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ヨコアナ
2.囮大作戦
身体を固くした俺に、あの手が伸びてくる。
指先が触れただけで、全身が歓喜してペニスがびくりと震えた。
そうだ、この感覚だ。
あいつに抱かれてた時は、いつもこんな風に全身が喜びで充たされていた。
自然と口から溢れる喘ぎと要求に、口元を緩ませてあいつは更に触れてくる。
そうやって、気づけば泣きながら必死に抱きついて犯されてる。
満足したあいつが、腰を突き出して動きを止める。
それで、充たされた俺は触れもしないのに絶頂を迎えた。
男の悲鳴が聞こえて、俺は薄目を開けた。
「うるせえなー……」
起き上って眠い目を擦りながら視線を下ろせば、ギンギンに勃起した息子の姿。
まあ、そんな事はどうでもいいや。
ベッドから立ち上がって、傍の小窓を開けると外を見やる。
「もう十日経ったのか」
通りで、虎人の男が何人もの男を殴り飛ばしていた。
「あいつら、今日で何組目?」
「五組目だな」
緩めのランニングシャツと、トランクス一丁で眠たそうにソファーに突っ伏した俺にロイガは答える。
「随分多いんだなー」
倒した奴らは全員、まるで出荷されていくかの様に警察署の前に放置される。
だから同じ奴はほとんど居ないはずなのに、この人数だった。
一度、ロイガが出掛けてる時に来たので俺が相手をした事もある。
「もうすぐと言ったところだ、最近少し手ごわくなってきた」
「RPGみたい」
冗談めいて言うけれど、実際そんな感じだった。
雑魚を倒していくと、ちょいちょい強い奴が出てくる。
まあそれを含めてただのチンピラなので、大した相手ではないのだけど、
ここまで付け狙う執念は大したものだった。
「ほんと、何したんだよ。こんなに追われるって」
「護衛中に邪魔だったからチンピラの大将をしょっぴいた」
「そりゃまた、余計なお世話様で」
「……できたぞ」
皿に卵焼きを乗せたロイガが、エプロン姿でやってくる。
でかい身体にきつめのエプロンの破壊力がまた酷い。
「わーい」
卵焼きを一口サイズに箸で割って、頬張る。
甘めに味付けされた卵焼きは、所謂お子様味覚な俺にはやたらとツボだった。
居候するんだからこのくらいやれと任せた家事を、今のところロイガはほぼ完璧にこなしている。
ごつい身体をした虎の男が、小さい卵を一生懸命割って殻が入らない様に頑張っている様はなんというかすごく可愛い。
上手くいったのか、その顔が珍しく無表情を崩すのもまたポイントが高かった。
同居する前はどうなる事かと思ったけど、ロイガは随分大人しかった。
一つしかベッドが無いので、ソファーで寝る事にも文句を言わなかったし、
無理矢理キスしようとしてきた時とのギャップが妙に引っ掛かる。
俺がロイガを受け入れたら、多分同じベッドでも眠れそうな気もするけれど今一決心できなかった。
あのベッドで、あいつに抱かれたのは一度や二度ではないから。
そのベッドで、ロイガと共に寝るのは、ちょっと嫌だった。
大体付き合ってもいないし。
「そういや、お前たまにはカフェに来いよ」
「……できるだけ来るなって言ってなかったか?」
自分の分の卵焼きを皿に移したロイガが、怪訝そうに見つめてくる。
「俺はその方が嬉しいんだけど、マスターが、さ」
ロイガをこの家に上げてから、カフェにロイガは現れなくなった。
まあ、俺との交渉のために足しげく通っていただけなのだからそれも仕方ないんだけど。
マスターはちょっと寂しそうで、それが気になった。
「別にいいが、ここに残る奴がいなくなるぞ」
昼は俺がカフェに行くので、その間はロイガが。
夜も、何でも屋がある時はロイガがやっぱりここを守ってくれていた。
ロイガのせいでやってくる相手なんだから当たり前だけど。
「やっぱそうだよな。うーん……マスターにはもうちょっと我慢してもらうか」
しばらく姿を見せなかった客が、後でまた常連として戻ってくる。
そんなシナリオも悪くないかも知れない。
ロイガが装ってくれたほかほかご飯を卵と一緒にかき込む。
「む、ムグッ……うっ……」
「……」
つ、詰まった。
身振り手振りでジェスチャーをすると、呆れた顔をしながらロイガが水を用意してくれる。
それを奪い取ると、一息に呷って喉に詰まっていた物を全部流した。
「ぷはーっ、あー死ぬかと思った」
死因、卵焼き。
うん、ないな。
「もう少し落ち着いて食べろ」
そう言うロイガは、意外な程上品な仕草で少しずつ卵焼きを食べている。
お行儀いいのは結構だけど、小さいお茶碗を大きな手で大事そうに抱えているところはギャグにしか見えない。
「だってもう行かないとだし」
残りも手早く食べると、ロイガはちょっと寂しそうに俺を見る。
「なんだよぉそんな目で見るなよぉ、美味しいって言ってるだろいつも」
もっと味わって食べてほしいんだろうけれど、生憎忙しい朝にそんな時間は割けない。
「……それと、もう少しちゃんと服を着たらどうだ」
「俺は寝る時はこうなの、大体ただでさえ最近暑いってのにそれで寝られるかっての」
「起きてから着ればいい」
「いいの! これで! 大体ロイガだって似たようなもんだろ」
タンクトップにジーパン、そんな悩殺ボディを活かしまくる様な服を着てる癖に何言ってんだ。
そういう目で見ると、諦めたのかちょっと溜め息を吐かれる。
食事を済ませると、急いで身支度を整えてから鏡の前で毛並みをチェックする。
「ゴミはついて……ないよな、よしよし」
黒い毛並み故に、こういうところを怠ると小さなゴミが丸見えで恥を掻く事になる。
