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1.世話係就任

「店員さん、まだ?」
「はい、ただいま!」
「こっちのはまだかよ!?」
「は、はい!」
 建物の中は、行交う人々の声で溢れていて
そんな中を客から呼ばれている店員の青年が忙しなく動いていた。
「すみません、注文いいですかー?」
「は、はい……うわっ!?」
 あまりの忙しさに注意力を失っていたのか、躓いて盛大に転ぶ。
 手に持っていた客へ出すはずの料理が、床に散乱していた。

「……はぁ」
 店の奥で溜め息交じりの言葉を吐き出すと、青年がだらしなく尻尾と耳を垂れ下げる。
「ヘイス君」
 落ち込んでいると、店内からやってきた店主が声を掛けてきていた。
「すまんが、今日中に辞めてくれないかね?君はどうも注意力に欠けるようだ」
 半分は予想していたのだが、そう言われて青年は眉を上げた。
「そんな……お願いです、もう少しだけ……」
「……悪いね、うちも裕福じゃないんだ」
 そう言われて、にべもなく店から追い出される。
「……家賃、どうしよう」
「ちょっとヘイスさん、今月の家賃まだなんですか?」
「あ、大家さん……」
 重い足取りのまま、自分の借りている家まで帰ると入口で大家に目敏く見つけられる。
「先月分も滞納してて、払えないなら出て行ってください!」
 結局、とんとん拍子に帰る家からも追われた。
 帰る場所も失い、傾きかけた太陽を呆然と青年は見つめる。
 この世界は、あちこちに魔物が跋扈していて、そんな中にある町の飲食店で、青年は働いていた。
 こんな時代だから、力があれば働き口は色々とあるのだが、
生憎とそんな力も無く、貧乏暮らしを余儀なくされていた。
 そして持ち前の運の無さというか、どこか抜けているというのか。
 そんなものが邪魔をしては、何時も物事は悪い方向へと進んでゆく。
 今日もまた、仕事を辞めさせられ挙句には住んでいた場所まで追われてしまう。
「これからどうしよう」
 住む場所も失ってしまっては働く事も難しくなってしまう。
 しかし、住む場所を見つけるには金が必要で、その金を手に入れるには働くしかなかった。
 悪循環な今の状況にまた一つ、青年が大きく溜め息を吐いた。


 途方に暮れて町を歩いていた。
 辺りから空腹を刺激する匂いが漂って来るが、金も無くそれらに手を出す事も叶わない。
「なにか仕事……」
 そうは言うものの、先程まで考えていた事が再び頭を過ぎり結局はなにもできなくなってしまう。
 町を抜けて原っぱまで来ると、大地に横になって空を見つめた。
「これからどうしよう……」
 先程呟いた言葉をもう一度口にした。
 飢え死に、という寒い言葉が浮かんできて思わず身震いをする。
 まだ若い身の上なのにそんな事になるのだけはどうしても避けたかった。
「なんだ、おまえ行く所無いのか?」
 独り言として発した言葉に返事をされて、慌てて青年が飛び起きる。
 振り向くと目の前には、狼人の姿をした若い男が居た。
 歳を考えるのならば自分よりは上で、それでもやはり若い。
「あ、その……はい」
 なんと応えて良いのかもわからず、思わずそのまま肯定を返すことにする。
「珍しいな、今の時代男ならどこでも働き口なんてあるだろ?」
 そう言う男の身体は自分と違って筋肉質であり、逞しさが伝わってくる。
「僕、力無くて……あとドジだからすぐに失敗しちゃって。
今日も仕事はクビになるし家は追い出されちゃうし……」
「……また災難だな」
 流石にそこまで悲惨な目に遭ったばかりだとは思わなかったのか、男は同情の眼差しを向けてくる。
 そんな事をされると余計に惨めになってしまうのだが。 「じゃあ、家来るか?」
「……えっ?」
 男のいきなりの言葉に、思わず固まる。
「丁度人探してたんだよ、まぁお試しって事でよ」
 そう言って男は青年の手を取ると、半ば強引にその身を案内する。
 行く宛ても無いので、結局その狼人のされるがままに青年はついていった。

 大きな、まるで古い旅館の様な建物の前で男は立ち止まる。
 暗くなってから見上げたら廃墟だと思ってしまうかもしれなかった。
「ほら、ここ」
「こんな大きい所?」
 建物には看板が掛けてあり、魔物退治専門と大きな文字でそう書かれてあった。
 男の体躯と照らし合わせれば、なるほど男が魔物退治をして生計を立てているのだと伺い知れた。
 扉を開くと、狼人が一呼吸の後に叫ぶ。
「おい、お手伝いさん見つかったぞ!」
 吐き出した音が響き、虚空に消えた後数秒経つと奥から一人の熊人の男が足音を響かせて急ぎ足で現れる。
「へぇ、ほんとに見つけられたんだ」
「俺をなめんなよ!」
「そんな事言って、ちゃんと残ってくれたらいいんだけど……へぇ、犬人か」
 傍まで来て自分を見た熊人がそのまま微笑んで、少しだけ恥ずかしい気分になった。
「それはこいつ次第だ」
 無理矢理肩に腕を回して、狼人が笑う。
「他は居ないのか?」
 熊人以外にはこの場に来るものが居らず、男は奥を見て首を傾げる。
「今は居ないかな、みんな依頼で出払ってるから」
「なんだよ、せっかく新しいやつが来たってのによ」
「仕方ないでしょ、仕事なんだし」
 残念そうに言うと、二人の先導を受け建物の中へと足を運ぶ。
「とにかくよ、やってほしいのはまぁ……家政婦みたいなもんなんだ、できるか?」
「一応、家事程度なら」
 というよりは、家事以外何もできないという方が正しかった。
 力が無いのなら魔法を使えればそれでもいいのだが、以前魔法に関する本を買ってみたものの
どれを試してもさっぱりと言ったところで結局家事以外をする事は苦手だった。
「なら平気だな、できる奴もいるんだけど忙しくてやっぱできないんだよな」
「ディストはできないじゃん」
「うるせぇ!」
 鋭い突っ込みに、ディストと呼ばれた狼人が叫ぶ。
「と、名前なんて言うんだ?」
 本当に今更、名前を尋ねられた。
「……ヘイス」
 それに若干の不安を覚えつつも、ヘイスは名を名乗り一度頭を下げる。
「ヘイス……か、俺はディストだ。よろしくな」
 下げた視界に差し出された手を暫く見つめて、ヘイスはそれを掴んだ。
「あ、僕はバーツって言うからよろしくね」
 後ろから、バーツと名乗った熊人の声が聞こえた。



