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7.蜥蜴男に一目惚れ

 南地区で出会った孤児の存在に後ろ髪を引かれながらも買い物を済ませると、ガルジア達はディヴァリアの
東地区へ、魔導士達の縄張りへと移動する。
「うわぁ……!」
 一転した景色に、思わずガルジアは感嘆の声を上げた。先程までとは打って変わり、魔導士が使う道具が多く並ぶ。ありきたりな木製の杖から始まり、
ローブなどの怪しげな衣服は勿論の事、果ては装飾具にまでそれは及ぶ。今はまだ南側に近い事もあり、観光客向けに宝石をふんだんにあしらった、
ちょっと派手過ぎな首飾りに腕輪、ごつい指輪も並んでいた。見た目だけは派手なそれらを見つめてははしゃぎ、手に取る者もこれまた派手好きという
事が一目で分かる格好の女ばかりである。東地区の主役であるはずの陰気なローブに身を包んだ魔導士達はこれ等には見向きもせず、ただ道を行き交い、
もっと北東へと急ぎ足で向かっていた。
「如何にもって感じっすよね。ここの景色も懐かしいっす。この魔力の溢れる感じ。堪らないっす!」
「そんなもんか?」
「そんなもんっす!」
 ライシンにとっては居心地が良いらしく、急に機嫌が良くなる。ガルジアも、目新しい物に心を奪われた。特に宝石の美しさには
目が眩みそうになる。陽光、或いは店先に光源として置かれている光石に照らされたそれらは光を照り返し、見る者を魅了する魔性の
煌きを放っていた。リュウメイ達の手前でなければ、自分も女達の群れに混じって宝石を品定めしていたかも知れない。
「まあ、買う物は特に無いっすから、見て回るだけっすね」
「そうですね。魔法を使えるのはライシンさんだけですし。ライシンさんはいいのですか?」
「魔法だけ使うんなら俺っちも欲しい物はあるっすけど、戦うってなると中々」
 格闘術も修めているライシンにとっては、激しい動きに付いてこられないこれ等の装備品は邪魔になるだけの様だった。ローブなどは
下手をすれば足を縺れさせるだけの品である。それはこの旅でガルジアも痛感していた。着慣れている服であるためにまだなんとかなってはいたのだが。
「あ、棒術としてなら杖も使えるっすよ」
「んなことしたら折れるぞ」
 ライシンの言葉にリュウメイが鋭く突っ込む。確かに、木で出来た杖などライシンの様な巨漢が全力で叩きつけたら、
どうなるかは考えるまでもなかった。
「まあ、見せたいのはここじゃないっす。もう少し奥へ!」
 手招きをしたライシンに二人は呼ばれる。辺りを気にしながらも、その後を追う。
「うわぁ……!」
 二度目の声を上げつつも、ガルジアは目の前の景色に心を奪われる。
 大通り全体が露店であり、並んでいるのは一面の宝石だった。先程まではまだ通りのほんの一角にある程度だったのだが、
ここは既に宝石箱をひっくり返したかの様に視界は彩られている。
「綺麗でしょ! 昼間なら、陽の光に照らされて綺麗なんすよ」
「凄い、凄いですよリュウメイさん!」
「眩しいな」
 掌で光を遮る仕草をリュウメイがするが、ガルジアはそんな事にすら気が回らなかった。
「ここは貴石通り。一面が宝石を扱っている、まさに宝石のためにある通りっすよ」
「本当に凄いです。でも、高そうですね」
「あ、いや……それが」
 興奮したガルジアの声に、急にライシンの口調が怪しくなる。不思議に思って、その顔を覗き込んだ。
「実はこれ、綺麗なだけで値打ち品って訳じゃないっす。大抵は、学園の生徒が作った模造品の様な物っすよ」
「なんだ、紛い物かよ」
「いや、そういう訳じゃないっすよ。ただこの程度の宝石なら魔法を修めたら作れるってだけの話っす」
「でも宝石って、凄く高いって聞きますけれど」
「そこっすよ、ガルジアさん」
 疑問を挟むと、待ってましたと言わんばかりにライシンが声を上げる。
「宝石がなんで高いか、知ってるっすか? 綺麗なのは勿論の事、宝石の中には魔力が詰まってるっすよ。
そしてその魔力を使う時、大抵の宝石は砕いて使うしかないっす。大きく、輝きがある程宝石は高値で、それでいて魔力も強いっすよ」
 身振り手振りを交えながらライシンが説明を始める。言われて、改めて並んでいる宝石を見るが、
大抵は小さく、輝きも強いとはいえないものばかりだった。寄り集まる事で、一瞥する分には見事な光景ではあるのだが。
「けれど、そういう純度の高い宝石は年々数を減らしているっす。どうしてだと思います?」
「えっと……」
「砕かれたから、だろ」
 考えている間にリュウメイが答えると、ライシンがわざとらしく拍手をしてみせる。
「その通り! 大きく輝く宝石は、有事の際に用いられる事が多かったっすよ。
魔物との戦い。国同士の戦争。気が狂った奴の暴走。いずれにしろ、拠所無い事情で時代の節目に砕かれ、数を減らしたっす。
歴史書を紐解けば、必ずどの本にも宝石の記載が載ってるくらいっすよ」
「じゃあここにあるのは」
「ほとんどが大した事の無い、綺麗なだけの石っす。
人の手で作れるのは、砕かれていった宝石の足元にも及ばない、ケチなクズ石だけっすよ。
少しだけ魔力が籠められていやすが、それは輝かせるためのもの。その程度の出来でしかないっす」
