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30.決別の道

 吐き出された熱い吐息から、むわっとした酒の臭いが立ち昇る。
 鼻腔の中を、変わらずに安酒の香りが擽り続けている。一頻りそれを堪能してから、また一口と。猪口に注いだ酒を口に含む。
 さっきから、その繰り返しだった。朝が来るまで、そうしていようかと思う程に、さっきからそうしている。それでもその内に酒が無くなると、ライシンはそのまま机の上にべったりと倒れ伏す。
「ライシン君。飲み過ぎですよ」
 不意に、声が掛けられて。それでもライシンは最初の内、動く事もなかった。隣の椅子に、声を掛けた人物がどかりと座り込んだ辺りで、ようやく目に当てていた太い腕を退けて、そちらを見遣る。
「……なんすか、ベリラス先生。こんなところに来るなんて」
「こんばんは。ライシン君」
「……こんばんはっす」
 壮年の白熊が、そこにのそりと座っていた。熊人のライシンよりも、身体はもう少し大きい。大きいというよりは、背が高いという方がより正確なのかも知れないが。そのベリラスは、さっきから一人で飲んだくれているライシンの姿を見つけたらしく。そのまま声を
掛けては、自分もと軽く一杯始める様子を見せていた。
「珍しいっすね。先生が、こんな時間に出歩くなんて。それも、そんな恰好で」
 そんな恰好。それを、ライシンは改めて見つめる。今のベリラスが身に着けているのは、いつもの教師然とした、利発で、同時に凡庸さをも感じ取る事のできるローブ姿ではなく。上は黒いシャツ一枚に、下は膝までしかないズボンだった。そうしていると、
普段はローブの中に隠れているその肉体と。それから尻の方から出ている白熊の小さな尻尾が見えて。なんとなくライシンは、別人が目の前に居るかの様な、そんな印象を受ける。少なくとも、こんな姿をしているベリラスを見るのは、初めてだった。子供の
様なその服装は、普段のベリラスの振る舞いからはかけ離れていたし、例え顔を知っていても、それがベリラスだと。学園の生徒などは思ったりはしないだろう。その表情だけは、目元を薄くして、いつでも微笑んでいるために。やはりこの男が自分の知っている
相手であると、思い起こさせてもくれるのだが。
「まるで子供みたいな恰好じゃないっすか」
「いけませんか。今日は暑いくらいですし、お酒を頂こうと思ったら、いつもの様な恰好は良くないと思いましてね」
「別に、いけねぇとは言ってねぇですけど。……俺だって、似た様なもんだし」
 そう返したライシンは、いつもと変わらぬ恰好である。肩も足も、動きやすい様に露出している。確かにそう言われれば、自分がベリラスの恰好について苦言を呈するのもおかしな話だと思い、ライシンはそれ以上ベリラスの恰好を取り上げる事を止める。
「それで。どうかしたんすか」
「いえ。先日の事がありましたでしょう? 形の上では、謹慎という事になってしまいましてね」
「謹慎って。あれは別に、先生のせいじゃないっつーか。寧ろ、先生が治めてくれた事じゃなかったんすか」
 先日、クロムと共に貴石通りを歩いた際の出来事をライシンは思い返す。どう考えても、ベリラスに非があったとは思わなかった。
「でも、お店の物を駄目にしてしまったでしょう?」
「そりゃそうっすけど、誰も大怪我しなかったんだから、そんなの納得できねっすよ」
「まあ、本音はそうじゃなくて。最近少し忙しくて、中々休みが取れなかったので。良い機会だから、謹慎という事にしてやろうと。そう言われてしまったんですよ。そうしないと、休めと言っても、忙しい事を知っている私が出てくるだろうからって」
「……なんだ。それじゃ、別に悪い話でもなんでもないじゃないっすか。そういう事なら、先生。飲みましょうよ。確かに先生は、昔っから働いてばっかりっつーか。まあ、変人ばかりの教師の中で、まともな性格してたら、割を食うのは当然って感じだったっすけどね?」
「そこまで言うものじゃありませんよ。……まあ、否定はしませんが」
 お互いに、苦笑をする。ベリラスの登場に驚いた事もあって、多少は酔いが醒めてきた。とはいえ、そのままベリラスと一献を交わしては、また酒を呷るのだが。
「それにしても先生、よく俺っちの事見つけられたっすね」
 落ち着いてから、ライシンは疑問に思っていた事を問いかける。ライシンが今居るのは、ディヴァリアの南側。主に観光客を相手に開かれた場所である。道のあちこちにある、屋台の一つに。ライシンは狙いをつけて、そこで一人ちびちびとやっていたの
