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8.赤い男

 真紅の髪が、見事だった。
 その持ち主の激しい乱舞に合わせ宙に舞うそれは、月影の下で、持ち主が振るう刃にこびり付いた血と同じ様に鮮明な色合いで
ガルジアに強い印象を与えていた。その赤髪の間から覗く金の双眸が、爛々と輝いてはこちらを見つめていた。
「リュウメイさん……どうしてこんな事を」
 我に返ったガルジアは声を上げる。身体が震えているのが、自分でも分かった。倒れている者達とリュウメイの間に割って入る。
 リュウメイはただ、剣にこびり付いた血を無造作に払って大地へ落としていた。
「仕事だ」
「仕事? これが、仕事なんですか……?」
 振り返り、背後に倒れた男達を見遣る。呻き声を上げている者も居たが、なんの反応も示さない者も居た。小さな悲鳴を上げて、
ガルジアは立ち竦んだ。修道院では死者の弔いも行っていたので、遠目とはいえ、死者を見るのは慣れている。しかし目の前で、
たった今息を引き取ったであろう、苦悶の表情を浮かべた遺骸を見た事などは、一度たりとも無かったのだった。震えを抑えられない
自分自身をリュウメイはじっと見つめている。
「てめぇに言ったはずだぜ。俺は、俺の腕を買ってくれる奴を探してるってな」
「でも、これは人殺しではありませんか! 罪を犯すつもりですかあなたは!」
「そんな言い方するなよ。俺は無法者の無頼漢。顔も知らねぇ奴らの決め事なんざ、俺には関係ねえ。
それにこれは、正式な仕事の依頼だ。こいつらこそが罪人。そう呼ばれる過程で人もやっちまったし、身柄の確保も生死は問わず。
まあ、こんな奴ら、この街に居るお偉方には生きて様が死んで様がどうでもいいって事だ」
「……しかし!」
 絶句して、しかしガルジアは尚も食い下がろうとする。その言葉が言い終わらぬ内に、リュウメイが切っ先を向ける。喉元に
それは突きつけられ、ガルジアはまた小さく悲鳴を上げた。
「退け」
「リュウメイさん、どうしてしまったんですか。リュウメイさんはこんな事をする人ではないはずです」
「そりゃ、てめえが勘違いしてただけだ。俺は最初からこうだったさ。最初からな」
 切っ先がちらつく。何度も唾を飲み込んだ。異常な程喉が渇きを訴えている。月光に照らされた刃が光を反射する。光の先に、
自分を冷淡にねめつけるリュウメイが居た。返り血を浴び、その身体も既に赤髪の様に染まっている部分があった。血に塗れたそれを、
ガルジアは畏怖と同時に汚らわしい物だと感じていた。元より自分に掛けられた魔法は当に解けている。
「金には汚ねえ。貰える物は貰う。助けた奴からは金をふんだくる。気に入った奴を抱きたがる。お前に、嘘は吐かなかったはずだぜ」
「それは、分かってます。けれど」
 他でもない、自分自身がリュウメイの行動を知っていた。しかしどこか違う。それだけではないはずだ。そういう思いもこの旅の中で
胸に芽生えていた。思っていたよりも、この男の事を自分は好いていたのだとガルジアは気づかされる。そして今、残忍さを剥き出しにした
その姿に、ただ戸惑っていた。
 それにしても、血が似合う男だった。月下の世界で、見事な赤髪を振り乱し命を刈り取る様は、もはや人ではない何か、死神とでも言えば
納得してしまうかの様な姿だった。その振る舞いも、鋭い眼光も、凡そそれを肯定するのに充分な迫力と酷薄さを孕んでいる。その姿に束の間、
暢気な事を考えていたガルジアは、しかし引く事をせずに更なる説得へと入る。
「けれど、何も殺さなくとも」
「どうせ縛り首か何かで死刑になる奴だ。だったら、楽に死なせてやろうじゃねえか。何、必ず死ぬ訳じゃねぇんだ。
俺を殺せたら、てめぇが死ななくて済む。どうにもならねぇ死罪より、いくらかマシってもんだろ?」
「全員が死罪に値する訳ではないはずです! 犯した罪は、償う機会を与えるべきです!」
「それが、てめぇら修道士の教えか。反吐がでらあな。自分が盗賊に襲われても、本当にそんな事が言えるのか?」
「それは……」
 ガルジアは押し黙る。盗賊に襲われたあの時に思った事。死ねばいいと思った。それは、決して嘘ではなかった。追われた時、