ちょっと見ただけでは見逃してしまいがちだから、朝はこういった事に時間を掛けたかった。
「さーてとそれじゃ行ってきま……って、いないな」
リビングに戻ってくると、ロイガの姿が消えていた。
さっきまでテーブルの上にあった食器は既に流し台に置いてあり、仕事の速さが窺える。
「と、トイレトイレトイレ……」
急に催して、慌ててトイレに駆け込んで扉を開けると、
居なくなってたロイガがそこに居た。
「えっ、あ……」
それだけだったらまだなんともなかった。
トイレの便座に座ったロイガは、ジーパンの前を寛げてからパンツも下ろして勃起したペニスを握っていた。
大きな身体と比べても遜色のないそのペニスは、爆発寸前なのか鈴口に透明な液体の球を浮かべている。
いつもの無表情もつい今しがたまで味わっていた快感により崩れていて、虚ろな目をしていた。
「……お邪魔しました」
バタン、と勢い良く扉を閉めてから俺はリビングまでゆっくりと歩く。
数分すると、水洗トイレの流れる音がしてからロイガが出てくる。
満足そうな顔をしているのがちょっと腹立つ。
「お前な、せめて俺が出ていくまで待てなかったのかよ」
「すまん、その」
珍しく恥ずかしそうに俯くロイガの顔を、睨みつけてやる。
「あんな格好してるから」
「!」
思わず後ずさった。
よく見ると、ジーパンの中にあるロイガ自身はまだ物足りないのかかなり窮屈そうだった。
「……次からはちゃんと服着るよ」
「ああ、頼む」
なんでこんな頼まれ方されてるんだろ。
そう思いながら時計を見ると、既に出発予定時間はとっくに過ぎていた。
「やっべ! もう行かないと!」
玄関へ走り出すと、慌てて靴を履く。
トイレはもういい、マスターのところで借りよう。
臭ってそうだし。
「行ってきます!」
それだけ言うと、扉を開けて陽の光に照らされた道を俺は全速力で走りはじめた。
結局、カフェには遅刻してしまった。
息を切らしながら何度も謝る俺を見て、マスターは微笑んで許してくれたけれどやっぱり申し訳ない。
トイレ借りちゃったし。
カフェの仕事をこなしながら今朝の事を思い返す。
「すげーデカいチンポだったな」
俺の頭の中の今一番ホットな話題は、やっぱりロイガのアレだった。
あんなの突っ込まれたらどうなっちゃうんだろうと考えると身体がゾクゾクする。
いかん、こんなところで発情してる場合じゃない。
「ありがとうございました」
店を出る客に頭を下げて見送ったマスターが、俺の元へ戻ってくる。
「……どうかしたんですか?」
なんだか、やけににこにこしている気がする。
「いや、話していて聞いたのだけど最近不良を成敗してる人がいるって話を聞いてね」
「ああー……そういえば、聞きますね」
本当は初耳だけど、どういう訳でそんな話題が出たのかは嫌って程知ってる。
「迷惑行為で困っていたけれど、その人のおかげでピタリと止んだって評判だったよ。
私は喧嘩はからっきしだから、少しは見習おうかと思ってね」
「大丈夫ですよ見習わなくても。マスターは充分優しくて、見習いたくなるような人ですよ」
本当に、この人の穏やかさは時々見習いたくなる。
「でも、腕っ節は全然だからね……」
「いいじゃないですかそれくらい」
どうもマスターは男らしい男になりたい様だけど、この優しい性格ではちょっと難しそうだ。
「ラスト君は、そういう強さに憧れたりしないのかい?」
「俺はマスターと一緒で喧嘩は苦手ですから」
嘘八百。
ごめんねマスター、でも腕っ節の強さを自慢する様な男に俺はなりたくないのだ。
「そっか、そうだね……ラスト君にはきっと似合わないよ」
マスターが俺の頭を撫でてくれる。
それに尻尾をパタパタさせる俺の姿は、確かに腕っ節がどうとかそういうものとは無縁にマスターには見えるのだろう。
ごめん、マスター。
夕暮れ時の道を歩きながら街並みを見つめる。
朝はからっと晴れた眩しい道を歩いていたのに、仕事を終えて外に出るとがらりと代わる街の様子にも最近は慣れてきた。
沈みゆく夕陽が懸命に届ける紅い光と温かさが、心地良い。
うーん、詩人だな俺。
そんな気分に浸っていると、不意に十数人に囲まれた。
やっぱりというかなんというか、ロイガを追ってる奴らだ。
「な、なんですかいきなり?」
全身から一般人ですというオーラを出しながら、キョドる振りで俺は身を竦めて男達を見る。
「へへっ、悪いな……あんたにゃ別に怨みはねえんだがな」
一応この小隊の頭っぽい男が、口元に笑みを浮かべて話しかけてくる。
「こっちだってそろそろやべぇんだ、悪いけど人質になってもらうぜ」
その言葉に、内心俺はにやりとした。
ロイガの読み通り、この不良共の数も大分減ってきてあとは残党と言ったところだろう。
そして、ここからは俺が勝手に読んでた事だけど、ロイガにのされてばかりで仲間が減った奴らの次に取る手は身近な相手の人質だ。
共に暮らしていて、家を守るために外出も極力控えているロイガの身近な相手と言えば俺以外にはありえないだろう。
「ひ、人質!? えっと……」
いかにも悪役らしいな、なんて思いながらも俺は引き続き寒い演技を続ける。
せっかく向こうから来てくれたのだから、今まで通りそのまましょっぴいても芸がない。
というより、いい加減目覚ましが不良の悲鳴なのが嫌だった。
寝不足なんだよ、寝不足。
どうしようかと考えていると、突然後ろからタックルを食らって前に跳び出す。
さっきまで話してた男の目の前に来ると、そのまま腹に一撃食らった。
「うぐっ」
出来るだけ本物っぽい悲鳴を出すために腹の力を抜いたけど、やっぱりその分痛い。
そのまま地面に倒れると、段々と意識が遠退いていった。
