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5.ディストの嘆き

 薄暗い部屋のテーブルの上に、蝋燭の火が灯っていた。
 それを囲む様に暗がりに四人の顔が浮かび上がる。
「これはまだ、俺たちがここに住む前の話なんだけどな」
 いつもよりも声の調子を低くしたディストが切り出した。
 それを聞くと同時にヘイスの身体に震えが走る。
 隣では、目を瞑って半分眠っているかの様な状態のボルクが座っていて、
それを見て自分も大丈夫だと必死にヘイスは言い聞かせていた。
 向かい側では未だに重い口調で話し続けるディストが居て、
バーツはその隣で楽しそうに笑っていた。
 時刻は既に丑三つどきで、四人は今食堂に揃って怪談話に耽っていた。
 バーツが何気なくしようと言ったのが事の始まりで、
ディストはこの建物のありとあらゆる話を知っているのか目を輝かせていた。
 ボルクはといえば、興味が無いのか部屋に帰ろうとしたのだが、
強制参加させられたのと、ヘイスが怯えていたのを見て結局席に座っていた。
「大丈夫か?」
 ディストの言葉が聞こえる度にヘイスは身体を震わせていて、
瞼を開いたボルクが声を掛ける。
 その声にもヘイスは怯えていた。
「だ、大丈夫だよ……うん」
 顔を上げたヘイスが無理に笑うが、今にも倒れそうだとボルクは思った。
「じゃあ、続きは僕が話すね」
 ディストが話を途中で切るとバーツに託したのか、
順番の回ってきたバーツはヘイスとは対照的に笑顔だった。
「おまえが話すと怪談に聞こえないな」
 ディストがそれを見て言うのだが、次にバーツの空気が一瞬にして変わった。
「それからね、結局その人は行方不明になっちゃったんだけど……」
 腕を組んで俯いて、段々と表情が隠れてゆく。
「今でもたまに出るんだよ、ほら……よくあるでしょ?」
 腕を下ろしてバーツが全員に視線を送った。
「後ろに誰かの顔があるって」
 言葉と同時に、その背後に知らない顔が浮かび上がった。

 限界だったのか、バーツの後ろに浮かんだ顔を見たヘイスは気絶していた。
 それを懸命にボルクが看病していて、二人の様子を見てバーツが笑う。
「おまえ……容赦無さすぎだろ」
 先程までのバーツに対する評価が変わったのかディストが視線を向ける。
「でも結構頑張ったでしょ?」
 その後ろにある顔が消えはじめる。
 バーツが自分の背後にただ魔力を浮かべて、顔の様な形にしただけだった。
「大体気絶させてどうするんだよ、まだ終わりじゃないんだぞ?」
「それはもちろん起きたら」
「……逃げられるぞ」
 まだヘイスを脅かす気なのかディストはその顔を見つめるが、
笑顔だけが浮かんでいて、結局なにを考えているのかはわからなかった。
 ボルクのヘイスを心配する声がいつまでも聞こえていた。


 ヘイスが回復してから、今度は廊下に出る。
「ここからは二人一組でな」
 予め組み合わせは決めていたのか、ディストの隣にはヘイスが居た。
 その二人をボルクは恨めしそうに見ていたが、ディストは気づかない振りをして大声を上げる。
 ヘイスは本当は今すぐにでも部屋に帰り布団を被って眠りたかったのだが、ここから自分の部屋までは
少し距離があり、先程の話のせいで一人で帰れなくなったヘイスは
逃げだす事もできずに仕方なく胆試しに駆り出されていた。
 すっかり固まっているヘイスの手を掴んだディストが先に進む。
 ヘイスが振り返ると、心配そうに見つめるボルクと
変わらない笑顔のバーツが自分を見送っていた。

 廊下を歩く度に古びた床が軋んだ音を奏でる。
 どこかの部屋の窓が風で揺れたのか、微かな音が聞こえた。
 そんなものにヘイスは一々身を震わせていた。
 見知っているはずの道なのに、今こんなにも怖く感じられるのは
先程の怪談のせいだと思った。
「ディスト……このギルドって始めてからどれくらい経つの?」
 沈黙に耐えられないのと、先程の怪談の一言が気になったのかヘイスが尋ねた。
「始めた時のことか?そうだな……もう、三年も前になるか。 歴史があるって訳じゃねぇが、俺にしたら長かったな」
 繋いでいない方の手を差し出して、指を折りながら説明をされる。
「この町は丁度いくつかある町のど真ん中にあるからな、大きいから色々仕事もあってよ」
 思い出すと懐かしくなったのか、胆試しに似つかわしくない笑みを浮かべていた。
「ただ、人が多いとその分モンスターの被害も多くてな……纏まってそれに当たる奴が必要だったんだ。
そんで俺がそれを買って出たってわけだな、その時空き家で扱いに困ってたらしいここもタダ同然で貰った」
「バーツや、ボルクは?」
 言葉を聞くと、ディストが頷く。
「最初にバーツが来た。次にバーツがボルクの事を連れてきてよ、
あとの二人もそんな風にいつの間にか増えちまったようなもんだな」
 最初に会った頃は、お互いに気を許せない相手だと思っていたと言われる。
 バーツは明るい性格だからまだ打ち解けていたが、ボルクは無口でなにを考えているのかわからないのだ。
 思い返してみると確かに初対面のボルクは、無口で少しだけ怖かった。
「今はバーツの方が寧ろとっつきにくいけどな」
 普段から色々と言われているのか、うんざりした様な顔でディストは続ける。
「それで、まぁ……そうこうしているうちにヘイスが来た」
 来たというよりは、半ば強引に連れてこられたという方が正しいのだろうか。
 それでも今はここに居る事を望んでいられた。
「みんなが居るから、今はなんとか持ってるようなもんだな」
 いつもは自分を褒める事が多いその口が、珍しく全員に対して向けられる。
「一人で守れる人の数なんて高が知れてるからな」
 ヘイスの目を見つめると、そう言った。
 思わずその顔にヘイスは気を取られるが、
然程時間を置かずにディストは正面に顔を向けた。
「さて、胆試ししないとな」
 次には先程のヘイスの様子を見て楽しむ表情になると、不気味な笑い声を上げながら進む。
 怪談を思い出したのか、ヘイスが俯いた。
「大丈夫だって、あんなの作り話……」
 途中まで言ったところで、床の軋む音が聞こえた。
 二人揃ってそちらに顔を向ける。
 次に、なにかが割れる音がした。
「……バーツ達はまだ来てないよな」
 何気なくディストが言った言葉だが、それにヘイスは敏感に震えた。
「平気だって!」
 そう言った直後に、二人の間に淡く光る炎が現れた。


