ヨコアナ
4.バーツの試練
朝の空気をバーツは胸いっぱいに吸い込んだ。
吐き出すと、久しぶりに戻ってきた村を見渡す。
自分が居た頃とほとんど変わった様子は無かったが、それでも僅かな違和感を覚えた。
景色に見惚れていると、遠くから自分の元に走ってくる人物を見つける。
長老の言っていた使いの様で、昨夜長老に言った事とあまり変わらない内容をバーツは喋る。
「昨日は声が聞こえなかったな」
そう言われて、苦笑いでその場を誤魔化した。
話をしていると家の中から眠たい瞳をしたヘイスが現れる。
気を利かせたのか、使いはすぐに姿を消した。
「おはよう、ヘイス」
「……おはよう、誰かと話してたの?」
「ちょっとね」
伴侶となった者は、例え同性であったとしても肉体関係を持つのが決まりだった。
その事について先程の使いは言っていたのだが、
自分が勝手に言った事なのでそれは口には出さなかった。
「そんなことより……待たせちゃったね、これから治療するよ」
漸く治療ができると聞いて、ヘイスが嬉しそうに笑う。
それに少し心が揺れるのをバーツは感じるのだが、
自分も同じ様に笑うとすぐにその気持ちを流した。
陽の光を完全に遮断した暗闇に覆われた部屋に二人は居た。
バーツが奥に進むと、少し手狭な部屋に辿り着く。
その部屋の中央に、布の被されたなにかがあった。
「これが治療に使う物だよ」
布の上からでも、強い魔力を感じて目を見張る。
ヘイス自身はこういう物に詳しくはないのだが、それでも言葉にし難い感触があるのはわかった。
布を退けると、光り輝く大きな石が姿を現す。
「……これ、この間の洞窟の石と似てるね」
「そうだね、ただあれよりはずっと質のいい石だよ」
それを手に取るとヘイスに差し出す。
受け取ったヘイスは、視線を落とした。
バーツが一つ魔法を唱えると輝きが一段と強くなる。
石から放たれた光がヘイスを包み込んだ
眩しさに思わずそれを落としそうになるが、バーツも手を添えてヘイスを支えた。
「大丈夫、じっとしてて。怖くないよ」
光に照らされたバーツは目を閉じていて、
それと同じ様に目を瞑って何度も呼吸をした。
身体の表面を覆っていた魔力の光が、体内に侵入する。
湯に浸かっている様な感覚をヘイスは覚えた。
不思議と安心できる気がして、そのまま身を任せると
侵入する速度が上がり、程無くして無くなった。
魔力が渡されたのだと理解していた頃に、石の重みが増した。
体勢を崩したヘイスをバーツは身体全体で受け止める。
「すごいねヘイス、魔力をちゃんと受け入れてた」
石の光が消えてなにも見えなくなった空間に明かりを浮かべて、バーツが話す。
「……なんだか、楽になった」
「うん、あとは身体に魔力が馴染めばそれで元に戻れるはずだよ」
石を返すと、バーツがまた魔法を唱えてそれを石に渡した。
石は最初に見た時よりも少し光を濁らせていたが、それでもまた光りだす。
それに布を被せると、バーツが振り返った。
「戻ろっか」
それに頷くと、バーツがヘイスの手を握ってその場を後にした。
淡い石の光だけがいつまでもその場に輝いていた。
外に出ると、空を見上げる。
「ヘイス」
その隣でバーツの様子を見ていたヘイスが、名前を呼ばれて顔を上げた。
バーツはヘイスに身体を向かせると少し距離を詰めて、
いつもの笑顔ではなく真顔で言葉を発する。
「悪いけど、先に村から出て隠れていてくれないかな?」
「え? どうして?」
「この村には決まりがあってね、長老の候補は伴侶が決まったら
本当に長老に相応しいかどうか見定めるために試練を受けるんだ」
「試練?」
首を傾げると、それにバーツが頷いた。
「危険だから、ヘイスは先に外に居てほしい」
「バーツはどうするの? そんな事して平気なの?」
「僕は長老に話をしてから合流するよ、ただ……候補からは外されるかもね」
村での立場というものを、バーツは全て捨て去ろうとしていた。
「それじゃバーツが」
「平気だよ。それにこの村にまた帰ってくるとも思っていなかったし、帰ってこられただけで満足だから」
