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5.盗賊退治で日は暮れて

 湯上りの火照った身体をガルジアは夜風に晒す。下着一枚の身に、ふわりと吹いた夜気が心地良かった。
 風が吹く度に銀の皮毛が撫ぜられ、うっとりとする。僅かに水分を含んだそれは、月明かりの元できらきらと光っていた。
「すっかり傷んでしまいましたね」
 伸びかけた後頭部の髪を少し手に取り、手触りを確かめる。修道院で規則正しい生活をしていた頃と比べると、艶が無くなっていた。
 決まった時間に眠る事が出来ず、時には食事を取らず、取れたとしても満足な量とは言えない日もあるのだから、仕方のない話ではあるが。
 リュウメイに振り回され散々な目に遭う事も多いが、ガルジアは今の旅を気に入りはじめていた。こんな事を思うのはいけない事だと
分かってはいるが、修道院に住み、教会に出て訪れる者を迎えるだけの生活は退屈なのであった。拠所無い事情で修道院に
預けられていたとはいえ、ガルジアも人並みに外に興味があったのだ。少年の頃より、外の世界を知っていはいても、目にした事は
ほとんど無かった。白虎だからと、幼い頃は特に外に行く事を禁じられていたため、今こうして外の世界を旅するのが堪らなかった。知らなかった事、
知ってはいても実際に見るとまた新たな発見のある物。そういった物で、外の世界は満たされていた。厳かで、神秘的で、森閑な、しかしそれ以外は
何もありはしない修道院とは、何もかも違っていたのだ。人の格好も、また違う。修道院を訪う者は、一夜の止まり木として訪いを入れる旅人は
除くが、態々足を運ぶ者達は皆小奇麗な格好をし、身も清め、物静かであり、ややもすれば少々卑屈とも言える振る舞いをする。旅先で
出会う者達は、荒々しく粗野であり、しかしまた生きる事に直向きだった。修道士である自分がこういう事を思ってはいけないのは
分かっているのだが、神に縋ろうとする者と、自分の足で歩いてゆく者では、面構えがまるで違うのである。粗暴で、軟派で、しかし地に足が
着いている。そういう人物が、ガルジアには新鮮だったのだ。取り分け、今一緒に同行している二人などは、その典型と言えるだろう。それらを
見ているのが、堪らなく胸を躍らせた。
「まあ、一緒に居る人が残念な人ですが……」
 借金を考えると、良い事ばかりではない。
 しかしリュウメイの様な者を正しい道に導く事も、修道士である自分がしなくてはならない事だった。もっとも、あのリュウメイが
自分の言う事など聞くはずはないのだが。
 一頻り風を浴びて、皮毛が乾いた頃に窓を閉める。寝巻きに着替え、灯火を消すと、刹那視界が塞がり、しかしやがては月明かりで仄かに見える様になる。
 明日は何をするのだろうか、予定が無いのなら市場でも歩いてみたかった。自分が元居た国とは、ここは違う。既に、国を超えている。
 きっと珍しい物があるだろう。まだ知らぬ物もあるだろう。そんな事に思いを馳せて、少しずつ眠りに落ちてゆく。
 どれほど眠ったのだろうか。時折廊下で聞こえていた宿泊客の足音も無くなり、遠くで寂しく鳴く梟の声が微かに聞こえる。薄目を開けて、
ガルジアは意識を取り戻した。何かが動いた気がしたのだ。窓から差し込む月光が、時折ちらつく。それが、何かが動いて光を遮って
いるのだと気づく。飛び起きると、物音の主が振り返る。それと同時に、ぬっと何かが伸びて口を覆われる。遅れて、それが相手の手だと気づかされた。
 突然の事に驚きながらも、ガルジアは必死に抵抗をする。相手の顔を見ようとするが、布を深く被っていて
その顔を見る事は出来なかった。月明かりで照らされるのは黒色の布ばかり。必死に口を開き、覆っている手に噛み付く。僅かに怯んだ
手の力に、ぐっと顔を引いてどうにか脱する。
「なんなんですかあなたは! 止めてください!!」
「静かにしろ」
 有りっ丈の声を上げる。直後に静止する相手の声が聞こえたが、知っている声ではなかった。低い声だという事が、相手が男なのだと
唯一の情報を届けてくれる。途端に、ガルジアは恐怖に包まれた。今この部屋には、自分しか居ないのである。暴漢に襲われたら一溜まりも
なかった。慌てて逃げようとするが、男もそれを警戒してすぐさま捕まえようとし、肩を掴まれる。怖気が走り、ガルジアは滅茶苦茶な声を上げて、
また腕を振り上げて男を叩いた。無駄な抵抗だとは分かっている。歌聖剣は枕元にありはするものの、封をしたまま。とても今からそれを解いて
取り出す事など出来はしない。それどころか、この男が凶器を持っていないはずはないのだ。切り合いに発展したら、間違いなく勝てない。
 扉が勢い良く開かれた。思わず男と揃ってそちらを見るが、何が来たのか確認するよりも早く、入ってきたそれが
自分を押さえつけていた男との間に割って入り、男を下がらせる。
「生きてるか」
「えっ、あ……リュウメイさん」
 咳き込みながら、入ってきたリュウメイを見上げる。返事も待たずにリュウメイが剣を抜き放つと、暗がりで火花が散る。男も剣を抜いたのか、
月光に照らされ僅かに閃く刃がぶつかっている。二度、三度と打ち合い、窓際に相手を追い詰めたリュウメイが、思い切り男を蹴り上げる。窓を破り、
それで男は部屋から追い出される。刹那の後、僅かな足音を立ててそれは遠ざかっていった。
「二階から蹴り落としてやったのに、しぶてぇな」
