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6.空色の肌

 控え室の椅子に座るとヘイスは身体から力を抜いた。
「おつかれさまヘイス、もうほとんど魔力が無いね」
 ヘイスの様子を見てバーツが言う。
 相手の魔法を自分の物にすること自体はそれほど疲れる事ではなかったが、
その後それを相手に放った事と、傷を治すために魔法を使った事が祟っていた。
「しばらく出番は無いから平気かな?」
 目を閉じると、心を落ち着かせる。
 ふと不思議な気配を感じて目を開くと、視線の先に握る杖があって、
それがあの時の様に光っていた。
 心を許す様にすると身体の中に失った力が戻るのがわかる。
「便利でしょ」
 顔を上げるとにっこり笑うバーツと目が合う。
 口を開こうとした時、歓声が聞こえた。
 何事かと外へ視線を向ける。
「確か今はボルクの番だったね」
 それを聞いてヘイスが立ち上がる。
 バーツが身体を軽く支えると、二人が外に出た。
 眩しい光に一瞬だけ視界を奪われるが、慣れると先程まで自分が戦っていた石段が見えた。
「ディスト、どうなってるの?」
 先に試合を観戦していたディストに向けて問い掛ける。
「なんだ、もうきたのか? 思ったより相手が強いみたいでな」
 揃って視線を向けるとボルクの姿があったが、
表情は険しく相手を警戒していた。
 その相手を今度は見ると、ヘイスが思わず声を上げた。
「さっきの人だ」
 試合が終わり、三人の元へ戻ろうとして倒れそうになった時に支えてくれた人物がそこに居た。
 相変わらず大きな外套の布で全身を纏っていて姿は掴めなかったが、身長はディスト達の誰よりも高かった。
「かっこいいねぇあの人」
「けっ、スカし野郎が」
 隣では勝手な評価を二人が口にしていたが、あまり耳を傾けずにヘイスは事の成り行きを見ていた。

 互いに静止した状態で相手を見つめていた。
 風が吹くと、相手の纏う布が揺れる。
 槍を低く構えると床を蹴ってボルクは跳び込んだ。
 横に大きく払うと相手は軽くそれを避けるが、気にする事無くそのまま返して二撃目を食らわせる。
 それと同時に相手が不自然な程後ろに跳んでそれも避けられた。
 途端に魔力を感じてボルクの方も下がる。
 相手が床に手を向けると、魔法が生まれたのか激しい音を立ててボルクを追いはじめる。
 何度か後ろに跳んで体勢を整えてから、持っていた槍を振り上げて刃の部分に魔力を籠めた。
 そのまま、目の前まで迫る力に向けて振り下ろすと硬い石の床を砕く。
 それで魔法を殺す事には成功したが、そこから伝わる力の強さに若干の不安が過ぎった。
 槍を引き抜くまっすぐに視線を送る。
 相手は楽しそうに自分の動きを観察していた。
 大きく息を吐くともう一度槍を構える。
 勝てる相手なのかはわからなかったが引く訳にもいかないのだ。
 バーツと話をして聞いた程度なのだが、ヘイスの働き先で良くない事があったのは知っていた。
 それでもヘイスが明るく振舞うのを見るとなにも言い出せなくて、
自分にできるのはこうして少しでも競争相手を減らす事だとボルクは心に決めていた。
 そうすれば、ギルドの内の誰かが優勝できるのだろう。
 胸の決意を心で読み上げると身体中に力が渡りはじめる。
 再び相手の胸元に跳び込むと、渾身の力を籠めて槍を打ち出すが、
際どい位置でその身体が宙に跳んだ。
 一瞬怯んだ後にその姿をしっかりと見て突き上げる様に攻撃を繰り出したが、
相手が身体を捻ると、宙に躍る布だけを槍が貫通する。
 捻った力をそのままに腕を振り回すとボルクの首に向けて手刀が振り下ろされる。
 届くよりも先に槍で受け止めたが、身体全体を押さえつけられる衝撃に呻いた。
 身体の動きが止められている間に、ふわりと相手が目の前に着地して漸く余った掌に魔力が在るのに気づく。
 微かな笑い声を耳に聞いたと同時に、完成した魔法を腹に受けて身体が吹き飛んだ。
 僅かに宙を飛んだ後、床に身体を叩きつけながら何度も転がった。
 動きが止まると、上手く動かせない身体を心で叱咤しながらも床に手を着いて起き上がる。
 力が入らないのは先程の魔法のせいなのだろう。
 震える自分の足を見つめながらも、槍をしっかりと構えた。
 残った気力でどうにか一歩踏み出したが、
視界が暗くなると、気が遠くなって受身を取る事もできずに倒れた。