痛みが走って、思わず俺は呻き声を上げながら目を覚ます。
頭がクラクラする、腹の痛みは覚悟してたけどそれ以外もヒリヒリした。
あいつら余計に蹴りやがったな、このパーフェクトボディになんて事を。
でも、おかげで痛がる素振りが大根にならなくてよさそうだった。
「お目覚めかい、人質さんよ」
声がした方を見ると、俺を見てニヤニヤ笑う犬顔の男が居た。
耳にいくつも開けたピアス穴がなんとなく印象的だ。
スースーしないのかな、ああいうの。
「なんなんですか、一体……僕をどうするっていうんですか?」
目尻に涙を浮かべて、弱々しく呟く。
実際お腹痛くてちょっときつい。
「なに、あいつが来るまでの辛抱だから大人しくしててくれよ。
もっともそれで帰すかどうかはまた別だけどな」
男の笑い声に、涙を流す。
なんて幼気で可哀想な俺。
暢気に泣いてないで、次に辺りを見渡す。
見た感じ廃工場の様だ、チンピラにはお似合いって感じの場所。
ただ、大きな街にはこういう所が多いから隠れ家としては結構利用されやすい。
「……ここって?」
「俺たちのアジトだよ、あの虎公のせいで他のところは全部潰れちまった。
俺たちの頭も豚箱行きだし、アイツだけは許せねぇ。って訳だ解ったか?」
「はあ」
じゃあここ潰したらもう終わりなんだな。
必要な情報を聞きだす事に成功したけど、さてこれからどうしようか。
話を聞く限りでは俺を人質にしてロイガを呼んだらしいけれど、ロイガに頼る訳にもいかない。
というか、俺が人質で来るのかがちょっと怪しいので期待しても仕方ない。
「あ、あの……ロイガが来てくれないと、僕帰れないんでしょうか」
「そうだな、あの虎公が来ても易々とは帰させねぇがな。なんせここの場所をチクられたらしまいだ」
だったら連れてこなければいいのに。
と言うのは、怒られそうなのでやめておく。
「それによぉ」
男が、げへへと笑いながら近寄ってくる。
下品だな、嫌いじゃない。
なんて考えてる場合でもない。
「俺好みのいい男じゃねえか、お前」
「えっ」
さっきからなんかニヤニヤしてると思ってたら、そういう事なのか。
これは不味い、なんとか逃げないと。
慌てて身体を縛る縄を解こうとするけれど、やっぱりいきなり抜け出すのは難しい。
かといって、身体は座らされている椅子に雁字搦めにされていて立ち上がれそうにもない。
慌てている俺の前で、ベルトをカチャカチャ外す音がしてるからさあ大変。
「あいつが来るまで暇だし、最近溜まってたからしゃぶってもらおうか」
「えっ!? ちょ、まって! やだ!!」
「いいねぇ、その声も顔も……そそるぜぇ」
うわぁ、逆効果だよこれ。
ズボンを寛げると、既に準備万端になっているものがパンツ越しに存在を主張している。
「ご開帳ー」
パンツを思い切りずり下げると、引っ掛かった男のペニスがぶるんと跳ね上がって腹を打つ。
その動作に一瞬見惚れたり、今朝見たロイガのより大分小さいななんて暢気に考えながらも俺は必死に拒否の言葉を言い続けた。
「ほら、早くしろよ……上手くできたら、無事に帰してやってもいいんだぜ」
どんな交換条件だよと思いつつも、徐々に近寄ってくる男から必死に身体を遠ざける。
ていうか臭い、咥えさせるならせめて風呂に入った清潔な奴にしてくれ。
そんな俺のささやかな願望すら虚しく、鼻先に亀頭が届きそうな頃だった。
断末魔の叫び声が、工場内に反響した。
あまりにおぞましい悲鳴に、思わず俺も小さい悲鳴を漏らす。
「なんだ、どうした!?」
舌打ちをしてから、男は慌てて服装の乱れを正す。
パンパンに膨らんだままズボンを戻すのはちょっと大変そうだ。
た、助かった。
でも今はそんな事より、さっきの悲鳴の方が気になって視線を向ける。
蚊の鳴く様な声が不気味に続いていて、暫くすると姿を現したのは、
声の主の頭を鷲掴みにして引き摺りながらやってきたロイガだった。
「ろ、ロイガ……なのか?」
思わず疑問形になってしまったのは仕方がなかった。
血走った目を見開いて、まるでゴミでも持っているかの様に人の頭を掴む虎人は、
とても今朝見たロイガとは似ても似つかぬ雰囲気を纏っていた。
殺し屋だと言われたらしっくり来る様な、そんな状態だった。
「助けて……」
よく見ると、両手に人を掴んでいる。
その二人を持ちあげて、何度かぶつけ合うと飽きたのか床に叩きつけていた。
広がる血だまりの中に、折れた白い牙が浮いていた。
その光景を見てその場に居る全員が怯えた目でロイガを見る。
「ひ、怯むんじゃねえ! たかが一人にビビり晒して恥ずかしくねえのか!!」
そう言う犬人の男も、尻尾の先までガタガタ震えていた。
あ、股間が寂しいくらい縮んでる。
男の声に、何人かがロイガに跳びかかる。
「おい、やめろ!」
思わず叫んだけど、俺の言葉はあまりにも遅かった。
いや、間に合わせたかったのなら最初に悲鳴が来た時にさっさと逃げろと言わないと駄目だったのだろう。
跳びかかってきた男の一人の胸倉をロイガは掴むと、渾身の力で投げ飛ばしたのか廃材の中へその姿が消える。
それで怯んだ残りの奴らは、順番に処刑されるために列を成しているのと同じだった。
倒れる事も許されずに気絶するまで殴られる者。
頭部を掴まれ、そのまま持ちあげられてしこたま悲鳴を上げた後叩きつけられる者。
暴走するロイガの背後から忍び寄った犬人の男が、鉄パイプを振り上げてロイガの頭を強打する。
笑った男の表情が数秒後には凍りついて、その腕が掴まれてそれまでロイガにやられた男達と同じ道を辿っていく。
ロイガの両腕が紅く染まっていた。
さっき見た夕焼けよりも、ずっと紅い。
「ロイガ、もういい!!」
気づけば、俺は叫んでいた。
