![](https://static.wixstatic.com/media/ee5d76_678b8fe272e444a9b0ff3870c9297ff5~mv2.jpg/v1/fill/w_418,h_243,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/ee5d76_678b8fe272e444a9b0ff3870c9297ff5~mv2.jpg)
ヨコアナ
6.法術都市にて
燦々と照りつける太陽が、体毛の上からでも容赦なく肌を焼いていた。踏み出す足は痛みに震え呻き声を漏らす。
しかしそれでもガルジアは怯む事もせずに、懸命に足を踏み出していた。遠くではリュウメイが自分をねめつけている。
「早くしろ」
「は、はい……」
「兄貴、そろそろ休まないっすか?」
リュウメイの隣に居るライシンが、こちらをちらちらと見つめながらも提案をすると、それを聞いたリュウメイはあからさまに顔を顰める。
「ふざけんな。こんな調子じゃいつまで経ってもディヴァリアにゃ着かねぇだろうが」
「それはそうっすけど、ガルジアさんが」
「大丈夫です、ライシンさん」
息も絶え絶えながら、二人の元まで行くとガルジアは微笑む。大きな荷物を背負いながら前を歩くライシンは、未だ息を荒らげてもいない。
対する自分はほとんど何も持っていないどころか、先程苦しさに耐え切れずに僅かばかりの荷物すら渡したばかりである。
一歩踏み出す。それと同時に身体から力が抜けて、そのまま倒れ込んだ。自分を呼ぶライシンの声が、何度も遠く聞こえていた。
ひんやりとした感触がして、ガルジアは薄っすらと目を開ける。
空を見上げようとしたが、明かりに照らされた岩肌が見えてゆっくりと起き上がった。気を失う前まで視界に広がっていた陽射しは
どこにも見当たらず、焚かれた火が僅かな光源となっている。起きた拍子に、湿り気のある布が自分の掌へと落ちてくる。
「あ、ガルジアさん。大丈夫っすか?」
「……私」
火の面倒を見ていたライシンに声を掛けられた。木をくべられた火から、パチパチと小気味好い音が上がり、僅かな焦げ臭さが漂う。
昼間は厳しい陽射しに見舞われ、暑さに喘いでいたというのに、宵闇の今は僅かに肌寒さを感じる。揺らめく焚き火はガルジアの身体を
温め、その温もりは疲れすらも癒そうとするかの様に快かった。
「ちょっと無理しすぎっすよ。倒れるまで頑張るなんて」
火の番を止めて、ライシンが掌に光を灯して触れてくる。足を何度か揉まれると、昼間感じていた激痛が次第に和らぎ、ガルジアは
何度も礼を述べた。そうしながら、辺りを見渡してリュウメイの姿が見当たらない事に今更の様に気づく。
「リュウメイさんは、どちらへ」
「薪集めと、見回りに。良い感じに洞穴があったんで、今日はここで野宿っすよ。
魔物の臭いや毛が落ちたりもしてないっすから、安全みたいっす」
「すみません、ご迷惑を掛けてしまって。リュウメイさん、怒ってますよね」
元々、自分の体力の無さからディヴァリアへの道程ははかが行く事はなく、遅れに遅れていた。その遅れを取り戻すために
ガルジアも必死だったのだが、無理が祟った様だ。
エリスに着いて初日の夜には盗賊に狙われた事を考えれば、馬鹿正直に街道を歩けば新たな盗賊に遭遇する可能性もある。リュウメイの
言葉に頷き、悪路を行ったのも災いした。
「うーん、どうなんすかね……兄貴は何考えてるのか、ちょっと分からないっすから。
でもガルジアさんが倒れた時、すぐに駆け寄って抱き上げてたっすよ。嫉妬しちゃうっす俺っち!」
ライシンが身振り手振りを加えて、どんな風にリュウメイが自分を抱き起こしていたかを説明する。それを半笑いで受けながら、
少し身体を移動させる。洞穴の入り口に寝かされていたのか、そうするだけで外の様子が窺える。空には幾つもの星が既に煌き、夜の舞台を彩っていた。
遠くから足音が聞こえた。それほどの間を置かず、音の方向から男が現れ、炎に照らされる。リュウメイだった。
「もう起きたのか」
「兄貴。おかえりっす」
薪を抱えたその姿は、僅かに返り血を浴びていた。夕闇の中灯りも持たずに歩いていたから、魔物にでも襲われたのだろう。それを
報告する事もせず、薪を置いて、リュウメイが火を囲む様にして座る。そうして炎に照らされていると、立派な赤い長髪も相まって
炎の化身の様である。物言わぬ超然とした姿は、平時のそれとは異なり厳かな雰囲気を伝える。
「とりあえずこれだけあれば足りんだろ」
「リュウメイさん、ごめんなさい」
言葉に、リュウメイは反応を示さない。俯くガルジアを他所に、ライシンを見遣っている。
「容態はどうなんだ」
「ただの過労っすね。兄貴や俺っちみたいに旅慣れた訳じゃないのに、無理するからっす。
一応聖法で治療出来るだけは治療しやしたが、街に着いたら少し休んだ方がいいっす」