「まぁ、まずは適当に頼むわ」
 酷く投げ遣りな指示を出された。
 思わず今なんと言ったのかと尋ねたい気持ちに駆られる。
「適当って」
 因みにバーツは用事があると言って先程出ていってしまい
今この建物に居るのは、ヘイスとディストの二人だけだった。
 とりあえず掃除でもしようと考えて、掃除用具を引っ張り出して一つの部屋の扉を開ける。
「うわっ」
 中は酷く汚れていて、足の踏み場も無い程に散らかっていた。
「あ、そこ俺の部屋」
 誰の部屋かと考えだした頃に、ディストから声が飛ぶ。
「これが」
 見渡す限りはゴミの山で、開始早々うんざりとした空気が漂う。
 ヘイス自身は部屋の掃除を細かく行う質なのか、溜め息が漏れた。
「俺も手伝うから、頑張ろうぜ!」
 豪く乗り気のディストが、すぐ後ろに居た。

 掃除を始めてから三十分程が経った。
 とりあえずはゴミと呼べる物全てを部屋から出しては、ゴミ捨て場まで運び入れる。
 最初は自分一人でこれをやるのかと気が滅入っていたのだが、意外にもディストが張り切って
掃除を始めたために効率良く掃除がされてゆく。
「ディストだけでも掃除できたんじゃ?」
 話している間に多少は仲良くなったのか、敬称もつけずにヘイスは名前を呼ぶ。
 当のディストもまったく気にしておらず、ヘイスを呼ぶ時も同じ様に名前だけを口にしていた。
「俺は今日暇だからよ、それにやっぱ一人じゃやる気になんねぇって」
 ヘイスが居るから、ディストもやっている様だった。
「とりあえずこれでヘイスを連れてきてよかった事がひとつは増えたな」
 自分の目に狂いはなかったと、高らかにディストが宣言をする。
「家事くらいなら、僕もできるから」
 それ以外は、まともにできた試しが無いとはあえて言わないでおく。
 知れたらもしかしたらまた追い出されてしまうのかも知れない、そう思うと口にする事ができなかった。
 その内にディストの部屋の掃除は終わり、綺麗になった部屋を二人で眺める。
「おお、こんな広かったんだなこの部屋!入った時以来だ」
「今まであのままだったの?」
「いや、バーツがたまに来ていくつかゴミ持ってくからいつもはもう少し綺麗だった」
 自分で掃除をしたとは言わない事から、この部屋は長い間汚いままだったのだと予想をつける。
「他の部屋も掃除……いや、他は別に汚くないんだよな」
 ディストと違い他にこの建物に住んでいる者は、自分の部屋を綺麗にしている様で
次に掃除をする場所は特に無いとディストは言う。
「晩飯はまだ早いしな、かといって大掃除する時間は無いし」  それきりディストは押し黙って考えを巡らせていた。
「あとしなきゃならん事は……」
 ディストから出される指示を黙って待っていた。
 だが、いつまで待ってもその口から続きが吐き出される事はなく不思議に思いその顔を覗き込む。
「……無い」
「無いの?」
「洗い物は今は確か無いだろうしな、食事も掃除も急ぎのものは無い
洗濯は勝手にやると怒る奴も居るしな……とすりゃ、今は無いだろ」
「……僕を雇った意味あるの?」
 結局ディストの部屋の掃除しかしておらず、ヘイスは不安げにそう問い掛ける。
「あるだろ! 少なくとも俺にはあったぞ!」
 否定をされるのが嫌なのか、ディストはどこまでも前向きに物事を考えて反論していた。
「まぁ、あとは他の奴が帰ってきてなにかしてほしい事があったらだろ」
 そう言うとディストはソファーに座ってしまう。
「ヘイスも暇だろ、座れ座れ」
 手招きをされると逆らう訳にもいかずその隣へ座る。
 かなり軽い調子だが、これでも雇い主ではある。
 おもむろにリモコンに手を伸ばすと、ディストはテレビをつける。
 気に入った番組を見つけたのか、ご機嫌な様子で見入っていた。
「家政婦っぽくないね……これ」
「いいだろ暇なんだし」
 そんな言葉で、ヘイスの疑問は軽く吹き飛ばされていた。


 暫くの間画面を二人で見ていたのだが、不意に入口の方から扉の開く音がして耳を震わせてヘイスは顔を上げた。
「誰か帰ってきたな」
 音にディストも気づいたのか、テレビを消して立ち上がる。
「ほら、紹介するからヘイスも来いよ」
「あ、うん」
 ヘイスも立ち上がり、部屋の扉を開いて廊下に出た。