俺の言葉にロイガはピタリと動きを止めると、静寂が訪れる。
か細い悲鳴と、泣きじゃくる声が次第に静寂を破りはじめた。
血だまりを、ぴちゃぴちゃ踏みながらロイガがやってくる。
「ラスト」
その腕が俺に伸びると同時に、俺は身体を盛大に震わせた。
怖い。
どうしようもなくロイガが怖かった。
俺の怯えに気づいたのか、ロイガの手の動きが止まる。
その瞳に見つめられると、俺も周りの男と同じ目に遭うのかと思ったが、
次には俺の後ろに廻ると縄を解いてくれる。
漸く自由になった俺は立ち上がるが、痛みを感じて僅かに呻く。
それを見たロイガが、倒れている男達を睨みつけた。
「ロイガ、もういいよ……これ以上やったら、死んじゃう」
何人かは今すぐ入院した方がいいくらい重傷のはずだ。
「わかっている、このままこいつらは警察署に連れていく」
警察と聞いて、まだどうにか動ける数人が必死に身体をばたつかせて逃げようとする。
「逃げたら殺すぞ」
ロイガの暗い声が響いた。
脅しじゃないと、誰もが感じたはずだ。
それで、全員が大人しくなった。
然程時間も掛けずに男達を縛りあげると、ロイガは俺を見る。
表情は大分穏やかになってきたけれど、返り血を浴びた身体がさっきまでなにをしていたのかを物語っていた。
「こいつらを届けてくる、少し待っててくれ」
「待って、俺も……うぐっ」
激痛が走った。
気が抜けたからだろうか、痛みがさっきまでよりもずっと酷い。
「すぐに戻ってくるから、待っててくれ」
「……うん」
椅子に座り直すとリラックスをする。
目を瞑っている間に、ロイガも残党の姿も消えて無くなっていた。
二十分程そのままでいると、ロイガが一人で戻ってきた。
紅かった腕は、いつもの綺麗な黄色になっていた。
ロイガに身体を抱き上げられながら帰路に着く。
背負った方がロイガは楽なんだけど、それだと腹にかなり響くので優しく抱き上げてくれた。
すごく申し訳なかったけれど、一歩歩く度に痛みで声が出るか表情が歪むのでロイガから提案されたのだ。
夜道だからあんまり人が居なかったのは幸いだった。
「ロイガ……ごめん」
「お前が謝る必要はないだろう。謝るのは俺の方だ」
「ううん、俺……わざと捕まった」
「わざと?」
打ち明けるのは、勇気が要る事だった。
あれだけ大暴れしたロイガを見た後では、喋らない方が良かったのかも知れない。
けれど、申し訳ないという気持ちが膨らんだ俺は結局ロイガの胸の中でぽつりぽつりと懺悔を始めていた。
「あいつらのアジトごと潰せたら、早いかなって……ちょっとボコボコにされすぎちゃったけど」
作戦としては悪くなかったけれど、今こんな状態では一人で脱出はできなかっただろう。
結局、ロイガに助けられた。
「そうか、すまなかったな」
「……ロイガが謝ってどうするんだよ」
「俺がもっと早くあいつらを潰していれば、いや、お前の所にこんな話を持ってこなければよかったんだな」
そこまで責めてる訳ではないのだけど、ロイガはそうやって自分を責めている様だ。
「それに、怖かっただろう? 俺が」
その言葉に、また俺は震えてしまう。
確かに怖かった。
今まで見てきた何よりも、ロイガがただ怖かった。
「頭に血が昇ると、駄目なんだ……すまない」
ロイガがあそこまで怒りに染まったのを見るのは初めてだった。
俺から頭突きをした時ですら、僅か数秒でその怒りを隠し通したのに。
そう思うと、俺のためにあんなに怒ってくれたのだと理解してやっぱり申し訳なくなった。
「ううん。俺は、ロイガが来てくれて助かったよ……ありがとう」
「そうか」
「うん」
「…………そういえば、これでもうあいつらは出てこないから、俺の依頼は終わりだな」
そっか、ロイガはこれで出ていってしまうのか。
寂しいな、それは。
「ロイガの家って、どの辺り?」
なんなら、今度は俺から会いに行ってみようかなとそんな事を訊いてみる。
「丁度、そこの角を曲がった先にあるアパートだ」
ロイガが進路を変更して案内してくれる。
嫌がられるかと思ったけど、素直に案内してくれるのがなんだか嬉しい。
そう思いながら角を曲がったところで、俺は目を見開いた。
アパートらしき建物が、骨組みだけを残して真っ黒になっていた。
「か、火事?」
焦げた臭いに、思わず呻く。
「……燃やされたか」
「それじゃ、まだあいつらが居るって事なのか?」
「いや」
建物の残骸にロイガが寄ると、じっくりと観察をする。
「熱は籠ってないし、辺りに誰も居ない。燃やされて数日は経っているだろう。
多分、俺の帰る場所を無くそうと思ったんだろうな」
「どうすんの?」
大家さんと他の部屋の住人もどうするんだろうと考えながら、ロイガに問い掛ける。
ロイガは暫くのんびり考えに耽る。
「しばらくは野宿だな」
考えがまとまったのか、無表情にそう言った。
「……だったら、さ……もうちょっと、いてもいいよ」
耳元で囁くと、ロイガが呼吸を止める。
「いいのか? あんなに嫌がってただろうに」
「バカ、もう一週間以上一緒なんだから慣れたよ」
「そうか。それじゃもうしばらく世話になるぞ」
それに、俺は静かに頷く。
「お前も、まだ怪我人だしな」
「それは、ロイガだって」
鉄パイプでぶん殴られた癖に、ちっとも痛そうな素振りを見せないけれど頭から血を流している。
しばらくは、二人とも休息が必要だろう。
だから、もうしばらくロイガと一緒に居られると思った。
両腕に力を籠めて、俺は唸った。
俺の上半身がゆっくりと浮く。
「だはーっ」
大きく息を吐き出すと、そのまま床に突っ伏した。
「大分よくなってきたな」
トレーニングを終えると、傍に置いてあったタオルで汗を拭く。