「わぁ、叫んでる叫んでる」
 二人の悲鳴を聞いて、バーツが嬉しそうに声を出していた。
 ディストの方が心なしか声が大きいのに気づくと更に笑っていた。
 ヘイスの声で、ボルクが心配そうな顔つきになる。
「ボルクが居るから心強いなぁ」
 他に人目が無いからなのか、バーツが逞しいその腕に抱き付く。
 それを見て今度は困った顔をしていた。
 その様子をバーツは上目遣いで見つめる。
「ヘイスと一緒がよかったんでしょ?」
「……別に」
「ボルクはヘイスが好きだもんねぇ」
 その言葉に、ボルクの動きが止まった。
 必死に視線を逸らすとさっさと足を前に出される。
 いきなり身体が動いてバーツが体勢を崩したが、鼻歌を歌っていた。
「可愛いなぁボルク」
 ボルクの隣でバーツは相変わらず弄る様な言葉を吐き出していた。
 言葉が自分の耳に入らない様にと、ボルクは無駄に足を速める。
「ヘイスの具合はどうなんだ」
 どうにか話題を変えようとしたのか、そんな事を口にされる。
「大丈夫だって、大体ボルクが無茶させたんでしょ?」
 既に何度も交わした言葉で、そう返されるとボルクはなにも言えなくなってしまう。
「でもヘイスはいい子だね、色々と危険な目にも遭ってるのに全然めげないや」
 ボルクの一件で多少は懲りただろうと思っていたが、
村でのヘイスの行動は、それが作用したとは到底思えないものだった。
 偶々良い方向に向いたからよかったものの、下手をすればまた病人に逆戻りするところで、
詳しく話してはいないが、それを知ればボルクも心配をするのだろう。
「それが、あいつのいいところだ」
 バーツは顔を上げた。
 見えたのは、あまり見せてはくれない虎の微笑んだ顔だった。
 そのまま、預ける体重を増やした。
「ズルいなヘイスは」
「なにか言ったか?」
「あ、いやなんでも……それより、見送り無しで村に行ったこと怒ってる?」
 ボルクがやった様に、バーツも話題を変える。
 黙ったままボルクは頷いた。
「ごめん、どうしても二人で行く必要があったからさ」
 そのまま、続けて二人のどちらかがついてくると思ったと言うと少しの間を置いてそれにも頷かれる。
 どうやら仕方ないことだと割り切った様で、安堵の息を吐いた。
「でももうこれで安心だね、ヘイスも無事で……」
 言葉の途中で、前方から窓が大きく揺れる音がした。
 それを聞いてバーツが短い悲鳴を上げる。
「怖いのか?」
 少し意外に思ったのかボルクが問い掛けてくる。
「ボ、ボルク前どうぞ」
 今まで抱きついていた腕から離れると、バーツが先を促す。
 断る理由も無いボルクはさっさと前を歩いていた。

 先を歩くボルクは、臆することもなく黙々と歩き続けた。
「ボルクは頼りになるなぁ」
 その後ろでは明るさを取り戻したバーツが元の様に話をしていたのだが、
暫くすると、その顔に変化が現れる。
「……あれ」
「どうした?」
 ボルクが振り返ると、考える表情のバーツがそこに居た。
 黙ったままバーツは歩いてボルクを通り越す。
 意図は測りかねたがその後を負う。
 分かれ道に来る度にバーツは頻りに顔を左右に振って辺りを確認していたのだが、
暫くすると前方に淡い光が現れた。
「平気だよ」
 ボルクの心配を察知したのかバーツが先に言う。
 そのまま歩き続けると、四角い光を見つけた。
 実際には扉の隙間から光が洩れて、遠目からはそう見えただけだった。
「あの部屋だ」
 早足になるとバーツは扉の前へ辿り着き、躊躇する事無く扉を開く。
 開くと同時に淡い光がその身体を包み込んだ。
「バーツ」
 慌ててボルクが駆け寄るが、こちらに顔を向けたバーツは微笑んでいた。
 そのまま戸惑うボルクを置いて部屋に入ると、中から明かりが灯る。
 なにも起こらない事を確認してからボルクも部屋へ入った。
 部屋の中は、あまり魔法に詳しくはないボルクでも敏感に感じられるほど魔力で満たされていて思わず息を呑む。
 部屋の隅々に置いてある魔力は、ただそれだけなのにはっきりと目で捉えられた。
 それ程強い力がこの部屋にあるのだと認識する。
「なんだ、これが原因か」
 一人で勝手に納得したバーツは、安心した顔をしていた。
 その身体振り返ると、説明を求める自分の顔を見て一度目を瞑る。
「そこの廊下の光や、窓の大きく揺れる音はこの部屋の魔力のせいだったってこと」
「この部屋の……魔力か」
 確かにこれ程強い力ならば、それぐらいの事はできるだろう。
 ただ、次に疑問が浮かんだ。
「この部屋はなんなんだ?」
 それさえもバーツはわかっているのか、表情を崩さずに歩み寄る。
「部屋の持ち主はね……」
 耳元で囁くと、ボルクの目が見開かれる。
 そのままバーツは廊下に出た。
「それじゃもう帰ろうか、ディスト達もそろそろ戻ってるよね」
 取り残されたボルクは一度部屋を見渡したが、
バーツの足音が遠退くのに気づくとその後を追った。