だった。人々の行き交う大通りから見れば、まったく見えないとは言えないだろうが。それでも、そんなにすんなりと見つけられる物ではないとは思う。
「ああ。その事ですか。あなたの顔が見えましたからね。そうすると、わかってしまったのですよ」
「なんすかそれ」
「あれ、ご存知ありませんでしたか? 私の様な教師という物は、生徒の名前と所属がわからぬのではどうしても不便ですからね。ですので」
 そこまで言うと、ベリラスが自分の目元を何度か、軽く白い指先で叩く。
「入学をする際に、魔導で記録した顔と名前。それから専攻などは、改めて教師それぞれの瞳に魔導を施して、顔が見えるのならばそれ以外を。名を思い浮かべたら顔が浮かぶ様になっているのですよ。もっとも、他者からはその様には見えませんがね」
「……初めて聞いたっす。そんな便利なもんだったんてすか」
「まあ、あまり口外しない事ではありますが。それでも秘密という訳ではありませんね。ですから、あんまり悪い事をしている生徒というのは。その現場に居て、顔を私達に見られてしまうと。即座にどこの誰であったのかを悟られてしまう訳ですね。そういう訳で、
これは生徒の非行に対する、一種の抑止力としても働いている訳です」
「でも俺、もう学園には居ないのに」
「あなた、休学届を出しただけじゃないですか。何かしらの理由で除籍されない限りは、この記録は残り続けますよ。勿論、休学届を出したといっても、音信不通のまま何年もとあれば、その対象になる事はありますが。君は筋が良くて、優秀な方でした
からね。そういう生徒の場合は、ある程度の猶予という物がありますよ。別に休学届を出して休む分には、お金が掛かるという訳ではありませんし。ある程度まで育って、充分な腕前を持つに至った者ならば、当然の措置ですね」
「なんか、痒くなるっすね……俺、そんなに凄い生徒だったかな」
「筆記の方はとても成績が良いですからね。それに、聖法、邪法と拘らずに。非常に広い分野の知識を修めていましたから。多分、教師の中では。あなたを教師側に置きたかったという人も居たのではありませんかね」
「止めてほしいっすよ。柄じゃねぇや」
「そうですか。私と一緒に苦労を共にしてくれる相手ができるのかと、期待していたのですか」
「すまねぇっすけど、あんな奇人変人の中で頑張れる程俺っち逞しくないっすよ」
 在学中の頃を、思い出しては。なんとなくライシンは、昔に戻った様な気がした。今と比べて、あの時代が恵まれていたとは思わないが。それでも確かに、勉学と研鑽に励む日々は、懐かしく。また甘やかな思い出となって、その胸中に広がっていたのだった。
「それにしても、最近忙しいって。何かあったんすか? ……あ、いや。俺っちはもう部外者みたいな物だから、言えない事だったら構わねぇですけど」
「ああ、それはですね。……どうしようかな。言ってしまっても、まあいいかな」
「なんすかそれ。言ったら不味いなら、いいっすよ?」
「いえ。確かにどちらかと言えば、言わない方が良いのですけれど」
 そこで言葉を切って、ベリラスは酒をまた呷っては、酒臭い息を吐き出す。偉丈夫というには、少し脂が乗っているベリラスがそうしていると。とても親父臭い印象をライシンは受ける。とはいえ、それを口にはしないが。あなたも同じですよと言われるのは、
わかりきっている。熊人の寂しい性という事にしておくしかないだろう。一応、身体をきちんと鍛えているのならそうはならぬらしいが。旅をしているライシンであっても、どうにも脂肪との付き合いは上手くはいっていない事が多い。
「でも。黙っていても、あなたなら、その内気づいてしまいそうですから。あなたに秘密にして、この席を台無しにするよりも。ここで話をして。会話に花でも添えようじゃありませんか。まあ、そんなに花やぐ様な話じゃありませんがね。……それがですね、゜最近
召術の調子が違うと。召術を専攻する者達から声が上がっているのですよ」
「召術の調子が違う? そりゃまた、どういう事なんで?」
「それがですねぇ……。私は召術は、専門ではないけれどって程度ですから。自らの腕できちんとした確認が取れた訳ではないのですがね。どうも、以前よりも召術を行使する際の難度が下がったと。その様に囁かれている訳ですよ。ですが、調査の方は難航
