ヨコアナ
7.ボルクの本能
ディストはギルドの廊下を歩いていた。
その顔は機嫌が良いというよりは、反対に悪い。
大会で優勝したためにどうにかヘイスに格好悪い所だけを見せて終わったという事にはならなかったのだが、
手に入れた賞金は全てバーツに没収された上に、今の今まで説教を食らっていたのだ。
「経営者は俺だってのに……」
悪態を吐くが、情けない自分に次には溜め息が零れる。
重い足取りのまま歩き続けていると、物音とヘイスの声が聞こえた。
それに耳を震わせると、自分の尻尾が先程とは違い嬉しさで跳ね上がるのを感じる。
声に耳を傾けるのだが、呻き声の様な音だけが聞こえていて、
「なんかあったのか?」
心配になり、声の聞こえる方へ顔を向けると丁度いつもの食堂の入口があった。
そのまま、食堂へと入るとディストは自分の目を疑う事になる。
「なっ、なにしてんだお前ら!?」
反射的にそう叫んでいた。
視線の先には、ラートムがいつもの様にほとんど裸のままこちらに背を向けていた。
それだけならなにも思わないのだが、問題はその向こうに居るヘイスだった。
突き出された腰の前に屈み込んで、何度も呻き声を上げていて、
更にはラートムがヘイスの頭を撫でているのだから、ディストが思わず叫ぶのも無理はなかった。
声にラートムが振り返ると自分の顔を暫く見ていたのだ、が
不意にその顔が笑みを形作った。
頭に血が昇るのを感じた。
「えっ、なに? どうしたの?」
思考が完全に停止していたディストの耳に、ヘイスの言葉が飛び込んだ。
ラートムの脚の横からその顔が飛び出して、自分を見て不思議そうな表情を形作っていた。
「ヘイス……お前、なにして……」
「なにって……」
涙目になっているディストを見て、ヘイスは驚いていた。
普段は見せない顔だからだろう。
それでも、次には問いに答えるためにラートムの脚に添えていた手を見せた。
握られているのは細い紐で、それで漸くディストは疑問を浮かべた。
「測ってるんだけど、ラートムさんのサイズ」
頭に昇っていた血が、急激に下りるのを感じる。
次には恥ずかしくなって、慌てて視線を逸らした。
ディストがなにを想像していたのか既にラートムは見透かしていたのか、一人で笑い声を上げていた。
「すまんなヘイス、難しいだろう?」
顔を逸らしたディストが、聞き方によっては誤解する様な言葉を口にする。
「やっぱり、竜人の身体って普通の人とは違うんですね色々」
ヘイスの台詞は、太い尻尾のあるラートムの身体を測るのが難しいという意味なのだが、
既に頭の中で完全に別の事を考えているディストには、それに燃料を注いでいる状態でしかなかった。
大体の事は済んだのか、立ち上がるとヘイスが一度伸びをする。
ラートムとの事が終わったのを知ると、ディストが勢い良くその腕を掴んで引き寄せた。
「なにもされなかったか?」
真剣な顔で詰め寄るが、事の重大さを理解していないヘイスはただ不思議そうな顔をするだけだった。
「そんなに私は信用無いのか?」
ラートムはそう言うが、ディストは訝しげにその姿を見ていた。
ヘイスが身動きできないことに気づいたのか、その次には慌てて掴む手を放す。
どうにか解放されたヘイスは、再びラートムの元へ歩み寄った。
「あとは必要な生地を用意して作るだけです」
「そうか、楽しみだな」
「あんまり期待しないでくださいね……」
「なに、どんな服でも今よりはずっといい」
二人の笑い声が部屋に響いた。
その様子を面白くなさそうに見ているのはディストで、
「……エロじじい」
誰にも聞こえない様に、そう呟いた。
風が巻き起こった。
ヘイスは瞬間的にそう思った。
目の前に居たラートムが、いつの間にか居なくなっていて、
次には叩きつける様な音が聞こえた。
慌てて音のした方へと顔を向けると、ディストも元の位置からは移動していて
二人揃って壁際に居るのは、恐らくラートムが凄まじい速さで動いてディストを壁に叩きつけたのだろう。
あまりの速さに、叩きつけられたディストも目を見開いている事しかできていなかった。
「ディスト、それは言わない約束だろう?」
ディストの肩を掴んでそう言葉を口にするラートムは鋭い眼差しを向けていて、
目を合わせられなくなったディストは、必死にそれを宥めていた。
「わ、悪いラートム、忘れてたわ」
謝罪の言葉が洩れると、それを聞いた竜人の表情は穏やかになる。
「ヘイス、後は頼んだぞ」
掴んでいた手を放すとラートムは飄々とした様子で片手を上げてから部屋を後にした。
