ヨコアナ
ある国王の憂鬱・下
ウェンドを牢屋に残して、バレスは城内へと戻る
「バレス様」
丁度、待っていたかの様に兵士長が行き先に居てバレスに声を掛けた
「なんだ?」
「あのウェンドという者・・・処罰はどうするおつもりなのですか?」
「処罰もなにも、既に牢屋に入れているではないか」
バレスのその返答に、兵士長が納得のいかない顔をしていた
「なりません、その程度ではいつか我らに害を成すでしょう」
「・・なにが言いたい?」
「ご決断をお早めにと、それだけです」
さっさと殺してしまえ、そう言われている様な気分がした
「俺は・・・ウェンドを殺さない」
「何故そうもあの悪魔を庇うのですか?」
兵士長はバレスの考えが分からなかった
自分の両親を殺した悪魔と同族が目の前に居るのに、それを憎もうともしない
そんなバレスに不信感を抱いてしまう
「わからない・・でも、あいつは殺してはいけないんだ」
それだけは、今のバレスでもはっきりと言えた
「そうですか・・・・」
小さく礼をすると、兵士長は持ち場へと帰って行った
その背中を黙ってバレスは見つめていた
ウェンドが牢屋に入れられてから丸一日が過ぎた
粗末な寝床の上で、ウェンドは暗い天井をぼんやりと見つめていて
その胸には開いた傷跡がまだ残っていた
「ウェンド」
牢屋の入り口からバレスの声がした
顔を上げて声が聞こえた場所に目を向ける
「食事だ」
小さい柵を開けて食べ物を差し入れる
ウェンドが起き上がり鉄格子の前まで歩き出した
「・・ここから出して」
小さく、それだけを口にした
それでもバレスは首を横に振った
「今は危険だ、兵士長がなにをやらかすかわかったもんじゃない」
本当の事だったが、口実でもあった
ウェンドは諦めたのか差し出された食事に手をつけるが、パンを一齧りするだけで止めてしまう
「食べないと傷が治らないぞ」
そう言われてもウェンドはそのまま再び奥に戻り寝床に座ってしまう
たった一日此処に居ただけなのに、既に元気な子供の面影は何処にも見当たらなかった
胸が軋む音が聞こえた様な気がした
どうにか、それを無視して立ち上がる
「なにか欲しい物があれば持って来る、なんでも言ってくれ」
そのまま城へと戻っていった
ウェンドは横になり、此処から出る方法を考えていた
しかしそのどれもが不可能な事ばかりであった
あの後ヴァンは更に鉄格子を調べたのだが、どうやらヴァンの本来の力を持ってしても破るには時間が掛かるらしい
それでは破る前に見つかってしまうだろう
ヴァンでもそれ程に困難という事は、自分では話にならなかった
結局八方塞の状態になっていた
牢屋に入れられているとする事も無く時が過ぎる
ただ永く感じられる時間、唯一部屋に射し込む小さな光だけが時の流れを教えてくれた
月の明かりが、今は細く部屋に細く存在している
「ウェンド」
バレスの声が聞こえた
その手には、昼間持って来た物と似た様な食べ物を持っていた
「食べなかったのか?」
昼間一齧りだけされたまま変わらないパンを見てバレスが顔を顰める
ウェンドは立ち上がると、鉄格子の前に立つ
何も言わなかったが、出してほしいと見つめられているだけでバレスは分かった
バレスも無言で首を横に振る
同時に、鉄格子を握り締めてウェンドが魔力を開放した
「ウェンド!なにしてるんだ!?」
無駄だというのに、ウェンドは鉄格子を破ろうと魔力を注ぐ
鉄格子が闇の魔力に敏感に反応してその身体を痛めつける
僅かに見える胸の包帯が赤く染まっていった
「やめろ!やめるんだ!」
バレスが止める様に大声を出すがそれでもウェンドは聞かなかった
「やめてくれ!死んでしまう・・・やめてくれ・・・・・」
一頻り叫んでいると、ウェンドが力尽きて倒れてしまう
慌てて牢屋の鍵を外しバレスが中に入った
人形の様に動かないその身体を抱き締める
大量に溢れ出た血は、包帯の上の服にさえ染みを作っていた
身体から熱が引きはじめていて、死の予感を感じた
「嫌だ・・死なないでくれウェンド・・・・・」
衝撃を与えない様に、それでも耐えられなくなりその身体を抱き締めて祈る
そのままウェンドを抱き上げるとバレスは牢屋を後にした
「バレス様!?どうしたのですか!」
廊下を歩いていると、偶然廊下に居た兵士長が驚いた顔をしていた
「俺が・・俺のせいだ」
腕の中の瀕死状態のウェンドを見て兵士長も言葉を無くした
「まさか、無理矢理あの牢屋を?」
「聞かなかった、無駄だと言っても・・」
「どこへ行くのですか」
訊かなくても、向かおうとしているのがバレスの部屋だということを兵士長は分かっていた
「・・すまない、なにも言わないでくれ・・・・・・」
ウェンドを大事そうに抱えたまま、バレスは早足でその場を通り過ぎた
残された兵士長は、やはり複雑な表情をしていた
