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2.ヘイスの憂鬱

 音のする方へとディストは走り続けた。
 駆けつけると大型の魔物が一体、建物を破壊しながら暴れているのを見つける。
 ディストが駆け寄ると、それに気づいたのか魔物がこちらに向かって体当たりを仕掛ける。
 それを然程苦労する訳でもなく避けて、一度距離を置いて相手を見つめる。
 角を持ち、姿形は四足で歩く獣のそれだが、身体の大きさから全てが規格外といった様子だった。
「って言っても今武器は持ってないんだよな……」
 買い物に行くからにはなるべく物を持たず行きたいもので、武器は自分の部屋に置いてある事を思い出す。
 魔物に隙を見せないまま素早く辺りを見渡すと、破壊された建物の周辺に幾つか刃物が転がっていた。
「そういやあそこ刃物店だったな」
 変わり果てた姿の店を見て、顔を顰めた。
 攻撃を避けられた魔物は再びディストへと突進を始める。
 またもそれを避けると、辺りに散らばる凶器を素早くディストが拾った。
「包丁二刀流!」
 言ってから、傍目にはかなり情けなく見えるのだろうと思うと溜め息を吐いた。
 包丁を振り下ろして気を取り直すと、一気に間合いを詰めて魔物の身体を一閃してから離れる。
 そのまま振り下ろした包丁を投げ捨てると素早く新しい物を拾った。
 自らの身体が切られた事を悟った魔物は、逆上して更に速度を上げてディストへと向かう。
 そのまま魔物に向かって包丁を投げるが、巨大な角で上手く弾かれてしまい
慌ててディストがその場から飛び去った。
 着地した瞬間に、弾かれた包丁も地面へと突き刺さる。
 一本だけになった包丁を、ディストが構えた。
 その瞳が、見る見るうちに暗い光を灯しはじめる。
「ディスト!」
 飛び掛り切り刻もうとしたその瞬間、自分を呼ぶ声がしてそちらに顔を向けた。
「ヘイス!?」
 逃げろと言ったはずのヘイスがそこには居て、自分を心配そうに見つめていた。
 次の瞬間、魔物は自分よりもヘイスを弱いと判断したのかそちらへと全速力で向かう。
 慌ててディストもヘイスの方へと走る。
 当のヘイスは、足が竦んでしまったのか動けずに居た。
 魔物が、ヘイスの元へ辿り着くよりも若干早く
その場にディストが躍り込む。


 間に入ったディストは、残っていた一本の包丁で魔物の攻撃を受け止めて弾き返す。
 一瞬怯んだ魔物に向かい包丁を向けると、
地面を蹴って飛び、その次に体勢を低くして足先から相手の下へと潜り込む。
 一拍、それだけを待ってから目星をつけた所に全力を持って突く。
 見届けると、身体はそのまま進み足元から抜け出した。
 暫く呻いていた魔物は、その内地に身体を下ろすと動かなくなる。
 的確に心を突いた事に安堵しつつ、僅かな返り血をディストは服の袖で拭った。
「意外に強いな最近のモンスターは……いや、俺が鈍ったのか」
 感想を述べると、魔物を避けてヘイスの元へ戻る。
 目の前で起きた事を呆然とヘイスが見つめていた。
 視点の定まらないその顔を見てディストは肩を掴む。
「平気か?」
 外傷は無い様に見えるものの、何かおかしな物を貰っていないかと尋ねる。
「あ、うん……僕は平気」
 その返事に、ディストが深く息を吐いた。
 雇った早々に怪我でもさせたら、仕事を辞めたいと言われても無理はないのだ。
「なんで来たんだ。隠れてろと言ったはずだ」
 次の瞬間には、厳しい顔をしてヘイスへと声を上げた。
「ごめん、ディストが心配で」
 俯いたヘイスが、どうにかそれだけを言う。
 そう言われてしまっては、大きく叱る事も出来なくて
もう一度息を吐くとその顔を覗き込んだ。
「怪我無かったからいいけどよ、なるべく離れてろよ」
 それだけを言うと、背中を向けた。
 その瞬間にヘイスの目が見開かれる。
「ディスト、その腕……」
「あ? あ、切れてるなこりゃ」
 先程魔物の攻撃を弾き返す時に大きく払ったのが悪かったのか
左腕に角の先が当たり、皮膚が裂けてそこから血が流れていた。
「大丈夫!?」
 血を見て動転したヘイスが尋ねる。
「平気だろ、舐めときゃ」
 驚く程の傷でもなかった、自分にとっては慣れた物なのだ。
 傷をしばらくヘイスが見つめていたのだが、思い出した様にその傷に掌を翳す。
 それから、静かに目を瞑った。

 頭の中で、イメージを作った。
 暖かい様な、そんなイメージと
傷ついて、とても痛々しいイメージの二つ。
 その傷が、徐々に治っていく様を浮かべながら
手に集まってきた魔力を一気に押し出す。
 それに反応する様に、手の中から淡い光が溢れ出すと
傷付いていたディストの腕の傷を、一瞬にして治した。
「おお、すごいな」
 まさかここまでできるとは思いもしていなかったのか、感心した様にディストが声を上げた。
「ごめん、僕が来なければこんな事には……」
 傷が治ったとはいえ先程まで感じていた痛みは確かな物で、申し訳無くなってヘイスは頭を下げた。
「ありがとよ、ヘイス」
 それを気にした様子も無く、ディストがヘイスの頭を撫でる。
 人に撫でられるという事を味わった事の無いヘイスは、びくりと震えながらも控え目に尻尾を振っていた。
 それを見てディストが声を上げて笑う。
「さ、早く食料買わないと売り切れちまうぞ!」
 一頻り撫でてからそう言って、ディストが走り出した。
 走り出した背中を、ヘイスが見つめて少しだけ笑った。