「そうなんですか、勉強になりました」
「旅をしていれば、もしかしたら天然の宝石を見る日も来るかも知れないっすね。
もっともそんな大層な物、今は貴重な魔導書やらと同じで、どこかに蔵してあるのがほとんどっすけど。
地図の外側で開拓がお盛んなのは、宝石の採れる場所を探すって目的もあるみたいだし」
「……そういえば、私の居た修道院にもそんな宝石があった様な。あんまり大きくはなかったですけれど」
「それでも充分なお宝のはずっす。この辺りにある物と比べれば」
 思い返してみれば、確かに大きさは並んでいる物とは比べ物にならなかった。価値が分からないガルジアは、時々魔力を感じる程度で
なんとも思っていなかったのだが。聖法を得手とする者達はそれを畏怖の目で見ていた事を思い出す。
 話を終えると、貴石通りをひた歩く。金に余裕があれば買おうかと最初は思ったのだが、ライシンの話を聞いた今は
購買意欲が無くなっていた。冷静に考えれば、盗賊に狙われるだけなので身に着ける事も出来ないのだが。
「綺麗ですね、本当に」
「こういうので喜ぶのは若い内だけにしろよ。年食ってからだと、取り返しがつかねぇからな」
「そういうものなのでしょうか。綺麗な物を綺麗だと思うのは、良い事だと思いますが」
 並べられた宝石を一つ一つ眺める。小さな物ばかりだが、その中に封じられている光はガルジアを惹き付けた。小さいというのも、
また良かった。大きくてごてごてした物は、どこか近づき難い。
「あっ!」
 突然、今まで後ろに付いて話をするだけだったライシンが声を上げる。
「どうしました? ライシンさん」
 慌てて振り返って、ガルジアは顔を向ける。当のライシンは目を見張らせ、何かを凝視していた。
「す、すまないっす! ちょ、ちょっと!」
 走り出したライシンが、露店の一つに向かう。慌てて後を追うと、そこも宝石屋の様だった。
「はい、これ。これっす。金貨二枚? よし買った!」
「えっ、金貨二枚もするんですか」
「随分奮発したな」
 後ろでリュウメイと顔を見合わせる。さっき、ライシン自身で価値が無いと言ったばかりのはずの宝石に、金貨二枚である。余程
気になる代物なのだろうか、大事そうに宝石を手に持つライシンが振り返る。
「お待たせっす! さあ、兄貴これを!」
「あん?」
 ライシンから差し出された宝石を、訝しげにリュウメイは見つめる。当のライシンはとにかく手に取ってほしい様で、それが余計に
リュウメイの猜疑心を掻き立てている様だ。
「普通の宝石っすよ! さあ!」
「要るかこんなもん。女じゃねぇんだぞ」
「そう言わず! さあさあ!」
 何故だか、必死にリュウメイに手渡そうとライシンは奮闘している。それを不思議に思いながらも、ガルジアは店に目を移した。丁度
ライシンが買った宝石で終わりなのか、空の籠が目に付いた。その前に敷かれた紙に目が行く。
「恋愛成就。これさえあればあの人の心はあなたの物! ……うわぁ」
 紙に書かれた文字を読み上げてから、こんな物に金貨二枚も、と思わずガルジアは呆れた声を上げる。効き目があるのか甚だ疑問である。
「さあ、兄貴!」
「ふざけんな馬鹿が」
 リュウメイが無造作に手で払う。ライシンの手を離れ投げ出された宝石が、舗装された石畳に叩きつけられ綺麗な音を上げて砕けた。
「あああー!!」
「あっ、勿体無い……」
 金貨二枚もするのに。ライシンの悲鳴もそのままにして、慌ててガルジアはそれを拾おうとする。
「ま、待つっすガルジアさん、拾っちゃ駄目!」
「えっ?」
 振り向きながら、屈んだ身体から伸びた手が宝石の破片に触れる。それと同時に、宝石から強い光が放たれる。その瞬間、
ガルジアは不意に胸の中に何かが溢れる感覚に襲われ、思わず尻餅を着いた。
「なんだ、今のは」
「ああぁー……」
 ライシンが頭を抱えている。リュウメイは事情は分からないが、何かあったのかとこちらを見ていた。
「おい、大丈夫か」
「あ、はい。リュウメイさん」
 リュウメイが呆れながらも屈んでこちらを見ている。その目と、ガルジアの目が合った瞬間だった。胸の中に詰まっていた何かに、
心臓が掴まれた様な気がして身体が跳ね上がる。
「あっ」
 その途端に、ガルジアは自分でも混乱してしまった。リュウメイの顔が、何故だか見られない。
「なんだ、何があったんだよ」
「い、いえ、その……あれ?」
 動悸がする、耳の先まで熱くなる。今まで感じたことも無い何かが、自分の胸を圧迫する様に占拠している。
「ライシン、説明しろ」
 しばらくは様子を見ていたリュウメイが、埒が明かないと見て項垂れていたライシンを小突き、説明を促す。
「う、うっす……さっきガルジアさんが言ったとおり、恋愛成就の魔法が掛かってるっす」
「紛い物じゃねぇのか?」
「違うっすよ。作られた物っすけど、かなりの値打ち物の一つっす。
側は軟い代わりに、少しずつ中から魔力が溢れて意中の人に自分を意識させる物みたいっす」
 リュウメイの瞳が鋭くなる。射殺せるなら、眼光でそれをやってのけそうな程の凄まじい形相で、ライシンは短く悲鳴を上げていた。
「……つまりあれか。ガルジアに魔法が掛かった訳だな」
「しかも、宝石の中に入れて少しずつ効果を及ぼすはずの魔法が、一度に全部」