しております。大昔の、それこそ大召術士と讃えられたネモラなどは、召喚獣を。つまりは、異世界よりの異形を呼び寄せて使役し。それらは絶大な力を持っていた訳ですが。今日の召術士というのは、その様な話はまったくの法螺であると、嘲笑されてしまう程に、
あまりにも非力な物だというのは、周知の事実ですからね。大抵の召術士が使役するのは、異界の者ではなく。この世界の、自然の中に漂う精霊であって。それらはまあ、まったく役に立たぬとは言いませんが。それでも異界の者と比べれば、月とすっぽんと
言っても、決して過言ではない。異界の者を。すなわち、召喚獣を使役できるのは、本当に才に恵まれた。ほんの一握りの召術士に限られます。それだって、やはり伝えられている様な昔の強さには到底届きはしない。そんな状態ですから、そもそも今、召術士を
志す者というのは、とても少ないのですよね。一応、この街の学園では門戸は開かれていますけれど。召術を専門にしては、他者に教える程の才を示したというリオフォーネが居たのはもうずっと昔の事で。今は私の様な、精霊を呼び出すのが精々という者が
教えているという有様です。ですので、調査をするにも、その調査にきちんと当たる事のできる者が居ないが故に。難航している訳です」
「はあ。まあ、俺が居た時も。確かに召術士なんてもんは、全然見なかったっすねぇ」
 召術士というと、サーモストで合流し、そのまま終わり滝でバインとの決戦に参加していたリーマの事を、ライシンは思い出す。付き合いは短く、ほとんどの事はわからなかったが。召術士として讃えられたリーマアルダフレイ・セロスの血を引く者であり。その
ダフレイの魂さえも何故か連れて、時には身体を貸してダフレイの方が顕現しては、召喚獣を扱うという。到底誰かに話をしても嘘を吐いていると言われてしまいかねない様な状況だった事だけは、今でも憶えている。
 その事を、咄嗟にベリラスに告げるべきかライシンは悩んだが、すぐにそれを諦める事にする。少なくとも、自分一人の判断で、軽々しく口にして良い内容ではない事だけは、わかる。
「召術を学べると言っても、召術士としてきちんと他者に教えを授ける事のできる者が不在のままですからね。今召術士を志すのは、それは大層変わり者と言われてしまうでしょうし。その様な変わり者の。けれどもそれだけ召術と、異世界の獣に思いを馳せる様な方は、
彼のリーマアルダフレイが晩年腰を据えて、現在では召術士の集まる地としても名高いサマザルへ向かうでしょうしね。とはいえ、きちんとした召術士が居らぬが故に、調査をする事ができませんでした。などと、学園としては片付ける訳にはゆかぬのも、また
事実。仮にも法術都市と、このディヴァリアが名乗っているからには。知らぬ存ぜぬでは話になりません」
「そこで、今のところまともな召術士の教師が居ない事もあって、専門でもないのに教鞭も取っているベリラス先生に、またまた厄介事が回されている訳だと。そういう話っすか」
「ああ。良いですね、ライシン君は。そういう直截な物の言い方、私は好きですよ。ええ、まったくその通りなのです。いえ、私も別に、興味が無いとは言いませんよ? 寧ろ、興味深いとも思っておりますし。ただ、だからと言って。自分の専門外の分野の、更に
延長線上の。付け加えて、前代未聞の出来事を調査しろ、などと言われても。困ってしまうし、まったくはかがゆかぬ作業な訳なのでして」
「……なんていうか。お疲れ様っす。あと、こんな事言うのもなんだけど。やっぱ俺っちは教師には絶対なりたくないっすね」
 その話を聞くと、同情心が湧いてくる。さっきからベリラスが回りくどい言い方をしているのも、相当に鬱憤が溜まっているのだろうと察して。ライシンはライシンで、不貞腐れて飲んだくれていたというのに、その自分を隠して、今はベリラスに労いの言葉を掛ける。
「それで、結局何かわかったんすか? 話せる範囲で、いいっすよ。というか、愚痴だけでもいいっすけど」
「いえ、せっかくですから、あなたの意見も聞こうかなと。それに先程も言った通り、事態がこのまま続くのが前提とはいえ、魔導に詳しい者ならば、いずれは小耳に挟む事でもありますし。……それで、ですね。結局は学園に居る数少ない召術士達の証言を頼りに、
彼らをよくよく見てみたのですが。なんと驚くべき事に。彼らの内の数人が、召喚獣の召喚に成功したのですよ。これは、驚くべき快挙です。確かに召術を行使するのが楽になったと、その様には言われておりましたが。まさかきちんとした召喚を行える、などとは」
