ヨコアナ
ある国王の憂鬱・上
昼間のまだ明るい道を、一人の王族の男が走っていた
優雅な鬣を蓄えている獅子族のものであった
その後ろには数匹の魔物の群れが距離を置かず追って来ていて
今、その魔物達から逃れるために必死に男は走っていた
走っていたその足が何かに躓き勢い良く転倒する
短く悲鳴を上げたが、素早く身体を起こそうとする
しかし、起きるよりも早く既に自分の周りは魔物に取り囲まれていた
「・・これまでか」
観念した様に男は上げていた手を下ろした
目の前の魔物達は久しぶりのご馳走だとでも言いたいのだろうか、涎を垂らして男に近寄りはじめる
その内の一匹が素早く飛び掛る
反射的に男は目を瞑った
だが、飛び掛った魔物が男に触れるよりも早く
男と魔物の間に黒い稲妻が突き刺さった
それを見た魔物達は恐れをなしたのか一斉に逃げ出してしまう
何が起こったのか分からない男は、ただ呆然とその様子を見ていた
魔物の立ち去った後に取り残された男の元に一人の少年が近づいた
「大丈夫ですかー?」
何処か気の抜けた声に緊張感が途切れた
「あ、ああ・・・ありがとう」
差し出された手を取り起き上がると礼を言う
「この辺は危ないから気をつけないとダメですよ」
「・・・そう言う君は平気なのか?」
目の前には、明らかに自分よりも頼りがいの無い紫の毛色を持つ狼族の少年の姿があり
この少年が先程の稲妻を使ったのが想像出来なかった
「僕、少しは強いから」
そう言って笑う顔はその辺にいる子供と何も変わらなかった
その顔を見て思わず獅子の男も顔が綻ぶ
「・・名前はなんと言う?」
「名前は、ウェンド・・です」
男の何処か高貴な感じを滲ませる態度に押されて、口調が敬語に戻る
「俺はバレスと言う、よろしく」
「よろしく・・・えーっと・・バレスさん?」
「バレスでいい、命の恩人だ」
命の恩人と言われて、ウェンドが恥ずかしそうに俯いた
「恩人だなんて・・それで、バレスはなんでこんなところに?」
「・・・少し、外の空気が吸いたくなって」
「外?わざわざこんなところまで来なくてもいいんじゃ?」
バレスの妙な答えにウェンドが疑問を口にする
「いや・・その・・・・あそこは窮屈なんだ」
「バレスの住んでるところは狭いの?」
「いや、広いんじゃないかな・・・」
益々訳が分からなくなりウェンドが混乱した顔になる
「気にしないでくれ・・それよりウェンドは何故ここに?」
強い力を持つとはいえやはり子供だ、迷子になっているのかも知れないとバレスは考えていた
「ちょっと旅をしてて・・・それでたまたま通りかかったらバレスが」
「旅・・・?一人でか?」
「うん」
即答するところを見ると嘘は言っていない様で、思わずウェンドの姿を再度確認する
やはり何処を見ても、普通の子供と変わりない格好だ
その顔にもまだあどけなさが残る
「それよりバレス、この辺で町ないかな?今日はもう疲れちゃって・・・」
魔法を使ったせいもあるのか、途端にウェンドが疲れた顔をする
「町ならそこに小さいけど俺・・・じゃない、町があるぞ」
途中の部分が声が小さくなり聞き取れなかったが、疲れているウェンドは気にも留めていなかった
「本当?よかった・・・今日はそこで寝よう」
「・・俺もこれからそこに行くから、一緒に行こうか?」
「いいの?」
「命の恩人、だからな」
「ちょっと照れるなぁ・・・」
照れ隠しに頭に手を乗せながら、ウェンドが笑みを洩らす
久しぶりの外を、バレスは楽しんでいた
ウェンドが隣に居るからなのか、先程の魔物達ももう襲ってくる事はなく
二人は無事に町へと辿り着いた
遠くに薄らと城が見えて、それを指差してウェンドがはしゃいでいた
「ここは小さいけどちゃんとした国でな、活気もあるし中々良い国だ」
「詳しいの?」
「・・まあな」
先程からバレスの言動がおかしいのに、ウェンドは薄々気づいていて不思議そうにその顔を見つめる
「あ、すまない今から少し用事があるんだが・・ここで待っててくれないか?」
町の広場へと着くと、ウェンドがその事を質問するより先にバレスが口を開いた
「いいけど・・・?」
「すぐ終わる」
そう言うとバレスは、町の城のある方へと一直線に走ってゆく
向かう先に居る町の住民がそのバレスを避けていたのは見間違いなのだろうか
とにかくウェンドはバレスを待つ事にした
広場に備えつけてある椅子に座り辺りを見渡す
綺麗に掃除されていて、それでいて人も居る