 身体中に違和感を覚えながら瞳を開いた。
 視界の中には、自分を心配そうに見つめるヘイスが居て、
目が合うとその顔が安堵に包まれた。
「ボルク、大丈夫?」
 大丈夫だと返そうとして言葉が上手く出せず、
代わりに軽く手を上げようとしたが、僅かに浮いただけでそのまま腕を下ろす事になる。
「……試合は」
 何度も口を動かしてから、漸く言葉を発した。
「ボルク、気絶しちゃったから」
「そうか」
 負けたと言わないのは、気遣っているのだろうかと考えるのだが、
今目の前で自分を哀れんだ目で見られる方がボルクには辛かった。
「バーツやディストは?」
「まだ大丈夫だよ、僕はボルクと同じ人に当たって負けちゃった」
 それを聞いて慌てて身体を起こした。
 身体中に力が戻るが、それでも眩暈を感じると景色が斜めになる。
 気づけばヘイスに身体を支えられていた。
「ヘイスは、大丈夫なのか?」
「僕は手加減されたから大丈夫だよ、バーツも次がその人なんだけど大丈夫かな?」
 ヘイスの試合は試合と言える程のものではなかった様だった。
 あれ程の力量を持つ相手なら、ヘイスの強さなど見抜いていたのだろう。
 自分程酷い目には遭っていないとわかると、何故だか身体の痛みも和らいだ。
 バーツの事は力を信じているのであまり心配は掛けなかった。
 無理だと判断すればすぐに諦める判断力もあるだろう。
 落ち着くと改めて自分が負けたのだということが頭に飛び込んでくる。
「すまない」
 できるのならば、自分が優勝をして少しでもヘイスの気を楽にさせたかったのだが、
それが今では無様に負けて情けない姿を晒していた。
 悔しさと哀れみが混ざった顔をヘイスが見ていたのだが、それが不意に笑う。
「大丈夫だよ。まだディスト達がいるんだし、頑張ったよボルク」
 支えていた身体をゆっくり倒されると目が合った。
「それに優勝できなくたって僕が仕事頑張ればいいんだしさ」
 それが嫌なのだと、口を開くのだが
途中で閉じると少しだけ笑った。


 陽の光を浴びて、バーツは欠伸をした。
「……真面目にやれよ」
 後ろではその様子を見たディストが、眉を顰めて注意をした。
 片手を上げて適当に応えると階段を上って石段の上に立つ。
 視線の先にはヘイスとボルクを打ち負かしたあの相手が居た。
 表情は伺えなかったが、笑い掛けるとバーツが歩み寄る。
 向き合うと、威圧されて背中に冷たい汗が流れた。
 試合開始の合図が出されると、それと同時に高く手を上げる。
「すみません、棄権します」
 笑いながらバーツは言った。
 沸き上がっていた会場から途端に音が消える。
「おい、どういう事だ!?」
 笑顔のまま振り返ると、階段に辿り着いた辺りでやってきたディストが言った。
 あまりにも突然の事に思考が止まっていたのだろう。
 表情は怒っているとも言い難く、戸惑いの色を滲ませていた。
「だから棄権」
「まだ戦ってもいないだろうが!」
「後ディストよろしくね、次決勝なんでしょ?」
 碌に相手もせずにバーツはさっさと歩き出す。
 会場は静けさに包まれていた。
 此処まで派手に魔法を使っていたせいか、注目されていたのだろう。  自分が戦いもせずに負けを認めたのを見て驚いたのか、野次の一つも飛ばない事を意外に思う。
 ボルクの様子を見に行こうかと方向を変えると同時に石段の上の相手に視線を送る。
 軽く手を上げると、相手もそのまま振り返って姿を消した。

 扉を開くとヘイスとボルクを視界に収めた。
「ごめん負けちゃった」
 片手を上げるとそう言って歩み寄る。
 それを聞いてヘイスが不思議そうな顔をした。
「あれ? どこも怪我してないけど」
 棄権した事をまだ知らないヘイスはそれを口に出す。
 それを聞いてボルクも訝しげに見つめていた。
「それよりヘイス、ディストが決勝に残ったから励ましてあげてよ。ボルクは僕が見ておくからさ」
 肩を掴むとヘイスの身体を部屋の外に押し出す。
 押されながらもどうにか返事をすると、ヘイスが部屋から姿を消した。
 足音が遠ざかるのを確認するとボルクが横になっているベッドへと腰を下ろす。
 二人分の体重を支えると、軋んだ音が静かな部屋に響き渡った。
「派手に負けたね」
 首を横にして見下ろすと、ボルクと目が合うがすぐに顔を逸らされた。
「元気出しなよ、結構頑張ったよ」
「ならはっきり言うな」
 そう返されて思わず苦笑いが零れた。
「格好よかったよ、ヘイスも惚れちゃったかもね?」
 ヘイスの名前を言葉にすると、途端に無表情が崩れる。
 最近ではこれがお気に入りの一つになっていた。
「あいつは何者なんだ? お前が棄権したんだろう」
 流石に怪我も疲れた様子も見られないのを見て察したのか、
棄権した事はボルクには見通されていた。
「ボルクが勝てない相手に僕が勝てる訳ないじゃん」
 それを聞いてボルクが再び視線を合わせたが、やはりすぐに逸らされる。
 なにも言わずに手に魔力を集めると、投げ出されている腕を掴み取った。
 選手として出ている間はボルクの治療は行えなかったので、漸く治療を始めていた。
 戦いもせずに負けを認めたのはボルクの治療に差し支えるとも思っていたからで、
想像していたよりも具合が良い事に安心した。