残された二人は、突然豹変したラートムに呆気に取られていたのか、
暫くその場から動けずに居た。
腕を組んで、ヘイスは廊下の天井を見つめていた。
夕食まではまだ時間があり、ラートムの服作りのために必要な生地を買おうとしていたのだが、
同行するはずだった肝心のディストは、朝から散々な目に遭っていたせいで、
「今日は厄日だ……悪い」
それだけを口にして、部屋に閉じ篭っていた。
扉が閉まるまで苦笑いでそれを見送ってから、ヘイスは思考に耽った。
自分一人でも構わないのだが、どうせなら誰かの意見も参考にしたいのが本音で、
肝心の完成する服を着るラートムはなんでもいいという言葉だけを残していた。
それがまた、完成品を上手く頭に浮かべられないヘイスには難題なのだ。
良い案が浮かばず、溜め息を吐いていると廊下の床が軋む音が耳に届く。
「あれ、ヘイス……どうしたの? ディストの部屋の前で」
大きな身体で、ゆっくりと歩いてきたバーツが声を掛けてきた。
初めの内はこの巨体に驚いてはいたのだが、
最近はラートムの方に驚きが集中していて、今はそれほど気にならなかった。
そんな事を頭の片隅で考えながらもヘイスは事情を話す。
バーツは熱心にその話を聞いていたのだが、途中でディストの話が出ると目を細めて鼻で笑う仕草をしていた。
「代わりの人ねぇ。僕はこれから仕事だし、残るのは……」
二人の頭にボルクの顔が浮かんだ。
次には、ヘイスが首を傾げて困った様にバーツを見る。
見つめられたバーツも似た様な顔をしていた。
ボルクが服について興味がある様にはどうにも思えないのだ。
ディストもそうだが、肉弾戦を主力とする者はまず動きを制限されない服を好むのだから、
見た目に関してはあまり気を配ろうとはしない。
「大丈夫、居ないよりマシだよ」
無責任な言葉の様な気もするが、確かに一人で行くよりはよかった。
挨拶を済ませると、ヘイスがボルクの部屋に向かい走り出した。
「頑張ってね、ボルク」
これ以上無い程顔を綻ばせてから、後姿にバーツは手を振っていた。
その次に拳を作ってディストの部屋の扉に叩きつける。
部屋の中から派手な音がした。
ボルクの部屋まで続く道を歩いた。
途中までは走っていたのだが、ディストの部屋からは離れていて、
その内段々と緩慢とした足の動きになっていた。
初めて来た時は部屋を探すのに苦労したのだが、
今は扉に刻まれた微かな傷や色の違いでその部屋がヘイスにはわかった。
振り上げた手で拳を作ってから、甲の部分で扉を軽く数回叩く。
「ボルク、居る?」
音の無い廊下に叩いた音と声が響く。
次には、中から物音がした。
「ヘ、ヘイスか!?」
「話があるんだけど」
その言葉を皮切りに、暫く無音の状態が続く。
首を傾げはじめた頃にまた物音が聞こえる。
「少し待っててくれ!!」
普段は静かに物を言うはずのボルクの口調が、今は違っていた。
心配にならない訳ではないのだが、待ってろと言われたヘイスは大人しくそのままその場に居た。
幾つか種類の違う音が部屋の中で轟いた後、扉が小さな音を立ててゆっくりと開かれる。
現れた顔は平静を装っているが、なにかに焦っていた。
「どうしたの?」
「あ、いや……用件はなんだ?」
身体を動かす事に慣れているはずのその身体が、何度も荒く呼吸をしていた。
「調子悪そうならいいけど……これから買い物に行くからさ、ボルクもどう?」
買い物の誘いにその顔か一瞬和らぐが、次にはまた焦った様な表情を作る。
それでも数秒経てば、しっかりと頷かれた。
「行こう」
扉を完全に開いて、ボルクが言った。
「あ、ボルク」
廊下に出て扉を閉めようとしたボルクにヘイスが口を開く。
「窓開けたままでいいの?」
その言葉に、ボルクが慌てて振り向いた。
「……閉める」
小走りで窓の前まで行くと、そのまま窓を閉める。
ヘイスの元に戻る前に、振り返ったその身体がある一点を見つめていたのだが、
服の事を考えているヘイスはそれに気づかなかった。
「行こう」
扉を閉めたボルクが言った。
ヘイスが、それを微笑んで迎えた。
両手で袋を抱えて、ヘイスは満足そうに笑った。
袋の中には色鮮やかな生地が幾つも詰まっていて、
ヘイス本人の意気込みが感じられた。
「片っ端から取っちゃったけど……大丈夫かな、ボルク」
袋の中から出した生地を手に取ってヘイスは何度も眺める。
それをボルクは微笑ましい顔で見ていた。
「ボルクはどんな服がいい?」
ボルクの服を作る訳ではないのだが、参考にならないだろうかとヘイスは尋ねた。
「そ、そうだな」
問い掛けられたボルクは返事に詰まってしまう。