「これ、魔法の力なんですか? リュウメイさん……」
 ガルジアは顔を上げる。リュウメイの顔を見ると、息が苦しくなる。説明通りの効果が現れているのは、自分でも分かっていた。
「刷り込みみたいなものっす。魔法に掛かっている間、目を合わせた人に少しずつ好意を寄せる。
けどガルジアさんは一度に中身の魔法に掛かった上に、兄貴とバッチリ目を合わせたものだから……」
「もういい、事情は分かった」
 リュウメイが自分の身体を掴む。心臓が跳ね上がった。
「あ、リュウメイさん、そんな」
 触れられるだけで身体から力が抜けそうになる。何よりも、目の前の蜥蜴男が愛しく感じる。
「リュウメイさんを見て、こんな気持ちになるなんて……」
 率直に驚く。あんなにリュウメイを警戒して、時には嫌悪すらしていたはずだった。しかし今は違うのである。粗暴な振る舞いも、
自分より背が高い事も、炎の様に赤い長髪も、毛衣が無く、引き締まったその身体も、獣の様な鋭い眼光も、全てはガルジアを惹きつけて止まぬ、
リュウメイの素晴らしい特徴だった。一番なのは、その瞳である。事態に困惑しながらも、しかしそれでも下心の見え隠れする、普段ならば
唾棄すべきはずの嫌らしい瞳が、恋心花咲いた自分をじっと見つめているのである。思わず視線を逸らし、しかし逸らし切れずにまたその瞳を見ては、
目が合ったと気づいて今度は目を瞑ってから顔を逸らした。
「ああーっ! 駄目! 駄目っす近づいちゃ!」
「治せねぇのか?」
 身体を起こされると、大丈夫だろうと見て離れようとするリュウメイの腕を、ガルジアは思わず掴んでしまう。放したくない、という気持ちが溢れてくる。
「呪いの類っすから、俺っちにはちょっと無理っすね!」
「てめぇ俺を呪いでどうにかしようとしたのか」
 清清しく言い放ったライシンの腹に、リュウメイの蹴りが炸裂する。
「駄目ですリュウメイさん、そんな乱暴な……ああ、でも……」
 切れのあるしなやかなリュウメイの動き。思わずもう一度見てみたいと、ガルジアは口篭る。
「重症だなこりゃ。どのくらいで治るんだ、ライシン」
「宝石の中身を一気に使ったから、どれくらいかは分からないっすが……元々はそんなに強い作用の魔法じゃないはずっす。
一日か二日も経てば、治ると思うっす」
「仕方ねぇな……」
 二人のやり取りがガルジアの耳に入る。自分の状態が、魔法によるものだとは理解していた。理解していて尚、リュウメイの姿に見惚れる。
 逞しく、筋肉の詰まったその胸板。腕一つとっても、一目で分かる程筋肉が発達しており、雄雄しさと力強さを嫌という程伝えてくる。
「ああ、いけません。男同士だなんて、教えに反します。ああ、でも」
 こんなに、こんなにリュウメイを素敵な男だと思う日が来るとは、夢にも思わなかった。繋いだ手から伝わる温もりが、
愛おしい。その息遣いが、言葉が、鋭い目が、訳も無くガルジアを虜にする。
「とりあえず今日は宿に戻るぞ。ライシン、てめぇは一人で学園と協会に行ってこい」
「ええっ、そんなぁ!」
「つべこべ言わずに行け! 召導書のついでにこの呪いの解き方も調べろ。治らなかったら、てめぇをしばく」
「うぅ……分かったっす。行ってくるっすよ……。兄貴、くれぐれも間違いだけは!
ガルジアさんは魔法が掛かってるだけなんすから、解けた後大変な事になるっすよ」
「言われねぇでも分かってんだよ、さっさと行ってこい」
 駆け出したライシンを見送る。それを見つめながらも、腕を引かれてガルジアは慌ててリュウメイの後ろを歩く。
 しばらく歩いてから、ガルジアはふと辺りを見回して疑問に思う。
「あの、リュウメイさん……こっちは宿の方角では」
「あんなもん嘘に決まってんだろ。せっかくうるせぇのが居なくなって、もう一人うるせぇお前も今は大分大人しくなったしな」
 悪びれた様子も見せずに言うリュウメイに、ガルジアは呆れながらも、しかし強くは逆らえずに腕を引かれたままである。
「駄目ですよ。ライシンさんが知ったら、きっと怒ります。そうなったら私」
「ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ。それとも、俺と行くのは嫌か?」
 掴まれた腕が解放される、さっと腕を引いたガルジアを、リュウメイは微笑を浮かべながら見つめている。
「そんな言い方、ずるいですよ。今の私がどういう状況なのか、知っている癖に」
 掌が差し出される。今度は、腕を掴もうとするのではない。この手を取れと、リュウメイが要求しているのである。
「嫌ならこのまま宿に戻ってもいいぜ」
 手を差し出したまま硬直するリュウメイに、おずおずとガルジアは手を伸ばす。周りの喧騒など、とうに気にならなくなっていた。自分が
どういう格好をしているのかも、今となっては遠い。今はただ、その手を取るのか、跳ね除けるのか、それだけである。
 待ち構えていたごつい指先に、ちょっとだけガルジアの指先が触れる。触れてから躊躇いを見せ、慌てて引こうとした手を、今度は
リュウメイが掴まえた。刹那振り払おうという思い、しかしガルジアはそれを実行に移せずにいた。掴んだ手を、リュウメイはそれほど
時を掛けずにまた離し、そして背を向ける。ガルジアもそれへと続いた。隣へ歩み寄ると、リュウメイの表情が少しだけ和らぐ。それを、