後悔するつもりも無いのか、バーツがにっこりと笑った。
「それじゃヘイス、外で待っててね」
他に言う事は無いのか、手を振るとバーツは歩き出した。
その後姿をヘイスは見つめていた。
一人になると、俯いたバーツが笑みを浮かべた。
後は自分が上手くここから抜け出せばいいだけだ。
怒りを買うのは覚悟していて、
案じているのはヘイスが無事に村を抜け出せるかどうかだった。
「ボルク達連れてきて外で待っててもらったほうがよかったかなぁ?」
呟いてみるが、やはり面倒になると思い直して足を更に踏み出す。
村で一番大きな建物にやってくるとその中へと入った。
長老と数人の村の者の視線を一身に受け止める。
「バーツか、今日の夜に儀式を執り行う……準備はいいな?」
黙って、それに頷いた。
「伴侶の者はどうした?」
流石に目敏く長老はヘイスが居ない事を指摘した。
「今、家で心を落ち着かせています」
それらしい理由を、笑って返す。
「本当か? もしも伴侶が逃げ出すような事があればおまえを拷問にかけるぞ」
背中に冷たい汗が流れた。
ここで知れてしまうのはさすがに不味い。
それでも、ヘイスをここに連れてくるよりは良かったはずだ。
試練を受けて下手をすれば二人とも命を落とすのだ。
それならば、自分一人が命を落とさない拷問を受けるべきだと思った。
「誰か、バーツの家に使いを出せ」
「待ってください」
バーツが立ち上がった。
今はまだ、ヘイスが村の中に居るはずだ。
ここでヘイスが見つかってしまっては全てが狂ってしまう。
「どうした? 本当に伴侶が居なくなったのか?」
見透かされている様な気分に陥った。
平静を装ってはみるが、時間の問題だろう。
緊張で張り詰めたその場に、外から足音が入り込んだ。
振り向くと息を切らしたヘイスが居た。
「ヘイス……」
その姿を見て、バーツが名前を呼んだ。
「ちゃんと居るようだな、交わる声も聞こえなかったし偽者かと思っていたぞ」
それを聞いてヘイスが驚いた顔をするが、長老をまっすぐに見つめる。
「僕はここです、試練を受けます」
息を整えながら、それでもヘイスはしっかりと返事をした。
「儀式は陽が沈む頃だ、それまでは二人きりで過ごすがいい」
出てゆけという合図を手でされて、二人は部屋を出た。
「……どうして来たの?」
誰も周りに居ない事を確認してからバーツが口を開いた。
「だって、あのままじゃバーツが」
「平気だって言ったでしょ」
「拷問って言ってたよ……?」
そこまで聞いていたのかと、内心舌打ちをする。
「拷問だって耐えてみせるよ、それより……試練を上手く乗り越えられるかなぁ」
過ぎた事を悔やむのを止め、すぐに次の事を考えた。
「とりあえず時間まで部屋に居るよ」
ヘイスの手を握ると共に歩いた。
他の者からは、立派な伴侶に見えるのだろうかと考えていた。
バーツの家に一度戻ると、床に座って時間が来るのを待っていた。
「それにしても、長老の人が言ってたけど交わるって……」
空を見ていたバーツが、苦笑いをしながら振り返った。
「本当は、夫婦と何ら変わらないものなんだ。ごめんね」
「なんで言ってくれなかったの?」
「言ったら、ヘイスが嫌がりそうだったから……村を出たら言うつもりだったんだよ」
確かに先に言われていては緊張してしまい、普通に振舞えなかったかも知れない。
それでも声が聞こえなかったという理由で疑われてしまっているのだが。
「そ、その……したほうが、いいの?」
俯きながらヘイスが問い掛ける。
なにを言っているんだと自分でも思うが、怪しまれるのだけは避けたかった。
「しなくていいって、別に本当の伴侶じゃないんだから」
慌ててバーツがそう言うと、寝床に横になった。
それに合わせる様にヘイスもその隣に落ち着く。
「でもこのままじゃまた疑われるかも知れないよ?」
顔を向かい合わせていたバーツもそう言われて少し考える。
次には考えるのをやめたのか、ヘイスの上に覆い被さった。
「ヘイスはしたいの?」