 必要な材料を調達し、ヘイスが約束通り豪勢な料理を作ると
いつの間にか帰ってきていたボルクも加わり三人で夕食を取った。
 相変わらずディストはそれを見て珍しいと騒ぐが、慣れたのかボルクはもう無視を決め込んでいた。
 食べながら今日の出来事について話をする。
「ヘイス、怪我しなかったか?」
 ヘイスが襲われた事を聞いたボルクは、食べるのを休めて問い掛ける。
「俺の心配は無しかよ!」
「おまえは強いだろう」
 ディストからの突っ込みもほとんど反応する事無く言葉だけをボルクは返す。
「平気だよ。ディストが守ってくれたし……でも、ディストが怪我を」
 そうしてまた、ヘイスは俯く。
「気にすんなって、大した怪我じゃねぇしよ」
 そんなヘイスをディストが笑い飛ばしていた。
「それにヘイスは魔法を覚えて、怪我を治したんだぞ?それだけで充分すごいだろ」
 ディストの言葉にボルクも頷く。
 悪いのは自分で、先程まではディストもそれを責めていたのに
今のディストは自分をただ称賛してくれていた。
 いい人に雇われたと、ヘイスは心で呟いた。

 夜も更けるとそれぞれが自分の部屋へと帰ってゆく。
 ヘイスは、与えられた自分の部屋に戻った。
 部屋に入って窓から外を見ると。
 バーツに魔法を教えられた庭が丁度眼下にあった。
 空を見ると丸い月があり、神秘的な光で部屋は満ち溢れていて、
 丸い月を見て考え事をしていると、ふと怪我をしたディストの事を思い出す。
傷は塞がったが、自分の魔法で完全に治ったのかどうかが怪しく感じられて、
 それが気になり結局部屋から出る事になる。
 廊下に出るとディストの部屋までまっすぐに向かった。
 扉を叩けば、然程待たずに返事が聞こえて中に入る。
「お、ヘイスかどうした?」
 ソファーに座ってのんびりとしていたディストが、ヘイスを見る。
「その、腕大丈夫かなって」
「なんだよ、まだそんな事心配してるのか」
 そう言って傷のあった箇所を見せられる、体毛に覆われているがしっかりとした腕が見えた。
 目を凝らして見ても、傷を見つけられず治っている様子に安堵する。
「意外と魔法の才能があるのかもな」
「才能……」
 才能があったら、店や家を追い出されないだろうと溜め息を吐く。
 一度息を吐いてからディストが立ち上がって近づく。
「自信持てよ、お前は立派に魔法が使えただろ」
「……うん」
「それに料理も上手いしな、才能が無いなんて事はないさ」
 そのまま離れて座るとディストは手招きをする。
 その横に少し距離を置いてヘイスも座った。
「でもよ、ああいう時はなるべく隠れてろよ? 危ないからな」
 先程まで元気そうに物を言っていたディストの声の調子が、幾分下がる。
 その様子を見つめていたのだが、
少しするとまた笑い出して、そのままヘイスまでも笑わせ様とする。
 もしもあの時、ディストに拾われなかったらこうして居られなかったのだと思うと
多少才能が無くてもいいと、後ろ向きの事をヘイスは思った。


 一時間程ディストと会話をしていたのだが、眠気に呑まれた頃にヘイスは立ち上がる。
 ディストは泊まっても構わないと言っていたが、
自分の部屋が今はあるのだ、その部屋で寝てみたいとヘイスは言った。
 それなら仕方ないとディストはそれで納得したようで、挨拶を交わして部屋を出る。
 廊下に出ると、早々に自分の部屋への帰路を急ぐ。
 所々にある照明と、窓から差し込む薄明かりの月光で意外にも視界は広かった。
「うわっ」
 突然、目の前に自分より大きいなにかが現れてヘイスは声を上げた。
「ヘイス?」
 名前を呼ばれてよくよく見れば、暗がりの中で眼を光らせるボルクがそこに居た。
 丁度、照明から離れ窓の隣に居たボルクは闇に紛れている状態だったのだ。
「あ、ボルク……びっくりした」
「なにしてるんだ?部屋はこっちじゃないだろ」
 一緒に部屋を探したボルクはヘイスは部屋をしっかり覚えているのか、言葉を口にする。
「少しディストの部屋に行ってて、怪我が心配だったから」
 素直に答えた。特に隠す必要も無いと思ったからで、
ヘイスの言葉にしばらくボルクが考える仕草をする。
「本当か……?」
「え?」
 ボルクから出た言葉に目を丸くする。
「すまん、忘れてくれ」
 ボルクが通り過ぎた。
 暗くて、その表情は読み取れなかったが
振り返った時に一瞬明かりに照らされたのは寂しそうな顔だった。
「どうしたの?ボルク」
 悪い事を言ってしまったのだろうかと不安になってその背中に問い掛けた。
「いや、なんでもない……おやすみ」
 そう言うと、ボルクは暗闇の中へと消えていった。
 その様子をヘイスは見つめていたのだが、
身体に更に強い睡魔が襲い掛かるのを感じると、慌てて自分の部屋へと戻っていった。

 ベッドに横になり布団を被った。
 この部屋で眠るのも二日目になる。
 寝心地は悪くはなかった、前に住んでいた所と比べれば天と地程の差で、
この部屋を探してくれたボルクに感謝さえしている。
 そのボルクの先程の顔が今度は頭の中に浮かんでいた。
「もう寝なきゃ」
 今から行っては流石に迷惑なのと、明日も仕事があるのだという事を考えると
とても今行く訳にはいかず、ヘイスは目を瞑った。



 暖かい空気に満たされた部屋で目を覚ました。
 身体に被せてある布団のおかげで、寒く感じる事もなく
のんびりとした様子でヘイスは起き上がる。
 布団を退けると床に足を着いた。
「……ご飯、作らなきゃ」
 大きく伸びをしてから部屋を出る。
 廊下を歩いていると、前からボルクが歩いてきて向かい合った。
「おはよう、ボルク」
 寝覚めが良かったのかヘイスは笑顔で挨拶をした。
「ああ……おはよう」
 対照的に、ボルクは素っ気無い返事をしていた。
 いつもそんな感じ、と言われればそうかも知れないがやはりどこか愛想が無い。
「どうしたの?」
 自分の顔を見ようとしないボルクに、首を傾げる。
「なんでもない」
 一度、ボルクが自分を見たのだが
慌ててまた視線を逸らすと隣を無理矢理通って、そのまま角を曲がって姿は消えた。