なるたけ見ない様にした。いつもの様に、もっとからかってくれさえすれば良いのに、と思う。いつもの様に、自分を馬鹿にしてくれれば。魔法に
掛かったガルジアを、更に奥深くへ引き擦り込もうとするリュウメイの行動に、ガルジアは逆らう事が出来ない。
「親父、酒だ」
「あいよ」
 一度通り過ぎた南地区へ戻ってくると、店を見繕ったリュウメイが席へ着く。木材で台と椅子を拵えた簡素な造りの店だったが、申し訳程度とはいえ
屋根があり陽射しが遮られる事から、外の様子を眺めながら軽食を取るには適当な造りをしているとガルジアには思えた。静かに食事の取れる
店は、今居る南地区からは東西どちらかの奥まった方にあり、それぞれ客層が異なっているのだろう。そういう場所は、若者ばかりが集まるこことは違い、
訳ありの者、ちょっとした出自の良い者、少し歳の行った者などで溢れているはずだ。そういう訳で、若者のあしらいにも慣れているであろう
店主は、開口一番に酒を要求してきたリュウメイにも何も言わず自然な応対をしてくれていた。少し首を傾げる仕草をしたのは、ガルジアと
リュウメイの二人を見たからであろう。二人揃って、物珍しい種族であり、また高飛車な様子のリュウメイとは別に、申し訳なく謝罪を述べる
ガルジアとの対比に訝る様な顔をしていたが、しかしそれでも客として迎えてくれた。
「はいよ、兄さん達」
「おう。ガルジア、てめぇも飲め」
「えっ、私、お酒はあんまり……」
「今日は無礼講だ。それとも俺の酒が飲めねぇっていうのかよ?」
「リュウメイさん、今日はなんだか……おかしいです」
 ここまで共に旅をしてガルジアは知っていた。リュウメイは、あまり酒を飲まない。それが、今日に限って酒を所望し、更には
自分にまで飲ませようとしてくるのだった。それを口にすると、リュウメイが得意そうな顔をして、まずは一杯飲み干す。
「今日はうるせぇライシンがいねぇからなぁ……それに、ようやくでかい街に来たんだ。たまには飲まねえとな」
 そう言って、更に酒を勧めてくるリュウメイに、ガルジアは渋々といった様子で自らも手を付ける。黄色がかった甘い匂いを放つそれを
口に運ぶと、仄かな甘みが広がり、次にはアルコール独特の香りが喉を通り過ぎる。爽やかな喉越しだけが後を引き、ついつい続けて
飲みたくなる様な不思議な魅力を持つ酒だった。隣に座るリュウメイは、もっと強い匂いを放つ酒を続けて呷っており、店主が気を利かせて
自分には飲みやすい物を出してくれたのだと気づく。そうしてガルジアが一杯の酒と格闘している間に、リュウメイは次から次へと、笊の様に
酒を口へと放り込んでゆく。見兼ねてガルジアがその手を掴んだ時には、既に十杯近くにも上っていた。
「リュウメイさん、飲み過ぎですよ」
「何言ってんだ、こんなもん序の口ってんだ」
 そう言いながらも、リュウメイの挙動は幾分怪しくなっていた。小さく笑い声を上げながら、尻尾を何度も跳ね上げたりと、正体を失いかけている。
 ガルジアはそれに呆れながらも、強くは止められない。平時の自分であったならば、軽く顔を引っ叩いてやっただろう。しかし今、魔法に
掛かった白虎は、生娘のそれと同じ心境でもって、ただリュウメイを見守る事しか出来なかった。それは年若の青春に往々にしてある、自分が
情人に嫌われたくない故に、情人が過った道を進む事すら引き止める事も出来ずにいる状況に似ていた。その肩に触れてどうにか諫めよう
とするものの、その手が杯へ伸びる事は止められない。そうやって、おろおろとするガルジアの様子をもリュウメイは楽しんでいた。いつの間にか
店主までもが、にやついた顔で自分達を見つめている。ガルジアはリュウメイに気を取られて、すっかりその世話を焼きながらも、熱い眼差しを
送り続けていたので、すっかり恋仲であるとでも思われた様だった。修道院の中では恋も愛も男女の間で芽生えるべきものだと言われているものの、
一歩外に出ると、ガルジアが思っていたよりも同性同士の付き合いというものは公に行われている物だった。特に旅人の間では、そもそも性差
というものが希薄なのである。女の足での旅は厳しく、盗賊にも狙われやすい。また、男女の間では子を孕み、或いは孕まされて脱落する
事もある。女の旅路は昼夜を問わず、危険なのであった。そういう事もあり、旅人、冒険者、傭兵といった者達は、性別に頓着しないどころか、
男同士だからこそ、という部分もあるのは否定出来なかった。現に、ガルジアの居た修道院も、院内には基本的に女の姿は無く、修道士のみで
構成されていた。街道筋にある修道院では危険という事もあり、修道女はもっぱら、大きな街中にある修道院へ配されるのだった。
「兄さん達は観光にきたのかい?」
 リュウメイの飲む酒を次から次へと運び入れる店主は、ガルジアに恨めしそうに見つめられて苦笑しながらも、商売だからと笑い飛ばすと
また新たな酒をリュウメイへと手渡しながら、探りを入れる様に切り出した。表情も既にだらしがなく、いつもの面影を残していないリュウメイが酒を
受け取りながら何度も頷く。
「ああ、こいつがあんまり外を知らねぇもんでな。観光も兼ねてるんだよ」
「ははぁ。確かに、こっちの白虎の兄ちゃんは随分綺麗だし、相当箱入りみてぇだな」