 陽の光が照らす朝の廊下を、眠い目を擦ってバーツは歩く。
 昨夜の騒動も、朝になればなんとも思わずに歩くことができた。
「おはよう」
 食堂に入ると、元気良く朝の挨拶をするが。
 視線の先にはテーブルに身体を凭れさせた三人の姿があった。
「どうしたの? 三人揃って」
 バーツの声を聞いて、ヘイスが顔を上げる。
 一目見ただけで倒れんばかりの表情なのがわかった。
「昨日の事が忘れられなくて……」
 昨夜の騒動をまだ引き摺っているのか、そう言うと身体を起こしたが俯いていた。
 そのまま残りの二人にも視線を送るが、ディストはヘイスと似たような理由で、
ボルクはバーツの言葉を気にして眠れなかったのだろう。
「ディスト情けないなぁ」
 自分の事を棚に上げながら軽口を叩くとディストが顔を上げるが、すぐにまた元の体勢に戻った。
「昨日の出来事は幽霊なんかじゃないって」
 言い返す気力も無いのかと内心意外に思いながらも言葉を吐き出す。
 俯いていたヘイスが、再び顔を上げると希望の眼差しを向けた。
「変な魔力が充満しててさ、大抵の事はそのせいだったから……もう大丈夫だよ」
 あの部屋を出る際に部屋の中にある魔力を持ち去っておいたので、
暫くは今回の様な騒動が起きる事はないのだろう。
 もっとも、部屋の持ち主が帰ってきてはどうなるかわかったものではないが。
 幽霊が出たのではないと聞かされたヘイスは、安心した様に笑うと朝食を作りに向かった。
 ディストも薄れる意識の中でそれを聞いたのか、何事も無かったかの様にテレビを見ていて、
唯一ボルクだけはまだ眠る様にテーブルに身体を預けていた。
「よかった、本当によかった。幽霊じゃないんだよね」
 眠い事には変わらないはずなのに、料理を始めたヘイスはいつもよりも明るかった。
「それにしても案外ヘイス達も近くに居たんだね、途中で道変えたの?」
 お互いが擦れ違う事のない様に予め回る道を決めていて、
二人も妙な光を見たのなら近くに居たのだと思ってそう言った。
「いや? 俺達は最初決めた通りに回ってたぞ」
 横目でバーツを見るとディストが言葉を発する。
 ディストの言葉を聞いてバーツが考え込んだ。
「あれ、おかしいな……魔力は僕達の通った道の途中の部屋から感じてて、
二人の方からは全然感じなかったのになぁ」
 ディストとヘイスの動きが止まった。
 それを見てバーツがわざとらしく口を掌で押さえてから、目を少し大きく開いた。
「……本物?」
 数分後、数分前と同じ光景を見て溜め息を吐いたバーツが朝食を作っていた。

 ギルドの食堂で、ディストが俯いていた。
 見つめる先には雀の涙程の金が置いてあり、一瞥すると溜め息を吐く。
「……金が無い」
「え、お金無いの?」
 独り言として呟いた言葉に返事をされて、慌てて声のした方向へ視線を向ける。
 自分以外の三人が丁度廊下を歩いていたのか、ヘイスが先頭に立って驚いた顔をしていた。
 次にはその隣にバーツが怪訝そうな顔をして飛び出す。
「まだ充分足りると思ってたけど……なにかに使ったっけ?」
 この間稼いだ分が残っているとばかり思っていた様で問い掛けられるが、
それにディストは押し黙ってしまう。
「それはだな、その」
「ごめん、きっと料理の仕方が悪いんだよね……」
 真っ先に自分のせいだと思ったのか、ヘイスが謝罪をする。
 食費が嵩んでいるのを気にしていたのだろう。
 落ち込むその肩に、黙っていたボルクの掌が置かれた。
「そうじゃない」
 その言葉に、全員がボルクを見つめる。
「スったんだろ」
 真っ直ぐにボルクがディストを見ていた。
 いつもは物怖じして中々態度に示さないが、ヘイスの様子を見て今ははっきりと物を言っていた。
 その驚きよりも、ヘイスとバーツはそんな事に金が使われていたのに驚いたのだが。
「……すまん」
 両手を合わせてディストが頭を下げる。
 二人が治療のためにギルドを出て不機嫌な時に、賭け事をしに町に出たのだ。
 いつもは煩く言うバーツが居ないのも好都合だったらしく、
一人で居る事の多いボルクでは止められなかったのだろう。
 それでも、戻ってきて浮かない顔をしていたのを憶えていたのかすぐに答えを出していた。
 大体の察しがついたバーツは、溜め息を吐く
「せっかくみんなで貯めたのに……」
 それでも半分笑っているのは慣れているのだろうか。
「まぁ、僕とボルクの貯金でなんとかなるからいいけど」
 それにボルクも黙って頷く。
 二人を見て、ヘイスは少し頼もしく感じた。
「でもさ、ディスト……わかってるよね?」
 バーツがにっこり笑ってディストに顔を寄せる。
 目の前に迫った顔を見てディストが怯んだ。
「金稼いで来い」