「要は、それまでの彼らでは。それが到底できそうになかったと。そういう話なんすね?」
「はい。精霊を呼び出す事は、できたのです。しかしそれは、私達と同じ世界に存在する者達。ですから、それ程に難しい訳ではないし、私でもできる事です。そして、召喚獣を。というよりは、それを呼び出すための、異界の門を開く事は。相当な魔力を必要と
しますし、その門を開いたまま、向こう側に居る召喚獣に自分の存在を知らしめては、彼らを呼び出して、力を借りるというのは。これはもう、並大抵の努力でできる事ではないのです。力と技術。二つが充分に揃っていなければならない。門を開く事は
できても、門を維持し、安定させるというのは、かなりの技術を必要としますからね。それができて初めて、召喚獣は召術士である者と契約を結ぶという段に進めるのですから」
「ちなみに、先生はそういう事できるんすか? 技術っていうと、安定した魔力の供給とか。門がどうたらって言うのなら、こちらとあちらに開いたそれを、常に安定させるとか。そういう話っすよね?」
「ええ。……残念ながら、私にはそれはできません。技術的には、まあ不可能ではありませんが」
「できるんじゃないっすか。やべぇな先生」
「いえ、だからできませんよ。技術的にはできても、私は魔力がそこまで強い性質ではありません。そもそもが異界の門の創造をする事ができません。少なくとも、今までの状態ではね。補助となる物を用いればという気もしますが。その様な紛い物の魔力
というのは、召喚獣からは嫌われるそうですからね。まあ、彼らからすれば。契約を結べば、おいそれとは離れられぬ関係になる訳ですから。真の力を示せぬ者に従う道理は無い訳ですね」
「話は大体わかったっすけど。それで、その召喚獣を呼び出したっていう生徒はどうなったんすか」
「一名は死亡。一名は行方不明。それ以外の者は、今は決して召術を行使せぬ様にと、きつく言いつけております」
「うえっ。マジかよ。……一体なんでまた、そんな事に」
「呼び出した相手が、悪かったのですよ。召喚獣は、呼び出した相手に必ずしも従順な訳ではありません。契約すら結ばぬ状態では、尚更です。本来ならば、その様に召喚を成功させる召術士というのは、老練な者が多いはずなのに、今回それができてしまったのは、
まだまだ未熟な生徒ですからね。はっきり言って、これは異常事態です。ですので、そのための原因究明もまた私の方に話が回ってきてしまって。かといって、危険が伴うから、安易に召喚をするなとも言われておりまして」
「サマザルの方と連絡を取った方が良いんじゃないっすかね?」
「それは既に。どうも、あちらの方でも。似た様な事が起きている様です。ただ、あちらは流石にリーマアルダフレイの話が残っている地ですからね。リーマアルダフレイは、召喚獣に対してはよくよく気を付けるべきだという言を残しておりますから、こちら程の被害は
出ていない様です」
 残しているも何も、サマザルへ帰ったと思われるリーマが、無事辿り着いていたとしたら。きっと今頃は、ダフレイが狂った様にこの事について調べては、決して軽率な真似はするなと警告を発しているだろう。そういう意味では、あちらは心配をしなくとも
良さそうだとライシンは思う。もっとも、ダフレイの魂があって、あれやこれやと口を利くなどという事を、どれ程までリーマと、そしてダフレイが公表しているかによるのだが。
「これについて、あなたはどう思いますか? ライシン君」
「……うーん。そんなにいきなり言われても。ただ、そうっすね。要は、今まで呼び出せなかった物が、呼び出せているって話っすよね。言い方悪いっすけど、そうする事ができずにいた。その程度の技量の召術士達が、突然に呼び出せる様になっちまったと」
 そこまで口にしながら考えると、ライシンには思い当たる節があって。僅かに言葉を詰まらせてしまう。
「それって。もしかして、こっちの世界と。それから、召喚獣って言われる、要はあっちの世界との接点が、今までは希薄だったのに。なんらかの要因で、いくらか密接な物になったって。そういう話なんじゃないすか」
「そう、思いますか」
「はい。それに、俺っちも召術については多少は齧った事あるっすけど。確かに大召術士だの言われたネモラやらが居た時代と比べると、今の召術士の凋落振りっていうのは、仮に何一つの要因も無いとすると、不自然だと言わなけりゃならないっすからね。召術の