無理をしているのは自分でも分かっていた。リュウメイと会ってから禄に休みを取っていないのだ。本当なら港町でもう少し休むつもりだったが、
盗賊の襲撃に遭い、長居をするのを避けたのが悪かった。唯一ゆっくりと休む事が出来たのはフォーリアの港町だったが、それを
先を急ぐリュウメイに急かされたのが災いした。慣れない船旅は深い眠りを妨げたし、その後の事はもはや語るまでもない。
「とりあえず今夜はここで休むしかないっすね」
ライシンの言葉を皮切りに、それぞれが身体を休める。休む前にライシンが一度外に出ると、何やら魔法を唱えてから
戻ってくる。ライシンが来てから野宿が前よりも安全になったのは有り難かった。どういった魔法なのかはガルジアには
よく分からないが、魔法を張った一定の場所に侵入者が来るとライシンにそれが伝わるらしく、実際に何度かそれで魔物の接近を察知する事もあった。
残り火が僅かな温もりを伝えてくる。それを感じながらガルジアは物思いに耽る。既に隣からは寝息が聞こえていた。
微睡みながら、夢を見る。遠くなる二人の姿。ガルジアは、それをただ見つめているだけだ。
どうして。
口から出たその言葉は音にはならず、涙が頬を伝う。遠ざかり、見えなくなる。泣き崩れた自分の喚き声だけが耳に煩く響く。
涙の流れる感覚が現実になった頃に覚醒した。案の定、泣いていた。乱暴に拭う。何故今更こんな夢を見たのだろうか。置いて
いかれるのが怖くて、背中を必死に見つめていたのが今日の自分と重なったからなのだろうか。背を見つめ、追い縋る。いつも届かない。
「しっかり寝ろ。明日も倒れるつもりか」
溜め息を吐くと、起きていたのかリュウメイが言葉を発する。当のリュウメイは壁に身体を預け、いつでも夜襲を迎えられる体勢をしていた。
それを見て、思わずガルジアはまた溜め息を吐いてしまう。この男は、一時ですら無防備を晒す事が無いのだ。ただ腰巾着として
付いて回っている自分が不甲斐無くて、ただ情けない。
「ごめんなさい」
もう一度謝る。リュウメイは相変わらず何も言わず、残り火に少しだけ薪を足した。激しく燃え上がる事はないが、
仄かに点る炎がそれで活気付く。そうしていれば、朝になるまで暖かさが保たれる。口に出さぬその気遣いが、この男が
本当に心から野蛮なだけではない事を物語っていた。目を閉じたリュウメイは身動ぎもせず、ただ焚き火の上げる音に混じって
遠くから聞こえる物音に神経を尖らせているのだろう。時折顔を上げて遠くを見つめては、元に戻る事を繰り返していた。
「リュウメイさん。リュウメイさんは、蜥蜴に生まれて良い事ってありました?」
唐突に、ガルジアは訊いてみた。夢の内容を知らせたくなく、しかし言葉を交わしたい。そんな思いから出た言葉は
不自然極まりなく、さしも無表情を保っていたリュウメイも思わず訝る様子を見せた。
「なんだ藪から棒に」
「私は、白虎に生まれてこの方、良い思いをした事がありません」
先の言葉の説明もせずに、ガルジアはぽつりと続きを零した。本当に、何も無かった。両親に見放され、賊に狙われ。疲れ果てた自分がここに居るだけだ。
リュウメイもまたその説明を求める事なく、じっとこちらを見つめていた。その視線が、不意に逸らされる。
「さあな。忘れちまったよ」
「そうですか」
白虎程逸話が無いからか、リュウメイは自分の特徴を深く捉えていない様にガルジアには思えた。それが時折、堪らなく羨ましいと感じる。
「どうして私が修道院に居るのか、話しましたっけ」
「知らん」
ぶっきら棒な返事に苦笑いを零しながら、遠い日の記憶を脳裏に甦らせる。物心が付いた頃だろうか。両親が自分を修道院に置いて姿を消したのは。
小さく、遠ざかってゆくその後姿。今でもそれだけは忘れられなかった。泣きじゃくるガルジアに、修道院の者は白虎は特別な存在だからと
何度も諭す様に教えてくれた。生活の不自由はしなかったが、外に出る事はほとんど禁じられていた。ガルジアが出歩けたのは、
ついこの間まで修道院近くの村までだったのだ。
それが、所用を任せる者が見当たらなかったところを立候補し、無理に仕事を預かると念願だった外の世界へ飛び出していた。知識としては
一通りの事は修めていたものの、やはり聞くのと実際に見るのでは違うもので、新鮮な世界を束の間満喫し、楽しんでいた。
そして、リュウメイとの出会い。
最初の頃は強く、そして今も少しだけ、どうしてこんな男に遭遇してしまったのかという思いがある。しかし旅をしている内に、ガルジアは
気づいてしまっていた。人々の自分を見る目に。白虎という存在の危うさに。リュウメイと出会うまではただ運が良かったのだと、賊に執拗に
狙われた事で思い知らされる。同時に、何故両親が自分を捨てたのか。何故周りの者達が外へ行く事を許さなかったのかを理解する。