 走り去る男を窓から眺めていたリュウメイが、憎憎しげに呟く。
「リュウメイさん、今の人は……」
「大丈夫っすかガルジアさんっ!」
 遅れてきたライシンが声を上げる。部屋の、特に破損した様子を月に照らされている窓の様子を見て、思わず声を上げている。
「もう終わったぞ、てめぇは寝過ぎだ」
「怪我なんぞは?」
「してません。ちょっと苦しかったですけど。とにかく明かりを点けないと」
「あ、おいちょっと待て」
「え?」
 リュウメイが静止の声を掛ける。疑問に思いながらも消した火を再び点して、ガルジアは後悔する。
 明かりに照らされたリュウメイは、何一つ服を纏っていないのだ。それどころか後から来たライシンも下着一枚だった。頓狂な声を
上げ、思わず寝台の上に避難して二人から距離を取る。リュウメイが面倒臭そうな顔をしていた。
「な、なんで裸なんですか二人とも! ま、まさか……」
「俺は違ぇよ。風呂上りで暑いから脱いでただけだ。お前らと違ってぶらつかせてる訳じゃねぇしな」
「だからって、下着くらいは身に着けてください!」
「うるせぇ。てめぇが居ないから羽伸ばしてたんだろうが。それとも俺が身支度してる間にくたばっててもよかったのか」
「あ、俺っちも暑くて……兄貴と散々騒いでたから」
 二人の言い分を聞いて、ガルジアは溜め息を吐きながら目を背ける。
「助けてくれた事には感謝します。と、とにかく服は着てください」
「はいはい、わかったよ」
 リュウメイが部屋を出るまで、視線を逸らし続ける。月光に照らされた赤髪と、すらりとした体躯の輪郭が、
本人の態度とは裏腹に妙に神秘的で、思わず見つめてしまいそうだったのだ。体毛の無い身体。そして光を僅かに照り返す
鱗の肌。それらは確かに、自分やライシンには無い物だった。
 着替えを済ませると、二人が戻ってくる。
「さてガルジアさん、荷物持って俺達の部屋へ」
「え?」
「馬鹿が。まだこの部屋に一人で残って襲われたいのかてめぇは」
「あ、そうですね……すみません」
 支度を済ませて部屋を移動する。窓と、それからリュウメイが蹴り飛ばした部屋の扉については弁償しなくてはならないだろう。
 壊れたのは元はといえばあの男が原因だが、だからといって素性も知らぬ男に請求しろとは言えるはずもない。
「ああ、でもベッドが二つですね。勿論私は床で大丈夫です」
 押しかけたのは自分なのだから、諦めてガルジアは毛布だけを持ってきて床に横になろうとする。それを待ってましたと言わんばかりに、
リュウメイがぬっと擦り寄ってくる。
「なんなら俺と寝てもいいんだぜ」
「兄貴、ずるいっ! それなら俺っちと寝てくださいよ! ベッドはガルジアさんにあげるっすから!」
「ふざけんな。てめぇみたいなデカ物とこんな小せぇので寝られるか」
「……あの、提案なんですが」
 言い寄るライシンをのらりくらりとかわしているリュウメイに向かって、手を上げてガルジアは声を掛ける。
 二人の視線が自分に注がれた。

 左右に温もりを感じて、ガルジアは少し落ち着かない様子で身動ぎをした。
「案外眠れるもんだな」
「そうっすね。船でもこれが出来たら良かったんすけど……」
「船のベッドは固定されてましたから、仕方ないですよ」
 ガルジアが提案したのは、ベッドを二つ並ばせて三人で寝るというものだった。多少窮屈ではあるが、これなら三人で横になる事が出来た。
 真ん中に居る自分は丁度接合部の上に居るので違和感はあったが、堅い床で寝るよりはずっと良かった。提案にリュウメイは
渋い顔を見せていたが、隣り合うという事で渋々納得した様だ。勿論、ガルジアはそれ以上先に進むつもりは無い。
「なんかあれっすね、餓鬼の頃思い出すっすよ」
 はしゃぐ様なライシンの声がする。こちらも最初はリュウメイの隣になれない事に不満の声を上げていたが、
いざベッドを動かす段階になるとはしゃいだ様子を見せていた。元々、楽しい事が好きな性分なのだろう。
「子供の頃?」
 問いかけながら、ガルジアは枕の調子を整える。流石にベッドを元の部屋から運び出す事は気が引けたので、
今は枕だけを拝借している。
「俺っち兄弟は多かったっすから。よくこうやって並んで寝てたなって」
「ああ、私も経験ありますよ。修道院で育ったので、小さい子で集まったり」
「ああいうのって餓鬼の頃だけだと思ってたっすよ。今になって、こんな風に寝るなんて」
「そうですよね」
 身体が大きくなれば、いずれ離れてゆく。初めて一人で寝る事になった時に言いようの無い寂しさに襲われた事を思い出す。
 もっとも、修道院に預けられたガルジアである。両親と離れた日の最初の夜の孤独と比べれば、それは差して大きな衝撃ではなかったのだが。
 歳を重ねる度に、そういう風に他人と触れ合わなくなってゆく。それなのに、今は寄り添っている。それも、仕事帰りに無理に自分を
駆り出した相手と、道中で勝手に付いてきた相手である。あまりにも滑稽で、不恰好に紡がれたその出会いに、ガルジアは笑みを零した。
「リュウメイさんは、そういう事ありました?」
「あぁ? ねぇよんなもん」
「なんとなく兄貴は小さい頃から変わってなさそうっすね」
「ああ、元からそういう性格だったんですね。残念です」
「殴るぞてめぇら」
「暴れないでくださいよ。ベッドが動いたら私が間に落ちてしまうじゃないですか」
 宥める様に、手を伸ばしてその胸を何度か軽く叩く。いつもは怖くて触れる事もあまりないが、
