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12.醜い蜥蜴の子

 じめじめとした感触がした。
 身体を弄りディストは瞼を開く。
 寝汗を掻いていた。
 濡れて湿気を含んだ体毛は酷く気持ちが悪く、思わず溜め息が漏れる。
 被っていた毛布を退けると、湿った肌が曝されて今度は冷たく感じた。
 食人が町を去ってから三日が経っていた。
 食人に刃を向けた事に対して、叱責を受ける事は覚悟をしていたがそれはなかった。
 人が攫われたという事で、食人を擁護する動きは沈静化していた。
 気遣われる事の方が多かったと言ってもいい。
 食人について依頼をしてきた男も、喜色を隠しもせずにやってきては礼金を置いていった。
 複雑な気持ちでそれらを見守りながらも、内心ディストは安堵していた。
 少なくとも、今はまだ自分の元に居る者達が疎んじられる事はない。
 立ち上がり軽く伸びをしてから窓に歩み寄り、外を眺める。
 いつもの裏庭に、いつもの様にボルクとアスタ、そしてヘイスが居た。
 漸く戻ってきたヘイスは変わりなくまた家事を受け持ち、ここに居た。
 食人についての話はしなかったし、ヘイスがその事に触れない様に配慮をしていた。
 攫われた本人であるために、話を聞きたがる様な輩も多かった。
 食人と心を通わせであろうヘイスにその相手は辛いだろうし、妙な事が外に漏れる可能性もあった。
 庭でアスタと戯れていたヘイスが不意に空を仰いで、こちらに気づく。
 最初は暢気に手を振っていたが、その内目を見開くと慌てて視線を逸らされる。
 それで、何も身につけていない事をディストは思いだした。
 ヘイスの位置から全ては見えないだろうが、際どいところまでは見てしまったのだろう。
 慌てて傍に居るアスタをボルクの元へと移動させていて、思わず頬が緩んだ。


 服を畳むヘイスを、ラートムは見守っていた。
「身体はもういいのか?」
「はい、おかげさまで。すみませんでした、居ない間にずっと代わりに家事させちゃって」
 ヘイスが帰ってくるまでの間、ラートムとバーツは家事を任されていた。
 食人であるディマロスに魔法で対するのは無謀としか言いようがなかったのだ。
 ディストの決めた事に反対もせず、黙々と作業をこなしていた。
 嘗ては食人に竜人の血を混ぜない事で、相手の魔法を利用する食人ですら御していたものの、
竜人を父に持つディマロスにその手は通じない。
 ディマロスと対峙した時に何も出来なかったのは、それが大きかった。
 下手に竜人の魔法を暴発させれば、ギルド自体か吹き飛びかねない。
 ディマロスもそれを弁えていたのか、飽くまで話だけをしにきたという様子だった。
 その相手をできなかった事が心残りだったが、代わりにヘイスと出逢って何かを得たのだろう。
 別れ際に名前を呟かれた時、響いた声色は酷く優しかった。
「ラートムさん、ディマロスは大丈夫でしょうか」
 ディマロスの事を心配してヘイスが言う。
 ヘイスを表に出す事はできるだけ控えたが、外の噂が届いているのだろう。
 人攫いをした食人を始末してほしいという声が上がっていた。
 流石にディストはそれに取り合わなかった、第一町を既に去っているのだ。
 今から捜しに行ったところで見つかりはしない。
 ラートムはそんな事より、ディマロスの身の上を案じているヘイスの方が心配だった。
 ディマロスを独り行かせた。
 そう考えているという事は容易に想像できる。
「ヘイス……私は、お前がディマロスに出来得る全ての事をしてくれたと思っている」
「そんな」
 顔を上げてからまた、ヘイスは俯く。
 ヘイスの前まで歩み寄り床に座ると、その腕を取った。
「竜人と食人の間で起きた出来事で、本来なら私が解決しなくてはならない事だった。
だが私では到底ディマロスの助けにはなれなかっただろう……お前が、ディマロスを救ってくれたんだ」
 そのまま黙ってその身体を抱き寄せる。
 指先が柔らかな体毛に包まれた。
「だから泣くな」
 本当は、泣いているのかよくわからなかった。
 小刻みに身体を震わせていたから抱き寄せただけだ。
 それでも、少し経てば胸に冷たい感触が届いた。
「不思議だな、お前は……若いはずなのに、枯れかけた私やディマロスを動かす」
 普段なら、若い者の言葉だと深く聞こうともしない。
 長生きをした者特有の頑固さの様なものがある事は自覚していた。
 捩れた心にも、ヘイスはいつも優しい。
「竜人である私も、食人であるディマロスもお前は受け入れてくれた。
私もディマロスも、それで改めて身の振り方を決められたんだ」
 結局、ディマロスはヘイスを残して独りで歩き出した。
 孤独を味わい尽くしたのなら、死んでも手放したくないと思ってもおかしくはない。
 それでも別れたのは、好きになったヘイスの事を第一としたからだろう。
 それだけで、言葉を交わさずともディマロスが何を想いヘイスを託して独り旅立ったのかラートムは解った。
「罪作りな奴だな」
 気づかぬ内に宥める様に撫でていた自分の動きに気づいて、ラートムは微笑んだ。