課題として、それが一体なんだったのかっていうのを追い求める研究もあるくらいっすし。それがなんなのかは、わからないって。確か、そう言われてたはずっすね」
 口にしながら。しかし口にはしない部分で。その答えを己が知っている事に、ライシンは気づく。ダフレイの戦い振りを見ていたし、少しは話をする機会もあって、その時に召術士の。というよりは、召喚士の衰退についての話はしたのだった。今ライシンが口に
した通り、確かに問題の全てが、ただこちら側の。要は、召術士の腕の悪さに掛かっている訳ではないという事を、ダフレイは教えてくれた。その上で、今。この状況に変化が現れたというのならば。こちらとあちらの繋がりに、変化を齎す存在があったと
するのならば。それは終わり滝で、召術士であるバインが、ガルジアを餌にする事により呼び出した、白虎の召喚獣であるヨルゼアの影響に他ならないであろうという仮説を立てるのは、あまりにも容易で、かつ自然な事でもあった。ヨルゼアの召喚は完璧な
物ではなかったが、あの力の凄まじさは、今でもライシンは身体が震える程に憶えている。そして、つい最近、召術士や召喚に関連する事で、何かなかったかと訊かれてしまえば。原因はまず間違いなくそれだろうと、断定するのは無理もなかったのだった。
「では、私と同じ考えだという訳ですね」
「先生も、やっぱりそう思ったんすね」
「というより、他に説明のしようがありません。たった一人の生徒が突然に才能を開花させる、というのならわかりますが。それは一人に留まる事はなかったのですから。ただ、何故そうなってしまったのか? それが、わからない。わからないというよりも、報告書に
記述するに足る程の信憑性を伴った事柄を見つける事ができない、という方がより正しいのでしょうが。仮説はいくらでも立てられる物ですからね」
「そうっすね。俺っちには、ちょっとそれ以上はわからねぇっすけれど。お力になれなくて、申し訳ないっす」
 早めに、ライシンは会話を切り上げる。これ以上はわからぬと、はっきりと言って。
「いいえ。あなたの口からも、それが聞けてほっとしました。ありがとう、ライシン君」
 当のベリラスは、ライシンのその様子に気づいているのかは、わからなかった。元より柔和な表情は変わらずに。今は追加で注文し、出された芋煮を突いているところである。身体の大きな白熊が、器用に箸を持っている様は、なんとなく微笑ましくも
感じられた。もっとも、口にしている話題はややこしくて、この場には不釣り合いな事でもあったのだが。
「そういや、召術が行使しやすくなったって話っすけど。それってこちら側の、要は精霊を呼び出す際にも都合が良くなったって事にはなるんすかね」
「ええ。それが、少し不思議なのです。あちら側との接点が強くなった、というのを仮に認めるとするならば。これはその副産物の様な物なのかも知れませんね。いずれにせよ、今はまだ危険な状況と言わざるを得ません。召術士は、長年召喚獣を追い求めて。そして
今のこの変化には、きっと瞳を輝かせているかも知れませんが。開いた門の先に居る、その存在は。本当に忠誠を誓い、全身全霊でもって己に協力をしてくれる相手であるのかどうか見極めなければならないというのに。その感覚が麻痺してしまっている。頭の
痛い事です」
「そりゃ、死人まで出ちまったら大事っすよね。……その死人って、やっぱ召喚獣に?」
「ええ。その生徒は、興奮した様に私に話をしてくれました。俺が門を開けて、彼らと話をする事ができたんだ! そう、とても嬉しそうに。だけど彼は、その先に居る存在の真意を測る事が、できなかったのでしょうね。召術士が鍛錬の場に使う部屋で、ある日の朝、
冷たくなって、横たわっていたのです。全身を傷だらけにして、血を流れさせてね。無論、それだけで断定はしませんが、逸った他の生徒が、門を開いた先に居る召喚獣に襲われたという証言も確かに出たのです。……さて、そんな訳で、私は連日忙しくて
仕方がなかったので、謹慎をこれ幸いとお休みを頂いては、今まさに君と、この様な話をしている訳ですね。納得していただけましたでしょうか」
「ええ。すっげぇ納得しました。喉乾いたっす。もう少し飲みましょ」
「それには同感ですね。私もつい、はしゃいで。沢山口にしてしまいました」