不良との一件が終わり、なんとか家に帰ってきたのはいいもののしばらくは腹の痛みでのんびりしていたのだ。
大分痛みも引いたところで久しぶりにトレーニングをすると、思ったよりも辛く感じる。
たった二日でも、何もせずに寝転がっているとやっぱり駄目みたいだ。
「まあ、でもこれで大丈夫かな」
携帯を取り出すと、アドレス帳からカフェの名前を見つけてコールする。
電子音がしばらく耳元で鳴ってから、繋がる音が続いた。
「ラスト君!?」
「あ、マスター。すみません二日も休んでしまって」
電話の向こうのマスターは、なんだかやけにそわそわしてる気配がした。
「大丈夫かい? 驚いたよ、いきなりあんな電話を掛けてくるから……」
二日前、つまり不良のアジトを潰した後にすぐに俺は電話を掛けた。
上手い言い訳は浮かばなかったので、不良に襲われたと正直に話したのだ。
その時も、マスターは電話の向こうで驚いたり泣きそうだったりとなんだか大変だった。
「おかげさまで、明日からまたお世話になってよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ。それにしても……もういいのかい?」
「はい、それはもちろん」
電話の向こうから、マスターがほっとする様子が伝わってくる。
なんだか随分心配掛けちゃったみたいだ。
軽い挨拶を済ませて電話を切ると、のろのろとベッドまで行きそのままダイブする。
身体のどこにも痛みが走らない事を確認すると、今朝起きた時のままのしわくちゃの毛布を抱き寄せた。
ベッドの上でしばらく両足をばたつかせてから、溜め息を吐く。
身体はほとんど回復していた。
元々どこかが折れたりした訳でもないのだから、もう大丈夫だろう。
何でも屋の方も休む事になってしまったけれど、ロイガの依頼を達成したという事で報酬も受け取っていた。
前金の軽く三倍、前金自体の額がかなりの物だったので当分無理に働く必要も無かった。
「……はぁ」
順調なはずなのに、口から出るのはこればっかりだった。
やっぱり、あいつが居なかった。
「バカだな俺、捨てられたのに」
しかもヤり納めとの極悪コンボである、最低。
もう一度携帯を取り出して、アドレス帳を開く。
あいつの名前がまだあった。
消せばいいのに、未だに消せずにいる。
電話だってメールだって、履歴を開いてもあいつの名前はすぐには出てこないけれど、
ちょっと古い方を見たら、ずらっと並ぶその名前。
どっちも、あの日から途切れていて俺があの日捨てられたのだと訴えかけてるみたいだった。
「消しちゃおっかな……」
こうやって見返したって、寂しい気持ちになるだけだ。
そう思って親指を動かそうとしたのと同時に、玄関の開く音がして慌てて携帯を閉じた。
跳び起きると、顔を強く擦ってから俺は寝室から顔を出した。
「おつかれさん、ロイガ」
「ああ」
帰ってきたロイガは、いつものラフな格好、じゃなかった。
手首の辺りまで覆う、薄くて丈夫な生地の服の上にボディアーマーを身につけている。
下半身も、何か特別な素材なのかいつものジーパンは穿いてなかった。
チンピラを片付けたという事で、ロイガはロイガで漸く護り屋としての活動を始めたのだろう。
「今日はどうだった?」
「……特に何も」
そう言って服を脱ぎはじめるロイガに、ソファーにあったいつもの服を投げると代わりに身に着けていた服が飛んできた。
暑くなってきたのにこんな物を身につけるから、内側の生地がロイガが掻いた汗を大量に吸って余計に重さを増していた。
「うわ、くっさい」
キャッチすると同時にむわっとした熱気が立ち昇った様な気がした。
「今日は早朝から着てたからな」
「このまま洗濯しちゃっていいの?」
「ああ」
そう言って目の前でズボンもロイガは脱ぐ。
獣毛に覆われているはずなのに、筋肉が張り巡らされているのがはっきりと解るその身体。
動きやすいから、と愛用しているビキニブリーフは蒸れた個所が色濃くなって隠されている部分の形を強調する。
艶めかしいというよりも、いっそ彫刻の様で芸術的な身体だった。
ちょっとジェラシー。
「……あっちで脱げよ」
「洗濯しといてくれるんだろ?」
「そうだけどさーっておい!」
ビキニにも手を掛けはじめたロイガを慌てて止める。
それ以上はちょっと不味い。
病み上がりの俺が下半身限定で元気になっちゃうくらい不味い。
俺の言葉に、仕方なくロイガはビキニ一丁で先に洗濯機まで向かいその前で脱ぐと、洗濯機へ放り込んでから浴室へと消える。
「はー、まったくあいつは」
オナニー見られて恥ずかしがる癖に、こういうところはなんでか鈍い。
今も、俺が洗濯しようという素振りを見せたから洗えそうな物を出してくれたつもりなんだろう。
脱ぎ捨てていったズボンを拾い上げると洗濯機まで向かう。
先にロイガが入れていったビキニがぽつんと存在を主張していた。
その中に、預かった服を入れてからついでに一緒に洗えそうな物を探してきて突っ込む。
本当は、さっき洗濯を済ませたから洗い物はあんまりないんだけど、仕事用の服があるなら仕方ない。
大抵こういう服は、一着でただの服が数十着かそれ以上は買えるくらいの値がするのだ。
だからあんまり数を持っていない事が多いので、洗える内に洗っておきたい。
「おっと、これは駄目だな」
蓋を閉めようとして、慌ててボディアーマーを救出する。
戦争にでも使える様なガチガチの物ではないので、割と薄いけれどそれでも
特殊な材質を中に仕込んであるので洗濯はできない。
なので、ちょっぴり臭う。
大事そうにそれを抱えて、窓を開けて狭苦しいベランダに出るとそのまま干した。