 湯気の昇る浴室で、全裸のボルクは手を伸ばした。
 大きな体を丸めて目の前にある逞しい背中を丁寧に擦りあげる。
 湯を浴びていない自分の身体は、湿気を帯びはじめている事もあり僅かに寒さを感じ取っていた。
「もっと強くしていいぞ」
 振り返りもせずに、狼は言う。
 そう言われてもボルクは籠める力を強くすることはなかった。
 歴戦の傷が刻み込まれた身体だ。
 傷が開く事などないのだろうが、それでも激しく擦るのは気が引けた。
「くすぐってぇな」
 漸く振り返ったロアは、どうやら本当に不満な様で不機嫌さを隠しもしなかった。
 仕方なく今度は強い力を籠めて丹念に擦る。
 何も言わなかったが、気持ち良さそうに息を吐いているのが伝わってきた。
「懐かしいな、昔はよくこうしてやってもらってたな」
 傷のある所だけは力を弱めて、指で梳く様に体毛を撫でる。
 スポンジ等で一気に洗うには、ロアの身体の傷は少々多い。
 毛深い事も考慮すると、結局こうして指で細かく洗う方がすっきりする様だった。
「昔話は老けるぞ」
 嫌味の様に言うが、確かにそうだとロアは声を上げて笑う。
「それに、いいのか? 俺にこんな事させて」
 今はもう、ロアの元には居ない身だ。
 そう思ってボルクは尋ねる。
 意を決して挨拶にきたら、丁度風呂に入るところだから付き合えと半ば無理矢理連れられた挙句に脱がされていた。
 ロアの前で裸になる事は慣れているので、深く考えず今はその世話をしていた。
「なに言ってやがる、ほんの少し前まで俺のところに居たヒヨッコだったじゃねぇか」
 三年という日々はロアにとっては短い時間だったのだろうか。
 束の間そんな事を考えた。
「それに、今はそんなに血気盛んな奴はいねぇよ」
 ギルド長は、当たり前だがそのギルドの顔でありそれを慕いついてくる者も多い。
 腕を失ったロアの元から去った者も居るのだろう。
 そして自分もまたロアから逃げたのだ。
 多くを失ったロアにとっては、やはり三年など短いものだったのだと思った。
「……すまない」
「なんだ、またそれか」
 最初に会った時にまず放った言葉だった。
 昔の様に笑い声を上げたロアだったが、それを聞くと途端に切なそうな顔をした。
 背を向けているが、今も似たような事になっているだろう。
「もういいって言っただろ、大体そうやって一々謝ってくるから思い出して癪に障るんだよ」
「…………そうか」
 再度謝ろうとしたところで殺気に似た空気を感じ取って、それだけをボルクは返した。
「それでいいんだよ、それとも……」
 そう言ってロアが身体を動かす。
 実際は失くした右腕を動かしたかったのだろうと、遅れて気づいた。
 存在しないのだから、傍目には身体を僅かに捩じらせた様に見える。
「俺はそんなに惨めに見えるのか?」
 流し目でこちらを見るロアと視線を絡める。
 それに目が離せなくて、背中を洗う手の動きもいつの間にか止まっていた。
「……なんて言うのはちっと意地が悪ぃな、忘れてくれ。
せっかくお前が来てくれたんだ、こんな事が言いたかった訳じゃねぇんだがな。
長生きしてても、こんな事は何度も味わえねぇからな」
 軽く溜め息を吐きながら、ロアが背中を押しつけてくる。
 ちゃんと洗えと言いたいのだろう、爪先を軽く当てながら洗うと太い尻尾が僅かに揺れた。
 首周りから始めて、今は腰の辺りまで漸く辿り着いたところで、
傷を避けながらもしっかりと掻いてやると、僅かに呻かれて思わず手の動きが止まった。
 毛繕いをする様に表面を撫でてみたりもするが、ロアの身体は衰えた様には見えなかった。
 初めて出会った時の様に、思わず圧倒される。
 撫でれば、毛の先にある張りのある筋肉の感触がする。
 湯を掛けて流すと、汚れの落ちて水を吸った体毛は一層締まって見えた。
 あの日、あの出来事が起こるまでは自分もこんな風になりたいとよく思っていたものだった。

「そういやぁ、ヘイスとはどうなんだ?」
 身体に見惚れていると声を掛けられる。
「どうって、なにがだ」
「そりゃあお前」
 首だけを後ろに向けたロアが、いやらしい笑みを浮かべる。
 その笑みよりも、身体の向きがあまり変わらないのにそういう風に振り向ける事に気を取られた。
「なんだ、まだヤってないのか」
 次にはそう言われて、ボルクは思わず目を見開くと、
それを見たロアに声を出して大笑いをされる。
 浴室に機嫌の良い大声が響き渡った。
「相変わらず面白ぇなぁお前は」
 一頻り笑った後、満足した様にロアは目尻に溜まっていた涙を拭う。
「男同士だぞ」
「はっ、しょっちゅう俺の身体じろじろ見てた奴が言うじゃねぇか」
 そう言われてしまうと、ボルクは俯くしかなくなる。
 今ですらこの状態なのだ、ロアの元に居た頃は幼さも相まって顔を合わせる度に見惚れていた様なものだ。
 何より、あれだけヘイスに手を出し挙句告白まで済ませた自分がこんな反論の仕方をしているのが情けなかった。
「いっつも視姦されてる気分だったぜまったくよ、このむっつりが」
「うぅ……」
 そこまで見つめていただろうかと思い返すが、上手く思い出せない。
 しばらくそうしているとまたロアに笑われる。
 冗談だと解ったが、当時の自分がロアをそういう目で見ていたのは事実なのでボルクは大きな身体をただ縮めていた。
「大体、この間白昼堂々と抱き締めてたじゃねぇか。
それとも他所に居る間に軟派になっちまったのかお前は」
 迫る魔物の群れを突き伏せて、ヘイスの元へ駆け寄り抱き寄せた光景が浮かび上がる。
 途端にボルクは自分の顔が火照って汗を掻いている事に気づいた。
「あ、あんまり言わないでくれ……」
 言葉にされると酷く恥ずかしかった。
 ヘイスに手を出さないと決めた癖に、箍が外れるといつもこうだ。
「それに、ヘイスには俺じゃなくて、もっと頼れる奴に一緒になってほしいんだ」
 ヘイスは何も男だけを好きという訳ではない。
 そもそもが、異性愛者であるだろう。
 募らせた想いがあまりにも大きくて、その大本を見失ってしまう。
 ヘイスが強く相手を拒まないのも原因ではあるのだが、
それでも食人ですら手懐けてしまうその魅力だけは抗いようのないものだった。
 抗えず、強行に似た行為に走った事など枚挙に遑がない。
 そこまで考えていても、何となくヘイスには頼もしい男が似合いそうだと思ってしまうのだからボルクは頭を抱えたくなる。
 多分、ヘイスの性格のせいもあるのだろう。
「自分よりもっとふさわしい奴がいいってか」
 少しだけ不機嫌な声をロアは出す。
 顔を上げれば、先程までの笑顔は消えていた。
「ご立派な考えだがな、お前はそれでいいのか?」
「……俺は、ヘイスに幸せになってもらいたい」
 幾ら考えても行きつく先はこの答えだった。
 そのために何をすれば良いのかは、まだわからない。
「他の奴を選んだとして、お前はその後どうするんだよ」
「それは」
 どうするのだろう。
 それもまた、わからなかった。
 笑顔でそれを祝福できるのだろうか。
「お前の事だ、どうせどっか行っちまうつもりだろ」
 確かに、それが楽なのかも知れなかった。
 ヘイスの前では笑っていられても、一人になれば寂しくなるだろう。
「ボルクよぉ、その場はそれでいいかも知れねぇが……そんなんじゃお前、一生忘れられなくなるぜ」
 ロアがこちらに身体を向けて、目線を合わせてくる。
 昔から言い聞かせる時はこのやり方をしていたと、ふと思い出した。
「どっか行った先で良い奴に会ったって、あいつの事を好きなままじゃ他の奴なんて見てないだろお前。
自分が一番好きなのはヘイスだからって、取り合いもしない」
 まだ先の事だろう。
 そう言いたかったが、断言するロアの言い方には妙な説得力があった。
 相手が自分を一番に好きだと思っているのに、自分はヘイスを一番に想っているのだ。
 そんな状態で誰かと付き合おうという気持ちなど、ボルクには湧いてこなかった。
 湧いてしまえば、抱えているヘイスへの想いが途端に罪悪感に化けるだろう。
「なにも無理矢理ヤっちまえって言ってる訳じゃねぇが、もう少しだけてめぇの、ヘイスを好きな気持ちも大事にしてみろよ」
 ロアの言葉に、ボルクは考え込む。
 一番に優先するのはやはりヘイスだ。
 けれども、今のままではいけないのかも知れない。
 言われた言葉をなぞっていると、視線を感じた。
 それで慌ててボルクは股間に手を当てる。
 遅れて、あからさまなロアの舌打ちが聞こえた。
「肝っ玉の方もこれくらいデカくなって欲しいもんだな」
 そう言うと、会話を切り上げる様に再度ロアが笑った。