「お、やっぱ分かるか」
「そりゃあもう。男なのに、甲斐甲斐しく兄さんの世話を焼いてるじゃないか。こりゃ、兄さんじゃなかったら、男もいける野郎なら
骨抜きになっちまうんじゃねぇかなぁ」
「そうだろう、そうだろう。でもこいつは意気地が無くてなぁ。いまだにあっちの方は……いてて」
 流石のガルジアも、リュウメイが言おうとしていた言葉に気づきその腕を抓る。なんの関係にも発展していないし、魔法が
解ければ、元の自分に戻るのである。愛しい男の口から出る言葉とはいえ、見過ごせなかった。店主はそれを別の意味で
理解したのか、更に表情を崩してこちらを見ていた。
 そうして時が経ち、店から出たのは空もすっかり宵闇に染まる頃合であった。ふらついたリュウメイの身体を見兼ねて
ガルジアが支えるのを、リュウメイの飲みっぷりと、珍しい種族である二人の姿に集まっていた者達が歓声を上げて見送っていた。
「もう、飲み過ぎですよ、リュウメイさん」
「ははは、流石にちっとやり過ぎたか」
 頭の上から、穏やかな声と、強い酒の匂いが伝わる。その匂いを嗅ぐだけでも、ガルジアはくらくらとしていた。ガルジア自身は
結局一杯しか飲んでいないというのに、ともすれば自分の足から力が抜けそうになる。
「見てみろ、ガルジア」
 声が掛けられ、ガルジアはリュウメイを支えながらも顔を上げる。目に飛び込んできたのは、いよいよ夜を迎え、賑わいもたけなわを
迎えたディヴァリアの、華やいだ街の様子だった。
 昼間のそれとは違い、光石、魔導士達が魔力を籠めていった水晶、宝石。それらが太陽の代わりを努める様に光を放ち、煌びやかな
色合いで街中が満たされていた。この街においては、夜の主役は空の月ではなく、人の手に寄りふんだんに鏤められた、地上の星なのである。
 それを見て、ガルジアはうっとりとして感嘆の声を上げた。全身で喜びを表し、ぴたりとリュウメイの胸に頬を押し当てた。自由気儘に外を歩き、
壮麗な街の百面相があって、隣には愛する男が居る。凡そ人生において幸福感を覚える物事が、今の自分には寄り添っているのだった。その内の
一つが紛い物だとしても、ガルジアは一時の幸せを噛み締めていた。
 夜を迎え益々賑やかに、より華やぐ街並みを名残惜しげに見つめながらも、二人は大通りから外れて静かな路地へと移動をする。道なりに
沿って設えられた腰掛けに並んで座り、一息吐く。遠くからは、いまだに覚めやらぬ喧騒が届き、こうしていてもまだ自分達は
あの中に居るかの様な錯覚に陥りそうになる。目の前を通り過ぎて行く者は、大抵は二人一組の、しけ込もうとする者達である。身形の良い男に
抱きつく、如何にも娼婦といった風体の女も居れば、行きずりの、初々しさを残す男女も、そして店の店主が驚いた様子を見せなかったのを証明
するかの様に、男同士、或いは街中である程度の安全が保障されている事もあって、女同士の組もちらほらと見える。それらは一様に、仕草のどこかに
淫靡な雰囲気を漂わせており、堕落の気配を孕んでいた。元々、魔導という怪しげな物を糧とし発展し、今日を迎えたディヴァリアである、
規則や規律という凡そ厳格な決まり事は程々に、退廃的な文化と認識を許容する者が多かった。何よりもガルジアを驚かせたのは、実は同性同士に
より繰り広げられる光景ではなく、異種同士の男女の組が多い事だった。ある程度似通った種同士でなければ、子は成せない。男女間において
そういった関係は、時には悦楽の奴隷と揶揄される事もあれば、時には損得を勘定せずに真の愛を求めた者として賛美される事もある。目の前を
行き交う者達がそのどちらに属する者なのか、ガルジアには区別も付かなかった。何れにしろ、生殖、繁栄という言葉から大きく掛け離れた
その光景は、男女とその間に産まれる子供を祝福する修道士のガルジアには、衝撃的な光景でしかなかった。今まで通ってきた街よりもそういう光景を
多く見るのは、それを知っている者達が目当てにして訪れているからだろうと、火照った頬を夜風に吹かれて冷ましながら、ガルジアは分析していた。
 そして自分の隣に居る男も、また。
 そよ風に髪を靡かせて、瞼を閉じ気持ち良さそうに涼んでいるその顔は穏やかなものだった。
「どうだガルジア、この街は」
「え?」
「俺は、好きだぜこういう街。誰も彼も好き勝手に騒いでやがる。悪かねぇな」
「そう、ですね……孤児が居る事が、残念ですが」
 リュウメイの言葉に賛同の声を上げながらも、ガルジアは昼間出会った子供の事を思い返していた。
「気にすんなよ。って言っても、無理な話だろうがな。まあ、これだけでかい街だ。あの餓鬼も、いずれはこの街にふさわしい奴になっていくさ。
ケチなごろつきになってるかも知れねぇがな。お前が心配する程、弱い生き物でもねえよ」
「そうですね。私もそう思います。私のした事も、余計な事だったのかも知れませんね」
「まあ、俺があの餓鬼だったら、てめぇをぶん殴ってから金だけ貰って行くけどな」
「本当、最低ですねあなた」
「そうだな、最低だ」
 そっと、リュウメイが腕を伸ばし、ガルジアの肩を掴む。その顔が接近してくる事に気づいたガルジアは身構えながらも、動けずにいた。
「そんな最低な奴が好きだなんて、お前も変わってるじゃねえか」
