ヨコアナ
3.幸せのかけら
「ヘイス、もっと力入れて」
「ん……」
息を切らしながら、ヘイスはどうにか返事をした。
「もっと強く」
「で、でももう……うわぁっ!?」
小さな爆発が起こった。
反動で、ヘイスが地面に尻餅をつく。
「あちゃー……」
バーツが苦笑いをして掌で顔を覆った。
次には手を伸ばすとヘイスの腕を掴んで引っ張り上げる。
今、ヘイスはバーツの指導で魔法の鍛錬をしていた。
まだ魔法自体に慣れていないヘイスに、バーツはとりあえず魔法を使う様に命じる。
それで、掌に魔力を圧縮させる作業をしていたのだが、
それがたった今爆発したところだった。
「結構いい線いってるとは思うんだけどねぇ」
手本を見せる様にバーツが掌に光を宿した。
魔力の強さは、先程ヘイスが全力で籠めたものよりもずっと強い。
それをヘイスが尊敬の眼差しで見つめていた。
「ちょっと集中力が足りないのかな?」
注意を受けて、ヘイスが項垂れる。
それでもこれはヘイスのためになるのだ。
それをヘイス自身もまたわかっているため、素直に注意を聞いていた。
「でもまぁ、ディストよりマシ」
「誰よりマシだって?」
バーツがディストの名前を口にした途端、物陰から本人が飛び出した。
目が合うと、わざとらしく口元に笑みを浮かべられる。
「……ディスト趣味悪い」
それを迎えたバーツも、似た様に嫌がる素振りをしてそう返した。
「偶々だ偶々!」
疑いながらバーツがその姿を見つめる。
ディストが来たのを知ると、ヘイスが傍に歩み寄り笑顔で迎えた。
それに照れた様子でディストが対応をする。
再びディストと目が合った瞬間、バーツが皮肉る様に笑った。
「なんだよ」
「仲いいって、いいことだよね」
それだけ言うと、バーツはヘイスに一度近づいた。
「それじゃヘイス、今日はここまでね……無理すると危ないから」
真横を通り過ぎると同時に魔法を唱えてヘイスへと光が渡される。
この間と同じ精神を安定させる魔法だった。
去りゆくバーツに礼を言い、その場に二人だけになる。
「急に魔法の勉強するようになったんだな?」
バーツの気配が無くなると、ディストが待っていたかの様に言葉を吐き出す。
「役に立ちたいから……この間は途中で気絶しちゃったし」
ディストの傷は、バーツのおかげもあり今は大分塞がっていた。
遠出していた間は、ギルドに二人だけで残っていたので、
ヘイスがディストの身の回りの世話までしていたのだ。
漸くバーツが帰ってきた時喜んでいたのはヘイスだけで、
ディストはもう暫くこの生活を満喫していたい様だった。
ギルドの忙しさも今は嘘の様に無くなっていて、
ゆっくり休めるとバーツは言ったが、ディストは財政が気になるのか複雑そうな顔をしていた。
「今ギルド暇みたいだから、バーツに頼んだの」
「……暇で悪かったな」
暇という言葉に、敏感に反応したディストが泣いた振りをする。
ヘイスが慌てた様子を見せると、すぐにそれを止めて意地悪そうに笑った。
「ところでディスト、ボルク知らない?」
「ボルクぅ?」
突然ボルクの名前を出されて、ディストが怪訝そうな表情になる。
「落ち着いてきたのに、最近見ないからさ」
「そういや、見ないな」
知人から呼び出しがあったと言いギルドを出てから、ボルクは帰らなかった。
元々最近の忙しさで休む暇を与えられなかったためディストはなにも言わず許可を出したのだが、
何日も連絡が無いのが気懸かりだった。
「ほっときゃ帰ってくるだろ?そのうち」
「そうかも知れないけど」
また、この間の様にボルクの態度が変わってしまったのかとヘイスは不安になる。
空を見上げると、昼を過ぎた辺りでまだ明るかった。
「……ディスト、僕買い物行ってくるよ」
「は?買い物?」
またも関係の無い言葉を出されてディストは眉を顰める。
「買い物って、別にまだ食料はあったはずだが」
「と、とにかく行ってくるね」
誤魔化すのが難しいと悟ったのか、そう言うとヘイスは足早に手を振って走り出した。
「……財布も持たないで買い物か」
どこに行くのかはわかっていて、それを見送るとディストはギルドへと戻る。
ほんの少しだけ、溜め息を吐いた。
ボルクを捜して街を歩いていた。
ギルドから出たまではよかったが、ボルクがどこに居るかなどわかるはずもなく、
困った顔で街を見渡していると、身体に微かな感触を覚える。
空を見上げると、いつの間にか集まっていた雲から僅かながらに雨が降っていて、
それが次第に強いものへと変わっていた。
「……どうしよう」
傘を持っているはずもなく、ギルドへ戻ろうかと振り返ると、
その視界の隅に捜していたボルクの姿が一瞬だけ映る。
身体に敷かれた鮮やかな縞模様は、少し濡れている今もよく映えて見えたのだが、
そのまま声を掛ける間も無くボルクは姿を消した。
慌ててそちらに向かおうとすると雨が強くなる。
もう一度空を見上げた。
数秒経ってから決心した様に大きく頷くとヘイスはボルクの後を追った。
強かに降る雨は、身体にそれは冷たく覆い被さる。
先程までは気にならない程の勢いだったはずなのに、
