知れない、態々謝ってくれる依頼人がちょっと可哀想になってくる。
「報酬を支払おう」
「いいのですか?」
男は最初に提示したままの額を俺に渡してくれて、俺は思わずそんな事を言ってしまう。
「元々ブレスレットを持ってきたらそれでよかった、それ以上の事は始めから頼んでいない」
「ですが……」
これで変な亀裂ができたりしたら、なんとなく嫌だなぁ。
デリオスぶっ飛ばしたのは俺なんですけどね。
「ただ、その……だね、その代わりと言ってはなんなのだが……」
不意に牛人の態度が余所余所しくなる。
視線を逸らしながら、それでも俺をちょっと可哀想なものを見るような目でチラチラ見てる。
「……はい?」
突然背後の扉が勢い良く開かれる。
揃って振り向くと、開かれた扉の向こうにあのデリオスがいた。
「げっ」
「やっぱりここに居たか」
俺の姿を見てにやりとデリオスは笑う。
「ブレスレットが無くなっててすぐにわかった、親父の差し金だって事はな」
「あー、えっと……殴ってごめんね」
とりあえずぶりっ子してみる。
「そんな事はどうでもいんだよ。いや、ブレスレットももういい……それよりもだ」
デリオスが俺の腕を掴む。
「俺と付き合ってくれ」
「えっ」
その場に居た全員が凍りつく。
「女装してたから軟弱な野郎かと思ってたが、あんな腕っ節まであるなんて……あんた最高だ」
「あのー」
「あんたのパンチ、効いたぜ」
一発目は肘だったけどね。
心の中で突っ込みながら、俺は依頼人の方へ視線を送る。
「すまない、どうしても相席させろって聞かなくて。君が手に入れられるのならブレスレットにはもう手を出さないというのでな。
報酬満額の条件は、デリオスと付き合うという事でどうだろうか」
「ええぇっ!?」
急展開過ぎる状況に俺はすっかり狼狽していた。
ロイガといいこいつといいなんで小突いたら却って火が点くんだろうか。
「ちょっと待て」
俺の腕を掴むデリオスの手を、黙っていたロイガが掴み取る。
救世主登場。
俺はロイガに期待の眼差しを向けた。
「あんた……確かガードマンだったな、あんたもそうだったのか」
「ラストは渡さない」
「お前が彼氏なのか?」
「かっ……」
思わず聞いている俺の顔が熱くなる。
彼氏じゃないよな、うん。
「少し違うが、同居はしている」
ロイガも下手に言えば俺の雷が落ちる事は理解しているのか、ほらは吹かない。
「なんだよ、それじゃ今こいつ……ラストはフリーって事だろ、口出すんじゃねぇよ」
「お、おい! フリーって言ったってなんで俺が男と付き合わないといけないんだよ!」
大好物だけど、デリオスはまだ知らないだろうからそれを切り口にしようと俺は声を荒げる。
「おいおい、何言ってんだよお前。あんなに可愛い声であんあん言ってやがったのによぉ……。
あれで俺は女しか愛せねぇって言われたら、そりゃあ冗談ってもんだぜ」
「う……」
撃沈。
再び顔が熱くなって、俺は顔を伏せた。
「あの時は手だけで済ませてやったんだ、次は俺のこいつで……」
そこまで言った辺りで、デリオスの声が急に途絶えて気絶した。
ロイガが渾身の力を籠めて首を打ったのだろう、涼しい顔で俺を見ていた。
瞳が、チンピラ相手に切れた時みたいに鋭くて思わず俺は震える。
「帰るぞ」
「え、でも……」
ロイガが俺の腕を掴む。
かなり強い力に俺は顔を顰めた。
「あ、お金」
「そのまま持っていきなさい、ちょっと言ってみただけだから」
倒れているデリオスをやれやれと見つめながら、牛人の男はそう言ってくれた。
俺は頭を下げるとそのままロイガに手を引かれて帰路に着く。
「おいロイガ、もう放せよ……痛いだろ」
無理矢理俺はロイガの手を振り解く。
正直かなり痛い、手を擦って必死に痛みを飛ばそうとする。
「……すまん」
「なんだよ、怒ってんのかよ」
俺の事をじっと見つめるロイガ。
「怒ってない」
あ、嘘ついてる。
いつもなら軽口を叩きながらちょっと笑う癖に、今は笑ってさえくれない。
「言えば、俺は助けに行ったんだ」
ぽつりとロイガが言葉を零す。
それに俺は溜め息を吐いた。
「見られたくなかったんだよ……ドレス着て、後ろからセクハラされたどころかイかされたんだぞ?