説明されなくとも、良い国だという事がありありと伝わってきた
暫くぼんやりと人の動きを見ていたのだが
徐々に人々が広場へと集まりはじめているのをウェンドは感じた
「・・・お祭り・・・・・?」
人々の顔は暗いというよりはずっと明るく、これから起こる事を待ち望んでいるかの様だった
突然広場にけたたましい金管楽器の音が鳴り響く
その方向へ顔を向けると、鎧を着込んだ何人もの兵士の姿があった
兵士達が徐々にこちらへと向かってくる、その道筋にある者は全て道を開けた
行進を興味本位で見つめていたウェンドだが、ふとその中にある人物を見て目が点になる
「あれ、バレス・・・?」
見間違いではないかと、よく見てみるがやはりそれは先程魔物に襲われていたバレス本人であった
「バレス様万歳!」
「バレス様!」
加えてこんな声援が民衆から飛び出ては間違い様が無い
先程までの服もかなり上等な物だとウェンドは思っていたが
今バレスが見に着けている物は周りの兵士よりも豪華な装飾が成された鎧だった
獅子のその圧倒的な威厳と合わさり、広場に居た全ての者はそれに見惚れていた
声援が聞こえた方にバレスが顔を向けると笑顔を見せる
それでまた歓声が一段と強くなった
その行進が広場の中央で綺麗に止まり、守られていたバレスが一歩前に出る
同時に今までの歓声は止み広場は静寂に包まれた
バレスが深く息を吸う
「すまない、今日はいつもよりも数十分の遅れを取ってしまった」
最初に、遅れた事を詫びたのだった
民衆のほとんどはその様を見ても気にもしていないのか、ただバレスを見続けていた
「だが私の意志をどうか軽く見ないでほしい、決して悪魔に屈しない事、悪魔を倒すという事を
あの日私は誓った・・・私の父と母が悪魔に殺された日、必ず皆を悪魔・・いや、全てから守ると」
それでまた広場に歓声が戻った
その様子をウェンドが呆然とした顔で見ていた
一通りの事を話し終えると、バレスは振り返り歩き出す
周りに兵士が素早く集まりそのまま城の方へと軍団は姿を消していった
王を祝福する歓声が、何時までも聞こえていた
ウェンドは迷っていた
どうやら、この国は他の国よりも悪魔に対して傷が深い国らしい
国王が主導者である事から国民もかなりの悪魔嫌いなのだろう
そんな所に、悪魔のウェンドが居るのは危険だった
しかしこの近くに他に町や村は無い様で、疲れているウェンドは中々踏み出せずにいた
「ウェンド!」
その背中に、広場でさっきまで聞こえていたあの声が聞こえた
「バ・・バレス」
その姿はもう着替えたのか、初めて会った時の物になっていた
「見てくれてたか?」
「うん・・・バレスは、王様だったんだ」
「すまない、少し驚かしてやろうと思って・・どうしたんだ?」
ウェンドから発せられる暗い雰囲気に、バレスが問い掛ける
「バレスは、悪魔が嫌いなの?」
「・・・ヒトは皆悪魔が好きではないはずだが・・・ウェンドは好きなのか?」
「そういう訳じゃないんだけど・・」
「この国は大半の国民が悪魔によりなんらかの影響を受けている、それは俺も例外じゃない
両親を殺した悪魔を俺は許さない・・・この国の皆も俺について来てくれている」
誇らしげにバレスは語った
それが余計にウェンドを困らせる事に気づかずに
「そうだ、一度城に来ないか?命の恩人に礼がしたいんだ」
「え、でも悪いよ・・」
「・・急ぐ旅じゃないのなら、来てくれないか?」
どうも懇願する様なその様子に、ウェンドは渋々ながらも承諾する事になる
自分が悪魔だという事を未だ隠したまま
城の門へと案内されると、閉じられていたその大きな門が開く
「バレス国王のお帰りであられる!」
見張りの兵士が大声を上げると、あちこちに散っていた兵士が集まりバレスに敬礼をした
「バレス様!」
その中から兵士長の男が前に出た
「今、帰った」
バレスが小声で話す
「はっ、・・・横の者は何者でしょうか?」
バレスの横に居るウェンドを怪しげに見つめていた
その視線にウェンドが困った様に苦笑いを零す
「そう睨みを利かすな、私の命の恩人だ」
「命の恩人・・・失礼しました」
それを聞いて、慌ててウェンドに頭を下げる
「礼をしたくて無理を言って来てもらった、無礼の無いように頼む」
それだけ言うとウェンドの手を引き門を潜って奥へと進む
「引き続き見張り再開!くれぐれも怠るなよ!」
後ろから兵士長の元気な声が聞こえた
