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7,業務提携

 柔らかな毛布に包まれて目を覚ました。
「……あつつっ」
 なんの気も無しに起きてみたけれど、腹の痛みで思わず声が出る。
 それで、全部思い出した。
「そっか、俺ロイガに」
 完敗しちゃったんだった。
 きょろきょろと辺りを見渡すと、いつもの俺の部屋。
 多分ロイガが運んでくれたんだろう。
 それにしてもまったく歯が立たなかったなぁ。
 腹に手を当ててみる、相変わらず鈍痛がしたけれど吐き気まではしなかった。
 それが、ロイガがかなり手加減して撃ってくれた事の証明だった。
 生身の身体を本気で攻撃されたら、内臓が破裂して暢気に寝てられないだろう。
「……キス、されたんだよな」
 最後の口づけを思い返して顔が熱くなる。
 キスされた事もそうなんだけど、息苦しいところに唇を塞がれたからそれが止めで気絶しちゃったんだよね。
 物凄い止めの刺され方である。
 というか、吐いた直後の奴とキスなんてロイガはよく平気だったな。
 そういう趣味だったらどうしよう。
 頭の中でぐるぐると考えを巡らせていると、あっと俺は声を出した。
 しまった、依頼の報告ができていない。
 失敗しちゃったのは仕方ないけれど、それを報告にすらいかないのでは完全にプロ失格だ。
 慌てて起き上ると電撃みたいに痛みが走る。
「あっつぅー……」
 思わず屈みそうになるのを堪えた。
 不良に殴られた事なんて話にならないくらいの痛みだ。
 とはいえ、報告しない訳にもいかないのでとりあえず携帯を取り出す。
 本当は直に出向いて挨拶のひとつでもしたいところだけど、上手く喋れそうにもない。
 壁に掛けられていたコートのポケットから使いなれた携帯電話を取り出すと、依頼人の番号へと電話を掛ける。
「はあ、なんて言ったらいいんだか」
 依頼が失敗した時の報告ほど憂鬱な事はない。 
 まず罵倒され、次からお前の所にはもう仕事回さないだの、仲間にもそう言っておくだの、
下手したらそれ営業妨害だぞだのなんだのと言い返したくなる様な事が満載である。
 結果がすべてだから、仕方ないけれど。
「はい、もしもし」
 このまま出ないでくれたら楽なのにな、なんて俺のいけない期待を見事に裏切って電話は繋がってくれた。
 この裏切り者め。
「……こちら、何でも屋のラストです」
「ああ、ラストさんですか」
 電話相手のあの老人の声は、予想よりも沈んでいない。
 やっぱり俺一人じゃ無理なのわかってたのかな。
「この度は、はい本当に申し訳ありませんが……」
「この度? なんの事ですか?」
「へ? いやあの、だから先日の依頼の件についてでして」
「ああ、それなら。本当にありがとうございました」
「……はい?」
 あれ、なんかおかしい。
「絵を本当に取り返していただけるとは、思ってもみませんでした。
おかげで昨日はその絵をじっくりと見られて」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 どういう事だと思わず声を上げる。
 いやまず、その前に色々訊かないと。
「誰がその絵を持っていったんですか?」
「ああ、そういえば。私はてっきりラストさんだけかと思っていたのですが、虎人の方がお見えになりましてね」
 それで、俺は扉を勢い良く開けてリビングを見渡した。
 ロイガの姿は見当たらない。
 部屋にある時計になんとなく視線を送ると、昼をとっくに過ぎていた。
 やばい、カフェが無断欠勤になってる。
「今からそちらに向かってもよろしいですか?」
「それはもちろん。報酬をお支払いしようとしたのですが、その方は受け取ってくれませんでしたので。
その受け渡しもしたいと思います」
「はい、では」
 通話を切ると、携帯の画面を見て俺は驚く。
 仕事をした日から日付が二日進んでいた。
 丸一日も寝てたのかよ。
 という事は二日無断欠勤という訳で。
「あちゃー……」
 頭を抱えたくなった。
 カフェに行きたいけれど、依頼人の所へ行くと言ったばかりだ。
 身体は痛むけれど、こうなってしまっては直接出向いてすべてを知る必要がある。
 悲鳴を上げる身体に鞭打って、俺はアパートを後にした。

 老人の家へとやってくる。
 依頼を受けた時の様に裏口から戸を叩くと、犬人の老人は朗らかな笑顔で出迎えてくれた。
「こちらが、絵になります」
 通された一室の壁に、絵が飾られていた。
 写真で見た物とまったく変わらないその姿。
「本当に、本物なんですか?」
「ええそれはもちろん。私も何十年も見続けてきましたからね」
「……そうですか」
「ラストさん、これを」
 老人が、紙袋を差し出してくる。
 確認すると最初に提示された額の報酬が入っていた。
「しかし、私は」
「あの虎人の方は受け取ってくれませんでした、後にラストさんが来るだろうからと。
どうぞお納めください」
 老人が引く気がないのがその態度から伝わってくる。
 仕方なく俺はその紙袋を受け取った。
「昨日は一日中、絵を眺めておりました」
 老人が壁に掛けられた絵を見つめる。
 釣られて、俺もそれを見上げた。
 有り触れた風景画の様だけど、遠くに並んで歩く人の姿があった。
「市場で売られていたこの絵を、妻と私が競り落とそうとして喧嘩になったのが始まりでした。
最初はお互いに引く事もしませんでしたが、じっくり話してみて妻の人となりに惚れ込んだ私は絵を譲ろうと思ったのです。
それを、私が言いだすよりも先に妻が言いだしてしまいましてね」
 照れ臭そうに微笑む老人の言葉を聞きながらも、俺は絵から視線を逸らさなかった。
 正直なところ、芸術には疎くて良さというものがわからない。
 いつもはそんなの平気だと思っていたけれど、老夫婦二人にとっての特別な絵だと知っている今は、
その良さのわからない自分の事を寂しい奴だと思った。
「それから、事あるごとに絵を口実にして妻を誘ったものです。
この絵は、私達が出逢ってから、実るまでを優しく見つめてくれていました。