 風呂からあがると、廊下を歩くロアの後ろについた。
「服は後で返せばいいからな」
 汚れた服をまた着直すのは忍びないだろうと、少し大きなロアの着流しを借りた。
 同じ様な服を着るロアは、歩く度に中身の無い右袖をゆらゆらと揺らしていた。
 礼を言うと、ロアは溜め息を吐く。
 右袖が、まるで溜め息に押された様にまた揺れた。
「のぼせちまったな、風呂で説教なんて俺も歳食ったなぁ……」
 思い返すと少しだけ恥ずかしいのか、照れ隠しの様に濡れた頭髪を弄ったり襟に指を突っこんでいる。
 ロアの事を気にしながらも、ボルクは辺りを見渡す。
 久しぶりに来たロアのギルドは、昔と変わらない。
 建物の外観こそ魔物の襲撃や歳月を経た事で少し補修作業がなされて変わっていたものの、屋内は三年前と同じだった。
「他の奴は居ないのか?」
 今更な事だが、ロアに会いに来てまだ他の誰とも会ってはいなかった。
「ああ……食人の件があっただろ? うちはお前らのところと違って雑用も引き受けるからよ。
 それでまぁ、ヘイスが攫われたってんでここんところずっと警備に駆り出されてたんだよ」
 ヘイスが戻ってくるまでの間の町は、確かに物々しい雰囲気に包まれていた。
 食人が居る事も、人が攫われた事も住人にとっては不安の募るものだったのだろう。
「落ち着くまでの間それが続いてたからな、その代わり今は休みにしてあるんだ」
「住み込みの奴は居ないのか?」
「そうだな……今は、一人しかいねぇな」
 ディストのギルドとは随分と勝手が違った。
 とはいえ、集まっている者の都合が違うのだから仕方ないのかも知れない。
 バーツは村にはおいそれとは帰れないし、ラートムも人混みの中は好かないだろう。
 アスタも田舎からこちらへ来ていて、ヘイスは住処を追い出されて転がり込んだ身だ。
 結局、ギルドに住み込む方が都合が良かった。
 唯一ボルク自身は他所に住居を借りても良かったし、ヘイスに対する恋心に気づいた時はそれも考えたが、
結局実行に移さず毎日ヘイスに会えるからとそのままで居た。
 歩いていると、ボルクは部屋の前でふと立ち止まる。
 先に進むロアの事も気にせずに無造作に扉を開くと中に入る。
 部屋の住人は居なかった。
 黙ったままボルクは部屋の中を歩き、中央で佇んだ。
「久しぶりの自分の部屋はどうだ?」
 遅れてきたロアが声を掛けてくる。
「……そのままなんだな」
 この部屋を使っていた自分が居なくなっても、部屋はそのままだった。
 傍にある机の表面を指で軽く擦ると埃が溜まった。
 掃除はしてあるみたいだが、お世辞にも綺麗とは言い難い。
「悪いな、片腕だと時間が掛かっちまうしあんまり暇もなくて掃除できねぇんだ」
 ロアの言葉に納得する。
「他の奴にやらせると、余計なモンまで片付けちまいそうだしな」
 全部捨ててくれてもよかった。
 そう言いかけたが、その言葉を聞いてボルクは押し黙った。
「ロア、俺は」
 首を横に振られる。
 言いかけた言葉も結局止めた。
「帰ってこいなんて言わねぇ、お前にはまだ向こうに居場所があるみてぇだしな。
でもよ、もしそれを失くしたり、なにか困ったらまた来い。
使いっぱしりくらいにはしてやるよ。
……人もいねぇしな今は」
「ありがとう」
 先程まで自分がやられていた様に、ロアの目が大きくなった。
 それを見て笑うと、ばつが悪そうにそっぽを向かれる。
「やっぱ出ていってから変わっちまったよお前」
「素直になったんだ」
 追い打ちを掛けると、面白いぐらいにロアが狼狽した。

 ロアの私室で、ボルクは慌ただしく動いていた。
「茶、頼む」
「……ああ」
 物を頼むロアの表情は酷く楽しそうで、今の状況を堪能しているのだろう。
 それに呆れたが、このくらいの事ならばと黙々とボルクは雑用をこなしていた。
「置いてある場所は昔と変わらねぇからな」
 確認する様に頷くと、廊下に出て台所へ向かうが、
その途中で扉の閉まる音が聞こえて耳を震わせる。
 誰かが帰ってきたのだろう、それに微かな焦りを覚える。
 今誰がロアのギルドに所属しているのかは解らないが、もし自分を知っている相手ならば良くは思われないだろう。
 そうは思っても、隠れる訳にもいかなかった。
 足音が角から聞こえて、その主が姿を現すと、
目と目を合わせる。
 相手は最初、戸惑った様だった。
 身体には茶色に、黄土色が混じっていて、
それが、蜥蜴の身体では有り触れたものなのだとボルクは思った。
「ボルクか……?」
 蜥蜴の顔がこちらを見つめる。
「そうだ、リド」
 肯定に蜥蜴の名を添える。
 名前を呼ばれたリドは自分の事を認めると、複雑そうな顔をした。
 リドは、自分よりも長くロアの傍に居る、片腕の様な男だ。
 そして、今ここに居るという事は腕を失ったロアを見捨てなかったのだ。
 リドがこちらを睨む様に見つめているのも無理はなかった。
「なにをしに戻ってきた」
 不快感を隠しもせずにリドは問い掛けてくる。
「俺の質問に答えろ」
 黙っていると続けざまにリドは言葉を吐き出す。
 爬虫類特有の鋭い瞳が今は刺すように痛い。
「単なる里帰りだ」
 背後からロアの声が聞こえた。
 揃ってそちらを見ると、部屋から出たロアがこちらに歩み寄ってくるところだった。
「帰ってきたばかりで随分賑やかじゃねぇか、リド」
 ロアの言葉にリドは直立する。
「……ただいま戻りました」
「とりあえず、それ置いて来るんだな」
 よく見ると、その手には大きい袋が握られていた。
 買い物にでも出ていたのだろう、その格好で睨みを利かせていたのだと考えると少々滑稽だったが、
それをまるで感じさせない程の威圧感がリドにはあった。
「すみません、すぐに」
「ああ、それと茶よろしくな」
「それも、すぐに」
 頭を下げると、リドは細長い尻尾を揺らして台所へと消えた。
 凍りついた空気から解放されたロアは盛大に息を吐いた。
「悪いな、あいつのあの性格は直らねぇな」
「いや、いいんだ」
 自分がロアを見捨てた事実は今更無くならない。
 改めてそれを思い知らされて、ボルクは寧ろ落ち着いていた。
「……あいつだけなんだ、あの後残ってくれたのは」
 部屋に戻ろうと促され、ロアが背を向けるとそう言った。
「今ここに居るのは俺とリドと……軽い手伝いの様な奴らだけだ」
 腕の立つ者は、それぞれが力量を認める者の下へと去っていったのだろう。
 リドはそんなロアでも見捨てなかったのか。
「あいつは納得しねぇと思うが、ボルク……俺はお前が今居てくれて、嬉しいんだ」
 振り返らないロアの表情は、ボルクには知る事ができなかった。