こうしていると自然にリュウメイにも触れられた。童心に返った様に、今はただ三人で眠る事が快い。
「それにしても、なんだったんすかねさっきの。二人とも大丈夫っすか?」
 しばらくはしゃいで、落ち着いた頃にライシンがぽつりと疑問を零した。賛同する形でガルジアはそれに相槌を打つ。
「はい。私はなんとも。リュウメイさんも怪我はしてなかったみたいですし」
「よく見てるんじゃねぇか、なんだかんだで」
 リュウメイの鋭い突っ込みが入るが、ガルジアはそれを無視する。心配していたというのに、この男は。少しだけ、腹を立てる。
「何が目的だったのでしょうね。剣は持ってましたけれど、私を殺すつもりはなかったと思いますし」
「まあ、そのつもりなら最初から切っちまえばいい話だしな」
「やめてくださいよ、不吉です」
「でもそうなるとすると……やっぱり、あれっすよね」
「だろうな」
「え?」
「白虎だから……っすよね?」
 言葉を聞いて、ガルジアは僅かに身を震わせる。それは両側の二人にも伝わった様で、場の空気が俄かに変わる。
「大丈夫っすよ。俺達の間なら、さっきみたいにはなりませんって」
「そう、ですよね」
「明日になったら、少し様子を見た方が良さそうだな。場合によっちゃ、他の町に行くべきかも知れねぇな」
「すみません、何から何まで」
「俺は構わねぇよ。別にこの港町に用事がある訳じゃねぇしな」
 挨拶を済ませて目を瞑る。どうやら、暢気に観光をしている場合ではなさそうだ。身体の震えは止まず、
しかし今度は二人が居てくれる。申し訳なさを感じつつも、ガルジアは安堵していた。
 朝になると、ガルジアはリュウメイと共に宿に事情を説明し、その後部屋に待機する。
「兄貴、大発見っすよ!」
 廊下を慌しく走ってきたライシンが、手に小さなナイフを持っていた。
「見てほしいっす、この紋章」
 そう言ってナイフの鞘に掛かれた紋章を見せてくる。リュウメイは何も言わず、それを見つめている。
「なんですか? これ」
 大きく広げた翼が刻まれているそれを、ガルジアは注視する。声を上げると、ライシンが一度頷く。
「役所に確認してきましたが、この辺りによく出る匪賊の証みたいっすね。窓の外に落ちてたっすから、
夕べの賊が落とした物って考えるのが自然っすけど。名前は確か……竜の臍、だったかな?」
「匪賊……」
「また面倒臭ぇもん引っ掛けてきやがったなお前は」
 名が売れたのが、やはり不味かったという事か。フォーリアの港でもそうだったが、
このエリスの港ですら、ガルジアの名は知れ渡っている様だ。それを嗅ぎ付けてきたのだろう。
「旅の窮地を救った修道士様が、幸運を招く白虎と来たら、まあ狙うわな。高く売れそうだ」
 勝手な感想をリュウメイが口にする。当のガルジアはすっかり萎縮して、どうしたら良いのかと考え込んでいた。
「こういう時は助けを求めるべきですよね、修道院や自警団はあるのでしょうか」
「うーん、エリスはでかいっすから、自警団はあるにはあるっすけど……そうなると、旅は諦めないといけないっすよ。
いくらなんでも、旅をする他人の警護なんて引き受けちゃくれねぇっすし。大金積むなら話は別っすけど」
「どうしましょう、リュウメイさん……。というより、私はお二人の傍に居ても大丈夫なのでしょうか?」
 一人二人に狙われるのとは、訳が違っていた。多数に囲まれれば、さしものリュウメイとて危ういのではと、ガルジアは不安げに赤髪の蜥蜴を見つめる。
 誰かに助けを請うのは、その相手が充分な力を持っている事が前提だった。そうでなければ、悪戯に犠牲を増やす事になるだけだった。
「何言ってんだ。そんな必要はねぇよ」
「えっ……」
「金の代わりに今は俺の所有物になってんだ。上等じゃねぇか。俺の物盗みに来るなんてな」
 刹那感じた殺気に、思わずガルジアは顔を伏せる。リュウメイが目を見開き、舌なめずりをしていた。こういう顔をすると、
どちらが賊なのかと言いたくなってしまう程にリュウメイの顔は酷薄さを表すのに向いているのだった。見開かれ、ぎらぎらと輝く金色の瞳は
既に獲物を求める者のそれへと変ずる事で、引かぬ事を伝えている。
「ライシン、こいつらの賞金はいくらだ。当然聞いてきたんだろうな」
「もっちろんっすよ! 首魁込みで金貨四百、抜きなら金貨十枚ってところっすね」
「随分差があるじゃねぇか。頭がそんなに有名なのか?」
「いや、それがよく分からないんすよね……でも、その頭が居ると化け物が出てきて、
それで町の人達は抗戦すらままならねぇって話でして。頭以外は大した事はねぇって」
「……なるほど、そういう事か」
 しばらく考え込んで、得心がいったかの様な顔をリュウメイがする。
「とにかく、このまま付け狙われて旅を続けるのも面倒だ。俺達でそいつらを潰すぞ」
「そ、そんな無茶な! それに金貨四百って、かなりの悪人じゃないですか!」
「だからいいんじゃねぇか。てめぇの貸しの四倍もある」
 この男は正気なのかとガルジアは疑う。こちらはたったの三人。まともな勝負が出来るとは思えなかった。
 尚も反論しようとするガルジアをリュウメイは目で制し、黙らせる。
 その後は宿を引き払い外に出た。不安の中、ガルジアは二人に連れられ宿を出る事になった。

 エリスの朝は、フォーリアと同じく清清しい物だった。潮風に吹かれ、威勢の良い男達の掛け声を聞きながら、ガルジアとリュウメイは市場を歩く。