触れられた時、下卑た視線と言葉を知った時、全身に怖気が走り、恐怖に包まれたガルジアは、一時自分が修道士である事を忘れ、歌おうとした。
 戸惑うガルジアの横をリュウメイが通る。はっとして、振り返った。
「駄目ですリュウメイさん!」
 剣を振り上げたリュウメイに抱きついて静止しようとする。べそを掻きながら、ガルジアは必死に止めた。払い除けられ、尻餅を着く。
汚い物でも見るかの様な目で、リュウメイは自分を見ていた。汚いのは、リュウメイの方だ。リュウメイのはずだった。
「うんざりなんだよ。てめぇらの博愛主義にはな」
 侮蔑の言葉まで送られる。それでも尚ガルジアは懸命に身体を動かし、まだ息をしている、尻餅を突いている男の前へと躍り出た。
 当の男は黒豹の姿をしていて、俯いたまま呻き声を上げているだけだった。その腹からは、血が流れ、既の所で絶命に至るのを
回避した様だ。しかし逃げる体力すらないのか、目の前に現れたガルジアに気を取られているのか、動く気配は無い。
「退け。切るぞ」
「退きません」
「ガルジアァッ!」
 吠え声にも似た叫びを上げたリュウメイの目が見開かれる。獲物を狩る時の目だ。剣を振り上げるのを見て、ガルジアは
目を瞑る。頬に涙が伝う。恐ろしかった。しかし、引く事は出来ない。切られたい訳ではないし、死にたい訳でもなかった。自分はただ、
昨日まで自分の隣に居た男の面影を追いかけていたかった。
「てめぇの首を跳ね飛ばして、残った身体で遊んでやってもいいんだぜ? 白虎の身体なら、皮でも臓物でも高く売れるんだ。
いい加減聞き分けたらどうだ。温室育ちの甘ったれちゃんよ。てめぇが今庇ってる奴らも、てめぇが欲しくてうずうずしてらあな」
 辛辣で野卑な言葉に、ガルジアは束の間耳を疑った。いつも聞いている、冗談半分な物言いとは違う。頭に血を昇らせたリュウメイの言葉の
一つ一つが、ガルジアの心を抉る様に切り捨てていった。それでも、退く事はしない。
 しばらく無言で時が過ぎる。その内、溜め息の様な音が聞こえ、続けて剣を鞘に仕舞う音も聞こえた。
「人を呼んで来る。逃げない様にてめぇが見ておけ」
 ガルジアが瞼を開くと、既にリュウメイは背を向けて歩き出していた。赤髪が風に吹かれて舞っている。闇の中に紛れても、その赤髪だけは
時折月光を照り返して存在を主張していた。全身の力が抜けて、ガルジアはその場に座り込む。助かった。ただそれだけが、闇に閉ざされた心の中に
一条の光となって射し込んでいる。呆然とリュウメイを見ていたガルジアだったが、背後から声が聞こえると慌てて振り返る。
「大丈夫ですか!?」
 声を掛けて回るが、やはり全員が生きている訳ではなかった。死者を前にして涙が溢れてくる。
「しっかりしてください、今治療をしますから」
「あ、ああ……ありがとうよ……」
 かろうじて口の聞ける黒豹の男が、呻く様な声音で礼を口にした。涙を流しながら、ガルジアは詩を歌う。これで男達が助かるのかは分からない。所詮は
聖法に及ばぬ、児戯にも等しい詩である。死に向かい落ちてゆく者を救い上げる程の力は無かった。しかし、ライシンを呼ぶ暇さえなかった。手当ても無しに
この重傷を放置すれば、それこそ死は絶対的な力で訪れて、命を奪ってゆくだろう。リュウメイが連れてくる者達の誰かが聖法に長けていて、
そしてこの者達を今だけは生かす気がある事を願う他に、ガルジアに出来る事は何も無かった。
「どうしてなんですか、リュウメイさん。どうして」
 現れた精霊が、ガルジアの涙を優しく拭い、男達の傷を癒す。その光の及ばぬ、精霊にも見放された者の数を数える事を、ガルジアは
しなかった。そうする事で、途切れがちな歌声が本当に途切れてしまう事を、必死に避けようとしていたのだった。

 朝の喧騒が、周りから聞こえる。一睡も出来なかったガルジアは、食堂の椅子に座りぼんやりと卓を眺めていた。あの後、
どうやって宿へと帰ったのか、ほとんど記憶が無かった。リュウメイが男達を連れてきて、尚も治療を続けようとする自分の腕を
無理矢理引っ張り出した事までは、朧げに覚えているのだが。気づけばガルジアは部屋のベッドに座り込み、そのまま朝を迎えていた。