これ以上の事は、精々消臭スプレーを掛けるくらいしかできないだろう。
後で買っといてやろうと決めながら、洗濯機の前に戻ると洗剤を入れてから蓋を閉めてスイッチを押した。
ごうんごうんと音を立てて仕事を始める洗濯機を見守りながら、浴室へ視線を向ける。
扉一枚の向こうでは、ロイガがシャワーを浴びているのか合成樹脂の浴室扉にぼんやりと立ち姿が浮かんでいた。
「洗濯したからなー」
床に座って、扉の横の壁に背を預けてロイガに声を掛ける。
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
それきり、会話が続かない。
ロイガが帰ってきたから一時忘れたけれど、元々ブルーな気分だったから仕方ない。
「もう身体はいいのか」
「おかげさまで、そっちは?」
「俺は、なんともない」
「……ウソつき」
あれだけ強く殴られたんだから、完治はしてないだろう。
流石に頭を自分で診るのは難しいから俺が手当をしたし、見た感じすぐに治る様には見えなかった。
それでも今日の朝には、巻いてた包帯を解いて出掛けていったのだ。
まあ、これから護衛しますって来た奴が頭に包帯ぐるぐる巻いてたら俺だって不安になるけど。
浴室の扉が開く。
「ん」
準備していたバスタオルを肩越しに差し出すと、短い返事をされて受け取られる。
「心配してくれてるのか?」
「……俺のせいだから」
わざと捕まった挙句、助けられてその時にロイガは怪我をした。
一晩経って改めて考えると、自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
そんな風にずるずる引き摺ってるのも、しっくり来ない原因だった。
「ラスト」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
水滴を垂らして、首からバスタオルを下げたロイガの顔があった。
「……また、手当してくれ」
そう言われて、俺は立ち上がるとその場を後にする。
リビングで準備をしていると、服を着たロイガが遅れてやってきた。
「座って」
ソファーに座る俺の前でロイガを床に座らせると、濡れた体毛を掻きわけて傷を捜す。
傍から見ると、毛繕いをしている様に見えるかも知れない。
「まだ塞がってないな。……痕が残るかもな」
捜し出した傷は、最初に見た時よりは良くなっているとはいえまだ完治したとは言い難かった。
そういう傷は、いずれ傷痕になるだろう。
体毛のおかげで多分ほとんどわからないだろうけど。
「そうか」
「そうかじゃねーよ、無理すんなバカ。ハゲちまえ」
一度引くと、消毒薬をガーゼに沁み込ませてちょっとつつく様にする。
消毒薬が無い方が治りがいいとも言うけれど、ちょっと傷が深いし獣毛に覆われているので改めて殺菌をした方がよさそうだった。
必要以上の消毒は痛がるだけなので、強くはやらずに終えるとでかい絆創膏を当てる。
その上をテープでちょっと固定、毛にくっつくのでほとんど意味はないけれど、
包帯を巻くまでずれない様にするための物だ。
包帯を取り出して、ゆっくりと頭部に巻いていく。
虎のちんまりとした耳に被せない様に、何度か包帯を当てて巻き方を変える。
「ラスト、目」
「あ、ごめん」
前の方が緩んで、目に掛かっていた包帯を慌てて元に戻す。
「前から思ってたけど首締まってない? これ」
俺もそうだけど、頭部だけでぐるぐる巻くのは大抵の種族では難しい。
なので、上から下までぐるりと回すと首に包帯が当たる訳で。
「大丈夫だ、食いこませなければ」
体毛が見た目を大きく見せているのもあるからか、ロイガは特に気にしてないらしくそれならと残りを巻く。
「これでよし」
ポンと頭を叩くと、ロイガが首元を苦しくない様にちょっと直す。
続いて包帯の間から飛び出した耳が何度もぴくぴく動く。
満足したのか、何も言わないのでそれで治療は終わった。
洗濯物が洗い終わるのを待って、干してから買い物へ俺は出かけた。
既に日も傾きはじめてたけれど、ここ二日は回復に専念するためひたすら寝てたから仕方ない。
「何買うんだ?」
俺の隣には、暇だからとついてきたロイガが居る。
家で大人しくしてろって言ったのに。
物々しく包帯を巻いたロイガを、道行く人は認めると慌てて道を開けていた。
普通包帯を巻いてたら弱々しいだの痛々しいだの、そういう事が浮かぶんだけど、
巨漢のロイガだとなんというか、結構様になってる。
一言でいうと、血の気の多い手負いの獣って感じ。
これはこれでそういうファッションにも見えた。
で、その隣に居る俺は目を付けられた可哀想な奴みたいな視線をさっきから送られてる。
「しかしさぁ、買い物に行く時くらい丸腰で来られないのかねお前は」
そう言って、ロイガの手元を見つめると鈍い光を放つ指輪がいくつも嵌めてあった。
所謂ナックルダスターの一種で、外側を覆う部分が広く側面部は少し歪んだりしている。
大抵こういうのは片手に三つか四つはつけるから、そのまま握った時にしっくり来る様に設計されてるのだろう。
一個だけならファッションとして使えるくらいオシャレなデザインだけど、鈍い光は被った血のせいなのだと考えるとちょっと怖い。
「まだあいつらが狙ってるかも知れないからな。それに、軽い奴だこれは」
確かに、さっき帰ってきた時にちらっと見えちゃった奴はもっとゴツい奴だった気がする。
「そりゃそうだけど、さっきから通り過ぎる奴通り過ぎる奴みんなビビッてるぞ」
ただでさえ身体でかくて人が避けるってのに、まるで海が割れる様に人の波が割れていく。