 廊下に出て入口を見ると、そこには丁度玄関から廊下に上がったところの虎人の男が居た。
「なんだボルクか」
「……ディストか」
 虎人のボルクは、ディストの姿を瞳に映すと特に驚く訳でもなく返事をする。
「隣の奴は誰だ?」
 次にはその横に居るヘイスの姿を見つけて、訝しげに見つめていた。
「こいつか? 俺がスカウトしてきたお手伝いさんだ!」
 待っていたかの様に自信満々に、ディストは紹介をする。
 納得した様な顔で一度顎に手を当てると、ボルクは頷いた。
「そういえば探してくるって言ってたな」
 紹介されたヘイスを、ボルクはまっすぐに見つめる。
「ヘイスです、よろしくおねがいします……」
 威圧感のあるボルクに、ヘイスは怯んでいたのだが
初日からそんな調子ではいけないとどうにか挨拶をしていた。
「……ボルクだ」
 短くボルクは自己紹介をする。
「おい、もっと愛想良くしろって! ヘイスも脅えてるだろ!」
「す、すまん……よろしくな」
 ディストに注意され、改めてボルクが挨拶をする。
 どうやら威圧感だと思っていたものは、単にボルクが無口なだけだったらしく
脅える必要は無いとヘイスは感じ取り、少し笑った。
「それじゃ、俺は部屋に戻る」
 そう言ってボルクが二人の横を通り、自分の部屋に向かって歩き出す。
「またな」
 ヘイスにそう言ってボルクは背中を向けた。
「あいつ無口なんだよな……そこ除けばいい奴だから、勘弁してやってくれよ」
「うん、わかってる」
 ディストが執り成す必要も無く、その態度を見れば柄が悪いのではない事は充分に感じ取れた。
 機会があれば話してみたいと心の中でヘイスは呟く。
「もう夕方か……久しぶりにちゃんとした飯食いたいし、晩飯頼めるか?」
「わかった、台所は……」
「おう、こっちな」
 先程とは違う通路を通り、食堂まで向かう。
 食堂はかなり広く、大きなテーブルと椅子も揃っており十数人は座れる造りになっていた。
「まぁ、ここで食う奴なんて少ないけどな」
 少し寂しそうに呟かれる。
「でもヘイスも来たし、今日は久しぶりにここで食えそうだ」
 そう言って、ディストが笑ってみせた。


 ヘイスが調理を始めてから、数十分が経った。
 料理には疎いのか先程までと違いディストは横から見ているだけで、時折会話をしながら調理は進む。
「ただいまー。あ、料理してるんだ?」
 出掛けていたバーツが食堂から漂う匂いに吸い寄せられてやってくる。
「家政婦さんがいるからな!」
「ディストはしないんだ」
 横で見ているだけのディストに、バーツが冷たい視線を送った。
 それに気づくとディストの目が鋭くなる。
「お、俺は料理は下手なんだよ!」
「料理もでしょ?」
「うっ」
 言い返せないのか、ディストが押し黙った。
 なんとなく自分と似ているのかも知れないと、そんな会話を聞きながらヘイスは鍋に向かっていた。

「……できた」
 談笑している二人の間に、ヘイスの声が混じった。
「お、美味そう」
 鍋を覗き込んだディストが目を輝かせる。
 碌な物を食べていなかったらしく涎を慌てて拭っていた。
「上手いんだね作るの」
 その隣から、バーツも感心した様に声を上げた。
「食べてみないと、なんとも」
 褒められて嬉しいものの、二人からの味の評価がまだわからないので控えめに尻尾を振る。
 早々に皿に盛りつけると、三人だけが椅子に座り食事についた。
「美味い!」
 一口食べて、ディストが気に入ったのか更に口へと料理を運んだ。
「ほんとだ、僕より上手いね」
 バーツも気に入った様子で料理を頬張っていた。
「よく自炊してたから」
 安い食材を見つけて、質素な物を作らないと生きて居られなかった。
 涙を誘う様な理由で上手くなった自分の腕に、ヘイスは素直に喜べないでいた。
 その成果が今実っている訳ではあるのだが。
「そういえばさっきの、ボルクさんは」
「ああ、あいつは食わねぇだろどうせ」
 食べる手を休めて、ディストが言う。
「無口でついでに警戒心が強くてな、他人の作ったもんなんか食うのか?あいつは」
「この間食べてくれたよ?僕の作ったの」
「そりゃおまえはあいつとそこそこ仲いいけどよ、ヘイスは初対面だしな」
 どうやら、ボルクに料理を食べさせるのは難しい様だった。
 しかしそれでは仕事が終わらないとヘイスは思案する。
「でもボルク確か今日仕事だったよね、まだご飯食べてないんじゃ」
 ボルクの予定を聞いていたのか、思い出した様にバーツが呟いた。
「腹減ったら来るんじゃねえの?まだ残ってるしよ」
「来るかな、面倒臭がって寝ちゃうかもね」
「ああ、それもあるな」
「それじゃ僕、料理届けてこようかな」
 他人事の様にボルクの事を二人が語るのを、ヘイスは黙って見ていたのだが
来る事がないのなら届ければいいのだろうかと、提案をする。
「料理突っ返されても知らんぞ、俺は突っ返された」
「あれはディストが作ったからでしょ」
「なんだとぉ!?」
「だってあれ不味かったし」
 悪気も無い様にバーツが言った。
「確かに不味かったけどよぅ……」
 どうやら過去に一度料理をした事があるらしく、思い出したのかディストが暗くなる。
「それじゃ行ってくるね」
 この二人のやり取りを見ているのは面白いのだが、このままではいつまで経っても
 ボルクの元へ行けなくなりそうで無理矢理話を切ると、皿に料理を盛ってヘイスは食堂から廊下へ出る。
 背中には、まだ二人の楽しげな話し声が聞こえていた。



 食堂を出てから数分後。
 廊下を歩くが、どこがボルクの部屋なのか聞くのを忘れてしまい
部屋の一つ一つをヘイスは確かめて歩く破目になっていた。
 大きな建物のために物置や鍵の掛かっている部屋も多く
結局目的の部屋を探し出したのは更に十分近くも後の事だった。
 部屋の前を通ると中から小さな物音が聞こえて、そこで立ち止まる。
 扉を手で軽く叩くと、少しの間を置いてから扉が開く。
「誰だ?……ヘイスか」
 扉から顔を出したボルクが、ヘイスの姿を見て意外そうな顔をした。
 初対面のあんな調子で態々顔を見せにくるとも思っていなかったのだろう。
「どうした?なにか用事でもあるのか?」
「あの、晩御飯を……バーツが今日は食べてないって言ってたので」
 手に持っているここに来るまでに時間が掛かり少し冷めた料理を差し出す。
 差し出してから、一度戻って新しいものにした方がよかったとヘイスは束の間後悔した。
 それを呆然とボルクは見つめていて、我に返ると慌ててそれを受け取っていた。
「すまん、ありがとう」
 少しだけ照れた様子で、ボルクは礼を言う。
「皿は後で戻しておく」
「うん……じゃ、ディスト達が待ってるので」
「ああ、ありがとうヘイス」
 再度礼を述べられる。
 ボルクが少し笑った気がしたが、同時に扉を閉められてしまい本当のところはよくわからなかった。
 そのまま廊下を歩いて、来る時よりも大分早くヘイスは食堂までの帰路を行く。