見つめる度に、妻との思い出も、交わした言葉も心の中に溢れてくるのです」
 老人がちょっと動いた仕草をしたので、俺はようやく絵から視線を逸らした。
「……この絵は、国の美術館へ寄贈しようと思います」
「いいんですか? せっかく戻ってきたのに」
 せっかく、奥さんとの思い出が戻ってきたのに。
 寂しそうな俺の顔を見て、老人はにこりと笑った。
「ここにあっては、また盗まれてしまうやも知れません。それなら一層の事国に預けようかと。
国の物を盗もうなどとは、いくら日陰の者でも容易ではありませんじゃろ」
 確かに、一個人の家から盗まれるのとは事態がまるで違うだろう。
 俺だっていくらなんでも国に喧嘩は売りたくない。
「幸い、ここから近い美術館がそれを快く受けてくれました。
これからは時々、この絵を見に行こうと思います」
 ここに置いておくよりは、安全なのかも知れなかった。
 最初から無理な事だったけど、できれば奥さんが居る内にこの絵を返してあげたかったな。
「ラストさん、本当にありがとうございました。
手前どもの諍いに、無理までなさってくれて」
 俺のぎこちない仕草に、老人は気づいているのだろう。
 心配した様に声を掛けてくれた。
「これも、仕事ですから」
 俺の言葉に、老人はおかしそうに微笑んでくれた。


 話もそこそこに、老人の家を出た俺は持たされた紙袋を見て途方に暮れた。
「……どうしようこれ」
 手に持つ紙袋には、かなりの金が入ってる。
 正直依頼の内容を聞いて受けただけなので、報酬はほとんど気にしてなかったんだけど、
それなりの額を包んでくれた様だった。
 紙袋をぶらぶらさせながら歩いていると、道の向こうから体格のいい男がやってくる。
 今更注視しなくてもそれが誰なのか俺はわかった。
「ラスト」
 目の前にやってきたロイガは俺の名前を呼ぶ。
「色々聞きたいけれど、とりあえず帰ろっか」
「ああ」
 ロイガは俺の隣に黙ってついてくる。
 家に俺の姿が無いのに気づいて、場所の見当をつけて捜していたのだろう。
「で、どういう事なの?」
 アパートの部屋に着き、扉の鍵を閉めてソファーの上に紙袋を置いた辺りで俺はロイガを問い詰めた。
「お前を家に帰してから、俺があの絵を盗んだ」
「いや、それはわかってるから。なんでそんな事したんだよ」
「なんでだろう」
「……お前な、さすがにそれはないだろ」
 仮にも依頼人を裏切って、護れと言われた品を盗むってどうなんだよ。
「依頼を完遂した後に盗んだ」
 それを問い詰めると、そんな事を返される。
 屁理屈みたいな言い方だけど、確かにそれならば契約違反でもなんでもない。
「それに、嘘を吐かれたからな」
「嘘?」
「盗品だとは、言われなかった」
 だったら、最初に俺が言った時に加勢してくれてもよかったのに。
「受けた依頼は通すのが筋だ」
 それも問い詰めると、やっぱり似たような事を返される。
 屁理屈みたいだけど、うん、別に問題はない。
 問題ないけどそんなんじゃ依頼されなくなると思う。
「はー、お前ってつくづく変な奴だな……」
 よくこんなんで今までやってこられたと思うよ、本当。
 悪評が広まったらどうするんだか。
 ただ、それでも問題ないぐらいロイガが強いのは今回身に沁みて解った。
「お前がそうさせたからな」
「は!? 俺のせいなの!?」
 なんにもしてないよ俺。
 本当になんにもしてないのに気づいて、ちょっとブルーになる。
 目の前の虎の表情が、難しい顔をしていた。
「……なんとなく、お前を見ていたらこうした方がいいんだって思った」
「さいですか……」
 なんかもう疲れてきた。
 それでこの話は終わりになった。
 多分どういう風に言っても、ロイガはこれ以上の言葉を話してくれそうにない。
「でもさ、契約上問題無いのはわかるけどこんな事して大丈夫なの?」
「……多分、しばらくは仕事が来ないかもな」
「バカだなーお前」
「ああ、そうだな」
 ああ、だめだこいつ。
 早くなんとかするよりも前に手遅れです。ご愁傷様。
「だから、これからはお前の仕事を手伝おうと思う」
「へ?」
 尻尾の先まで呆れてだらんとしてる俺の耳に、言葉が飛び込む。
 今なんて言った。
「お前の、何でも屋を手伝おうと思う。
それなら今回みたいに敵対する事もないだろう」
 名案だろう、とロイガは口元を緩ませてしたり顔をする。
 確かにロイガとぶつからなくなるのは有難いけどさ。
 結局、俺は刃物すら向けられなかったし。
「それで、構わないか?」
「いや、そんな風に言われても……なあ」
「嫌か?」
「嫌っていうかさ、突然過ぎるっていうか……ねえ」
「何、買い物の延長だと思えばいい」
「どんだけ気軽な仕事だよ何でも屋」
 ふう、と溜め息を吐いて、脱力。
「わかった、わかったよ……うん、考えてみればお互いに引かなかったし、それがいいよな」
 互いに遠出の依頼は受けないし、この先も何かあればバッティングする事もあるだろう。
 その度にあの鉄拳でバッディングをされたら堪ったもんじゃない。
「そうだろう」
 どうだと言わんばかりの顔がちょっとむかつく。
 まあでも、仲違いにならなくてよかった。
「ああ、そうだ……これ、やるよ」
 紙袋を取り出して、ロイガに渡す。
「いいのか? お前が受けた依頼だろう」
「そうだけど、全部ロイガがやってくれた様なもんじゃん」
 俺がやったのは、正面の見張り二人を倒しただけだ。
 元から内に居たロイガなら絵まで辿り着くのは簡単だし、仮に表の二人と戦っても問題にもならないだろう。
「それに、さ」
 紙袋をロイガの手に無理矢理持たせると、その瞳を見つめる。
「ロイガ、護り屋なんだろ? だったら、俺を護るって事でいいんじゃないの」
 きょとんとしたロイガの顔が穏やかなものへ変わっていく。
 いつもよくわからない考えに振り回されるけど、こうして見ると可愛いんだよな。
「わかった、今日からお前の用心棒だ」
「引き受けたからにはやり通せよ」
「ああ、わかってるさ」
 紙袋を受け取ったロイガが静かに頷いた。