どんな服が完成したとしても、それをヘイスが嬉々とした様子で差し出せば、
抵抗も無く自分が着るのが予想できてしまうのだ。
こんな状態で、とてもどんな服がいいかという答えなど浮かぶはずもなかった。
「お前が作ったのならいいんじゃないかどんなものでも、心が籠もってるだろう」
はぐらかす様な答えだが、自分にとってはそれが真実だった。
「そっか、心か……ありがとう、頑張るよ」
人の良いヘイスは、こんな返事でも満足なのか
やっぱりまた笑顔を向けていた。
「手が回ったら、ボルクの分も作ってみようかな」
その言葉に思考が止まった。
嬉しさが、身体の底から湧き上がってるのが如実に伝わってくる。
「嫌かな?」
すっかり固まったままのボルクの様子を見たヘイスは途端に次の言葉を吐き出したが、
それに気づくと、生地を持つヘイスの腕を掴んだ。
「頼む」
「あ、うん頑張るよ」
間近に迫った事にヘイスは驚いていたが、そう言うと先を歩き出した。
頭の中では、今度はボルクの服の事を考えているのだろう。
自分の事を考えてくれているのかと思うと、口元が緩んでいるのに気づく。
ヘイスに対する想いは、あの時のまま変わらなかった。
寧ろ、最近ではそれがより強くなっているのを感じている。
どうにか伝えたい気持ちに駆られる事が多くなってきていたが、
今のこの穏やかな関係が壊れてしまう様な気がして、
ヘイスにそれを言う事だけは避けていた。
初めの頃は、すぐに気持ちが風化する事を願っていたが、
その想いが無くなるとは、今はどうしても思えなかった。
胸の中で何度も名前を呼ぶと、ヘイスが振り返る。
それに驚きながらもボルクは微笑んで見せた。
ヘイスも、笑ってくれた。
人込みを掻き分けて進んだ。
両手で抱えている袋を落とさぬ様に注意を払いながら、
後ろに居るボルクと逸れない様に時々振り返る。
そんな事を繰り返していたのと、抱えている袋のせいで足場が見えなかったせいもあって、
人込みを抜けるために大きく踏み出した足が、なにかに躓いてヘイスは体勢を崩した。
「わっ」
短く悲鳴を上げると、後ろからボルクの自分を呼ぶ声が聞こえた。
次には、視界が暗闇に覆われて軟らかい感触が腕と顔に伝わる。
「平気か、坊主」
低い声が頭上から聞こえた。
顔を上げると、睨む様に自分を見ている狼人の偉丈夫がそこに居た。
「ご、ごめんなさい!」
形相に身体を震わせると慌てて謝罪の言葉を口にするが、
その顔が、不意に意外な程にこやかに笑った。
「気をつけねぇと、転んじまうぞ? せっかく綺麗なもん抱えてるのに」
そう言うと、身体を起こされる。
頭を下げてから改めてその風貌を見つめた。
毛色は黒く、所々に灰色が混じっていて、
その凶悪な人相を更に深くしていた。
それが、目の前で人が良さそうに笑っているのだからヘイスは首を傾げたくなった。
全体を見ていると、ふと違和感を覚える。
向かい合っているのに、相手は左半身を少し前に出して斜めに構えているのだ。
相変わらす笑っている狼人は、左腕を伸ばすと強い力でヘイスの頭を何度も叩く。
「ヘイス!」
丁度その時、漸く人込みから脱出したボルクが心配した様に声を掛けてきた。
「あ、ボルク」
振り向いて口を開いた瞬間だった。
身体が、大男の方へと引き寄せられる。
慌てて顔を見ると、黒と灰の色がよく似合う怒りの表情をしていた。
そして、体勢を整えるために手を伸ばした事でヘイスは気づいてしまう。
大男の右腕が、存在しない事に。
唸り声を上げて男はボルクを睨んでいた。
対するボルクは、それを聞いて僅かに身体を震わせる。
「こんな所で会うとはな……まだこの町に居たのか、臆病者」
先に口を開いた男は、蔑む様にボルクを見てそう言った。
「ロア」
ボルクは、男の名前を呼んだ。
それでより一層眼光が鋭くなる。
「懐かしいな、お前に裏切られて無くなった右腕が今でも疼くぞ」
風が吹くと、ロアの服が宙に躍るが、
右腕の根元から先だけは中身が無いせいで不自然にはためいていた。
「……その槍、今もまだ俺の元に居た時と同じ仕事をしているのか?」
ヘイスの護衛のために持っていた槍をロアは見ていた。
ボルクは黙ったまま俯いていたが、ヘイスの事を気にしているのか一歩前に出た。
「ヘイスを返してくれ」
「ヘイス? ……ああ、この坊主か」
ボルクを見て警戒したロアは反射的にヘイスも自分の元へ引き寄せていたのか、
仲間だと知ると、ヘイスにも一度睨みを利かせた。
暫くの間そうしていたのだが、
先程の様に不意にロアの表情が変化した。