……お前に見てほしくないよ」
まあ、そのまま逃げて公園のトイレに隠れた後は、ドレスの汚れを綺麗に取るために
俺がドレスをたくし上げて、ロイガが汚れを拭きとるなんていう変態プレイに発展した訳だけど。
あれは本当に恥ずかしくて俺は泣いた、一年分ぐらい泣いた。
思い出したらまたちょっと泣けてきた。
ロイガの掌が伏せてあった耳ごと、俺の頭を包み込んだ。
「嫌な時は俺を呼べ、俺はお前を守るためにいるんだ」
「うん、ごめん」
そうだ、ロイガはそのために俺の傍に居るんだった。
肝心な時に呼ばれないのではロイガは信用されてないと思うだろう。
それに気づいて、俺は慌てて謝った。
そっと視線を上げると、許してもらえたのかロイガは少し楽しそうに俺の頭をうりうりしてる。
「……いつまでやってんだよぉ」
「すまんな、触り心地がよくてつい」
「俺はロイガのが触り心地いいと思うけどな、色も綺麗だしな」
「………………帰ろうか」
ロイガが先を歩き出すので、慌てて俺はその隣へと付く。
「そういや、ドレスどうしようかな。一応クリーニングにも出したけど」
出したっていうかロイガに出させたんだけども。
ドレス持ってクリーニング頼みに行くくらいの罰ゲームさせてもいいよね。
と言ってドレスを渡されたロイガは、特に物怖じせず実際にクリーニングに出してきたのだから凄い。
「記念に持ってたらどうだ」
「なんの記念だよ……つか、もう見たくないよ」
ロイガが買い取ったタキシードは、今は箪笥に大事にしまわれている。
割と気に入ったらしい。
アパートが見えてきた。
階段を上って、一番奥の部屋の扉を開いて俺が先に入る。
「後でまたタキシードと合わせて着ていけるだろ?」
「もう女装パーティなんかいかねぇよ!!」
まだ俺に女装させたいのかこいつは。
「あーあ、俺もタキシードが似合う方がよかったなぁ」
「似合うと思うが」
「でもさ、ロイガの奴は俺にはちょっとでかいし……だからって買ってまでって程ではないし」
当分俺がタキシードを着る事はなさそうです。
「ドレスは返す訳にはいかないんだし、クリーニングが終わったら売る事にするよ。
売った金でサキちゃんに贈り物でもしようかな」
それなら売り払う罪悪感も多少は和らぐ気がした。
お嬢様のサキだから、下手な物渡しても使わなさそうだけど。
「そうそう、売るのもお前がやるんだからな。ドレス持って外になんか出ないからな俺は」
「根に持ってるな」
「当たり前だろ! あんな……ドレスなんか着て、俺がどんだけ泣きたかったか」
「号泣してたからな、女みたいに」
「お願いそれ以上言わないで」
俺から振った話なのにもう挫けそうだった。
「贈り物何がいいかな。サキちゃんみたいなお嬢様に安い化粧品なんて贈れないしな」
向かい合ってソファーに座ると早速一杯やる。
いつもの缶チューハイが喉に心地良い、やっぱり俺は安い奴のが好きだった。
既に夜も更けてきたので遠慮する必要もない。
向かい側のロイガは、缶を受け取ったもののそれを持ったまま蓋を開けようとせずに考え込んでる。
「ラスト」
「んー?」
「サキには、もう会わない方がいい」
「へ?」
ロイガの言葉に、俺は口の中に残ってた酒を飲み込んで身を乗り出す。
「なんだよ、まだ妬いてんのか?」
「そうじゃない」
「じゃあなんだよ、いきなりそんな事言いだして」
ロイガは俺の瞳を静かに見つめていて、不安になる。
嫉妬しているとか、そういう類ではないようだった。
「サキが、婚約したそうだ」
「え…………」
ロイガの言葉に呆けた俺は、数秒後に慌てて缶をテーブルの上に置いた。
そうしないとそのまま落としてしまいそうだった。
「人間の男とサキは結婚する。だから、もうサキとの接触は避けた方がいい」
「なんで……お前がそれを?」
「サキに頼まれたんだ。お前に直接言う勇気が出ないからと、服を探している時に」
ああ、そうだったんだ。
あの時、サキの目が赤かったのはきっと泣いた後だったから。
そんな事すら俺は気づけなかった。
「……そっか、結婚するんだ」
胸の中で何かがじわりと広がった様な気がした。
なんだろうこの気持ちは。
俺は、サキと付き合うつもりもなかったし、振ったはずなのに。
サキが俺に直接言ってくれなかった事が胸に引っ掛かった。
缶を手に取ると、残った酒を一気に呷る。
「ちょっと行ってくる」
「引き止めるのか?」
「バカ、そんな事しねえよ。俺にはそんな権利これっぽっちも無いんだから」
ただ、別れ際のサキの顔が忘れられなかった。
俺とロイガを見て微笑んでいて、そんな素振り微塵も見せなかった。
あの時サキは俺を見て何を思っていたんだろう。
そんな事を考えながら俺は身支度を整えると玄関に立つ。
「留守番よろしくな。夜中には帰るから」
「ああ」
「……会わない方がいいって言った癖に、何も言わないんだな」
「俺がそう思っただけだ」
「そっか、ありがとうロイガ」
ロイガは多分、俺が傷つくと思ったんだろう。
「いってくるよ」
ロイガに笑いかけてから、俺は外に出ると全速力で走り出した。