今は確実に自分の身体を濡らして体温を奪っていた。
震えながら、それでもボルクを捜す。
辺りは段々と閑散とした景色になっていたが、
それでもボルクを見つけることができなかった。
「ヘイス?」
名前を呼ばれて、顔を向ける。
捜していたボルクが自分を見つめていた。
目の前には、捨てられた仔犬の様になっているヘイスが居た。
実際ヘイスは犬人なので似たようなものだと思うのだが。
次には、ずぶ濡れのその身体が心配になった。
「なんでこんな所に……」
この辺りは店も無く、ただ所々に民家があるだけの場所なのだ。
「ボルクを捜しに……最近いなかったし、連絡も無かったから」
連絡をしなかったのは、単に知人との話が深いところまで進んでいて
頭からそのことが抜けていたからだったのだが、
それを知らないヘイスは心配そうに自分を見つめていた。
随分心配をさせてしまったのだと、一度謝る。
「風邪引くぞ」
自分は身体中に薄い魔力を張っていて多少の雨なら濡れることもないのだが、
その自分の服と体毛も、徐々に水分を吸収しはじめていた。
ギルドまでは遠く、ボルクはこれから自分が向かおうとしていた場所へと視線を向ける。
その方向にヘイスも視線を送ると、古びた屋敷が目の前にあった。
「……でもな、ここは」
視線をヘイスへと戻す。
水を吸って細くなった尻尾の先から水滴が落ちて、身体が震えているのが如実に伝わってくる。
ヘイスの目を見て頷くと腕を引いた。
ヘイスは躊躇う様子を見せたが、然程抵抗する事もなく
そのままボルクは屋敷の扉を開いた。
中は不気味なまでの静けさに満たされていて、怖くなったのかヘイス距離を詰めたヘイスの身体が触れてくる。
身体が触れた瞬間にボルクの動きが固まるが、
濡れているヘイスの身体のことを考えたのか、足を踏み出した。
「ここ、人いないの?」
「今は空き家だ、幽霊の噂が出てから気味悪がって誰も使ってないからな」
「……幽霊」
ヘイスが不安そうな顔になる。
言わなければよかっただろうかと、口にしてからボルクは反省した。
「近頃空き家のこの屋敷から妙な噂が絶えなくてな、それを任されてきたんだここに」
知人に頼まれたためにボルクは渋々ここへ来ていた。。
事情を理解すると、ヘイスは怪しいものはないかと辺りを頻りに探りはじめる。
廊下を歩くと、窓には未だに強い雨が叩きつける様に降っていて、
雷も今は加わったのか、時折光っては数秒遅れて大きな音が廊下中に轟く。
雨は当分治まりそうになかった。
音と光に合わせて、ヘイスの身体が震えた。
「怖くないか?」
「……平気」
とても平気そうには見えない様子で、返事をされる。
不謹慎ながらも、今二人でこうしているのをボルクは楽しむ気持ちも抱えていた。
とにかく休むのに適当な部屋を探さなければと、辺りを見渡すと
丁度扉があり取っ手に手を掛けた。
入口と同じ様に鍵は掛かっていないのか扉は容易く開き、
中の安全を確認するとヘイスへと手招きをした。
部屋は客室の様な造りでベッドもあり、そこにヘイスを座らせた。
一度壁に近づいて持っていた仕事道具の槍を立てかけると振り返る。
「寒くないか?」
「少し」
小刻みにその身体は震えていて、少しなんてものではないだろうと思う。
一度水気を吸った体毛は中々乾かずに体温を奪い続ける。
服は完全に濡れきっているのか僅かに透けていて、慌てて視線を逸らした。
どうすればいいのかボルクは分かっているのだが、それでもしばらくの間迷っていた。
「ヘイス」
息を呑んで言葉を吐き出す。
震えていて今にも倒れそうなヘイスが自分を見上げていた。
「……脱げ」
「えっ」
少し驚いた後、困った顔をされる。
「ち、違う……変な意味じゃなくてだな、濡れた服だと風邪を引くし体力の回復も……」
必死に説明のための言葉を吐き出していた。
説明をしているはずなのに、言い訳をしている様に自分には聞こえた。
「わかってるよ、でも」
言いたい事は伝わっているが、それでもヘイスは躊躇していた。
目の前で突然脱げと言われれば、確かに躊躇もするものだろう。
それでもこのままでは寒さで本当に弱ってしまうのがわかったのか、ヘイスが服へと手を掛けた。
慌ててボルクは後ろを向く。
背中に、ヘイスの笑い声が届いた。
服を脱ぎ半裸になったヘイスは、そのまま布団を被る。
流石に下まで脱ぐのは羞恥が勝ったのだろう。
脱いだ服は、部屋の掛けられそうな場所に掛けていた。
「しばらくここからは動けないな」
「……ごめん」
「いや、いいんだ」
下手に動かして身体を壊しては、それこそ依頼どころではなくなってしまう。
それならば多少遅れてもここで回復を待った方が良かった。
服を脱いだ事と、まだ温もりの伝わっていない布団では寒さを感じるのか、
ヘイスの身体は小刻みに震えていた。
次には目の前で布団には入らず自分を見守るボルクへと視線を向ける。
視線を向けられて、ボルクは他の方向へと視線を逸らしたのだが、弄ばせていた腕を掴まれる。
「ボルク……」
ヘイスは寒さにやられていて温もりがとにかく欲しいのか、