「ガルジアさん、大丈夫っすか。何か食べないと」
 席にはライシンと、そしてリュウメイが何食わぬ顔で座っている。二人は朝食を取っていたが、ガルジア一人だけは一切手を付けず、
悄然とし続けていた。リュウメイの顔すら、今は禄に見る事も出来ない。
「食欲が無いんです」
 今までリュウメイから受けてきた施しは、あの仕事で得た金なのだと思うと何も喉を通らなかった。無論全ての金がそうという
訳ではないのだが、知ってしまった今、ガルジアはどうしたら良いのかも分からなかったのである。困窮した者には誰であれ惜しみなく施しをし、
その安寧を願い、祝福もする。そうして生きる事しか知らなかったガルジアだからこそ、今まで知らなかった本当のリュウメイの姿には、ただ狼狽した。
「俺っちもお金なら出すっすよ。何か、食べてください」
 朝になり二人の様子を見て、ライシンはリュウメイから事情を聞いたのか察する様な事を口にする。しかしその気遣いすら、今のガルジアの
心を乱す物でしかなかった。顔を上げて、若干の嫌悪感を滲ませながらガルジアはライシンを見つめる。
「ライシンさんは、知っていたんですか。リュウメイさんがあんな風に生計を立てていた事を」
 問い詰めるとライシンはばつが悪そうに少し躊躇う仕草をする。
「……知ってたっすよ」
「どうして教えてくれなかったんですか」
「言ったら、きっとガルジアさんは傷付くと思って。でも、分かってほしいっすよガルジアさん。皆が皆、誇れる様な仕事を出来る訳じゃないっす。
それに、凶悪犯を野放しにして新しい犠牲者が出るくらいなら、凶悪犯を始末するのだって、決して悪い事ではないっすよ」
 諭す様に、噛み砕いてライシンは説明をする。自分が思っていたよりもあの連中は危険な相手だったらしい。
 黙って食事を取っていたリュウメイが立ち上がり、部屋から出て行く。ガルジアは俯いたまま、そちらを見る事もしなかった。
「……分かってるんです。そのくらい。リュウメイさんが間違っているだなんて、思ってません。現実はそんなに甘くありませんから」
 ぽつりと、本音を零す。リュウメイに面と向かっては言えない言葉だった。
「それでも嫌だったんです。人が死ぬのも。リュウメイさんが、人を殺める事も」
「ガルジアさん」
「……ごめんなさい。今日は、一人にさせてください」
 席を立ったライシンが軽く頭を下げて食堂から出て行く。しばらくの間目を瞑り、頃合を見て部屋へ戻る。リュウメイ達は
どこかに出かけたのか、姿は見えなかった。服を脱ぎ、先日まで着ていたローブを代わりに着用する。服も、リュウメイの金で買ったものだ。そう思うと、
どうしても着ていたいとは思えなかった。
「これから、どうしましょう」
 今までに無い程、リュウメイと顔を合わせるのが辛かった。このまま、あの男と一緒に旅を続けられるのだろうか。窓から空を見上げる。曇りきった
自分の心とは違い、抜ける様な青空が広がっていた。道を行く人々の表情の明るさも、いつもと変わらぬ晴れ晴れとした物だった。誰も、
昨日の惨劇を知らないのか。知っていて尚、そんな風に振舞っていられるのか。この街に住む者からしたら、確かに昨日の連中は、
居なくなってくれた方が良いだろう。それは、当然の事だった。自分だって、そうだ。盗賊に襲われた時に、そう思ったではないか。
 問題は、やはりリュウメイだった。その内帰ってくるあの男の顔を、自分は見られはしないだろう。
「……そういえば、教会がこの街にもあるってライシンさんが言ってましたね」
 ふと、そんな事を思い出す。今の迷い悩む自分には、打ってつけの場所かも知れなかった。迷いを払う様に立ち上がり、
部屋を出て宿の主人に教会の場所を尋ねる。リュウメイが居ない事を確認してから、ガルジアは街へ繰り出した。大都市故に迷いながら、
行き交う人々に道を尋ね手探りで教会を目指す。場所は、ディヴァリアの北西。さざめく南東とは正反対の位置だった。
「ありがとうございました」
 何度もその言葉を口にして、ひた走る。教会に行けば何かが変わる。漠然とした思いだけが、今のガルジアの支えだった。