 ロイガに報酬を渡すための口実だったけれど、割といい感じに口説けた気がする。
 これで万事解決、丸く収まった。
「……ところでマスター怒ってる?」
「電話は何度もしたそうだ」
「うわ、どうしよう」
 慌てて携帯の履歴を見ると、確かにマスターからの電話が。
 この間もチンピラ騒動で休んだのに、今度は無断欠勤。
 流石にクビになるかも。
「心配するな、お前が居ない間は俺が出ていた。
マスターはただお前を心配しているだけだ」
「ロ、ロイガ……」
 瞳が潤みはじめた俺を見て、ロイガが怯んだ様に声を上げた。
「お前って奴は……ありがとう!」
 よかった、マスターに迷惑は掛からなかった。
 それだけが嬉しくて、ロイガに抱きつく。
 紙袋が落ちた音がした。



 気分良く眠った次の日。
 問題もなくなって、起き上って、さあ行くぞと思ってたはずの俺はベッドで横になっていた。
 体温計を持ったロイガが、首を横に振る。
「……風邪だな」
「えー……なんでだよぅ……」
 外出許可が貰えなくてがっくりする、俺が家主なのに。
「弱っていたのに無理に出歩くからだ」
 なんだかんだでふらふらの状態だったのに、昨日依頼人の所まで行ったのが祟ったのだろうか。
 ロイガの掌が額に下りてきて、直に熱を測る。
 やっぱり駄目だったのか、手を離されると何も言わずに乱れた毛並みが直された。
「ゆっくりしていろ、夏風邪は質が悪い。カフェには俺が行く」
「ごめん、ロイガ……」
 ここ最近ロイガはカフェに出ずっぱりなんだろう。
 嫉妬してたのに、今はそれがただ有難くて、申し訳ない。
「殴ったのは俺だからな」
「それは仕事だから、気にしてないよ」
「そうか」
 もう一度頭を撫でられる。
 心地良くて、目を瞑ってしばらくそのまま撫でられ続けた。
「行ってくる」
 振り切る様にぽんと叩かれると、ロイガはそのまま出ていった。
 鍵の閉まる音が遠くでする。
 一緒に暮らして結構経ったので、最近は合鍵を渡す様になった。
 一人になるとする事がなくなる。
 ロイガが作ってくれたお粥が傍にあるけど、熱いので放置中。
 カフェに電話もした、マスターが相変わらず心配そうにしていて何度も必死に謝った。
 ロイガが頑張ってくれているから、今のところは問題ないらしい。
 やっぱロイガはすごいなあ。
 何をしても俺より上手な気がする。
 だから、あの日俺は引かなかったのかも知れない。
 何かひとつくらいは勝てないと、男としての尊厳が保てないのだ。
 一番引いたらいいところで引かずに戦ったから、今こんな事になってるんだろうけど。
 でも、俺が引かなかったからロイガが代わりに盗んでくれた節もあるので、
そう考えると無駄な事ではなかった、みたい。
 ロイガの事がよくわからないけれど、俺のためを思って動いてくれているのだけはわかった。
「……好かれてるのかな?」
 今更だなと思いながらも考えてみる。
 出会ってすぐにヘッドバットかましてきた俺に惚れるんだろうかとちょっと悩む。
 あれは大体ロイガのせいだけど。
「俺は、どうなんだろう」
 あえて呟いてみた。
 好きな気もする、けれど俺が一番好きな相手は相変わらずあいつだった。
 捨てられたんだし想ったって仕方ないのだと理解していても、時折思い返しては
与えられた快楽がまざまざと甦って身体がぞくぞくとする。
 そのままオナニーして、終わると今度は切なくなってる。
 どう見ても惚れてますよねこれ。
「こんなんじゃ、ロイガと付き合うなんて無理だよなー……」
 浮気みたいだ。
 浮気ではないんだけど、気分的な問題。
 あーもうと呟いてから、ばふっと枕に頭を叩きつけて俺は眠った。
 これ以上考えていたら、頭痛が余計酷くなりそうだった。
 眠ってしまおう、早く良くならないとカフェにも行けないんだし。
 ロイガ、カフェの仕事は慣れたのかな。

 むはっと吐き出した息が熱くて、薄らと目を開いた。
 寝てる間に夜になったんだろう、暗くて、ほとんど見えなかった。
 腹減ったな、一応途中で一度起きてお粥は食べたんだけど、あんまり腹に溜った気がしない。
 ロイガ、もう帰ってきたのかな。
 ちょっと顔を上げてみると、扉の隙間から光が漏れていた。
 なんとなくそれを前にも見たような気がして、ちょっと考える。
 そうだ、昔俺が風邪を引いた時に、あいつが看病してくれたんだ。
「……懐かしいな」
 あいつの作ってくれたお粥は、ロイガと違ってあんまり美味しくなかったなあ。
 料理下手な癖に、妙に張りきっちゃって。
 それがなんだか嬉しくて。
「…………うぅ……」
 慌てて俺は腕で顔を覆った。
 やっぱり忘れられない。
 ここに居てくれたらいいのに。
 あの扉の向こうに、居てくれたら。
 ロイガに失礼な事ばかり考えている自覚はあった。
 そうやって必死に考えを追い出そうとしているのに、いつのまにかむせび泣いていた。
 熱に浮かされた身体は、それで眩暈を覚えて宙にでも放り出された様な気分になる。
 物音が聞こえた。
 何かが部屋の扉を開けて、俺の所へやってくる。
 薄暗い上に視界がぼやけていて、それがなんなのかがわからない。
 誰かの掌が頬に触れてくる。
 誰かの唇が唇に重なる。
 本当は、それがロイガなんだって俺は知っている。
 口の中で俺の舌を貪る、ざらついた舌が誰の物なのか知っている。
 なのに、唇が離れた瞬間に俺が口にしたのはあいつの名前だった。
 俺の頬に触れる掌が僅かに震える。
 もう一度名前を呼んだ。
 ちょっとだけ間を置いてから、手が引かれて俺の被っていた毛布が退かされる。
 寝汗を掻いた身体が晒されて、ちょっと寒い。
 黒い影が、ベッドを軋ませて俺の上に覆い被さった。
 唇が再度合わせられる、今度はさっきよりもずっと濃くて、甘ったるい感じのキス。
「ん、ふぁっ」
 胸に当てられていた手が動いて、服が擦れる感覚で俺は喘いだ。
 やんわりと動いていた手が、服の中に入ると胸を揉まれる。
 指先の爪が乳首を引っ掻いてまた声が出た。
 身体に触れる手が増やされて、ボタンが外されていく。