 喧騒の中にディストは居た。
 少しだけ窮屈な服に顔を顰めると溜め息を吐く。
「なんで俺がこんな事を……」
「だってディストが使ったんでしょ? お金」
 傍では自分と同じ様に着替えたヘイスが、特に責める顔もせずに笑っていた。
 いつもの服装と違い、接客のためにしっかりと身形を整えてから毛並みも揃えると
別人に見えるらしく、こちらを見る度にヘイスが微笑む。
「大体なんでヘイスまで居るんだよ」
「僕は見張りを頼まれて」
 バーツに追い出される様に外に出るとヘイスも慌てて駆け出してきて、
そのまま以前働いていた飲食店に案内されると態々交渉をしてくれていた。
 丁度今は繁忙期だった様で、店主も渋っていたが緊急の補充としてなんとか採用される事になり、
案内をされると服を渡されて今二人は店員として働いていた。
「どうせまたどっかで賭けてくるから、ちゃんとした所案内してってバーツが」
 その辺りは抜け目が無いのか、気づかれない様に軽く舌打ちをした。
「これなら多分僕も、役に立てるよね」
 そう言って微笑むと横を通って客席へ向かおうとする。
「まあ、この間クビになったんだけど」
 その言葉に、そういえばヘイスを拾ったのは仕事を辞めさせられたからだと思いディストは振り返る。
「……結構図太い神経してんな」
 呟くと、聞こえていないのを確認してからそれに続いた。
 忙しい時期と言ったヘイスの言葉に嘘はないのか、
目まぐるしい程の仕事に追われてディストは少し焦っていた。
 ヘイスはというと、ギルドでの経験が役に立っているのか順調に仕事をこなしていて、
それを見てディストも必死に努力をしたのだが、
元々接客業の経験もほとんど無いために、失敗を重ねて怒鳴られていた。
「ディストも頑張ってるよ」
 昼食として店の裏で振舞われている賄い料理を食べていると励ます様にヘイスが言った。
 返す言葉も無くて、頬を掻きながら視線を逸らす。
「それに、いつも仕事頑張ってるし……だから大丈夫だよ」
 遠回しに向き不向きがあるんだと言われた様な気がしたが、黙ってゆっくりと頷いた。
 二言三言話すと食べ終わった皿を持ってヘイスは喧騒の中に消える。
 慌てて残っていた分を食べると立ち上がった。

 忙しない状況もある程度経てば慣れが生じるのか、その後は順調に仕事をこなしていた。
 ヘイスの言葉で無理に力を入れなくてもいいと思い直したのも大きかったのだろう。
 問題もなく時間は過ぎていった。
「ディストの使った分、どれくらいで戻るかな?」
 客入りも疎らになってくると、疲れた様子でヘイスが声を掛けてきた。
 暫く無言で考え込むが、開いていた口を閉じて項垂れると腕を伸ばしてヘイスの肩に手を掛ける。
「……すまん」
「げ、元気出して」
 口に出来ない程使った事だけは伝わったのか、ヘイスが慰めの言葉を口に出す。
 バーツの怒りも少し解った様な気がした。
 じゃれ合っていると、店の扉が開かれる。
 扉の開く音に耳を軽く震わせると、素早くヘイスが客を出迎えた。
 機敏に対応する様子にディストは感心してしまう。
「充分やれるよな、あれ」
 いい拾い物をしたと、内心頷く。
 そのまま暫くその姿を見ていたのだが、
入ってきた客となにやら話し込んでいるのに気づく。
 席に案内してからも話を続けていたが、注文を受けたのかヘイスがその内戻ってくる。
「誰なんだ?」
「昔の友達、久しぶりに会ったから懐かしくなっちゃって」
 ご機嫌な様子でそのまま注文を伝えにヘイスが奥に向かう。
 席に座った客を見ると三人組の様で、ヘイスの後姿を見つめていたが、
その姿が見えなくなると三人で話を始めていた。
 特に気にする様子も無くディストも仕事を再開すると、注文を受けに店内を歩く。
「それにしてもよ、意外だったな」
 三人組の傍までやってくると話の内容が耳に飛び込んできた。
 盗み聞きをするのは良くないと思いつつも、結局それに耳を傾ける。
「あのヘイスがここに居るなんてさ」
「居るって言っても臨時だろ? この間クビになったんだからな」
「あいつの場合またかよって感じだよな」
 客の注文を聞きながら、横目で三人を観察する。
「昔からなにやっても駄目な奴だからな、今はまた別の所でやってるんだって?」
「どうせそこもすぐクビだって、あんなの雇ってたら金の無駄にしかならねぇよ」
 相槌を打つ様に笑い声が聞こえた。
 黙ってディストは注文を紙に書き留めていたが、自分の字が途中から荒れているのに気づくと眉を顰めた。
 表情には出さずに注文を書き終えるとそのままそれを伝えに戻るが、
その途中で三人に視線を向けると鋭い殺気を放った。
 三人が自分を見るよりも先に素早く気配を消すと、そのまま厨房に引っ込む。
 してやったという様な顔をして注文を届けてまた戻ろうとするのだが、
その途中でヘイスの姿を見つけた。
 壁に寄り掛かっていて気づかなかったのだが俯いていて、
位置を見れば、先程の三人の会話が聞こえたのがよくわかった。
「大丈夫か?」
 声を掛けると、慌てて顔をヘイスが上げた。
 次には一度頷くと、笑ってその場を後にされる。
 ヘイスは何食わぬ顔で三人の元へ料理を運んでいた。