 道を行き、角を曲がり、梁を潜る。程無く遠目に目的の教会が見えてきた。修道院があれば良かったのだが、街の気質のせいだろうか、
信仰者も居らず、見た目だけは立派な教会が聳え立っていた。これほどの大きさでも、孤児を受け入れられないのだろうか。束の間、そんな事を思い浮かべる。
 駆け出そうとした。その途端、腕を掴まれ乱暴に引かれる。一転した視界に戸惑い、しかしそれを把握するよりも先に胸に掌が当てられた。
 瞬間。心臓を掴まれた様な衝撃を受ける。驚いたのと同時に、呼吸が出来ない事に気づく。咄嗟に口を開ける。しかし息苦しさを逃がす
事は出来ず、ぱくぱくとただ開閉を繰り返すばかりだった。足先から力が抜けてゆく。最後に、胸に当てられていた掌が滑る様に移動し、顔を覆う。
 それで、ガルジアの意識は完全に途絶えた。

 黴臭さにガルジアは顔を顰める。遅れて、自分の状況を知ろうと瞼を開く。
「ここは……」
 薄暗い、木造の小屋の様だった。窓から差し込む夕陽が、今の時刻を伝えている。手足に痛みが走る。相当強く
縛られたのか、身動きも上手く取れなかった。
「起きたか」
 急に声を掛けられ、ガルジアは戦慄する。
 暗がりから男が現れる。射し込んだ光に顔が照らされる。顔よりも、光った目が印象的な猫人だった。黒々とした
ローブを纏う姿から、魔導士の類である事は容易に想像がついた。暗がりから飛び出してのもあって、ともすれば、そこに
生首が一つだけ浮いている様にも見える。
「あなたは、一体」
「見りゃ分かんだろ? 白虎様よ」
 猫の目がガルジアを睨み付ける。憎憎しげに見てくるその瞳に、ガルジアは思わず瞳を逸らした。今は、鋭い瞳は全て
リュウメイのそれと重なって見えた。
「あんたは知らねぇかも知れねぇが。俺達の間じゃ白虎の修道士の噂で持ちきりなんでね。
そこに、一人で歩くあんたを見たら捕まえない訳にもいかねぇだろ?」
 また、それですか。という言葉をガルジアは呑み込む。リュウメイの言った通り、修道子の格好をしていたのも良くなかった様だ。
「私を……どうするつもりなんですか」
 ガルジアの言葉に男か愉快そうに笑う。白い髭が、夕陽に光る。
「そうだな。俺は邪法も扱えるし、あんたみたいなのは重宝しそうだ。生贄にするにも申し分ないしな」
「生贄……」
 口にして、ぞっとする。ただの力自慢の盗賊も恐ろしかったが、こういう風に扱われる事もガルジアには恐怖だった。
「私が白虎だから、ですか……」
「ああ。猫にとっちゃ、あんたみたいな存在は羨望に値するからな。俺みたいな汚い悪党にゃ、羨ましい話だぜ」
「だったら、何故あなたはこんな事をするのですか。何故罪を犯すのですか」
 にこにこしていた猫が、不意に瞠目する。裂ける様に口が開いた。
「気に入らねぇんだよ。生まれた時から人から羨ましがられる様な奴が」
「そんな。私だって好きでこの身体に生まれた訳じゃ」
「黙れっ!」
 男の指が空を切る。魔力を僅かに感じた後、ガルジアのすぐ隣に邪法が直撃する。風を放ったのか、切り裂かれた木片が舞い
木造の壁に穴を開ける。思わず悲鳴を上げた。こんな物で切り裂かれては、一溜まりもないだろう。
「言葉に気をつけろよ。手が滑ったら、首ごと吹き飛ばしちまうぜ」
 恐怖に身体を震わせる。知らず知らずの内に目尻に涙が溜まる。それでも、今のガルジアはこの男の身を案じていた。
 悪事を重ねれば、リュウメイの様な者にいつかは始末されるだろう。その末路を、目の前で見たばかりである。
 男の言葉には、持って生まれた者への相当な憎悪が隠しようもなく溢れていた。この気持ちは、ガルジアとて理解出来ぬ訳ではなかった。白虎で
あるから、外に出る事を許されぬ身である。しかしガルジアは、生まれはどうしようもなくとも、今の境遇は自分で決められる物だと思っていた。
 少なくとも目の前に居る男は、道を歩けばこうして浚われる自分などよりも、ずっと簡単にそれを決められるはずだ。
「こんな事は止めてください。罪を重ねても、あなたが辛くなるだけです」
「流石、修道士様だ。言う事が違うねぇ。俺みたいな奴には眩しいぜ」
 つかつかと歩いてきた男が、無造作にガルジアを殴り飛ばす。横に倒れて、ガルジアは身を縮こまらせた。