切ない響きを言葉に滲ませていた。
それを見て、仕方ないと何度も自分に言い聞かせてから布団を掴み上げた。
入る間際に僅かにその素肌が見えて、胸が高鳴る。
こんな時に邪な事を考えてはいけないと何度も頭の中で復唱をした。
そのままヘイスを暖めようとするのだが、ボルクの服も冷えきっていて触れるとヘイスが少し顔を顰めた。
「ボルクも脱いで」
頭で考えていた事を、そのままヘイスが口にする。
瞬間的にボルクの頭の中は完全に混乱状態に陥るが、
それでも一度布団から出ると服を脱いだ。
ヘイスと同じ様に上半身だけを曝しだす。
ヘイスに見られているのかと思うと顔が熱くなり、何度か首を振った。
脱いだ服を床に投げ捨てて再び布団に入ると、ヘイスの身体を抱き締める。
しなやかな身体を撫で回す様にしてから腰に触れると、心地良いのかヘイスが声を漏らす。
強請る様に身体全体を擦りつけてくる様子に、自制が危うくなる。 首に埋められているヘイスの口から安堵の吐息が零れる。
息の感触に身体が痺れそうになった。
「あったかい……」
震えていた身体が徐々に大人しくなる。
ヘイスの身体はほとんど濡れていて体温も低い。
抱きしめている自分が震えてしまう程だった。
どうにかそれを掻き消す様に、ボルクはただ平静を装って
暖まる様に強く抱き締めていた。
朦朧とした意識の中でボルクは目を開いた。
腕の中ではヘイスが変わらず自分に抱き締められていて、
思わずヘイスを手に入れた様な気分に陥る。
それでもヘイスは自分の気持ちを知ることもなく、ただ無邪気に笑うのだろう。
これでいいのだと自分に言い聞かせた。
それ以上を求めるのも、これ以上自分を知られるのも、今はまだ怖い。
考えながら、その身体に改めて腕を回すと
目を瞑っていたヘイスが目を覚ました。
「あ……」
瞳を見れば、完全に眠っていたのがよくわかって、
自分が眠っていた事に気づいたのかヘイスが慌てて目を擦っていた。
「ごめん、寝てた?」
この屋敷に来たのはボルクが知人に様子を見てほしいと頼まれたからなのだ。
それを思い出したのか心配そうにヘイスが尋ねてきた。
「大丈夫だ、回復するまでこのままでいい」
本当ならこんな所からは早く帰った方が良いのだが、
今の二人だけの時間がもう少しだけ続いてほしくて、とても急ぐ気分にはなれなかった。
「そっか……」
このままでいいと言われてヘイスは安心したのか、身体を擦りつけてくる。
それだけで自分の胸の鼓動は速くなってしまう。
高鳴る鼓動を誤魔化す様に、ボルクも回す腕に力を籠めた。
「幸せだな」
寄り添いながら、ヘイスが呟いた。
「幸せ……?」
突然の言葉に驚き、しかし遅れて幸福をボルクは感じる。
「僕ね、ギルドに来る前までは一人で暮らしてたから。
こうやって誰かが隣にいるのとか、なんだか嬉しくて」
ヘイスの言葉は、自分が期待していたものとは違っていた。
それでも安心して、幸せなのだと思ってもらえていることが嬉しくて、
ほんの少しだけ口を綻ばせる。
「今すごい幸せなんだと思う、みんながいて」
ヘイスの幸せの一部になれただけで、自分も幸せだと思えた。
抱き合ってから長い時間が経っていた。
抱き締めているその身体は、今はもう冷たさを伝えなくなっていて、
不思議と今はぬくもりを分け与えてくれている様に感じた。
ヘイスが手を伸ばして自分の胸に触れる。
胸の鼓動が速くなった気がした。
ヘイスが起き上がろうとすると、抱き締めていた腕を漸く解いた。
「ボルク、ありがとう」
今度はその身体がはっきりと瞳に映る。
思わず手を伸ばしそうになるがそれを懸命に堪えた。
ヘイスは、自分が今までしていたことが冷静になった頭に浮かんだのか、
恥ずかしそうに俯いていた。
「早く行かなきゃ」
慌てて身体を動かしてヘイスがベッドから抜け出そうとするが、
勢い余って手を滑らし、体勢を崩した。
それを苦労する訳でもなく受け止めると、目の前にヘイスの顔があった。
いつの間にか、腕はまた逃がさないとでも言いたげにその背中に回していて、
衝撃に目を閉じていたヘイスが目を開く。
起き上がろうとして腕に縛られているのを感じたのか、自分の顔を見て表情が変わった。
「ボルク……?」
名前を呼ばれると、途端に力が抜けて腕もすぐに離した。
ベッドから抜け出したヘイスはそのまま掛けてある服の元に行くとそれを着る。
まだ完全に乾いてはいないのか僅かに顔を顰めたが、こちらを向き直ると笑顔になった。
「行こうよ、ボルク」
自分がなにかに迷っているのを感じ取ったのかヘイスは積極的で、
それに頷くと起き上がり、床に捨ててあった自分の服を身に着けた。
ヘイスの服とは違い、投げ捨てていたせいで冷たさに包まれるが、
ヘイスのくれた体温の方が強かった。
雨はまだ止まないのか、窓から細かい音が届いていてヘイスが溜め息を吐く。
この状態でヘイスだけをギルドに帰すのも憚られた。
そして、目の前のヘイスは行こうと言ったのだ。
「……行こう」
それだけをボルクは口にした。