「調子に乗らないでください。いくら私があなたを好きでも、それは魔法のおかげなんですよ。あ、明日になったら、もうあなたなんて」
「でも今は好きなんだろ?」
「……はい」
 この言葉には、リュウメイは笑いが堪えられないといった様子でくぐもった笑い声を上げていた。顔を背け表情を隠しながらも、
肩を震わせている。ガルジアは羞恥心に顔を熱くして、皺が出来る事も気にせず服を強く握っていた。一頻り笑ってから、満足したのか、
リュウメイが再び寄り添うと、そのまま凭れ掛かってくる。ガルジアは押し倒されぬ様に踏ん張ってから、揃って壁に身体を預けて落ち着く。
「不思議ですね、魔法のせいなのに……こんなに穏やかに過ごせるなんて」
「もっと良い事でも期待してたのかよ?」
「期待なんてしません。でも、リュウメイさんですから」
 僅かに身動ぎをするだけで、それ以上は何もしない。行き交う人々の中で二人は、ただそれを見守る彫像にでもなったかの様だった。
 時折物珍しげにこちらを見る者も居るが、リュウメイの持つ剣と、酔った様子に早々に視線を逸らしている。先程の店で座る際に邪魔なので
佩していた剣を取った時も、他人に触れられず、いつでも抜ける様にしていたし、今も酔った素振りはみせていても、その体勢を崩しはしない。泥酔
していても、その辺りの所作は流石に剣の腕を売るだけの事はあった。
「時々思うんです、あなたの事を」
「本当はずっと好きだったって?」
「そうじゃないですよ」
 苦笑いを零してから、ガルジアは人が通り過ぎるのをたっぷりと待って続きを告げる。
「修道士の皆や、修道院に来る人達と、こういう街の人達って、表情がまったく違うじゃないですか」
「まあ、そうだな」
「それに、あんまり仲も良くない。私は修道院に居たから、物欲で動く様な事がないようにと育てられましたし、そういう人達を
修道士達が良く思っていない事は知ってます」
「この街の奴らは、逆だな。他人に縋って生きるなんて事はしねぇし、そういう奴は、軟弱者だって笑われる」
「はい。私は、その……どちらも悪くは言いたくはないんです。修道士であっても、他の修道士とも私はまた違っていて、
外に出る事を禁じられてばかりでしたから。同じ修道士であるはずなのに、違うんです。
だから、リュウメイさん。私はあなたが気になるんですよ」
「意味が分からん」
「あなたは、他人の生き方を否定しないじゃないですか。いっつも私に向かって、好きにしろ、自分で決めろって。
修道院も、この街も、そこに居る人は、そこには居ない人の生き方をどこかでは否定するんです。
でも、あなたはそうしない。私が修道士であっても、私の生き方に口を挟んだりしない。最近、少し分かってきました。
荒々しいだけだと思っていたあなたが、けれど本当はそうではない事に。あなたはただ、あなたらしいんですね」
「俺が特別なんじゃねえさ。他の奴が、てめぇの自信の無さを他人のせいにしてるだけさ」
「それが凄いと言ってるんですよ、私は。魔法に掛かっている今だけじゃありません。ずっと、そう思っていたんです」
 どこに居ても果断とし、あらゆる外圧を物ともしない。外に憧れを抱き、しかし禁じられているのだから仕方がないと
諦め続けてきた自分とは、あまりにも対照的だった。例えその行く先が死地であり、正道と言えずとも、ガルジア羨望を抱くのだった。修道士で
あるはずの自分が抱いてはならない想いだと気づきつつも、こうして傍に寄り添い、そして愛しさも加わった今、自分の気持ちに逆らう事など
出来はしなかったのである。真っ直ぐに見つめた。ガルジアの青白い瞳と、リュウメイの金の瞳の視線が絡み合う。リュウメイは何も言わず、しばらく
見つめ合うと満足した様に立ち上がり、帰路へ着く事を告げる。ガルジアはただ、頷いてみせた。
 
 宿に戻ると、部屋に二人きり。本当に、二人きりになった。今はもう、自分達の姿を見る者とて居ない。その状況が、今は心底
胸をざわつかせる。ガルジアは俯いたまま、それでも時折我慢出来なくなり、顔を上げてはリュウメイをちらちらと見つめる。
 リュウメイと目が合うと、慌てて視線を逸らした。
「面白ぇな、そそるぜ」
 足音が、リュウメイが近づいてくる。それに合わせる様に胸の鼓動も早まった。ベッドに座っていたガルジアに、リュウメイが高さを合わせてくる。
「リュウメイさん、やめてください」
「いいじゃねぇか。俺の事が好きなんだろ?」
「それは……そう、ですけど。でも、魔法の効果ですこれは」
 口から否定の言葉を吐き出しながら、それでもガルジアはリュウメイを求めている自分に気づく。本当に恐ろしい魔法だった。理性を失っている
訳ではない。ここで道を踏み外せば、解けた後自分が泣き寝入りする事も想像出来る。しかし、それでも。抗えない力がガルジアを動かそうとする。
 嘲る様にリュウメイが笑っている。自分を試しているかの様にガルジアには見えた。
「本当に嫌な魔法ですね。リュウメイさんの事、独り善がりで、守銭奴で、乱暴な人だと思っていたのに。
私をこんな気持ちにさせて、それなのに、これは魔法によるものだなんて」
「魔法が効いてても減らず口は変わらねぇ訳か」