 部屋の扉を、少し強くボルクは閉めた。
 いつの間にか息が荒くなっていてそれを沈めるために胸に手を当てる。
「……ヘイス」
 無意識の内に、呟いていた。
 それに気づくと胸に当てていた手を慌てて口に移動させる。
 頭の中に、ヘイスの顔だけが浮かんできていた。
 それだけで自分は酷く安心した様な気分に包まれる。
 もう一度呟いてみた、音に成らずに途方に暮れる。
 これがどういった感情かは、考えずとも解っていた。
 自分はヘイスを好きになっている。
 初めの内は単なる親しさを感じているだけだと思っていた。
 それは、バーツに対して抱くものとなんら変わりないと
そう思っていたが、気づけばそれは段々と違う物へと変わっていた。
「好き……なのか?」
 首を左右に振ると、部屋を歩いて寝床へと倒れ込んだ。
 浮かぶのはヘイスの事ばかりで、
このままではいけないと然程時間を置かずに起き上がる。
「離れよう」
 気持ちに気づいてから取る行動として、それはいけない事なのかも知れない。
 それでも混乱したボルクはどうにかこの感情をただ沈めたかった。
 駆け出して、部屋の扉を勢い良く開く。
 ディストからなにか仕事を貰い少し遠くへ行こうと思った。
 ヘイスに会えなければ、自分の気持ちなどすぐに風化してしまうだろうと淡い期待を込めて。


「は? 仕事だぁ?」
 食堂の椅子に座って、テレビを見ていたディストの言葉だった。
「あ、ああ」
「珍しいな、おまえがそんな積極的に仕事くれなんて言うのは」
今まではディストから伝えに行くのが常だった。
 というよりは、ボルクは仕事が欲しいと思っても話し掛ける事がほとんど無いために、
ディストがいつも気を遣って仕事を回しているのだ。
「なんでもいいんだ」
 ヘイスから離れられるのならば、本当になんでも良かった。
 当のヘイスは朝食をすぐ傍で作っていて、
二人の話を聞きながらディストの前にできたての料理を置いていた。
「ボルクも食べる?」
 料理を前にはしゃいでいるディストを見て、微笑んでいたヘイスがボルクに問い掛ける。
「……いらない」
「そう?」
 少し残念そうな顔をヘイスがする。
 それに、胸を引き裂かれそうな程の痛みを感じた。
 ヘイスはそのまま他の仕事があると部屋から立ち去ってしまう。
「……なんかあったのか? おまえら」
 ヘイスの料理を頬張りながらも、出ていったヘイスとボルクを見比べてディストは言う。
「なにも……それより、仕事だ」
「仕事……ねぇ、生憎今は回せる仕事はねえよ。時間が掛かるのはあの二人に任せたしな」
 あの二人、というのは今はこの建物に居ない者の事だった。
 ヘイスが来るよりも更に六日早くここを出ていったきり、帰ってこないのだ。
 時間の掛かりそうな仕事は二人に任せていて、ボルクに任せる物はなかった。
「まぁ、主にデカい方に任せたけど」
 呟く様に言いディストは続けて料理を口に運ぶ。
「この辺のも最近バーツが仕切ってるしな」
 のんびりとした様子で料理に舌鼓を打ちながら、ディストが続けた。
「ん、待てよ……確かひとつあったな」
「本当か?」
 ボルクが詰め寄る。
 いつもと違う様子に、ディストが怯んだ。
「でもこれは俺がやろうとしてる仕事だしな」
「頼む、譲ってくれ」
 ボルクが頭を下げた。
 この男が簡単に頭を下げるのを初めて見たディストは更に驚く。
「……そんなにしたいならいいけどよ」
 承諾の返事をすると、ボルクが救われた様な顔をした。
「じゃあ、依頼主には俺から話しておくから今日の正午にギルド前に居てくれ」
「ああ、ありがとう」
 これで、ヘイスから離れられるとボルクは安堵した。


 ギルドの前にボルクは居た。
 身形を整え武器も持ち、姿勢を正してただ鎮座する。
 依頼主との待ち合わせ場所はここだ。
 あとは、依頼主から直接依頼を受ければしばらくはここに帰る必要もなくなる。
 例えすぐ終わる様な依頼だとしても、時間が掛かったと言い訳をするのは容易かった。
 それで自分の評価は下がるのかも知れないが、そんなものは二の次だ。
 足音が聞こえた。
 依頼主が来たのかとボルクは思ったのだが、
その足音が敷地内から聞こえて、依頼主ではないと判断した。
「ボルク、おまたせ」
 声が聞こえた。
 慌てて振り返るとそこにはヘイスが居て、こちらを見てご機嫌な顔をしていた。
「な、なんでヘイスがここに?」
「なんでって、ディストから頼まれたんでしょ?
買い物に行く約束してたけど急用が入ってボルクに任せたって言ってたけど……」
 それで思考が止まるのをはっきりとボルクは感じ取った。
 騙された訳ではない、ディストは仕方なく仕事を譲ってくれたのだろうと思う。
 ただ、完全に逆効果だった。
「よろしくね、ボルク」
 ヘイスが、笑った。
 断ろうかと開きかけた口が途中で止まる。
「……ああ」
 そう答える以外に、ボルクには言葉が見つけられなかった。

 商店街の中、先をヘイスが歩いた。
 それを眺めながらボルクは迷い心を乱す。
 本当にこれでいいのかと。
 今からでもこの場から逃げ出す事はできないだろうかと。
 それぐらい、視界にヘイスの姿が映るだけで自分は動揺していた。
「ボルク、こっち」
 前を歩くヘイスが振り返ると、一つの店を指差した。
 意気揚々と店に入るヘイスの姿を見届けると店の入口でボルクは立ち止まる。
 このまま、帰ってしまおうかとも思ったが
それは流石にヘイスに申し訳無いと思い直し、慌てて店に入った。