言いながら、服を着崩すバーツの露出は多くなる。
それを見てヘイスが固まった。
バーツの身体が下りると身体を抱き締められる。
「バーツ!」
思わず声を上げるが、バーツは止まらずに服を弄りはじめる。
「や……くすぐったいよバーツ」
「ここがいい?」
バーツが笑うと、手が怪しく動く。
触れるか触れないかという距離で、身体中を弄られて思わずヘイスが声を上げる。
掌が滑る度に、慣れない刺激に身体を震わせる。
もう一度ヘイスが名前を呼ぶと、その動きが止まった。
そのまま身体を抱き締められた。
「静かにして」
耳元でそう呟かれた。
荒い息だけがその場に響いていたが、不意に外の離れた場所から微かな物音がした。
「行ったみたいだね」
身体を起こして乱れた服を元に戻すとバーツが笑った。
先に進んでしまうのかと心配していたヘイスは、閉じていた目をどうにか開く。
「ごめん、見張りの人が居たからちょっと張り切っちゃった」
子供らしい笑みをバーツが浮かべて謝る。
「……なるほど」
てっきり、そのまま事を進めてしまうのかと思っていたヘイスは安堵した。
バーツはそれでもよかったのかもしれないが、不意の事で本能的に嫌がっているのが
充分伝わった様で、軽く触る程度に留めてくれていた。
「時間まで少し寝ようか」
その身体が再び横たわると、目を瞑る。
昨日はあまり眠れなかったのだろう、バーツが腕を伸ばしてヘイスを抱き締めた。
「ごめんね」
大きな腕で包みながら、バーツが囁いた。
瞼を開くと、バーツの寝顔が見えた。
バーツの寝顔をまじまじと見た事がなくて、珍しい気分になる。
起き上がると、ヘイスは硝子の無い窓から外を見た。
遠くで沈んだ太陽が、姿こそ見せないが最後の光を懸命に世界に届けていた。
暫くその光景に見惚れていると、眠っていたバーツの巨体が動く。
「……もうこんな時間か、そろそろかな」
その身体が起き上がると、乱れていた服を直す。
傍に置いていた鮮やかな色の羽根の髪飾りを取るとそれを頭に置いた。
「まぁ、どうせすぐ外すんだけどね」
そう言って苦笑いを零される。
次には一度家の奥に姿を消すと、少しの間を置いて手に服を持って現れた。
「これヘイスの、少し大きいかな?」
その服を布団の上に置いて、外で待つと言いバーツは姿を消した。
置かれた服を手に取ると服を脱いでそれを身につける。
バーツの物より色は控えめだが、同じ様に森の匂いがした。
身嗜みを整えると外へ出る。
傍の椅子に座って身体を丸めたバーツが背を向けていて、
まだ低い位置にある月がその身体を淡く照らしていた。
「なにしてるの?」
振り返ったバーツの顔を見て、ヘイスは目を見開く。
「似合う?」
指先に赤い塗料を掬っていて、頬や腕にそれを塗っていた。
「ヘイスにも塗ってあげるね」
赤く染まった指先がヘイスの頬に触れる。
ひんやりとした感触がしたが、それはすぐに止んだ。
「大丈夫、水ですぐ落ちるからさ」
塗った液体を手で少し擦ると、馴染んで本当の模様になった。
頬の次は腕、それが終わるとふざけた様に胸にも塗られる。
「似合うねヘイス、その格好」
ヘイスの格好を見て満足したのか、バーツは笑うと
そのまま液体の入っている壷を片付ける。
「それじゃ、もう行かなきゃね」
月の下で振り返ってバーツが言った。
月光に照らされた赤い部分が淡く光っていて思わず息を呑んだ。
長老の家に行くと、奥へと通されると外の広場に出た。
振り返ると、作られた柵の向こうで何人もの村人がこちらを見ていて恥ずかしい気分になる。
視線を正面に戻すと長老が自分とバーツを見つめていた。
「儀式の前に今一度問う。バーツよ、本当にその者はお前の伴侶なんだな?」
訝しげに見つめられてヘイスが俯く。
「もちろん、嘘言ってるように聞こえます?」
笑ってバーツは言ったが、その身体に魔力が集まりはじめていた。
これ以上ヘイスを侮辱するなと、そう言いたいのだろう。
実際、嘘なのだからそんな事をしてはいけないのだが、
懸命にヘイスを庇っていた。
「儀式を執り行う」