 新鮮な魚介類が並び、その場で調理しているものもあるのか、食欲を擽る匂いも漂っている。串焼きが並び、
それに群がり朝から一杯やる者。既に潰れて眠りこけている者。フォーリアの港が無事開かれた事を祝した者も居たのかも知れない。それらを
軽く介抱しながら、しかしまた新たな仲間を加えようと娘達は黄色い声を上げて、父親、或いは恋人が獲ってきた物を売り捌く事に躍起になっていた。
 人々は一様に笑みを浮かべ、はしゃいでいた。唯一顔を顰めているのは、家庭の財布を握り、港町の気質を受け継いだ剛毅な主婦達である。数限りない船を迎え、
また送り出している観光と貿易の中枢を担うエリスともなれば、小さな漁村のそれの様に、血縁の誰かしらが必ず漁業に携わるという訳には
行かない場合もある。そういった家庭の者は幼い頃より市場に足繁く通い詰めており、磨き上げられたその慧眼は猟師にも劣らぬ。水揚げされたばかりの
魚の質と値段を照らし合わせ、必死の形相で売り手に注文を付けるのである。
 そんな陽気な光景に目を奪われながらも、今はそんな場合ではないのだと心の中でガルジアは自分を叱咤する。
「リュウメイさん、こんなに暢気に歩いていてもいいんですか……?」
「ま、たまには息抜きって奴だ。それに夕べの一件でまだ諦めてねぇってんなら、確実にお前に狙いを定めているはずだ。
今は平静を装って歩いてりゃそれでいい。後ろは見るなよ」
「はい」
 耳を澄ますと人々の話し声が聞こえる。今日は何が大量だったの、だから安いだの。その中に、自分に対する話題も転がっていた。
 あれが白虎か。そんな声も聞こえる。大きな港町であるエリスの噂話は多種多様で、しかし時折飛び込んで来る自分の話題には、
ガルジアも思わず身震いをせずには居られなかった。匪賊の事がなければ、いつもの事だと思うだけだったのだが。
「旅に出るのを止められた理由が分かりました」
「あん?」
「修道院の用事、実は無理に私が引き受けてしまったんです。どうしても外を見てみたくて」
 リュウメイに捕まったからこうして共に旅をしているだけで、元々自分は修道院から修道院、或いは教会へと渡っていたのだ。
 自分を心配する声がいくつも上っていたのに、それでもと強引に引き受けたのが不味かったのだろう。修道院で育ってきたガルジアは、
自分自身の白虎としての価値が今一つ分かっていなかった。良くも悪くも目を向けられる物だと、今更理解する。
「こんな事なら、修道院で大人しくしていればよかったんですかね……」
「何言ってんだ馬鹿が」
 いきなり罵倒されて、思わずガルジアはむっとしてしまう。リュウメイはこちらを見る事もせずに、辺りに気を配りながら話しはじめていた。
「てめぇの生き方くらいてめぇで決めろよ。外に行きたいんなら、行きゃあいいじゃねぇか。
後になって女々しく後悔するくれぇなら、今のこんな事態も楽しむくらいの度胸を身につけてみろ」
「リュウメイさん、でも……」
「それとも、旅はつまらねぇか。少なくとも、俺にはてめぇがそう思っている様には見えなかったがな」
「……いえ、楽しいです、凄く。色々な物を見て、初めて船にも乗りました」
 思い返せば、やはり旅は楽しかった。修道院に来る者は自分に恭しく接するだけだったが、外の世界はそうではなかった。
 酒場で酔漢に絡まれる事もあれば、リュウメイと出会い、ライシンと出会い、船に乗っては幽霊船だと驚かされたりもした。
 恐ろしい体験だったはずなのに、過ぎ去った今となってはどこか遠く、懐かしく。童心を振り返る様な気持ちが胸に芽生える。それらは
どれをとっても修道院では味わう事の出来ない体験だった。普通に生き、死に行く者からすればくだらない人生の一幕ですら、ガルジアには
特別な物なのである。
「だったら、今更後悔するのは止めとけ。てめぇの詩でも、そんなのあっただろう」
「ああ、軍兵の。よく憶えていましたね」
「歌い手なら、てめぇで歌った詩がどういう意味を持っていたのかくらいは、理解しておけよ」
「……はい。ありがとうございます」
 理解していない訳ではない。しかし、今まで気にかけた事すらなかった。ガルジアにとって詩は精霊を呼ぶ手段である。口にしている
言葉の意味を深く考えた事はあまりなかった。それを今更教えられた様で、ガルジアの口からは自然と感謝の言葉が出る。
 乱暴な言葉遣い。粗野なその態度。それでも、今のリュウメイからは確かな優しさを感じる。ようやく、リュウメイという男が少しだけ見えた気がした。
「兄貴ー!」
 前方からライシンが走ってくる。合流を果たすと、そのまま変わらず並んで歩を進める。
「どうだった」
「怪しいのは三人程。ちょいと高い所から見たら、すぐに分かったっすよ」
「どうするんですか? これから」
「このまま町の外に出る。こんな所でやりあう訳にもいかねぇ」
「でも……盗賊ですし、恐らく町の外には」
「いいんだよ。それで」
 リュウメイの指示に渋々とガルジアは従う。人込みを掻き分け、町を出ると街道をひた歩く。
 流れる風は草原を撫で付け、揺れる草音に思わず心が和みそうになる。もっともそんな余裕は無いのだが。
 街道には他に人通りも見られない。今の時代、大抵は決まった時間に行き来する集団があり、一人旅をする者は
それに同行する事が多い。ガルジアもそれを利用して一人旅をしていたのだ。それ以外では、街道はいつも静かなものだった。
「リュウメイさん。昨日話していた、ネモラの召導書。憶えていますか」