 部屋の扉が叩かれる。
「失礼します」
 声が聞こえて、扉が開かれるよりも先にボルクは居住まいを正した。
 やってきたリドは頼まれた茶と、それに合う菓子を置いてゆく。
 その扱いだけで、部外者を接待している様な空気に息が詰まりそうだった。
「気が利くじゃねぇか」
 ロアもそのくらいは見抜いているのだろうが、機嫌の良い振りをする。
「それでは」
「ちょっと待て」
「……なんですかロア」
 そそくさと部屋を立ち去ろうとするリドをロアは呼び止める。
「せっかくだ、お前も付き合え」
「嫌です」
 リドの即答にロアは思わず笑い声を上げてから、立ち上がる。
「なんだ、俺の言う事が聞けねぇってのか」
 酔った様な口調と仕草でロアはリドの方に腕を廻して引き寄せる。
 リドはかなり迷惑そうな顔をしていたが、それでもロアに足取りを合わせて元のソファーへと座らせる。
 昔からそうだったが、リドはどう扱われてもロアのやる事を結局は受け入れていた。
 性格は正反対とも言えるのにボルクにはそれが不思議だった。
「おっと、そういやお前の分が無かったな」
 二人分だけを持ってきた事を思い出したのか、ロアは後ろに手を伸ばす。
「俺は茶があればいいから、お前が食えよ。それと……」
 そう言って取り出した酒の入った大瓶をリドに渡す。
「ロア、俺は……酒は……」
 リドが抗議しようとするが、ロアはにやついたまま表情を崩さない。
 何も言わないが命令に近いものなのだろう、その内渋々とリドは蓋を開けてそのまま口をつけて酒を飲みはじめた。
「リド……大丈夫か?」
「うるさい」
 半分ほど一気に飲んでいるのに気づいて心配になって声を掛けると、酒瓶を下ろしたリドに睨まれた。
「逃げた奴が俺に指図するな」
 口元から酒を零しながら更に続けられる。
 飲む事を躊躇っていた様子を察するに、酒には弱い様だ。
 自分と同じく寡黙なリドだが、酒に弱いところは違っていた。
 席を立ったリドがこちらへやってくる。
「大体どの面下げて帰ってきやがったんだ……ロアがどんな気持ちだったか、お前は考えた事があるのか」
 蜥蜴の顔が間近に迫ってくる。
 漂う酒の臭いだけでボルクも酔いかけた、かなり強い酒なのだろう。
「なのに今更、帰ってきやがって……」
 リドが酒瓶を振り上げる。
 殴られると、思わず瞼を閉じたが次には大きな物が被さってきた。
 恐る恐る瞼を開くと、しなだれかかるリドの姿がそこにあって、
酔いが回ったのか、起き上ろうとしているものの上手く立ち上がれない様だった。
 拒否される事を知っていながら、黙ったままボルクはその身体を支えると、
案の定微かな抵抗をされる。
「リド」
 ロアの声が聞こえた。
「もう寝ろ」
 ロアの言葉が部屋に響く。
 それで、暴れていたリドの動きが治まって暫くすると寝息が聞こえる。
「悪いな」
 眠りに落ちたリドの身体をロアが預かり、元の場所へ戻るとその隣へ下ろす。
 リドが起きない事を確認すると、再び後ろに手を伸ばして新しい酒を取り出した。
 茶を呑み終えた容器にそのまま酒が注がれる。
「まあ、お前も飲めよ。酔いたい気分になっただろ?」
 勧められた酒を黙って口に運ぶと、思わず口元を押さえる。
 鼻腔を抜ける強烈な酒の臭いに咽そうになる。
「大丈夫なのか? リドは」
 酒を飲むボルクでさえ、一気に飲むのは抵抗があった。
 それ程リドも酔いたい気分だったのだろうか。
 リドの言葉が脳裏に甦る。
「ああ、二日酔いは覚悟しねぇとならねえがな」
 注いだ酒をロアは平気な顔で一気に飲み干す。
 思わずそれに目を奪われるが、何ともないのか続け様に酒を注いではまた飲んでいた。
「もっと飲めよ」
 そう言って、まだ飲み干してもいないのに無理矢理酒が注ぎ足された。


 散々呷っていた酒の臭いで、ロアは目を覚ました。
「……寝ちまったか」
 酒が抜けてきた今は、大量に飲んだ酒の香りが却ってちらつく。
 部屋には夕陽が射していて結構な時間が経ったのだと考える。
 顔を上げると、眠る前に見ていた様子と変わらずにボルクは座ったまま酒をゆっくりと飲んでいた。
「まだ居たのか」
 ついそんな言葉が口から出る。
「飲みの相手を欲しがってたみたいだからな」
「……まぁ、こいつは弱ぇからな」
 隣に寝かせたリドも変わらずに寝ていた。
「途中で寝るなんて、酒に弱くなったのか?」
「馬鹿言え、ここんとこの騒ぎで疲れてただけだ」
 テーブルの上に置いてあった酒を取ると、一息に呷る。
 酔ってはいない、昔から幾ら飲もうが頭は澄み切っていたし、足取りが覚束なくなる事もなかった。
「けど、珍しいな……昔はもっとゆっくり飲んでた気がした」
 指摘されて、思わず笑みが零れる。
 ただ、ちょっと酔ってみたかっただけだ。
「お前は酒に強くなったみてぇだな、いや……前は飲んでたんだっけか?」
 ボルクの言葉に応えもせずに話をする。
 そういえば、ボルクの酔ったところを見た記憶がロアにはなかった。
「未成年だったろ」
「そうか、そうだったな」
 三年前は確かにそうだった。
 そんな事すら失念していた事に、自分でも驚く。
 本当は酔っているのかも知れないが、それももうどうでもよくなった。
 酒に酔っているかどうかよりも、今はこの愉快な気分に浸りたいし、酔っていたい。
「……リドの言った事、気にするなよ」
 不意に呟いた言葉に、ボルクの手の動きが止まる。
 眠ったままのリドを見つめる。
 暫くは起きそうにないだろうと思うと、ちょっとやり過ぎたと反省をする。
「こいつは昔から、俺の事になると口うるせぇからな……ヒヨッコの頃から連れてるからまあ、懐かれちまったんだろうけどよ」
 いびきすら掻かずに静かに眠る蜥蜴の顔を撫でてやる。
 思えば、リドとは十年近くの付き合いになるしいつでも傍に居た存在でもあった。
「本当は、こいつにも出ていってほしかった」
 三年前のあの日、腕を失くし部下を失い、すべてがどうでもよくなった。
 独りになりたかったのだ。
「そしたらよ、もうなにも考えずに済むから楽になるんだ。
だのに、こいつときたらいくら言っても出ていかねぇ」
 独白は続く。
 リドの言葉を気にするなと言った癖に、その次に吐き出した言葉がこれなのだからロアは自嘲気味に笑った。
「ま、仕方ねぇから面倒見てやってるところだ」
「ロア……」
「……ボルク、今度はうまくやれよ。
俺みたいな器のでかい奴はそうそういないぜ」
 言ってから、ロアは声を上げて笑った。
 笑ってやった。