 仰向けになって、瞼を閉じていた。
 時刻はまだ早いが、朝と言っても差し支えの無い程度なのだろう。
 あの後、食事を済ませるとそれぞれが満足した様子で自分の部屋へと戻っていった。
 ただ来たばかりのヘイスに部屋まだ用意されておらず、そのためディストが
自分の部屋へと招待してそれを有り難く受けたのだ。
 ベッドは一つしかなく、ディストは二人で入っても良いと冗談めいて言ったが
ヘイスはそれを丁重に断り、ソファーに横になっていた。
 まだ肌寒い季節ではなく、布団を被らなくとも平気な事もあったが
初対面だと言うのにいきなり一緒の布団で眠るというのに躊躇いがあったのだ。
 ディストはそれを気にもしていない様子だったが。
 瞼を開いて天井を見つめた後、ゆっくりと起き上がってディストの居る場所を見た。
 布団に包まるその姿は、気持ち良さそうに眠っていて口元が緩む。
 物音で起こさない様にゆっくりと立ち上がると、そのままヘイスは食堂へと向かった。

 食堂に着くと流し台の前に立つ。
 昨日は色々あったいもあり疲れきってしまい、食器を洗わないまま置いていた。
 湯を蛇口から捻り出すと、湯になるのを待ってから皿を持ち汚れを落としはじめる。
 スポンジを手に取り、そこに洗剤を垂らして泡立ててから皿に擦り付けた。
 食器同士のぶつかる音が、軽快に鳴り少しだけ楽しくなる。
 ふわりと飛んだ泡が顔を横切るのを然程驚きもせずに横目で見つめた。
「ヘイス?」
 食器を洗うことに夢中になっていたヘイスの背に、後ろから声が届いた。
 振り向けば、昨夜自分が持っていった料理の皿を持ったボルクがそこに居た。
 中身は綺麗に食べ尽くされており、内心意外に思う。
「ボルクさん、おはよう」
 バーツやディストになら既に大分話したので平気なのだが、ボルクとは
あまり話した事も無いので、敬称をつけてその名を口にした。
「……さんは、いらない」
「おはよう、ボルク」
 言い直すと満足したのか、ボルクが安心した顔になる。
 どうやら敬称をつけて名前を呼ばれる事が苦手な様で、
確かに自分も畏まって呼ばれるとこそばゆい気持ちになってしまうのでよく理解できる事だった。
 そのままヘイスの隣にまでやってくるとボルクは空になった皿を差し出す。
「美味かった、ありがとう」
 やはり昨夜の様に照れた様子で、礼を述べられる。
「こちらこそ。綺麗に食べてくれてありがとう」
 綺麗に平らげられた後の皿は洗いやすいものだから、こちらとしてもそれは有難いことだった。
 食器を受け取るとそれがすぐに皿の山に加わる。
 邪魔をしては悪いと思ったのか、なにも言わずヘイスが洗う様子を熱心にボルクは見つめていた。
 それを特に注意する訳でもなく、無言のままヘイスは皿洗いを続けた。


 皿洗いが終わると、食堂を見渡してこれからどうするかを考える。
 ディストの部屋へと戻っても良いのだが、起こしては悪いという思いが勝ってしまい、
どうにも帰り難いものがあったのが原因だった。
 家政婦の様に働くならば洗濯物等もあるのだろうがそれについての説明はまだ受けていない。
 仕方なく椅子に座ると、向かい側にボルクも合わせる様に座った。
 朝の穏やかな時間がヘイスは好きだった。
 目を閉じて静かにしてみれば、どこかに居る鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 それとはまた別の、人の動き出した音も聞こえるのだ。
 そんな音を聞きながら一日の予定を考えるのが好きだった。

 ぼんやりと考えているヘイスの表情をボルクが興味深く見つめていたのだが、
考えが纏まったのか、目を開いたヘイスと目が合ってしまい慌てて視線を逸らす。
「どうしたの?」
 ヘイスにしてみればただ目を開けた時にボルクと目が合っただけなので
気にする事もないのだが、ボルクにとってはまるで見ていたのを見透かされた様な気がした。
 どうにもそのまま見つめている訳にもいかなくなり、仕方なく視線を逸らす事となる。
「へ、ヘイスは」
 場の空気に居心地の悪さを感じたのか、ボルクが口を開く。
「どこから、来たんだ?」
 口から出た当たり障りの無い質問に、機転の利かない自分の頭をボルクは恨む。
「どこって、この町に前からいたよ」
「そうか……」
 たったそれだけの短い返事で、出した質問は容易く終わってしまって、
再び無言の空気が流れはじめてしまう。
 加えて今度は、ヘイスが興味深そうにボルクを見つめていて、
見つめられているボルクはひたすら目線を合わせない様に俯いたままで居た。
「ボルク」
「な、なんだ」
 名前を呼ばれて、その身体が微かに震える。
「朝ご飯食べる?」
「……朝ご飯?」
 口から出された言葉が、予想していた物とは全く違う事を理解すると
顔を上げてボルクはヘイスを見つめた。
「うん、ディスト達のも作りたいし……ボルクも食べたいなら」
 立ち上がって、再び台所の方へとヘイスが向かう。
「いらない?」
「……いる」
「少し待っててね」
 慌てて返事をすると、ヘイスが微笑んでから背を向けた。
 返事を気に入ったのか尻尾は軽快に揺られていて安堵の溜め息をボルクは漏らした。
 ヘイスの様子を、先程と同じ様に眺め続けた。


 食堂から良い匂いが漂いはじめる。
 その匂いを、一心にボルクは嗅いでいた。
「あ、ディスト」
 物音がしてヘイスが振り返ると、視線の先に半分寝ぼけたままのディストが居た。
 虚ろな目に、起きてすぐ匂いに釣られてここにきたのだと察する。
「……飯」
「もう少しでできるよ」
 率直過ぎる物言いに、ヘイスが苦笑いを洩らす。
 覚束無い足取りでディストは椅子まで移動すると、それに座り
テーブルに凭れて再び眠りはじめていた。
「もう少し寝てればいいのに」
 そこまで眠いのなら、態々ここまで来る事も無いのだとそれを見下ろす。
「匂いに釣られたんだろう……」
 ボルクも呆れた様にその寝顔を見つめていた。