 それで、召術についての話は完全に終わりとなる。上手く誤魔化せただろうかと、ライシンは考えていたが。ベリラスの方は既に、終わった話だと決めつけているのか。蒸し返す様な事は何一つ言わなかった。
「先生も苦労してるんすね。なんていうか、生徒の前じゃいっつも平然としてるっていうか。穏やかな先生でしたっすけど」
「所詮は上辺だけですよ、そんな物はね」
 たわいない話をしながら、苦労を労う。こんな関係が、この教師との間で成立するなどとは、ライシンは思ってもみなかった。酒を酌み交わす事もだ。今日はただ、一人で話し相手もなく、朝まで飲んだくれているつもりであったのに、それは嬉しい誤算で
あった様にも思える。もっとも知人の目があっては、羽目を外して飲む訳にもゆかなかったが。
「ところで、すっかり私の話ばかりしてしまいましたけれど。ライシン君は、どうして今日はここに? なんというか、随分と自棄酒の態でしたけれど。先程までは」
「ああ……それは」
 どう返した物かなと、腕を組んでライシンは思案をする。
「話したくない事なら、構いませんけれど」
「いや、それは流石に」
 気を利かせてベリラスに口にした言葉が、今は返ってくる。ベリラスの話を散々聞いた後に、そう返して話題を打ち切るというのは、あまりに身勝手にも思えた。また、ベリラスがその様に興味を示してくれたという事自体は、ライシンは嬉しかったのである。
「あの、あなたと一緒に居られた方の事でしょうか? 確か、クロムさんでしたね」
「ええ、まあ。それもあるんすけどね。まあ、いいかな。先生なら」
 ベリラスが的確にクロムの名を出してきた事で、ライシンははぐらかす事を止めて、ぽつりぽつりと語りはじめる。そもそもライシンがここに、このディヴァリアに態々戻ってきたのは、己の研鑽のためという事もあるけれど。同時にクロムの用事のいくつかを、
解決したいという思いもあったからだった。他にも、リュウメイの傍に今の自分のままでは居られないと思ったから、という事もあるのだが。とにかくとして、ライシンはこの街でクロムの求める鞘、ないしはそれに近い物を探し出すか。先に交わした約束の通りに、
クロムに魔法の手解きをしようとしていた。しかしその作業はどちらも芳しい結果を出せたとは、到底言えなかった。まずライシンはディヴァリアの学園に行き、休学中の自分でも閲覧の許された資料などを読み漁っては、クロムが使える品を探したのだが、
こちらはまったくと言って良い程進捗する事はなかった。手をつける前から、クロムが手にしていたあの鞘の様な素晴らしい一品など、早々出てきて堪るかという思いがあったのは確かなのだが。やはり同様の品を用意するというのは、大層難しいという
結論に落ち着く。
「魔力を発する鞘、ですか。それはまた、どこにあっても国宝と言われてもおかしくない様な代物ですね」
「そうっすよね」
 このくらいならばと、ベリラスに打ち明けてはその感想をライシンは貰う。終わり滝での事と、クロムが不死である事。その二つは、決して自分から口にする事はなかったが。もっとも先にクロムを伴って顔を合わせた時、ベリラスはクロムの身体に流れる
微妙な魔力の違いという物を感じ取ってしまったので、ある程度予想はついているのかも知れないのだが。
「魔力を発する、ですか。宝石の様でもありますが、しかし違いますね。宝石ならば、使ってしまった分の魔力は、少なくともそんなにすぐに戻る物ではない。そうですね。きちんと使う事ができた時のそれを見る事ができないので、推測になりますが。恐らくは、
トニア鉱を用いて造られた物なのかも知れません」
「それ、俺っちも思ったんすけど。トニア鉱って、確かそれ自体が魔力を生み出しているっていう稀有な鉱石の一種っすよね? 本で読んだ事はあるけど、今あんなのまともに流通してると思えねぇんすけど」
「ええ。現物は、到底手に入れられませんね。お金を用意しても、売ってくれる方なんて早々居ないし。それを産出していた旧アストニアの鉱山でも、もはや掘り尽くされたと言われる始末。また、だからこそ昨今の野心家や商人などというのは、地図の外側の、
言ってしまえば魔境の先を夢見ている訳ですが。ほとんどの物は既に加工を施され、現物など到底残っているはずのない代物です。私が知っているのは、ヒリーン修道院で聖物として扱われていたトニア鉱ですが。それも、数十年前に失われたと聞きますね、