「お願いです。戻れる内に、早く」
「黙れって言ってんだろうが糞野郎!」
 逆上した男が、蹴り上げてくる。強かに腹を蹴られて、ガルジアは何度も咳き込んだ。涎と涙で顔がぐしゃぐしゃになる。
 男は息を荒らげ、笑みを浮かべていた。屈むと、ガルジアの頭を掴み上げさせる。
「いい様だなぁ。ああ、すげぇな。こんなになっても、綺麗だ……瞳も、身体も。それに手触りも、ただの虎とは違うんだな。
随分毛並みが柔らけぇ……。ここを離れたら、俺が飼ってやるよ。少しずつ少しずつ、醜くしてやる。俺みたいになぁ……」
 叩きつける様に手を放され、鈍痛に視界が揺らぐ。それで、男の足音は遠退いていった。それを聞きながら、ガルジアは憐れみを覚えていた。
 いくらでもやり直しは効くのに、もはや聞く耳も持たないのだろう。そしていつか、自分より強い無法者に食われる定めとなる。
 これから自分はどうなるのか。考えて、自嘲気味に微笑む。自分も、同じだ。決裂し、一人飛び出してこんな所に居る。いくらでも
やり直せたはずなのに。偉そうに講釈をしていても、結局あの猫人の男と何も変わらない。もっと話が出来たはずだ。少なくとも
リュウメイは、自分を追い出す様な素振りは見せなかった。本当に愛想を尽かせていたのならば、それを実行に移したはずだ。或いは、
その口から漏れた様にこの身体のありとあらゆる物を利用しただろう。どちらもせず、ただ黙っていた。窓口は開かれていて、その結果が
例え決裂に向かう物だとしても、口を開かなかったのは他ならぬガルジア自身なのである。
「仕方ない、ですよね。私が、自分から離れたんですから……」
 貰った物も、何もかも。自分は置いてきてしまった。
 身体の痛みに呻く。暴力を振るわれた事すらほとんどない身体には堪えた。旅をしていて傷付くのは、大抵がリュウメイで、自分は後ろで
見守るだけなのだから。
 目を閉じて、耳を澄ます。不思議と悪い気分にはならなかった。抱えていた物が無くなったからだろうか。もはや召導書を探したり、借金を返したり、
修道院に帰る夢を見る必要もなくなった。そういう意味では、身軽になったのかも知れない。
 少しずつ射し込む陽も弱くなる。同じ様に、自分の未来も暗がりに沈むのだろう。
「……ごめんなさい」
 今更、謝った。今まで出会った者達に。自分を守っていた者達に。
 そうしていたガルジアの元へ、ふと、猫人の男が閉めていった扉が乱暴に開かれる。先程までにやついていた男が、今は息を切らしてこちらを見ていた。
「起きろ! ここを出るぞ!」
「え……?」
 手早くガルジアの縄を解き、無理矢理立たされる。痛む腹では満足に動く事も出来なかった。扉に近づくと、怒号が耳に飛び込む。そんな事
にすら、塞ぎ込んでいた自分は気づいていなかった。
 視界が赤い光で満たされる。夕陽は眩く、音だけがしばらく聞こえる。遠くで争いが起こっている様だ、目を凝らす。一番に目に飛び込むのは、赤髪の男。
「早く来い!」
 腕を引かれる。声を上げようとしたが、痛みが走りまた咳をする。しかしそれで相手には伝わったらしい。
「ガルジアさん!」
 ライシンの声が聞こえる。人込みで見えなかったが、リュウメイの傍に居た様だ。
 引き摺られる様にガルジアは連行される。改めて自分がどこに居るか確認する。断崖近くの、打ち捨てられた小屋の中に閉じ込められていたのだった。
 恐らくここで夜になるまで待ってから連れてゆくつもりだったのだろう。遠くに法術都市の、仄かに灯りを纏う姿が見える。
「もう、もう止めてください。逃げられませんよ」
 背後ではリュウメイが次から次へ賊を切り伏せている。箍が外れればその攻撃には容赦が無い。死んだ者と戦意を失った者から、地に伏してゆく。
 足を竦ませて二人の戦いに見入る。決して賊が弱い訳ではないはずだ。それでも、リュウメイ達は怯まない。剣を振り上げ、切り捨てる。リュウメイの
隙を突こうとすると、ライシンの魔法に弾き飛ばされる。そのライシンを始末しようにも、今度は格闘と邪法で翻弄される。特に、ライシンに近づく者は
不自然な程あっさりと沈んでいた。よくよく見れば、その手が触れた途端に相手が頽れる。眠りの魔法でも使っているのだろう。