自分の使う豪華な装飾の成されているベットに、ウェンドを寝かせた
次に目が覚めたらウェンドはどうするのだろうか
やはり出て行ってしまうのだろう
それでも、あのままではウェンドは死んでいたのではと思ったバレスにとって
これ以外に道は無かった
窓を開いて町を見下ろす
悪魔の傷跡を見ていた
この傷跡をつけた悪魔とウェンドが同じ種族だという事がまだ信じられずにいた
視線をウェンドに戻すと、眠る身体が動く
慌ててそちらに身体を向けた
「あの馬鹿が・・」
ウェンドからは、想像も出来ない言葉遣い
ヴァンが表に出て来ていた
「お前は・・ヴァンと言ったか」
赤い瞳を見て、屋上で起こった事を思い出した
名前を呼ばれたヴァンは、憎々しげに腕を見つめている
腕に魔力を集めようとするが先程よりも更に集まりは悪かった
長時間鉄格子の光を浴びたせいなのだろう
とにかく、瀕死のウェンドのために出来るだけ魔力を集めた
「ウェンドは・・大丈夫なのか?」
バレスが問い掛ける
「さあな、場合によっては死ぬだろう」
その言葉にバレスの顔が驚きに包まれた
「なにを驚いているんだ?お前がそうしたんだろう」
「違う・・俺はそんなつもりじゃ」
「なにが違うんだ、貴様の身勝手でウェンドが瀕死に
なっている今の結果を見てどう違うと言い切れる?」
「頼む、ウェンドを助けてくれ・・・」
「既に治療は施した、後はウェンド次第だ」
冷静にヴァンが語るが、宿主のウェンドが死ぬと同時にヴァンも死ぬ事になるかも知れず
内心はそれ程穏やかではなかった
「ウェンド・・・」
祈る様にバレスが呟く
その様子をヴァンがじっと見つめていた
「俺は・・なにをしているんだ?」
問い掛けは虚しく部屋に響き渡る
ヴァンは再び横になると、自らも眠りにつきウェンドの傷が治る様に魔力を溜め続けた
音の無い静かなバレスの部屋
眠っているウェンドの耳に微かな物音が入る
その音が気になり目を開けた
胸に手を当てるが、感じた痛みは前よりも更に酷くなっていた
痛覚により意識がはっきりとして来たのか先程よりも物音がよく聞こえる
音の聞こえた方を見ると、部屋の主であるバレスが窓の前に立っていた
ただ、窓から外を見ている訳ではなく両手で顔を覆っていた
「バレス・・?」
自分の掠れた声に驚きながらもバレスの名を呼ぶ
ウェンドの声が聞こえるとバレスが弾かれた様に顔を上げた
「ウェンド!」
傍に駆け寄り、ウェンドの様子を見る
「痛くないか?」
「少し痛い・・・」
少し、なんて程度ではないのはバレスからでも充分に解っているのだが
それでもウェンドは平気だと笑ってみせた
昨日から巻いたままの包帯を取り替えようとする
服を脱いだ上半身裸のウェンドの素肌に巻かれた包帯の胸の周辺は、赤く染まりきっていた
その包帯を慎重に剥がしはじめる
こびり付いた血が剥がれる痛さにウェンドが小さく悲鳴を上げる
それでも我慢をして取り切ると、バレスが直ぐに新しい包帯を巻いた
「ありがとう」
短く礼を言うとウェンドはまた横になる
魔力を封じられ、満足に身体の傷を癒す事も出来ないウェンドは
ほとんど普通のヒトと変わらなかった
バレスは黙ってただウェンドを見つめていた
その視線を感じてウェンドもバレスを見る
「どうしたの?」
「・・なにも言わないのか?」
色々と言いたい事があるはずなのに、ウェンドは目を覚ましてから特に何もバレスには言わなかった
それがバレスには引っ掛かっていた
「なにも?」
ウェンドの顔が不思議な物を見る目になる
「どうして牢屋に入れたとかあるだろう?」
「兵士長の人がなにをするかわからないから入れたんでしょ?」
「それもあるんだが・・・お前にここにいてほししかったんだ」
俯きながらバレスが言う
先程のヴァンの言葉が頭の中に響き渡っていた
「僕は行かないと・・・ごめんね、バレス」
ウェンドか謝る事ではないのだが、謝れるとますますバレスは沈んでしまう
「俺は・・・どうすればいいんだ、ウェンド」
バレスが呟く、その声にウェンドが眉を顰めた
「どうすれば・・って?」
「俺はこのままじゃお前をまた牢屋に入れてしまいそうだ、どうすればいいんだ?」
悲痛な叫びを上げるバレスを、ウェンドは見つめていた
双方黙ったままのただ静かな時間の流れる部屋の外で、バレスの叫びを聞いている者が居た
「悪魔が・・・」
そう言うと、その者は部屋の前から立ち去った
翌日になるとウェンドの傷は半分程塞がっていた
どうやら、長い間魔力封じの縛りを受けていたヴァンの力がそれを破ったらしい
ヴァンが全力でウェンドの手当てをすると傷は急速に塞がりつつあった
しかし光の攻撃を直接に食らったウェンド自身はというと、未だに体力も魔力も人並みのままだった
ウェンドがベットを使う間バレスはソファーで寝ていた