 酒盛りをしている中、不意に音が聞こえた。
 それが来客を告げる呼び鈴という事にロアは少し遅れてから気づく。
「邪魔が入ったな」
 立ち上がると、持っていた酒瓶を足元に置いてから正面玄関まで行く。
 足取りはやはり軽かった。
「こんばんは、ボルク迎えに来ました」
 扉を開けると、熊の男が立っていてにこりと微笑まれた。
「ああ、確かディストのとこの……」
「はい、バーツです」
 大きな熊の背に隠れていたのか、背後からヘイスが飛び出してくる。
「こ、こんばんは」
 少し緊張しているのか、身体を固くしていたが漂う酒の臭いにヘイスは怯んでいた。
「おっと悪ぃな……飲んでたもんだからよ」
「すみません突然、バーツ……態々迎えに来なくてもよかったんじゃ」
「いや、いいさ。そろそろ帰そうかと思ってたところだからな。
それより……攫われてたらしいが、もういいのか?」
「……はい、僕は大丈夫です」
 一拍置いて、浮かない顔で返事をされた。
「待ってな、連れてくるからよ」
 それで、ロアはそれ以上食人の話題に触れる事を止めた。
 酒臭い部屋に戻ると、一人でまだ飲んでいたボルクを見下ろす。
「ボルク、迎えが来たぞ」
 杯代わりの容器を持つ手の動きを止めて、ボルクは顔を上げた。
 立たせるが、流石に酔ったのだろう多少足がふらついていた。
 仕方なくその身体を支えてロアはヘイス達の元へ向かう。
「待たせたな」
 そう言ってから、ボルクの身体を突き飛ばした。
 千鳥足のボルクを見て咄嗟にヘイスはその身体を受け止めようとするが、何しろ体格がまるで違う。
 押し倒されそうになって思わず悲鳴を上げていた。
 しなだれかかっているボルクもそれで酔いが醒めたのか慌てて直立して詫びる。
「なんでぇ、役得だってのに馬鹿な奴だ」
 思わず出た言葉に、振り返ったボルクに睨まれる。
「大丈夫? ボルク」
 それでも純粋にボルクを心配するヘイスを見ていると、確かに小賢しい真似はしない方がいいのかもしれないと思った。
「すみません、どうも」
 成り行きを見守っていたバーツが相変わらずの笑顔で何度も頭を下げる。
「大変だなお前さんも」
「いえ、これはこれで楽しいので」
 バーツはこの二人の事をよく解っているのだろう、そんな返事に思わず笑ってしまう。
「それじゃあな、ボルク」
 既に日も暮れている、夜風は酔った身体に心地良いだろうが、風邪を引きかねないと会話を切り上げた。
 迎えの二人にも挨拶をしてから、ロアは背を向けた。
「ロア」
「なんだ」
「……酒の相手くらいなら、俺もできる」
「そうか、上手い酒が手に入ったら呼んでやるよ」
 それで、三人は帰っていった。
 しばらくロアはその場で立ち尽くす。
「じゃあな、ボルク」
 夜風を身体に受けながら、建物へ入るとそっと鍵を閉めた。
 扉に背を預けて、ロアは小さく溜め息を吐く。
「帰りましたか」
 声に、思わず身体をびくりと震わせた。
「もういいのか」
 先程まで泥酔していたリドが、自分を見つめていた。
 朝まで起きないだろうと思っていたが、酒が抜けるのは意外と早いのかも知れない。
「あいつは帰った、自分の家にな」
 もうここはボルクの家じゃない。
 言ってから、急に寂寥感をロアは覚える。
「……そんな顔しないでください、ロア」
 リドの言葉に我に返ると、思わず舌打ちをした。
「寝るぞ、お前も早く寝ろ」
 振り切る様にリドの隣を通り過ぎようとすると、腕を掴まれた。
「なんだ」
「ロア……俺じゃ、駄目なんですか」
 リドの言葉に、ロアは驚く。
「なに言ってやがる」
「あいつの代わりにもなれませんか? 俺は……ロアを見捨てません」
 振り解こうとすると逆に引き寄せられて、壁に背を強かに打ちつける。
「お前、まだ酔ってやがるな」
 返事をせずにリドは身体を弄る。
 風呂上りで着流しのまま酒盛りをしたのは失敗だった。
 少し肌蹴させるだけで容易く身体に触れられる。
 抵抗しようとするより先に、リドの手が蹂躙する様に胸をなぞり下腹部へと移動する。
 それで思わずロアは声を上げた。
 ボルクの前で抑えていた身体の火照りが甦る。
「馬鹿、やめろ……うっ……」
 唇を合わせられると、蜥蜴の細長い舌が口内へと強引に捻じ込まれる。
 余った腕で直に腰を撫でられながら、身体を擦りつけられ重点的に胸を責められた。
 体毛の無い、少し冷たいリドの身体は強い刺激を与えてくる。
 視界が滲んでいるのにロアは気づく。
 何に涙を流しているのか。
「ロア……」
「やめろ、リド」
 顔を逸らせて唇を解放すると、声を掛ける。
 リドの愛撫は止まない。
「やめねぇか!!」
 吠える様にロアは怒鳴った。
 それでリドは慌てて離れたが、その顔には恐怖が浮かんでいた。
 殺気を籠めた睨みに身体が竦んでいるのだろう。
 慌てて目を瞑り、二度目の舌打ちをした。
「すみません……」
「もういい、早く寝ろ」
 本気で睨まれた事が、リドには衝撃的だったのだろう。
 自分でもやり過ぎたと思うが、仕方の無いことだった。
 乱れていた服を整える。
 もう少し進んでいたら危なかった、表面は繕えても、内に溜めた火照りは部屋で発散しないとどうにもならないだろう。
「……じゃあな」
「はい、おやすみなさい。ロア」
 リドはもう、いつも見ているリドに戻っていた。
 深く頭を下げて見送られる。
 酒のせいで妙なものを見たのだと、酔ってもいない癖に決めつけてロアは自分の部屋へと戻った。
 一人になってからそっと身体に触れると、電流が走った様な感覚に思わず呻く。
「馬鹿野郎が」
 呟いてから、ロアは火照りを醒ます様に帯代わりの紐を解くと着流しを脱ぎ落した。



 酔った身体を引き摺る様にしてボルクは歩いた。
 傍に居る二人に凭れかかる事もできるが、ヘイスでは心許無いし、
バーツにはからかわれそうで結局自分の足で立っていた。
 夜風に揺られて歩いているせいか、いつもは頭の中に飛び込んでくるヘイスの言葉もあまり聞こえない。
 適当に相槌だけは打ったが、ヘイスも酔っている事は知っているのかただ笑っていた。
「随分飲んだんだねぇ」
「ああ」
 隣に居るバーツは、風呂に入るまで身に着けていた服が入った袋と土産に貰った酒瓶を持っていた。
 結局ロアの着流しのままで出てきてしまったので、洗濯を終えたら近いうちにまた訪う必要があるだろう。
「二人で十本くらいは」
「……飲み過ぎだよ」
 手に持つ酒瓶を見たバーツに、呆れられる。
 確かに、こんなに飲んだのは初めてかも知れない。
 昔からロアの飲む姿を見ていたせいか、自分も少しずつ飲んで深まる酔いをじっくり味わう飲み方をする。
 酔っても表情に出ないところも似ているのかも知れない、流石に足はふらついてしまうのたが。
「それで、気は済んだの?」
「……どうだろう」
 できる事なら、まだ謝り続けていたいのだが、
それは既にロアに禁止されていた。
 結局、自分がロアにできる事をしてきただけだ。
「ロアは、それでいいと言っていた」
「そっか、頑張ったねボルク」
 バーツが持っている袋をヘイスに渡してから、大きな掌で頭を撫でてくる。
 荷物を持ってもらっている手前、ボルクは暴れずに黙って撫でられていた。
「遅い!!」
 家に帰ると、ディストの声が響いた。
「うん、ゆっくり歩いてきた」
「お前らなぁ……」
 玄関で出迎えてくれたディストは、ボルクの酒の臭いに驚きながらも黙って迎えてくれた。
「ヘイス、ラートムがもう飯の用意始めてるから頼む」
「あ、はい。ごめんね」
 大分ゆっくりしていたのだと気づいたのか、慌ててヘイスは台所へと姿を消す。
「随分飲んだじゃねえか」
 千鳥足なのを指摘されると、ディストが肩を貸してくれる。
 口では色々言うものの、面倒見は良い。
「ディスト……ありがとう」
「……どうしたんだよお前」
 礼を言うと、ディストは戸惑いながらも照れた様な顔をして歩き出した。
 ロアに何となく似ているとボルクは思った。