もっともあれはサーモストから盗まれたとかいうネモラの召導書と違って、ヒリーン修道院の危機を救ってくれた当時の恩人のために、修道院側から快く譲渡された物だと聞き及んでおりますが。それ以来、ヒリーンにも聖物と言うべき物は無いそうです。もし
トニア鉱が、もっと現実的に手に入れられる品であるのならば。ヒリーンには新たな聖物としてそれが収められていもなんら不思議ではありませんので、やはり今になってトニア鉱を手に入れるというのは、中々に難しい事だと言わざるを得ないのでしょうね」
「流石、先生っすね。なんでもかんでも知ってるっす」
「あなただって本当は知っている事だと思いますが。この程度の話なら」
「いや、全部は流石に。おいそれとは見つからねぇって事だけは、わかってたっすけど」
「まあ、本当に必要なのはその様な事実だけでありますからね。よろしいのでは。それで、その代替品が見つからずに、途方に暮れているのですか」
「それも、あるんすけどね」
 もう一つ、ライシンが不満に思っているのは、今のクロムに対してだった。元々は魔導の研鑽に付き合うという話もしてあったのだが、最近のクロムはどうも挙動が不審であるというか。書置きを残したりして、ふらりと居なくなってしまうのである。とはいえ、
共に旅をしている仲とはいえ、互いの事には必要以上には踏み込まぬ様にはしているのだから、それを取り上げてクロムを責めるつもりもライシンには毛頭ない。ただ、そうなると。結局は一人きりで居るしかできない自分が、なんとなく嫌に感じられるのだった。
「つまり、拗ねている訳ですねあなたは」
「そんなにはっきり言わないでほしいっす……」
「拗ねて、それから自棄酒だなんて。あなたにも可愛いところがあるんですね。昔のあなただったら、到底考えられない」
「そんなに俺、昔は近づきがたい様な感じでした?」
「と、いうよりは。誰にも弱味を見せたがらない印象を受けましたね。あなたは確かに真面目な生徒でしたし、いつも元気そうな人でした。元気そう、なんですよね。本当に元気であったのかは、わからなかった」
「……やっぱ、先生みたいなちゃんとした人には、わかっちまうんすかね。そういう部分は」
「偶々ですよ。先程から言っている通り、私はあなたに見込みがあると思っていましたから。もし教師になってくれるのならと。ただの一生徒としてなら、別に見る必要のないところまで見ていました。そういう所まで見ないと、また問題児の教師が増えて、
私の仕事が大変になってしまいますからね」
「問題児の教師とか、意味わかんねっす」
「私もわかりたくなかったですよ」
「しかも先生の方が少数派」
 ベリラスが、噴き出す。肩を震わせて。決して派手な反応ではないが、大きな白熊の身体が震える様というのは、中々に見応えがあるものである。それから、腕が伸ばされて、ライシンは肩を優しく叩かれる。
「本当に、あなたは返しがお上手ですね。話をしていると、私の方が気遣われている様な気がしてしまって。でも、たまには自分の事も、大切にしてあげてくださいね、ライシン君。今のあなたは、確かに昔よりか、いくらかましと言っても良いくらいです。いえ、強さとか、
そういう話ではないですよ。昔のあなたも、充分に優秀でしたから。けれど、何かに追われている様であったり、必要以上に繕っていたりするのは、どうにも変わらない」
「そんなに今の俺、弱そうに見えるっすか」
「謹慎中の私が、さっさと家で眠りたいなという気持ちを我慢できるくらいにはね」
「……はぁ。なんか、先生も大概っすね。こんなにずかずか話し込んでくる様な人だと、思ってなかったすわ。俺っちと、似た様な人かと思ってたけれど。でも、いいんすか先生。それ以上、俺にべたべたしちまっても」
「なんの事でしょうか」
「俺が休学する前の事、知ってるんでしょ」
 少し語気を弱めて、ライシンは言う。当時の事を思い出しては、苦い気持ちが過ぎる事もあった。天涯孤独の身でこのディヴァリアに来たライシンは、必要な知識を修めるべく学園に入学を決めたのである。元々最低限の魔導に対する知識は持っていたので、
入学試験にはそれ程の困難が伴う訳ではなかったが。しかし生活費と学費の二重苦を当然ながら味わう事にもなっていたのだった。そういう時、ライシンの様な者は、売れる物を売るしかないという有様であった。法術の広い知識を持っている事も、
正邪を問わずに魔導を扱える事も、結局はその様な才能を示さなければ生き残る事ができなかったからであるし、その上で宝石を作ったりして、どうにか費用を捻出する日々の連続であったのだった。それだって、ある程度魔導について学び、己が物として