月に照らされない道を俺は歩いた。
歩き慣れたって程じゃないけれど、見知ったはずの道なのに今はどうにも落ち着かなかった。
サキの屋敷の前に来ると門を見上げる。
当然、招かれていないのだから門は閉じていた。
門を通り過ぎると高い塀を見つめる。
屋敷の周りは全てこれで囲まれていた。
少し下がってから、俺は力を籠めて足を踏み出す。
高く跳び壁に当たると、更に壁に靴を引っ掛けて上に登る。
手を伸ばすとどうにか塀の上に手が届いた。
身体をよじ登らせると、けたたましい音が鳴り響く。
当たり前だけどこういう所はセンサーが仕掛けられてて、俺は特に気にせずに内側に下りるとそのまま走った。
人の気配がしない方向へとにかく走り、高い木を見つけてそれに今度はよじ登る。
「……とりあえずは大丈夫だな」
侵入した場所では、既に数人の男達が揃って侵入者を探していた。
俺の姿に気づいていないのを確認すると、木を更に登る。
屋敷に寄り添う様に立った木だから、その内屋敷の背を越して屋根が見える様になった。
できるだけ音を立てない様に屋根の上に飛び移ると、今まで隠れていた月に照らされる。
綺麗な月だった。
流石にこんな所には見張りも居ないので、しばらく月に見惚れながらサキの部屋の場所を考える。
見当をつけると身を屈めながら俺は音を立てずに走った。
サキの部屋の真上に来てそっとバルコニーを覗くと、
風に舞った何かが、月に照らされて思わずどきりとした。
注意深く見てその正体に気づくと、俺はそのままバルコニーへと飛び降りる。
小さな悲鳴が聞こえた。
振り返ると、俺を驚いた顔で見つめるサキと目が合った。
「こんばんは、お嬢様」
「……ラスト……さん…………」
その瞳から涙が零れる。
泣き出したというよりは、ずっと泣いていたんだろう。
「婚約のご報告を受けて、祝言を述べに参りました」
ふざけた口調をしながら俺は一礼する。
「ふふ、相変わらずなんですね」
涙を拭ったサキが微笑む。
拭ってもまた新しい涙がサキの頬を濡らし、その軌跡が月に照って光っていた。
「……私、結婚する事にしました。政略結婚と変わらないものでしたが、相手の方は私の考えをよく解ってくれました。
それでも、私を愛してくれると」
頭を上げずに俺はその言葉にただ聞き入る。
「私が獣人を好きでも構わないと言ってくれました。私は、この人なら私を幸せにしてくれると思ったんです」
視界に、ぽたぽたと落ちた涙が映る。
黙ったまま俺は見つめていた。
「ラストさん、ありがとうございました……私と話をしてくれて。
おかげで私は、獣人を好きなまま生きていけそうです」
「サキちゃん」
顔を上げて、俺はやっとサキと目を合わせた。
「……結婚おめでとう。俺は、サキちゃんが幸せになれる事を祈ってるよ」
「はい、ありがとうございます」
サキがくしゃくしゃのまま無理矢理笑う。
「もう、ラストさんとは会えません。メールもしません。私は、私を受け入れてくれたあの人を裏切りたくないから」
「わかってるよ」
サキの頭を軽く撫でる。
「これで、さよならだ」
その身体が小刻みに震えていた。
「サキちゃん、手出して」
「え……?」
俺の言葉に戸惑いながらもサキは手を差し出す。
その上に、俺は持ってきたものを置いた。
「ぬいぐるみ……?」
「狼のね」
俺が言うと、涙に濡れた顔が不自然な程笑みを形作る。
「可愛い趣味してますね」
「サキちゃんの部屋には、こういうの無いって言ってたからさ」
「……大事にします」
掌にぴったり乗るサイズのぬいぐるみをサキがしっかり受け取った事を確認すると、俺は離れる。
「元気でね」
「ラストさんこそ。こんな所に居ると、ロイガさんがまた妬いちゃいますよ」
「……知ってたの? あいつがゲイだって」
まあ付き合ってはいないけど今のところ。
「ロイガさん、ラストさんの事をとても大切そうに見てますから。ちゃんと見てあげないと駄目ですよ」
「こりゃ、一本とられたね」
ロイガがそんな風に見てたのかと、俺は考え込む。
「それに、悔しいけど……ドレスを着たラストさんがロイガさんと並んだ時、なんとなくお似合いだなって思っちゃいました」
「もうやめてよ、ドレスの話は」
「ごめんなさい。でも、やっぱり似合ってましたよ」
いつのまにかサキはいつもの調子で可愛らしく無邪気に笑っていた。
「…………サキちゃん。もうこれきり、俺はここには来ないよ」
「はい」
サキが俺の事を真っ直ぐに見つめる。
もう泣いてなんかいなかった。
「でも、もし何かあったら……耐えられなくなったら、俺に連絡して。
その時は、何でも屋さんのラストが、なんなりとサキちゃんの依頼を受けるからさ」
「大丈夫ですよ、私は。ラストさんが居てくれますから」
そう言って手元にある可愛い狼を見せびらかす。
俺はそれに微笑むと、バルコニーの縁に飛び乗った。
「……バイバイ、サキちゃん」
「ラストさん」
サキの声を無視して、俺は飛び降りた。
「……ラストさん!」
サキが叫ぶ様に俺を呼んだ。
「私、幸せになります! 私の事を考えてくれた人が沢山居たから、幸せになれます!