城に入り誰も居ない廊下まで来るとバレスが肩を降ろす
「疲れるもんだ、王ってのも・・・」
姿勢を少し崩して更に歩き出す
「大変なんだね王様も・・・」
国の事に詳しくないウェンドにとっては
王という者は単に王座に座って居るだけだと思っていた
「父さんが悪魔に殺されて、第一王子の俺が王に・・・あっというまだった」
苦々しい顔をして吐き捨てる様にバレスが言う
その顔をウェンドは複雑な表情で見つめていた
歩いていると一つの部屋を見つける、その部屋の前にも兵士が居た
「おかえりなさいませ、バレス様」
「ああ」
短く返事をすると扉を開いて中に入る
此処に居るのは王族とそれに仕える者、それと客人だけなのか
今度はウェンドも何も言われずに通る事が出来た
中に入ると更に別の部屋へと通じる扉が幾つかあった
「迷いそう・・・」
その言葉にバレスが微笑んだ
「最初は俺も迷った」
そのまま一つの扉を開く
「元は父さんの部屋なんだが今は誰も使ってなくてな・・・好きに使うといい」
通された部屋には大きめのテーブルと椅子、それに窓があり
近くにはこれまた大きな寝床が用意してあった
「すごい・・・」
思わず感嘆の声が漏れてしまう
「礼をすると言っても俺にはこれくらいしかできないしな・・・今日はここで寝てくれ」
「でも僕、お金とか無い・・」
「命の恩人に金なんか要求しないさ」
そう言ってウェンドをその場に残しバレスは部屋の入り口へと戻る
「俺の部屋は隣だから、なにかあったら来てくれ」
「あ、バレス」
その背中をウェンドが呼び止めた
「なんだ?」
「いいの?王様が関係無い人をこんなところまで通して・・・」
「国王が決めた事だ、誰も文句は言わん」
「でも、もしも僕がバレスを殺しに来たような人だったら?」
その言葉に、バレスが暫く考える
「だったらあの時見殺しにしてただろ?それを助けてくれたじゃないか、命の恩人以外の何者でも無い」
「・・ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ」
そうして漸く、バレスは部屋から出て行った
ウェンドは部屋の窓を開け、外を見る
綺麗な街並みが一望出来た
だが、その中に幾つかの建物の壊れた残骸を見つける
「あれって・・・・・・」
それは、この国の傷跡
悪魔の残した傷跡だった
ウェンドが窓から見える傷跡に目を奪われていたその瞬間
隣の部屋では、バレスが椅子に腰掛けていて
目を瞑って腕を組み何かを考えていた
「俺は、強くなれたのかな・・」
思い出すのはあの日の事ばかりだった
その日、まだ王子の身分であるバレスは近くの森へ狩りに来ていた
「バレス様、あまり遠くへ行かれると危険です」
「平気だって、心配性だなお前は」
其処に居るのはバレスと、バレスの付き添いの者だけだった
狩りに夢中になっていたためか、何時の間にか空は夕焼けに染まっていた
「夜には国王様お后様との久しぶりの晩餐ではございませんか、そろそろ戻らないとまた小言を言われますよ」
「あ、そういえばあれは今日だったっけか・・・?不味いな、前々から約束してたし帰らないと」
「さあ、もう帰りましょう」
付き人に帰りの道を案内されて森を戻る
「・・・・あ、あれは!」
二人の上に黒い影が通る、空を見上げると其処には幾人ものヒトの形をしたものが飛んでいた
「あ、悪魔・・・・・国の方へ!?」
その悪魔達が一直線に国へと飛び去って行く
幸い二人は木に遮られて見つかる事はなかった
「急ぎましょう」
其処からは一気に二人とも走り出す
呼吸がまともに出来なくなる頃にどうにか国へと辿り着いたが
其処には出掛ける前までの美しい国の姿は何処にも見当たらなかった
「そんな・・・・」
バレスが呆然とした様に呟く
「バレス様!急いで城へ!」
その言葉に我に返ると再び走り出す
城も、町と同様に外壁が壊され門の前には幾人もの兵士が倒れていた
「大丈夫か!?」
倒れている兵士の身体を揺さぶるが、既に息をしていない様だった
「バレス様・・・・」
付き添いの者が後ろから声を掛ける
「ここで止まっている暇はありません、国王とお后様の元へ・・・」
立ち上がると、何時の間にか流れていた涙を乱暴に拭い再びバレスは走り出した
この国の王とその后、両親の元へ向かって
その道の途中で倒れている兵士を見ては心を痛めながらも、バレスはついに王座の間へと辿り着く