諦めた様に長老が言うと、そのまま姿を消した。
「ヘイス、準備はいいよね?」
怯んでいたヘイスに優しく声を掛ける。
ヘイスが返事をするよりも早く、広場の奥から唸り声が聞こえた。
足音が徐々に大きくなると、周りに幾つも存在する篝火がそれを照らし出す。
大きな狼の様な、それでも通常のものより数倍大きな姿をした魔物がそこに居た。
「こ、これ……倒すの?」
「そう、頑張らないとね」
バーツは笑うのだが、ヘイスは顔を引き攣らせていた。
「下がっててねなるべく」
バーツが一歩前に出た。
バーツの掌から光が生まれる。
生まれた光は火となり水となって、魔物を追い立てた。
その内の何発かは確かに魔物に直撃をしているのだが、
その度に魔物は首を横に振るだけで、怯みもせずバーツへ飛び掛っていた。
今度は突風を吹かせて魔物を吹き飛ばす。
戦う様子を、ヘイスはただ見つめているだけだった。
なにか、自分もバーツを助ける事をしなくてはならない。
そう考えるのだが、自分ができるのは簡単な治療だけで、
時折攻撃を受けたバーツに駆け寄り、僅かな魔力を渡すだけだった。
バーツが地面に掌を置くと魔物の周辺の地面が沈下する。
そのまま一度雄叫びを上げると、辺りの大地から切り取った巨大な岩が魔物に降り注いだ。
魔物も同じ様に叫ぶと岩の速度が緩み、その隙に抜け出す。
「あー……強いよ、もう……」
一度下がってうんざりした顔でバーツが呟いた。
飄々としているのだが、今までに感じた事の無い力をその身体に宿していて思わず圧倒される。
「大丈夫? バーツ」
流石に今はバーツが優勢だが、その魔力にも限りがあるのだろう。
傍に寄ると再度少ない魔力をバーツに渡した。
二人が固まっているのを見て、魔物が地面を抉る様に払った。
慌ててバーツが結界を張ると飛んできた岩を全て防ぐ。
「厳しいかもね、ギブアップしちゃダメ?」
「……それは駄目なんじゃないの?」
「じゃ、頑張ろ」
結界を解くと同時にヘイスから離れると、その腕から炎が飛び出す。
軽やかに宙に飛んでそれを魔物は避けた。
既に天高く昇った丸い月がその後ろにあって、綺麗だとヘイスは思う。
追い討ちをバーツは掛けるが、身体を捻ってそれも避けられる。
地面に向かった魔物に新しく魔法を唱える。
魔物はそれを見て一度怯むと、急に方向を変えた。
「……えっ」
自分に向かい疾駆する魔物を見て、ヘイスが慌てた。
魔物が口を開くと鋭利な牙が何本も目に飛び込んだ。
視界が、なにかで埋め尽くされる。
自分の元に駆け寄った熊人の腕だった。
それに、魔物が牙を通すとバーツが短い悲鳴を上げる。
次には、硬い物が砕ける音がした。
短い悲鳴、誰の声か、そう思ったが数秒後にそれが自分の物だと理解する。
バーツが脅かす様に魔法を放つと一度魔物は離れる。
噛まれた腕から、夥しい量の血が流れていた。
「バーツ!」
慌ててその腕の様子を見る。
「痛い痛い……」
笑っているが流石に痛みは隠せないのか、その顔に焦りが浮かんでいた。
ヘイスは掌に有りっ丈の力を籠めて、光を溢れ出させる。
無茶な力を使っているが、それ以上にバーツは命を張っていた。
「ヘイス、離れてて」
「でも!」
「大丈夫だから」
余った手が、身体を後ろに押す。
噛まれた右腕からは血が滴っていて、それを見つめる。
魔物がすぐにバーツへと飛び掛った。
ヘイスは思わず目を塞ぎそうになるが、それよりも先に不思議な光景を見た。
右腕から伝う血は指先から地面に落ちるものだと思っていたが、
そこから、更になにかを伝って地面には落ちずにどこかに続いていた。
バーツが左腕を上げると、一瞬にして魔物の動きが止まる。
なにが起こったのか解らないのか、魔物が暴れていたが、
よく見るとその身体に何本も細い線が伝っていた。
「ごめんね」
バーツが最後にそう言うと、上げた手を握り締めて振り下ろす。
途端に周りから目に見える程の強力な魔力が現れて線を通って魔物に届く。
届くと同時に、魔物が叫び声を上げて倒れた。
バーツの腕から聞こえた、骨の砕ける音がした。