 素肌が晒されるとキスをした時の様に唇が肌に触れてくる。
「あっ、ダメぇっ、あっああっ!」
 胸に吸いつくその頭に抱きついて、必死に手を当てる。
 喘ぎながら、何度もあいつの名前を呼んだ。
 あいつだったら、もっと続けてくれる様に。
 あいつじゃないのなら、早く止めてくれる様に。
「はっ、あ……うぅ……」
 ようやく解放されると、俺は涙を流しながら呻く。
 俺を愛撫しているその影の正体を見せないかの様に、止め処なく涙は溢れてきた。
 身体を撫でていた掌が、徐々に下りていくと臍を越えた。
 既に勃起しきってパンパンに服を押し上げている俺のペニスをやんわりと揉む。
 焦らす様な刺激に、俺はただ名前を口にしていた。
 ズボンとトランクスが一緒にずり下げられると、外気に晒されてやっぱりちょっと寒い。
 荒い鼻息がペニスに当たって、その度にビクビクと俺が震える。
「うっ、うああぁっ」
 やがて、意を決したのかぬるりとした物がペニスを包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざらざらとした感触が、さっき自分の舌で感じ取ったものと同じという事に気づいた俺は、
ようやく咥えられているのだと悟った。
 俺が強い抵抗を示さない事を確認したのか、ゆっくりと口内での愛撫が始まる。
「あっ、ああっ、だめだっ……や、あぁっ」
 ゆっくり伸ばした手が掴まれて、下ろされる。
 根元まで咥えられて柔らかい肉の感触に喘いでいるのに、更にざらついた舌で一気に舐め上げられる。
「あああ!!」
 雁の部分まで到達して、鈴口を舐められると俺は叫び声を上げた。
 射精しそうになるのを懸命に堪える。
「気持ちいいよ、もっと……もっとして……」
 もっと味わっていたかった。
 顔が上下に動いて、俺のペニスを音を立ててしゃぶりはじめる。
 俺はだらしなく舌を出し涎を垂らしながら、時々堪えきれなくなって腰を振っていた。
 俺が強く声を上げると、絶頂を遠回りするかの様に口を離してから舌を突出しゆっくりと裏筋を刺激する。
 そのままねっとりと舐め上げると、今度は顔を傾けて鈴口に舌先を差し込む様にして鋭い快楽に襲われる。
 睾丸の詰まった袋の部分を軽く揉まれ、切ない声を上げると微かに含み笑いをする気配を感じた。
「い、イきそうっ」
 最近抜いてなかったせいで、限界が来るのは早い。
 射精するために、必死に腰を出して舌へ擦りつける。
 俺が求めている物を察したのか、舌がペニスに添えられるとそのまま強く吸い上げながら頭を動かしてきた。
「イく! あっ、あああぁっ!!!」
 じゅるっと音の出た様な感覚と同時に、俺は果てる。
 奥で果てるために腰を突き出して唸った。
 精液が吐き出されると、絞り取る様にペニスが吸われる。
「んぐっ、うあぁっ! ぐ、うぉっ、ああっ!!」
 どくんどくんとペニスが脈打つ度に精液が飛び出していく。
 精液の伝う感覚がしないのは、射精した傍からすべて飲み込んでいるからだろう。
「んん……はっ、ふぁ……あぅぅ……」
 身体の震えが収まり、徐々に射精の勢いが落ちて絶頂の波が引いていく。
 射精と同時にピンと伸ばした尻尾も元に戻っていた。
「うぅ……はぁ、はぁ、はぁ……」
 ぴちゃぴちゃと音がして、くすぐったい感触がした。
 射精を終えた俺のペニスを丹念に舐め上げているのだろう。
 その刺激に再び熱を持ちそうになった頃に、舌が引かれて俺は解放された。
 行為を始めた時とは反対の順序で服の乱れが直されていく。
 胸のボタンも止められると、最後にまたキスをされた。
 精液の独特な香りが、俺の出したものをすべて飲んでくれたのだと如実に伝えてくれる。
 普段なら嫌なはずのその臭いが嬉しくて、俺は舌を出した。
 音を立てて貪ると、口内にまだ残っていた精液が入ってきてそれを飲み込む。
「……ロイガ……」
 唇が離れた時、俺は名前を呼んだ。
 大きな手が俺の頭を撫でてくれる。
 安心できるその優しい撫で方に、射精を済ませて眠気に包まれていた俺は身体を預ける様に眠りはじめた。
「おやすみ、ラスト」
 ロイガの、声がした。

 相手の姿を見つめて、俺は息を呑んだ。
「こ、来ないで!」
 近づこうとすると、張りつめた空気を破る様に叫ばれる。
「どうしてだい? 俺達、こんなに愛し合ってるのに……」
「そうだけど、でも……もう駄目なの。私、汚されちゃったから」
「どんな風になったって君は君だよ、俺の気持ちは変わらない」
 そう言って、俺は衣に包んだ鶏肉を煮えた油のたっぷり溜まったフライパンに入れた。
 もういいや飽きた。
「よごしてー、わたしをもっとよごしてー」
 棒読みで、とりあえず考えたところまで台詞を読み上げる。
 我ながらエロい言葉遣いである。
 そんな俺の様子をロイガはぼーっと見つめている。
 今日は居るの知ってるけれど、一回見られたらもう気にしないので無視して独り劇場をしていた。
 部屋中ににんにくのいい匂いが充満する。
「やっぱり精の付く物食べないとな、身体動かすんだし」
 刻みにんにくをそのまま衣に入れた唐揚げの発する匂いは、かなりの物だった。
 ロイガが鼻をひくひくさせてからちょっと首を振っている。
 それに笑い声を上げると照れた様にそっぽを向かれた。
 風邪が大分快復して、カフェにも出向いた俺はようやくいつもの生活へ戻っていた。
 マスターにも土下座する勢いで謝った。
 正直クビになっても仕方ないくらい迷惑掛けたのだからそこは仕方ない。
 マスターはただ微笑んで頭を撫でてくれただけだった。
 思わず、俺は泣いてマスターに抱きついた。
 ただその後は、俺が忙しい時はロイガを積極的に出る事を決めたりとはっきりとした仕事の話になった。
 ただのバイトだけど、あんまりいい加減な態度ではマスターが困ってしまうのも充分にわかっていたので、
俺はロイガに素直に頭を下げた。
 ロイガはただ、短く承諾しただけだった。
 そんな訳で、ロイガにご褒美のごちそうを作ってるところである。