ラストさん、ありがとうございます! ラストさん!!」
泣き声混じりの告白が響く。
喧騒が遠くから聞こえた、サキの声を聞きつけたのだろう。
「ありがとうございます……ラストさん、ありがとう…………」
サキの声を背に受けながら、俺は何も言わずに走った。
屋敷を抜け出すととぼとぼと俺は夜道を歩く。
携帯を取り出すと履歴を眺めた。
サキとのやり取りは昨日までだった。
今日からの履歴には、きっとサキの名は残されないだろう。
最後に残った日付が、彼女があの日決意をしたのだと教えてくれた。
あいつが俺から離れていった様に、起きた出来事が少しずつこの携帯に記録されていく。
携帯を閉じるとそっとポケットにしまった。
「消す必要はないかな」
サキの様に強くなった頃に、見返してみてもいいかも知れない。
そんな事を考えながら、俺は道をただ歩いた。
ひゅうう、と音を立て僅かに揺れながら光が空へと舞い昇る。
闇に消えて一拍置いてから光の花が咲くと、遅れてドンという音が俺の耳に届く。
「やあ、絶景絶景」
闇に消える光を見送ってから俺は振り返る。
「はーい、橋の上で止まらないでくださーい。歩いて歩いて」
俺の言葉に、周りの人は恨めしげな瞳を向けながらも渋々と歩を進める。
お前は立ち止まって見てるじゃねえか、と言われなくても伝わってくる。
「橋の上で立ち止まると危険ですので、ゆっくり歩いてくださーい」
が、そんな訴えは警備員橋の上担当の俺には何の関係もない事である。
一頻り声を上げると再び宙に咲く花火へ視線を送る。
空に光が咲くと、湖面には滲んだ花が咲く。
特に菊物の花は、流れ落ちたものまで反射するから湖面が輝いている様に見えた。
祭りの季節、人でごった返すからと何でも屋に臨時の警備員として入った依頼を受けるか迷ったけれど、
こんな絶景を独り占めできるのなら悪い依頼じゃないな。
「さてと、ちょっとパトロールしてきます」
「ああ、大分人も疎らになってきたからそれで上がってくれ」
「わかりました、お疲れ様です」
花火もたっぷり堪能したので、隣に居る警備員に声を掛けて俺は歩き出す。
臨時で入った俺は、バカ騒ぎする奴の相手をする事も仕事の内なので何度かこうして見回りをしなくちゃいけない。
何でも屋だからね、そういう事にも対応できる奴ってのが必要なんだろう。
橋を降りると香具師の出した屋台がずらっと並んでいい匂いが漂ってくる。
食べたいけど我慢我慢、とりあえずは見回りからである。
「たこ焼き焼きあがったよー!」
あ。
食べたい。
「すみません二つください」
「はい、毎度あり!」
小銭を取り出して二箱分を早速購入する。
まあ、さっきから橋の上に居て動けなかったので多少の腹ごしらえは必要なのである。
腹が減っては戦はできぬのだ。
「うーんからしマヨネーズか」
嫌いじゃないけどオーソドックスな方も食べたいなぁ。
もしゃもしゃしながら俺は道を歩く。
ぴりりとからしの味がして、これはこれでなかなか。
「ひぃぃ!!」
たこ焼きに舌鼓を打っていると、不意に悲鳴を上げて物陰から男が飛び出してくる。
「うおっ、な、何?」
「た、助けて!!」
俺の後ろに回り込むとがたがたと男は震える。
そっと男が出てきた方向を覗き見ると、虎の大男が暴れていた。
「ああー……あんた、騒いでただろ。駄目だよ騒いじゃ」
「す、すみません……」
涙まで流して、相当怖かったんだろう。
租借していたたこ焼きを呑み込むと、俺は歩を進めた。
「おーいロイガ、もういいよ。やりすぎるとお前がしょっぴかれるぞ」
伏せた男達をただつまらなさそうに見下ろすロイガの背中。
その後ろに花火が上がる、格ゲーで勝利した時の演出みたい。
ロイガは振り返ると俺の元にやってきた残党を冷たい目で見つめる。
背中から悲鳴が聞こえた。
「はいはいもうやめ。これでも食って落ちつけよ、今人呼んでくるから」
「いや、俺が持っていく」
そう言うとロイガは倒れている数人を軽々と抱え上げる。
「お前この間足怪我したんだから、そういうのやめとけよ」
「平気だ」
「はー、相変わらず石頭だね」
そのまま近くの交番にチンピラを預ける。
俺に助けを求めてきた奴も一緒だけど、まあ仕方ない。
完全に戦意喪失して動きもしないから、俺が手を引いてやった。
「ちょっと歩こうか、どうせお前もパトロールだろ?」
「……俺は、お前の護衛なんだが」
「何言ってんだよ、お前が頑張ってくれたら俺が相手にするチンピラが減るだろ。
俺を守ってるじゃーないか」
「屁理屈が好きだなお前は」
「えへー、あだぁっ!?」
ロイガの太い指から放たれたデコピンが俺の額を強打する。
デコピンとはいえロイガの力を考えるとかなり痛い。
「た、たこ焼き買ってきたのに……」
「つまりサボってたんだな?」
「う……」
ひりひりする額を涙目で擦りながらも、たこ焼きを差し出すとロイガは黙って受け取る。
蓋を開けて爪楊枝で一刺ししたたこ焼きを頬張ると、ちょっと目を大きくしていた。