「おはよ、いい匂いだね」
 更に少し経てば、バーツも起きたのかこちらはしっかりとした足取りで現れる。
「おはようバーツ。バーツは朝平気なんだ?」
「僕は平気だよ、早起きだしね」
 そう言いながらも、三人の視線は眠っているディストへと注がれる。
「ディストは弱いね」
「弱いよね」
「弱いな」
 三人揃って同じ感想を述べた。
 当の本人は聞こえていないのか反論する元気もないのか、姿勢を崩しもしない。
「そろそろできるから、起こしてくれない?」
 慌てて料理の方に向かい、背中を向けながらヘイスは二人へと頼み込む。
 断る理由も無い二人は、それでディストを起こしに掛かった。
「ディスト、朝だよ」
「起きろ、ディスト」
 二人掛かりでディストに声を掛けるが、軽く呻く声が聞こえるだけで
まったく起きる気配をが見られなかった。
「……先に食べない?」
 無理だと判断したのか、ヘイスを見てバーツが提案をする。
「とりあえず、料理運ぶね」
 出来立ての料理を皿に乗せてテーブルへと運ぶ。
 眠っているディストの邪魔をしない様に一つずつ丁寧に乗せた。
「ディスト、ご飯できたよ」
 ディストの身体へ手を掛けると、軽く揺さぶる。
 こんな風に人を起こす事がなんとなく新鮮だった。
「ん……飯かぁ?」
「そう。飯だから起きてよ」
 まるで子供にでも言い聞かせる様にディストへと話す。
 ヘイスの言葉に漸く起きる気になったのか、ディストが眠い目を擦り起き上がった。
「起きた?」
 虚ろなままな表情のディストの前でわかりやすく手を振る。
 直後、不意にディストが手を伸ばして、その腕を掴んで引き寄せた。
「えっ?」
 いきなりの事になす術も無く引き寄せられる。
 気づくと、ディストの腕の中に自分が居て見上げれば無表情でこちらを見るその顔があった。


 無言のまま、腕の中に居るヘイスをディストが見下ろす。
 ディスト以外の三人が、それを見て固まっていた。
「……ディスト?」
 声を掛けても、反応の無いディストに不安になる。
 固まっていたバーツが漸く自体を把握したのか、ディストの隣まで来ると
目の前で、両手を思いっきり合わせて音を鳴らした。
 それに反応するかの様に、ディストの瞳に光が宿る。
「あ、おはよ」
 そう言うとディストが笑った。
「……寝ぼけてたみたい」
 とてもそうは見えず、ヘイスが呆気に取られる。
 ボルクに至っては呆れ果てているのか、既に感心はヘイスの料理へと移っていた。
「いやー昨日はよく寝たなぁ、お? なんでヘイスここにいるんだよ?」
 腕の中に居るヘイスを見て、ディストが驚く。
 まったく記憶に無いのかとヘイスは若干不安になる。
「な、なんでもない」
 今までの事を問い詰めるのはなんとなく躊躇われて、急いで立ち上がるとヘイスも席についた。
「おお、もう朝飯できてたのか! 美味そうだな」
 次には目の前にある朝食に気づいたのかディストが声を上げて上機嫌になる。
 そのまま三人が食べはじめた頃に料理に見惚れていたボルクも元に戻り、食べはじめる。
「やっぱ美味いな! ヘイスの料理」
 相変わらず機嫌よさそうに一口食べてはディストが料理の腕を称賛する。
「そ、そう?」
 その隣で、自信が無い様にヘイスが応えた。
「もっと自信持てって、美味いだろ!」
「そうそう、とりあえずこの中では一番上手だよ料理」
 合間を縫ってバーツも言葉を上手く挟む。
「ボルクもそう思うでしょ?」
 そして次にはボルクへと話を回していた。
 いきなり話を回された当のボルクはというと、頬張っていた料理を途中で食べるのを止めて固まる。
 口を開きかけたが、慌てて閉じると何度も頷いた。
「だって」
 ヘイスへと、バーツが笑い掛けた。
「……ありがとう」
 三人一致の意見に、ヘイスも嬉しそうに笑った。



 朝食も食べ終わるとヘイスが再び食器を洗いはじめる。
 ディストとバーツはテレビをつけて朝の番組を見ていて、
ボルクはヘイスの隣でその仕事振りを変わらず見つめていた。
「ボルクもテレビ見たら? つまんないでしょ見てても」
 ボルクにその気は無いとは思うが、見張られている気もしてそう言った。
「い、いや……手伝おうか?」
「平気だって、それに僕家政婦で雇われたんだから」
 雇われた癖に、この程度の仕事もできなければ
なんのために自分はここに来たのだと自問したくなってしまう。
 だからこそ、ヘイスは今熱心に皿洗いをしていた。
「お、そうだそうだ」
 テレビを見ていたディストが顔を上げてヘイスの方を見る。
「ヘイスは今俺の部屋で寝てるけどよ、やっぱ自分の部屋が必要だと思うんだ」
「そうだね、家政婦さんにも部屋が欲しいよね」
 ディストの提案にバーツも賛成する。
「それでだ、この建物部屋なら無駄にあるからどれか一つを使いたいんだが
生憎俺は今日仕事だ。バーツもな。暇なのって言ったら……」
 座っている二人の視線が、ボルクへと注がれる。
 二人の視線の先を、ヘイスも見つめた。
 見つめられている本人は、三人の視線を一身に受けて一歩後退する。
「お、俺か……?」
「おまえしかいないだろ、ボルク」
 ヘイスの顔を一度見てから、困った様にボルクが返事をする。
「平気だって、良さそうな部屋あったらそこ掃除すりゃいいんだから」
 ディストが明るくボルクへと説明をするが、やはり戸惑った様子は変わらなかった。
「それによ、いつまでも部屋が無かったらヘイスが可哀想だろ?」
 その言葉に、数秒の間俯いてからボルクが顔を上げる。
「……わかった」
「よし、決まりだな。そんじゃ俺とバーツはもう仕事行くから後はよろしくな」
 立ち上がり、そのまま食堂から二人が出てゆく。
「頑張ってねぇ」
 バーツが、扉を閉める瞬間に手を振っていた。