ボルクの背中を見つめながらヘイスは建物を探索していた。
なにが出てくるかわからないと、心配そうに呟いてボルクは前を受け持っているのだ。
それならば、自分はできることをしようと時折振り返ってはなにも変化が無いことを確認する。
「本当に幽霊なんて居るの?」
今のところなにも変わったものは見当たらず、背中に問い掛ける。
「さあな、なにも無いならそれでいいんじゃないか?」
なにも無ければ、そのままギルドに戻り後日それを伝えるだけで済むのだ。
ボルクにとってはそれが一番気楽なのだろう。
ヘイスは役に立ちたいという気持ちがあるので、
なにも起きない今は、少しだけ退屈に思えた。
ボルクが角を曲がった。
後ろを確認していたヘイスは慌ててそれを追うと、
曲がってすぐの部屋の扉が僅かに開いていた。
ボルクはそれに気づかなかったのだろうか、そのまま進んだのか少し先に居て、
扉が気になったヘイスは扉を開いた。
中になにかないだろうかと確認するために室内に入ると、途端に後ろから大きな音が聞こえた。
振り返ると扉は完全に閉まっていて、
慌てて取っ手に手を掛けて弄るが、扉は開かなかった。
部屋の中から妙な気配を感じてそちらに顔を向ける。
見えなかった、なにも。
しかし、何者かが迫る気配だけが伝わってくる。
「……ボルク!」
名前を呼んで、扉を叩いた。
扉は思っていたよりもずっと頑丈ですぐに手に痛みが走る。
そのまま、なにかに包まれた感触と共に身体中から力が抜けて体勢を崩す。
最後に、もう一度だけボルクを呼んだ。
「……ヘイス?」
声が聞こえた様な気がして振り返った。
後ろに居たはずのヘイスの姿がいつの間にか見当たらなくなっていて、
慌てて道を引き返した。
長い廊下を見渡してもヘイスを見つけられなかった。
辺りの気を探るが、自分以外の生き物の気配も感じられず、
ヘイスの存在はどこからも感じ取れなかった。
「どこに行ったんだ?」
先に帰ったということはないだろうと判断すると、ボルクは歩き出した。
頭の中から、依頼の言葉は既に消えかけていた。
それに代わる様に今はヘイスを捜すことに没頭した。
部屋の扉を開いた。
いくつか部屋を回っても、ヘイスの姿は見つけられなかった。
既にこの屋敷の中には居ない可能性も考えられたが、
何故かヘイスは近くに居る様な気がしてボルクは長い間捜し回っていた。
この部屋で何十部屋目だろうかと頭で考えるが、
次には他の部屋と違うことに気づいた。
「ここは……」
左右の壁には幾つも絵が掛けられていて、不気味な印象を受ける。
まだ人が居た頃に飾られたものなのだろう。
そして、部屋の奥には大きな寝床があった。
その傍の窓の前に人影があり
それが振り返ると、外に雷が轟きその光で表情が伺えた。
「ヘイス……」
目の前に居たのはヘイスだった。
ヘイスは、自分の姿を認めると薄く笑ったが、少し様子が違っていて、
何故だかそれに吸い込まれる様な気分に陥った。
ヘイスが目の前まで歩いてくると自分を見上げた。
その腕が上がり、頬を撫でられる。
そんな風に触れられる事が初めてで、思わず息を呑む。
そのままヘイスが顔を近づけると、程無くして口内に舌が入り込んだ。
それに驚きながらもボルクは抵抗をしなかった。
互いに抱き締め合っていた時に自分がしたいと思ったことを、ヘイスからしてきたのだ。
経験が無いのか、舌は遠慮がちに動いていたが、
それにボルクが合わせると今度は動きが激しくなった。
暫くそれを続けると息が苦しくなったのか一度ヘイスは離れて呼吸を整える。
もう一度笑うと、腕を引かれた。
そのまま、ヘイスが布団の上に倒れ込む。
それに自分が覆い被さっていた。
ヘイスの口元が、更に笑った。
片手に持つ槍に魔力を籠めた。
僅かな躊躇いも見せずにボルクはその槍を放った。
刹那、後方からこの世のものとは思えない叫び声が届く。
振り返ると、槍は狙い通りいくつも飾られていた絵の中の一つに突き刺さっており、
叫び声を上げていた絵は、その場から消え去った。
自分を見上げていたヘイスに視線を戻すと、その瞳は閉じられていて、
恐らくはこの屋敷に居る幽霊と言われる者の仕業だったのだろう。
相手が実体を持たない者では槍は効かないのだが、
槍の先端に魔法を唱えて放ったのが効果があったのか、
屋敷全体を覆っていた禍々しい気配は、今は綺麗に無くなっていた。
「ヘイス、起きろ」
先程まで自分の唇を貪っていたヘイスを起こす。
口からは唾液が零れていて思わずその雰囲気に呑まれそうになるが、堪えた。
何度か揺すると、ヘイスが漸く目を開いた。
「……あれ? ボルク?」
完全に意識が戻ったのか、今まで自分はなにをしていたのだろうかと辺りを見渡していた。
組み敷かれているのに目を丸くしているのに気づくと慌てて身体を起こしていた。
「大丈夫か?」
問い掛けると、すぐに頷かれる。
「ギルドに帰ろう」
それにも頷くと、ヘイスが立ち上がろうとするが、
立ち上がってすぐにその身体が崩れて、倒れる前にそれをボルクが支えた。
「……力、入らない」
憑かれていた影響なのか、途端に瞳の光が薄くなった。