 弓を使おうとする者も居た様だが、それをリュウメイも警戒しているのか真っ先にそこに切り込んで、既に始末されていた。充分に距離を取る
者も居たが、それこそライシンの邪法の良い的である。指先から迸った颶風が、弓ごと射手も切り裂いた。
 隣に居る男が息を呑むのが伝わった。走ったところでどこへも行けないだろう。間もなく、遮る者達も居なくなる。
「ち、近づくんじゃねぇ!」
 首に男の腕を回されて、ガルジアは身動き出来なくなる。
 じりじりとリュウメイが歩み寄ってくる。それに合わせる様に男とガルジアも下がっていた。
「近づくなって言ってんだろ!」
 片腕で、猫人の男が宙を指で切る。僅かに風が起きた後、リュウメイの立つ大地が削り取られる。
「止めてください!」
 ガルジアは叫ぶ。しかし男はガルジアの言葉に耳を傾けず、訳の分からない言葉を喚きながら何度も邪法を放つ。
 錯乱状態で中々当たらなかったが、それでもその内の幾つかはリュウメイの身体を捉え、風の刃で切り裂く。血が飛び散った。既に
返り血で汚れたその身体が、今度は自身から流れる血で汚れてゆく。
「リュウメイさん!!」
 リュウメイは止まらなかった。赤く染まりながら、それでも染まりきらぬ金色の瞳がただガルジアと男を見つめている。怯み、更に
男が下がる。その間にもリュウメイの傷は増える。このままではリュウメイが危ない。
 リュウメイの顔を見る。目が合った瞬間、ガルジアは僅かに顔を傾け、頷いた。
「てめぇ、なんのつもりだ!?」
 男が動揺の声を上げる。ガルジアは、歌っていた。
 流れる者。揺蕩う者。終ぞ旅を終える事なく、気ままに吹き吹かれる者。
 不羈に身を置き、世界を駆ける者。
 鼻声のままガルジアは歌い続ける。風来の詩。
 宙に風が巻き起こる。男が散々放った風が、この精霊には好みだった様だ。色濃く出た渦の中から一対の翼を持つ鳥が。舞う様に現れる。
「……ごめんなさいっ!」
 ガルジアは呼びかけながら、思い切り男の腕を剥がしに掛かる。ガルジアの様子を見て精霊が鳴く。
 男の腕が不自然な速度で弾かれる。抜け出したガルジアも、精霊の作った風に押されて通常ではありえない速さで飛び出した。
 男が何かを言っている。しかしそれよりもガルジアは目の前のリュウメイを見ていた。不意にリュウメイの姿が消える。消える訳がない。しかし、
その姿は消えるかの様に、瞬時にしてガルジアの隣へ来ていた。
「じゃあな」
 その腕から神速の一撃が放たれる。切り上げられた男は血を噴きながら数歩よろめき、ついに崖へ辿り着く。
 慌ててガルジアは振り返った。谷底に、猫人の男が落ちてゆく。手を伸ばそうとするが、届くはずもなかった。
 落ちる瞬間、その瞳がガルジアを認める。敵意ではなく、羨望を宿していた。
 静寂が訪れる。落ちた男は声も上げていなかった。衝撃音も、深い谷底からは聞こえない。それを破ったのは、ガルジアが呼び出した精霊だった。
 姿を消した精霊の方を一度見、そして、リュウメイを見つめる。
「……リュウメイさん!」
「兄貴!」
 何かを言おうとし、しかし言うよりも早く振り返ったリュウメイの身体が崩れ落ちる。
 賊の面倒を見ていたライシンも駆けてくる。
「リュウメイさんっ、リュウメイさん!」
「うるせぇ黙れ」
 憎まれ口に涙が零れる。途端に喜びが溢れてくる。
「ごめんなさい、リュウメイさん……。ごめんなさい」
 泣きじゃくっていると、少しずつ距離を縮めたリュウメイの手が肩に置かれる。今はそれが精一杯の様だった。
「兄貴、失礼します」
 リュウメイの身体を寝かせて、ライシンが治療に当たる。ガルジアも出来る限りの詩を歌った。
「どうして、ここに」
 しばらく治療に専念し、落ち着いてからガルジアは問い質す。
 リュウメイが喋ろうとするのをライシンが遮った。
「ガルジアさんが面倒を見た子供のおかげっす。ガルジアさんが連れていかれるのを見たって、大慌てで報せにきて」
「そうじゃありません。……どうして、私を」
 放って置かれても仕方なかった。ガルジアはそう思っていた。
「心配、してたっすよ兄貴」
「……リュウメイさん」