 皿洗いも終わり一段落つくと、待っていたかの様にボルクが話しはじめる。
「部屋なんだが……いくつもあるから、空き部屋ならなんでもいい」
 ぶっきら棒だが解かり易い物言いに、ヘイスが頷く。
「行こう」
 ボルクが先を歩き、食堂から廊下へと出る。
 いくつもある部屋の内入れる部屋を回りはじめた。
「鍵が掛かってる部屋って?」
 時折、開けようと思っても開かない扉がありヘイスは訊いてみる。
「破損が酷くて使えない物とかだろうな、詳しくは俺も知らないな」
 鍵の掛かっている部屋は多くはないのだが、所々にあるという感じでどうにも気になっていた。
 部屋探しの方はというと、空いている部屋とはいえ
床が抜けていたりと中々良さそうな所は見つけられなかった。
「結構ガタがきてるからな、この建物」
 破損している部屋を見ては、ボルクが溜め息を吐く。
「そういえば、ディスト達ってどういう仕事をしてるの?」
 今更ながらに、ここはなにをする場所なのかとボルクへ問い掛ける。
 表の看板には魔物退治専門と書かれていたので、そういう所だというのはなんとなくわかっているのだが。
「聞いてないのか? ここはモンスターを退治する専門のギルドだ。
ここに居る奴は……ヘイスは違うが、他はモンスターを退治しに行くんだ」
「危なくない?」
「そりゃ危ないだろうが……今の時代、いい食い扶持にはなるからな」
 命に関わる仕事である。
 危険も、それに対する見返りも、大きいものだとボルクは言う。
 そのまま歩いて雑談を続けながら入れそうな部屋を探して、
漸くそれらしい所を見つけると、中を隈なく調べた。
「うん、いいかも」
 床も抜けておらず、汚れてはいるものの窓から見える景色は良いものだった。
「ここか……なら、早速掃除しないとな」
 一度引き返して掃除用具を持ってくると、掃除を始める。
 ディストの部屋の様に捨てる物は少なく、比較的早めに掃除は終わり
綺麗になった部屋は、見違える程だった。
「……僕の住んでた部屋よりすごい」
「どこに住んでたんだ?」
「アパート……追い出されたけど」
 聞いてはいけない質問だったのか、ヘイスが俯いてしまう。
 つい昨日の事だから鮮明に思い出せてしまい、しまったとボルクは慌てた。
「わ、悪い」
「いいよ、それに今はこんなにいい部屋も見つかったし」
 気にしてはいないのか、すぐにヘイスは笑う。
 最低限の家具も既に揃っているので、あとは自分好みの物を置けば良いだけだった。
「ありがとうボルク。いい部屋が見つかってよかったよ」
 前に自分が住んでいた部屋と比べればその差は歴然としていて、
こんな所に住めるとは、夢にも思っておらずボルクに感謝した。
「いや……俺も、暇だったしな」
 本当ならば、しっかりと身体を休ませ次の仕事に備えたいのが心情なのだが、
ヘイスの笑顔を見て、たまにはこんな一日も良いと照れた様にボルクも少し笑った。


 綺麗に掃除され、新しくヘイスの部屋になった場所で、
のんびりと二人で座って話をしていた。
「テレビもないとな」
 家具は揃ってはいるもののテレビは流石に無い様で、
それに気づいたボルクが呟く。
「テレビは食堂にあるから、別に無くてもいいよ」
 なにも自分の部屋で見る必要は無いのだ、ディストに頼めば部屋で見せてくれない事もない。
「今あるだけの家具で、充分だよ」
 自分が前に住んでいた場所は、家具でさえ充足を知るものではなかったのだ。
 それと比べれば、今の部屋は文句のつけようも無かった。
「ヘイスは、あんまり欲が無いんだな」
 なにを望む訳でもないヘイスの事を、ボルクがそう言った。
「そうかな?色々あるよ欲しい物だって」
「例えば?」
「……なんだろ、すぐには浮かばないや」
 そんな言葉にやはり欲が無いと、ボルクは思った。

 新しくヘイスの部屋となった場所で、二人で寛いでいると玄関から音が響く。
 目を閉じて耳を震わせると、丁度二人分の足音が聞こえた。
「帰ったぞー!」
「うるさいよ、ディスト」
 出掛けていたディストとバーツが、揃って帰宅したところで
「帰ってきたね」
 ヘイスが立ち上がると、それに合わせる様にボルクも立つ。
 部屋の扉を開けて、廊下に出ると遠目に二人の姿が見えた。
 目が合うと、ディストが軽く声を上げる。
「そこがヘイスの新しい部屋か!」
 部屋が見つかった事に安心したディストが走り寄る。
「うん、ボルクが頑張ってくれたよ」
 隣に居るボルクを見つめる、見つめられたボルクははにかんで頭を掻いていた。
「お、なんか……ボルクのやつ」
 その様子を見て、ディストは遅れてきたバーツに耳打ちをする。
 言葉を聞き終えると同時に一度目を少し大きく開いて、バーツがボルクを見つめる。
「そうだね、なんかボルク表情変わった?」
「別に、そんな事は」
 突然問われて驚きながらも、ボルクはそれを否定する。
「俺は、これで……じゃあな」
 居心地の悪さを感じ取ったのか、そそくさとボルクが立ち去ってしまう。
 素気無い様子で帰ってしまうその背中を、ヘイスは見つめていた。
「逃げたな」
「恥ずかしいんでしょ」
 ボルクには聞こえない声の大きさで、二人が好き勝手な事を言う。
「……ボルク、ありがとう!」
 その背中に、礼の言葉をヘイスは贈った。