 十数分程、静かに治療を続けていた。
 この調子なら決勝までにはどうにか身体は動かせるのだろう。
「それで、どこまでいったの?」
 一度魔法を消すと、顔を覗き込んでバーツは問い掛ける。
「なにがだ?」
「なにって、ヘイスとキスくらいしたのかと」
 ボルクの目が最大まで見開かれる。
 堪えようとしたのだが、思わず口から空気が洩れて慌てて掌を当てた。
 それを見て照れた様な顔をボルクがする。
「冗談冗談」
 ボルクがヘイスの事を想っているのは大分前からわかっている。
 人とあまり関わりたがらない性格なのに、ヘイスの事になると対応が違うのだ。
 応援したい気持ちと、邪魔をしてからかいたい気持ちが交差してにっこりと笑う。
「お前はどうなんだ」
 笑っていると、反撃とばかりにボルクが言葉を発する。
「僕? そうだね」
 遊ばせていた手を伸ばすと、ボルクの頭の上に下ろす。
 僅かに声が上がった。
「僕はどっちでも、ボルクも好きなんだよね」
 嫌がるのを無視して何度も撫でると、整えられた毛並みが乱れる。
 手を引くとなにかを言いたそうにボルクは自分を見ていたが、
笑い掛けて腕を取って治療を再開するとそれきりなにも言わなくなった。

 石段の上にディストは立った。
 観客席からは歓声が聞こえてそれを黙ったまま耳に入れる。
 視線の先にはあの人物が居た。
「ディスト」
 まっすぐにそれを見つめていたところで声がした。
 振り返って見下ろすとヘイスがそこに居たのだが、
自分の顔を見ると、怯えた目をしていた。
「悪い、緊張してるんだ」
 笑い掛けてそう言うと、ヘイスも頷いた。
「無理しないでね」
 ボルクの事を思い出したのか、心配そうにそう言われた。
「なに言ってんだ、優勝持ってきてやるよ」
 手を振ると歩き出した。
 今の自分の顔は、ヘイスが怯えたものに戻っているのだろう。
 それでも相手を倒すには必要な事だった。
 手加減をして勝てる様な相手には見えなかったのだ。
 剣を握る手の力を強くしてから、大きく息を吐いた。

 向かい合うと手に持つ剣を構えた。
 試合開始の合図が出されると、ボルクと同じ様に床を蹴って前に出る。
 なにも考えずに振り上げた剣を無駄な動き一つ無く振り下ろした。
 次には、目の前に居たと思っていた相手が隣に居るのに気づく。
 それを眼で捉えると、そちらに刃を向けた。
 首筋に刀を当てたが、相手は動じる事も無く二人が対峙していた。
 刎ねる事はしない、命を取る事は禁じられている。
 相手もそれを知っているから避けないのかも知れなかった。
 ふと、今までなにも喋らなかった相手から笑い声が聞こえた。
 それを聞いて、自分の口元にも笑みが浮かんだ。
 一度距離を置くと勢いを付けて再び跳び込む。
 斬りつけるより先に相手が魔法を放った。
 魔力の塊を、刀身に薄く魔力を注いで無造作に斬る。
 風が強く吹いて相手の纏う外套が何度も揺れる。
 また笑い声が聞こえた。
 癇に障るその笑い方が頭に血を昇らせる。
 大きく踏み込むと剣を払うが、今度はいつの間にか懐に揺れる布があった。
 ボルクとの戦いを思い出して、魔法に対してディストは身構えるのだが、
「そんなに私を倒したいのか?」
やってきたのは、そんな言葉だった。
 その声に目を見開く。
 笑い声が、耳に届いた。