「なにを買うんだ?」
 人で溢れる店内の様子を眺めてうんざりした顔をしてから、ボルクは口を開いた。
 人気がある場所は好かなかった、辺りにも気を配らないといけないからだ。
 それとは別に単純に静かな方が好きという事もあった。
「えっと……昨日買い忘れた物とかかな。
昨日はモンスターが来ていくつかお店も閉められちゃってたしね・・・」
 必要な物が買えなかったと、ヘイスが愚痴を零す。
「本当なら僕一人で来ればいいんだけど、まだモンスターが近くにいるかもって話になったから」
 そのためにディストが今日も同行する事が決まっていたのだろう。
 それを自分が無理矢理引き受けたのだと、頭で後悔していた。
 それと同時に、この場から立ち去るという考えも消え失せる。
 まだ魔物が近くに居るかも知れないと改めて頭に叩き込まれたのだ。
 ヘイスは戦う力を持っていない、もし昨日の様になっては誰がヘイスを守るというのか。
 少なくともこの仕事の間は離れる事ができないのだと理解すると、ボルクは開き直ってヘイスの隣に移動する。
「ボルクはなにか食べたい物ある?」
 隣に来たのが好都合だったのか、ヘイスがいくつか食材を持って尋ねる。
「……なんで、俺に訊くんだ?」
「あんまり食べてないみたいだから。ボルクの好きな物作れればいいなと思って」
 ヘイスが来るまで、ボルクはあまり物を口にしなかった。
 ここ数日はヘイスの料理を口にする様になったものの
今朝になって、また食べる事を拒否しだしたのだ。
 これはヘイスから距離を置くためにほとんど無意識で断ったからだったのだが、
ヘイスはそれを心配していた。
「食べないと、仕事もちゃんとできないよ?」
 ヘイスが、ボルクを見上げる。
 心配をされているのが痛い程に伝わってきた。
「俺は、お前の作る物ならなんだって……」
 ヘイスから視線を逸らして、ボルクは呟いた。
「……え?」
 丁度店内は他の客の喧騒により声が届き難く、聞き逃したのかヘイスが首を傾げた。
「なんでもない、ディストの好きな物でも作ってやってくれ」
 それだけ言うと、ボルクは外で待つと言い歩き出してしまう。
 その姿をヘイスは見届けた。


「あれ、ヘイスは?」
 ギルドに戻ってきたバーツが、部屋で横になっているディストに尋ねた。
「今ボルクと買い物行ってる」
「へぇ、ボルクと……ヘイスが誘ったの?」
 ボルクから誘う事はありえないと判断して、そう返す。
 それと、珍しくディストが気に入ったヘイスを態々ボルクと行かせたのも不審に思ったからだった。
「いや、俺が元々行くつもりだったがなにか仕事欲しそうだったので内容は秘密にして譲った」
 それを聞いてバーツが苦笑いを零した。
「あんまりいじめないでよ?あれで結構シャイなんだから」
「んなもんあいつの態度見りゃわかるよ……」
 仕事をくれと言われた時の顔を今もディストは覚えている。
 いつもの無表情な顔と違い焦っている様な、怯えている様な顔をしていた。
「あいつ……変わったな」
「変わった?」
「ヘイスが来てからまだ数日だけどよ、あいつの無表情じゃない顔なんて俺は初めて見たぞ?」
 ヘイスが料理を出した時、廊下で擦れ違って声を掛けた時、話をしている時。
 ボルクの顔は、ディストの知っているそれとは違っていた。
「僕には結構見せてくれるけど? ディストはもっと仲良くしなよ」
「……してるつもりなんだけど」
「根本的に性格が合わないとか」
 バーツが、笑顔で言った。
「おまえはハッキリ言いすぎだ」
 そう言われても、バーツは表情一つ変えなかった。
 ある意味ボルクより相手にするのが困難だと、ディストは思った。


 両手に袋を抱えて、ヘイスは一息吐く。
「……ディストに怒られるかな」
 昨日買えなかった物と、ディストの好物と思われる物、
それになにかボルクが食べられる物も探すと結構な量になった。
 店から出ると、行交う人々の進行の妨げにならない場所にボルクは居た。
 考え事をしているのか空を見上げていて、その近くにヘイスは歩み寄る。
 目の前までヘイスが来たところで漸く気づいたのか
 慌てた様子でこちらに顔を向けていた。
「終わったのか? ……沢山買ったんだな」
 両手に持っている袋の大きさを見て、ボルクが驚く。
「ボルクの好きな物探してたら、結構増えちゃって」
 照れた様にヘイスが笑う。
 それを見て、ボルクが俯いた。
「ボルク?」
「……帰ろう、ヘイス」
「うん……?」
 顔を上げたボルクの顔は、少し泣き出しそうだった。
 それでも自分が頷くと微笑む様な顔になるのだ。
 そのまま、ギルドまでの道を歩き出す。
 ボルクは途中で、ヘイスの袋を預かると特に苦でもなさそうに持っていた。
「仕事で忙しいんだからこれぐらい僕が持つのに」
 半ば無理矢理取られた袋を見て、ヘイスが言う。
 ボルクは返事をする事なく歩き続けた。

「ねぇ、ボルク」
「……なんだ?」
 道の途中でヘイスが呼び掛けた。
 歩くのを止めているのを確認すると、ボルクも立ち止まって振り返る。
「買い物に付き合わせた事、怒ってる?」
 ヘイスが、自分を見つめていた。
 寂しそうな顔をしていて、それだけで自分の心が乱されるのを感じる。
「いいや、怒ってない」
 隠す事無く、そう答えた。
 それでもヘイスは不安そうに自分を見つめていた。
「なんだか、ボルクが少し怖いな」
 そう言われて、衝撃を受けた。
 自分が避けようとした結果がこれなのかとボルクは心の中で呟く。
「嫌われちゃったみたいで、ちょっと……」
 泣きだしそうなその表情は、ヘイスがまだ子供だからなのだろうか。
 その扱い方をボルクは知らない、自分とは違う生き物ではないかとすら考えてしまう。
 それでも、急に態度を変えて冷たくしたのは自分だった。
 ヘイスが戸惑ってしまうのも無理からぬ事だ。
 袋を一度地面に置くとボルクはその身体を抱き締める。
「嫌いなんかじゃ、ない」
 あやす様な言い方は、まるで子守りの様で
それでも胸に抱えた気持ちは、それとは似ても似つかないものだ。
 ともすれば、それはただの欲望の塊に姿を変えてしまうのかも知れない。
 それでもヘイスには効果があったのだろう、乱れた呼吸は次第に治まっていった。