「白虎が幸運の証だなんて、笑ってしまいますね。自分にも他人にも、幸運なんてあげられなかったのに」
「だったら、あの匪賊に捕まってあいつらの糧になった方が良かったか?」
「嫌ですよ。意地悪ですね、本当に」
思わずガルジアは笑い出した。
「言いたい事はそれだけか」
「……そうですね。あと一つだけ。私が傍に居ても、迷惑ではないでしょうか?」
匪賊を壊滅させて次の街に向かう道中。悪路を選んでいてなお、既に何度か襲われている。目的は勿論白虎であるガルジアだった。
不幸を呼び続けている。そう思った。このまま迷惑を掛け続けるのは忍びなくて、そう尋ねた。
「学習しねぇ奴だな。好きな様にしろと言ったはずだぜ」
「それは、そうですが」
まだこんな事を言うリュウメイが、羨ましいと束の間思った。リュウメイは、強いからそんな事が言えるのである。襲われても、
跳ね返す。自分に出来るのは、ただ哀れみを請いながら、詩を口にする事だけだ。
「大体借金を返すまでは俺の所有物だ。黙って付いてくればいいんだよ」
「またそれですか。本当にあなたって人は」
「ガルジア」
遮る様にリュウメイが名前を口にする。
残り火に僅かに照らされたリュウメイの顔は無表情に戻り、それでも僅かに視線を上げるとあの瞳が見える。自分を射抜く様に見る金色。その意志の
強さ。他のどんな仕草や言葉に代えたところで、今よりも雄弁に語るものとてありはしない。
「どういう風に生きたって、くたばって百年も経てば大抵の奴は誰からも忘れ去られる。
千年も経てば、それこそ偉人や大罪人しか記録にも残らねぇ。
どう生きたってそうなるんだ。だったら、てめぇの好きな様に生きてみな」
「……はい」
「なら、この話はもう終いだ。くだらねぇな。愚痴を零す暇があるんなら、さっさと寝て体力付けろ。明日は背負ってやらねぇぞ」
言いたい事だけ言い終えると、少しだけ体勢を直したリュウメイからもやがて寝息が聞こえる。
改めて、ガルジアはその精神性に驚いていた。話を聞けば、自分より年下だというのだが、とてもそうは思えない。今まで生きてきた
環境がそうさせているのだろう。だとしたら自分は、やはり経験が足りない。そして、この男はどんな道を歩いて生きてきたのだろうか。この時に
なって初めて、ガルジアはリュウメイという男を侮蔑や羨望ではなく、純粋な興味を持って見つめていた。しかしすぐにそれも止めて、自らも
眠りに落ちようとする。両腕を交差させ肩を抱いた。尻尾の先までぴったりと身体に這わせて、丸くなる。
「好きな様に、ですか。……そんな難しい事を、私に言うんですね」
すぐに寝返りを打って、呟く。
幼い頃から何一つ、許されはしなかった事だった。
重い足を引きずった。引きずりながら、それでも前へと進む。
「ガルジアさん、ファイトっす!」
「はいっ!」
途中で拾った木の棒を杖代わりに、ガルジアは懸命に坂を登った。坂というのもおこがましい程、実際には緩やかな傾斜のそれは、
しかしここまで歩いてきたガルジアにとっては難関であった。その先にある巨大な門。人のざわめきが、既に聞こえていた。
法術都市ディヴァリアは、今や目と鼻の先である。
入り口では既に先に着いたリュウメイとライシンが待っている。二人の力を借りても良かったが、今のガルジアはそれを拒否して自分の力で歩いていた。
一歩一歩を確実に踏み出し、やがては二人の元へ。崩れ落ちる様にして、門へと凭れ掛かった。
「と、到着……」
「やったっすね!」
息を切らし、一度深呼吸をする。そのまま座り込みそうになるのをどうにか堪えた。
「行くぞ」
深呼吸を繰り返し息を整えていると、リュウメイは足早にディヴァリアへと歩を進める。流石に、これにはライシンも僅かに眉根を寄せる。
「ちょっとくらい待ってくれてもいいと思うっすけどねぇ……大丈夫っすか、ガルジアさん」
「はい、ありがとうございますライシンさん。それと、リュウメイさんは充分待ってくれましたよ」
今までだったら、ライシンが面倒を見るのを見越して置いてゆく事もあっただろう。態々到着するまで待ってくれただけで、ガルジアには充分なものがあった。
「……なんか二人とも親密っすね。まさか俺っちに内緒でいけない関係に」
「ち、違いますっ。どうしてそういう方向に持っていこうとするんですか、二人とも」
「そりゃ、ガルジアさん見たらなんか催すのは分からなくもないっすけど」
顎に手を当て、目を僅かに細めたライシンにじっと見つめられる。思わず後退りをした。見知った間柄といえども、
リュウメイやライシンが時折見せるこういう仕草に、ガルジアは慣れる事が出来ない。品定めをする様なその動きは、
修道院の中に居ても遭遇するガルジアの苦手な仕草だった。
「そんな目で見ないでくださいよぅ……」
「それっすよ、その反応。ああもう俺っちもそんな性格だったら」