「俺みたいにもっとスマートに、それでいてオシャレになれよ」
昨日とあんまり変わらない格好のロイガに、オシャレを勧めてみる。
あんまり値の張る物は買わないけれど、揃えた服でできるだけオシャレな格好をして俺は歩いていた。
対するロイガは、いつものラフな格好。
体毛が濃いからあんまり着込むと暑いのかも知れないけど。
「オシャレか、その靴もオシャレの一環のつもりなのか?」
ロイガの視線が、俺の足元に注がれる。
「随分物々しい靴だな」
言葉通り、俺の今のちょっとチャラい雰囲気とは合いそうにもない靴だった。
「な、なんの事かなー」
「食えない奴だ」
ロイガの視線に、頭を掻きながらてへっと言ってやると鼻で笑われた。
買い物袋を抱えて、すっかり陽が沈み薄暗くなってきた道を行く。
お互いに休息を取っていたから、買う物はそれなりにあったのでそういう意味ではロイガが来てくれたのは助かった。
「あとなんか必要なのある?」
「いや」
荷物の山の向こうからロイガの声が聞こえる。
両手一杯に抱えさせると、五袋くらいは余裕で入るから助かる。
流石にここまで来ると、ロイガの物騒な雰囲気も大分和らいだ気がする。
「よーし、それじゃ帰るぞー」
「ラスト……前が、見えない」
ロイガの訴えに、仕方なく一番上の荷物を取って山を削るとその顔が現れる。
慣れたけどやっぱりいかついなーと思う、荷物を持ってもロイガはロイガだ。
対する俺は今取った分を入れても二袋だけ。
まあ、ロイガが文句言わないからいっか。
「今日の夜はどうするんだ?」
「んー、一応休みにしようかな。
別に急ぎの物は無かったし」
雑用同然の探し物くらいしか、今は依頼も無かった。
こういう地味な作業をするのが主な仕事なんだけれども。
ロイガが持ってきた様な物騒な奴は、個人で活動する俺とは縁遠いものだ。
それに、今日はじっくりたっぷり時間を掛けて料理を作ると決めていた。
買い物に出られなかったから、ここ最近は質素な物続きでうんざりしてたところだった。
「今日は奮発して美味いモン作るから、手伝えよな」
「料理できたのか?」
「できるよ!」
そういえばロイガが来てから、その辺は全部押し付けてたんだっけ。
ここはいっちょ俺の腕を見せつけてやるとしよう。
男心を掴むにはまず胃袋から、そう思って磨いた腕だ。
逃げられたけど。
「……どうした?」
目敏く俺の変化に気づいてロイガが問い掛けてくる。
「いや、なんでもない」
こうして歩いてると、恋人同士みたいだなと思った。
ロイガは多分、そんな風には考えてくれてないのだろうけれど。
それに、俺の心にはまだあいつの影があった。
今の俺じゃ、ロイガにはふさわしくない。
「そうか」
「うん」
こういう時、ロイガは何も言わない。
助かるけれど、寂しいと思う時もある。
ロイガに聞いてほしいのだと思っている自分に、不意に気づいた。
「なあ、ロイガ」
名前を呼んでみるけれど、返事がない。
顔を見てみると、遠くを見つめていた。
何かあるんだろうかと同じ様に見てみると、一人の人間の女の子が男に無理矢理路地に連れ込まれようとしているところだった。
女の子が泣きそうな顔をしているところを見ると、どう見ても親しい間柄ではないっぽい。
「ロイガ、持ってて」
取りあげたばかりの荷物を戻してから、更にもう一つ乗せると俺は走り出す。
「お、おいラスト」
完全に視界が塞がれて動けないロイガを置いて、俺は路地へと突撃した。
「ちょーーーっと待ったぁ!!」
馬鹿正直に声を上げると、二人の男と追い詰められ服に手を掛けられてる女の子が居た。
本当はこっそり近づいて一人でも潰した方がいいんだけど、女の子の操の危機なので仕方ない。
いや、処女かどうかは知らないけど。
「なんだてめぇは!? いきなり出てきやがって、ぶっ殺すぞ!」
お決まりの台詞を言いながらやってくる男に、跳び込む。
拳を振り上げたので、そのまま更に体勢を低くしてかわしてからその足元に着地。
「アッパー!」
足に力を籠めて、バネみたいに伸ばすと垂直に跳んで拳を振り上げる。
綺麗に顎に決まったのか、僅かに男の身体が浮くと一撃で気絶していた。
格闘ゲームさながらの攻撃に、華麗にブイサインを決めたりする。
「糞! なんなんだよ!」
「正義のヒーローです」
「うるせぇよ!!」
逆上した男が懐に手を突っ込むと、拳銃を取り出す。
最近のチンピラは物持ちがいいなあ。
「やめといた方がいいんじゃない? サプレッサーもついてないのに」
そう思って忠告してやるけど、男は笑みを崩さなかった。
瞬間的に危機を察知して横にそれると、足元に銃弾が撃ち込まれる。
「あーあ、撃っちゃった」
男の手元は震えていて、まるきりの素人なのが伝わってくる。
あんなんじゃ撃ったってあんまり当たらないだろうに。
呆れながら、俺は挑発する様に片足を上げると足先でぽんぽんと地面を小突く。
ぽんぽん、ぽんぽん。
ぽんぽん、キンッ。
あ、音が出た。
にっこり笑うと、狙いを定めて男相手に足を振るう。
もちろんここからは届かないけれど、足先から飛び出した奴は別だ。
「いっ!? な、なんだこりゃ!?」
腕に刺さった小型ナイフに男が動揺している隙に、さっきの男と同じ様にその懐まで跳び込む。
立ち上がってその両肩を掴むと、もう一度微笑んでみた。
男が、薄笑いを浮かべるのを気にせずに地を蹴ってから両肩を地面に向けて押した。
折り曲げた膝が、男の腹に減り込む。
靴で蹴っちゃってもよかったけど、ナイフが跳び出したら大惨事だ。
「ラスト、大丈夫か」
遅れてやってきたロイガが問い掛けてくる。
さっきと荷物の並びが違うのは、多分前が見える様に整理したのだろう。
「平気平気」