 目を閉じ回復に専念していたリュウメイが、薄っすら瞼を開けこちらを見る。
「てめぇ、勝手に出て行けとは俺は言ってねえぞ」
「すみません。私、どうしたらいいのか分からなくて。リュウメイさんの考え方に、どうしても賛同出来なかったんです。
それで、教会に……」
「てめぇがどう思って様が俺は興味ねぇよ。好きな様に考えてろ」
「……はい」
「それでも俺が気に入らねえなら、借金返済してさっさと出ていきな。それか、やらせてからにしろ」
 リュウメイの言葉に思わずガルジアは苦笑してしまう。こんなに傷だらけなのに、言う事はいつもと変わらない。
「あなた、本当に最低ですね」
 言いたい事は、もっとあったはずだった。しかし今は、リュウメイが無事でいる。それだけで良かった。
 夕陽が三人を照らす。街に戻るには、もうしばらく掛かりそうだった。

 リュウメイの治療を一通り終えてから、崖の上でガルジアは鎮魂歌を歌う。断崖の中を吹き荒ぶ風が奇妙な音を立てて伴奏となり、
ガルジアの声を遠くへと運んでゆく。短めにそれを歌い上げると、ガルジアは振り返って帰還を促した。失われた命を
考えるのならば、一晩はこうしていたい。しかし今は死者よりも、生者を優先しなければならなかった。リュウメイを宿へ連れて行くのが先であるし、
匪賊の中にも生き残りが居る。流石にこの人数を担ぐ訳にはいかず、これもまた街へ報告する必要があるだろう。
 断崖の交戦から、数日が経った。寝台に横たわるリュウメイを、ガルジアは心配していた。
 リュウメイの容態は芳しくなかった。傷の手当ならば、ガルジアの詩と、ライシンの聖法で済んでいる。しかし大量に失った血液だけは
どうしようもなかった。もう少しだけ、街に留まる必要があるだろう。
「まったく、あんな無茶をするからですよ。リュウメイさん」
「うるせぇ、助けてもらった分際で生意気なんだよてめぇは」
「私とライシンさんが助けなかったら、そのまま死んでいたでしょうに。随分な言い草ですね」
 こんな風にやり取りは進んでゆく。今はリュウメイを怒らせても身体を動かせないものだから、ガルジアもいつもより攻勢に転じていた。リュウメイが動かない
事で路銀の心配はあったが、リュウメイの達成した仕事と、賊の件で報奨金はもらっていたので、当分はその心配も無い様だった。
「しっかり治さないと、駄目ですよ。あんなに血を流して、私がどんなに心配したか」
「思わず惚れちまったか」
「ありえません」
 憎まれ口だけは、相変わらずである。
「出て行くのは、もういいのか」
 言葉の応酬が落ち着いた頃にリュウメイが尋ねてくる。ガルジアは、無言で頷いた。
「リュウメイさんの考え方。私は、嫌です。でも、だからといって無理に出て行く必要も無いのかなって。私一人では、どこへも行けませんから」
「殊勝な心がけだな」
「しかしですね、リュウメイさんが人を殺める事は絶対に反対しますからね。非常時は、まあ……仕方ない部分もありますが。
お仕事だからって簡単に手を掛けるのは、絶対に駄目ですよ。私がお傍に居る間は、しっかりと目を見張りますから。覚悟してくださいね」
「やっぱお前出て行け」
「嫌です。お金返せないし、リュウメイさんと夜を共にするのもお断りです。大体そんな身体で何も出来ないじゃないですか」
「おいおい何言ってんだ。お前がちょっと馬乗りになって気張ってくれりゃあ」
「兄貴ーっ!」
 扉が勢い良く開かれる。目を見開き輝かせたライシンの巨体が、部屋に飛び込んでくる。
「ここ数日寝たきりの兄貴っ! そうっすよね、溜まる物、溜まってるっすよね! 早速俺っちが」
「失せろ」
 詰め寄ってきたライシンの胸に、リュウメイが勢い良く蹴りを入れる。どこにそんな体力が、と思わずガルジアは感心する。蹴られたライシンは
派手に後退しながらも、見事な体裁きで建物に被害を与える事もなく受身を取っていた。
「うう、酷いっす兄貴……」
「まあまあ、ライシンさん」
「ずるいっすガルジアさん。さり気無く兄貴の枕元に座りながら看病だなんて……」
 言われて、慌ててガルジアは立ち上がる。立ちながら看病していたら、リュウメイに腕を引っ張られたからというだけだったのだが。
「それより、どうだ外の様子は」