しかしその部屋は既に血の海と化しており、王座へと続く道には自分が見知っていた母親が倒れていた
「母上!」
その身体を抱き締める、身体中から夥しい血が流れていてもう助からない様だった
「バレス・・・よかった、無事だったのね」
「一体、なにが・・・」
「悪魔が来たのよ、まだ近くに居るかも知れない・・・早く逃げて」
「そんな、母上を置いてなんて・・」
「もう私は助かりません、自分の事は自分でよくわかるのです」
そのまま王座へ視線を向けると、国王の父親も血塗れで王座に座っていた
父親の方は既に事切れていて、虚ろなその目がただ下を向いていた
「父上は・・・」
「とても・・勇敢だったわ、どんなに迫られても決して屈しなかった」
「・・・・」
腕の中の母親から、何処か笑っている様な印象を受けてその顔にバレスは釘付けになる
「勇敢な人・・・貴方もその血を引いている・・・決して負けないで」
その手が、バレスの頬に触れた
「母上!」
「・・さようなら、私のバレス」
頬に触れた手が、糸が切れた様に身体の上に落ちた
「あ、ああ・・・・うああああああ!!!」
部屋にバレスの叫び声が響き渡る
入り口には此処まで自分と行動を共にしていた付き添い人が声を殺して泣いていた
その後、一度バレスは身を潜め悪魔は諦めて国から手を引いた
生き残った国民と兵士は絶望感に包まれていたが
再びバレスが現れた事により希望を取り戻し、国は急速に国力を蓄えていった
たった数年の間に今の様な元に近い国に戻ったのだ、それがヒトの力だった
そしてバレスは一つの決意をする事にする
決して負けないと、悪魔にも、この国の国民を苦しめる全ての事にも
それがバレスの誓いだった
「・・・・もうすぐこの国も、あの頃の姿を取り戻せる」
あの時自分の付き添いをしていた者は、今は兵士長を務めるまでになっている
門前でウェンドを睨みつけた彼こそがその付き添い人だった
「必ずこの手で悪魔を・・・・」
その心には、固い決意があった
立ち上がり窓から外を眺める
所々にある傷跡、これは決してあの時の事を忘れない様にとあえてそのままにしてあるのだ
この風景を見る度身体にあの時の痛みが湧いてくる
だが同時に闘志も湧いてきていた
一頻りの景色を見終えると窓を閉じる
その時部屋の扉が叩かれ、バレスは振り返った
「誰だ?」
「バレス様、兵士長からの伝言です」
「入れ」
「失礼します」
扉が開くと、其処には何時も見ている兵士の中の一人の顔があった
「伝言とは?」
「はい、それが・・先程バレス様がお連れになられた方についての事です」
「・・・ウェンドがどうした」
「なんでも今日の事、街道に怪しげな黒い雲が突如現れ
そこから黒い雷を見たという目撃証言がいくつかありまして」
「・・・・・」
「兵士長はそれを悪魔の仕業ではないかと思っておられるようです」
それで思い出した
あの時、ウェンドが放った雷は確かに黒い雷だった事を
「それと・・ウェンドのなにが関係しているんだ」
「見た事も無い黒い雷、そして見た事も無い少年・・・・兵士長は、そう言っておられました」
「・・・・下がれ」
「はっ」
そうして兵士は素早く立ち去る
再び椅子に座り考え込んでしまう
ウェンドが悪魔だと言われ、それはありえない事だと思った
見掛けはどう見ても子供なのだ
しかしウェンドが使ったあの黒い雷、確かに今まで見た事も無い魔法だった
ふと、以前本で闇魔法について読んだ事を思い出す
闇魔法は生まれ持っての素質のある天才か
悪魔にしか、上手く使いこなす事は困難だと
「まさか、あれが闇魔法だと言うのか・・・・?」
だとしたらウェンドは天才か
それとも、悪魔なのか
答えを知りたくてバレスは部屋を出た
ウェンドはベットに寝転がっていた
窓から見えた傷跡、あれは確かに悪魔の仕業によるものだった
どうやら思っていたよりも深く、この国には悪魔に対する恐怖と憎悪が渦巻いてるらしい
あまり長居はしていられない様だった
「ウェンド、起きているか?」
扉からバレスの声がして、ウェンドが起き上がる
「・・・起きてるよ」
「入るぞ」
部屋の扉が簡単に開けられる、元より内から鍵を閉めても鍵はバレスが持っているのだろうが
「どうしたの?」
ベットから立ち上がると微笑んでウェンドが問い掛ける
その顔をバレスはまじまじと見つめていた
「あ・・・その、夕食はなにがいい?」
聞こうとしていた事とはまったく違う事が口から出てしまう