 仕事帰りの夕焼けの道を無言で歩いていた。
 仕事が終わり着替えるとヘイスは静かに笑っていて、
どうにも声を掛けられなくて、こんな状態になっていた。
 辺りには人気も見当たらず途方に暮れてしまう。
「ヘイス……あのさ、元気出せよ」
 どうにか沈黙を破る様に言葉を出したが、月並みなものしか浮かばず内心溜め息を吐く。
 地面を見つめていた目が自分に向けられた。
「おまえは今頑張ってるし、役にも立ってるだろ? あいつらの言う事なんか気にするなよ」
 あの三人の口振りからして昔のヘイスは相当なものだったのだろうかと想像するが、
今一はっきりとは頭に浮かんではこなかった。
 確かに雇いはじめた頃はなにかと問題はあったが、慣れれば改善する事の方が多いのだ。
 最初から全てを望む様な事もディストはしなかった。
 そもそも、自分自身が手本を見せられる腕前ではないのだから偉そうに言う気も出なかった。
「ありがとうディスト」
 ヘイスが口を緩ませる。
 大きく息を吐くと、空を見上げていた。
「言ってる事は本当なんだ、昔っからドジばっかりしてたしね」
 ヘイスの歩みが段々と遅くなるのを感じた。
「今は違うのかなって思うけど、やっぱり難しいね……みんなすごいから」
 途端に声を上げて笑い出していた。
 笑ったが、目尻に涙が浮かんでいるのに遅れて気づく。
「ディストや、バーツや、ボルクみたいに僕も」
 言葉が途切れたと同時に二人の伸びた影が重なる。
 目の前にある自分の顔を見てヘイスが驚いていた。
 数秒してディストが離れると、わざとらしく口の周りを舌で舐め回す。
 それを見てヘイスが顔を俯かせた。
 屈み込むと、子供の様に笑い掛ける。
「嫌な気分、吹っ飛んだか?」
「えっ、あ……」
 しどろもどろになりながら、それでもどうにかヘイスは頷いてくれた。
「それとももっと嫌だったか? まぁ、忘れろよ。忘れてくれればそれでいい」
 忘れてほしいのはあの言葉なのか、今ヘイスにした行為なのか。
 どちらでもいいと心で呟くと先をディストが歩き出した。
 途中で振り返るとヘイスの顔を見つめる。
 夕日に照らされてはっきりとは見えないが、悪い顔はしていなかった。


「仕事、どうだった?」
 夕食の席で、興味津々といった様子でバーツが言葉を発した。
「ディストじゃ大変だったでしょ」
「どういう意味だ!」
 唾を飛ばしながら怒鳴られて、素早くバーツが身を引く。
 二人のやり取りをボルクが迷惑そうに見つめていた。
「すごく頑張ってたよ」
 それを止める様に、料理を持ったヘイスが間に入る。
 料理を見ると、ディストが大人しくなったので食事が再開される。
「ヘイスは大丈夫なのか? ここでの仕事もあるのに」
 目の前に皿を置かれて一度頭を下げると、ボルクが問い掛ける。
「平気だよ、慣れてるしね」
「誰かさんとは違うなぁ」
 その言葉の直後に、バーツは殺気を感じる。
 わざとらしく怖がる素振りをしてバーツがボルクの後ろに身を隠していた。
 その場に居られなくなったのか、ディストはさっさと料理を口に運ぶと
勢い良く席を立って食器を運んでいた。
「程々にしろ、バーツ」
 流石のボルクも注意をしたが、
バーツはそっぽを向いてなにも言わなかった。

 食事が済むと、挨拶を交わしてそれぞれが部屋へと戻る。
 片付けをヘイスはしていたが、ふと振り返ると椅子にディストが座っていた。
 ただ様子がいつもと違う気がして歩み寄る。
「ディスト?」
 その身体がテーブルに倒れ込むと、慌てて距離を詰めて肩に触れる。
「……お酒臭い」
 吐き出した息から発せられる臭いが鼻についた。
 先程、バーツに散々悪口を言われて食器を戻したついでに隠れて酒を飲んでいたのだろう。
「ボルクのだ……」
 時折ボルクが飲んでいる物と同じ缶の容器が潰されて握り締められていた。
 嗜む程度だと話していたその顔が浮かぶ。
 勝手に取り出して飲んでいたのだろう、溜め息を吐くとその身体を支えて立ち上がる。
 思わず倒れそうになるが背中を軽く叩くと、ディストの身体に力が入ったのか大分楽になった。
 廊下をゆっくりと歩くと、ディストの部屋の扉を苦労して開く。
 そのまま、寝床の上にその身体を横たえた。
 身体の下にある布団を引っ張り出すとそれを被せる。
「大丈夫?」
 飲んだ量が気になって、問い掛けるとその眼が薄く開かれた。
「……畜生」
 聞き取れない程の声量でディストが言う。
「どこが駄目なんだよ……こんなに頑張ってるじゃねえか…………」
 自分の事を言っているのだと理解するのに、数秒掛かった。
 軽く息を吐くと、声を聞くために屈めていた身体を真っ直ぐに立たせた。
「おやすみ」
 頭を撫でると、薄く開いていた瞼が閉じられた。