 しばらくすると落ち着いたのか、ヘイスが腕の中でもがいたため解放する。
「帰らなきゃ……ディストが待ってるよね」
 ヘイスが、笑った。
 少し無理矢理な笑顔の気もしたが悪い笑みではなく、
それに頷くと下ろしていた袋を手に持って二人が歩き出した。


「ただいま!」
 ヘイスの声が、屋内に響いた。
 その後ろでボルクはなにも言わずにただ立っていた。
「あ、おかえり」
 丁度廊下を歩いていたバーツがそれに気づき駆け寄った。
「材料見つかった?」
「うん、今日はいいものが作れそう」
 ヘイスは荷物を持つと、早速調理に取り掛かるために食堂へと向かう。
 ボルクの持つ食材を受け取る時にヘイスが小声で礼を言った。
 ボルクはそれにただ小さく頷いた。
 ヘイスがその場から居なくなってから、ボルクは一度大きく息を吐いた。
「……おつかれさま」
 その肩に手を置いてバーツが労いの言葉を掛ける。
「ディストから聞いたよ、大変な仕事任されてたみたいだね」
 からかう様な言葉に視線を逸らすと、そのままボルクは自分の部屋に向かって歩き出す。
 それを見送って、バーツは静かに笑った。

 四人で、他愛無い話をしながら夕食を取った。
 ディストは今日の様子を二人に訊いたのだが、
二人とも一度黙ったのを見て不思議そうな顔をしていた。
 すぐにヘイスは顔を上げると、内容を喋りはじめるが、り
帰り道での出来事だけは口にすることがなかった。


 挨拶をすると、各自が自分の部屋へと戻りはじめる。
 ヘイスは眠い目を擦って廊下を歩いていた。
 歩く足が扉の前で止まると、扉を軽く叩く。
 数秒経ってから、扉が開きそこからボルクの顔が見えた。
 ヘイスの姿を認めると、居心地の悪そうな表情になる。
「今日はごめんね」
 まずヘイスが謝った。
 しばらく二人が無言だったのだが、ボルクがヘイスの顔を見てその口を開いた。
「気にしてない、それに……俺も悪かったんだ」
 ボルクの気持ちを知らないヘイスはその言葉に疑問を持ったのだが、
なんとなく訊くのが憚られている様な気がして、結局追求はしなかった。
 そのままヘイスが挨拶を済ませると自分の部屋へと帰ろうとする。
「ヘイス」
 名前を呼ばれて振り返った。
「料理……美味かった、また頼む」
「……うん」
 しっかりと頷いてヘイスは笑った。
漸く、しこりが取れた気がした。



 大きく口を開けて、ヘイスが欠伸をした。
 ボルクは、あれからまた料理を食べに来てくれるようになり、
元の鞘に収まったと気分は晴れやかだった。
 食堂に向かうと早速朝食を作りはじめる。
 丁度そこに、バーツがやってきた。
「おはようヘイス、いつもご苦労様」
 ギルドの家事全般を任されているヘイスに、バーツが言葉を掛ける。
「別に普通だよ。それにみんなの方が大変だし」
 ギルドに居るのは二人だけだった。
 ボルクはここ数日大きな依頼に振り回されていて、
ディストは昨日の夜に急に仕事が入りそれから連絡が無かった。
「二人だけってのも寂しいね」
 椅子に座ってバーツが呟く。
「でも、バタバタしてなくていいかも」
 間に合わせの簡単な料理を盛り付けてバーツへと差し出すと、次の料理に取り掛かる。
 それに礼を言ってバーツが口へと運んだ。
 丁度その時、扉の開く音がした。
 二人揃って扉を見つめると、足音が近づいてきて部屋にディストが入ってくる。
「……戻ったぞ」
 傷は無かったが、一目見れば疲れているという事がわかる程その顔からは気力が無くなっていた。
 調理する手を止めてヘイスがそれを迎える。
「おかえりディスト。ご飯……食べる?」
 疲れ切ったその様子に心配そうに顔を見つめる。
「悪い、今は食う気もしない……寝たらまた仕事に行く」
 片手を上げると、ディストはふらつきながら歩きはじめる。
「僕もこれ食べたらもう行かなくちゃ」
 呟いてから食べる速度をバーツが速めた。
「忙しいんだね」
「そうだね、いいことだよ」
「でも、大変だよ」
「そりゃあね」
「……僕もなにかできないかな」
 その言葉に、部屋に戻ろうと廊下を出たところのディストが振り返ってヘイスへと歩み寄った。
「ヘイス、危ない事はするなよ」
「……うん」
 この間の様になるのがディストは嫌で、念を押してそう言われる。
 その後も何度か確かめる様に言うと、ディストは漸く自分の部屋へと戻っていった。

 食器を洗いながら、ヘイスはぼんやりと考えていた。
「……いいのかなぁこれで」
 自分だってギルドの一員なのだと、自分に言っていた。
 一員なのに自分はただ家事しかしていない。
 元々家政婦の役割としてここに来たので、それは間違ってはいないのだが。
 それでも忙しそうに動き回るディスト達を見ると申し訳無い気分になってくる。
「それじゃ、行ってくるね」
 準備を済ませたバーツが手を振って、外へと向かっていった。
 掌に纏わりつく水飛沫を拭きながら、それを見送ったヘイスは少しの間迷っていたのだが、
廊下に出てディストが居ない事を確認すると、ギルドの扉を開けた。
 外に出てから辺りを見渡すとバーツの背中を見つけて、
気づかれない様に、その後を追った。