 風邪を引いていた時にされた行為を思い出して、ロイガにどう話したらいいのか迷った時もあったけれど、
いつもの様に話しかけるとロイガも同じ様に返してくれた。
 それで、俺はそれ以上言及しない事にした。
 前の俺だったらこんな事考えもせずにずかずか言ってただろうに。
 ロイガに嫌われるのが怖くなってしまったのだった。
「おっと」
 唐揚げが焦げそうになっているのに気づくと慌てて救出作業に入る。
 菜箸でいくつか唐揚げを摘まんで、指先に微かに伝わる振動に神経を集中する。
 問題なさそうなのでそのまま全部の唐揚げを手際良く取り去った。
 危ない危ない、せっかくごちそうを作っているのに大量に焦がしたら元も子もない。
 一群目の唐揚げができあがると、第二群が油に飛び込む、特盛り。
 唐揚げを入れ終わった辺りで、電話の鳴る音がした。
「おっとっと……ロイガ、頼める?」
 にんにくの臭いにふらふらしているロイガが、俺をちょっと見てから壁に掛けてあるコートに手を突っ込み、
俺の仕事用携帯を手に取って電話に出る。
「あっちぃぃ!!」
 よしよしと見守っていた俺の尻尾に、油が跳ねたのか突然痛みが走る。
 ロイガが慌てて俺に近づこうとするのを必死で止めた。
「あっち、あっちで話して。音が入る」
 小声で指示をしながら尻尾をぱたぱたさせる。
 引火はしないけど、火が点いたのかってくらい熱かった。
 料理に集中しなさいという天罰が下った事にして、俺はロイガを追い払うと引き続き揚げ物と格闘を始めた。
 二回目の揚げ物が終わり皿を取り出して盛りつけると、その頃になってロイガが戻ってくる。
 召し上がれと言おうとして、その手に持っている携帯電話がまだ耳に当てられているのに気づいて俺は黙った。
「……何?」
 俺の身体をじろじろとロイガは見つめている。
「はい、大丈夫です。はい、確かに承りました。それでは」
 意外と丁寧な口調でロイガは話をしていたのか、それで電話は切られる。
「仕事だ」
「え、入ったの?」
 最近ちょっと仕事が増えた気がする。
 嬉しいけど、危険な仕事はカフェに差し支えるのでしばらくは遠慮しようかなと思ってたところだった。
「大丈夫だ、そういう類のものじゃない」
 俺の考えを事を察したロイガが、少し口元を緩ませる。
「そうなの? えっと……今からならとりあえずご飯だけ急いで食べようか」
「いや、週末からでいいそうだ」
「あ、そうなの。それじゃ後で聞くわ」
 唐揚げ冷めちゃうしね。
 炊きたてのご飯と、でか皿に乗った山盛りの唐揚げと、傍に手作りのサラダを置いていく。
 ちょっと栄養偏ったかな、まあ俺もロイガも若くて燃費がいいから大丈夫だろう。
 風邪でお粥ばっかりだったし、しょっぱい物食べたい。
「いただきます」
「……いただきます」
 俺が言うからか、最近はロイガも合わせて挨拶をする様になった。
 それににっこり笑ってから、唐揚げを頬張る。
 にんにくの香りと、鶏肉の油が口中に溢れて悶絶しそうになる。
 ああ、最高。
 ロイガも匂いが苦手なだけなのか、特に何も言わずに唐揚げをいくつも頬張っている。
 依頼の話もしたいけれど、今話すのはちょっと無粋な気がして結局食べ終わるまで俺はその話を聞かなかった。



「聞いとけばよかった……」
 依頼の決行日、がっくり項垂れ俺が呟く。
 いや、聞いても遅かった。
 ロイガに電話を取らせなければよかったのだ。
 そうすれば、こんな仕事受けなくて済んだのに。
「元気出せ」
「お前が言うなよぉぉ!!」
 触れようとするその手に俺は食いかかろうとする。
 慌ててロイガは手を引いていた。
 俺達が居るのは、三丁目の表通りだった。
 そこから裏通りに入って歩き続けると、大きな屋敷が見える。
 ゴウドウの屋敷だ。
「ラスト様!」
 前回招待された時と同じ様に門の前で佇んでいたサキが、俺を見つけて声を上げる。
 呼び方が様に戻ってるのは、多分ロイガが居るからだろう。
「お世話になります」
 サキの前に来て俺は深々と頭を下げた。
 それを見てサキはおかしそうに微笑む。
「どうぞこちらへ、ロイガ様も」
 サキに促されて建物の中へと入る。
 相変わらず人間しか居ない屋敷だった。
 客である以上失礼な対応はされないものの、獣人の俺とロイガを見て首を傾げられる。
 ゴウドウは本当に人間しか屋敷に上げない様だ。
「こちらです」
 先導をするサキは、そんな態度を微塵も見せずに明るく振る舞っている。
 通されたのは衣裳部屋で、サキがお嬢様である事を証明するかの様に沢山のドレスが置いてあった。
「う、うわぁ……」
「すべて私の物という訳ではありませんが、これだけあればいいものがきっとありますよね」
 それを見て俺は後ずさる。
 後ろにロイガが居るので、逃げられそうになかった。
「ラストに似合うのを頼む」
「はい、畏まりました」
「ま、待って。やっぱり俺」
 ロイガが立っているのに、俺は必死に後ろに身体を動かす。
 けれど、体格からしてまるで違うロイガは微動だにしなかった。
「……仕事だ、ラスト」
 顔を上げて目を合わせたロイガが、俺を逃がしてくれそうにない事を悟ると、
俺は床に崩れ落ちた。

 一、ロイガが俺の代わりに携帯電話を取った。
 二、資産家だという親父が、息子にブレスレットをこっそり盗まれたので様子を見て取り返してほしいと言ってきた。
 三、最近社交界でブレスレットするのが流行ってて、息子はその席では必ずブレスレットをつけるからそこを狙ってほしい。
 四、息子は女装した男が大好きで、よく女装した男を招いて夜会を開いている。
 五、女装の似合いそうな細めの奴が居たら、仕事をお願いしたい。
 六、ロイガが俺をじっくりねっとり見て依頼受けた。
 七、息子に感づかれるため資産家の方でドレスの用意ができず、俺達では週末までにドレスの用意が間に合わないのでサキに泣きつく。今ここ。
「うぁぁぁ……」
 頭を抱えて俺は床を転げまわる。
 どうしよう、どうしてこうなった。
 いやこうなった理由は今頭の中で整理したからわかってる。
 頭が混乱していた。