声を上げて倒れた魔物をヘイスが見つめる。
「バーツ、なにしたの?」
恐る恐る質問をした。
辺りに張られていた線は、バーツが魔力を弱めるとすぐに消え去った。
「魔法の糸を作って捉えてから、ちょっと骨に直接魔力を渡して砕いただけだよ」
それを聞いてヘイスが震える。
そんな事を易々とこなす目の前のバーツは、右腕から血を流しながらもまだ平気な顔を作っていた。
「大丈夫、死なないから……手足しか砕いてないしね」
バーツも殺す事は本意ではないのか、魔物に歩み寄るとその頭を撫でる。
魔物はいつの間にか大人しくなっていた。
「それにこのモンスターは儀式に使われる森の聖獣だから、無闇に殺しちゃ駄目なんだよ」
振り返って笑顔でバーツが言った。
周りから歓声が起こる。
あまりのバーツの迫力に固まっていたヘイスだが、勝ったという事を今更認識していた。
「よかった、勝てたんだね」
バーツに駆け寄ると、笑顔を向けると片腕で抱き締められる。
一度離れて今度は顎を掴まれると、口付けをされた。
突然のことにヘイスは暫く固まるが、更に歓声は強くなった。
漸くバーツが離れるとヘイスはその顔を見つめるが、身体がふらついていた。
「……もう駄目かも」
膝を着くと、バーツが前へと倒れ込む。
押し倒されそうになりながらもどうにかヘイスはそれを受け止めた。
「バーツ、手!!」
すっかり忘れていたが、その腕からは未だ血が流れていてヘイスは焦る。
すぐに村人数人が傍に寄ってきて気絶したバーツを運ぶ。
ヘイスの元へ長老がやってくる。
「バーツの傍に居てやってくれ」
頷くと、ヘイスも走ってその場を後にした。
元の家へと戻ると、バーツを寝床に寝かせた。
応急処置は受けたのか、その腕には包帯が巻かれていたが、
血が滲んでいて痛々しさを感じる。
椅子に座っていたヘイスが溜め息を吐いた。
またバーツの足を引っ張った。
何度も思い返すが、傷の治療をしなくてはならないと自分に言い聞かせて魔力を集める。
腕に掌を当てて暫く時間が経過するが、自分の力では完全には治療できなかった。
次第に魔力の流れが少なくなり気が遠くなる。
先程までヘイスも魔法を使っていたので、長続きしない事はわかっていた。
それでもバーツの傷を治す事だけを考えて再度治療をしようとするのだが、
既に魔力を集める事もできなくなっていた。
する事が無くなるとまた自分を責めはじめてしまうのだが、
不意に自分の治療に使ったあの石を思い出した。
魔力の足りなくなっている自分を元に戻した石だ。
あの石に触れられれば新しく魔力を得られるのではないだろうか。
そう思うと慌てて立ち上がった。
「……一応、僕も伴侶なんだし」
自分の立場を考えても、使う事は不可能ではないはずだ。
部屋から出る間際に眠るバーツの顔を見る。
痛みのせいなのか、表情は険しかった。
小屋の前に行くと、前とは違い見張りが居たが、
堂々と歩いて一度頭を下げるとなにも言われずに通る事に成功する。
石のある部屋に行くと、石は変わらずそこにあった。
掛けてある布を一度取り上げると光を確認する。
初めて見た時より光は弱かったが、それでも充分な魔力を感じた。
布を被せて外に出ると見張りの者に呼び止められる。
「バーツの治療に使います」
治療の事で頭は埋め尽くされてるのもあり、はっきりとそう言った。
バーツの状態はそこまで悪いのかと思われたのか、行けと指示を出される。
部屋に戻るとそれを傍の机に置く。
一度、その腕に巻かれている包帯を巻き取った。
止血はしてあったが、その傷を見て思わず恐怖が浮かぶ。
包帯を取る瞬間のバーツの顔は苦痛に満ちていた。
流石に眠っている時までは痛みを隠せないのだろう。
「やっぱり我慢してたんだ……」
どこまで目の前の熊人は優しいのだろうかと思った。
自分一人が拷問を受ける事を迷う事なく選び、人を庇って骨を砕かれる。
そこまでする程、自分に価値があるとヘイスは思えなかった。
考える事をやめると石に被せてある布を取り払ってその上に掌を当てる。