 後を追う内に、整地された道は段々と獣道に変わり
辺りの景色も建物のある街から鬱蒼とした木々になっていた。
 バーツは暢気に道を歩いているが、
ヘイスは尾行に気づかれまいと物音を立てない様に必死に辺りに気を配っていて必死だった。
 森に入ってから暫く経つと大きな洞窟があり、その中にバーツが入ってゆく。
 洞窟の前まで来て、ヘイスは一度息を呑んだが、
それでも今更帰る訳にはいかないのか、重い足取りで歩き出した。

 掌に光を灯して、バーツは洞窟を歩いていた。
「暗いなぁ……こういうのあんまり好きじゃないんだけど」
 愚痴を零しながら暗い道を進む。
 足を一歩ずつ踏み出していたのだが、
突然前に出した足がなにも踏む事ができずに大きく体勢を崩す。
 慌てて魔法を唱えて身体の周辺に結界を張った。
 そのまま、真っ逆様に落ちてゆく。
 着地してから魔法を消して真上を見上げた。
「危ない……」
 打ち所が悪ければ致命傷になっていたかも知れないと少し寒気がする。
 出口は少し高い所に今は見えていて、別の道を探す必要があると溜め息を吐いた。
「うわあああ!?」
 再び歩き出した背中に、声が聞こえた。
 慌てて振り返ると、そこに尻餅をついたヘイスが居た。
 おかしな様子が無いのをまず確認して安心する。
「ヘイス?なんでこんなとこに……」
「あ、バーツ」
 名前を呼ばれてバーツは困った顔をした。
「……つけてきたでしょ?」
 こんな所で偶然出会うはずもなく、見当はついていた。
「ご、ごめん……でも、やっぱり僕もなにかしたくて」
 ヘイスはヘイスで、負い目を感じているのだということがわかる。
 ヘイスをどうにか帰らせる事はできないかと考えるのだが、
入口が上にあり、バーツは二度目の溜め息を吐く。
「仕方ないか……つけられてたの気づかないのも悪いし」
 座り込んでいるヘイスに手を差し出して立ち上がらせる。
「ついてきてもいいけど、ちゃんと後ろにいてね?」
「……うん」
 許しを得たのが嬉しいのか、ヘイスが笑顔になった。
「帰ったらディストのお説教」
 途端にヘイスが嫌そうな顔をするが、それを見て微笑むと先へと進んだ。

 暗くて、足場のしっかりしない道を歩いた。
 魔法で明るく照らしているとはいえ足場は暗いままで、
何度か、躓きそうになる。
「ヘイス、気をつけてね」
 後ろに居るヘイスに振り返ってバーツは言う。
「うわっ!?」
 丁度その時、ヘイスはなにかに躓いたのか、
勢い良く自分に向かって倒れてきていて、それを受け止めた。
 熊の大きな身体を持つ自分にはほとんど衝撃としては感じられないのが楽に思える。
「……気をつけようね」
 そのまま身体を押して体勢を戻すとにこやかに言った。
「ありがとう」
 恥ずかしそうにヘイスは俯いていた。
 それを見てまた少し笑うと行進を再開する。
 それから何度も躓きながら、それでも進むと漸く広い空間へ出た。
「ヘイス、大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ!!」
 心配した様に声を掛けるとすぐに返事が聞こえる。
 あんまり大丈夫ではない気がしたが、次には隣まで足音がやってきた。
「あ、あれなに?」
 後ろにばかり気を配っていて気づかなかった自分とは違い、なにかを見つけたヘイスは声を上げる。
 指した方向に視線を送ると、自分の作り出している明かりとは違う光が見えた。

 光に近づく。
「……これだ」
「これ?」
「ちょっとこれに用があってね、休んでていいよ」
 その言葉にヘイスは安心した様に傍の岩に腰を下ろす。
 本当は、休みたくて仕方がなかったのだろう。
 宙に浮く光に掌を翳すと、そこから小さな光が幾つも舞い上がって掌に吸い込まれた。
「それ、一体なんなの?」
 一息吐いているヘイスが、興味深そうに尋ねた。
「魔力の塊、今回の依頼はこれを持ち帰ることだよ」
 自然に発生した魔力は、強い魔物を招く場合がある。
 その事からギルドに依頼としてそれが入り、魔法の専門であるバーツが来たのだ。
「ヘイス」
 魔力を掌に移動させながら、バーツが口を開いた。
「どうしてそんなに役に立ちたいの?」
 疑問に思っていたことを口にした。
 ヘイスは今のままで充分な程役に立っていた。
 ギルドには家事をまともにこなせる者が居ないのである。
 バーツ自身はできなくもないのだが、流石に依頼で力を消耗した後に全ての家事をするのは無理だった。
 その問題を解決するためにヘイスがやってきたのだ、依頼をただこなすバーツ達にとってはありがたい存在だった。
「だって……みんなが頑張ってるのに、僕は家事しかしてないよ」
 弱々しい声が耳に届いた。
 自分はなんの役にも立てていないと思っているのだろう。
 時折気を利かせて手伝いが入るものだからそれが余計に強くなる。
「いいんだよ、それで」
 少し間を置いてから言葉を口にした。
「みんながこうやって忙しくできるのは、ヘイスが家事をしてくれるからだよ?
家事だって大事な仕事のひとつだよ」
「でも……」
「帰ったら迎えてくれる人がいて、美味しい料理があって。
それだけで嬉しいからさ、ヘイスみたいな家事をする人が居なかった時なんて大変だったんだから」
 疲れ果てて帰って、目の前にやらなければいけないことが山積みになっていると、
思わず目を背けたくなってしまう時はあるものだ。
 それを解消してくれるヘイスの存在はやはり大きかった。
「だからね、ヘイスは今のままでも充分役に立ってると思うよ」
 言葉にしきれない程それがよくわかっているのでそう言った。
「そうかな……でも、やっぱり役に立ちたいなもっと」
 言葉に苦笑いを零した。
 ヘイスが来てくれてよかったと、改めてバーツは思った。