あのまま事が進んでいては、今頃ヘイスは生きていなかったのかも知れない。
そして、自分もまたその虜になっていて二人揃って屋敷の住人になっていただろう。
本当はあのまま事が進まなかったことを少しだけ悔やんでいたのだが、
今はヘイスが生きている事に安堵した。
身体をどうにか立たせると、背中を向けてボルクはしゃがみ込む。
「乗れ」
「……ありがと」
身体にほとんど力が入らないのか、いつもは遠慮をするヘイスも素直に従った。
「ボルク、幽霊はもういいの?」
記憶が完全に抜けているのか、ヘイスが問い掛けた。
「ああ、もう片づいたさ」
口付けを交わした事も忘れたのかと、沈んだ声で返事をした。
「そっか」
声の響きが自分と似ているのに気づくと、一度息を吐いた。
「ありがとう、ヘイス」
「え、なんで?」
「……なんでもない」
それきり、ヘイスが問い掛けてもボルクはそのことには答えなかった。
雨はいつの間にか上がっていた。
ギルドに戻ると、ヘイスを背負ったまますぐにバーツの元へと向かった。
ディストに見つかると面倒な事になるとボルクは判断したのだろう。
自分の部屋にバーツは居て、二人を迎えた。
「……なにしたの? これ」
ヘイスの容態を見てバーツが言う。
「ちょっとな」
「ちょっとって、ねぇ」
ヘイスの身体にある力のほぼ全てを、吸い取られていた。
それ以上の影響が身体に現れていないのが不思議な程だった。
流石にバーツが表情を曇らせてボルクを見つめる。
「大丈夫だよ!」
慌ててヘイスが言葉を挟んだ。
「大丈夫って言ってもねヘイス」
「……治らないの?」
表情を見て、途端にヘイスが泣きだしそうな顔になる。
治らなければ間違いなくギルドを辞める事になるだろう。
「どうなんだ? バーツ……頼む」
ボルクもバーツに詰め寄ると、縋る様に言った。
二人を見てバーツは溜め息を吐く。
「もちろん治すよすぐに」
それを聞いて二人の表情が安堵に包まれる。
バーツが両手に光を灯すとヘイスへと触れた。
光が消え去るとバーツは顔を上げる。
「しばらくすればまた動けるようになるよ、でも今日のところは絶対安静だからね」
厳しい顔をしてバーツは言う。
「うん……でもどうしよう、今日のご飯まだ作ってないや」
ヘイスが困った顔をした。
「……仕方ないか」
立ち上がると、バーツが一人部屋を出て行った。
残されたボルクは、横になっているヘイスを見下ろす。
「……すまん」
自分が居ながらこんな事になったと、後悔をした様な表情をしていた。
「気にしなくていいよ、僕がついてったんだし」
それでもボルクの表情は変わらなかった。
ヘイスがどういう反応をするかもわかっているのだ。
結局、それを確かめたくて態々口にしたのかと自分を責めていた。
「ボルク!」
益々沈む自分の表情を見て、ヘイスが叫ぶ。
突然声を上げられて、目を見開く。
「……そんなに落ち込まないでよ」
力の入らない身体を無理矢理にヘイスが起こす。
「お、おい」
安静にしろと言われたのを思い出したのかボルクが慌てた。
「後ろ向いて、しゃがんで」
その言葉に一度ボルクは固まるが、言われた通りに身体を動かす。
背中に自分の身体をどうにかヘイスが寄り掛からせた。
「よし、ディスト達のとこね」
言われるよりも先に、ボルクが立ち上がった。
ヘイスは景色が高くなったと喜んでいて、
ほとんど見えないその顔を上目遣いで見た後、ボルクも部屋から出た。
ディストは不機嫌そうな顔をしていた。
視線の先には、苦笑いを浮かべて椅子に寄り掛かるヘイスと、
そのヘイスを心配そうに見守るボルクが居た。
「……またどっか行ってきたんだろ」
「あはははは……」
ヘイスが動けない代わりに、いつもは料理を待つ側だったバーツが今は腕を振るっていた。
「はいできあがり」
場の空気を和ませる様ににこやかにバーツが料理を置いてゆく。
その内自分の分も盛り付けると、席に着いていた。
身体に力の入らないヘイスにも食べやすい様にと、スプーン一つで食べられる物を作ったのだが、
それを持ったヘイスの手は震えていた。
「食べられそう?」
「だ、大丈夫」
ヘイスが無理矢理にそれを口に運んだ。
「ヘイス」
料理に落としていた視線を、ヘイスが上げた。
目の前でバーツが自分に向けて、スプーンに乗せた料理を持っていた。
ヘイスは驚いた後暫く固まっていたのだが、
渋々と口を開けると、そこにバーツが素早く差し入れる。
租借してからヘイスが笑顔になるとバーツも笑った。
それを見ていた残った二人は、ヘイスに食べさせようとスプーンを手に取るのだが、
「二人はダメ」
バーツが言うと同時に大量の魔力を放ったので、結局諦めることになった。
屋敷の件が片付いた翌日。
朝食を済ませると、全員がそのまま食堂に残って談笑をしていた。
「ディスト、今日はギルドお休みなの?」
相変わらず席に座ったまま、ヘイスは言葉を発する。
「ああ、最近忙しかったろ? たまには休みがないとな」
いつもははきはきとものを言うディストも、今はテーブルに顔を乗せて半分瞳を閉じていた。