今はそんなくだらない事を考えている場合ではない。
洞窟の中で、バーツがやっていた事の真似をした。
石から昇った光が掌に吸い込まれて消える。
同時に身体中に魔力が駆け巡った。
もう片方の掌を傷口に向けると漸く治療を再開する。
体内を多量の魔力が行き来して眩暈がした。
自分が操れる力ではないのだろう、長く持っていると人体に影響があると言ったバーツの言葉が浮かぶ。
それでも、決して途中でやめることはなかった。
心地良さに包まれながらバーツは目覚めた。
この寝床で深く眠ったのは何年振りだろうかと考える。
村を飛び出したあの頃よりも、更に数年前の事だ。
考えている途中で、腕の骨を砕かれた事を思い出した。
「あれ?」
普通なら起きて一番に感じる痛みを、何故か感じなかった。
気絶する前までは気が狂いそうな痛みを確かに感じていたのだ。
起き上がると自分の足になにかが乗っていて、
目を凝らすと、ヘイスが布団に倒れ込んでいた。
「どうして……」
ヘイスに、自分の傷が治せるはずがない。
そう思って辺りを見渡すと、机の上にあの石が置いてあるのを見つけて眠気が完全に消えた。
慌てて石を手に取るが、ほとんど魔力を感じる事はなく、
この力を使って傷を治したのだろうかとヘイスを再び見つめる。
石を乱暴に置くとその身体を抱き寄せた。
身体からの魔力はほとんど感じられず、体温も少し下がっていた。
「……こんなんじゃまた石が必要になるよ、ヘイス」
幸い石の治療が必要な程ではなかったが、放って置けばやはり危なかったのだろう。
抱き締めたまま横になると、自分の魔力を分け与えた。
「もっと僕がしっかりしてればな……ごめん」
自分は謝ってばかりだと思いながら、何度目かの謝罪をした。
長老の部屋に二人は居た。
長老以外に人は見当たらず、予め人払いをしていたのだろう。
「昨日はご苦労だった、いいものを見させてもらった」
二人の視線の先に居る長老がそう言った。
「ただ、一つ気にかかることがある……やはり、その者は本当の伴侶なのか?」
ヘイスが逃げるだけだったのを見て疑問を感じたのだろうか、長老はヘイスを見据える。
「本当ですよ、見てください」
バーツが意気揚々と右腕を見せ付ける。
腕には包帯が巻いてあった。
「骨を砕かれたのだったな、平気なのか?」
無言でバーツは包帯を取り払った。
太い腕と体毛が見えても、傷は見当たらずに長老が目を見開く。
「ヘイスが治してくれましたから」
長老がなにかを言うよりも先に、バーツは笑顔で言う。
なにも言い返せないのか、長老が俯いた。
「わかった、お前たちを認めよう」
それを聞いてヘイスの顔にも笑みが浮かぶ。
漸く、認めてもらえたのだ。
本当は騙している事になるのだが、それでもこれでバーツが疑われずに済むのが嬉しかった。
「儀式は終わった。お前のことだ、もう帰るつもりなのだろう?」
「さすが長老、よくわかっていらっしゃる」
「お前の事は産まれた時から知っているからな」
からかう様なバーツの物言いも慣れているのか、特に反応を示さなかった。
挨拶を済ませると二人が立ち上がる。
「少しは村の様子を見てはどうだ? 久しぶりに帰ってきたのだろう」
出て行ったバーツをまだ村の一員だと捉えているのか、
扉代わりになっている布に手を掛けたと同時に長老が言葉を吐き出す。
「そうしたいのは山々ですが、警戒する者も居りますので」
振り返ってバーツが返事をする。
外に出る事を良く思わない者が村には居て、迂闊に顔を出すのは危険だと思っていた。
「確かに、外の者との交流を持つお前を毛嫌いする輩は居るかも知れんが、
お前は長老候補で儀式も無事に済ませた、お前に意見できるのはわしぐらいのものだ」
「それは、遠回しに僕のこと攻撃してます?」
「馬鹿を言え、それならばお前は長老の候補ですらない」
長老の表情が、柔らかくなった。
家に帰ると、バーツが重苦しい息を吐いた。
「さて、これで帰れるね」
ヘイスの治療も済んだ今、既にここに用は無かった。