「からしマヨネーズうまいだろーごめんなさい!!」
ロイガが再びデコピンの構えをしたので俺は慌てて謝る。
別に俺が入れた訳じゃないのに。
食べられない事はないのか、ロイガは黙々とたこ焼きを頬張っていた。
「うーん、最近依頼ばっかりだったしこういうのもいいな」
たこ焼きを食べるロイガを見守りながら並んで人気の無い道を歩く。
「これも依頼だろう」
「そうだけど、祭りも楽しめるからな」
女装もしなくて済むし。
「そういえばロイガは着替えないの?」
そんな事言う俺はばっちり決めた浴衣姿。
元々お祭り好きだから浴衣は持ってるんだよね。
「お前だけだ着替えているのは」
「あ、やっぱり?」
大抵は制服姿の警備員が多くて、俺は浴衣、ロイガはいつもの護衛をする時の格好だった。
流石にあのごついナックルダスターは装備してないけど、多分ポケットに指輪型の奴は入ってる。
「だって服装は自由って言ってたんだもん」
「限度がある」
たこ焼きを食べ終えたロイガが空の容器を差し出してくる。
預かると、俺の食べ終えた奴と重ねてから袋に入れた。
ポイ捨て禁止。
「今日は花火日和だな、風もいい感じだし」
空に昇る花火を見つめる。
咲いた花から上がった煙が、風に押されて少しずつ遠くへ流される。
「風があったほうがいいのか?」
「煙が残ってると見えないだろ、ほら」
流れる煙を指差すと、なるほどとロイガは頷く。
「あれが残ってると駄目なんだよな、無風だと風下ができないから被害者もでないけど」
「被害者?」
「風下だと煙で見えない上に燃えカスやら何やら飛んでくるんだよ」
なるほどとロイガが口にする。
風下の尊い犠牲に心の中で敬礼を送りながら、二人で黙って花火を見ていた。
会話の無い俺達の代わりに騒ぎ立てる様に、さっきからいいタイミングで花火は上がる。
長時間の祭りに対応するために間を置いてゆっくりと打ち上げてるんだろう。
花火を見ていると昔の事を思い出す。
そういえばあいつとも見に来たんだっけか。
いかんいかん、考えるとブルーになってしまう。
「どうかしたか?」
「あ、いや……」
鋭いロイガにはやっぱりバレてしまう。
無言が続いてたんだから、変わらないはずなのにな。
顔に出ちゃうタイプの自分を恨む。
「……あいつと、花火を見たの思い出してさ」
隠しても仕方ない事だから俺は正直に答えた。
ロイガはもう、俺が捨てられて傷心している状態な事に気づいているだろう。
風邪で寝込んだあの時だって、俺はロイガに喘がされながらあいつの名前を何度も何度も呼んでいたのだから。
河川敷に着くと坂を下りて川の前まで行く。
この辺はさっき俺が居たところと違って人気が無かった。
割と花火を見るためのスポットが多いから、露店の無いこの辺りには寄りつかないんだろう。
ポイ捨て禁止のためか置いてあったゴミ箱に袋を入れる。
「話してくれないのか」
川の流れに目を落としているとロイガが口を開いた。
「別れ話なんて聞きたいのかよお前。しかも捨てられた話だぞ」
意外とロイガってそういうの聞きたい方なんだろうか。
自分の事は話さないのになぁ。
「お前が泣きそうな顔してるからな」
「っ……」
思わず心臓が跳ね上がる。
やっぱり俺は顔に出るみたいだ。
溜め息を吐いて俺は辺りを見渡すと、橋の下に目を付けてそちらへ今度は歩く。
橋の影に隠れられるから、ここなら誰にも見つからない。
「初めに言っとくけど、女々しいからな……笑うなよ」
「笑わない」
ロイガなら多分そうなんだろうけど、俺はついそんな事を言ってしまう。
頷くと俺はぽつりぽつりと話を始めた。
元々男が好きじゃなかった俺はあいつの存在ですべてが変わった。
俺の事を初めて受け入れてくれた相手だったから、あいつが俺を男として好きだと知っても逃げなかった。
抱かれるのだって、怖かったけど嫌じゃなかった。
入れられるのは痛いだけで、何度も泣いたけどそれ以上に自分の好きな奴に犯されている事が俺は嬉しかった。
そうやって、俺はあいつに気持ちを向けている間に身も心もあいつ専用になっていたんだ。
「なのに…………」
あの日突然捨てられた。
振って湧くってのはこういう事で、俺は何一つとして事実を受け入れられないまま捨てられた。
「バカだろ? 捨てられたのにさ、俺」
あの日から頻繁に身体が疼いた。
しばらく会えなくたってこんな事はなかったのに、もう触れてもらえないんだと思うと身体は刺激を求めて火照った。
泣きながら何度もオナニーする自分の事をただ嘲って、それでも手の動きだけは止められなかった。
「あいつの事、まだ好きなんだよ」
思った通り涙が溢れてきて、ここに避難したのは正解だった様だ。
ロイガは黙ったまま俺を見つめていた。
「……ちくしょう、なんで……なんでなんだよぉ」
もう俺にはロイガが見えてなかった。
滲んだ視界の奥にあいつの顔を浮かべて言葉を吐き出してる。
「好きだったんだよ! 俺は、あいつがする事ならどんな事だって平気だった!