 夕食を済ませると、ヘイスは皿を洗っていた。
 一人暮らしならば翌日か、洗い物が溜まるまで放置しても良いのだが、
何せ人数の増えた今は、朝が一番忙しい。
 手が空いた時にやれる事はやらないと、とても間に合いそうに無かった。
「これで最後だ」
「すみませんラートムさん」
 食器を重ねて運んできたラートムが、流し台へとそっと置く。
 初めは少し戸惑ったが、竜人という割に一番ラートムが家庭的な気がした。
「ディスト達は大丈夫でした?」
 先程までは、ボルクの土産である酒を飲み合って騒いでいた。
 その声が聞こえなくなったので解散したのだろうが、特にボルクはロアの所でも飲んでいたのだ。
 飲み過ぎてはいないだろうかと心配になる。
「ディストは少し飲み過ぎたかも知れないな……問題ないとは思うが」
 未成年ではあるものの、酒は軽く注意される程度のものだった。
 ディストが町を守るギルドの長だという事もあるのかも知れない。
 もっとも、ヘイスは絡まれるのが苦手なのでボルクが自分のために買ってきた酒も、
ディストに勝手に飲まれない様に最近では隠しているのだが。
「アスタが無理矢理飲まされてしまってな……」
「大丈夫なんですか? アスタ君」
「なに、解毒の要領を応用すればなんとかなるだろう」
「そうですか……それじゃ、お願いします」
 家事を引き受けると、就寝の挨拶を交わしてラートムを送りだした。
「しょうがないな、ディストは」
 苦笑いを零しながらも、洗い物を終えるとヘイスは食堂へと戻った。
 ラートムがしっかりと片付けてくれたのか、汚れがある訳ではなかったが、
酒の仄かな香りがまだ漂っていた。
 後始末を済ませてから、廊下に出て窓から外を見ると、
庭にディストの姿を見つけた。

 音も立てずに、ディストは剣を構えていた。
 汗を掻いたのか、上着を脱いで半裸のままで今は岩を黙って見つめている。
「もう平気なの?」
 声を掛けるとその顔がこちらを見るが、一瞬その雰囲気にヘイスは呑まれた。
「ああ、悪い」
 集中している時の迫力というものは、やはり家事をこなしているだけの自分には辛いものがあった。
 ディストもそれを解っているのだろう、すぐにいつもの柔和な表情に戻った。
 酒を大量に飲んだとラートムは言っていたが、今のディストから酔っている様な気配は感じられない。
「最近すっかり鈍っちまったからな」
 剣を下ろすとディストは顔を綻ばせる。
 自分の前では、ディストは必要以上に剣を振らない。
 剣を持つのは、いつも自分を守る時だった。
「いつもごめんね、ディスト……」
「なんだよ」
 離れていた所に置いていた鞘に刀身を収める。
 やっぱり、自分の前では見せびらかす様なことはしない。
「ディマロスの事、怒ってると思って」
 迷惑ばかり掛けているのは解っていた。
 人を守るディストが、ディマロスを敵視するのは仕方のないことだった。
「そりゃ、怒ってるさ」
 言葉に、僅かに身体が震える。
「ああ、だからそうやってすぐ怯えるなよ」
「……ごめん」
 呆れた様な顔をしながらも、ディストは歩み寄ってくる。
 汗で濡れた体毛が、身体の線を強調していて思わず頬が熱くなる。
「正直俺も、よくわからねぇんだよ最近」
 顔を上げると、困った顔をしたディストが居た。
「あいつも、ラートムも……人のために戦ってくれたのに代わりはないだろ?
なのに、俺はそいつらの事を見張ってるんだよな……仕方ないと思っても、やっぱ納得できねぇんだ」
 それで、ディマロスの言葉を不意に思い出した。
「ディマロスが言ってたよ」
「は?」
「理解してれば、納得はいつかついてくるってさ」
「…………言うじゃねぇか」
 ディストが笑う。
 面白いものを見つけたとでも言いたげな表情だった。
「まあ、そうなのかも知れねぇな……お前に言ったって事は、お前も俺も同じ様な事考えてるって事だし」
 正しいと思う答えは見つけられなかったが、ディマロスはそれでも満足気に去っていった。
 去る姿も、決して惨めだとは思わなかった。
「もう寝るぞ、ちょっと夜風に当たりたかっただけだしな」
「明日二日酔いにならない?」
「どうだろうな、なったら看病してくれよ」
 意地悪そうな顔で言うディストは、いつもの調子に戻った様だった。
「ボルクも二日酔いになりそうだしな……暇があったらね」
「なんだよ、俺は後回しなのかよぉ」
 じゃれ合いながらも、ディマロスの事をヘイスは想った。
 こんな世界の中に、彼を連れていきたい。
 無理な事だと解っていても、ヘイスはディマロスを想った。

 町は騒然としていた。
 その中を一人、リドは走る。
 何故、今魔物の襲撃が起きたのか。
 凶悪な魔物も、ここ最近は大人しくなっていたはずだった。
 それが、突然の襲撃だった。
 もちろん、それはあり得ない事ではない。
 ただ、何故今なのかとリドは考えるだけだった。
 今のギルドには、ロアとボルクの二人しか居ない。
 まるで、手薄なのを見透かした様にロアのギルド近くに魔物はふっと湧いた。
 二人を守らなければならない。
 特に、まだボルクは若い。
 自分が守らなければならなかった。
 息を荒らげながら、どうにかギルドへと駆けつけた。
 入口には魔物の死体があり、夥しい血が飛び散っていた。
 血が、庭に向けて続いていた。
 息を呑んでリドは歩きはじめる。
 見てはいけないものがこの先にある気がした。
 それでも、立ち止まらずに庭へ出ると、
壁に身体を寄り掛からせて地に伏したロアが、宙を見ていた。
 目の前には、絶命した魔物の姿。
 その傍に、ちぎれた腕があった。
 慌ててロアに駆け寄る。
 右腕の先、肘があるべきところには、なにも無かった。
 赤い色と、飛び出した白い色があるだけだった。