「ああ、一応な」
 背後に気を配りながら、話を続ける。まだ、何も聞こえない。しかし誰かが居る様な気配もしていた。それが杞憂なのか
どうかガルジアには分からなかったが、リュウメイの表情をそっと覗き見れば、自分も中々敏感な方ではないかと自信を持つ事が出来た。
「考えていたのですが、もしかしたらまだ盗賊が持っているのかも知れないですね。
今私を狙っている人達の首魁は、話を聞くと召術士や、魔物使いの類の様ですし」
 化け物が暴れて、抗しようがない。しかもそれは首魁が現れている時だけである。自ずから、疑惑はその二つへと向けられていた。
「どうっすかねぇ。盗まれてから数十年っすし。でも、無いとは言えないっすね確かに」
「匪賊を相手にする事、私は賛成出来ませんが……召導書の手掛かりが掴めるのなら、私も行きます」
「随分ご熱心だな、召導書とやらに」
「当たり前ですよ、修道院で管理していた物なのですから。これは信用に関わります。
それと、万が一召導書を取り戻しても、売りに出そうだなんて言わないでくださいよ」
「分かってるよ。つかそんな有名なもん、盗品である以上少なくとも表でそう簡単に売れるもんじゃねぇ。
かといって面倒な事してまで扱いたくねぇよ俺は」
 前方の道が二手に分かれる。リュウメイが立ち止まると、ガルジアとライシンもぴたりと足を止める。
「ガルジア、一人で別の道へ行け。追手が来たら走れ。俺達がすぐに向かう」
「……はい。もし、リュウメイさん達の方に追手が向かった場合は?」
「ありえねぇと思うが、そん時は俺とライシンで片付けてるから、大人しくしてろ」
 小さくガルジアが頷く。つと、リュウメイが声を張り上げた。
「ふざけんな! 金が無ぇってんなら、てめぇの護衛はここまでだ! 後は精精一人でよろしくやってな修道士さんよ!」
「ええっ、兄貴。何もこんな所で放り出さなくたって……」
「うるせぇ! 俺は金になるっていうから付いてやったんだ。金持ってねぇ奴に用はねぇんだよ」
 態度を激変させたリュウメイにガルジアはしばし唖然とする。一方のライシンはと言えば、それをおくびにも出さずに
しっかりとリュウメイに合わせる。
「……そうですよね、すみません。今までお世話になりました。私はこちらの道を行きますので」
 ガルジアは一歩遅れて二人に習う様に戸惑いの声を上げた。思わず面食らって出遅れた形になるが、これはこれで様になっていた。
「ああ。俺達はこっちだ。魔物に食われねぇ様に祈ってるぜ」
 別れを済ませると、一人で道を歩きはじめる。ほんの少しの不安を胸に、ガルジアは道を行く。
 変化はすぐに訪れた。背後に感じていた気配は、既に確信を持てる程はっきりとこちらへ近づいている。時折道の景色を眺める様にしながら、
背後に視線を向ける。いつの間に現れたのか、柄の悪い如何にも野盗といった風体の男が後を付けていた。
 今更ながらに、恐怖を感じる。今この平原に整地された道の上を、たった一人で自分は歩いているのだ。
 段々と早足になる。それに続く様に足音もまた間隔を短くする。気づくと、走っていた。前方に人影が見えて、慌てて足を止める。こちらにも、見知らぬ男が数人居た。
「おいおい、そんな慌てて逃げるこたねぇじゃねぇか。修道士様よ」
「な、なんなんですかあなた達は」
 辺りを見渡す。茂みの中からも数人が顔を現していた。皆一様に人相が悪く、顔を合わせただけでガルジアは萎縮してしまう。
「何、俺達はちょっとばかし恵まれてない、修道士様に慈悲を請いに来た哀れな子羊って奴でさ」
 下卑た笑みを浮かべながら、一人が言葉を続ける。近づかれて、思わず後退ろうとすると、いきなり腕を掴まれて引き寄せられる。鼻を突くのは、
汗と酒の臭いだった。思わず鼻を塞ぎたくなる程に強い臭いが自分の腕を掴む男と、取り囲む者達の両方から発せられている。
「な、何を」
「ああ、本当に白虎だ。こりゃ、高く売れそうだ」
「あんたみたいな奴を欲しがってる客が一杯居るんだよ。男でも女でも、白虎なら高く売れるさぁ。
なんせ幸運を呼ぶんだからな。好事家な連中は、奴隷にして夜の世話だって任せるんだぜ」
 下劣さを隠そうともしないその言葉に怖気が走る。ガルジアは我を忘れて暴れた。
「やめてください、放して! お願いします!」
 恐怖で目に涙が浮かぶ。それを見た男達が笑い声を上げた。
「はは、白虎ってのは本当にそういう種族なんだな。こりゃ男でも、確かに高く売れるな」
「流石、幸運の証。俺達に幸運をもたらしてくれるぜ」
「放してください!」
 思い切り振り払って、一度下がり剣の柄に手を掛ける。流石に今は封も解いたままである。
「お、この人数相手にやるつもりかい? やめてくれよな。せっかく綺麗な身体なのに、傷がついちまうじゃねぇか」
「どうせ売っ払うまでに傷物にするんじゃねーの?」
 爆笑が起こる。本当に、醜悪な連中だった。軽く二十は超える男達に囲まれて、絶望的な状況である事に変わりはない。しかしそれでも
黙って連れていかれる訳にはいかなかった。
「……院長様」
 誰にも聞こえぬ声音で、ぽつりと呟いた。口を開く。覚悟を決めてガルジアが詩を歌おうとしたその時だった。
「お待たせしやしたぁ! そーらよっと!」
 突然ライシンの声が草原に響き渡り、次には颶風が巻き起こる。
 思わず身構えていると、道の先に居た男達が風に巻き上げられ、軽く身体を浮かせた後に道から外れ草の上へと叩き付けられていた。