恥らう仕草を取り上げられて、ガルジアは考え込む。自分の反応がリュウメイを楽しませているのは分かっているのだが、
幼い頃からの振る舞いというのは中々変えようがないもので、咄嗟の反応ではどうしても地が出てしまう。
「ほら、行きましょう。リュウメイさんを見失ってしまいます」
やり取りの間に大分体力も回復し、先を促す。三人が最初に目指したのは宿だった。ディヴァリアの観光なんぞは後回しで、
今は疲れた身体を休ませるのが何よりも優先される。
十日もあれば着く道程だったのに、ガルジアの体調を気遣ったために三日は遅れていた。当然その分の食糧は行く先で。確保
出来なければ耐えるしかなかったのだ。糧食の点でもまた、ガルジアは二人の物を受け取る事が多かった。修道院でぬくぬくと
育ったガルジアには、野生動物、果ては魔物ですら場合によっては食さなければならない旅人の逞しさは備わっておらぬ。そうと見て、
早めに獲物を捕まえるとその分の浮いた保存食すら回されていたのである。自分を無理に同行させているリュウメイからの援助は、受ける事も
納得出来たが、ライシンにまでそれをさせてしまっているのがガルジアには心苦しかった。そう思っても食事を取らなければ力が出せず、
また足を引っ張る結果になる。申し訳なく思い何度謝っても、ライシンはにこりと笑うだけであった。
前を歩くリュウメイを注視する。疲れた様子などおくびにも出さないが、自分と同じで長旅続きである。疲れは溜まっているだろう。
そういう部分を見る様になってから、ガルジアのリュウメイに対する評価は少しずつ良くなっていった。元々が最低だから、というのもあったが。
宿を取ると、部屋の様子など普段はつぶさに見て回るが、今日だけは三人とも何も言わずに倒れ込む様にしてベッドへと沈んだ。まだ太陽は中天を
過ぎた頃だというのに、誰一人として起き上がる気配もなく、ガルジアもただ睡眠を貪った。陽が沈み、夜が訪れ、月が沈み、空が曙光に白んでも、まだ起きない。
陽が昇りきった頃にガルジアはようやく起き上がった。意外にもリュウメイとライシンはまだ眠っている。そっと二人を見遣れば、
物音一つ立てずに静かなままであり、自分に付き合わせたばかりにかなりの疲労を我慢していたのが申し訳なく思えた。
窓際へ行きカーテンと窓を開ける。陽光を一心に浴び大きな欠伸をした。白い皮毛が陽を照り返し、光り輝く。微風に口元を緩ませた。街並みの喧騒を
聞きながら、二人を起こしていやしないかと時折振り返る。予想通り、二人からの反応は無い。
身体の調子を確かめる。痛みは、足から強く感じた。旅の間ずっと感じ続けてきた痛みではあるが、それが今日は殊の外強く感じた。二度、三度と
足踏みをする。その内慣れると分かっていても、起床直後の痛みは中々慣れない。それでもようやく人心地付いたのだ。痛みはあっても、疲れは大分和らいでいた。
外の景色に目を落とす。ディヴァリアは活気のある街だった。大都市、と表現しても差し支えないだろう。
窓から望める景色だけでも、それは窺い知れた。遠くの市場から、威勢の良い掛け声がする。そこへ向かう通りの一角にある、
宿場の二階。そこから眺めるガルジアは行き交う人々を眺めては、今日は何かの祭りなのだろうかと訝しむ。一様に彼らは朗らかで、陽気に
歌う者も居た。特にガルジアの目を引いたのが、遠くにあっても一際目立つ、空に届かんばかりに突き出た球体状の屋根を持つ建物だった。
街の中心にあるそれは、一角にあるこの宿からも眺められ、この街の象徴とも言えそうな代物に見えた。
「こんなに大きい街、初めてです」
うきうきとしながら、ガルジアは垂らした尻尾を左右にゆっくりと揺らす。これからあの中に自分も飛び込むのである。
「おはようっす。ガルジアさん」
声を掛けられて振り返る。後から起きた熊人のライシンは眠そうに目を擦ったり、腹を掻いたりしている。泥の様に眠っていたのか、
いつもは快活なライシンも、今は少しだけ控えめで、外の騒ぎにも迷惑そうな顔をしていた。
「おはようございます、ライシンさん。すみません、起こしてしまいましたか?」
「いや、いいっすよ。丸一日も寝ちまったし、俺っちはもう充分っす」
「随分寝てしまいましたね。私も含めてですが」
「長旅だったっすからね。一月近くなら、こんなもんっすよ。もうちょっと安全な道や地域だったら別の話っすけど」
地域によっては、魔物の被害がほとんど無いという場所もあった。大抵は清められた地であったり、或いは大規模な魔物の駆除が成された場所である。
ただ、そういう場所は往々にして匪賊の縄張りにもされやすい。結局は、そうそう旨い話は転がっていないという事だった。
ガルジア達が通った道は悪路ではあったが、盗賊との好戦は数える程しかなく、相手の数も少なくて済む。その分魔物との
遭遇回数は増えるものの、一度狙いを定めたら街を跨いでも追いかけてくるしつこい盗賊と比べれば、楽なものである。