痛い事ばっかりされたよ、でもそれでよかったんだよ!! 俺は、あいつが……あいつが」
後半は嗚咽が混じってて、ちっとも言葉になってくれない。
なんで、どうして。
そればかりを呪う様に口から音を垂れ流してた。
俺の身体に手が触れてくる。
そっと抱き寄せられるとロイガの腕の中に収まった。
ロイガと触れ合って、俺は初めて自分の身体ががたがたと震えている事に気づいた。
「やめろよ、こんなの……こんな風にしたって、俺は」
呪いの矛先がロイガに向けられる。
こんな事言いたくないのに、もう止まりそうもなかった。
「お前だってどうせ俺の身体目当てなんだろ、オナニーまでしてたし……」
「ラスト」
「触るな、触るなよ!!」
突き飛ばそうともがいて、胸を何度も強く叩くけど、俺なんかの力じゃロイガはびくともしなかった。
泣きじゃくりながら俺はロイガの服を掴む。
「ずるいよ、こんなの……みんなずるい」
背中を何度も撫でられた。
しゃくりあげながら、俺は何度も涙を零して声を上げる。
「ラスト」
ロイガの言葉がまた聞こえる。
「俺は、お前が好きだ」
「……嘘つき」
「嘘じゃない」
「お前だって、飽きたら捨てるんだろ……もう嫌だよ俺。
俺だけ、いっつも置いてかれるんだよ。もう嫌だよ……」
みんなずるくて、強いのだと思った。
サキだって、俺よりもずっと厳しい立場だったのに自分で道を決めて歩き出した。
なのに俺はまだ立ち止まったまま。
捨てられた癖に未練がましく振り返って前にも出られない。
次捨てられたら、俺はもう俺じゃいられなくなりそうだった。
だったら最初から誰も傍に居ない方が良かったのに。
いつのまにか俺の隣に居て、ロイガはただ俺を見ていた。
「好きだよラスト、俺はお前が……ずっと羨ましくて、好きだった」
顔を上げてロイガの顔を見る。
微笑んでいるその表情に思わず俺は息を呑んだ。
こんな顔を見るのが初めてだった。
身体の中でモヤの様に溜まっていたものがすっと下がっていく。
「だ、駄目だよロイガ、俺」
まだあいつが好きなのに、こんな純粋なロイガと付き合うなんて。
そう思っているはずなのに、ロイガに抱き寄せられ顔を寄せられても俺はもう抵抗ができなかった。
何か言おうとする前に唇が重ねられる。
静寂を破る様に、空に花が咲いた。
ロイガが俺を草の上に押し倒す。
「ろ、ロイガ……駄目だって」
俺の抵抗を失くす様に唇が降ってくる。
耳に、頬に、涙の溜まった目尻に、唇に。
「好きだ、ラスト」
「ロイガ……」
それ以上言ってほしくなかった。
これ以上言われたら、ロイガを本当に好きになってしまいそうだった。
「好きだ」
浴衣に手を掛け開けさせて、首にキスを落とされる。
唇が離れる度、ロイガの好きだという言葉が代わる様に俺に向けられる。
俺は開けた浴衣を元に戻そうと必死に手を伸ばして、ロイガを見つめた。
「嫌か?」
「……嫌」
「だったら、抵抗してみろ。デリオスにやったみたいにな」
言葉とは裏腹に、酷く優しい声色。
優しい笑みを浮かべたまま再びロイガの愛撫は始まる。
本当にずるいと思った。
俺の腕を掴み、こじ開けると両手を塞ぎ顔を埋めてくるロイガ。
「はっ、あぁ……ロイガぁ」
乳首を甘く噛まれて俺は声を上げる。
一度離れると、舌を出してちろちろと乳首の周りを擦ったり、ざらついた舌でねっとりと乳首を舐め上げられる。
与えられる快楽に素直に喘ぐ俺自身を、ただ浅ましいと思った。
そうやって自制しようとしても声は収まらない。
花火が上がると、逆光を受けたロイガのシルエットが空に浮かぶ。
対する俺の身体はしっかりと照らされていて、きっと涙に濡れた顔もよく見えるんだろう。
「見ないで、ロイガ……」
ついそんな事を言ってしまった俺に、ロイガの含み笑いが届く。
「綺麗だぞ」
「男に……言う台詞じゃねえだろ」
「すまんな。でも、綺麗だ……ラスト」
浴衣が脱がされて、ロイガの前で俺は全裸を晒す。
花火が上がらない様にと願うばかりだった。
抵抗もできずにこんな所で裸になった俺を見てほしくない。
「恥ずかしいよ……」
俺の身体をただ視姦するロイガ。
その顔が沈むと俺のペニスを咥えはじめる。
「んっ、ロイガ……あ、ああっ!!」
咥えられて僅か十数秒で、俺は射精した。
ロイガは口を離そうともせずに俺の吐精を受け止める。
口を離した頃に、また光に照らされる。
ロイガが見せつける様に喉を鳴らして俺の精液を飲み込んでいた。
「ラスト」
ロイガが自分のズボンのベルトに手を掛ける。
ズボンが下げられると、ギンギンになったペニスがビキニパンツをこれ以上ない程押し上げていた。
それを下ろすとロイガのペニスがぶるんと跳ね上がって存在を主張する。
「うぁ……」
でかい。
それに、俺はぞくぞくとしながらも恐怖を感じた。
薄暗いこの場所でもその大きさが並の物とは比べようもないのが伝わってくる。
既に溢れている先走りの汁が、糸を引いて垂れて俺の役目を終えたばかりのペニスに落ちた。
「ロイガ、怖い」
初めてでもない癖に、こんな事を言う俺をロイガは笑うだろうか。
考えながらも素直に俺は言葉を口にする。
「大丈夫だ、入れない」
俺の足を揃えさせて跨ると、ロイガはそっと腰を寄せてくる。
二人のペニスを合わせるとそのまま腰を軽く振った。
「んあっ」
一度射精を終えて敏感になっていた俺は声を上げる。
火照った身体は、爆発するのは早いけれど一度射精をしてもまたすぐに快楽を求める様に疼いた。
「あっ、あぁっ、ロイガぁ!!」
大きな掌が二人を包み込んでそのまま扱き、ロイガは犯す様に腰を振る。