 二人の戦う様子をヘイスは見つめていた。
「ヘイス、調子はどう?」
 背中に声が届いてヘイスは振り返る。
 ボルクを散々からかってきたのか、清々しい顔のバーツが居た。
「僕はもう平気、ディストは……」
 バーツと一緒に視線を向ける。
 相手が、ディストの懐に飛び込んでからお互いが立ち尽くしたままだった。
 それにバーツは首を傾げる。
「急に止まっちゃって、それにディストの表情が」
 先程までは、いつも見ていた軟らかい表情はどこにも見当たらなかった。
 思わず別人になってしまったのかと思う程の顔をしていたのだが、
今はその消えてしまったいつもの顔が驚きを表していた。
 それを見ると、バーツが笑い声を漏らした。
 それに今度はヘイスが首を傾げる。
「大丈夫、見てようよ」
 バーツがそう言うので、ヘイスは視線を前に戻した。

 目の前に居る相手を、ディストは見下ろす。
「……どうしてお前が」
「どうしてもなにも、仕事を済ませたから戻っただけだ。
バーツにも呼ばれたからな」
 それを聞いてヘイスの隣に居るバーツに視線を送ると、
にっこり笑っていて、それを睨んだ。
「あの野郎」
 ディストの怒る様子に、また相手が笑った。
「今は試合を続けようか」
 その言葉に慌てて視線を戻すと魔法の光が見えた。
 後ろに飛び去るが、どうやらただ光らせただけの様で、
不意打ちをする気は無いのだろう、剣を構えた。


 再び戦いが始まってから、結構な時間が経った。
「なんだかディスト、楽しそう」
 ディストの表情は冷たい顔ではなく、いつもの笑う顔になっていた。
 それでも、その動きだけは今まで見ていたどの動きよりも機敏だった。
「気づいたんだね、もう」
「気づいた?」
 バーツに視線を送るが、そのバーツは二人の戦いに魅入っていた。
「ほら、決着つくよ」
 ディストが、大きく踏み込んだ。
 今までとなにも変わらないその動きに、また易々とかわされるのではないかとヘイスは思った。
 思った通り、払った剣は相手の布を斬るだけで直接当たりはしなかったのだが、
次の瞬間にはその斬られた個所から炎が上がった。
 魔法が不慣れなのもあってディストは魔法をほとんど使っていなかったのだが、
いつまでも決着が着かない事に焦れたのだろう、剣先に魔法を唱えていた。
 燃え易い素材なのか、すぐに相手は火達磨になる。
 ヘイスが心配をして身体を動かした。
「大丈夫だよ、あの人なら」
「でも」
 バーツが、腕を回してヘイスを引き寄せた。
 仕方なく様子を見守っていると、突然火達磨だった相手の炎が不自然な程一瞬にして消え去った。
 正体を隠していた外套が焼失して残ったのは、
ヘイスが今までに見た事の無い、異形の姿をした人だった。

 会場にどよめきが走った。
 普段はなかなか見る事の無い種族に驚いているのだろう。
 目の前の、竜人をディストは黙って見つめた。
 原因の竜人は、身体についた布の燃え残りを暢気に手で払っていた。
「よく出られたもんだな、前回の優勝者さんが」
 ディストの言葉に、不機嫌そうに顔を上げていた。
「だからこうして変装と偽名まで使ってきたんじゃないか」
 そう言って振り返ると石段の端まで竜人が歩きはじめる。
「お、おい」
 それを慌ててディストが引き止めた。
「私の負けだ、気に入っていた服が台無しになったんでな」
 手を振ると男はそのまま石段から飛び降りた。
 数秒すると、場外の知らせが流れて次には勝者にディストの名前が読み上げられた。
 会場から送られる歓声を、釈然としない様子でディストは受けた。



 授賞式を済ませると、ディスト達は闘技場の出口に差し掛かっていた。
「よかったね、優勝できて」
 ヘイスが受け取った賞金を見て嬉しそうにそう言った。
 その笑顔を見て漸く起き上がれる様になったボルクも口元を緩ませる。
 当のディストは、相変わらず不機嫌そうな顔をして歩いていた。
 半ば棄権された様な勝ち方をしたせいもあったが、
受け取った賞金をすぐにバーツに没収されたのも大きかった。
 隣に居るバーツは、賞金を抱えてにこやかに笑っていて、
自分一人が取り残された様な気分に陥る。
「おい、バーツ」
「なに?」
「どうして言わなかったんだ?」
 決勝戦の相手の事を、バーツは知っていたのだろう。
 でなければ、あれほど簡単に棄権などするはずもなかったのだ。
 今更それに気づいた自分にも腹が立った。
「驚かせようと思って、ビックリしたでしょ?」
「そりゃあ……驚くだろ」
 その返しに呆れて、身体中から力が抜けはじめる。
 闘技場の出口が見えた。
 その場所にあの竜人の姿があった。
 服が燃やされた事により、ほとんど素肌を晒していて
 唯一下着の様に身に着けている物は別の素材だったのか、どうにか残っていた。
 夕焼けに照らされたその身体は、鮮やかな青と白の青空の色をしていて、
夕焼けの今は、どこか奇妙な違和感を与えていた。
 周りの人々がその場所を通る度に、その姿を何度も見つめてゆく。
 見つめられている本人は、視線など気にした様子も見せずに腕を組んでいた。
 閉じていた瞼がゆっくりと開くとこちらに視線を送られる。
 その身体が動くと、向かい合った。
「久しぶりだな、ラートム」
「ああ、久しぶりだ」
 そう言うと、その口が笑みを形作った。