今度は、泣き出しそうにすら見える程覇気が感じられない顔だった。
「……こいつも、あの時の俺の様に見捨てるのか?」
「違う、俺は……見捨てた訳じゃ」
どうにかボルクは歩み寄ろうとするのだが、ロアの身体は瞬間的に前に出ると蹴りを繰り出していた。
防御する気さえ既に起きていないのか、腹に減り込んだ後ボルクの身体が僅かな時間宙に浮く。
「ボルク!」
今まで静観していたヘイスが漸く言葉を発した。
ボルクは何度か咳き込んではいたが、すぐに立ち上がって再びロアに歩み寄っていた。
「逃げないのか」
ロアはただ笑っていたが、ボルクの動きを見届けるとヘイスを縛っていた腕を解いた。
一度屈むとそのヘイスの顔を見つめる。
「悪かったな、怖がらせた」
右肩を押さえてロアは詫びた。
「あいつには気をつけろよ」
まっすぐに立つと、左腕を上げながらロアは人込みの中に姿を消した。
後姿を見ていたのだが、ボルクの事を思い出すと慌ててヘイスはその元に駆け寄る。
「大丈夫?」
「ああ」
問い掛けられたボルクは腹を押さえていたが、
受身は取ったのかそれ以外に痛めた所は無い様だった。
「ボルク、さっきのロアって人」
ロアの言葉が気になって、ヘイスは名前を出したが、
ボルクは視線を逸らすだけで、それには答えなかった。
身体が震えていた。
視線の先には、座り込み自分を見つめるロアの姿があって、
その右腕は、食い千切られたのか途中で切れて血が溢れていた。
ロアが口を開いて、なにかを言っていたが、
自分には、なにも聞こえなかった。
生地と睨めっこをして、ヘイスは唸った。
「調子はどう?」
本を片手に持ち部屋に入ってきたバーツが問い掛けた。
ヘイスが居るのはバーツの部屋で、ラートムの服を作っているところだった。
時折バーツに作りかけの服を見せては助言を貰う。
「へぇ、結構器用なん……」
バーツが途中で言葉を切ったのは、ヘイスが指に針を刺したからだった。
大慌てで針を抜くと、傷口から滲み出した血を指ごと咥えて舐め取っていた。
血が止まるのを確認すると、魔法で治療を施す。
身体をよく見れば、結構な量の魔力を消費していて、
こんな無茶なやり方を随分と続けていたのだろう。
「頑張るね」
隣にバーツは座ると、魔力を渡した。
「ラートムさんから頼まれた、初めてのお仕事だから」
礼の次にヘイスはそう言って頷いた。
「バーツ、聞きたい事があるんだけど」
生地から目を離さずに、ヘイスが言葉を発した。
バーツは本に落としていた視線をヘイスに向ける。
「ロアって人、知ってる?」
その言葉で、バーツは頭の中にロアという人物を浮かべた。
暫く無言だったがある程度頭で整理するとバーツも口を開く。
「この町で、僕達のギルドとはまた別のギルドの長だね」
知らないはずはなかった、名だけなら向こうのギルドの方が有名なのだ。
そして、以前ボルクが所属していた場所でもあった。
「昨日、ボルクと町にいたらその人に会ってね」
ぽつりぽつりとヘイスは言葉を零す。
ボルクはなにも言わず、ギルドへ戻ってくると姿を消した様だ。
今日になっても姿を現さず、部屋に行ってみたのだがいつの間に抜け出したのか蛻の殻だったと言う。
「バーツは、ボルクと前から知り合いだからなにか知らないかなって」
話し終えてからヘイスはそう続けた。
ディストの言葉では、バーツがボルクをここに連れて来た事になっていた。
それを聞いてバーツは顔を顰める。
ロアとボルクの間になにがあったかは、本人から直接聞いた事も昔あったが、
それを今ヘイスに話して大丈夫なのかが心配なのだ。
「僕の口から話しても構わないけれど、ボルクは困るんじゃないのかな」
それでヘイスは俯いた。
二人の間に相当な溝があるのだけはわかっていたのか、流石に本人に内緒で聞き出すのは躊躇ったのだろう。
「大丈夫だよ、ボルクからその内話してくれると思うよ」
浮かない顔を見て、慰めの言葉を掛けた。
それとは別に、ボルクが本当にヘイスの事を想っているのならば何れ自分の口から話す事だとも思ったからだった。
それを聞いてもヘイスは迷った様子を見せていたが、バーツが手が止まっているのを指摘すると慌てて作業に戻っていた。
「信じてあげなよ、ボルクの事」
最後に、バーツは短く言った。
「……うん、ありがとう」
「どういたしまして」
言葉の通り、ボルクを信じてヘイスは服作りに没頭していた。
堅い壁に勢い良く背中が叩き付けられる。
痛みに声を上げた後、身体がずり下がりボルクは地面に座り込んだ。
「ボルクよぉ……お前、まだいるのか」