ウェンドが代わろうと持ち掛けたがバレスは決して応じなかった
「ソファーで寝るのも悪くないさ」
そう言ってさっさと寝てしまうのである
その様子を見てウェンドは少しだけ笑った
バレスがウェンドの傍を片時も離れずに居ると、部屋に一人の兵士がやってきた
「失礼しますバレス様、兵士長がお呼びになっております」
「兵士長が・・?わかった、すぐに行く」
ウェンドに一度顔を向けると、バレスは呼びに来た兵士と共に兵士長の元へと向かった
一人になったウェンドは暫く部屋の天井を眺めたり窓から見える空を楽しんでいたのだが
部屋の扉が開く音が聞こえてそちらに顔を向けた
「・・兵士長の人・・・・・」
其処には、バレスを呼んだはずの兵士長がその手に剣を持ち佇んでいた
「悪いな、やはり貴様は殺さねばならないようだ」
そう言って早足でウェンドの元へ向かうと塞がりかけた傷口に手を叩きつける
思わず出た苦痛に満ちた声を聞いて兵士長が笑っていた
「お前が来てからバレス様の様子がヘンなんだ、貴様がなにかしたのだろう?」
更に深く抉る様に当てた手に力を籠める
一層ウェンドの叫び声が辺りに響いた
「ウェンド!!」
慌てて悲鳴を聞いたバレスが部屋へと戻ってきた
「兵士長、どういうつもりだ!?」
呼ばれて兵士長の待つ部屋へ来てみれば其処はもぬけの殻で
仕方なく自分の部屋へ戻ろうとした時にはウェンドの悲鳴が聞こえていた
予想よりも大分早いバレスの登場に兵士長が慌てはじめる
「バレス様、こいつがバレス様になにかをしたのでしょう!?目を覚ましてください!」
「・・なにを言っているんだ?」
「今・・・・・私が、貴方の目を覚まさせてみせます」
そう言うとウェンドの腕を引きその首に剣を突きつける
「やめろ!」
バレスが叫ぶが、その声は兵士長には届いていなかった
「こいつさえ居なくなればいいんだ・・・」
大きく剣を振り上げると、それをウェンドへと一気に振り下ろす
その手に肉を切る感触が届いた
「・・・バレス様?」
誰かを切った、切ったのは腕の中に居る悪魔だと思っていた
それでも眼を凝らせば、振り下ろした剣は自分の主の腕に深く刺さっているのが見えた
「な・・なにを・・・・・」
兵士長が剣を抜きその手から剣が落ちる
「お願いだ、もう・・・俺の前で誰も死なないでくれ」
バレスが涙を零していた、その光景に兵士長の動きが完全に止まる
「バレス・・腕!」
出血の止まらない腕を兵士長の呪縛から抜け出したウェンドが見て声を上げた
「酷い・・・・」
バレスが咄嗟に飛び込んで来たせいか兵士長の力が緩んで切断こそ免れたものの
その腕から血が溢れ出して床に小さな池を作っていた
「ヴァン・・お願い」
まだ魔力が完全に戻ってないウェンドの代わりにヴァンが表に出て治療をする
「完全に切れてないだけまだマシだな」
そう言うと掌から煙を出してバレスの負傷した腕を包む
「・・・・後は貴様次第だ」
煙を取り払うと、出血は完全に止まっていた
傷も塞がりかけていて数日もすれば元に戻れる程だった
「すごいな・・・」
思わずバレスが声を洩らす
「数日は安静にしろ、傷が開いても俺は知らん」
目を瞑るとウェンドを直ぐに表に出す
今のこの状況はウェンドでないと色々と面倒な事になりそうだった
剣を落として固まっている兵士長をバレスが見る
兵士長は震えていた
「バレス様・・・申し訳ありません」
「気にするな、だがウェンドに手は出さないでくれ
次に手を出したら処罰を受けてもらう事になる」
痛む腕を気にする事無くバレスは言った
「はい・・・・失礼しました」
剣を拾い小さく返事を返すと力を無くした様に部屋から兵士長は姿消した
部屋に二人以外居なくなるのを確認するとバレスが口を開く
「ウェンド・・・傷は?」
ヴァンの力で塞がりかけていた傷は、今度は抉られる様に押さえつけられまた傷が開いていたのを心配する
「さっきついでにヴァンが治していってくれたから少しは大丈夫・・・それよりもバレス」
「なんだ?」
「助けてくれてありがとう・・・」
「・・命の恩人を助けるのは当然だ」
「これでバレスも、命の恩人?」
「・・・そうかもな」
お互いがお互いの命の恩人
おなしな関係に笑みが零れた、傷はまだ痛むがバレスは何処か晴れやかな気持ちになっていた
国王の部屋の小さな事件から数時間が経った
二人きりとなった部屋で、バレスは椅子に
ウェンドは傷のため相変わらずベットに横になっていた
バレスは腕に包帯を巻いてはいるものの、それ以外は昨日までと同じ様子で時を過ごしていた
ウェンドの傷はというと、ヴァンの力で大体の治癒はしたものの幾度とない痛みを味わっており
気力が抜け切っている様でベットの上でだらしなく天井を見つめていた
「ウェンド・・傷は平気か?」