「待たせたな」
 強い風に閉じかけていた目を、しかしリュウメイの声が聞こえはっとして開く。懐から聞こえた声に気が付いてガルジアは仰天した。
 いつの間に距離を詰めたのか、そこにはリュウメイが居て自分の腕を掴んでいた男の腹に、剣の鞘を減り込ませていた。
 男は何が起こったのかを理解出来ぬ様な顔をしたまま口を開け閉めしていたが、その内小さく呻くとその場で気を失う。
「大丈夫っすか、ガルジアさん」
 茂みからライシンが飛び出してくる。二人の姿を見て、ガルジアは思わず感嘆の声を上げてしまう。涙を湛えている自分の事すら、一時忘れた。
「なんなんだ、てめぇらは!」
 唖然としていた盗賊が、やっと口を開く。一瞬の内に手勢の半数近くを失い、残りも浮き足立っているのは明らかだった。
「勿論正義の味方っすよ! こっちには修道士様がいらっしゃるんで!」
 大儀は我に有りと言わんばかりに踏ん反り返るライシンの言葉に、リュウメイが呆れた様に舌打ちをする。
「ゴミ掃除にきてやったんだ、ありがたく思え」
「ご、ゴミだとぉ!? てめぇ、言わせておけば!」
 憤慨した残党が一斉に切りかかってくる。素早くライシンが邪法を放つと派手な音と煙が上がり、怯んだ男達は足を止め、
その隙を飛び出したリュウメイが狙い澄ました様に切り伏せてゆく。
「リュウメイさん、殺しては」
「分かってるよ。全部浅手だ」
 我に返ったガルジアが諫めるために言葉を発するが、既にリュウメイはそれを承知しており、致命傷にはならぬ様に、
しかし確実に戦意を削ぐように人を切ってゆく。逃げようとする者も居たが、ライシンが軽く邪法を放つと
地面が泥の様に柔らかくなり、足を取られている間に背後からリュウメイに倒されていた。
 程なくして匪賊全員を地に伏せると、満足気に剣を払いリュウメイが振り返った。ライシンの邪法により機先を制され、
続けて有無を言わさぬ迫力でリュウメイに襲われたとあっては、如何に数の上で盗賊が勝っていても、さしたる問題にもならなかった様だ。
「こいつらで全員って事はねぇだろう。あとはこいつらの根城も制圧すれば仕舞いだ」
 意識のある相手から適当に話をリュウメイが聞き回る。その間にライシンは用意していた縄で男達を縛り上げていた。
「どうした」
 こらちを見て様子の違いを察したのか、声が掛けられる。ガルジアはゆっくりと首を振った。
 リュウメイの手を伸びると、頭にその掌が当てられる。
「震えてんぞ。怖かったなら、町に戻るか」
「いえ、大丈夫です。ごめんなさい」
「無理もないっすよ。あんな風に追われたら」
 白虎を執拗に狙おうとする男達の言動が、今のガルジアには恐ろしかった。リュウメイが男達を切り伏せていた時、死んでしまえば
いいとさえ思ってしまったのだ。
 遅れて静止の言葉が出たが、端から殺す気が無かったリュウメイに安堵し、同時に自分自身に嫌悪の感情が生まれていた。
 リュウメイはそれ以上何も言わなかったが、ガルジアの胸中に巻き起こる感情の流れを見透かす様に目を細めていた。
「行きましょう。本番は、これからです」
 ガルジアの言葉に、リュウメイは頷く。
 何を考えているのか、訊いてみたい欲求に駆られた。しかしそれを振り払い、ガルジアは歩を進めた。

 平原の道をしばらく歩いてから道を離れ、木立に阻まれたその奥。そこに、目的の場所はあった。
 恐怖に顔を引き攣らせながら逃げる男を、素早く追いついたリュウメイが切り伏せる。その様子をガルジアは感心して見つめていた。
 本当に、一人たりとも殺めてはいないのだ。弾みで一人や二人は手に掛けてしまうのではないかと
心配していた自分が恥ずかしく思える程だった。魔物と対峙した時の容赦の無さは鳴りを潜め、今は常に余裕を持って
剣を振るい、確実に男達を戦闘不能にしていた。
「こいつら、雑魚ばっかじゃねぇか」
 片付けた者から縄で縛り上げて、段々と人の山が出来上がってゆく。
 改めて、よく一人でこんな事が出来るなとガルジアは圧倒される。相手は盗賊、決して弱い訳ではないはずだ。それなのに、まるで大人と
子供の戦いを見ている様だった。矢を番える者も中には居たが、常に後方を警戒しながら対峙する目の前の敵を利用して、射線上に立つ事を避ける
ために、下手に撃つ事すら許さない。そして、目の前の敵を倒すと同時に素早く矢を放とうとした者にも襲い掛かる。そうして、ほとんど傷も負わずにここまで来ていた。
 ガルジアはただ、遠巻きに見守りながら、自分が足手纏いにならぬ様に背後の警戒をしながら静かに詩を歌うだけである。
「良かったじゃないですか。危険が無いなら、それで」
「ライシンが居れば、もう少し早く終わったんだがな」
「仕方ないですよ、いきなり体調を崩されたんですし」
 いざ盗賊の本拠である小さな砦へ乗り込もうとした途端、ライシンは急に腹が痛くなったと脂汗を掻きながら言い、
そのまま姿を消していた。そのため、仕方なくリュウメイとガルジアの二人でこうして急襲を掛けたのだった。
 元々先程の部隊でこの辺りの匪賊のほとんどを占めていたのか、門番を正面から突破したものの、
精精十人程しか居らず、リュウメイ一人で充分に対応出来る相手だった。途中からガルジアはリュウメイに掃討を任せて
召導書の手掛かりになる物がないかと調べまわったものの、目ぼしい物は見当たらず、結局期待外れに終わる。
「しけてやがんな」