昨日と同じ様な言葉を目の前の大男は口にした。
「ロア……」
自分を見下ろしているロアを、見上げた。
その顔は怒りに染まっていたが、不意に表情が歪むと存在しない右腕の付け根を左手で押さえた。
腕や足を無くした者は、時折そうして無くなったはずの身体の部分から痛みを感じる事があるらしく、
それにロアも例外無く悩まされ続けているのだろう。
だからこそ、目の前で自分に向けられる敵意は色褪せる事なく続いているのだと思った。
ロアが右腕を無くした原因は、自分にあった。
数年前、ロアのギルドに所属していた頃。
その時はまだ今の様に治安も穏やかではなく、魔物の被害も大きかったのだ。
ある日、他の者が出払っている時に魔物が町に来た。
ロアは力の限りそれに抵抗をしていたのだが、それにも限界があった。
そして、今の自分の様に壁に追い詰められたところにボルクは駆けつけた。
町の惨状を目の当たりにした自分の身体は、魔物の迫力に圧倒されていて、
立ち竦む目の前で、ロアの右腕は魔物に食い千切られた。
最初は腕に目を向けていたロアだったが、途中からはこちらを見ていて、
そこから然程時間を置かず、記憶が消えた。
気づけば、ギルドを飛び出して町の中を呆然と歩いていた。
その後、ロアのギルドが閉められなかった事を知って生きているのは知っていたものの、
あの瞬間の表情が忘れられないボルクは、帰る事ができなかった。
町中で行く当ても無くただ歩いていたところをバーツと出会って今のギルドに入る事になった。
自分の元を去り、挙句別のギルドにのうのうと身を寄せる。
それも、ロアは許せないのだろう。
大きな刀を左手で持つと、剣先を喉に突きつけられる。
昔は右腕にもそれを持って暴れ回っていたと、なんとなくそんな事が頭に浮かんだ。
視界の隅に先程まで自分が持っていた槍が転がっていた。
抵抗の意志も既に無く、ロアがそれを選ぶのならと
ボルクは覚悟を決めた。
かつての自分が憧れていた男だ。
「また、俺を裏切るのかお前は」
その言葉と同時に、凶器が引かれた。
諦めた様な顔のロアと目が合った。
「お前の気が済むなら、それでいい」
随分と逃げ回った今になって、漸くその言葉が言えた。
それでもロアは刀を収めると大きく息を吐いた。
暫くお互いが無言のままだったのだが、大通りから大きな音が聞こえて揃って顔を向ける。
細い道の向こうでなにが起こっているのか最初は理解できなかったのだが、
一瞬だけ、その先で魔物が通り過ぎるのが見えるとロアは再び武器を抜いて構えた。
「話は後だ、お前も手伝え」
座り込むボルクに目もくれずにロアは細道を進んだ。
数秒後に、雄叫びと魔物の叫び声が響き渡った。
痛む腹を押さえながらも、地面に捨ててあった槍を拾い上げてボルクは立ち上がった。
一度槍を大きく払うと、身体が反動に耐えられる事を確認してからロアの通った道を同じ様に歩いた。
外に出ると、結構な数の魔物が町に入り込んでいたのか、
いつの間にか住民は避難していて、魔物を斬るロアの姿だけがあった。
その背後に近づく魔物に気づくと、無言で距離を詰めて一突きする。
それを見てロアが舌打ちをした。
「腕は落ちてねぇみたいだな」
「三年経ったんだ」
あの頃より、鍛錬は積んでいる。
弱いはずがなかった。
お互いに距離を取ると、周りに居る魔物に無造作に刃を振るった。
槍を振るいながらも、自分の心が冷え切っているのをボルクは感じていた。
ロアの恨みを改めて知って思う様に力が出ないのだ。
三年前のあの頃より強くはなっていたが、それでもいつもの強さがそこには無かった。
刃にこびり付いた血を払って落としながら呆然としていると、
不意にヘイスの顔が心に浮かんだ。
不思議と会いたい気分になる。
この場にヘイスが居ても、足手纏いになるのはわかっているのだが、
それでも、ヘイスが自分には必要な気がした。
そして、それだけが今は足りない気もした。
何匹魔物を片付けた頃だろうか、漸く見えた人込みに気を取られた。
次には、その中にヘイスを見つけてボルクは固まった。
足元に転がる死骸を見てロアは唾を吐き出した。
魔物の襲撃さえなければ、ボルクとの話はまだ続いていたはずだった。
無くした右腕から、痛みが走る。
身体中から怒りが湧き上がるが、これはボルクに抱いているものではなかった。
あの時ボルクを憎んでいたのは確かだが、
それよりも、自分が無様に負けた事が今となっては腹立たしかった。
ボルクに対する態度は、数年振りに出会い自分を見て動揺していたからただ苛立ちが込み上げてきただけで、