 朝食を用意しながら、今朝の夢をリドは反芻していた。
 三年前から続く、見慣れた夢だった。
 そう言い聞かせても、いつも飛び起きては煩く騒ぐ胸を必死に押さえていた。
 目を閉じれば、あの時のすべてが脳裏に浮かぶ。
 激しい息遣い、落ちた右腕、宙を見つめるロアの瞳。
 鮮やかに甦っては、身体を震わせる。
 足音が聞こえた。
「おはようございます、ロア」
「おう」
 入ってきたロアは寝置きなのか、欠伸を掻きながらぼさぼさの髪を掻き上げていた。
 だらしなく着崩した着流しから覗く身体に思わず目を奪われそうになるが、慌てて目線を逸らした。
「ちゃんとしてください」
「……ああ」
 眠気が抜けないのか、面倒臭そうに返事をされるが、
それでロアは腰から垂らしていた紐を手に取ると腰に巻きだした。
 本当は帯の方が良いのだが、隻腕になったロアでは扱いにくいだろうとリドがつけた物だった。
 腕を失ったロアのために最初にやった事は、私生活の不自由をなるたけ失くす事だ。
 着流しにつけた長い紐は、頭の上で回すか座ってから腰の周りを回すかして締める。
 細かい所は締めた後に整えないとならないが、それでもロアはなんとか我慢している様だった。
 料理ができあがると、席に着いたロアの前へと置いてゆく。
 食事一つとっても、片腕で食べられる物を作る様に心がけた。
 最初の内、ロアはそれを煩わしく思っていたのだろう、
嫌な顔をしていたものの、結局辛いのは自分なので最近では不便なところは申告してくれる様になった。
 寝起きで起源の悪いロアの前に、好物を出すとその端正な狼の表情が意外なほど柔らかくなる。
 それを見て思わず笑い声を上げると、ロアも静かに笑った。
 ある程度食事の作法は心得ているロアだったが、片腕になってもそれだけは変わらなかった。
 食事が終わり片づけを済ますと、ロアの執務室へと向かいその日一日の依頼を確かめる。
 部屋に入ると、待っていたロアが窓の外から視線をこちらへ向けた。
 その隣に納められている二振りの刀が、目に止まる。
 以前はそれを両手にそれぞれ持っていたが、隻腕になってからは片方しか使わなくなったのか、
使われていない方の刀だけ薄らと埃が被っているのが、陽の光に照らされて妙に目立っていた。
「郵便配達って訳じゃあねえが……いくつか、場所がはっきりしない所に届けてくれ。
物のついででも構わないからよ」
 そう言って、封のされた手紙の束を渡された。
 ロアのギルドは、魔物退治専門という訳ではなく、なんでも屋という側面も持っていた。
 家政を受け持つリド自身が渡される依頼は簡単なものが多い。
 難しいものをこなす自信はあるが、元々物臭なロアが、更に隻腕になって家事が満足にできなくなってしまったので、
リドが遂行する日々の依頼はこんなものだった。
 それ以外の依頼は、大抵はここに通う誰かが持ってゆく。
 ロアから依頼を受ける時と、それを済ませて報告に来た時にしかここには来ないので名前を知らぬ者も居た。
 住み込みの者が少ないという事は、リドの負担が少ないという事ではあるのだが、
数年前まではこの建物も賑やかだった事を思い出すと、少し寂しい気持ちに襲われた。
「では、行ってきます」
「ああ、それと今日の晩飯なんだが……」
 呼び止められると、ロアが笑顔で注文を付けてくる。
 控えめに振られる尻尾にリドは気を取られた。
「……わかりました」
「頼んだぞ」
 ロアの笑顔に見送られて、ギルドを後にした。
 最近、ロアがよく笑う様になったと思う。
 ボルクとの和解があったからなのだろうか。
 それを素直に喜んでいいのか、リドには解らなかった。
 この間ボルクがやってきた時も、辛く当たってしまった。
 ロアの性格からすれば、自分がボルクを敵視することを望みはしないだろう。
 それでも、リドはボルクの事が許せなかった。
 まだ戦いの経験が無かったのだから、尻込みをするのは仕方の無い事だ。
 ロアを見捨てて逃げ出した事だけは、どうしても許せなかった。

 道を尋ねながら、少しずつ預かった手紙をリドは消化してゆく。
 訪うついでに、しっかりとした住所を訊いてそれを控えた。
 これを依頼人に渡せば、次からは態々ロアに依頼せずに済む。
 住所を特定するまでを含めた依頼ではないものもあるが、一応訊けとロアに言われたのでリドはそうした。
 広い町の中で、大体の場所しか分からずにいくつもの場所を周るのは地味ながらもそれなりに時間の掛かる作業だった。
 特に、ボルクの居るギルドの近くを通らなくてはならない時は警戒した。
 仕事上の事だから、例え会ったとしても仕方のない事だが、やはりボルクとはまだ会えそうになかった。
 手紙をすべて渡し終えると、一息入れてから買い物をする。
 見つけるのに手間取ってしまう所もあったので、既に空は夕焼けに染まっていた。
 足りない物と、ロアの好物を買い揃えてゆく。
 依頼と違って、こちらは大した時間が掛からないのが助かったが、
それでも調理時間を考慮すると、急がなければロアが腹を空かせるだろう。
 急ぎ足で帰りながら、商店街を眺めた。
 店先の硝子に自分の姿が映る。
 映し出された蜥蜴の顔に、思わずリドは顔を顰めた。
 誰にも打ち明けた事はないが、自分の容姿がリドは苦手だった。
 竜人、それに食人に似ている姿だ。
 けれども、それらの様な特別な力は無い。
 その癖蔑む様な視線は変わらなかった。
 それが、幼い頃からリドにとっては苦痛だった。
 本人達にも事情はあるのだろうが、特にリドは竜人を羨んだ。
 竜人の力があれば、ロアの役に立てる。
 もしかしたら、あの時、ちぎれたロアの腕をそのまま治せたのかも知れない。
 もっと早くロアの危険を察知して未然に防げたのかも知れない。
 ボルクに対する憎しみよりも、もっと強い自責の念が胸中に渦巻いた。
 それに気づいた時、リドはただ己の無力を呪った。