ほんの少しでも身動きをすると辛そうな素振りをするウェンドが心配になる
「うん、バレスこそ・・・」
「俺は平気だ」
斬られた痛みも、あの瞬間は感じなかった
無我夢中だったのだ、ただウェンドの事で頭が一杯になっていた
気がついたら、目の前にはウェンドの見開かれた目と
腕に深く抉り込まれた兵士長愛用の剣があった
「すまない・・礼をするつもりだったのに、こんな事にまで」
「僕も、悪魔だって黙ってたから・・・・・ごめん」
「お前のせいじゃない」
ウェンドの言葉を聞いていると自分が辛くなる
こんな悪魔が居るとは今まで露ほども知らずに居たのだ
「ごめんね、バレスも疑われて・・」
「俺はお前が悪魔だろうと構わない!」
バレスが叫んだ、声の大きさにウェンドが驚く
「疑われたって構わない!俺は・・・お前が好きなんだ・・・・・・」
徐々にその声量が失われて、最後にはどうにか聞き取れる程の声になっていた
「・・変なんだ、悪魔をあれだけ憎んでた、悪魔と聞くだけであの時の怒りが
湧いてきて姿を見れば、すぐにでも命を奪い取ってしまいたくなる程に悪魔を憎んでいた」
俯いて自分の掌を見つめながら、バレスか言葉を発する
「なのにどうしてなんだ?ウェンドを見てもそんな感情はまったく湧かないんだ・・」
それどころか、久しく感じなかったあたたかさを感じていた
それが何より悔しくて、それでも嬉しかった
「・・バレスは優しいね」
しんとした室内にウェンドの小さな声が響いた
「お父さんもお母さんも、僕と同じ悪魔に殺されちゃったのに・・・」
その瞳から一粒涙が零れた
「嬉しい」
悪魔というだけで、ヒトから弾き出されたウェンドの本心だった
「ウェンド・・・」
椅子から立ち上がるとウェンドの顔を覗く
涙は既に零れ落ちて、枕に染みとなって消えていた
破けた服から覗く赤の染みた包帯と目を瞑っているその顔
その顔と自分の距離が徐々に近づく
「・・・・・ん・・・ん?」
程無くして唇の触れ合う生温かい感触がした
閉じられていたウェンドの瞳が最大まで開かれ、驚きの表情に変わる
それと同時にバレスが離れる
「・・・・すまん」
ウェンドに背中を向けてバレスが椅子に座る
「・・バレス?」
名前を呼んでも、椅子からはみ出した尻尾がだらしなく揺れるだけだった
ウェンドは天井を見つめて、バレスは適当に探してきた本を読み
時折交わされる短い会話の中で静かに時は流れていた
その部屋に扉を叩く音が響く
「・・出てくる」
バレスが読みかけの本を置き扉を開く
中に居るウェンドの姿が見えない様にと細心の注意を払った
ウェンドがこの部屋に居るのを知るのは、自分と兵士長とその他数名だけだ
「お食事をお持ちしました、今日は食堂の方へ参られないものでしたので・・」
「・・ご苦労だった」
幾つもの料理が乗った台を渡される、好きな物を食べろという事だろう
ウェンドの食べる分も充分にあるのが好都合だった
そのまま扉を閉じると部屋の中へと料理を運ぶ
「ウェンド、なにか食べるか?」
横になっているウェンドへと問い掛ける
「ん・・・」
ゆっくりと身体を起こすと気だるそうにウェンドが視線を向ける
向けられた視線の一番長く見つめていた料理を的確に判断してそれを取り出した
「・・・食べられるか?」
手を伸ばすだけでも痛みの走る身体だ
予想通りなのかベットから下りようとしたウェンドの動きが一瞬止まり、胸に手を当てた
「・・座っていろ」
料理の一部をスプーンに乗せると零さない様にそっとウェンドへと運ぶ
最初は戸惑っていたウェンドだが、渋々口を開く
的確に料理を滑り込ませた
口内に侵入した料理を暫く咀嚼していたウェンドの顔が、途端に笑顔になる
「やっぱりここの料理はおいしいなぁ」
ウェンドが選んだのは、この城の食堂で食べた料理の内の一つだった
その味に感動したウェンドは作り方を料理長に聞いていた程で
「皆の元気が出るようにって、料理長がいつも言ってたからな」
月に何度か行われるバレスを含めての城に仕える者達全ての晩餐会
その席で、料理長がそう言っていたのを思い出す
「作り方聞いたのはいいけれど、やっぱり難しいや」
聞いた事も無い材料や、難解な技術を要すると聞いてウェンドは舌を巻いていた
結局今まで食べていなかったせいもあったのか、ウェンドはその料理を全て食べきった
満腹になると眠くなったのか、目が虚ろになる
「無茶ばかりしてたからな、今は眠っておけばいい」
「うん・・おやすみ」
うとうとしていたその瞳が閉じられると直ぐに寝息が聞こえる
その寝顔を見て、軽く頭を撫でるとバレスは立ち上がり重い足取りで部屋から出た
廊下を歩く、途中何人もの兵士や使用人が頭を下げる
建物から出て更に歩き、何時も城の警備をしている兵士達の居る場所へ向かう