 これからあのふりふりしたドレスを着ると思うと、俺は。
 素早く立ち上がって、扉から出ようとしたところをロイガに捕まる。
「ロイガ! お願い見逃して!!」
「駄目だ、もう仕事は受けたんだ。それに困っている人を助けたいんだろう」
 この間俺が仕事を受けた時の理由を、ロイガなりに解釈していたのかそう言われる。
「そ、そうだけど……でもほら、俺男だしさ、女の子の服なんてさ」
「大丈夫だ、パーティに来る細い奴はみんな女装しているぞ」
「だから嫌なんだよ!!」
「一人だけ女装の方がいいのか?」
「………………嫌です……」
 会話をしてる間にロイガの拘束が解けないかなと思ったけど、そんな事はなくて。
 その内俺は逃げる事を完全に諦めた。
「ラスト様、先にスリーサイズを測りましょうか」
 メジャーを持ってきてサキが言う。
 いくら俺が細めの身体といっても、それはロイガみたいなタイプと比べたらの話な訳で。
 人間の女が着るドレスをすべて着られる訳ではない。
 なので、サイズを測って着られそうな物を探そうというのだろう。
「ああ、わかったよ」
 応えると、服に手を掛ける俺。
 もう逃げるのやめた。
「ら、ラストさん!!」
「え?」
 顔を上げると、サキが真赤な顔して俺から視線を外している。
「あ、ごめん」
 そうだ、女の子の前で脱いでどうするんだ俺。
「向こうに試着室があるので、そちらでお願いします」
「はいはい。えーとそれじゃ……ロイガ、手伝って」
「わかった」
 試着室に入ると、後からロイガも入ってくる。
「ちょっと窮屈だな」
 正直かなり狭い、ほとんど女用として使われるせいなんだろうけど。
 服を脱いでトランクス一丁になると、ロイガが預かったメジャーでサイズを測っていく。
「……変な事するなよ」
「わかってる」
 トランクスの前に顔を近づけているロイガに釘を刺す。
 二人きりだったらいいけれど、今はサキも居る訳で。
 勃起でもしたら目も当てられない。
 無事にサイズを測り終えると、俺をそのままにロイガはサキの元へと行く。
「そうですか、やっぱり全部を着るのは難しいですよね……」
 サキのうーんと唸る声が聞こえてくる。
 トランクスのままなので、俺は試着室に取り残されたままだ。
「パーティなんですよね? ……女装の」
「ああ、女装した男達のパーティだ」
「一々強調すんなよそこ!」
「ご、ごめんなさい!」
「いやサキちゃんじゃなくて……ロイガ! お前だよ!」
「すまんな、わざとだ」
 ロイガの暗い笑い声が聞こえてくる。
 あいつ絶対楽しんでやがる。
「えっと、ラスト様はどんなドレスをご所望でしょうか?」
「着たくないです……」
「一番似合う奴を頼む」
「ロイガ……」
 もう突っ込む気力も出てこない。
「そうですね、ラスト様は黒い体毛の部分が多いですし、白いドレスが映えるかも知れませんね」
 真面目に俺のコーディネートを考えてくれるサキ。
 その真面目さが今はただただ辛い。
「白は初々しさ、純血を強くイメージする色ですし、こういったご経験が無いのでしたらよろしいかと」
 そんな経験があって堪るか。
 思わず叫びそうになって慌てて口を押さえる。
 ロイガに言うみたいに詰ったら、多分サキは傷つくだろう。
 しばらく俯いてぼんやりしていると、カーテンが少し開けられて白いドレスが届けられる。
 ああ、もう帰りたい。
「先にこちらをお召しください」
「……なんかヒラヒラしてるね」
「パニエといって、スカートを膨らませるためのものです。ラスト様に合う様に薄めのものを用意しました」
「穿かないと、駄目?」
「そうですね……平らのままですと、その、男の人では股間だけが盛り上がるかも知れませんので……。
今渡したドレスは、装飾が少なめで身体のラインが出やすいので、何もつけていないのではちょっと」
 カーテンの向こうでサキが顔を真っ赤にしているのが想像できる。
「あ、それともそういう強調をした方がいいのでしょうか?」
「すみません穿かせていただきます」
 ヒラヒラを受け取ってから、穿こうとする。
 うう、ごわごわしてる。
「そういえば、ラスト様はトランクスをお召しでしたよね、パニエだけでははみ出してしまうかも知れませんね……どうしましょう?」
「このままでいいです」
 ちらっと見えてもいいだろ別に。
 別にガバッとご開帳する訳じゃない、はず。
「トランクスが不味い場合は、どうすればいいんだ?」
 ロイガが横槍を入れはじめる、やめろそれ以上突っ込むな。
「そうですね、もう一枚下に何かを別の物を穿いて隠してもよいとは思いますが、
やはりパンティなど布地がはみ出さない物が一番ではないでしょうか」
「ぱ、ぱんっ……」
 女物の下着に収まる俺の息子を想像して、思わず崩れ落ちそうになる。
「こ、このままで……お願い、このままでいかせてください」
「そうか、残念だな」
 今なんて言いやがった。
 カーテンの向こうに居る憎い虎野郎に殺気を送る。
「早く着ないと時間になるぞ」
「わ、わかってるよ」
 急いでドレスを着ようとする。
 ドレス自体は下から、身体に被せる様にすればいいだけなのか着るのは楽だ。
 でもやっぱり股間のごわごわが気になる。
 あと尻尾が引っ掛かる、ケツに近い部分がどうにも当たっちゃってる。
 これはまあ、人間用のドレスだし仕方ないか。
 尻尾穴開けた方がいいのかな、でも借り物なので無理。
「ふう」
 鏡の前で、ドレスを着た俺の姿を見てみる。
 パニエとやらがよくわからなかったけど、確かに膨らみができていていい感じにスカートが広がっている。
 これなら勃起しても座ってれば誤魔化せるかも。
「うそっ……これが、私……?」
 女らしいドレスを着た、女にしてはゴツい狼人がげんなりした顔で俺を見てる。
 本当に俺なのかよ、これ。
 やばい死にたい。
「ロイガぁ」
 涙声になって俺はロイガを呼ぶ。
「……どうした」
 ちょっと遅れてロイガがカーテンの向こうから顔を出した。
「この仕事、やっぱり降りちゃ駄目だよね?」
「駄目だ」
「うん、わかったよ。ありがとう止め刺してくれて」