「……でも、羨ましいとも思ってました。自由で、迷う事もない。あなたはいつだって好きな事に直向きで。私は、そんな風になれそうにありません」
 ぽつりと本音が零れる。魔法に掛かる前から思っていた事だった。今だけは、魔法にせいにして言いたい事が言える。
「魔法に掛かった今も。……なれそうに、ないんです」
「……ガルジア」
 リュウメイが肩に手を掛ける。そのまま押されて、ベッドの上へガルジアは倒れた。
 その上にリュウメイが覆い被さってくる。まだ笑っていたが、嘲る様な笑みではなく、ただ優しかった。
「リュウメイさん、駄目です。私は修道士なんですよ」
 赤髪が、ガルジアを包み込む様に降ってくる。窓から射した淡い外の光に照らされ、しかし髪に包まれると光もにわかに遮られ、
薄暗さとリュウメイの息遣いだけが残った。僅かに荒らげたそれは、普段のガルジアならば悲鳴を上げて逃げ出す様な
仕草である。しかし今は、愛しかった。リュウメイが自分の身体を見つめていて、そして情欲を掻き立てるその様が、堪らなく愛おしい。先程まで
口にしていた強い酒の匂いが、接近し、赤髪のカーテンで隔てられた今、ガルジアの思考を奪い取ろうとする。匂いに当てられ、ガルジアは喘いだ。
 リュウメイの手が伸びて、胸に当てられる。びくりと震えながら、ガルジアは目を瞑った。震えながら、その手の温もりが、全身の体毛を逆立てさせる。
 思わず口を開け、開いたまま言葉を発する事が出来ず、ただ涙を浮かべて、懇願する様にリュウメイを見つめた。リュウメイがそっと顔を下ろす。口付けでも
するのかと僅かに躊躇いを見せたガルジアの予想を裏切って、その顔は逸れて横へ。
「馬鹿だなてめぇは。それじゃ、拒否してる様に見えねぇよ」
 耳元でリュウメイの声が聞こえる。吐息が、ガルジアの身も心も捕らえる。合わせた胸からは、リュウメイの鼓動が伝わってくる。挙措はいつもの様に
平静を装っているのに、高鳴る胸と荒れた息遣いから、リュウメイもまた今の雰囲気に呑まれているのだという事をガルジアは知った。
 流されそうになる。このまま、何も考えずリュウメイと一緒になりたいと思った。

「……で、どうなったんすか!?」
 詰め寄られて、ガルジアは両手で顔を覆う。ライシンの唸り声が聞こえる。
「あ、兄貴なんて事を……。だからあれほどやっちゃ駄目って言ったのに」
「おい、何もしてねーぞ俺は」
 不機嫌そうなリュウメイの声が聞こえる。ガルジアもそれに頷いた。
「本当に何も無かったんです。嘘じゃありません。信じてください」
「って言われても。じゃあなんでそんなに辛そうなんすか。怪しいっす。すっごく怪しいっすガルジアさん」
 手を下ろしてライシンを見つめると、なんとも複雑そうな顔をしていた。確かにライシンの気持ちを斟酌すれば、無理からぬ事ではある。
「しゃーねーだろ。そいつが」
「言わないでくださいリュウメイさん!」
 口を開いたリュウメイを慌ててガルジアは止める。手を伸ばして口を塞ごうとするが、すぐに払い除けられた。
「ちょっと手出しただけで石みてぇに固まりやがって。これだからなんの経験もねぇ童貞は」
「ああー!」
 耳まで熱くなる。今度は惚れたからではなく、羞恥からである。
「ちょっと服肌蹴させて、耳や首舐めただけだぜ? そしたらもうなんの反応も……」
「やめてください! それ以上言わないで!」
 泣きながらリュウメイを押さえようとする。逃げながらリュウメイは説明を続ける。狭い部屋なのに、中々捕まえる事も出来なかった。
 細長いリュウメイの尻尾が、ガルジアを馬鹿にした様に揺れていた。今度は尻尾に狙いを定めるが、それでも捕まえられない。
「へぇ、なんだ……。じゃあ、何も無かったって訳っすね」
 一人動かずに居たライシンが感想を漏らす。足を止め、俯きながらガルジアもこくりと頷いた。
「やっぱこういうのはいきなりじゃ面白くねぇな。もっと少しずつ追い詰めて、てめぇから強請る様に躾ねぇと」
「おおぅ、兄貴……エロいっす。最高っすね」
「もう止めてくださいそういう話するの。それより、召導書についてはどうなったんですか。説明してください」
 必死に流れを変えようとガルジアは努める。ガルシアに掛かった魔法は、翌朝になれば綺麗に抜け落ちていた。当然ガルジアは
リュウメイとの事を思い出し、奇声を上げたり、悶絶したり、部屋を行ったりきたりするなど、とにかく忘れるために精一杯の努力を
していたが、その度にリュウメイの邪魔が入っていた。そんな場面に疲れた様子のライシンが帰ってきたのだから、当然流れは二人の
顛末になる。ライシンに詰め寄られて、改めて昨日の事を思い出したガルジアは顔を覆う事しか出来なかった。
「ああっ、一生の恥です。リュウメイさんなんかに弄ばれて。最低です、私」
「ノリノリだった癖に何言ってんだ淫乱修道士が」
「だからそれは魔法のせいじゃないですかっ! あとそういう呼称をするのは止めてください!」
 落ち着いた頃に、こうしてリュウメイが素早く蒸し返す。そんなやり取りを繰り返していた。
 ガルジア自身も放置するのが一番だと分かってはいても、リュウメイがその度に嫌らしい顔で好き勝手な事を口にするのである。
「まあまあガルジアさん。正直羨ましいっすけど、何も無かったんですから」