 いつもの風景の中、ヘイスは朝食を作っていた。
 すぐ隣には、相変わらず自分の様子を見守るボルクが居て、
「座ったら?」
声を掛けるが、首を左右に振られる。
「ボルクはヘイスが好きなんだねぇ」
 椅子に座ってのんびりと待っていたバーツが言う。
 その言葉に、ボルクが慌てて振り向いて駆け寄った。
「ば、バーツ……」
 いつも無表情のその顔に焦りが浮かぶ。
「可愛いなぁボルク、ヘイスだってもう知ってるよ?」
 そう続けられて、更にボルクの表情がおかしくなった。
 それを見るのが楽しくてバーツは笑い出す。
「ね、ヘイス」
 ボルクを追い詰めるために、ヘイスへと言葉を投げる。
「え?」
 丁度料理を仕上げていたところで聞こえなかったのか、料理を持ったヘイスがこちらを見ていた。
「ヘイスもボルク好きだよね?」
「バーツ!!」
 ボルクが、珍しく叫んだ。
 その声にヘイスは驚いて目を瞑った。
「あ……すまん」
 ヘイスの様子を見て慌ててボルクが謝る。
 なにも起こらなかったのを確認すると、ヘイスが料理をバーツの前に置いた。
 続いてボルクの元へとそれを運ぶ。
「はい、ボルク」
 料理を置かれて、ボルクも椅子に座った。
「僕、ボルク大好きだよ」
 次にヘイスがそう言った。
 その言葉ひとつでボルクの動きは完全に停止してしまう。
「バーツもディストも、大好き」
 ご機嫌な様子でそう続けると、また調理の作業に戻っていった。
「いいの? ボルク、ディストや僕と同じ位置だよ」
 固まっているボルクの目の前で掌を振りながらバーツが訊く。
 当の本人はヘイスの言葉が頭で回っているのか暫く固まっていたが、
「それでも、嬉しい」
そう呟くと、漸く料理を食べるために手を伸ばした。


「ヘイスー、飯」
 和やかな空気の部屋に、ディストが現れた。
 丁度郵便受けを見てきたところで、眠たそうに目を細めながらヘイスに注文をする。
「はい、今できたよ」
 ディストの分を素早く置くと、自分の分も置いてやっとヘイスも人心地付く。
 ディストは料理に気を取られて、取ってきたばかりの幾つかの紙切れを傍に置くのだが、
なんとなくそれが気になり、ヘイスはそれに手を伸ばした。
「あ、商店街のお店安いな」
 丁度いい物を見つけたのか、その表情が笑顔になる。
「すっかり主夫だねヘイス」
 褒めているのかよくわからない言葉をバーツが言った。
「……あれ」
 バーツからの言葉に苦笑いを零しながらも次の紙を見たヘイスが声を上げた。
 料理を食べる事で必死にヘイスからの言葉を誤魔化そうとしていたボルクが、顔を上げる。
「どうしたんだ?」
「これ」
 ヘイスが差し出した紙切れを、ボルクが手に取る。
 それを見つめたボルクの表情が僅かに変わった。
「……そういえば、今年ももうあの季節なんだな」
 ボルクの言葉にディストは目を見開き、
笑って食事を取っていたバーツは手を休めるとボルクを見つめた。
「あの季節?」
 一瞬にして変わった空気に戸惑いながらも、どうにかヘイスが質問をした。
「去年ヘイスは居なかったから仕方ないよね知らなくても」
 租借していた料理を飲み込むと、バーツが口を開く。
「年に一度、隣街で武術と魔術を統合した大会があってね。
それで一応このギルドにもそれの知らせが来るんだよ」
「へぇ……去年は、誰が勝ったの?」
「去年は……」
 ディストが口に出して、俯いた。
「去年はえーっと……ああ、あの人」
 バーツも口に出して、黙り込んだ。
「誰が勝ったの?」
 続きが気になって、知っているであろうボルクへと視線を向けた。
「このギルドの奴だ、今は仕事でいないが」
 ボルクはヘイスの質問に答えたが、それでもやはりそれ以上は語らなかった。
「あの人凄い地獄耳でさ。名前呼ぶだけでも飛んでくるから、名前言わないの」
 訳をバーツが言う、首を傾げながらも渋々ヘイスは納得した。
「去年はあの人が出場して、観客からの暴言でキレて一気に優勝したんだっけ」
 苦笑いで、微かに震えながらバーツが呟いた。
「おかげで賞金は貰えたけどよ、俺はもうあんなのごめんだぞ」
 ディストが言うと、ボルクもそれに頷いた。
 聞かない方が良かったかも知れないと、ヘイスは今更後悔していた。
「でもまぁ、今年はあの人もいないし……普通の大会になるよね」
 なにが普通なのか、バーツは自分で言いながらもわからなかったが、
それでも普通の大会になると素直に思ってそれを口にした。
「出るの?」
「……そういや、去年は誰が一番強いか競争って話になったけど、
あいつが暴走して結局棄権になったんだよな」
 忘れていたのか、ディストはぽつりと零した。
「誰が一番強いのかな?」
「俺だ」
 間を置かずにディストが言った。
「ディスト、自信持ちすぎ」
「なんだ? じゃあ俺とやるってのかバーツ」
 ディストの挑発を混ぜた言葉を、バーツは笑って受け流す。
「そういう無駄な事はしない主義」
 無駄に争って仲を悪くするのは得策ではないとバーツは判断した様だった。
「それに僕は、僕が一番じゃなくてボルクが一番だと思ってるし」
 標的を移す目的もあるのか、素早くバーツはボルクへと話を回す。
 紙切れを見つめていたボルクが顔を上げた。
「あ、いや……俺は」
 ディストが真直ぐに見つめてきたので、ボルクは俯いてしまう。
 こんな様子では結局一番は決まらなかった。
「じゃあ、今年も出てみたら?大会」
 なんとなくヘイスが呟いた言葉だった。
 その言葉に三人が顔を見合わせる。
「よし、出るか」
 ヘイス以外の全員が頷いた。
 冗談半分で言った本人は、それを見て少しだけ驚いていた。
「……本当に出るんだ」
「丁度金も足りないからな」
「誰のせいかなぁそれ」
 宙を見つめながらどうでもよさそうにバーツが呟く。
 それに視線を向けながらも、ディストが咳をした。
「それにこれで仕事も辞められるしな」
 未だにヘイスとの仕事は続いていて、それも辞められると考えていた。
 例の三人は時折来て、ヘイスに視線を送っては相変わらず蔑む様な態度を取っていて、
一度ディストが殴りに向かおうとしたのだが、それをヘイスが必死に止めていた。
 結局そんな日々が続いていて今ではディストの方がその三人に対して嫌悪感を抱いており、
辞める事は自分のためにもなると言い聞かせた。
 ディストの気持ちもわかっているヘイスは、言葉を聞いて元気付ける様に微笑んだ。