 盗賊の宝を取り上げたリュウメイが愚痴を零す。傍から見ていると、リュウメイの方が盗賊と言えなくもなかった。
「リュウメイさん、それは町の人の財産です。町に報告したら人が来るでしょうし、手をつけてはいけません」
「分かってらぁ。このままくすねてもいいが、余計な事して報奨金減らされても面倒だしな」
 その言葉に呆れながらも、目当ての物は見当たらず仕方なく町に引き返そうと砦を出ようとした時だった。
「てめぇら、動くんじゃねぇ!」
 突然怒声が響き、声の主を見遣ると、どこに潜んでいたのか新手の盗賊が数十人程、入り口を塞ぐ様に待ち構えていた。どうやら
どこかで本拠が襲撃されているのを聞きつけて急いで戻ってきたのだろう。殺気立った顔の男達は既に矢を
番える者もおり、ガルジアは息を呑み、一歩下がった。
「これは……リュウメイさん」
「おう、ようやくお出ましって感じだな。腕が鳴る」
「冗談止めて下さい! 五十はくだらないじゃないですか。いくらなんでも……」
「詩はいけるか」
 引く気はないリュウメイに、ガルジアは無言で頷く。どちらにせよ出入り口が塞がれているのだから、
強行突破をする外に道も無い。自分だけならば命乞いでもすれば助かるのかも知れないが、元よりそんなつもりはガルジアとて無い。覚悟を
決め、リュウメイも再び剣を構えようとする。不意に、叫び声が聞こえた。
「なんでしょうか……?」
 群がる男達の方から聞こえた悲鳴は、声色を変えながら耐える事なく続く。こちら側に居る男達にも次第に怯えの色が見えはじめた。
「知らん。行くぞ」
 好機と見たのか、リュウメイも切り掛かる。ガルジアも今は目の前の戦いに没頭する事にした。
 森で歌ったあの詩を、また歌う。火炎の化身の様な精霊が現れ、ガルジアに合わせる様に詩を歌う。流石に賊とはいえ人を
燃やす訳にはいかないので、少し声量を控えめにして歌うと察してくれたのか、精霊の声も小さくなる。悲鳴の中に、リュウメイの
哄笑が響く。それがまた男達の恐怖を煽っているのだろう。数の上では圧倒的に有利だと言うのに、逃げ出す者が出始めた。
 頃合を見てガルジアは詩を止める。特に今は魔物を倒していた時とは違う。上手くリュウメイを止めないと、倒れた者に止めを刺しかねなかった。
「おい」
 少しだけ不満げに鳴いてから、姿を消す精霊を申し訳なく見つめているガルジアの元へ、下がってきたリュウメイが短く言葉を発すると、前方に顔を向ける。
 リュウメイと同じく、盗賊を切り倒す者が居た。あれが悲鳴の原因だったのだろう。目を細めてその姿を視認する。相手もガルジア達には
気づいているのか、賊を切りながらも視線のほとんどはこちらに注がれていた。
 鬣犬(ハイエナ)の剣士だった。返り血を浴びた顔は無表情で、つまらなさそうに賊を切っている。見事な剣捌きの男だと思った。リュウメイも
そうだが、達人の域に達しているのだろう。傍に寄った賊の身体が、まるで何か別の物に触れたかの様に宙に舞う。既に立ち尽くして足が震えている
だけの者を切り伏せ、そして逃げようとする者には、邪法を放っているのか光が飛びかかり、残された者達の戦力を削ぐ様な悲鳴が更に上がった。
 程なくして匪賊の全てを地に伏せると、ゆっくりと鬣犬が歩いてくる。
「大丈夫かな」
「あ、えっと……はい。あなたは?」
 男に話し掛けられ、慌ててガルジアが返事をする。たった今まで切り合っていたとは思えない程冷然としていたその様子は、
リュウメイとは対照的だった。当のリュウメイはまだ暴れたりないと言いたげに、荒々しい殺気と、僅かな無謀さを剥き出しにしている。
 ぴんと尖った耳と、豊かな鬣が三本の角の様に上へと伸びているのが印象的な男だった。背格好はリュウメイよりも僅かに勝り、服装はリュウメイと
似た様な、動きやすさを重視した身形の上に革製の鎧を纏っている。腕には縞模様を刻み、口元は黒い。お世辞にもそれは品の良い容姿を
しているとは言い難いのかも知れないが、この男の落ち着いた物腰と口調が、驚く程にそれを掻き消していた。
 ガルジアは思わず姿勢を正して男を迎える。
「私は旅の傭兵だ。匪賊が居ると聞いて様子を見に来たら、一戦交えていたのでね」
「それは、ご助力感謝します。危ないところを助けていただきました」
 隣からリュウメイの舌打ちが聞こえる。聞かなかった振りをして、ガルジアは話を進める。
「……なんでしょうか?」
 ふと、男が自分の顔をじっと見つめているのに気づく。少し戸惑った後おずおずと訊いてみる。
「……歌術士、か」
「え?」
「すまない。ちょっと、ね。それでは私はこれで」
「あ、あの。お名前をお聞きしても」
 僅かに男の顔に陰りが滲む。しかし助けてもらって、それで終わりという訳にもいかなかった。
「名乗る程の名でもないさ」
「そうですか……。本当に、ありがとうございました」
「待てよ」
 さっさと立ち去ろうとした男をリュウメイが呼び止めると、無造作に何かを放り投げる。男がそれを受け取ったところで、小さな袋だという事に気づく。
「賊の報奨金だ。半分はくれてやる。傭兵を名乗るなら、金くらいせしめた方がいいな」
「すまないな」
 小さな袋を仕舞うと、ようやく男は歩きはじめる。残されたリュウメイはいつまでもその背を見つめていた。
 町に戻り報告を済ませると、約束通り金貨十枚の報酬が支払われる。
 食堂に立ち寄り、適当な物を頼むと三人で卓を囲んだ。
「結局親玉は居なかったっすねぇ」