「そっか、おつかれさま」
それにヘイスが笑い掛けるとディストも同じ様に笑った。
ヘイスは、一度全員を見渡すと腕を立てて立ち上がる。
「ヘイス、なにするんだ?」
その身体を心配しているのか、ボルクが素早く問い掛けた。
「なにって、洗い物」
テーブルの上には先程まで食べていた料理の皿が大量に置いてあり、それを片付けようと手を伸ばす。
その手をボルクが掴んだ。
ボルクの顔を見ると、黙って首を横に振られる。
「俺がやる」
そう言ってヘイスを座らせると、ボルクが皿を持って流し台へ向かった。
「ヘイス、無茶しちゃ駄目だよ」
バーツもその様子をしっかり見ていたのか釘を刺される。
「こういう時はお互い様なんだし、僕たちに任せてよ」
立ち上がると、バーツも残された皿を手に取った。
「みんなも仕事で疲れてるのに……」
言ってから、下手に手を出すとこういう時に役に立てないのだと今更理解する。
今後はもう少しだけ考えて行動しようと、ヘイスは心に決めた。
「ヘイス」
今まで半分眠る様にしていたディストが、名前を呼んだ。
「気にすんな、動けないなら代わりにやるからよ……でもまぁ、やっぱり無理はすんなよ」
「ディストなんにもしてないじゃん」
バーツの言葉にディストは顔を上げると睨みを利かせる。
笑顔でそれをバーツが迎えた。
後ろで聞こえる話し声に耳を傾けながら、ボルクは黙って皿を洗う。
「……ボルク、熱くないの?それ」
隣に来たバーツが驚いた顔をして尋ねる。
皿を洗うためにボルクが出している湯にバーツが触れるが、熱く感じられて慌てて手を離した。
「ヘイスはいつもこれくらいだ」
そう返すと、ボルクは振り返ってヘイスを見つめる。
バーツも同じ様に視線を送ると、目立たないがヘイスの手が荒れているのがわかった。
「……家政婦も馬鹿にできないねぇ」
「まったくだな」
その隣に居るディストに視線を移すと、ボルクが薄く笑った。
身体を上手く動かす事のできないヘイスを、ボルクが支える。
「別に僕一人で帰れるのに」
そうは言うが、足がふらついていて見るに堪えなかった。
責任は自分にあると言い部屋に送っているところで、
部屋の扉を開くとそのままヘイスを寝床に寝かせた。
「ありがとう、ボルク」
礼を言われてボルクが顔を逸らした。
「あまり無茶はするなよ」
「うん、ごめんね」
ヘイスの額に手を乗せた。
熱などはないのかと、確認をして頷く。
気持ち良さそうにヘイスは目を瞑っていて、あの屋敷での事を思い出した。
「……またな」
振り返ると、早足で部屋を出た。
扉に背を預けると溜め息を吐く。
気持ちを振り切る様に、ボルクは足を前に出した。
食堂のテーブルに、退屈そうにヘイスは身体を凭れさせた。
身体を気だるさが覆い動くのが辛く、家事のほとんどをディスト達が受け持っていて、
朝からこの状態が続いていた。
「ヘイス、身体は大丈夫か?」
丁度洗濯物を手に持ったディストが廊下を歩いていたところで、ヘイスに声を掛けた。
「うん、もう大分楽になったよ」
治療を受けた直後よりは格段に状態は良くなっていた。
それでも、まだ以前の様に完全にではなくもうしばらく時間が必要なのだろう。
「あれだけ力を取られたら、仕方ないよ」
食器を洗っていたバーツが振り返った。
「そんなに酷いのか?」
ボルクとバーツが庇うのを見てディストは深く追求はしておらず、
事態が旨く呑み込めていないのかバーツへ問い掛ける。
「それで済んだのが奇跡みたい、かな」
バーツがヘイスの肩に手を掛けると状態を診る。
「うん、まだ休まないと駄目だね」
それが終わると、少し考える仕草をしていた。
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
笑うと、バーツは他の家事をしに部屋を出てゆく。
「とにかく、もうしばらくはゆっくりしてな」
服を持ち直すと、ディストも部屋を後にした。
一人になるとヘイスは目を瞑って辺りの音を聞いた。
どこからか話し声が聞こえたり、今部屋を出たばかりのディストの慌てた声が聞こえた。
恐らくその手にある大量の服を落としたのだろう。
悪いと思いながらも、ほんの少しだけ口元に笑みが浮かんだ。
夜になると、四人が揃って食卓を囲む。
「バーツの飯も美味いよなぁ」
「そう? とりあえず作れるってだけだよ」
ディストの言葉にバーツが苦笑いを零した。
「俺たちよりはマシだよな」
ディストがわざとらしく落ち込む仕草をして、ボルクに視線を送った。
「……なんで俺も入ってるんだ」
「そういえばボルクって料理するの?」
「いや、あまり……」
「なら似たようなもんだろ?」
「違うと思うが」
ボルクの淡々とした返しに、ディストは過剰な反応を示して絡んでいた。
迷惑そうな顔をボルクはしていて、それを見てヘイスは笑う。
三人の様子を見渡したバーツが一つ息を吐いた。
「ところで相談があるんだけど」
「お、なんだ?」
ボルクに絡みながらディストが顔を向ける。
「少し村に戻ってもいいかな?」
「バーツ、帰るのか?」