 これで悔いなく逝けます。
「泣き崩れてないで立ってみろ。直すから」
 渋々立ち上がると、ロイガが丹念に服の乱れを直してくれる。
「……なんか、手慣れてない?」
「サキに聞いたんだ」
「サキちゃんは?」
「俺のタキシードを身繕っている」
「なにそれずるい」
「俺はお前の付添いとして入るからな、適材適所という奴だ」
 まあ、確かにこんなひらひらしたのを着たロイガは見たくない。
 でもだからって俺が着た姿も見たくなかったと思う。
「こんなの絶対笑われるって……」
「大丈夫だ、似合ってる」
「褒め言葉になってねえよバカ」
 ぶつぶつと文句を言う度に、ロイガはフォローする様な事を言う。
 ロイガなりの気遣いのつもりなんだろうか。
 その言葉に段々と俺は乗せられて。
 いったらいいのにな本当。
「これでいい」
 ロイガの細かいチェックが済むと、改めて鏡を見つめる。
 ちょっとゴツいのは仕方ないけれど、なるほどサキが選んだだけあってバランスは悪くなかった。
 俺の表情だけが、ドレスに馴染む事を全力で拒否してるけど。
 確認を済ませると試着室から出る。
 正直、鏡に映る等身大の俺を見続ける事に耐えられなかった。
「ロイガ様、こちらロイガ様のタキシードですが……」
 タイミング良くサキが来て、俺のドレス姿を見つめる。
「……似合う?」
 訊いてみると、頬が真赤になっている。
「可愛らしいです、ラスト様」
「褒めてないよサキちゃん……」
「お化粧しますか?」
「絶対に嫌です」
「ですよね」
 サキが、うふふと可愛く笑う。
 冗談だったのだろう、大体獣人の男にする化粧なんてサキはできないだろうし。
「なんだか、目が赤いね」
 サキの瞳が、赤みがかっているのに気づいた俺はそれを取り上げる。
「そうですか? 昨日連絡いただいてからずっとラスト様に似合うドレスの事を考えていたので、少し寝不足なんです」
「そうなんですか……」
 聞いた事を後悔していると、試着室に俺の代わりに入ったロイガがタキシードを着て出てくる。
「ちょっときついな」
「すみません、それで一番大きいサイズなんです」
 タキシードを着たロイガは、滅茶苦茶格好良かった。



 むすっとした俺とロイガを乗せて、車は行く。
 あ、ロイガのむすっとした顔は素です。
「ラスト様、笑わないと」
 そう言ってお手本を見せる様に隣に座るサキはにっこり笑う。
 なんて可愛らしいんだ。
 俺にその可愛らしさが半分でもあれば大分違ったんだけど、俺から出るのは溜め息ばかり。
 ちなみにロイガは前の助手席に座ってる。
「悪いね、車まで出してもらっちゃって」
「いいえ、せっかくですし。それに……あんまり外歩きたくないですよね?」
 その通りです。
 レンタカー借りようかなと思ったけど、借りに行く時間を考えてなかった俺のミスだった。
 それに、パーティ会場に乗り付ける様な高級車はいくらなんでも手配できない。
 かといって、ボロ車で乗り付ける訳にはいかないし少し離れた場所から歩いていくのはもっと嫌だった。
 こんなところ見られたくない、ただでさえ元々俺が住んでる街なのに。
 数少ないとはいえ知り合いに、いや知り合いでなくても女装した姿なんて見られたくなかった。
 ただ、サキの家の執事さんが車を出してくれたとはいえ、執事さんは執事さんで俺を訝しげに見てくれたので、
結局あんまり変わらないのかも知れなかった。
「終わったら、この服返すから」
「あ、いえそれはちょっと……」
 サキが困った顔をする。
「今回の事は父の耳にも入っていますので、殿方が着られたドレスを戻したというのはちょっと。
差し上げますので、ラスト様の方で処分するなりなんなりと」
「そっか、ごめん気が利かなかった」
「いえ」
 とすると、ゴウドウは今回の事を知っているのか。
 そりゃそうか、いくらサキがゴウドウの娘だからって堂々と男二人上げて、ドレス着せて、車出すのは難しいだろう。
「父に相談した時、私は反対されるかと思ったのですが……父はすんなりと許してくれました」
「へえ、そうなんだ」
「父は、ラスト様の事を気に入っているのかも知れませんね」
 それきり、サキは何も喋らなかった。
「……着きました」
 執事の低い声が車内に響くと、ロイガが車のドアを開けて外に出る。
 俺も扉を開けようとすると、先に出ていたロイガがドアを開けて俺に手を差し出した。
「ラストさん、ここからはしっかり女の子っぽく振る舞わないと」
 背後からサキの小声が届く。
 軽く舌打ちしてから、俺はロイガの手を掴んだ。
 ぐいと引っ張られて、思わず体制を崩しそうになって慌てて両手を前に出す。
 ロイガがもう一方の腕を掴むと優しく抱き止めてくれた。
「では、私はこれで。帰りもお迎えにあがりましょうか?」
「いや、送りだけで大丈夫。ありがとうサキちゃん」
「はい。それでは」
 ロイガに抱かれている俺をサキはただ笑って見送った。
 何故だかそれに、胸が痛んだ。
 去っていく車を揃って見送る。
 黒い高級車は、すぐに夜の闇に呑まれてライトしか見えなくなった。
「……いつまで掴んでるんだよ」
 腕を掴んだままのロイガを睨みつける。
「歩けるか?」
「やっぱりちょっとまって」
 ロイガに支えられてその場で何度か足踏みをする。
 ドレスが女物なら、当然靴も女物だ。
 履きなれてないヒールのついた靴はかなり辛い。
 サイズ自体がぎりぎりできついから足も痛かった。
「うん、大丈夫」
 かなり無理があるけど、ロイガに助けてもらう訳にもいかないので一度手を放してもらう。
「ごめん、慣れるまではロイガの後ろに隠れさせて」
「わかった、行くぞ」
 ゆっくりとロイガは歩きはじめる。
 タキシードからはみ出した尻尾が俺を誘う様に揺れていた。
「……尻尾穴開けたの?」
「開けないと辛くてな、買い取らせてもらった」
 俺の声に応える様に尻尾がまた揺れる。
「招待状を拝見いたします」
 入口に立っていたガードが俺達の姿を見る。
 やめて、見ないでお願い。
「……確かに」