 ラートムと呼ばれた竜人を、ヘイスは少しだけ身体を竦ませながらも興味深く見つめていた。
 竜人という種族が存在するのは知ってはいたのだが、目の前に居るという今の状況は初めてだった。
 鋭い眼が自分を捉えて尻尾が僅かに震える。
「確か、さっきの」
「あ、はい。ありがとうございました」
 身体を支えられた事が頭を過ぎり、慌てて深く礼をする。
「ヘイスって言ってな、新しい家政婦さんみたいなもんだ」
「そうか、竜人は初めてか? すまないな」
 心のどこかで怖がっているのを見透かした様に、突然謝られる。
「びっくりしただけです、初めて見たから」
 素直にそう返すと、嬉しそうに微笑まれた。
 それに今まで付き合ってきた相手とは少し違う印象を受ける。
「ボルクも元気そうだな」
 ボルクの名前を口にされてヘイスは視線を送るが、
ボルクは、ラートムを見て目を丸くしていた。
「本当に帰ってきたのか」
 ボルクだけは控え室で休んでいたので決勝戦を見ておらず、
バーツの言葉に半信半疑だったのか、目の前に本人が現れて驚きを隠せないでいた。
「すまなかったな、さっきは」
 試合の事を言っているのか、またもラートムが謝罪の言葉を述べる。
「いや、あれは俺が未熟だったからいいんだ」
 相手が誰であったとしても、自分が未熟だから負けたのだというボルクの想いがよくわかる言葉だった。
 全員を見渡すと、一つ息を吐かれる。
 間に、バーツが入った。
「はいはい、立ち話も結構だけど帰ってから話そうよ」
 素早く提案すると、歩みを再開させられる。
「お前は相変わらずだなバーツ」
「ラートムさんも相変わらずで」
 珍しくバーツが敬語を使っているのに、ヘイスは驚いた。
 これで四人目だと思いながら、残りの一人はどんな人なのだろうかと、
そんな事を考えながら、帰路についた。



 ギルドに帰ると、ヘイスは慌しく仕事を始めだした。
 いつもならば既に夕食の準備はほとんど済ませているのだが、今日は大会に出ていてその時間が無かったのだ。
 更にラートムが加わった事により用意する料理の量も増えて、忙しなく働いていて、
流石に見兼ねたバーツが、隣で調理の助けをしていた。
「二人はやらなくていいからね」
 振り返って、自分達を見つめるディストとボルクにバーツが釘を刺した。
 二人の料理の腕が、とても任せられるものではないことは充分にわかっているのだ。
 それで、ディストは拗ねた様に視線を逸らし
ボルクはそれでもと皿を棚から取り出していた。
 それぞれの反応を見てヘイスが笑い声を上げる。
「待たせた」
 丁度その場にラートムが現れた。
 服が完全に燃やされてしまったので、自分の部屋に戻り着替えをしていたのだ。
 怪談話をしていた時にバーツが入ったあの部屋が、ラートムの部屋だった。
 身軽ながらもなにかの正装なのか、
バーツが村で着ていたあの服と似ていて神秘的な印象を受ける。
「へぇ、ラートムさんまだその服持ってたんだ」
「あまり竜人向けの服が無いものでな」
 残念そうな言葉の割には、気に入ってはいるのか前を肌蹴させてから席に着いていた。