殺すつもりも、なにかを償わせる気も無いのだ。
ただ一言、かつて仲間だった者として、
なにかを言ってもらいたかった。
ボルクの動きを見つめる。
数年前とは別人の様で、なにもしていなかった訳ではないのだろう。
それがわかっただけで充分な気がした。
ボルクが走り出した。
視線の先を見つめれば、ボルクの連れだった者が居た。
「ヘイス、だったか」
黙ったままその動きを見つめていたのだが、走るボルクの身体が僅かに傾く。
先程自分が痛めつけたせいなのだろう、それを狙って魔物が襲い掛かっていた。
ボルクは体勢を整えながら一度身構えていたが、次には目を見開く。
気づけば、自分がそこに飛び込んで全ての敵を斬り伏せていた。
至近距離で視線が絡まる。
「ロア」
立ち止まっているその身体を、勢い良く押した。
「あいつは裏切るなよ」
それに、短くボルクは頷いた。
合わせる様に不敵に笑った。
漸く、この男の前で笑えた気がした。
数年前までは、当たり前だった事だった。
視線を前に戻すと足音が遠ざかってゆく。
「運がいいな、今日は」
先程までの、剣を突きつけたその先に自分が進まなかった事を言ったのか。
それを見逃されたボルクの事を言ったのか。
深く考えず、ロアはただ笑ったまま押し寄せる魔物の群に跳び込んだ。
ヘイスの元へと走った。
ヘイスもギルドの一員としての自覚はあるのか、逃げ出す人々をできるだけ落ち着ける様にして、
安全な道を示して誘導をしていた。
進む道を魔物が遮る。
ロア一人では、やはり限界があるのだろう。
槍を構えて跳び込んだ。
先程とは違い身体中に力が漲るのを感じる。
ヘイスに対する想いがそうさせているのだろう。
気持ちに気づいたあの日から、朽ちもせずに
唯一自分が持っていられたものだ。
魔物が飛び掛る。
その攻撃をどう避けるべきなのか。
どこに凶器を刺せば一撃で絶命させられるのか。
本能の様に、それが今は解った。
返り血を浴びながら、息を切らして槍を振るう。
いつの間にか、自分に向かってきていた魔物が全て地に伏せていた。
「ボルク!」
避難の指示を出していたヘイスが自分に気づいたのか、駆け寄ってきた。
自分を心配する顔をしていたが、痛むのはロアにやられた所だけで、
それ以外は全て返り血だった。
距離が僅かなものになると、ボルクは膝を着いて槍を放した。
戸惑うヘイスの様子も気にせずにその身体を抱き締める。
これも本能なのだと、そう想った。
鼻に異臭が届いた。
それで、閉じていた瞼を不快そうにボルクは開く。
顔を顰めながらも、頭の中にヘイスを浮かべると、
それと同時に不快感が徐々に和らいでゆく。
魔法の様なものだと、そんな事を考えていた。
眠る前にそれを浮かべれば、いつも落ち着いて眠れる。
それでも、朝になると心に甦る虚しさが嫌いだった。
不快感が僅かに甦って、腕を顔に乗せると首を左右に動かす。
考える事を途中で放棄すると、身体を横に向けた。
上げなかった腕に抱かれて寄り添う様に眠るヘイスの姿がそこにあった。
昨日の騒ぎの後、夕食を済ませてから治療をしに自分の部屋へとヘイスは来た。
元々魔力を多く持っていなかったのか然程待つ事無く意識が朦朧としてきていて、
なにも言わずにもう一度抱き締めると、限界だったのかそのまま眠りについていた。
身体からは、魔物の返り血の臭いが漂っている。
異臭の正体で、それは自分の身体からもしていた。
返り血を浴びたまま抱き締めたせいだったのだろう。
着替えは互いに済ませていたが、体毛に滲み込んだ血の臭いは拭っても落ちなかった。
自分の身体がはっきりと汚されているのに、
嫌な顔一つせずにこちらを心配するヘイスに、抱き締める力を強くした。
好きだと言いかけて、言葉を呑み込んだのを思い出す。
今は、これだけで充分なのだ。
回した手で背中を何度か撫でると、再び瞼を閉じた。
いつもより少し進んだ夢を浮かべる。
次に起きる時は、不快感にも虚しさにも苛まれないはずだ。
紙を捲る音が、静かな部屋に上がった。
本を読むバーツが出す物音だった。
それを聞きながら、前と変わらない様子でヘイスは服作りに励む。
一度紙を捲る音が聞こえて、次にまたその音がするまでの間にどれ程作業が進むのか。
そんな事に挑戦しながら針を通していた。
徹夜続きで時折眠たそうに欠伸を掻くが、
目尻に浮かんだ涙を払うと再び作業に没頭する。
「結構できたね」
捲る音のすぐ後に、バーツの声が聞こえた。
ヘイスの隣に置いてある服を見ながらそう呟かれる。
試作品として何着かは完成していたが、ラートムに合うのかはまだわからない物だった。