「さて……と」
 目の前にあるのは、大分弱まってきた光だった。
 それに代わる様に今自分の身体は魔力で満たされていて、
宙に浮いていた光が消えると、硬い石が現れ光の支えを失って地に落ちた。
 落ちた石を拾うと、そのまま持ち物に加える。
「なんだか、バーツがすごい」
 身体中に集まる魔力にヘイスも気づいたのか、目を丸くしていた。
「この光から魔力を吸収したからね、このまま放置しておくと危ないから」
「バーツは平気なの?」
「長時間このままだと人体に影響があるけど、すぐに使えば問題無いよ」
 言葉と同時にこの場を照らす魔法の光が強くなった。
 少しでも早く魔力を消費しようとしているのだろう。
 辺りが更に明るくなったのが嬉しいのか、ヘイスが光を仰いで尻尾を揺らした。
「ところでバーツ、ちょっと疑問に思ってたんだけど」
「なに?」
「ギルドってモンスターの退治専門なんでしょ? なんでこの仕事……」
 途中まで言ったところで背後から音がした。
 慌ててそちらを向くと唸り声もそこから届く。
「強い魔力はモンスターを引き寄せるからね、これが今回のお仕事」
 目の前に居る魔物を見つめながら、バーツが説明をした。

 ヘイスを後ろに庇いながら、魔法を唱えはじめた。
 いつもよりも早く、そして強力な魔法が飛び出しては集まってきた魔物を蹴散らしてゆく。
「……すごい」
「吸収した力のおかげだね、でも長くは持たないよ」
 それに、下手に強い魔法を撃っては洞窟が崩れることになる。
 目の前の魔物に必ず当て、且つ洞窟を壊さずに魔物は倒す威力を作り出すのは至難だった。
「ヘイス、危ないから後ろに居てね」
 後ろを向く暇も無いのでバーツは短くそう言った。
「う、うん」
 声の調子が下がっているのに気づくと、微かに苦笑いを零した。
 また自分が役に立っていないとでも思っているのだろう。
「こういうところで背中を任せるって、結構信頼してないと難しいんだよ」
 言いながらまた一つ魔法を生み出して飛ばした。
 それで漸く少しは落ち着いたのか、
ヘイスの手が、自分の背中にしっかりと当てられた。


 粗方魔物を倒し終わると、一つ息を吐いた。
 身体に溜まっていたあの魔力はほとんど無くなっていて、無理に使う必要もなくなっていた。
振り向くと、心配そうに自分を見つめるヘイスが居た。
「……ごめんね」
 いきなり謝ったからなのか、驚いた顔をされる。
「ヘイスだって役に立ちたいよね、もっと」
 自分がヘイスの立場だったらどうだろうかと考えた。
 ヘイス程ではないにしても、やはり他のメンバーが忙しそうにする中
自分だけがただ一人ギルドに残されるのは釈然としないだろう。
なにより、少し寂しい。
「いいよもう、ごめん」
 ヘイスも自分の言いたい事を理解してはいるのだ。
 それでも、納得はしていないのだろう。
 その気持ちを大事に、また皆を補助する方向に力が向けば良いと思った。
「帰ろっか、早く報告しなくちゃ」
 洞窟の奥へと進む。
 予め洞窟の内部の事はある程度話として聞いていて出口があるのは知っていた。
 しばらく歩くと遠くに光が見えて、そこから青空の下へと出る。
 空を仰げば、ヘイスは安心したのか力を抜いていた。
「ちょっと、怖かった」
 出た場所も入る前と同じ様な森で、空は少し暗くなりはじめていた。
「どこに行ってたんだ!!!」
 扉を開けた瞬間に、怒鳴られて思わずヘイスは目を瞑った。
 恐る恐る目を開くと目の前には鬼の形相でこちらを睨むディストが居て
「……ごめんなさい」
俯いて謝ることしかできなかった。
 そんな自分の顔をバーツは一度覗き込むと、ディストの方に顔を向けて笑顔を作った。
「ごめんディスト、僕がついてきてって頼んだの」
 その言葉に俯いていたヘイスは顔を上げて、怒りの表情だったディストは驚いた顔になる。
「……嘘だろ」
「本当だよ、僕が誘ったんだよ」
 ヘイスの役に立ちたいという言葉を聞いているディストは、それが嘘だと完全に見抜いているのだが
バーツは変わらず笑顔で言った。
「だから、ヘイスは怒らないでよ? ヘイスは断れない性格なんだからね」
 そのままヘイスの腕を引いてディストの前を通すと、少し身体を押した。
 振り返ったヘイスをバーツが手を振って送り出す。
 ヘイスは頭を下げるとそのまま自分の部屋に一度戻っていった。
 廊下が静かになるとバーツは振り返る。
 いつもの様な笑顔はなかった。
「ごめん」
「別におまえが謝るこたないだろ、あいつがついてったんだからな」
「そうかもしれないけど……でも、ヘイスの気持ちも考えてあげてね?」
 確かにヘイスの気持ちとその行動は、はっきりと言ってしまえば余計でしかない。
 戦いのために訓練を積んだのではないし、魔法もまだまだ初心者も同然だ。
 ただ、だからと言ってそれを頭から怒鳴り散らす事もバーツは賛成し兼ねると思った。
 それだけ言うと、バーツも疲れているのか軽く挨拶をして部屋に戻る。
「あいつの気持ちねぇ……」
 天井を見つめながら、ディストが呟いた。