兵士達は皆、突然のバレスの来訪に驚きながらも敬礼をした
その幾人もの兵士の中に、ぼんやりとした顔をしている兵士長を見つけた
「兵士長、話がある」
「・・はい」
「二人だけで話がしたい」
「わかりました、引き続き見張りを頼む」
兵士の一人にそう言うと、兵士長がバレスの元へと駆け寄る
「裏で話そう」
バレスが城の裏側へと歩き出すと黙ってその後を兵士長が歩いた
人気の無い、城のおかげで陽の光もあまり当たらない場所で立ち止まると
バレスは振り返って兵士長を見つめた
その視線に兵士長の身体が一瞬震える
「何故・・あんな事をした」
「それは・・・」
兵士長は俯いてしまう
「あのウェンドという者が来てからバレス様はお変わりになられました
あの者が悪魔という事を知って尚何故生かそうとするのです?」
「・・命の恩人だからだ」
「それはバレス様に近づくための口実かも知れません」
「もしそうだとしたら、私は既に殺されている」
「それに・・ウェンドという者ではないもう一人の悪魔が、あの身体には居るそうではありませんか」
「ヴァンの事か、彼も一応私の命の恩人だ」
屋上で暗殺者に襲われた時に助けたのは、結果的にはヴァンの方だった
「あのヴァンという者は、今までの悪魔と同じ気配を感じます・・・」
「だがヴァンはウェンドに遠慮をしてかあまり表には出ぬようだ、心配すべき事ではない」
飽く迄ウェンドとヴァンをバレスは庇い続けた
「・・・バレス様、貴方はやはり変わられました」
兵士長が面を上げて真直ぐにバレスを見る
「以前の貴方様なら、悪魔と聞いただけで即刻打ち首にでもしていたのでしょう
一体なにがあったのですか?今の貴方様はあの悪魔に妙な術でもかけられたのですか?」
王に対して無礼な口を利いているのは重々承知していた、それでも利かずにはいられなかった
「私は・・いや、俺は長い間忘れていたものをあいつに教えられた気がしたよ」
「忘れていたもの?」
「変わったのは兵士長、お前もだ」
バレスが自分の掌を見つめる
「昔は俺がなにかをする度にお前が飛んできては、それを止めようとしていたが結局最後にはそれに付き合ってくれた
俺はお前の事を尊敬していたさ、いつも激務に追われていた父さんの代わりをお前に見ていた気がする
いつからだろう?お前の俺に対する態度が淡々としたものになったのは」
その顔が酷く悲しげな顔になる
バレスのそんな顔など此処数年見た事も無かった兵士長はそれに釘付けになる
「この事に気づいたのもつい最近だ、それまでは俺も変わっていたんだ
そしてまた変わった・・いや、戻ったんだ・・・お前にはそれが変に見えたんだろう」
「バレス様・・・」
「俺達はどこから変わったんだ?怒りや復讐心でこの国は確かに元の姿に近い程に回復している
けれど俺やお前の心は元になんか戻っちゃいないだろう」
「私は、変わってなど」
「兵士長・・気づいてくれ、お前は悪魔とはいえ子供にいきなり剣を突きつけるような非道な奴だったのか?」
昔の兵士長を思い出していた、バレスが父親と重ねていた頃の兵士長の姿を
「違うだろう?お前はいつも俺に命の大切さを教えてくれた、なのにさっきやっていた事はそれとは正反対だ」
「貴方を、守るため・・です」
精一杯の返事を兵士長がする
しかしそれにもバレスは首を横に振った
「もしもお前が、元からそういう奴だったのだとしたら・・俺はとんでもない大馬鹿者だよ」
そう言うとバレスは立ちすくむ兵士長の横を通り、一人城の入り口へと戻って行った
「バレス様・・・」
自分以外居なくなった暗い場所に、兵士長の呟きが響く
「私は・・変わってしまったのか?」
それに答えてくれる者は、今は居ない
城に戻り、真直ぐにウェンドの待つ自分の部屋へと向かう
扉を開けてベットに視線を向けるが、其処にウェンドの姿は無かった
「ウェンド?」
心配になりその名を呼ぶ
「あ、おかえり」
部屋の入り口からは見えない場所からウェンドが顔を出す
その動きは、今までの様な痛みによって制限されている動きではなく不思議に思う
「ウェンド、傷は・・・・?」
「あの後ヴァンはまた出てきて・・完全に力が戻ったから僕の傷治してくれたの」
自らの手で取ったのか、胸に巻かれていた包帯は無くなり傷一つ残っていない様だった
「よかった・・」
脱力した様にバレスが膝を着く
「それで・・ね、バレス・・・・・」
傷が治ったのに、ウェンドは何処か寂しそうな顔をしている
「明日・・僕、ここから出るよ」
ウェンドの放った台詞に、バレスが暫し固まる
「そう・・・か」
「ごめん」
「謝らなくていい」
バレスがウェンドを抱き締める
黙ってウェンドはその腕の中に居た
「久しぶりだ・・こんなにも充実したような、それでいて寂しい気分は」
腕の中に居る大事な人は、明日にでも出て行ってしまう