「今日は街に出てみるっすよ。ついでに魔法関係の施設も。召導書の手掛かりなら、やっぱ図書館や学園がいいっす」
「分かりました。……となると、残るは」
二人揃って視線を向ける。いまだに残りの寝台の上では、赤髪の蜥蜴男が眠っている。
「今日は随分遅いですねリュウメイさん。いつもは私より早いのに」
道中でも、大抵自分が目を覚ますとリュウメイは起きている事が多かった。いつ眠っているのだろうと思う程である。眠っている様に見えても、
僅かな物音で顔を上げてしまうのだ。初めの頃、僅かに逃げ出したい気持ちがあった頃は、それを見て逃げ出す事を綺麗に諦めた程である。
眠るリュウメイを見つめながら、ライシンがちょっと心配した顔付きで溜め息を吐く。
「兄貴、ちょっと損な性分っすからね。安心出来る所じゃないとあんまり眠れないみたいっすよ。
まあそのおかげで旅してる時は見張りが出来るっすけど」
「ああ、そうなんですか。そういえばいつも見張りをしていましたね」
座って眠るのも、そのせいなのだろう。剣を抱きながら静かに眠るその姿は、やはりただの助平なだけの男とは思えない。
「どうしましょう。このまま寝かせてあげたい気もしますが」
「とりあえず一度だけ訊いてみるのはどうっすかね。勝手に置いていったら、それこそ後で何言われるか分からないっすよ」
「それもそうですね。……リュウメイさん」
リュウメイのベッドに歩み寄り、枕元にガルジアは腰掛ける。軋むベッドにも、リュウメイは反応を示さず静かに眠っていた。
こうして見ていると、普段の柄の悪さは鳴りを潜め、蜥蜴人という事もあって神秘的に見えた。流れる様に伸びた赤髪が
ベッドの上に赤い川を作り、射し込む光に照らされて輝く。束の間その美しさにガルジアは見惚れた。リュウメイがもっと真摯な男なら、
自分はリュウメイの赤髪を褒め称えていただろうと思う。
「朝ですよ。リュウメイさん」
そっと手を伸ばし肩に触れて、揺すってみる。仰向けに綺麗に眠っているリュウメイはびくともしない。
「……ちょっとだけ」
しばらくそうしていても反応が無いのを見て、ガルジアにも悪戯心が芽生えた。手を動かし、その見事な赤髪に触れる。意外な程さらさらと、
手に馴染むそれは、触れていると癖になる様な感触をしている。
「あ、いいっすねそれ。兄貴、普段触らせてくれないっすよ」
後ろで見ていたライシンも悪戯小僧の様に笑う。人にはべたべたと触れてくる癖に、その反対となるとリュウメイはどうも警戒をする様だ。
頭頂部を撫でると、ほんの少しリュウメイの口元が緩む。思わずガルジアも微笑んでしまった。どんな夢を見て、こんな顔をしているのだろうか。
「……そうしてると、本当に絵になるっすね」
「え?」
ライシンの言葉に、手を引いてガルジアは振り返る。先程までの表情は消え、少し寂しそうな顔のライシンが居た。
「こんな事言ったら、兄貴もガルジアさんも嫌な顔するのかも知れないっすけど、俺っちは二人とも羨ましいっすよ」
「羨ましい、ですか?」
「蜥蜴も、白虎も。普段見られない特別な種族っすから」
「……そう、ですか」
「すまないっす。兄貴はともかく、ガルジアさんは大変な目に遭ってるってのに」
「いえ、そんな事は。それにライシンさんにも守っていただいている身です」
羨ましい。そう言われて、ガルジアは過去を振り返る。修道院の中でも、特に幼少の頃は白虎である事を揶揄される事も少なくはなかった。
泣きじゃくるガルジアに院長は、本当は皆お前が羨ましいのだと言った。当時はどうしてそう言われるのか分からなかったが、今のライシンの
感情もそれと同じだという事に気づく。そして、自分もまたリュウメイ微かに羨望に似た思いを抱いている。今の自分になら、院長の言葉も理解出来た。
自分の持ち得ない物。持つ事叶わぬ物。それらは、見ている者には、時に羨望を、そして時に嫉妬を抱かせる。
束の間無言の時が過ぎる。お互いに、二の句が継げなくなってしまったのだ。丁度その時、今まで静かだったリュウメイがゆっくりと起き上がる。
「リュウメイさん」
これ幸いと、ガルジアはリュウメイを見つめた。乱れた髪から覗く瞼がゆっくりと開き、瞳が露になる。いつもは迫力のあるその瞳も、
今はまだ眠たそうに。胡乱な様子をしていた。
「さっきからうるせぇな、てめぇらは」
「起こしてしまいましたか」
「……いや、いい。充分寝たしな」
リュウメイが起き上がると、すかさずガルジアは顔を背けた。ライシンは自分が居る間はちゃんと服を着てくれる様になったが、
リュウメイは別である。身支度が済むまで待たなくてはならなかった。
「ところでリュウメイさん、今日の予定なんですが」
背中を向けながらガルジアは話を切り出す。
「私とライシンさんは召導書の手掛かりを探しながら、街も見てみようと思います。リュウメイさんはどうしますか?」