 相手をするのが飽きたリュウメイが話題を変える。ライシンも嘘泣きを止めると、姿勢を正した。
「特に怪しい連中は。ガルジアさんとも召導書の件で街に出たりはしたっすけれど、何も無かったっすよ」
 流石にライシン一人が一日で調べるだけでは、学園と協会の資料は網羅出来ない。そのため街に戻ってきてからは、リュウメイの療養に
よりする事もないため再度情報を集めていたのだ。その際リュウメイは尾行の確認をしっかりしろとライシンに命じていたので、ライシンは
それに気を配り続けていた。ガルジアはその隣でいつも通りにしていたのだが、探っている事を知られない様にするには、
それも必要な役だとライシンは言っていた。
「やっぱり、気になるものなんですか?」
「そりゃ当然っすよ。兄貴の仕事もそうっすけれど、賊を潰したら、
他の賊だって危機感覚えたって無理ねぇですから。兄貴の心配ももっともってところっすね」
「俺が行けたら良かったんだが」
「やめてください、そんな身体で。大体あなたを一人にさせておくのだって、報復の可能性があるから嫌なんですよ。
強がって、言ってこいだなんて言うから、私も外に出てますけれど」
 ふざけてじゃれついては来るが、その力もいつもよりは弱い。そんなリュウメイが外に出る事を極力避けるために、
空いた時間は全てリュウメイの傍に居る事が多くなる。ライシンも同じ気持ちだが、買出しの用事もあるので結局はガルジアが残る事が多かった。
 ライシンには申し訳ないが、ガルジア一人で出てはまた拉致される可能性も否定出来なかった。
 日が暮れると、早めに就寝に入る。騒いでいてはリュウメイの回復の邪魔になるだけである。
 相変わらず駆け回っているライシンはすぐに寝てしまうが、リュウメイは一日中寝ている様なもので眠りづらいのか、
時折身動ぎをする音がガルジアの耳にも届く。
「ガルジア」
「……なんですか? ちゃんと横になってくださいね」
 突然声を掛けられて、ガルジアは起き上がる。夜目が利きはじめると、リュウメイも身体を起こしているのを見咎める。
「修道院には、帰りてぇのか」
「え? なんですか、突然」
 今まで訊かれた事のない質問に、ガルジアは思わず間の抜けた声を上げてしまう。
 しばし考えて、口を開く。
「それは、帰りたいといえば、帰りたいですが。しかしリュウメイさんは帰るつもりはないのでしょう?
だったら、私はそれに従いますよ。海まで渡ってしまいましたし」
「そうか」
 それだけ聞くと、リュウメイは横になってしまう。ガルジアは釈然としない気持ちを抱えながらも、長く問い詰めるのは
リュウメイの身体に障るので、仕方なく横になった。
 更に十日近く経った頃、ようやくリュウメイの容態は回復する。元々深い傷を負った割に食欲はあったので、
身体は見違える様に元気になっていた。この辺りは、流石に鍛えているのだなとガルジアは思う。
 相変わらず賊の心配も無かったのが幸いだった。養生している所に攻められては、防戦一方だっただろう。とはいえ街中であるからして、
決して賊の思い通りになる訳でもないとは思うのだが。
「このお部屋ともお別れですね。なんだか、寂しくなっちゃいます」
「そうっすね。目的があっても精精二日三日しか泊まらないっすから、珍しいっす」
 十日以上を過ごした宿だ。愛着が湧いていたのに気づいて、ガルジアはそんな事を言うと、隣に立つライシンも、ちょっと名残惜しげに賛同する。
「そろそろ行くぞ」
「リュウメイさん、今度はどこに行くんですか? 召導書の手掛かりも無くなってしまいましたし、次はリュウメイさんの行きたい所で構いませんよ」
 部屋を引き払ってきたリュウメイが顔を出す。ガルジアは笑顔で駆け寄りながら、次の行き先を尋ねる。
 こうなったらとことんまで付き合ってやろうと、ガルジアは言い切ってみる。
「そうだな。次の目的地は」
 リュウメイの瞳が、ガルジアとライシンを交互に見つめる。
「ガルジア。てめぇの居た修道院だ」
 言葉に、ガルジアは瞠目する。自分を見つめていたリュウメイと、目が合った。

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