 大会当日。
 態々ギルドを休み、ギルドに今居る全員がその場所に集まっていた。
 もっとも居るのはいつもの四人で、他の二名は相変わらず姿を見せてはいないのだが。
 ディストが石段の上から飛び降りた。
 その背後には気絶した相手が倒れていて、丁度ディストの出番が終わったところだった。
「ディスト強いね」
 戻ってきたディストを笑顔でヘイスが迎えた。
「おうよ、見直しただろ」
 いつもはギルドで動かずに居る事が多いため、ディストは随分と張り切っていた。
 そのまま歩き出すと控え室で椅子に座る。
 その隣にヘイスが座って笑顔を振りまいていた。
「……あのさ、思ってたんだけど」
「なんだよ」
 更に隣に座っているバーツが口を挟む。
 それに二人が視線を送った。
「なんでヘイスがここに居るの? 観客席はここじゃないよね」
バーツが言った事でディストも漸く気づいたのか、
慌ててヘイスへと視線を動かす。
「それは、その」
 二人に見つめられて、観念した様にヘイスは話しはじめた。

「書く所間違えた!?」
「ごめん……」
 試合に参加する者の名前を書く様にとヘイスは紙を渡されたのだが、
てっきり今居る全員の名前を書くのだと勘違いをして、自分の名前をはっきりと書いていた。
 おかげで気づけばこの場所に居て、中々言い出せずにここまで来てしまったのだ。
「ヘイス、本当なのか?」
 試合の準備に追われているボルクが顔を上げて問い掛けた。
「今からでも遅くない、断ってくるんだ」
 ヘイスは戦う術をほとんど持っていないのだ、ボルクが心配をするのも無理はなかった。
「うん、そうなんだけど……僕、少し戦ってみたいな」
 恥ずかしそうに俯いてヘイスが言った。
 勝算は無いが、人数が増えればそれだけ優勝も狙いやすいと思っているのだろう。
「ヘイス、気持ちはわからなくもないけど危険だよ? ほんとに」
「わかってるよ、それくらい」
 ディストの相手になった者を見れば、ヘイスにはわかる事だった。
 仮にディストが相手になったとして、勝ち目は全く無い。
「少しだけでいいから、お願い」
 ヘイスが両手を合わせた。
 優勝の賞金の事をヘイスも考えていた。
 自分が優勝するのは遠い夢かも知れないが、それでもなにもせずに居るのが嫌だった。
 魔物相手の無茶は控える様になったが、命の保証はされるこの大会では退く気が無かった。
 意志を崩す事ができないと、バーツが諦めた様に首を振る。
「ヘイス、武器はどうするの?」
 止める事をやめたが、それでも準備はしてあるのかとバーツは更に続ける。
「無くても構わないけど、ヘイスはあったほうがいいんじゃないかな。僕無いけど」
 バーツの武器は、魔力だった。
 そのため下手に凶器を持つと却って邪魔になる事があるため、バーツは武器を持たない。
「どうしようかな」
 それに、ヘイスの扱える武器という物も中々無かった。
 特に力がある訳でもないのだ。
「じゃあさ、ヘイス……これ貸してあげる」
 どこから取り出したのか、バーツが杖を取り出して掲げた。
「まだ僕が村に居た頃使ってた物だよ、主に魔法のサポートをする物だから攻撃には向かないけれど、
魔法を使うヘイスにならいい武器かもね」
 手渡されて持つと、随分と軽い印象を受ける。
 それでもしっかりとした材質でできているのか決して脆いとは思わなかった。
「でも忘れないでね、危なくなったらすぐに棄権すること」
 アドバイスだと、バーツは最後にひとつだけ注意をした。
 それと同時に、ヘイスの名前を読み上げる放送が流れる。
「バーツ、ありがとう。行ってくるよ」
 杖を持ってヘイスが走り出した。
「ヘイス、気をつけろよ!」
「……無理するなよ」
「頑張ってねぇ」
 三人からの声援を受けて、一度振り返るとヘイスが大きく頷いた。