 出来立ての料理を素早く運ぶと、程無くして食事が始まる。
 いつもはなにかしら会話が飛び交うのだが、全員が大会で体力を消耗して腹を空かせているのか、
ただ目の前にある料理を口に運ぶことに没頭していた。
 全員の食べる様子を暫くヘイスは見つめていたのだが、次にはラートムの事が気になりそちらに視線を向ける。
 竜人には竜人の好みがあるのだろうかと考えていたのだが、
ヘイスの料理を一口頬張り租借した後、なにも言わずに更に食べているのを見て安心した。
「みんな、お疲れ様」
 労いの言葉を口にした。
「ヘイスもな、結構頑張ったじゃねえか」
 ヘイスの戦い振りをディストは見ていて、顔を上げると漸く会話ができた。
「まあ、一番強いのは俺だけどな」
 自信満々に言うその隣で、それを聞いてバーツが笑った。
「ラートムさんの方が……」
 この場で一番強いのは、恐らくはラートムなのだろう。
 当の本人はそんな事などどうでもいいと言わんばかりに、黙々と料理を口に運んでいた。
「俺が優勝しただろ!」
「不戦勝みたいなものじゃん」
 ディストの言葉にすぐにバーツは反撃をする。
 からかいながらも、もっと戦いが見たかったとバーツは諌めていた。
 棄権をしたのは、もしかしたら二人の戦いを見たかったのかも知れないとヘイスは思う。
「バーツ、からかうのはよせ」
 料理に夢中になっていたボルクが言葉を挟んだ。
「そういやぁ、おまえはヘイスよりも下なんだよな」
 今度は矛先をボルクに向けたのか、ボルクを見てディストが口元だけで笑った。
 それを聞いてボルクが言葉を詰まらせる。
 初戦からラートムと当たったボルクは、一応一度は勝利を手にしたヘイスよりも順位は下になっていた。
 本人もそれは流石に気にしていたのか、それ以上なにも言わなくなる。
「ディストやめなよ。ボルクは僕より強いよ」
 まともにやり合っては、負けるのは目に見えているのでヘイスがすぐに注意をした。
「それに凄くかっこよかったよ、ボルク」
 慰めるためだけにヘイスはその言葉を口にしたのだが、
それを聞いてボルクは勢い良く顔を上げ、こちらを暫く見つめた後慌てて顔を逸らした。
 食べ終えた皿を片付けるために立ち上がったバーツが、ついでに表情を覗き込むとその顔が微笑む。
 ディストはそれが面白くないのか、不貞腐れて再び料理を素早く口に入れていた。
 最後に、ラートムが静かに笑った。

 掌にある光をヘイスは凝視していた。
 大会の賞金でギルドの財政難もどうにか解決して、
いつも通りの生活に戻ったヘイスは空いた時間をこうして魔法の鍛錬に使っていた。
 バーツの言いつけを守り、無理の無い程度の力を使って光を作る。
 光の輝きが消えかかっているのに気づくと、慌てて魔力を抜いた。
 辺りの魔力が消えると同時に、光が一度眩く輝いてから消滅する。
 大きく息を吐いてから額に浮かんでいた汗を手の甲で拭った。
 本当はもう少し続けていたいのだが、
下手に魔力を使い過ぎては動けなくなってしまうのはわかっているので、この程度に止めていた。
 基本的な事を教え終わると、後はヘイス次第だと言いバーツは姿を消してしまい、
最近では一人で鍛錬に明け暮れていた。
 相変わらず、自分の中にある魔力の量もよくわかってはいなかったが、
それでも最初の頃よりは随分と長持ちする様になっていた。
 空をヘイスは見上げた。
 魔法の鍛錬をする時はいつもこの庭だった。
 建物の中へ戻ろうかと考えるが、まだ時間は余っていて、
顔を下げると視線の先に、ふと見慣れないものを見つけた。
 大きな木の下で、木陰に隠れているラートムだった。
 ディストに服を燃やされたあの時と同じ様に、ほとんどなにも身に着けずに
ただ草の上に身体を置いて眠っていた。
 恐る恐る近づくとその姿を見下ろす。
 初めて会った時は竜人という事もあってすっかり怖気づいていたのだが、
目の前で気持ち良さそうにしているその寝顔は、よく見るディストのそれとあまり変わらなかった。
 突然、その身体が起き上がる。
「どうした、もう終わったのか?」
「見てたんですか?」
「少しな」
 どうやらここへ来た時からラートムはこの場で眠っていて、
自分の様子もしっかりと見ていたらしい。
 それでも眠たそうにしているのは、眠りかけていたのだろう。
「ラートムさんは、お昼寝してたんですか?」
「ああ、仕事は済んだからな」
 ラートムが帰ってきたのは、遠出の仕事を粗方終わらせたのもあり、
暫くは休暇が貰えたのだろう、今度は木に背中を預けるとまた眠たそうな顔になった。
 竜人の巨体が寄りかかった事で、僅かに木がざわついた。