「お前じゃない、そいつらだ」
「あー……うん、大丈夫大丈夫」
仕込みナイフを回収しながら、様子を探ると単に気絶しているだけの様だ。
白目剥いている様は死人っぽいけど、呼吸はしてるから多分平気。
「さてと、大丈夫かい? 君」
傍で座り込んでいる女の子の手を取ると、立たせる。
今時珍しい人間の女の子だ。
この辺りだと、あんまり見掛けない。
まだ成人もしてないのだろう、何の色にも染まっていないあどけない表情が可愛らしかった。
ぼーっとしてたその顔が、突然くしゃくしゃに歪むと俺の胸に飛び込んでくる。
「お、おい」
胸の中で女の子がわんわん泣く。
よっぽど怖かったんだろうか、確かにこんな所に連れられて犯されたら一生トラウマだろうな。
見下ろした男のズボンのベルトは外されてるし。
「ラスト」
「解ってる」
さっきの銃声で騒がしくなってきたから、そろそろ御暇するとしよう。
女の子とロイガを連れて、路地を出るとちらほらと人だかりができていたので無視して突っ切る。
しばらく歩いて、人気の多い表通りまで来ると握っていた手を放した。
「ここまで来れば、もう一人で帰れるかな?」
「あ、はい……」
「駄目だよ、女の子が一人であんなところ歩いてちゃ。
それじゃーね」
手を振ってから、ロイガに預けてた荷物を取り返す。
頑張って持っててくれたみたいだし、三袋持ってやろう。
「あ、あの!」
「んー?」
「ありがとうございました。お礼は、必ず」
「あーはいはい、そんな気遣わなくていいからちゃんと帰りなー」
振り返りもせずに、片腕を上げると歩き出した。
「いやあ、可愛いおなごでしたなぁ」
エロ親父みたいな事言いながらロイガに話を振る。
「……女が好きなのか?」
「ああ、俺は心が通じ合えばだれでもいいから」
性差を超えた愛を実現する男、それが俺である。
まあ、普通の恋愛は性差を超えてる訳ですが。
ついでに種族もそんなに気にしない。
「まあ俺みたいな奴とは、ちょっとつりあわない様な女の子だったけどな」
やけに小奇麗な服装は、多分いいとこのお嬢様なんだろう。
夜に紛れて仕事をする様な俺達とは、縁がないしあってはならない様な人種。
ちょっと前までの、俺とあいつの関係の様だった。
「お前は、お前だろう」
見透かした様な事をロイガが言う。
「うわ、くっせーなその台詞」
振り向き様に指して笑ってやった。
ロイガは何も返さず、ただ荷物を持ち直していた。
「ありがとうございました」
帰っていく客に、俺は深々と頭を下げる。
「やっぱりラスト君が居ると、店内が明るくなるよ」
嬉しそうに言うマスターに俺は微笑んで見せた。
「そうですかね? まあ、俺はわからないですけど」
「私一人だと妙に静かになってしまってね」
「カフェだったら、それでいいんじゃあ……」
「そうかも知れないけれど……ラスト君が来てから、うちは明るいカフェって事になってるから。
今日は居ないのかって聞いてくるお客さんだって居るんだよ」
「そうなんですか」
意外だな、マスター目当ての奥様ばかりだと思ってたのに。
いや、マスター目当てだからお世辞として言うのかも知れないけれど。
店の扉が開かれたので、俺は話を切り上げてそれを出迎える。
「いらっしゃいませ。……ってなんだお前か」
「お前が来いと言ったんだろう」
ああ、そういえば言ったんだっけ。
久しぶりにカフェに来たロイガは、前と何も変わらない。
「……言っておくけど、店の中ではあんまり話しかけるなよ」
マスターに、俺の仕事がバレてしまう。
ある程度の事情を知っていてくれるけれど、細かいところは気にせずに俺を雇ってくれているマスターを、
あんまり深い所には立ち入らせたくなかった。
「わかってる、珈琲」
「はい、珈琲ですね畏まりました」
注文通りに珈琲を淹れにいくと、マスターと目が合う。
常連が増えるよ、やったねマスター。
そう笑い掛けると、マスターもはにかんだ様に返してくれた。
「おまたせしました、珈琲になりますごゆっくりどうぞー」
ちょっと棒読みっぽい声でロイガの前に珈琲を置くと、持ってきていた新聞を広げていたロイガが顔を上げる。
「そういえば」
「へ?」
店内で話しかけるなという約束を早速破りながら、ロイガは話しかけてくる。
「お前、三丁目の屋敷を知ってるか」
「屋敷? ああ、あのすっげーでかいやつか」
「夜、予定がないなら来て欲しいそうだ」
「え? 誰が? 誰に?」
「……昨日の女が、お前に」
そう言って、ロイガはくしゃくしゃになった手紙を取り出して突き出してくる。
もっと大事に扱ってやれよ。
「屋敷の当主の護衛をさっきまでしててな。娘なんだそうだ」
ああ、そういう事か。
多分、あの女の子に見つかって頼まれたかなんかしたのだろう。
手紙を広げてみると、達筆な字で感謝と、招待の言葉が書き連ねてあった。
「かーっ、今時珍しい律義な子だね」
「律義……か、そうだといいな」
「え、なんで?」
「赤い顔をしながら、あの方に渡してください……そう、言われた」
ロイガの瞳が、じっと俺を見つめてくる。
「な、なんだよその目は」
「行くのか?」
「そりゃ、まあ……行かないと失礼だろうしなそれはそれで」
「そうか」
いつもみたいに、短い返事。
でも、ちょっと冷たい感じがした。
「何、妬いてんの?」
「…………」
それきり、ロイガは何も答えずに珈琲をお代わりまでして堪能してから帰っていった。
それを見送ってから、手紙を見つめる。
妬くくらいなら持ってこなければいいのに、態々持ってくるのがロイガらしかった。
「ま、行ってみますか」
ポケットに手紙を仕舞うと、ロイガの使っていた食器を俺は片付けはじめた。