今更だが、リュウメイはディヴァリアに来る事には賛同したものの、召導書を探す事に手を貸している訳でも、ガルジアがリュウメイの元を離れて
勝手な行動に出る事を許した訳でもない。まずはその了承を得る必要があった。もし召導書を探しに行く事すら断られては、諦めるしかない。
「俺も一緒でいい。どうせその辺見て回りたいだけだしな」
「よかった。それでは、朝食が済んだら行きましょう。さっき準備をしていると声が掛かりましたし」
「そうだったんすか。楽しみっすね。この街は元々商業都市としても名の知られた街っすから、食べ物も期待していいっすよ」
ライシンの言葉に、ガルジアは思わず喉を鳴らす。長旅の後だから、詩を歌っていなくとも腹の虫は騒いでいた。
リュウメイが着替えた事を確認し、部屋の入り口に立つとガルジアは声を上げる。髪を振り乱したリュウメイが、のこのこと付いてきた。
朝食を済ませると、三人揃ってディヴァリアの街に繰り出す。
「本当に広い街ですね」
見渡す限りが人である。ガルジアが今まで見てきたどの街よりも活気に満ち溢れ、人々の笑顔もあった。何よりも驚いたのは、
宿で眺めていたこの光景が毎日繰り広げられているという事だ。祭りでもなんでもなく、これがディヴァリアの日常なのだ。これで祭りともなれば、
どうなってしまうのか想像も出来なかった。そう言ったガルジアを見て、ライシンはもっと凄いのだと、曖昧に、しかし期待が持てる様に言い切る。
「ここは観光地区っすからね。南地区のここが、一番人の往来が激しいっすよ」
「さっきからお話を聞いて思っているのですが、ライシンさんはこの街には何度も?」
「実は俺っち、ここの法術協会と学園に若い頃は出入りしてたっすよ。だから分からない事があったらなんでも訊いてほしいっす」
親指を立ててライシンが笑う。見た目は相変わらず魔法を扱う様には見えないが、しっかりと修学していた様だ。
「えっと。それじゃ気になっていたのですが、あれはなんですか?」
宿の窓からも見えた、球体状の屋根をしている建物を指差す。空の青さをそのまま移したかの様な色合いのそれは、
太陽の光を反射する事で辛うじて空との同化を避けているかの様に見えた。したり顔でライシンが口元を綻ばせる。
「よくぞ訊いてくれたっす。あれこそがこの法術都市ディヴァリアの象徴。法術協会っすよ。
この街はあの建物を中心として、円を描く様に造られているっす」
「大事な建物なんですね」
大きく頷きながら、ライシンは話を続ける。
「順に紹介するっすよ。まずあの建物から北地区にあるのが、法術を専門とした学園っす。
そして東地区にあるのが主に魔法に使う道具の店が並び、そしてここ南地区では観光客を迎える様な店が。
最後に西地区が居住区っすね。勿論大体の区分けっすから、ここや東地区で寝起きしてる連中も居るっすけれど」
頭の中で言われた通りに地図を思い浮かべる。法術協会を中心として、丁度一周している図が出来上がった。
「生活するのに適した造りって奴みたいっす。朝起きたら学園に行って、帰りは店をぐるっと回って、最後に帰宅ってな感じで。観光目当てなら、
その逆で行けば良いし。中々面白い街っすよ。まあ、元が商業都市で、通り抜けられた中央に協会が出来ちまって、東西がちと
遠いのが魔導士向けの商いをする連中には不満の種みたいっすけど」
「なるほど。よく分かりました。それで、私達はどこに行けばいいのでしょうか?」
「そうっすね。観光するならここと、東地区。召導書について調べるなら協会と、北地区の学園がいいっすね。
特に学園には図書館もあるっすから、調べ物には打って付けっす」
「えっと、そうすると……」
ライシンと二人で話し込む。後ろでは退屈そうに欠伸を掻きながらリュウメイが空を見ていた。
「お待たせしましたリュウメイさん!」
相談を終えると振り返り、計画を打ち明ける。
「とりあえず私達はお店を見ながら北地区を目指し、その後協会に行こうと思います。
本当は召導書が一番気になりますが、夕方になると観光向けのお店は仕舞ってしまうそうなので。……これで大丈夫ですか?」
「ああ、それでいい」
今まで黙り続けていたリュウメイだったのでガルジアは心配していたが、どうやら機嫌を損ねている訳では無く、
よくよく見てみれば、街並みをじっと見つめては思案に耽っている様だった。
「さあさあ行くっすよ! 街は広いっす、急がないと日が暮れちまう!」
ライシンが自分とリュウメイの肩を掴む様にして、市場へ足を踏み出す。転ばぬ様にしながらも、ガルジアは新鮮な感触にはにかんだ。
市場に躍り込むと、ガルジアは思わず唸ってしまう。物で溢れ、それを求める人もまた大勢居た。
「本当に色んな物があるんですね」
「さっきも言ったっすけれど、元々商業都市として発展していた街っすからね。