「ところでさ、ヘイスってなにか魔法使えるの?」
 二人が早めに帰ってきたので、そのまま今度は三人でディストの部屋に集まり引き続き談笑に耽る。
「えっ、僕は……魔法はちょっと」
「なんだ、ダメなのか」
 その言葉に意外そうにディストが呟く。
 そう言われてヘイスが俯いた。
「ディスト、そういう風に言わないの」
 ディストの事をバーツが注意するが、言っている事は間違っておらずなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
「落ち込まないでヘイス、多分ヘイスは魔法の使い方がわかってないだけだよ」
「魔法の、使い方?」
 聞き慣れない言葉に、ヘイスが顔を上げ首を傾げた。
「ヘイスはどうして魔法が使えないって思ったの?」
 問われて、天井を見つめて考える。
「前に、魔法の参考書見て簡単な魔法を唱えてみたけれどなにも起きなかったから……」
「ああ、それじゃダメだろ」
 ディストの方も察しが付いたのか、頷く。
「魔法はイメージが大事だから、ただ言葉を口にするだけでは駄目なんだよ」
 丁寧にバーツが話す、魔法書には必要な魔力や属性と名前程度しか書かれていない。
「ヘイスは基本的な所がなってないだけじゃないかな」
 バーツがヘイスの身体を注意深く見つめると、やはり魔力は有ると頷かれる。
 まだ微弱としか感じられないが、魔法を使った事の無い者はどれもそんな程度の物だと言う。
「僕にも、魔法が使えるの?」
「使えるもなにも、誰にだって使えるぞ」
 そう言ったディストが掌を差し出すと、そこから光が飛び出した。
「俺にだって使える、俺才能無いって言われてたしな」
「そうそう、最初はてんでダメだった癖に」
「それを言うな!」
 聞かれたくない事を言われて、慌ててディストがバーツの口を塞ぐ。
「とにかく、ヘイスにも魔法を教えてあげるよ」
 口に当てられている手をどうにか払い除けると、笑顔でバーツが言った。

 晴天の下、ヘイスは大きく深呼吸をした。
 自分も魔法が使える様になる、そう考えるだけで緊張してしまい
先程から何度も繰り返している行動だ。
「イメージが大切だからね、自然の近くの方が使いやすいよ」
 傍に居るバーツの言葉に頷いた。
「いい?まずはどんな魔法が使いたいかをよくイメージして
傷を治したいならそれを強く願って、願えばそれが力になる」
 悟らせる様にゆっくりとバーツが語りはじめる、ディストは後ろで地面に座りながら観察をしていた。
 頭の中で、イメージを膨らませる。
「傷……想像できた?痛くて、血が出ているかもしれない」
 脅かす様にバーツが言うが、強くイメージをするには必要な事だった。
 傷を浮かべたヘイスの表情がわかりやすくしかめっ面になり、思わずディストは口元に笑みを浮かべる。
「それを治したい、そう想えばいい。
次は手の中に力を集中させて、でも入れすぎちゃダメだよ」
 掌に浮かべたイメージが伝わってゆく。
 傷を治したいというイメージが手に伝わり、そこから暖かい空気が流れている様に感じた。
 そのまましばらく念じていると、不意に掌に光が溢れる。
 光が自分の身体を包むと、とても暖かい気持ちになった。
 驚いた顔でバーツに視線を送ると、自分を見て微笑んでいて
「今ので成功、ヘイスは傷を負ってないからそんなに体感はできなかったかな?」
 そう言った。
「ううん、すごかった……」
 身体中を、暖かい空気が駆け巡って酷く心地良い感じがした。
 これが魔法なのだと、今すぐに断言できる程の感触だったの。
「まだヘイスの力は弱いけれど、慣れればもっと強い魔法も使えるし、手に色をつけて現れる」
 先程までの魔法は、発動した瞬間のみ光を表したが、
魔法を使う者ならば、発動せずとも光を発する事もできる。
 それと比べてはやはりまだヘイスの力は小さな物だったが、
それでもヘイス自身にとっては大きな一歩だったのだろう。
「……すげぇな」
 後ろで黙ったまま見ていたディストが、声を漏らす。
「確か、ディストは二日かかったんだっけ?」
 振り返り笑いながらバーツが言うと、ディストが怯む。
「うるせぇ!あれは調子悪かったんだよっ」
「まぁ、使えるようになったからいいけどさ」
 言い争う気は無いのか、そのままそう返すだけでバーツは再び背を向ける。
 ばつが悪くなったのか、建物に背を預けるとディストは視線を逸らした。
「魔法は効き目があるからすごいけれど、その分使いすぎると精神の消耗が激しいから気をつけてね」
 そう忠告すると、今度はバーツが魔法を唱えはじめた。
 その身体から淡い光が発せられると、次にはそれを手渡される。
 渡された光が、掌でふわりと弾んだ後にゆっくりと溶けると身体に吸い込まれた。
「はい、これでもう平気だよ」
 魔法を使ったせいで霞んでいた頭が、はっきりとしはじめる。
「バーツ……すごい」
「これくらい朝飯前だって」
「そろそろ夕飯時だぞ!」
 バーツの言葉に、ディストが口を挟んだ。
「あ、晩御飯作らないと」
 ディストの言葉に、ヘイスは生真面目に仕事を思い出して声を上げる。
 二人に礼を言うと、慌てて建物の中へと走っていった。
「で、あいつは見所あるのか?」
 二人残った庭で、ディストが話す。
「少なくとも魔法の才能はディストよりあるよ」
「……まぁ、そうか」
 今度は突っかかる事もなく、それをディストが認める。
 座っていたディストが立ち上がり、土を掃うとヘイスの元へと歩き出す。
「やきもち焼いてる?」
「そんなんじゃねえよ」
 振り返らずにディストは返事をした。
「……やきもちだな」
 聞こえない様に呟くと、バーツも建物の中へと向かった。



 建物に戻るとヘイスは遅れてしまった夕食の準備に追われる。
 そんなヘイスの様子を、後から来た二人が見つめていた。
「なんか、あれだな」
「うん、あれだよね」
 二人の声が聞こえて、ヘイスが作業を中断して振り返る。
「あれ……って?」
 二人の言っている事の意味が解らないヘイスは、不思議そうに二人を見つめた。
 ディストが椅子から立ち上がりヘイスの元までやってくる。
「手伝うぞ」
 ディストが来ると同時に、バーツもやってきては隣に立たれる。
「え、別にいいよ? 僕の仕事なんだし」
「そうだけどさ、なんか……ね」
 言いながら二人揃って手を洗い、役割分担を決めて取りかかる。
 ヘイスが途中でやめていた食材を刻む作業を、バーツが引き受けながら言った。
「家政婦さんになんでも押しつけたら悪いだろ?」
 皿を棚に戻しながら、ディストが言った。
「……はぁ」
 今一つ二人の考えている事が理解できていないヘイスは、返事をするだけで精一杯だった。