 目を瞑りかけているその身体を見つめた。
 竜人と言っても、身体つきは普通の人とはそれほど変わらないのか、
ボルクの逞しい身体と大きな違いは無かった。
 体毛というものが無いので手触りなどは大分違うのだろうが。
「あの、ラートムさん」
 寝息さえ立ちそうな程のその顔を見つめて名前を呼んだ。
 瞼がゆっくりと開かれると静かに見つめられる。
 微かな威圧感に、心が乱れた。
「なんだ?」
 長い間を置いて、言葉が聞こえた気がした。
 実際にはただ自分が目の前の竜人に必要以上に気を張っていて時間が長く感じられただけだった。
「竜人について、色々教えてくれませんか? みんなのお世話をするのが仕事なので」
 本当に漸く、ヘイスは言いたい事が言えた。
 それを聞くとラートムの口元が緩んだ。
 思わずそれに戸惑ってしまうが、ラートムが大地を手で何度か叩くと
ゆっくりとその隣に座ってヘイスも木に身体を預ける。
 ラートムの時の様に、背中の木が揺れる事はなかった。
 そんな事を考えていると、体勢を一度楽にしてからラートムが話しはじめる。
「そうだな、なにから話そうか」
 竜人の口から発せられる少し低い声をヘイスはただ聞いていた。
 世間話から話が始まる。
 ギルドに居るのは、昔バーツに誘われた事。
 見物程度に来てみて、気に入った事。
 昔はバーツの村に世話になっていたという話も聞いた。
「バーツの居たあの村に?」
「ああ、元々竜人は外に出て人との交流をするような生き物じゃない。
唯一そういう交わりがあったのがああいった村で、守り神として居る事だ」
 バーツが微妙な敬語を使って話していたのは、守り神としてのラートムを知っているのだろう。
 その時の癖が抜けない様だった。
「もしかしてあの服って」
「そうだな、村で着ていたものだ」
 全員で食卓を囲んだ時に着ていた、バーツが村で着ていた物と似た服。
 そこまで大切な物なのかと、内心驚く。
「いいんですか? そんなに大切な物を着て」
「構わん、土産として貰った物だしな」
 どうやら今は村の守り神としては活動していないのか、ただの私服になっている様だった。
 その後もラートムは様々な事をヘイスに話していた。
 竜人と言えども、味覚にもあまり差が無いと言われてヘイスは安堵する。
「身体は……そうだな、体毛は無いが大きくは変わらないな。太い尻尾はあるが」
 自らの身体に掌を当ててそう言われる。
「……ここもそうだな」
 ラートムが、視線を真下に下ろしていた。
 ヘイスも同じ様にそこを見つめて、次には慌てて視線を逸らしていた。
 笑い声が聞こえた。
 大会会場で聞いたものではなく、子供の様だった。


「ところでヘイス」
 木陰の中で、心地良い風に吹かれて意識が朦朧としていたヘイスの耳に声が届く。
 慌てて身体を少し起こすとラートムを見た。
「一つ頼みごとがあるのだが」
 微かに音を立てたことで聞こえているのがわかったのか、ラートムは目を瞑ったまま更に言葉を発する。
「はい、僕でよかったら」
 自分に竜人の頼みが聞けるのだろうかと心配が過ぎったが、
世話をすると決めた以上、とにかく引き受けようと自分に言い聞かせた。
「裁縫はできるか?」
「へ?」
 予想していた頼みと、まったく無関係な事を言われて思わず間抜けな声が洩れた。
 当の本人は瞼を開くと、はにかむ様に頬を掻いていた。
「竜人の服というものは……あまり売っていなくてな」
 それで、今はこんな格好をしているのだろう。
 確かに時折ディストと街に買出しに行くが、竜人の服という物をヘイスは今まで見かけた事がなかった。
 守り神の時の服を着ているのもそれが大きいのだろう、気に入ってはいるのだろうが。
「無理かな?」
 裁縫も一応ヘイスは心得てはいるものの、それは通常の簡素な服を作るという話の上であり、
竜人の服など当然作った事もなかった。  ラートムもそれはわかっているのか無理な言い方はしていなかった。
 自分でも上手く作れるかわかりはしなかったヘイスだが、ラートムのせっかくの頼みごとを無下に断る訳にもいかず、
「……下手でもよかったら」
そう言葉を返した。
 果たしてそんな返事でラートムが納得するのか、疑問はあったのだが
それを聞いてラートムが嬉しそうな顔をした。
「本当か? ありがとうヘイス」
 態々こちらを向いて、そう言う竜人の顔は
やはり子供の様で、ヘイスも漸く口元を緩ませられた。

 他愛も無い話を、ラートムはしていた。
 自分がこんな風に話をするのは何年振りだろうかと考える。
 その途中で、ヘイスの返事が無くなっているのに気づいた。
 視線を向けると、木に身体を預けて静かに寝息を立てているのが見て取れた。
 先程まで魔法を使っていたせいもあるのだろう。
 寝顔を見つめた。
 頭の中にある、昔の記憶と重なった気がした。
「……似ているな」
 再び木に身体を預けると、ラートムも再び眠りについた。