 人の頭ぐらいの大きさの炎が飛び跳ねた。
 それを見たヘイスは大慌てで走るとどうにか避ける。
 案の定、戦った経験の無いヘイスは苦戦を強いられていた。
 相手は魔法を主に使う戦い方で常に距離を取って攻撃を仕掛けていて、
とてもヘイスが近づける状況ではなかった。
 見ている観客はさぞつまらないのだろうと、なんとなく申し訳ない気持ちになる。
 もっとも、近づいたとしても手に持つ杖では大した攻撃もできはしないのだが。
「うわっとっ!!」
 迫る炎を避けようとしたところで蹴躓いて盛大に転ぶ。
 そのおかげで直撃は免れたが、尻尾に炎が掠って引火しそうになる。
 尻尾を床につけて手で何度も叩くとどうにかそれを阻止した。
 尻尾の心配をしつつも、ヘイスは項垂れて溜め息を吐いた。
 流石に相手も魔法を撃ち過ぎたからか一度攻撃が止むが、その内また同じ事が繰り返されるのだろう。
 いつまでもこんな状況で戦っていられるとは思えなかった。
「ヘイス、もう終わり?」
 丁度石段の前までやってきたバーツが情けない顔を見上げて言った。
「無理だよバーツ、どうしたら勝てるの……」
 張り切って出てみたのはいいが、攻撃さえまともにこなせないのだ。
 バーツは一度魔法を教えようとしたのだが、傷つける魔法は嫌だと自分が断った事を思い出して後悔していた。
「諦めないで、今結構いいところにいるんだよ? ヘイスは」
「え?」
 予想外の言葉を言われて、思わず間抜けな声が口から飛び出した。
「だってヘイスは魔法を使ってないし、それに比べて相手は魔法を使いすぎて随分疲れてるじゃない」
 言われてもう一度振り返ると、確かにそこには何度も深呼吸をしている相手の姿があった。
「魔法は確かに強いけれど、あんなに無駄撃ちしたらすぐにバテちゃうんだよ」
 相手と比べれば、自分はただ走っているだけで然程疲れている訳ではないのだと頭に情報が入る。
「だから、ここからは反撃しなくちゃ……逃げてるだけじゃ勝てないよ」
 他に言う事も無いのか、軽く挨拶をするとバーツは機嫌良く戻っていった。
 俯く視線の先にはバーツの渡してくれた杖があって、
立ち上がるとそれを強く握り締めた。
 漸く相手も体勢を整えたのかその手に魔力が集まる。
「……どうしよう」
 反撃しろと言われたが、やはり攻撃手段は乏しくて途方に暮れる。
 それでも飛んでくる炎には敏感に反応してかわした。
 炎と擦れ違う瞬間に、妙なものを感じる。
 先程よりも威力が弱くなり、魔法から感じる攻撃的な意志が無くなりかけていた。
 様子を探ると相手の顔にも段々と覇気が無くなっているのがわかる。
「そっか、無理してるんだ」
 本当は倒れそうになっているのだろう。
 少し相手の事を気の毒に思うものの、攻撃されているのは自分なので攻撃を食らう訳にもいかなかった。
 相手の動きが止まると途端に魔力の量が膨れ上がる。
 本能が危険だと告げて、またも走り出した。
 撃ち出された魔法の一発目をどうにか避けるが、二発目は動きの軌道を読んでまっすぐに自分に向かう。
 瞳の中に炎が飛び込んだ。

「ヘイス!」
 様子を見ていたディストが叫んだ。
 炎は確かにヘイスに直撃しているのだ。
 慌ててそこへ駆け寄ろうと石段に手を掛けた。
「駄目だよ」
 隣に居たバーツが制止した。
 振り返るとその顔を睨みつける。
 バーツも同じ様な顔をしていて、少し意外に感じた。
 その次にはいつもの様に微笑まれて、頭に昇っていた怒りが急激に冷める。
「大丈夫、勝てるよ」
 バーツが既に自分ではなくヘイスを見ているのに気づくと、ディストも視線を送った。
 炎の中に人影が浮かび上がった。


 自分の身体に炎が当たるよりも先に、ヘイスは持っていた杖を差し出していた。
 無意識に籠めた魔力に敏感に反応して杖が淡く光る。
 すると、攻撃をするはずだった炎が杖の先で止まった。
 不思議そうにその光景を見つめる。
 次には炎の姿が頭に浮かんできた。
 初めて魔法を覚えた時よりも自然に、そして溢れる様に姿が見える。
 一度頷くと、杖を払う。
 遅れて炎が宙を躍った。
 これはなんだろうか、少しの間だけ考えてみた。
 もしかしたらこれも、バーツの言うイメージの結果なのかも知れない。
 ただ直撃するのを防ぐために、自分に当たらない様にと考えただけだったのだが、
炎は今自分の前で動きを止めていた。
 今ならこの炎を御する事ができる。
 標的を真っ直ぐに見つめて、容赦無く杖を向けた。
 先程、自分に向かった様に炎が飛び出して相手に襲い掛かる。
 まさか自分の炎が今まで逃げるだけだったヘイスから返されるとは思っていなかったのか、
突然の事に避ける事ままならず、炎が相手の服に燃え移った。
 慌てて火を消そうとするのだが、不思議と炎は簡単には消えずに燃え続けた。
 数十秒すると堪らず相手が石段を飛び降りる。
 それと同時に、ヘイスの名前が勝者として叫ばれた。
 頭の中に浮かんだ姿が、徐々に消えはじめる。
 我に返ると慌ててヘイスは走り出した。
「大丈夫ですか!?」
 相手の元に駆けつけた。
 ヘイスの身体から魔力が消え去ったからか、炎は消えていたが
それでも火傷はしていて、傷を治す様に魔法を唱えてそれを与えた。
 呼応する様に杖が反応を示す。
 暫くすると、立ち上がって頭を下げるとヘイスは戻りはじめた。
 向かう先には自分を見つめるディスト達が居て、それに顔を綻ばせるが、
手を上げようとした途端に全身の力が抜ける。
 崩れ落ちそうになる身体を、誰かが支えた。
 見上げると見覚えの無い人物が自分を受け止めていが、
大きな外套を纏っていて、どうにも表情は伺えなかった。
「平気か?」
「はい、すみません」
「頑張ったな」
 手を差し出されると、頭を撫でられる。
 少し硬い掌の印象を受けた。
 歩ける事を確認すると、解放されて身体を押される。
 その人物の事を見つめていると、いつの間にか後ろに三人がやってきた。
「やったなヘイス!」
「あ、うん」
「すごかったね、相手の魔法使っちゃうなんて」
 身体を向けると、照れ臭そうに笑った。
 控え室に向かいながらヘイスが一度振り返る。
 視線の先に揺れる布があった。

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