 大して時間も掛からずに入管を通り抜ける。
 俺にとってはこの先は未知の国だ。
 夢の国、じゃなくて悪夢の国。
「特に怪しまれなかったな。招待状で弾かれないか心配していたが」
 周りに人が居ない事を確認してロイガが呟く。
 依頼人から用意されたのは精巧に作られた偽の招待状と、ターゲットがブレスレットを嵌めている写真だ。
 ついでに少々の前金。
 ここで失敗しなくて本当によかったと思う。
 もし追い返されて、俺が日記を書いていたら今日は女装を体験しましたとしか書けなくなるところだ。
 日記なんて書いてないけど。
「大丈夫か」
 俺の様子に気づいたロイガが、優しく声を掛けてくれる。
 たった一人に見つめられただけで俺の心はぼろぼろだった。
 優しい言葉にちょっと靡きそうになりながら、元はと言えばロイガのせいなので睨んでやった。
 視線を受けてロイガがちょっと微笑む。
「家に帰ったら、愚痴でもなんでも聞いてやる」
「女装して発展場突撃」
「断る」
 文句を言おうとした俺の手を引いて、ロイガは道を歩きはじめた。
 人の姿が見えて、結局俺は黙るしかなかった。



 両手で顔を覆って俺は唸っていた。
 指の隙間からちらっと周りに視線を送る。
 視界に跳び込んでくる、ドレス、ドレス、ドレス。
 華やかな社交界なら当然の光景だ。
 ドレスを着てるのが、男じゃなければだけど。
 俺自身もそれを着ているのだから、憎々しげに睨む事すらできない。
 ドレス着てる男が他のドレス着てる男に難癖つけたって虚しさ倍増である。
「帰りたい……」
 耳に聞こえる話し声がまた酷かった。
 明らかにオカマっぽい声の奴はいないけど、でもちょっと女声に似せた様な、そんな感じ。
 これは酷い。
 お経の方がマシだぞ。
「どうかしたのか、そこの君」
 声が掛けられて、そっと手を下ろして相手を見る。
 無視したいけどさすがにそういう訳にもいかない、一参加者である以上ある程度合わせなくてはならない。
 妙な真似をして会場を追い出されたら、当然付添いのロイガもセットだからそれで依頼は失敗だ。
「大丈夫か?」
 俺の顔を覗き込む黒い色した牛の顔。
「えっ、あ……なんでもないです、目にゴミが入ってしまって」
 今日のターゲットだ、慌てて俺はしおらしく振る舞う。
 胃がキリキリしたけれどここで不興を買って追い出されるのが一番嫌だ。
「そうか、それならいいんだが……今日は、楽しんでくれ」
 牛男がちょっとかっこつけた様に笑う。
 その身体を隙を見てじっくりと観察する。
 あんまり見ない牛人だけど、ロイガに負けないくらいの体格の良さだった。
 何より体毛が短いので盛り上がった筋肉がはっきりと見て取れる、美味しそう。
 着ている服は、しっかりとした燕尾服だった。
 これでドレスだったら俺は多分悲鳴を上げたので助かった。
 腕には、金のブレスレット。
 獣人は種族毎に指の太さが変わるので、身につけるのは大抵ブレスレットやペンダントが多い。
 それ故、指輪は特注品になり高価な物が多かった。
 黒い身体に、金のブレスレットはよく映えて見えた。
「後でまた話そう」
 そう言って牛男は去っていくと、会場の中央で軽く挨拶を始めた。
「あいつがデリオスか」
「ロイガ」
 傍にやってきたロイガと視線を絡めて頷き合う。
 タキシード姿が一々カッコイイ。
「それで、どうやって取り返すんだ」
「俺に訊くのかよ」
「お前が一応、何でも屋の頭だからな」
 ロイガの言葉にふむ、と俺は考え込む。
「できれば事情を話して返してもらったほうがいいかな」
「返してもらえないから俺たちに頼んだんだろう?」
「そりゃそうだけど、身内のいざこざだししこりが残るやり方はできないよ。
盗んで返すにしたって、また同じ事になるかもしれないし」
 それで再度依頼をオファーしてもらって、別途料金を頂けたらそれはそれで美味しいけれど、
一回で確実に済ませた方が評判はよくなるだろう。
「まずはデリオスに近づく必要があるな」
 安直な名前を口にしてロイガが言う。
「……俺がいくしかないか」
 ロイガはあくまで俺の付添いであり、ガードである。
 招かれた俺と違って、必要以上にデリオスには近づけない。
「それにしてもあいつ、女装が好きなのに自分では女装しないんだな」
「自分が似合わないのがよくわかっているんだろう。女装の似合うタイプを探しているんだ」
「随分詳しいな、そういう趣味?」
「そういう訳じゃないが……」
 ロイガが俺の姿をじーっと見つめる。
「な、なんだよ」
「あいつの気持ちもわかる気がしてな」
「冗談でもやめてくれロイガ」
 こんな姿の俺で欲情されても困る、いつもの俺でもちょっと困るけど。
「でも、それじゃあのデリオスは恋人を探してるって事にもなる訳?」
「そうかも知れないな、招かれた奴らもある程度男色の気があるみたいだ。
父親も資産家だが、デリオス自身も相当のやり手だから金でもたかりに来たんだろう」
「うーん、そう考えるとちょっと可哀想だな」
 どうでもいい様に呟きながら、俺はデリオスを見つめる。
 黒い頭から生えた立派な白い角が、勇ましく見えた。
 あれで女装好きの気がないならなかなかのものだろうにな。
「あれ、でもそれってつまり俺がデリオスに近づいたら射止めちゃったりする事もあるの?」
「そうだな、その方が都合がいい。ブレスレットを強請れるかもしれん」
「うっそー……女装好きはさすがに嫌なんですけど」
 毎日家に帰ったら女物の服が置いてある環境、男二人で。
 ああ、次はブラジャーとパンティだなんて言われちゃう日々。
 無理、絶対嫌。
「心配するな、お前は渡さない」
「えっ……」
 項垂れていた顔を上げると、ロイガと目が合う。
 しばし訪れる静寂。
 ああ、これは。
「俺の住む所が無くなるからな」
 定住宣言でした。
「お前ってデリカシーないよな」
「よく言われる」
 にやりと笑うロイガのみぞおちに、俺は軽く肘打ちを入れてやった。

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