絡まれて暴れていたボルクの動きが止まり、それにバーツは頷く。
「できればヘイスも連れて行きたいんだけど」
「どういうことだ?」
名前を呼ばれたヘイスが少し瞼を大きく開いた。
「ヘイスの身体の事なんだけど、身体の魔力が極端に少ない状態でね。
元々魔法を使っていたわけでもないから思っていたよりも回復には時間がかかるんだよね。
でも、魔力の大きい物が傍にあればすぐによくなると思うんだ」
「それが、村に連れて行く事とどう関係あるんだ?」
「僕の村なら、昔から魔法を重宝していたからそういうものがあるからってこと」
丁度、この間の依頼で任された様な魔力の塊が必要なのだとバーツは言う。
「バーツの村って、どういうところなの?」
説明を聞きながらヘイスが質問をした。
「ボルクはもう知ってるよね?」
「ああ、昔から森の生物と等しく生きてきた森の民だ」
それにバーツは頷く。
「だから多分、村にある物を使えばヘイスも元気になるよ」
今のヘイスは、少しは回復してはいるものの
まだ完全には状態が戻っておらず、家事も満足にはこなせていなかった。
大体の事を呑み込んだのか、ディストの表情が冷静なものになる。
「全員で行くのは駄目なのか? 今休みだぞここは」
長引かないのであれば、今すぐにでも向かう事も厭わないとディストは言う。
ヘイスの症状が長引く方が、長期的に見て不利益だと判断しているのだろう。
それにはバーツが首を横に振った。
「あんまり余所者が行くと警戒されちゃうよ」
ヘイス以外に来られると色々と面倒が増えるらしく、バーツ自身はあまり乗り気ではなかった。
「でも、決断はヘイスにしてもらいたいね」
無理強いをする気はさらさら無いのか、バーツがヘイスを見つめた。
ヘイスはその視線を受け止めると、しばらく俯く。
「……行く」
「いいのか?」
心配した様にディストが尋ねる。
「だって、今のままじゃ仕事もできないし」
自業自得の結果だが、このままではいけない事はわかっていた。
やはり負い目でも感じていたのだろうか、ヘイスに迷いは無かった。
輝く太陽の照らす森の道を、バーツとヘイスが歩いていた。
「ヘイス、平気?」
すぐ後ろに居るヘイスは辛そうに歩いていて、振り返ってそう尋ねた。
「辛かったらおんぶしてあげよっか」
からかう様にバーツが言うとヘイスが顔を顰めて隣まで早足で来た。
「……ごめんね」
突然謝られて、ヘイスの表情が変わる。
早く治る方法があると言えば、ヘイスが飛びつくのはわかっていた。
役に立ちたいとずっと思っているのを自分は知っていたのだ。
その気持ちに付け込んだことになる。
もっとも、ヘイスが良くなるというのも本当の事なのだが。
「それにしても、あのまま出てきてよかったの?」
朝が来るとバーツはすぐにヘイスを連れ出した。
ディストとボルクに一声掛けるつもりだったヘイスは、迷った様子だったが渋々ギルドを後にしていた。
「だって、直前になって無理矢理ついてこられたら困るんだもん」
二人の性格は知り尽くしているのか、特に気にした様子も無くそう言った。
「まぁ、おやすみだと思って気抜いてよ」
陽の光が二人を照らしていて、ただ散歩をしているだけに思えた。
日が暮れる頃に、木々の間から遠くに明かりを見つける。
「ここだよ」
振り返って見たヘイスは今にも倒れそうな勢いで、
慌てて傍に寄るとバーツがその身体を支えた。
「頑張ったね、もう休めるよ」
背中を何度か優しく叩く。
バーツが一度魔法を唱えると、ヘイスの身体が光に包まれた。
それで体力が少しは戻ったのか、大丈夫だと確認すると村に入る。
村に入ると、すぐに二人は入口に居た見張りに囲まれた。
「……バーツか!?」
「久しぶり」
見張りの驚いた顔を気にもせずにバーツが気さくに話し掛ける。
「お前、何故今更ここに戻ってきた!?」
予想通りの対応にバーツが笑い声を上げる。
「あはは、里帰り……ちょっと長老に会いたいんだけど、通してくれないかな?」
「断る、許可も無く長老に会うことなど罷り通るはずがないだろう」
ヘイスが、大丈夫なのかとバーツへと視線を向ける。
小声でバーツが大丈夫だと返した。
笑っていたバーツの顔が、不意に別のものになった。
「族長候補である私の歩みを止める気か?」 たったそれだけで、相手が一瞬怯んだ。
見張りよりも更にヘイスの方がその変貌に驚いていたのだが。
「ごめんね、通るよ」
ヘイスの手を引いてバーツがその場所を通る。
相手はなにも言わなかった。
村の中に入ってから少し歩くと、バーツが大きく息を吐いた。
「あとは長老に挨拶か、やだな……」
先程までの威圧感も、今は見当たらなかった。
振り返ったバーツの顔は温和で、別人ではないかとさえ思う。
「バーツ、大丈夫なの……? あんなことして」
「大丈夫だって、一応僕もこの村の一員なんだから」
それだけ言うとバーツは再びヘイスの手を引いて歩き出した。
次に辿り着いたのは、村にある他の家よりも少し大きな家で、
扉代わりに垂れ下がっている布をバーツが手で退かして中に入る。