 湯の中に身体を浸からせてみた。
 水面が揺れて波立った後、静かにそれは消える。
 時折天井から雫が落ちて音を立てる。
 白く濁った湯と、立ち上る湯気で酷く視界は悪かった。
 ラートムは今風呂場に居た。
 こうしてのんびりと風呂に浸かるのも随分と久しぶりだった。
 依頼を受けた先で、手厚く持て成された事はあるものの、
竜人であるラートムに対する態度は怯えが入り混じっていて、
仕方のないこととはいえ、やはり落ち着かなかった事が多かった。
 風呂場の扉が開けられた。
 視界が悪いので、ぼんやりとした人影しか視線の先には見えなかったのだが、
相手が近づいてきたのか姿が徐々に現れる。
「あ、ラートムさん」
 ヘイスが目の前に居た。
 腰にタオルはしっかりと巻いているが、自分を見て驚いているのは
ここに居るとは思っていなかったのと、まだ少しだけ竜人に対して抵抗があるのだろう。
「さっきは大丈夫だったのか?」
「はい、なんとか」
 ラートムが眠りから覚めた原因はヘイスだった。
 すっかり熟睡していたヘイスは、薄く目を開いた瞬間に
沈む夕日を見たために大声を上げていた。
 その声で起き上がったラートムに慌てて謝ると、そのまま全速力で建物の中へ走っていったのが記憶に新しかった。
 ゆっくりとした様子でその後を追うと、溜まった仕事を忙しなくこなしている姿があった。
「湯加減どうですか?」
「丁度いい、大丈夫だ」
 本当は少し温い気がしているのだが、これ以上上げるとヘイスが熱がってしまう気がして
ただそう返した。
 湯に一度手を浸すと、温いとは思わなかったのか頷いてからヘイスは椅子に座って身体を洗いはじめる。
 タオルから食み出した尻尾が小刻みに揺れていた。
 身体を洗う音に今度は意識を傾けていたのだが、
それが止まると、水面が大きく揺れた。
 少し距離を置いた隣にヘイスが入ってくる。
 タオルは浴槽の縁に置いてあったが、湯が濁っているおかげで表情しか視界には収まらず、
なにかを言おうとしたのだが、旨い言葉が見つからなかった。
「……服の件、本当に大丈夫か?」
 考えている途中で服の事が浮かんでそう尋ねた。
 湯船に浸かって心地良い溜め息を吐いていたヘイスが、顔を向ける。
「大丈夫ですよ。ただ、後で少しサイズを測らないといけないですね」
「そうか、時間が余った時に頼む」
 返事をすると、ヘイスが頷いた。
 暫くはそのまま、互いになにも言わずにただ湯の感触を味わっていたのだが
 不意にヘイスの身体が傾きはじめているのに気づく。
 目を見ると、半分程閉じて虚ろな状態になっていた。
「眠いのか?」
 声が届くと、その目に少しだけ光が戻る。
「大会で力を使いすぎたので、最近眠くて……」
 風呂の中で意識を失うのは危ないだろうと考えていると、腕に肩が触れた。
 その次には肩に頬が触れて、見ると完全に自分に向かって寄りかかっている状態だった。
 瞳からは再び光が消えかかっていて、今までとは違う印象を受ける。
 水面が大きく揺れた。
 雫の落ちる音が、何度も聞こえる。
 立ち上がり、崩れそうな身体を抱き起こすと裸のまま寄り合う形になっていた。
 水滴がヘイスの背中から腰に掛けてゆっくりと流れて尻尾を伝い湯に落ちる。
 それに特に興奮を覚える訳でもなく、一度体勢を直すと
そのまま、ヘイスが倒れない様に支えながらゆっくりと歩き出した。

 脱衣場に戻ると、支えていたヘイスを椅子に座らせる。
 身体にタオルを被せてから、ラートムは守り神の服を身につけはじめた。
 濡れたままの身体を覆う様に服を着たために、身体中に熱気が立ち込めるが、
気にする事なくヘイスと向き合うと、屈んでからその身体に掌を向けた。
 すっかり逆上せ上がっていたヘイスの身体に魔法で涼しい風を送る。
 暫くすると、その目が何度も瞬きを始めていた。
「平気か?」
「……あれ」
 ほとんど憶えていないのだろう、最初の内は掌から送られる風に心地良さそうにしていたのだが、
自分の身体がタオルが掛けられているだけだということに気づくと、慌ててヘイスが立ち上がった。
 その拍子に落ちそうになるタオルをなんとか手で押さえる仕草に、笑いが零れる。
「……ありがとうございます」
 俯きながら、ヘイスにそう言われた。
 次には居心地悪そうなその様子に気づくと、背中を向けて今度は自分に風を送っていた。

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