複雑な気分だった
「なぁ、ウェンド」
「・・なに?」
「最後に町を見ないか?俺と、皆が頑張って元通りにした町なんだ」
「・・・うん、見たい」
ウェンドをその腕から放すとバレスが立ち上がる
部屋にある箪笥から、余り目立たない服を取り出すをバレスはそれに着替える
「生憎大きさの合う服が無いな・・・」
バレスとウェンドでは身体の大きさが大分違う、ウェンドはこのままで行くしかなかった
「平気だよ、見かけだけならヒトと変わらないから」
「そうだな・・・十分ヒトだ」
着替え終わると、二人揃って部屋から出る
同じ部屋に居る事さえ分からなければ、ウェンドはバレスの命の恩人だ
誰も不審がる者は居ない
「こっちだ」
それでも流石に表から堂々と兵士長の前を通るのはどうかと思い、バレスが裏口へと案内する
こじんまりとした扉を開けると、狭い道が其処にあった
その道を途中まで行くと不意に横にある木に手を入れて枝を退ける
「子供の頃、抜け出すのによく使ってた道だ」
両親が居なくなってからは使うのを止めていた通路
忙しくて、町に出る暇さえ無かったのだ
今は大分国力も戻り漸く時間が出来ていた
小さな木の通り道を抜けると、城の裏手に出る
「あとは、堂々と入ればいい」
暫く歩いていると、バレスと数日前に通った町の入り口があった
「前はゆっくり見れなかったからな・・」
町の一つ一つを丁寧に案内する
中にはバレスの存在に気づき礼をする者も居たが、隣のウェンドには何も言わなかった
バレス自身、国民によく接する国王のために誰も不審がらないのだ
「あ、あれ」
ウェンドが声を出す
視線の先を見ると、破壊されたこの街の傷跡が残っていた
「酷い・・」
悪魔の手によって破壊された民家の一つは、瓦礫の山と黒い焦げた物で埋まっていた
ウェンドがその家の前でしゃがみ込んだ
「時々、怖いことがあるんだ」
その口から弱々しく声が漏れる
「こんなに酷い事を出来るのは、僕も同じなんだって事が怖い」
「・・ウェンドは、そんな事しない」
「・・・・・・うん」
目の前にあるこの悲しげな傷跡は事実なのだ、目を背ける事だけはしなかった
「それに悪い事ばかりじゃない、確かにこれを見るのは誰だって辛い・・けどな、これを見て
こうならないようにって皆頑張れた、だから今この国があるんだ」
「バレス・・・」
「けど、そろそろこれも片づけ時かも知れないな・・この国は元の姿に戻るんだ、元の国にこんな傷跡は無い」
その言葉に、ウェンドが立ち上がりバレスの方を振り向いた
「そうだね、元通りになってもこれがあったら・・悲しいもん」
「その通りだ」
バレスが歩きはじめると、ウェンドがその横について歩いた
この国の良い所をもっと知ってもらいたい
それがバレスの今の想いだった
一通り街中を見て周り、日も暮れはじめると二人は城へと来た時の様に裏口を使って戻った
幸い大きな事も無く小言を言われずに済んだ事に一安心する
部屋に戻ると、部屋の前に料理の入った台が置かれていた
バレスを気遣っての事だろうか、部下の気遣いに心が安らいだ
周りに誰も居ない事を確かめてウェンドを部屋に入れる
ウェンドに宛がわれている部屋もあるのだが、この城の中でウェンドを一人にするのは危険だった
ウェンドもそれは分かっているのか、あえて何も言わずにバレスに促されるままに部屋に入る
元気な姿に戻ったウェンドは、その夜バレスと他愛ない話をしながら楽しく夕食を取った
世界が完全に闇に包まれると、バレスは昨日の様にソファーで寝ようとしてしまう
「傷は治ったんだから、バレスがベットでいいよ」
そうは言ったのだが、バレスは譲ろうとせずにソファーの上から動かない
暫く考えたウェンドは、別の提案をした
「じゃあ、一緒に寝る?」
数秒の間固まっていたバレスだったが慌てて正気に戻ると、二つ返事でウェンドの居る布団へと入った
自分以外のぬくもりのある布団の感触、遠い昔をバレスは肌で感じていた
母の胸に抱かれて眠っていたのはまだまだ子供の頃であった
自分に背を向けて横になっているウェンドの背中に、手を伸ばす
「・・バレス?」
不審そうに声を出すウェンドの身体を抱き締める
「すまん、もうすこしだけこのまま・・・・」
そう言うと更に強くウェンドを抱き締めた
廻されている腕に、ウェンドも手を合わせていた
廻されている腕に、密接している身体に、あたたかさを感じていた
眠い目を無理矢理にでも開ければ、豪華な造りの成されている壁が見えた
大きな腕の縛りに多少逆らいながらも振り返ると、眠る獅子の顔が其処にあった
起きる気配が無いのを確認すると、身体中に闇の魔力を蓄える
朝はこうしていないと上手く行動する事が、ウェンドは出来なかった
ヴァンは平気なのかと訊いた事もあったが、本人は眠っていてもそれを行えるらしく