「じゃ、いってくるね」
 バーツが声を上げ、それをヘイスは見送る。
 共に洞窟へ入ったあの日から既に数日が過ぎていて、ヘイスは相変わらず
役に立てないかとなにかを探す様にしていたのだが、
他のメンバーの手伝いをする事はディストに止められていて、結局なにもできないままでいた。
 ギルドは変わらずに忙しい日々が続いていた。
 バーツは今また遠出の依頼に出たところで、
ボルクは依頼は終わったのだが知人から呼び出しが掛かったとギルドには居なかった。
 残るのはディストなのだが、そのディストもこれから仕事に向かうところなのだ。
 ディストがヘイスの前を通って入口に立つ。
「……ディスト」
 名前を呼ぶとその顔がこちらを向いたが、
睨む様なその表情、ヘイスが思わず俯いた。
「……いってくる」
 いつもは明るいディストだったが、今日だけは冷めた言葉を残してギルドを出ていった。
 自分以外人の居なくなった建物の中で、ヘイスは家事に勤しむ。
 ついていくという選択肢は既に頭から抜けきっていた。
 バーツの件で自分が役に立てる事が無かったのは充分に解っていたし、
ディストにそれがまた知れては、今度はどうなるのか想像もできなかった。
 結局、家事を済ませると椅子に座り意味の無い時間を過ごすことになる。
「やっぱり……」
 もっと役に立ちたいと思った。
 ここに来て間もないが、今居るこの場所が好きになっている自分が居た。
 それでも、取り柄の無い自分にできる事は少ないのだと頭で考えると
途端に力が抜けてしまう。
「早く帰ってこないかな」
 独りで居ると、ここに来る前の自分を思い出してしまう。
 早く誰かが帰ってきてくれないかと祈っていた。

 眠気に襲われ、うとうととしていた頃に扉の開く音がしてヘイスは慌てて身体を起こした。
 そのまま帰ってきた相手を出迎えようと扉を開くが、廊下に出た途端に鼻に異臭が届き驚く。
 数秒遅れて、それが血の臭いだということを理解した。
「ディスト!?」
 視線の先に居るディストに慌てて駆け寄る。
 腹に傷を受けていて、そこから血が流れ出していた。
「……戻った」
 出掛ける前の睨む顔とは違って、その表情は何故か微笑んでいた。
 動揺したヘイスはとてもそんな事を気にしている場合ではないのだが。
「なんでこんな傷……」
「仕事だからな」
「と、とにかく手当てしないと」
 建物の中へ振り返って気づいた。
 今は、バーツが居ない。
 魔法の専門家であるバーツならば、この程度の傷を治す事など大したことではないのだろう。
 仕方なくディストの手を引くと、ディストが慌てて持っていた剣をその場に置いた。
 そのままディストの部屋まで行くと、ベッドの上に静かに横にさせる。
 衝撃で少し血が出たのかその顔が痛みに歪んだ。
 胸を痛めながらも急いで手当てに必要な物を取りに向かった。


 傷の手当てを済ませて一息吐く。
 肩と腹に巻いた包帯を、面白がる様にディストは見つめていた。
 やはり傷つく事には慣れているのだろう。
 腕には浅い傷が残っていて包帯を巻こうとするのだが、ディストはそれを拒んだ。
「舐めときゃ治る」
 この間と同じ事を言うのだが、ヘイスは一度溜め息を吐いてから掌を傷に向けた。
 しばらく念じるとそこに淡い光が迸る、それで徐々に塞がりはじめた。
「お、やるなヘイス」
 痛みを感じているはずなのにディストは未だに笑っていて、
対照的にヘイスは傷を見て泣き出しそうになっていた。
 腕の傷が塞がると次は包帯を巻いている腹の傷に掌を向ける。
 流石にすぐには治らずに時間だけが過ぎていった。
「ヘイス、もういい」
「でも」
 魔力を使い過ぎているのを察知したディストが注意をした。
「僕も役に立ちたいよ」
 傷のせいで下手に動けないディストは仕方なくそれを見守っていたのだが、
ヘイスの身体が傾くと崩れ落ちそうになると、慌てて上半身を起こして支えた。
 その途端に身体中に痛みが走って思わず声が洩れたが、ヘイスは反応を示さなかった。
 腕の中でヘイスは静かに眠っていた。
 魔力の使い過ぎで意識さえも保っていられなくなったのだろう、やはりまだ未熟だった。
「無茶しすぎだっつの」
 苦笑いを零してディストが呟く。
 気絶するまで魔力を使う程、気にしていたのだろうかと考える。
「充分役に立ってるさ」
 少し力を籠めて身体を抱き締めると、耳元で囁いた。



 布団の柔らかい感触を感じながらヘイスは薄目を開けた。
 起き上がって辺りを見渡す。
「あれ……」
 いつの間に眠ってしまったのだろうかと疑問に思ったのだが、
隣にディストが眠っていてヘイスは意識が覚醒するのを感じた。
「な、なんでディストが?」
 状況を把握しようと注意深く見つめた。
 その身体には包帯が巻いてあり、自分が治療をしたのだということを思い出す。
 次には魔法を使って意識を失ったところも思い出せた。
「そっか、まだ初心者だからな僕」
 自分の魔力の限界など知らないまま、ただ我武者羅に魔法を使ってしまい、
意識を保てなくなったのだと理解すると溜め息を漏らした。
「やっぱり僕には無理なのかな……」
 傷を治すこともできないのかと、自分に落胆していると突然腕を掴まれる。
 慌ててそちらを向くと眠っていたはずのディストが目を開いていた。
「……おまえは精一杯やってるだろ、そんなに気にすんな」
 まっすぐに見つめてディストが言う。
「だから無理だけはするなよ」
「……うん」
 心配を掛けていたのだろうかと、今はまた別の自分を責める気持ちが生まれていたが、
精一杯やっていると言われたのが嬉しくて、少しだけ笑って頷いた。
「それともこっちの世話もしてくれるのか?」
 言いながら、布団から抜け出したディストが笑いながらヘイスの服へと手を掛ける。
「ば、バカ!!」
 腕を払って、ディストの腹にヘイスが一撃を入れる。
 ディストから情けない悲鳴が洩れてその腕が崩れ落ちた。
「あ…………ごめん」
 完全に治っていない箇所に打撃を与えたためか、布団から食み出した尻尾の先までが小刻みに震えていた。
「手加減しろよ……」
 痛みに、ディストの表情は歪んでいたが
 それでも、朝の時とは違ってお互いに笑っていられた。

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