「え、夕食?」
その言葉にウェンドの顔が更に笑顔になる
それでもうバレスの本来の目的である質問をする気力は完全に無くなってしまった
「希望の物があればできる限りは作らせるが・・・・」
「僕、お城の食べ物って食べた事無いからいつも出されてる物が食べてみたいな・・」
嬉しそうに料理について語るウェンド
その様子を見てバレスは完全にウェンドが悪魔だという考えを捨て去った
こんなに無邪気に笑うウェンドが悪魔な訳がないと、兵士長の杞憂だと思った
「でもいいの?そんな・・ご飯までご馳走になって」
「礼がしたいんだ、なんたってお前は俺の」
「命の恩人、だから?」
「・・そういう事だ」
お互いに笑い合う
バレスの中で、ウェンドに対する新しい気持ちが芽生えはじめていた
「うわぁ・・」
目の前に並べられた料理の数々に思わず溜め息を吐いてしまう
どれを取っても日頃自分が食べる機会などまったく無い物ばかりだった
「遠慮無く食べてくれ」
席に着いていたバレスに促されウェンドも席に座る
部屋も綺麗なものだった、まだ両親が居た頃は此処で親子仲良く食事をしていたのだろう
それを考えると何だか居た堪れない気分になってしまう
「どうした?口に合わなかったか?」
「あ、そうじゃないよ、うんおいしい!」
慌てて料理を口に運ぶが、その余りの美味しさに思わず驚いてしまう
「そうか、よかった」
ほっとした様子のバレスに、ウェンドはまた微笑む
穏やかな時が流れていた
食事も終わり、料理の片づけられた食堂でバレスとウェンドは話し合っていた
「ウェンド、明日にはもうここを出るのか?」
「そのつもりではあるんだけど」
「そうか・・・まあ、今日はぐっすり寝てくれよ」
少し寂しそうにバレスは微笑む
国王である彼にとって、この様な話をする相手を見つける事さえ難しいのかも知れない
だからこそ、外の空気を吸いたくて城を飛び出したのだった
魔物に追われるという散々なものにそれは終わったが
「バレス」
ウェンドの思い切った顔に、思わずバレスが怯んだ
「なんだ・・?」
「やっぱり悪魔は嫌い?」
「・・好きにはなれない、なんでさっきからその事ばかりを聞くんだ?」
「別にそればかり聞いてる訳じゃ・・・」
「悪魔はこの世界に住むヒト全てに害を及ぼしている、嫌わない理由なんてどこにも無いじゃないか・・・」
「そうだよね、ごめん・・」
そう言うとウェンドが立ち上がる
「ごめん、お腹いっぱいになったら眠くなっちゃった・・・おやすみなさい」
自分に宛がわれた部屋へと走り出すウェンド
部屋に入りベットに腰掛けた
「悪魔・・・・か」
その手に黒い光が集まりはじめる
「明日になったら、もう出よう・・・・」
ベットに身体を沈めると、そのまま目を瞑りウェンドは眠りについた
バレスとウェンドの部屋へと続く空間
その中にある階段を上って出る、部屋の窓よりもずっと広く町を見渡せる場所
バレスは屋上に居た
「やっぱり、お前は悪魔なのか?ウェンド・・」
悲しそうなウェンドの顔を思い出す
だとしたら、自分は酷い事を言ってしまった事になる
「ウェンドが悪魔なら・・・・ウェンドは、父さんや母さんを殺した悪魔と一緒って事なのか?」
そう言葉にしてみても、不思議とウェンドに対する怒りはほとんど湧いてこなかった
あるのは、あの笑顔を見て自分の心が安らぐ想いだけだった
昔両親に言われた事を思い出す
母は誰かを愛しなさいと言っていた
愛する事で強くなれるから、傷つく事もあるけれど誰かを愛する事はとても大切な事だと
父は憎しみの上に立つ正義は正しい正義では無いと言っていた
復讐の力は大きなものだが、何時か自分もその復讐の対象になると
「どうすればいいんだ・・」
ウェンドは自分の命の恩人である
しかしそのウェンドがもしも悪魔だったら、そう思うと
胸の内にまた痛みが甦る
それと同時にウェンドに対する淡くあたたかな気持ちも溢れた
考え事に夢中になっていると、後ろに気配を感じて振り返る
何時の間にかその場には数人の男が立っていた
「・・誰だ」
「お前が、バレス王だな?」
「・・・・そうだと言ったらどうする?」
「悪いが死んでもらう」
そして、バレスに刃が襲い掛かった
燭台の倒れる音がしてウェンドは目覚めた
「・・・・なんの音?」
窓を開けていたおかげでその音が聞こえた
音は、上の方から発せられていた
「屋上?」