体温は俺とさして変わらないはずなのに、触れるロイガの部分が熱く感じられた。
掌から飛び出してくるロイガの逞しいペニスが先走りを撒き散らして俺を汚す。
突き上げてくる激しさに、俺は挿入された事を想像して息を荒げた。
このまま、ロイガに犯されてしまいたい。
乱暴にケツに突っ込まれて、滅茶苦茶にされたい。
俺の中に出してほしい。
そう考えだだけで俺はあっという間に絶頂を迎えそうになる。
身体をびくびくさせて再び絶頂を俺が迎えようとしていると不意にロイガの手が離れる。
「っ……なん、で……ロイガ……」
もう少しでイきそうだったのに。
俺はロイガに哀願の視線を向ける。
「抵抗しなくていいのか」
「このっ、性悪……」
にやにやしてるロイガだけど、息が荒くて余裕が無いのはお互い様だった。
ロイガだって、俺の視線を受けただけで恥ずかしそうに呻いてペニスを震わせている。
それなのに決して俺に触れようとはしなかった。
「……すまんな。でも、ラスト……一度だけでいい、お前から求めてくれ」
ロイガは多分、俺の許しが欲しいんだろう。
やってる事は結局俺を無理矢理犯してるだけだから。
ここで駄目だと言ったら、きっと何事もなかった様にそれで終わるはずだ。
俺を汚す前に、たった一度だけ許してほしい。
その返事をロイガはただ待っていた。
「……せて」
俺は目を瞑って涙を流す。
恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
薄目を開けると相変わらずロイガは動かずに俺を見ている。
俺は一度息を吸い込むと、意を決して口を開いた。
「イかせて、ロイガ……」
「わかった」
俺の言葉が言い終わらぬ内に再びロイガは俺達を愛撫する。
我慢の限界だったんだろう、両手で包み込むと音を立てて前後に擦りながら腰を振る。
ペニスが擦れ合う度に俺は悲鳴を上げ、ロイガは息を弾ませていた。
「っく、イく! ロイガ!!!」
二度目の絶頂を迎えて、俺は腰を突き出して射精する。
ロイガの手の動きは止まらずに俺の射精を促す様にペニスを扱きあげる。
勢い良く飛び出した精液が、俺の腹を白く汚した。
俺の声を聞きながら、ロイガも限界を迎えたのか俺のペニスを放すと自分自身を乱暴に扱いた。
「ぐっ」
腰を少し上げると、ロイガが短く声を上げペニスの先から精液を吐き出した。
俺の腹から顔に掛けて白濁液が飛び、それを確認すると今度は腹から下へとぶっ掛けていく。
勢いが弱まると、俺に覆い被さり腹にペニスをずりずりと擦りつける。
ロイガの身体がびくんと跳ねる度に、じゅるっと残りの精液が溢れ出してまた俺を汚した。
精液塗れの腹の上で、白く汚れたペニスが嬉しそうに跳ね上がる。
「はぁ、はぁ……出し過ぎだろ、バカ……」
身体の上に異臭を放つ物が乗ってる、と思わず錯覚するぐらいの量だった。
俺の腹から精液が垂れ落ちる感覚がする。
浴衣が、泥だけじゃなくて精液でも汚れそうだ。
「今までずっとお前で出してたからな」
ずっとかよ。
突っ込みそうだったけど、今の空気だと野暮な気がして黙った。
すっきりしたのか、ロイガが大きく息を吐いてから離れるとポケットに手を突っ込んでポケットティッシュを取り出す。
事が終わってのこの光景はちょっと間抜けにも見えるけれど、獣毛にこびり付いた精液がこのまま乾いたら
悲惨な事になるから今はただ有難かった。
ロイガがせっせと俺の身体を拭くのを黙って見つめる。
手伝いたいけど、身動ぎしたらまた腹から精液が落ちそうだった。
持っていたちり紙を全て使い切ってどうにか俺の汚れは拭き取られる。
かなり丁寧にしてくれたのか、軽く撫でても手に付いたりはしないけれど、
湿ってたし、やっぱり臭いは誤魔化せなかった。
「帰ろっか」
「もう帰っても大丈夫なのか?」
「元々パトロールして終わりって事だったからいいよ。報酬は後日な」
その辺はロイガがかなり頑張ってチンピラを潰してくれたので、結構期待できそうだった。
起き上がるとロイガはさっきのゴミ箱へちり紙を全部捨てる。
ゴミの回収してくれる人には悪いけど、あれを持ったままは移動できないので今は有難かった。
「あー、シャワーにしよう……べったべただよ」
アパートに帰ってくると俺は大きく伸びをする。
大分乾いてきたけど精液の臭いがむわっとする。
これじゃ変態である。
「と、その前に……ロイガ、そこ座れ」
「なんだ?」
「いいから」
渋々ロイガはソファーに座ると、俺はその前に跪いて足を持つ。
「やっぱ腫れてるよなぁこれ、毛のせいで解り難いけど」
「平気だ」
「お前ねぇ……少しは労わるって事したらどうなの」
俺を抱き上げたままデリオスの屋敷二階から飛び降りたのは、もう一週間も前の事だ。
なんにも言わないから今まで黙ってたけど、やっぱり無理が祟ってきてる。
「しばらくおやすみな」
立ち上がるとロイガの頭をぽんぽんする。
目を瞑ってされるがままなのが、相変わらず面白い。
「それと、俺のベッドで寝ろよ」
「いいのか?」
「ソファーだと足余っちゃうよね? 結構辛いだろあれ」
元々ロイガの体格じゃ狭苦しいだろう、寝てる間まであんなんじゃ治りが悪くても仕方ない。
「そんじゃ俺シャワーいってくるわ」
一頻りロイガの頭髪弄りを堪能してから、俺は脱衣場へ行き浴衣を脱いだ。
ああ、やっぱ酷い臭いがする。
流石に洗わないとなこれ。
渋々畳んでから、洗濯ネットを引っ張り出しそれに入れてから洗濯機にポイ。
あとはまあ大丈夫だろう、安物だから駄目になっても痛くはない。