「ところで、ボルクはどうしたの?」
ボルクの問題の事は知られていて、次にそう問い掛けられる。
布に落としていた視線を上げて目を瞑り、ヘイスは何度も呼吸をした。
「お風呂に入ってる」
目に疲労が大分溜まり、瞼が落ちそうなのを堪えて答える。
ヘイス自身は既に風呂に入っていて、身体はまだ少しだけ濡れていた。
ラートムと入ったのだからとヘイスはボルクとも入ろうとしたのだが、
頑なに拒まれてしまい、ボルクが後から入る事になっていた。
事情を察するとバーツが含み笑いをする。
「今度みんなで入ろっか」
バーツの提案に、ヘイスが目を開くと笑って頷いた。
楽しそうな顔で思案に耽るバーツは、きっとディストとボルクをからかう事を楽しみにしているのだろう。
「それにしても、この服……ラートムさんに合うかな」
何着かある試作品の上に掌を置いて、ヘイスが呟く。
次には一度頷くと再び針を持って作業に戻った。
ボルクの言葉通りに気持ちを籠めて作ろうとすると、無意識に掌に魔力が集まるのを感じる。
服を作る邪魔にならないので放置しているのだが、そのまま作った服には微かに魔力が残っていた。
「きっといい服になるよ」
重ねられた服を眺めて、バーツが言った。
部屋の扉が開かれる。
「バーツ、話が……」
ボルクが顔を覗かせたのだが、ヘイスが居るのを知るとその身体が固まる。
それにバーツは笑っていたが、本を閉じると立ち上がった。
「ごめんボルク、僕今からディストに用があるからまたね」
ヘイスにも軽く声を掛けてからバーツは歩きはじめた。
横を通る際にバーツに手を振られて、ボルクはそれを睨むが涼しい顔をされただけで姿を消される。
扉の閉まる音がすると二人だけが部屋に取り残された。
ヘイスの顔を見て、ボルクは言葉を詰まらせる。
「ヘイス、身体はもういいのか?」
話題は見つからなかったが、昨日の事が気になってその言葉を口にする。
身体は濡れており、いつもより扇情的で思わず息を呑んだ。
「平気だよもう、よく寝たからね」
よく眠れたのはそれだけ魔力を使い過ぎたせいでもあるのだが、笑ってそう返される。
そのまま暫く、ヘイスは黙々と服を作る作業に戻った。
無言でそれを見ていたが、料理を作る時もそうだったのでヘイスも気にしていない様だった。
「なにも……訊かないのか?」
途中で顔を上げて大きく息を吐いたところで言葉を発する。
ヘイスが自分に視線を移すと首を傾げた。
「ロアの事だ」
あれだけの事があって、気にならないはずがないだろう。
今日になってもヘイスがそれについてなにも言わないのが腑に落ちなかった。
ロアの腕が何故無くなったのか。
全てを知れば、ヘイスは自分を軽蔑するのかも知れない。
それを心配してか、いつの間にか自分の表情が曇っているのに気づいた。
こんな顔をしていてはいけないと思い直した頃に、自分を見ていたヘイスの表情が不意に和らいだ。
「大丈夫だよボルク」
不安そうな自分の顔に向けて当てられた言葉に、聞こえた。
「ボルクはしっかり帰ってきたんだし、だから……訊かなくても大丈夫だよ」
「……」 「それに、その内話してくれるんでしょ?」
冗談交じりの様な声で更に言葉が続く。
それに、口元が綻ぶのを感じた。
「ああ……その内きっと話す」
遠くない日に、その日が訪れる気がした。
ヘイスなら、全てを知っても受け入れてくれるかも知れない。
だから好きになったんだろう、心の中で声がした。
真新しい服に、袖を通した。
羽織ると、身体によく馴染んだ様な気がした。
「どうですか? ラートムさん」
心配そうなヘイスの声だった。
自分の名前がその口から吐き出されると、頭の中に言葉が強く響く。
誰かが自分を想って名前を口にすれば耳に届く様に魔力でそうしていたからで、
然程気にせずヘイスを見下ろすと、ラートムは微笑んだ。
「ああ、丁度いい感じだ」
少し緩めに作られた服は、竜人の身体によく合っていた。
内心はそこまで期待していなかったからか尚更喜びが湧いてきていた。
太い尻尾を何度か揺らして、引っ掛からないか試してみたがそれも特に気にならなかった。
ラートムの様子を見るとヘイスも顔を綻ばせる。
「とりあえずこれでしばらくは大丈夫ですね」
予備の服を、そのまま引き出しの中にしまいながら言われる。
「ありがとうヘイス、いい腕をしているな」
褒め言葉に、振り返ったヘイスが照れ臭そうに俯く。
「なにか私で役に立てる事があったら言ってくれ、礼がしたい」
「えっ」
まさかそこまで言われるとは思っていなかったのか、驚いた顔をされるが、