確か、バレスが屋上があると言っていたのを思い出す
嫌な予感がして部屋を飛び出す、床に真新しい泥の跡を見つけてそれが続く階段へと走った
階段を上り扉を開けると屋上に出る
視界に飛び込んできたのは、今にも刃で切り裂かれそうになっているバレスの姿だった
「バレス!」
ウェンドが叫ぶ、その声でバレスの周りに居た全ての男達の目がウェンドに向けられた
「ウェンド、来るな!」
そうバレスが止めるも、ウェンドは止まらずバレスの方へ走りながら魔法を唱えた
咄嗟にバレスの周りに居た男達が飛び退く、数秒前に居たその場所にウェンドの放った魔法が渦巻いた
「大丈夫?」
バレスに駆け寄り身体の様子を見るが、幸い浅い傷のみで何処も大きな怪我を負ってはいなかった
「逃げろウェンド、今度のはあのモンスターみたいな奴らじゃない・・・」
「これはまた可愛らしいボディーガードをお付けになるのですね、バレス王」
男の一人が刃物を持ってウェンドに近づく
「やめろ!こいつは関係無い!!」
バレスが必死に叫ぶ
もう、自分の大切なヒトが居なくなるのは嫌だった
しかしその言葉を無視して、男がウェンドに走り寄る
「ウェンド!」
二人がぶつかり合う、次に倒れていたのは屈強な男の方だった
ウェンドのその手に黒い禍々しい煙が集まっていた
「貴様・・何者だ」
男の一人がウェンドに問い掛ける
ウェンドはただ静かに沈黙を守っていた
それに痺れを切らしたのか更に別の男が斬りかかる
一撃目をかわして再び魔法で応戦しようとしたが、その攻撃はフェイントであり
本当の攻撃は後ろに隠し持っていた武器だと気づいた瞬間には、ウェンドの胸は一突きされていた
「・・あ・・・・」
男が刃物を抜き飛び去る
ウェンドが胸を押さえて崩れ落ちた
「ウェンド・・・?」
ウェンドにバレスが走り寄る、その腕にウェンドを抱えた
その姿があの時の腕の中に居た母親と重なっていた
「ウェンド、死ぬな!」
必死に叫ぶが、ウェンドの身体の熱が少しずつ下がりはじめるのを感じていた
胸から溢れ出す血は辺りを少しずつ、赤い色に染めていた
「邪魔者は消えた・・・覚悟しろ、王!」
ウェンドを刺した男が再び斬り掛かる
バレスはただ、腕の中のウェンドを守る様に強く抱き締めた
身体に鋭い痛みが走るはずだった
しかし、叫び声を上げたのは自分達に向かって走り出した男の方で
言葉に出来ない様なおぞましい叫びを上げて男は倒れる
何が起こったのか、バレスも敵の男達も分からなかった
ふと腕の中のウェンドの熱が戻りはじめているのに気づく
「ウェンド!」
その顔を見下ろす、徐々に目が開かれる
赤い色の瞳と、目が合った
「ウェンド・・?」
何処か今までのウェンドとは違うその圧倒される威圧感に、バレスがウェンドの名を呼ぶ
「・・・無茶をするなと言っただろうに」
バレスの腕を振り解くと、その身体は立ち上がる
「ウェンド、身体はもういいのか?」
「俺はウェンドじゃない、ヴァン・・と言う」
「ヴァン・・・?」
「説明は後だ」
そう言うとヴァンの手に黒い煙が集まりはじめる
「少々お遊びが過ぎたな、餓鬼ども」
腕を横に払うと、一瞬にして飛ばされた煙が男達の足を縛る
「・・・ダークミスト」
呟かれた冷たい言葉に、男達の足を縛る煙が徐々に上へと昇りはじめる
程無く、全ての者の悲鳴が聞こえた
もう一度手を払うと、黒い煙で見えなかった男達の姿が露になる
最初にウェンドが倒した一人以外は全て虫の息だった
その場に、騒ぎを聞きつけた兵士達が漸く駆けつける
「バレス様!」
兵士長が声を上げる
その目には、血の海に転がる暗殺者達
膝をついて呆然と見守るバレス
黒い煙を従えて悠然と立ち竦むヴァンの姿が見えた
「貴様、やはり悪魔か・・王を騙したな」
その声にヴァンが兵士長へと視線を向ける
「騙したつもりなど無い、あいつが言わなかっただけでな」
「悪魔なら・・・恩人だろうと容赦はせん!」
兵士長が剣を抜き、ヴァンへと剣を向けた
「やめろ!」
ぶつかり合う瞬間、バレスの声が聞こえて兵士長の動きが止まった
「何故ですバレス様!この者は先代国王様とお后様を殺した奴の仲間なのですよ!?」
それでも、バレスは横に首を振っていた
その様子に渋々ながらも兵士長は剣を収めると
ヴァンも攻撃の構えを解いた
そのヴァンがバレスの元へと近づく、兵士長が何かを言っていたが無視をした
立ち上がったバレスとヴァンが向き合う
「ウェンドは、悪魔なのか・・・?」