 二人の助けのおかげで、予想していたよりも大分早く夕食ができあがる。
 三人揃って席についたところで食堂の扉が開かれて、その場にボルクが現れた。
「お、来たのか」
 現れたボルクの姿を、ディストが珍しそうな顔で見つめる。
「珍しいね、ボルクが来るなんて」
 バーツも同じ様な表情をしながらボルクを見る。
「あ、ああ」
 二人の視線を受けたボルクが小さく返事をする。
「ボルクも食べに来たの?」
 席についていたヘイスが立ち上がり、ボルクへと話し掛ける。
「余ってるか?」
「もちろん、持ってくるね」
 急いでボルクの食べる分を取りにヘイスが向かう。
 その様子を見つめながらボルクが席についた。
「ボルクも来たし、これで今このギルドに帰ってきてる人は揃ったね」
 全員を見渡してから、嬉しそうにバーツが言った。
「他にも誰か居るの?」
 皿に盛った料理をボルクの前に置きながら、ヘイスが疑問を投げ掛けた。
「居るよ、あと二人くらい。今はちょっとお仕事で出かけてるんだけどね」
「へぇ、いつ頃戻ってくるかな?」
「そりゃわかんねぇな、仕事次第ってやつだ」
 横から説明が聞こえた、まだ見ていない二人に会うのは当分先の話になりそうだった。



 次の日になると、バーツはまた仕事が入っていると言い出掛けてしまい、
ボルクは仕事ではないものの、別の予定があると姿を消してしまう。
 残ったのは、ディストとヘイスだけだった。
「ディストは仕事ないの?」
 考えてみれば、ディストは自分がここに来てからほとんど毎日居て、
仕事のために出掛けているところをあまり見た事が無かった。
「一応纏め役だからな、全員出払ってる時くらいしか俺には仕事は……」
「へぇ、暇なんだ」
 ヘイスの一言に、ディストが俯く。
「そりゃ俺が行く仕事なんてあんま無いけどよ、ギルドが回るようにやりくりしたりだなぁ……」
「あ、ごめん」
 隠れた所でディストは苦労をしている様で、口を滑らせた事に気づく。
「まぁ、そのおかげでヘイスとも居られるしいいだろ。美味い飯食い放題だ」
 すぐに開き直ると、満面の笑みを浮かべていた。
「ところで、食料そろそろ尽きてきたよな?買いに行こうぜ」
 昨晩ヘイスの手伝いをした時に、その辺りに目を配っていたのか
ヘイスが考えていた事をディストが提案する。
 意外に思ったが、見ている所は見ているのだと感心した。
 ディストが一度自分の部屋に戻り、必要な分の金だけを持つと
 そのまま案内をされてギルドから飛び出した。

「やっぱ広いなこの町は」
 どこを見ても人で溢れていて、気を抜いたら逸れてしまいそうだった。
 例え逸れたとしても、ヘイスもこの町に長く暮らしていたのだから問題は無いのだが。
 商店街の様な場所を歩きながら、ディストが目を光らせる。
「お、安いなこれ」
 適当に商品を手に取っては、それを感心した様に見つめていた。
「ディスト、食料を買いに来たんだよね?」
 その手に持っている物は明らかに食料ではない物で、ヘイスが口を出す。
「食料買いに来たって言ってもそれだけじゃつまんないだろ、他の物も見ないとな」
 最初からそのつもりだったのか、ヘイスの言葉を然程気にする訳でも無く
更に別の物にもディストが手を伸ばす。
「ヘイスもなんか買うか?多少の物なら買えるぞ」
「い、いいよ……まだそんなに働いてもないんだし」
 慌ててディストからの申し出を断る。
 大して働いてもいない自分が、働いた以上の物を貰うのは気が引けた。
「そうか?」
 少しだけ残念そうな顔をして、ディストは商品を戻す。
「食料見に行くか、早くしないといいもん減るしな」
 商品を見ているのに飽きたのか、ディストが食料の売っている店へと視線を向けた。
「やっぱ三人四人で飯食うとすぐ無くなるな」
 少し前に見た時はまだあった食料がもう無くなっているのに、ディストが愚痴を零す。
「ごめん、もう少し節約して作った方がよかったね」
 作っているのは自分なのだ、ディストが無くなるのが早いと言うのなら自分の使い方が悪いのだと思う。
 その言葉にディストは苦笑いをしながら首を左右に振った。
「別にヘイスのせいじゃない、それに美味い料理が食えるんだからな」
 ヘイスが居なければ、大量の食料を使って大して美味しくもない物を作るのが精一杯で、
それと比べれば、今の状況は何倍も恵まれているのだ。
 ヘイスを責める気などディストには微塵も無かった。
「…今日の料理は奮発しようかな」
 その言葉に、ディストが目を輝かせる。
「ほんとか!? んじゃ材料も奮発しないとな」
 もう夕食の事が頭に浮かんだのか、上機嫌でディストが食料のある場所まで歩き出す。
 その一歩を踏み出した瞬間、少し離れた場所で大きな音が聞こえた。
「え?」
 ディストの後ろに続こうとしたヘイスが、音のした方へ慌てて視線を向ける。
「なんだ?」
 異変に気づいたのか、ディストも同じ様に顔を向けた。
「モンスターだ、逃げろ!」
 誰かがそう言ったと同時に、辺りに居た街人は悲鳴を上げながら逃げ出した。
 魔物と聞いた途端に、ディストの顔付きが変わり人々が逃げてくる方向を睨みつける。
「ヘイス、隠れてろよ」
 ヘイスを置いてディストが魔物の居る方向へと走り出した。
 思わずその名前を呼んだが、喧騒の中に居るディストに声は届かず。
 そのまま、ディストも人込みに呑まれていった。

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