次には少し表情を暗くさせた後ヘイスが口を開いた。
「だったら一つお願いが」
なにも返さず、その顔を見つめる。
「……どうしたら強くなれますか?」
そんな事を言われてラートムは戸惑ってしまう。
事情は上手く察せないが、強くなりたいという気持ちを持っている事は知っていた。
一人で鍛錬を重ねているところは何度も見た光景だ。
「今の鍛錬では不満なのか?」
「……全部見てたんですか?」
「私もあそこで昼寝はするからな」
草村の中で眠る事もあり、そういう場合は誰からも見つからず、
ヘイスの鍛錬をしている姿もよく見かける事ができた。
時折ボルクも一人で鍛錬をしていたのが頭に浮かぶ。
「確かに前よりは魔力は強くなったんですけど、あんまり強くなれなくて」
そう言われて、ヘイスの身体を凝視する。
確かに魔力の量は、自分には遠く及ばなかった。
ディストより多少は多い程度だろうか。
心の中で、ディストに対して苦笑いが零れたが表情に出さずにラートムはしゃがみ込む。
「急ぐ気持ちもわかるが、あまり無理をするのは感心しない」
急いでどうなるものでもない、長く生きてきてそれはよくわかっていた。
ヘイスも解ってはいるのだろうが、それでも気持ちは逸るのだろう。
一つ息を吐いて、ラートムが腕を伸ばした。
「ひとつ、術が無い訳でもないが……」
ヘイスの肩に手を置いた。
俯いていたヘイスと視線が合わさった。
「ラートムさん?」
なにも言わなくなったラートムを不審に思ったのか、ヘイスが名前を呼んだ。
それが、頭の中に響くのを感じ取るとラートムは肩に掛けていた手を下ろした。
「すまないな、やはり役に立てそうに無い」
「そうですか……」
空気が変わっていた事にヘイスは動揺していたのか、
少し遅れてから返事をしていた。
「言える事は、今やっている鍛錬は無駄なものではないという事だな。何れはお前の力になる」
「……ありがとうラートムさん」
結局具体的な意見を述べる事はなかった。
自分にこうして尋ねたという事は恐らくはバーツにも教示を願ったのだろう。
だから、今ディマロスからヘイスに言える事はほとんどなかった。
バーツならば自分の意見と大きく違えることはしない。
「それじゃラートムさん、服が足りなくなったらまた言ってくださいね。もちろん、他の事でも」
扉を閉める間際にヘイスはそう言った。
手を振って扉を閉めると、廊下を歩く音が聞こえる。
鼻歌混じりの声が聞こえてラートムは少しだけ口元を緩ませた。
足音が遠退くのを感じながら扉に背を向ける。
暫くはそのまま、窓から外の景色を見ていたのだが、
不意に閉められた扉が開く音が部屋に響いた。
「ラートム」
振り返ると、睨む様にディストがこちらを見ていた。
「なにもしてないだろうな」
「なにとは?」
「とぼけるなよ」
そう言われて、ラートムの口元だけが笑う。
「安心しろ、別にまぐわう気は無い」
強くなれる方法は、確かにもう一つだけあった。
竜人は普通の人とは違い強い魔力を持っている種族で、
その竜人と交われば、誰でも簡単に力を付ける事ができる。
ラートムが最後に言い、躊躇ったのはその事だった。
ディストもその事は知っている。
躊躇っていた時に壁の向こうから殺気を感じていて、
元々乗り気でも無かったので結局ヘイスに対しては誤魔化す事になった。
する気が無いと言っても、ディストの表情は変わらなかった。
「信用されていないな」
「信用はしている、してなかったらここに置いておくつもりはない」
なら信頼はしてくれていないのか。
口に出したかったが、結局それ以上は言わなかった。
妙な事を言えば衝突するだけだった。
「とにかく、妙な真似はするなよ」
ヘイスを心配する気持ちと、竜人の力に畏怖の念を抱いているのだろうか。
表情を変えずに強い口調でディストは言う。
ラートムは黙ったままだったが、視線を合わせると微かに笑い声を上げる。
「一番力が欲しいのはお前じゃないのか?」
言葉にディストは目を見開く。
次には一度唸ると、ラートムの服を掴もうと手を伸ばすのだが、
その服がヘイスが心を籠めて作った物だということに気づくと慌てて腕の動きを止めていた。
「……俺は自分の力だけで強くなる」
吐き捨てる様に言うと、ディストは背を向けて部屋を後にした。
ヘイスとは違い乱暴な足音が聞こえる。
ディストの足音も遠くなると、漸くラートムは一人になる。
窓の外を見ながら着ている服に手を伸ばした。
「……ありがとう」
陽の光が頬を輝かせる。
服に、真新しい染みが作られる。
最初にできた穢れだった。