 ギルドへ帰ると、とりあえず食材を傷まない場所へ置いてからロアの執務室へ向かった。
 急いで夕食の準備をしたいが、まずは報告をしなければならない。
「ロア……?」
 部屋の扉を軽く叩いてから入るものの、ロアの姿は見えなかった。
 ロア自身もなにかの依頼に出掛けているのかと思ったが、もしそうならば今朝の内に話してくれただろう。
 途方に暮れて、ロアがいつもしている様に窓から外を眺めてみると、
あの庭に、ロアが居た。
 一度外に出てから回り込んで、庭に出るとロアの元へと向かう。
「戻りました、ロア」
 木で作った刀を、左腕で振り回しているロアへ声を掛けると、
汗を腕で拭ったロアと目が合った。
「……なんですか?」
 リドをじっと見つめたまま、ロアは動かない。
 不意に、握っていた木刀がこちらに投げられる。
 慌てる事なく、リドはそれを掴み取った。
 壁に立て掛けられているもう一振りを持つと、ロアは構えた。
「来てみろ」
「はい。失礼します」
 一礼してから、右手で木刀を握ってリドは跳び込んでから斬りあげた。
 正面から受け止めたロアと睨み合うが、すぐに一度後ろに跳んでから再び大地を蹴って今度は右側から責める。
 受け止める度に、ロアは口元を緩ませて楽しそうに笑った。
 こういう事が、初めてではなかった。
 昔は時々させられるだけだったが、人の減った今はロアがその気になればいつでも相手をする覚悟をしていた。
 遠慮もせずに渾身の力で打ち込む。
「効かねぇな、それじゃ」
 ロアが、巨体を駆使しながら大きく水平に払った。
 直撃を下けるために受け止めようとするが、余りの圧力に逃げる様にまた後ろへ下がる。
 気づけば、間合いを詰めたロアが真上から木刀を振り下ろそうとしていた。
 咄嗟に、リドはロアの様に払おうとしたが、その動作を中止して再度ロアの刀を受け止めた。
 鈍い音が響く。
 首筋に、刀が当たっていた。
 真剣だったら、首が飛んでいただろう。
 もっとも、真剣であったとしてもロアにはそんなつもりはないのだろうが。
 受け止めるために構えた木刀は、半端な扱い方をしたせいで腹で受けてしまい折れていた。
「甘ぇな、お前は」
「すみません」
 特に悪びれた様子もなく、リドは言った。
 ロアは不服そうだったが、それ以上はなにも言わなかった。
 全力で木刀を払えば、ロアの右半身から攻める事になる。
 右腕の無いロアにそうする事を刹那躊躇った。
 それがロアには不満だったのだろうが、リドは後悔しなかった。
「飯にするぞ」
 木刀を引くと、折れた木刀も預かりロアは先に行ってしまった。
 後を追うとすぐに夕食の準備に取り掛かる。
 食事の間、ロアは静かだった。
 いつもなら好物を前にして喜ぶのだが、それもなかった。
 怒らせたのだろうかと気になったが、リドも黙々と食事を取り続ける。
「後で部屋に来い」
 食べ終えてから、それだけを言うとロアは姿を消した。
 今朝の様に後始末をしてから、リドは執務室へと向かう。
「いくつになった」
 部屋に入って向かい合うと、ロアがそんな事を言った。
「二十七です」
「そうか。……大きくなったな、リド」
 ふっとロアは微笑んだ。
 一度背を向けたロアが振り返ると、その手に今朝見ていた刀が握られていた。
 被っていた埃は掃われていて、改めて見ると業物にも見える。
「持っていけ」
「これは、ロアの大切な刀です」
 リドはただ首を横に振った。
 両腕があった頃は、この刀も振るっていた。
 その勇ましい姿が今でも忘れられない。
「ずっと迷ってたんだが……右腕の無くなった俺にこいつは扱えねぇ。
だったら、お前が使った方がいいだろう。
前々からお前には刃物を一つ持たせようと思ってたしな」
 リドは、いつも徒手だった。
「化け物相手に、いつまでも素手って訳にはいかねぇだろ?」
 右手を差し出して、ロアの手から刀を受け取ると、
ずっしりとした重みに加え、微かに背筋が寒くなった気がした。
「まあ、渡したはいいが、お前が本当にこいつを使いこなせるかはまた別の問題だ。
もっと使いやすい物があるなら、それを使うといい。
こいつは、俺の持ってる中でも扱いにくいやつだからな」
 ロアの背後にある、もう一振りの刀が目に留まる。
 リドの持つ物と合わせて一対の刀ではあるが、外見はかなり違っていた。
 今ロアが使っている方は、細身で重量も然程なく扱いやすい、 受け流したり素早く斬るための刀だった。
 受け取った方の刀は、反対に太く相手を斬りつける事を主にしている。
 突き殺す事もできる様に、鍔が付いているがロアの物にはそれすらなかった。
 片腕を失くした時、ロアは守りを重視してこの刀を使う事を断念したのだろう。
「人には絶対に使うなよ」
 僅かな間、ロアの鋭い眼光がリドを射貫いた。

 受け取った刀を見つめていると、ロアが眩しいものを見る様な目でこちらを窺っていた。
「これで、俺がお前にやれるものはもうなにもねぇよ。
ここを出て行くのも、お前の自由だ」
 慌てて、ロアを見た。
 視線を絡めると、リドは刀を下ろす。
「ロア、俺はここにいます」
「……もういいんだぞ、リド。
いつまでも俺の世話ばかり焼いていても仕方ないだろう」
 突き放す様な言い方に、胸が痛んだ。
 三年前からしばしば見せるこの態度がリドは嫌いだった。
 腕を失い、ボルクに見捨てられたロアはそうして他の者も遠ざけはじめたのだ。
 もう見捨ててくれ。
 あの時、ロアは俯いてそう呟いた。
「初めて会った時の事を、憶えていますか」
「あん? お前を拾った時の事か?」
 黙ってリドは頷く。
 母に先立たれ、暴力的だった父の元から逃げ出したのはまだ十をいくつか過ぎた頃だった。
 身寄りはなく、受け入れてくれる者も居なかった。
 蜥蜴だからと、自分に向けられる視線を若い時分ながらもリドは感じ取っていた。
 野に出たリドは、当てもなく彷徨いやがて力尽きた。
 衰弱しきっていたところに通りかかったのがロアだった。
 洞穴で野宿をしながら、降り出した雨に震えていた身体をロアは抱き締めてくれた。
 手持ちの水と食料も、惜しみなく与えてくれた。
「ちゃんとした所に預けるって言っても、お前は聞いてくれなかったな」
 思い出を振り返っているのだろう、ロアはそんな風に言った。
「ロア……俺は、あの時寂しかったんです。
ロアが俺を助けてくれたあの時まで、俺は、寂しくて、早く死にたかった」
「……」
「だから、離されるのが怖くて駄々を捏ねました」
「それで、まだ駄々を捏ねるつもりか」
「……そうなのかも知れません」
 いつの間にか、目尻に涙が浮かんでいた。
 ロアがこちらへ歩み寄ると腕を伸ばす。
 殴られると思ったが、背中を抱き寄せられると胸の中に身体が収まった。
「長い間、お前の事を追い出そうとしてたな俺は」
「ロアは、俺と違って強い人ですから」
「そうでもねぇよ。強かったらあの時腕とボルクを失くすだけで済んでたはずだ」
 胸の中で、ロアの体温に包まれる。
 幼い頃の記憶が甦った。
「もうこの話はなしだ、お前を自由にするんだ……ここに居続ける事も、お前の自由だ」
「はい」
 顔を上げると、間近に狼の顔が見えた。
 そっと顔を近づけると、リドは唇を合わせる。
 ロアの身体が跳ね上がったが、この間の様な強い抵抗はされなかった。
 息苦しくなってきた頃に漸く唇を離すと、目を泳がせたロアの顔があった。
「おめぇなぁ……今、結構いい感じだったんだぞ? 親子みたいで」
「すみません。でも、俺はロアが好きです」
「……育て方間違っちまったのかな」
 複雑そうなロアに、もう一度リドは抱きつく。
 黙ったまま、再び身体が抱き締められた。
 育て方を間違えたのかも知れないとロアは言ったが、リドはそんな風には思わなかった。
 あの日、出逢って間もなくこの気持ちを抱き、今日まで抱き続けて生きてきた。

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