バレスが、ウェンドの身体を支配しているヴァンに質問をする
「そうだ、あいつも俺も純粋な悪魔だ」
「・・・そうか」
「怪我はほぼ治しておいた、後は貴様のやり方次第だ」
目を瞑ると途端に顔が幼い顔へと戻る
その身体が、バレスの腕の中へと倒れた
倒れてきた身体をしっかりと受け止める
「バレス様、どういう事なのですか?」
兵士長が訳が分からないという様子で質問をする
「この男達が私を襲った、ウェンドはそれを命懸けで守ってくれた・・・」
刺された胸の傷は、ヴァンの力により浅い傷を残すのみとなっていた
「しかし恩人といえど悪魔は悪魔です、なんらかの処分をしていただかないと顔が立ちません」
「・・・・牢屋に、私が入れる」
バレスはウェンドを抱きかかえると一人でその場を後にした
兵士長が部下に的確な指示を出して、暗殺者達は全員そのまま拘束された
城の地下室、牢屋の扉を開け更に奥へと進む
重罪を犯した者が決して出られない様に作られた特別な牢屋
光がただ一つ部屋に差し込む以外は、鉄格子と岩で囲まれていた
その扉を開けて中に入ると、粗末な寝床にウェンドの身体を慎重に置いた
動かした事により痛むのか、呻き声が漏れてバレスは心を痛めた
「二度も命を救ってくれた恩人に、俺はなんてことしてるんだろうな・・・」
横になっているウェンドの手を取る
「・・・ウェンド・・・・・・・」
身体の熱はもう平常に戻りつつあった
これなら命の心配は無いだろう、安心してその手を戻した
「すまない・・・」
一言だけ謝るとバレスは牢屋の鍵を閉めその場を後にした
「ん・・・うっ」
胸に鋭い痛みを感じて顔を顰める
手を当てると不器用ながらも包帯が巻いてあった
その上に、自分が着ていた服とは違う服を着ているのにも数秒遅れて気づく
「ここは・・」
自分に宛がわれた部屋ではない事を直ぐに悟り、辺りを見渡す
小さな窓から差し込む光以外この場を照らす物は何も無かった
『・・起きたか』
内から聞こえるもう一人の声
「ヴァン、なにがあったの?」
事情を知っているはずのヴァンに問い掛ける
『あの時お前は暗殺者の一人に胸を刺された』
「それは・・覚えてる」
『その後お前の身体が冷たくなってきたんでな、俺が代わりに表に出てお前の治療をした』
「・・・ありがとう」
『俺の身体でもあるんだ、簡単に死なれては困る』
「それで、バレスは?」
『無事だ、だが兵士長が来てバレスにウェンドをどうにかしろと言ってな、それでこのザマだ』
「そう・・・」
立ち上がって部屋を見渡す、一筋だけ射し込んでいる光だけでは酷く視界が悪い
壁は岩で塞がれていて出口は鉄格子が張り巡らされていた
窓から出れないものかと見てみるが余りにも小さい窓であるし、其処にも鉄格子が取り付けてある
諦めてベットに座り痛む胸を押さえ、目を瞑り治療魔法を掛ける
そうしていると、牢屋の入り口の方から金属が地面に着く重い足音が聞こえた
「起きたか」
声のする方を向くと其処には兵士長の姿があった
「兵士長の人・・・」
「王を助けてくれた事には感謝する、しかし悪魔のお前をここから出す訳にはいかない」
「・・・・」
「この国も、そしてあの方も・・・これ以上悪魔と関わらせる事はできないんだ」
「僕は、どうなるんですか?」
「バレス様がお前をここに入れた、しばらくはこの牢屋の中だろうが
少しでもおかしな態度を見せれば私が貴様を殺す」
「バレスは、どうしていますか?」
「それはお前が知る事じゃない」
厳しい言葉にウェンドは俯く
「私からは他に言える事は無い、妙な真似だけはするな」
そう言うと兵士長はウェンドの前から立ち去る
「・・どうしよう」
ヴァンの力を使えば、此処から出る事も可能なのかも知れない
しかしそれでは結局自分も城を滅茶苦茶にした悪魔と同じになるという事だった
どうにかバレスに頼んで此処から出なければいけない
立ち上がり鉄格子を触ってみる
冷たくて重みのある塊だった、簡単には壊せないだろう
途方に暮れていると再び足音が聞こえる、今度は金属の重苦しい音はしなかった
「誰?」
「ウェンド・・?」
暗闇からバレスの姿が現れる
「よかった、無事だったんだ」
ヴァンが無事だとは言っていたがそれは外傷の事だけで、ウェンドは心配をしていた
「すまない・・・・二度も命を救ってくれたお前をこんな所に入れるなんて」
「仕方ないよ、バレスはここの王様なんでしょ?