ギルドでは今頃あの二人が自分を恨んでいるのかと思うと苦笑いを零す。
「バーツ、いいの? 村を見なくて」
隣に居るヘイスが問い掛けてくる、久しぶりに帰った故郷なのは確かだった。
「いいんだよ、どうせ見慣れたものしかないんだし」
旅立つ前にも、一度村を見て回ったのを思い出す。
既に周囲には自分が村を出る事は伝わっていたのか、ほとんどの者が蔑む様に自分を見ていて、
それを今繰り返す気にはならなかった。
「バーツ……帰るまで、この服でもいい?」
服を手に掴むと、名残惜しそうにヘイスがそう言った。
「いいよ、そんな物でよかったら」
伴侶になる者へ贈る服だが、次いつここに戻ってくるのかも考えていなかったバーツは
初めからそれをヘイスの所有物として見ていた。
本当は、町で生きてきた者がこんな服を気に入ったのかと内心驚いていたのだが、
意外にもヘイスは気に入っている様だった。
もっとも、ギルドで家事に勤しむには動きにくい服なのだから、
あまり着る機会は無いのだろうと思う。
許しを得ると嬉しそうにヘイスが服を弄る。
「ギルドに帰るまでは、バーツの伴侶だね」
外から来たヘイスは村の誰からも顔を覚えられておらず、
この服が無ければ、伴侶としては気づかれないのだろう。
伴侶の証の様な物だった。
黙ったままバーツがその身体を抱き寄せる。
無言で、数分の時が過ぎた。
「バーツ?」
様子の違いに、ヘイスが不安そうに名前を呼ぶ。
それに反応したのか、回した大きな掌で何度も優しく背中を叩いた。
バーツが離れるといつもとは違って薄く笑う。
「今は、まだ僕の大切な伴侶だからね」
こんな服や、長老の許しなんかが無くても大切に思う気持ちは勿論あるのだが、
「帰ろう」
それは言わずに、纏めていた荷物を持つとバーツは外に出た。
「ただいまー」
扉を開いたバーツが元気良く声を出す。
隣のヘイスは、歩き疲れたのか目を細めていた。
最初は二人揃って村の事を話していたのだが、ふと鼻に異臭が届いて慌てて奥に視線を戻す。
「……なんの臭い?」
ヘイスが顔を顰めた頃に奥から人影が現れる。
現れた相手は、暫くこちらに向かって歩いていたが途中で膝を着いた。
「ボルク!」
その姿を認識すると慌ててヘイスが駆け寄る。
「大丈夫!?」
膝を着いたまま動かないその身体を心配する。
「戻ってきたんだな……ヘイス」
顔を上げたボルクはヘイスを見て心底幸せそうな顔をしていた。
その身体が傾く。
身体を抱き止めて、ヘイスが泣き出しそうな顔でバーツを見つめる。
「どうしようバーツ……」
「ちょっと通るよ」
無表情のバーツが傍を通り過ぎた。
なにかを言いたかったが、瀕死の状態で腕の中に収まるボルクの事が心配で声も出せず、
何故こんな状態になっているのかと懸命に様子を見た。
混乱していると、家の奥からバーツの笑い声が聞こえた。
「……え?」
思わず目を丸くするが、上がった笑い声は建物の中にいつまでも響いていた。
「……ボルク、なにしてたの?」
腕の中のボルクに問い掛ける。
恥ずかしそうな顔をして、俯いていた。
その身体を壁に寄り掛からせるとヘイスも奥に向かう。
食堂に着くと異臭が漂っていたが、
壁を何度も叩いて大笑いするバーツもそこに居た。
「ど、どうしたの?」
笑い過ぎて涙さえ浮かべているバーツを、訝しげに見つめる。
「ごめんごめん」
笑いながら、バーツが指を差した。
テーブルの上に何かがあって、注意深く見るとそれはディストだった。
ボルクと同じ様にその身体からは気力が感じられず、傍に寄る。
「ディスト、大丈夫?」
投げ出された手を取って問い掛ける。
「……ヘイス」
十秒程経過してから、ディストが口を開いた。
「…………飯」
そう言うと、ディストがまたテーブルの上に身体を投げ出した。
バーツの笑い声だけが耳によく聞こえた。
目の前に並べられた料理を貪るディストとボルクを見て、ヘイスが苦笑いを零した。
その隣では次の料理を作りながら、バーツは必死に口元を押さえていた。
「ま、まさかなんにも食べてなくて倒れてたなんて」