「元はと言えばライシンさんがあんな宝石を買うからいけないんですよ! あんな物で人をどうにかしようだなんて、卑劣漢!」
「おぉっ、今度は俺っちにガルジアさんの怒りが」
「相当来てるなこりゃ」
「二人ともそこに直りなさい! 今日という今日は、許しませんよ!」
 がなり立てるガルジアを二人が宥める。結局、落ち着いたのは陽が昇りきった頃だった。
「結論から言うと、あんまり有力な情報は得られなかったっすよ」
 頭を押さえながらライシンが結果を口にする。散々ガルジアが暴れた際に、何度か殴ってしまった様だ。
 続けて魔法の呪いを解く方法は良い物が見つかったと言ってたいたが、既に効果が切れているのでほとんど無駄骨に終わっていた。
「当時の情報はあったっすけど、何せ盗まれたのは五十年も前。目新しい物は何も無かったっす。
有力な情報には賞金も出されるみたいっすけど」
「金目当ての奴が集まっただろうな」
「一般人に開示されてる情報じゃ、やっぱりこんなもんっすかね」
「そうですか……ありがとうございます、ライシンさん。二人とも、ごめんなさい。ここまで来たのに」
 長々とここまで旅に来て、結局召導書の手掛かりは掴めず。盗まれた召導書の事を案じながらも、付き添ってくれた二人に申し訳なく思う。
「仕方ないっすよ。それになんにも分からないって訳でもないっす。
五十年も前に盗まれたっていうなら、盗んだ本人はもういい歳した爺婆か、墓の中って事っすから」
「その歳まで盗賊やってんなら、もう外には出ないで手下に任せてるか、隠居してぬくぬくとしてるかもな」
 そうなると、目撃証言など有力な物が今集まらないのも仕方が無いと言えた。
「そもそも、何十年捜しても見つからない物を今から捜してすぐ見つかるなんて虫がよすぎるっすよ」
「そう、ですよね。はあ、やっぱり簡単にはいかないものなんですね」
 それで、召導書についての話を終える。ディヴァリアにおけるガルジアの用事はそれで済んだので、後はリュウメイの行動に合わせる事になった。
 まだやる事があるのかすぐには旅立たぬ様で、一昼夜調べ物をしていたライシンも休んでいた事から、その日も三人は
街に滞留する事に決める。依然身体は疲れており、ガルジアには有難い話ではあった。段々と居心地も良くなってきた宿の部屋で、ガルジアは横になっていた。
 微睡んでいたが、物音が聞こえて薄っすらと目を明ける。この間の一件以来、どうもこういう事には敏感になってしまった気がする。
 視線の先には気持ち良さそうに眠るライシンの寝顔があった。流石に丸一日情報を集めて疲れが出たのだろう。
 思い返せばライシンも、旅をしている時は荷物持ちを押し付けられており、やはり驚嘆するものがあるとガルジアは暢気に考える。
 足音が立つ。それは少しの躊躇いを耳に届けた後、部屋の外に向かい、扉を閉めてどこかへ消えていった。
「リュウメイさん?」
 足音が消えてから声に出す。ゆっくりと気だるい身体を無理に起こす。一度眠りについていたから、身体を動かすのが辛い。
 振り返ると、リュウメイの寝台は蛻の殻だった。慌ててガルジアも起き上がる。手早く着替えを済ませ窓の外を
窺っていると、外に出たリュウメイの姿があった。真夜中の今であっても、その赤髪はよく見える。闇に中に揺蕩う炎の様に、ガルジアを誘っていた。
 ライシンを起こさぬ様に外に出て、宿からも出るとリュウメイが向かった方向へと走る。あれほどお祭り騒ぎをしていた街も深更に至れば
落ち着き、いまだに帰らぬ酔漢に、野宿を決め込む者の姿が僅かに見えるだけとなった。リュウメイの特徴が分かりやすいがために、それらには近づかずに街を行く。
 しばらくは見失ったリュウメイを捜していたのだが、段々と景色に変化が訪れる。先程まで居た場所は華やかな様子を見せていたのだが、
今は廃屋が多く並んでいた。通りを照らしていた人工物の光源は姿を消し、薄暗い深遠の闇が広がってゆく。どんなに綺麗な街でも、その裏がある。昼間見た
孤児と同じだ。貧民街にでも出たのかと、ガルジアは躊躇する。こういう所にはごろつきが多い。戻ろうかと振り返ったと同時に、叫び声がして身を震わせた。
「えっ……?」
 思わず後退りをして、逃げ出してしまおうかと逡巡する。しかしこの先にリュウメイが居るのなら、心配である。
 意を決して走り出した。危なければ、そのまま踵を返せば良い。声のした方向へ走る。一度では止まず、続け様に悲鳴が上がる。
 近づいてはいけない。本能が告げていた。しかし不思議と足は戻ろうとはせず、自分の足ではないかの様に動いた。
 その場所に辿り着いた時、最初に感じたのは、異臭だった。鼻を刺す、強い臭いだった。
 ここには大通りにあった様な華やかな照明具などありはしない。月影に照らされて、怪しくそれは光る。光っているのは、そこにこびり付いた赤い液体のせいだった。
 そして、ガルジアの瞳に映り出される。切り伏せられ、倒れる者の姿が。
 赤髪が振り乱された。金色の瞳が地に伏せた者達を冷徹に見下ろす。
「リュウメイさん……?」
 声を振り絞った。赤髪の男が顔を向ける。
 口元に笑みを湛え、リュウメイはガルジアを見ていた。

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