初めて聞いた時はヴァンの才能に少しだけ嫉妬したものだった
今では、その満ち溢れる力にただ驚嘆する事が多い
自分を抱いたまま眠るバレスを起こさない様に暫くじっとしたままでいたが
不意に、その目が開かれて慌てて魔力を身体から消し去る
例え魔力を集めているところを見られようが、バレスは何かを言ったりする事は無いだろうが
無理に彼の思い出したくない記憶を思い出させるのは、気が引けた
「おはよう、バレス」
まだ半分は眠っている状態のバレスに、朝の挨拶をする
「・・・・・おはよう」
働かない脳を懸命に動かして、バレスはどうにか答える
次の瞬間には目を見開き飛び起きると辺りを見渡す
一頻り辺りを見渡すと、昨晩の事を思い出したのか動きが止まる
「そういえば一緒に寝た・・んだよな」
照れ臭そうに頭に手を乗せる
その様子を、ウェンドが見て笑っていた
バレスの部屋の扉が静かに開かれる
程無く其処からバレスの顔が飛び出し、周辺を警戒する
「・・行こう」
素早く出ると、中に居るウェンドを呼び寄せる
同じ様にウェンドが出てくると、部屋から勢い良く飛び出す
飛び出した拍子に躓き、その身体が一気に傾いた
「わわっ!?」
床まであと僅かというところで身体の動きが止まる
「そう焦るなって、いくらなんでもそんなに早く人は来ない」
ウェンドの身体に素早く手を回し、救い上げる様にその身体を掴み取る
「あ、ありがと・・」
抱え上げられて立たされると、ウェンドが礼を言う
目を合わせると、少しだけ微笑んでからバレスが城の入口までの道を歩きはじめる
その後ろをウェンドもついて歩いた
城の入口へ向かう、正面から出るのは兵士長の目に触れるため出来れば避けたいのだが
何も無いままウェンドを行かせては、兵士長は納得しないのだろう
門までやってくると、警備に当たっていた兵士が二人の前に集まり敬礼する
その中に、兵士長の姿もあった
バレスの後ろに居るウェンドは、気まずそうにその姿を見ていた
兵士長の方はというと、ただバレスの顔を一心に見つめていて
見つめられているバレスは居た堪れない表情をしていた
「警備、ご苦労」
歩みを止め兵士長の瞳を見つめて、バレスが労いの言葉を掛ける
「・・はっ」
兵士長の短い返事を聞くと、再びバレスは歩き出す
暫く歩くと、バレスが息を吐いた
「大丈夫・・?」
後ろに居たウェンドが横に移動して問い掛ける
「ああ、だが戻ったらなにを言われるやら」
すっかり元気を無くした様に呟く
「平気だよ、兵士長さんはいい人だから」
その言葉にバレスが立ち止まりウェンドの顔を見つめる
「本気で言っているのか?」
治ったとはいえ胸の傷を広げられておいてまさかそんな台詞を言えるとは、バレスは思ってもみなかった
「だってバレスの事ずっと心配してたから・・きっとすごいバレスが大事なんだと思うよ」
「俺が、大事・・・」
確かに昔から兵士長は何かと自分に気を遣ってくれていた
それは自分の身分が王子という事が大きいと思っていたのだが
「バレスをこれ以上悪魔と関わらせる事はできないって言ってたから
バレスが嫌な思いをしないようにって、そう考えてたんじゃないのかな?」
「そう・・・か」
悪魔がこの国から去った直後の事を思い出す
バレスが戻り、国民は希望を取り戻したが
しなければならない事は山ほどあった、多忙なバレスの手助けをしていたのは兵士長だった
何時もその姿が傍にあり、バレスは絶対の信頼を寄せていた
やがて国が軌道に乗りはじめると兵士長は何時の間にか兵士の一人として働いていた
其処から今の様な豊かな国に戻るまでは、一瞬の出来事だった
実際には数年の時を要していたのだが
多忙に次ぐ多忙で、気がつくと今の状態になっていた
兵士長の今の地位も、気つかぬ間に与えていた物だった
それでも腕だけは確かだと信じていた
兵士長がウェンドに剣を振り下ろした時、咄嗟にバレスは庇ったが
あの時下手をしていれば腕は切断されていただろう
殺意の塊だった兵士長に、バレスが間に入った事で何かが邪魔をしたのだ
でなければ、今頃自分の腕は切断されていた
例え切断をされていたとしてもヴァンなら直せていたのであろうが
街の中を歩いた、国民はバレスの姿を見ると丁寧に挨拶をして道を開けた
「頑張ったね、バレス」
その様子を見て、嬉しそうにウェンドが声を出す
「皆の力だ」
あの時は、バレスが戻った時には
破壊された街並みを見て、誰もが溜め息を吐いたものだった
長い年月が掛かったが、その町も今ではほとんど元通りになり
初めの内は目立たなかったあの悪魔の傷跡が、今では逆に目立つまでになっていた
それでもこの傷跡を撤去しなかったのは、これを見て国民や自分自身さえもが
悪魔に怒りを覚えると同時に、こんなところで諦めたりはしないという思いが湧き上がるからだ