そこに、物流が盛んって事で魔導士が増えて、街の方もそれを歓迎したもんだから
いつの間にか法術都市って言われるくらいになっちまったっすよ」
エリスの港町は、港であるからしてやはり新鮮な魚を並べていたが、ここではそれも一部に収まり、多種多様な物で満たされていた。穀物、今朝絞めた
ばかりの豚や鶏の肉、焼き立てのパンに、湯気を立てたスープ。露天として売る所あれば、座って落ち着ける店もある。昼間から既に
浴びる程酒を飲んだのか酔漢が高歌し、遠くではすりの被害に遭った男の叫び声が響いていた。それらも一時は喧騒の中で
主役になるものの、すぐにまた新しく生まれた声に呑まれて消える。そうした人々の動きは絶え間なく、今日一日、向こう一月、年が明け、
それ以上と、連綿と続いてゆくのだろう。脈々と続く命の営みが、ガルジアの心を奮い立たせた。
「魔法を使う方は、そういう物が必要なんですか?」
「魔法のための触媒にする事が多いっすからね。ここら辺はまだ観光客向けの物ばかりっすけど、
東地区はこんなもんじゃないっすよ。もっとも、そのせいでちょっと色々と雑多な街にもなっちやいましたけどね。
俺っちの使ってるこの布も、帯魔布って言って、そういう道具の一つっすよ」
「ちょっといいか」
街の成り立ちに花を咲かせていたところに、リュウメイが口を挟んでくる。ガルジアの肩を掴むと、口元に笑みを浮かべていた。
「ガルジア、大分服がぼろくなってきたじゃねぇか」
「え? あ、あぁ……そうですね。元々使い古した服ですし、もう一月以上旅もしてますしね」
突然の事に驚きながらもガルジアは身に着けている衣服を見下ろす。修道士のローブを旅に出ても着続けており、
流石に悼みはじめていたと思っていたところだった。元は白く、初々しい色をしていたであろうそのローブも今は汚れが目立ちはじめている。
無論、洗う時には念入りに洗ってはいるのである。しかしガルジアの努力も虚しく、着慣れたローブはそろそろ限界を迎えようとしていた。
「ここいらで新調しようじゃねぇか。何、代金は俺が立て替えてやる」
「本当ですか、リュウメイさん!」
「ああ、二言はねぇ。一目で修道士様だと分かるのに、そんなぼろを着せていたら何を言われるか分かったもんじゃねぇしな」
「ありがとうございます! 私、新しいローブが欲しかったんです」
リュウメイの気遣いに、ガルジアは満面の笑顔を零す。
零した事を後悔したのは、服屋に立ち寄り試着室に入った後だった。
「返してください! 私の服、返してっ!」
「あー? もう捨てちまったなぁ。あんなぼろ切れもういらねぇもんなぁ。
大人しくそれ着ろよ。俺の奢りだ、遠慮するなよ。日頃のお前の奉仕に感謝を籠めて、有難く受け取れよ」
「嫌ですこんな服っ!」
ガルジアが騒いでいるのは、代わりにと渡された服の事だった。ローブではなかった。どう見ても、その辺の道行く若者が着る質素な服のそれである。
それは普通の、言ってしまえば平民の着る物としては極当たり前の代物だったのだが、修道士が着る衣服と比べればあまりにも前衛的であった。
とはいえ逃げる事は出来ない。暑いからとローブの中が下着一枚だったのが災いしていた。言葉巧みに新しい服を見るより先に、
ローブを渡してしまった自分も悪いといえば悪いのだが。
「兄貴、そんなに意地悪しなくても」
「意地悪? 連れの服を見繕ってやってるのが意地悪だってのか、心外だなオイ」
「そんなにやにやしながら言われても、説得力の欠片も無いっすよ兄貴」
見なくとも、リュウメイがどんな顔をしているのかガルジアには分かった。朝起きてから妙に大人しかったのは、恐らくこれがしたかったのだろう。
「お願いしますリュウメイさん。こんなに露出の多い服、修道士としては流石に困ります」
上下共に丈が短く、腕も足も途中までしか覆う事のない服はガルジアにとっては羞恥心を強く煽るのだった。
「なんだ。修道士ってのはそんなに薄着はしねぇもんなのか?」
「基本的にはしないみたいっすよ。余程暑い地域でも、薄い生地で誂えたローブ着たりしてるっすから」
ライシンの説明通り、寝巻きでもなければこんな格好はしなかった。年頃の、というよりは普通に生活している者ならば当たり前の
格好だったが、ガルジアにはほとんど馴染みが無い。
「リュウメイさん……」
カーテン越しに縋る様にガルジアは声を出す。その向こうで僅かに溜め息の漏れる音が聞こえる。
「まあ聞けよガルジア。これはてめぇのためでもあるんだぜ。
そもそもてめぇが狙われるのは白虎だからってのが一番の理由だが、その次が修道士だからってのもあるはずだ」
「え、そうなんですか?」
「よく考えてみろよ。こっちの大陸に渡ってきてからの評判を。白虎の修道士様って噂が一人歩きしてるだろ。
幸運を招く白虎ってだけでも目を付けられるのに、しかもそいつは人々を祝福する修道士様だぜ?