 金貨をリュウメイに手渡しながら残念そうにライシンが呟く。ガルジアとリュウメイの視線は、そのライシンに注がれていた。特に首魁が
居なかった事もあり、暴れ足りないリュウメイの方か睨み付ける様に鋭い視線を向けていた。
「おい、腹痛で退場した割には随分と元気じゃねぇか」
 突っ込みにライシンがはっとした後、慌てて両手を前に出して繕おうとする。
「えっ、やだなぁ兄貴。俺っちこれでもふらふらなんすよ! それでも兄貴達が頑張ってくれたっていうんで、
せめて手続きだけでもとこうして病苦に鞭打ったっすよ!」
「……まあ、そういう事にしておいてやるよ」
 リュウメイが懐に金貨を仕舞うと、ライシンはほっと安堵の息を吐く。
「で、次はどこに行くっすか!」
「体調悪いって言った直後にそれか。お前」
「気分が優れないのなら、もう少し休んだ方が。どちらにしろ今から出るのはお勧めしませんが」
 昼から始めた盗賊狩りは、町に戻る頃には陽が傾いていて、窓から外を見れば、既に残照を届けるにまで至っている。ガルジアはもう一日町で過ごす事を提案する。
 そもそも、どこに行くかも定まってはいないのだ。態々今から出て町の近くで早めの野宿をする必要はどこにもなかった。急ぐ旅でもない。
「仕方ねぇな。行くのは明日からだ」
「で、当ては」
「ねぇな」
「リュウメイさん。私達二人はリュウメイさんに付いて歩く身なのですから、もう少し計画を立ててくださいよ」
 リュウメイが如何にも面倒臭いと言いたげな顔をするのを見て、呆れてガルジアは溜め息を吐く。本当になんの当ても無い旅を
この男はするつもりなのだろうか。その真意が、どうにも掴めなかった。リュウメイはとかく、人に心を読ませまいとするのだ。
「そういや、結局召導書の手掛かりは見つからなかったんで?」
 話を切り替える様にライシンが話題を提供してくる。それにガルジアは頷いた。
「はい、特に目ぼしい物は。やっぱり数十年経った今すぐに見つかるなんていうのは、虫が良すぎますね」
「それなら、次の目的地の候補があるんすけど」
「候補ですか?」
 にこりと白い歯を見せながら笑って、ライシンが人差し指を立てる。
「ここから北西。ちょっと遠いっすけど、そこにディヴァリアってデカい街があるっすよ。
あそこの街は別名法術都市。つまり聖法、邪法、召術に詳しいって言われてるっす。
当然魔導書に関する情報もあるっすから、召導書が気になるのなら行ってみてもいいかも知れないっすね」
「法術都市……」
「それに」
 席を立ったライシンがこちらに来ると、リュウメイに聞こえない様に耳元で囁く。
「前に言ってたっすよね。ガルジアさんの修道院は、フォーリアからは北の方だって。
だったら、行くなら北がいいっすよ。これ以上西や南に行ったら戻るの大変じゃないっすか」
 確かに、ライシンの言う通りだった。北上し、そこからもう一度船に乗ればガルジアの育ったラライト修道院は近い。
 思わず頷きそうになるが、リュウメイの視線に気づきガルジアは俯く。
「あの、リュウメイさん……行く所が無いなら、次はその法術都市に行くというのは」
「あぁ?」
「だ、駄目ですよね……」
 耳まで下げて、ガルジアは悄然とする。しばらくその様子を見ていたリュウメイが、鼻で笑う仕草をする。
「まあ、別にいいぜ。俺も見て回ろうと決めてた所だしな」
「本当ですか?」
「てめぇの言う事に左右される様で癪だがな」
「ありがとうございます、リュウメイさん!」
「良かったっすね、ガルジアさん」
 行き先が決まってほっとする。内心はどこに行くのかというのが一番の心配事なのだ。辺境の地まで行って
解放されたとしても、自分の力で戻るのは不可能に近い。それならば、なるたけ戻りやすい場所を歩いていたかった。特に今は、召導書の手掛かりも欲しいのだ。
 念のために昨日とは別の宿を取ると、挨拶を済ませて就寝する。今日は三人部屋だった。一人では心細かったガルジアには有難い話で、
報奨金で少しだけ贅沢をしてから、揃って就寝に就く。
「……リュウメイさん、起きていますか」 
ライシンの寝息が聞こえてきた頃、ガルジアは呟いてみる。
 返事は無く、リュウメイも寝てしまったのかと思ったが、僅かに身動ぎをする音が聞こえた。
「ディヴァリアに行く事を許してくれてありがとうございます。けれど……どうしても気になります。
リュウメイさんは、何が目的で旅をしているのですか?」
「行っただろ。当てはない」
「私には、とてもそうは見えないのですが」
 迷い無く歩くリュウメイの姿。いつ見ても、先を見ていない者の行動とは思えなかった。どこへ行こうとしているのか、
この旅の間何度も考え、しかしついにガルジアには答えを見つけられず、こうして我慢出来ずに尋ねていた。
「いいから早く寝ろ。道中でへたばっても、待ってやらねぇぞ」
「……はい。おやすみなさい、リュウメイさん」
 ガルジアは微睡む。しばらくしてから、昨夜の様にふと目を覚まし、薄目を開ける。
 窓に人影が見えて、思わず目を見張る。賊かと思ったが、しかしそれがリュウメイだと気づくと、じっと見守った。
 港町の月明かりに照らされた真紅の髪が、物悲しい雰囲気を漂わせている。
 彼は何を考えているのだろう。それを推理しようとして、しかし再び迫り来る睡魔にガルジアは呑まれた。

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