先程までの二人の様子を思い出したのか、料理に唾が入らない様に顔を横に向けてまた笑い出していた。
「バーツ、笑いすぎだよ……」
注意をするヘイスも、最初は真顔でそう言ったのだが、
狂った様に料理を食べる二人を見ると顔を綻ばせた。
「大体もう立派な大人なのに料理もできないなんて」
「……俺は未成年だ!」
食べる手を休めて、ディストが高らかに宣言する。
「ヘイスや僕もそうだけど?」
見下ろしてバーツが鼻で笑うと、同時に出来立ての料理を置く。
それに素早くディストが手を伸ばした。
「ボルクは?」
三人の視線がボルクに注がれた。
それを受け止めてボルクの動きが止まる。
「実は一回こいつが挑戦したんだけどよ、結果は……」
ディストがゴミ箱を指差す。
そこから強い臭いが漂っていて、原因はこれだったのかと納得する。
ヘイスには知られたくなかったのか、ボルクがディストを睨んでから項垂れていた。
「で、でもさ、誰だって向き不向きはあるんだしいいよね別に」
ボルクの落ち込んでいる空気を感じ取ったのか、ヘイスが明るく振舞う。
「それに料理を作るのが僕の仕事なのに、居なかったせいだし……ごめんね」
ボルクが顔を上げて左右に振った。
今回は仕方のないことだと考えているのだろう。
「で、帰ってきたって事はもう元気になったんだよな?」
場の空気を変える様にディストが言葉を吐き出す。
それにバーツは笑顔で頷いた。
「それはもちろん、バッチリ」
「明日からまた頑張るよ」
空になった皿を流し台にヘイスが運びはじめる。
動きに不自然なものが見当たらないのを確認してから、ディストは料理を味わう事を再開した。
夜も更けて、ギルドの中は静けさで包まれていた。
欠伸をしながらディストが廊下を歩く。
「いやー、久しぶりに食ったな」
本当はそれほど時が経っていなかったが、空腹の間はそれが永遠の様に感じられていた。
自分の部屋に帰って眠ろうと決めていたのだが、食堂に明かりが灯っているのを見つける。
「なんだ、まだ起きてるのか?」
部屋に入ると、ヘイスが背を向けていた。
自分の声にその身体が振り返る。
「ディスト……うん、仕事が溜まっててさ」
主に自分とボルクが汚したものの後始末なのだと思うと、少し申し訳ない気分になる。
「無理するなよ、まだ病み上がりだし帰ってきたばかりなんだろ」
前にバーツに村の場所を訊いた事があったが、一日歩き通しで漸く辿り着くと聞いていた。
本当なら今すぐにでも眠りたいのだろう。
「それにしても、その服」
注意をした次にはヘイスの身に纏う服に気を取られる。
確か、バーツも似たような物を着ていたはずだった。
食べる事に夢中でさっきは気にも留めていなかったのだが、
大分薄くなっていたが、頬や腕にも微かになにかを塗った跡があった。
「これ? 村に行った時にバーツから貰ってね」
貰っていいのかとヘイスは尋ねたが、村に戻ってくる保障はできないからと笑って頷かれていた。
「伴侶の証なんだって」
「なにっ!?」
眠気が一瞬で吹き飛んだのを感じて声を上げた。
それを聞いたヘイスが目を見開くが、次には笑いはじめる。
「でも治療を受けるには伴侶になる必要があったから、態々バーツがそう言ってくれたんだよ」
伴侶と言ったのなら、当然この服も着なければいけないのだろう。
ヘイスはそれを疑う事もしないのか、気に入った様に服を触っていた。
今頃機嫌良く眠っているであろうバーツに一言言いたかったのだが、
治療に必要だったのは本当の様で結局溜め息を吐いて頭の考えを隅に追いやった。
「ヘイス、そろそろ寝ろ」
考えを追いやるとまた別の考えが浮かんでくるもので、
再びヘイスの身体を気遣う気持ちが湧いてきた。
「でもまだ仕事が」
「明日でもいい、大体そうやってなんでも手を出すからああいう事になるんだ」
「……ごめん」
返す言葉が見つからないのかヘイスが俯いた。
ヘイスの腕を取ると、軽く頭を撫でる。
「よし、わかったらちゃんと寝るんだぞ」
そう言われて恥ずかしそうにヘイスが頷いた。