バーツが入ると、部屋の中がにわかにざわついた。
後から入ったヘイスが中の様子を見ると、何人かの村人と一番奥に髭を蓄えた老人が居た。
「バーツなのか?」
「お久しぶりです長老」
バーツが一礼した。
長老と言われた相手は、バーツを見てしばし考える仕草をする。
「何年ぶりかな、おまえが出ていってから村はすっかり静かになってしまったよ」
それには返事をせずに、バーツは下げていた頭を上げる。
「何用でここに来た? おまえの事だ、今更また村で暮らす気など無いのだろう」
訝しげなその様子に、ヘイスは内心焦っていた。
余所者が行くと警戒されるとバーツが言っていたので、それをどう解決するかが心配なのだろう。
当のバーツは、いつもの様に笑っていた。
「今日は、僕の伴侶を連れてきました」
それを聞いて、その場に居る全員が驚いた。
勿論、ヘイスも。
「ば、バーツ」
突然そんな事を言われたヘイスは声を掛けるが、バーツはヘイスの手を握っただけだった。
黙っていろという事なのだろうが、益々頭の中が混乱してゆくのをヘイスは感じた。
「おまえにそんな相手がな」
「それで、今日は里帰りに来たんですよ」
笑顔でバーツが言うが、長老は少しも笑っていなかった。
恐らくその言葉など信じてはいないのだろう。
「おまえの部屋はまだある、そこを使いなさい」
「ありがとうございます」
「後で使いをよこそう」
立ち上がると、バーツが部屋から出ようとする。
「バーツ」
それを長老が呼び止めた。
「外の者との交流を持つこと、良く思わぬ者も多い……気をつけろ」
バーツが薄く笑った。
「行こ、ヘイス」
手招きすると、ヘイスは頭を下げてそれを追った。
「バーツ、伴侶って?」
長老の言葉を、ヘイスが反芻しながら尋ねた。
「部外者はなるべく入れたくないらしいからね、ああ言わないと難しいんだよここに入るの」
だからディストとボルクは連れてきたくはなかったのだ。
伴侶を一人とする決まりもないが、大勢で突然帰郷した挙句全員が伴侶となどは流石に言えない。
「でも」
「大丈夫、ここでの意味は単に付添い人みたいなものだから。
それに治療に必要な道具もこの村で上位の者か、その伴侶しか触れないんだよ」
「バーツって偉いの?」
「一応長老候補、一応だけど」
「へぇ」
それでどうにか納得したのか、ヘイスはそれ以上なにも言わなかったが、
バーツは罪悪感を微かに抱えていた。
家の一つへと入る、他の家と比べると少し大きいが中には埃が舞っていた。
「さすがにあれだけ空ければ仕方ないか」
バーツが一つ魔法を唱えると、風が発生してある程度の埃を一纏めにして窓から遠くの空に飛ばした。
「ここが、僕の家だよ」
「……大きいね」
ギルドで使っているバーツの部屋の何倍もの大きさだった。
時折立ち寄ってみたが本人はその広さを不満だと思っていないらしく、この部屋も持て余していたのだろう。
「適当に座っててよ」
そう言うとバーツは奥に姿を消した。
見送ってから近くにある椅子に座って、ヘイスは部屋を見渡す。
ほとんど物が無いのは、ここを出る時に処分していったからなのだろう。
二度と帰らない、そう決めていたのかも知れないとヘイスは俯く。
二人の荷物だけが存在感を放っていた。
「おまたせ」
部屋を眺めていると、奥からバーツが姿を現す。
その姿を見てヘイスが驚いた。
民族衣装の様な物を今は纏っていて、色鮮やかな羽根飾りを頭につけていた。
いつものゆったりとした服とは違っていて、胸元がはだけていて少し涼しげに見える。
「バーツ、かっこいい」
「そう? この村に居る限りは僕もこんな格好にならないとね」
「あ、あの……バーツ、それで」
「ああ、治療のことね。今日はもう遅いから明日にしよっか」
ここまで歩き通しで、今にも倒れそうなヘイスを見て察したのか
バーツは治療を急がなかった。
「先に寝てて、僕はちょっと用事があるから」
バーツが手を振ると、そのまままた姿を消した。
寝床に移動をすると状態を確かめる。
特別な布で作られたのだろうか、自分の部屋の布団よりも手触りが良かった。
それに包まると途端に心地良い眠気が訪れて然程待つ事無く眠りについた。
物音が聞こえてヘイスは目を覚ます。
月の光が丁度目に当たって、目を擦った。
「ごめん、起こしちゃった?」
部屋の入口に視線を送ると、バーツがそこに立っていた。
「こんな遅くまでなにしてたの?」
「ちょっとね、村に帰ってきたら仕事も一応あるから」
そう言うとバーツは床に座り込む。
「ベッドで寝ないの?」
「嫌でしょ? 一緒なんて」
少しだけ笑ったバーツの表情は、月に照らされていて優しそうに見えた。
「嫌じゃないよ。それに、床で寝るなら僕の方だよ」
「病人を床で寝かせるのは……」
苦笑いをしたバーツに手招きをする。
ゆっくりと起き上がると、熊人の大きな身体が布団の中へとやってきた。
「ありがとうヘイス、おやすみ」
疲れていたのか、バーツはすぐに寝息を立てる。
寄り添うと丁度はだけた胸が目の前にあって、
歩き通しだった身体から汗の臭いと、服から微かに森の匂いがした。