お前、これで自分が狙われないとでもマジで思ってんのか?」
「それは……」
「顔まで隠しちまえばいいが、ただでさえ旅に不慣れなてめぇじゃ身が持たねぇだろ。
だったらせめて修道士って部分だけでも隠した方が得策じゃねぇのか?」
段々と声の調子が落ちて、リュウメイの言葉はいつの間にか諭す様な響きを含みはじめる。ガルジアとてそれが理解
出来ない訳ではないが、やはり抵抗というものがあった。しかし、旅をする上で相手にしなくても良い相手を誘き寄せているのは
他でもない自分である。再度自分の手元にある服を見つめる。しばらくして、意を決してガルジアは袖を通した。
「……お待たせしました」
「おおっ」
カーテンを開いたガルジアを見て、ライシンが声を上げる。それに、言いようも無い羞恥心にガルジアは襲われた。
「兄貴、無茶振りかと思いましたけど中々いいじゃないっすか。少なくとも修道士には見えないっすよ」
「そうだな。足も見えるしこっちの方がそそるよな」
「どこ見てるんですか!」
思わず屈みそうになる。身を隠せる物は何も持っておらず、今はただ二人の視線を受け止めるしかなかった。
「しかしそんなに恥ずかしがるもんかねぇ。餓鬼だろうとお前くらいの奴だろうと、それぐらいの格好はしてるじゃねぇか」
「それは、そうですけど……。でも……」
こんなに露出をして人前に出る事など、子供の時以来である。それも、両親から離れる前の頃の話だ。
そんなはずはないのに、ふとあの頃に戻った様な気がしてガルジアは居心地が悪かった。
「大丈夫っすよガルジアさん、似合ってます! 可愛い! ちょっと憎たらしい!」
「中々そそるぜ。その服の方がケツの形がよく分かるしな」
「あなた達は本当に……」
拳を震わせる。本当に、最低の感想だった。
人々の視線を気にしながら、ガルジアは溜め息を吐く。周りが見ているのは白虎としてのガルジアであって、
決して薄着をしているからではないのだが、今のガルジアにはどの様な理由であれ、人々の視線を浴びるのは辛いものがあった。
持たされた手提げ袋の中身を見て、更に一息。一着だけでは心許ない上に、長持ちもしないのだから、当然似た様な服がその袋の中には詰まっていた。
「いい加減諦めろよ」
リュウメイの言葉にそっぽを向く。袋の中には元のローブも入っていた。捨てたというのは嘘だった様で、それを知って安心した後に
ガルジアはまた激怒する。どれだけ自分をからかえばこの男は満足するのだろうか。
「合わせて銀貨十枚出したってのに、我が儘な野郎だぜまったく」
「仕方ないっすよ。まだ慣れてもいないみたいっすし」
手提げ袋を貰った事で、前後を時々隠しては辺りを見渡す事をガルジアは繰り返していた。呆れた様な顔でリュウメイで両手を上げる。
「誰も見てねぇ……って言いてぇが、白虎だから無理だわな」
「でもこれで修道士には見えないっすから、前よりは安心っすよ」
抗議しようにも、ライシンが口にした利点を考慮すればガルジアは何も言えなかった。
「一層染めちまうか? その白いの」
「うーん、その内生えてきたら変な色合いになっちまうっすよ。それはそれで目立つからちょっと」
「止めてください。そんな事したら修道院に帰れません」
旅に出ていた修道士が、帰ってきたら素行不良になったなどと噂されかねない。頑なにガルジアが首を振ると、渋々とリュウメイも引き下がった。
「……あ」
きょろきょろと辺りを見渡し、どうにか人の視線を避けようと努力しているガルジアだったが、 ふと、遠くを見てガルジアは気づく。路地の前に居る、
みすぼらしくぼろを纏った犬人の姿。その子供もまた、白虎であるガルジアを物珍しがって見ている様だった。
「あの子……」
「……孤児っすね」
同じ方を見て、ライシンが言う。
「この街には、教会や孤児院は無いのですか?」
「あるにはあるっすけど」
振り返る。ライシンはばつが悪そうな顔をしていた。
「どこも手一杯っすよ。受け入れる環境が整ってないっす」
「そんな。今まで歩いてきた所ではほとんど見かけなかったのに、こんなに大きい街で」
「だからこそっすよ。小さい農村なら、お互い持ちつ持たれつ。そういう関係になれるっす。
でも大きくなれば大きくなるほど、貧富の差が出て、そういう訳にはいかなくなるっすよ。
場合によっちゃ居場所がないから、こういう街に来たり、態々置きに来たりする事もあるでしょうし」
ガルジアの育った修道院でも、ガルジアは当然として、周辺の村々からの孤児を引き受けていた。それと何も変わらないのかも知れない。
「大きな街でも、良い事ばかりじゃないって事ですか」
子供の事など知らぬ顔で、街角には笑顔が溢れている。ガルジアは駆け出すと、子供の元へ向かう。
「待ってください!」
こちらを見て逃げ出そうとした子供を、呼び止める。懐に手を伸ばすと、持っていた銀貨を取り出す。
「ごめんなさい。今の私には、このくらいしか出来ませんが」
これが元の修道院近くならば自分が連れ帰る事も出来るのだが、何分旅人の身だった。悪路を態々選ぶ様な困難で当ての
無い旅に、子供を連れ行く訳にもいかなかった。
「ご立派だな。修道士様よ」
駆け出した子供の背を見送るガルジアに、リュウメイが声を掛けてくる。
「いいのかよ、てめぇの金だぞ」
「いいんです。買い物は済ませましたし、最低限のお金は残ってますから」
「てっきり全部やったのかと思ったぜ」
「そうしたいのは山々ですが……。しかし、まずは自分の足元を固める事から、本当の人助けは始まりますから」
幼い頃から言い聞かせられている言葉の一つだった。他人のために全てを投げ出すのは、真に相手のためにはならないどころか、
自らの首を絞めるだけである。
「ごめんなさい。お金はちゃんと返しますから」
「構わねえよ。期限を設けた訳じゃねぇからな」
「ありがとうございます」
微笑むと、リュウメイがそっぽを向く。それを見てライシンが騒ぎはじめた。
いつか今の子供にも、今の自分の様に傍に居てくれる人が現れてほしい。
そう思いながら、ガルジアは手提げ袋を持ち直して歩みだした。