悪魔を倒すって言ってる本人がなにもしないんじゃみんな困っちゃうよ」
「ウェンド、やっぱりお前は悪魔なのか?」
バレスの問い掛けにウェンドが俯く
握り締めた手に黒い煙が集まりはじめた
「ごめん・・・」
「そうか・・・・・傷は大丈夫なのか?」
ウェンドの服の隙間から見える白い包帯に赤い染みが浮き出ていた
「傷はほとんど治ってるよ、血は寝てる時についちゃったみたい」
大丈夫と言う様に自分で胸を叩いて見せた
「馬鹿!無茶をするな!」
バレスが大声を上げる
「ご、ごめん・・・・」
慌てて手を引っ込めて謝る
バレスが俯いたまま顔を上げないのを不審に思い、ウェンドが屈んで覗き込んだ
頬に涙が伝っていた
「もう、これ以上誰も居なくならないでくれ・・」
若くして国を治める勇敢な王の、悲痛な叫びだった
「ごめん・・・バレス」
「いいんだ・・でも、無茶はしないでくれ」
乱暴に涙を拭う、その顔に先程とは違い何処か決意が現れていた
「ウェンド、頼みがあるんだ」
バレスが決意を秘めた表情で口を開いて詰め寄った
それでも、二人の間には重い鉄格子があるのだが
「頼み?」
「国民の前に出てくれないか?」
「出る・・・って?」
よく分からないバレスの頼みにウェンドが戸惑う
「悪魔だという事を隠して、俺の命の恩人として皆の前に出てほしいんだ」
「そんな・・・・」
「兵士達には俺が口止めをする、そうすればこの国にもいられる」
「そんなのいつかバレちゃうよ、僕が出て行けばいい話だし」
「それじゃ駄目なんだ」
「なにがダメなの?もしもバレたらバレスの王様としての立場が無くなっちゃうよ」
「駄目なんだ!俺はお前にここに居てほしいんだ!」
叫んだ言葉は、遠回しの告白で
その声は虚しく牢屋に木霊した
「・・・ダメだよ、僕は行かないと」
「お願いだ、ここにいてくれ・・・」
それでも、ウェンドは首を横に振った
「バレス、ここから出して」
「駄目だ・・・出せない」
今度はバレスが首を横に振り、後ろに下がりはじめる
ウェンドは決心すると鉄格子を握り手に魔力を溜める
突如鉄格子が白く輝いた
その光は、闇の魔力を溜めていたウェンドの力に敏感に反応してウェンドに襲い掛かる
「うああ!」
ウェンドが声を上げる、どうにか手を離すと床に崩れ落ちる
「これは悪魔用に作られた鉄格子だ、簡単には出れない」
「バレ・・ス・・・・・」
「ごめん・・でも、ここにいてほしいんだ」
「こんなんじゃ・・なんの解決にもならないよ・・・・」
今ので身体の傷が開いたのか、包帯にある染みが一回り大きくなる
「大人しくしててくれ、やればやるほど傷は開く」
それを見てバレスが顔を顰めながら言った
「どこにも行かないでくれ・・・」
最後にそう呟いて、バレスは牢屋の前から姿を消した
ウェンドはどうにか立ち上がるとベットに戻り横になる
「う・・・」
開いた胸の傷が痛む、しかし今度は鉄格子に魔力を奪われて治療魔法も掛けられなかった
「ヴァン・・・お願い」
目を瞑り、ヴァンと交代する
開かれた赤い瞳のヴァンは、胸に手を当てた
「くそっ、あの鉄格子は魔力封じの術もかけられていたか・・」
腕に魔力を集めようとするが、思う様に進まなかった
「完治は無理だぞウェンド、しばらく我慢していろ」
頭に治癒の光景を浮かべて、それを内に居るウェンドへと届ける
気休め程度だが多少は楽になるだろう
問題は此処から出る方法だった
魔力封じを喰らってしまったのでは幾らヴァンといえども鉄格子を破壊するのは不可能だった
苦々しく思いながらも、ヴァンは再びウェンドの中へと戻る
「あり・・がと」
外に出て来たウェンドは、礼を言うと天井を見上げた
傷が治るのには、まだ時間が掛かりそうだった