その怒りも、もうこの国には必要無いのかも知れないとバレスは思った
誰もが笑っているのだ、其処に怒りという感情の入る余地など無いのだろう
今となっては、この傷跡を見ても寂しい想いが浮かぶだけだった
町の入り口に漸く辿り着く、辺りに人影は一つも見当たらず
ウェンドとバレスだけが大きな入口の近くに立っていた
「ここまで・・かな」
一歩だけ前に出たウェンドが呟く
「・・・・そうだな」
「お別れだね、もう」
振り返ったウェンドの表情は、何処か寂しそうだった
「なぁ・・ウェンド」
「なに?」
名前を呼ばれて、その表情が少しだけ変化する
「俺、知らなかったんだ・・ウェンドみたいな悪魔がいる事に」
「僕みたいな悪魔?」
「悪魔にだって、良い奴はいるんだなって事・・今まで、悪魔なんて暴れる事だけが好きな
それこそ誰かを殺したりする事にしか興味が無い種族だと思ってたんだ」
それはあながち間違いではなかった、現にヴァンは戦いを好んでいるし
戦闘となれば、本意ではないにしろウェンド自身もかなりの力を持っている
「だけどそうじゃないんだな・・・ヒトに良い奴や嫌な奴がいるのと同じ様に
悪魔にだって良い奴はいるんだ、いて当たり前なんだ」
ウェンドは、何も言わずその言葉に耳を傾けていた
「おかしいよな、こんな簡単な事にも気づけないなんて」
全てを知っている訳でもないのに、自分がそう決めつけていたのが
今更ながらバレスは恥ずかしかった
「でも、やっぱり仕方ないよ・・例えそうでも
悪魔がバレスの国を滅茶苦茶にしたのは事実だから」
「わかっている、ウェンドみたいな悪魔がいるから全ての悪魔が安全だとも思っちゃいない」
ウェンドに安心する事が出来ても、やはり今は
悪魔という言葉を聞くだけで恐怖もまた浮かんで来ていた
「けれど俺は逢えたんだ、ウェンドに・・・良い悪魔って奴に、だから俺は悪魔の全てを否定はしない」
少しだけ、ウェンドが照れた顔をする
「城に戻ったら兵士長と話をしてみる、きっと兵士長だって良い奴のはずなんだ」
「・・・頑張って、バレス」
「ウェンドも、な」
「また来るよ、絶対に」
「その時は、前より良い国になったって言わせてやるさ」
バレスが笑った、無邪気な子供の様だった
それと同じ様に、ウェンドもまた笑っていた
「またね・・・バイバイ」
「・・ああ」
その言葉を区切りに、ウェンドが歩き出す
初めて会った時は子供と変わり無いとさえ思ったその姿が、今はとても強く勇敢に見えた
途中までその後姿を見つめていたバレスが、振り返ると町の中へと消えて行った
その頃門前では、バレスとウェンドを見送った兵士長が壁に寄り掛かり複雑な表情をして悩んでいた
バレスの言う通りやはり自分は変わってしまったのだろうか
それは未だに分からなかった、それでも例え変わってしまったとしても
自らの主君を大事に思う気持ちだけは本物だと言えそうだった
其処まで考えると、不意にバレスに会いたいという気持ちが溢れ出した
「兵士長!」
その俯いていた兵士長の耳に、あの声が聞こえた
「バレス・・様?」
慌てて視線を向ければ、自分の方へと走って向かってくるバレスの姿が見えた
全力で走って来たのか目の前まで来ると多少息切れを起こし、暫く息を整えていた
「兵士長、話したい事があるんだ!」
面を上げてそう言ったバレスの表情は見送った時とは明らかに違っていて
昔の笑っていたバレスと同じ顔をしていた
「それで、どうなったんだ?」
「え、どうなったって?」
長い長い街道のその途中
自分の横を歩くウェンドに、ロックが尋ねる
「だからよ、その後の国の事とか兵士長と国王の事だ」
結局、結末がどうなったのかまだウェンドから聞いていない事になり
ロックが質問を投げ掛ける
「ああー・・」
納得した様にウェンドが頷いた
「滅んだりしてねえよな?」
心配そうに問い掛ける
「・・・どうなったんだろう?」
その言葉を聞いて途端にロックの目か白々しくなる
「・・・・・・・薄情すぎないか?」
「ち、違うよ!行こうと思ってたんだってば!」
手をばたつかせて慌ててウェンドが弁解する
「ほんとかよ・・」
疑り深そうに、横目でウェンドの慌てた顔を見る
「ほんとだってば!ほらアレ!」
ウェンドが指を差した方向には、立派な城とその周辺に町が佇んでいた
「・・・嘘だろ?」
信じられない様にウェンドへと視線を戻すのだが、その顔は真剣な表情をしていて
「ウソ言ってどうするの!ほら早く早く!」
走り出して手招きするウェンドに合わせて、ロックもまた走りはじめる
一年前、遠くからでも見えていたあの悪魔の傷跡はもう視界の何処にも映らなくっていて
あの時よりも、更に大きくなった街並みが其処には確かにあった
黒天使外伝・ある国王の憂鬱 完