それより、今度また祭りに来た時のためにロイガの浴衣も買おうかな。
そんな事を考えながら浴室でのんびりシャワーを浴びると、さっきまでのロイガとの行為が甦る。
「……ついにやっちまったな」
これでいいのかな、フリーな身なんだから何も悪い事はないんだけど。
未だにこんな気持ちになるくらい、あいつの存在が俺の中から消えてくれない。
溜め息を吐いてから、頭からお湯を被ると今は忘れる事にした。
シャワーを終えて部屋に戻ると交代でロイガが入る。
二人とも外にずっといたから汗まみれだったけど、ロイガは譲ってくれた形だった。
軽く挨拶を交わしてから寝室に向かうと散らかった物を片付ける。
「……ゴミ箱空にしとくか」
念のため念のため。
掃除を終えてリビングに戻ると、上がってきたロイガがソファーに座ってテレビを見ている。
「……なんだ?」
その背後にドライヤーを持ってきて近づく俺。
「まあまあ気にせず」
「テレビが聞こえない」
「まあまあ気にせず」
熱風を送って獣毛を乾かす。
頭から始めて、身体の方へ。
ビキニ一丁なので細かいところは見ない様にする。
湿った体毛を乾かすなら全裸の方がいいけど、俺が断固拒否したので最終防衛ラインが最近では引かれたのだ。
俺は上がった時に念入りに拭く事でどうにか服を着られるくらいには水分を拭き取ってるのでその点は安心。
「ベッド湿ったら嫌だからな」
頭に戻ると、念入りに毛を掻き分けて乾かしてやる。
「……やっぱ、痕が残っちゃったな」
「それが狙いか」
「うん、まあそうなんだけど」
正直に言ったら、きっと見せてくれない。
ドライヤーを止めて床に置くと、首に腕を回してぎゅっとする。
相変わらずいい毛並みで手触りも見た目もよかった。
「もっと自分を大事にしろよ」
「護り屋にとってはいい勲章になるだろ」
「そういう事じゃなくてさぁ……治るもんも治らなくなっちゃうだろ」
本当に俺の言う事を聞いてくれない。
普段は大抵の事は聞いてくれるのに。
耳元に口を持ってくと息を吹きかけてやる。
ちょっとしか反応しないのが悔しい。
「足くらいはちゃんと治せよ。安静にしてれば治るものなんだから」
「ああ、わかってる」
それで離れると溜め息を吐きながら、冷蔵庫から二つ缶を取り出して反対側に座る。
缶を放り投げると、ロイガは視線を動かしもせずにそれを受け取った。
ほろ酔い気分で夜も更けると、やおら立ち上がって俺はロイガを見下ろす。
「そろそろ寝るかぁ……」
ロイガもそれを聞いて立ち上がる。
歯磨きを済ませると寝室へロイガを案内した。
「あんまり漁るなよ、プライベートなんだからな」
「何隠してるんだ?」
「言えるかバカ」
主に自家発電する時に使う物があります。
「それじゃ」
手を振ってそそくさと部屋を出ていく俺。
いや、出ていけたらよかった。
俺が逃げるよりも早くロイガの手が俺の腕を掴み取る。
「お前は寝ないのか」
「俺はソファーでいいよ、安静にしないとだからな」
それらしい理由で逃げようとする俺の腕を、ロイガは放そうとしない。
無言、無言、無言。
「……わかったよ、一緒に寝たらいいんだろ」
根負けした俺は仕方なく承諾する。
その気になれば俺の身体なんて軽々と持ち上げられちゃうし、あんまり抵抗したらそれこそ足に響くだろう。
夏用の薄い毛布を退けて俺が横になると、ロイガがその隣に潜り込んでくる。
ベッドがぎしっと悲鳴を上げた。
大きい奴だから壊れたりしないけど、二人分の体重を支えると結構辛いんだろう。
大きめなのに、ロイガもそれに合うくらい大きいのであんまりスペースに余裕はない。
細身の奴なら四人か五人はいけそうなくらいなんだけどな。
ていうか、このでかさでソファーに寝かせていたのが今更だけど申し訳ない。
やっぱり俺がソファーに行っておけばよかっただろうか、家主だけど。
「な、何もするなよ。絶対だぞ」
地味に前振りをする俺。
まあ、ロイガには通じないだろうなこういうの。
「ああ、わかった」
ロイガはそれだけを返して目を瞑りはじめた。
しばらくその顔をじっと見つめる。
薄暗いのではっきり見えないけれど、本当に眠りかけてるみたいだ。
「何もしないのかぁ」
「お前が何もするなって言ったんだろ」
「お約束だよ、お約束」
「なるほど……そういう事か」
「え、ちょっ」
ロイガが俺の事を抱き締めて身体を弄る。
「た、タンマタンマ!!」
声を上げると渋々といった様子でロイガが解放してくれる。
「冗談だよ、冗談」
「注文の多い奴だ」
呆れた様なロイガの声。
でも、暗がりからはちょっとだけ笑った声も聞こえた。
元の位置に戻ると俺は手を投げだしてぼんやりする。
その手がロイガに掴まれた。
「このくらいならいいだろう?」
びくついた俺の身体を感じてロイガは言う。
上げかけた腕を落として、ロイガの掌に乗せる。
「なあロイガ。これって……付き合ってる事になるのかな」
掌からロイガの体温が伝わってきた頃俺はぽつりと零してみる。
「お前が思ったら、きっとそうなる」
的確なロイガの言葉。
好きだとロイガは言ってくれたのに、俺は返しもしない。
「ごめんな。俺、まだ」
「……それでいい。俺は、誤魔化される方が傷つく」
どうして素直にロイガを受け入れられないんだろう。
普段は男を舐める様に見つめたり、結構肉食なのに俺。
ロイガが俺の目尻に溜まった涙を拭う。
見えないはずなのに、泣いてるのすら見通されてるのが辛かった。
「おやすみ」
頭を撫でられると、うとうととしていた意識がそのまま暗闇に沈められた。