十全に扱える様になってからの話であって、そこに至るまでにライシンに差し出せる物は、己の身体一つしかなかったのである。才能のある生徒に対しての学費の免除も、確かにあったが。それもやはり後の、その才を充分に知らしめてからの話である。
 そういう話を、囁かれる事がライシンは多かった。実際に魔導を行使するのかは別として、魔導の基礎を学ぶという事はそれなり以上の地位や身分を持つ者にとっては当然の事であったし、その様な環境の中において、天涯孤独の。本来であるのならば
自分達と肩を並べるべくもないはずの存在がそこにあるというのは、目障りに思う者もまた存在していたのだった。またそれは事実でもあるからして、反論をする訳にもゆかなかった。表向きは勿論、学生がその様な行為に及んでいるというのは許されるはずも
なかったのだが。それでもそうする事でしか、ライシンが生きてゆく術はなかったのである。その事を、後悔している訳ではない。そのおかげで、今はきちんと魔導を扱う事もできれば、リュウメイ達の役に立つ事もできたのだから。
「確かに、あなたについてその様な話を聞かなかったとは言いませんが」
「本当の事っすよ。……今からでも、除籍処分にしていただいても構いません」
「どうしてそう。自分を追い詰める様な事を言ってしまうのですかね、あなたは」
「だって……」
 天涯孤独の身であった。今も、それは変わらぬ。だからこそライシンは、人との距離には敏感だった。そうして自分で決めた位置を守る事が、一番良くて、何よりも楽である事を知っていたのだった。ベリラスの様に、優しく包み込む様に。しかし気づけば自分の
奥深くに入り込んでくる相手は、苦手とか、嫌いとか、そういう話ではなく。ただ、怖いと。そう思うのだった。或いはそれを、ガルジアにも抱いていたのかも知れぬ。だから、リュウメイの事が好きなのだった。リュウメイはいつでも、他者を拒む事をしなければ、
かといって必要以上に何かを要求してくる事もない。ただ、ひたすらに身勝手であって。それは見ているライシンの方が、苦笑を零しては。思わず近づきたくなってしまう様な習性だった。
「ライシン君。あなたがどんな風に生きて、今そんな風になっているのか。私はその全てはわからないし、知っていたとしても、あなたの事がわかりますよ、だなんて。嘯く事も厭うので、言いませんけれど。少なくとも今のあなたの事は、好ましいとは思って
いますよ。生徒として。それから、こんな風に酒を酌み合わす、友人としてもね」
「友人っすか。なんか、先生にそんな風に言われるなんて、思ってもみなかったっす」
「まあ、私はあなたみたいに若くないし。おじいちゃんですからねぇ」
「おじいちゃんって程じゃないと思うっすけど……」
 少なくとも、ベリラスは見た限りでは四十を過ぎた辺りの壮年の男である。その挙措も、熊人らしく腹が出てきている様も、そこそこに歳を取ってきた様にも見えるし、かと思えば今ライシンの肩を優しく叩いている腕には、充分な筋肉の量が見て取れているのも
確かで。ローブの上からでは、決してわからないなとライシンは思う。いつもの恰好であったのなら、あと十歳は多く見ていたかも知れない。
 苦笑しながら、ライシンは少しだけベリラスに凭れる。少しごわついた白熊の被毛に、似た様な感触の自分のこげ茶の被毛がぶつかる。席に多少の間があっても、揃って恰幅の良い熊人であるからして、特に詰め寄る必要もなかった。そうしていると、
なんとなくガルジアは、遠く。とても遠い、昔の事を思い出す。まだ自分が、子供だった時の事を。自分がまだ、父親に凭れていて。それから程無くして、今度は自分に凭れる弟達の面倒を見ていた事を。
「なんつーか。上手く、言えねっすけど……。たまに、これで良かったのかなって。そう、思うんすよね。今回の事も。その、全部は先生には言えねっすけど。俺っちは逃げるみたいに、ここまで来ちまったし。別に、後悔してる訳じゃねぇっすよ。後悔するのだけは、
俺は嫌だって思うから。でも、なんていうのかな。やっぱり、上手く言えねぇや。先生、俺の言ってる事もわかるっすか?」
「もっと上手くやれたんじゃなかったのか。そう、思う訳ですね」
「ああ、そうだ。それだ。本当に、それですわ。今すっげぇすっきりしたっす」
 今の自分に大きな不満があるという訳ではなかった。いつもやれる限りやっているという、自負だってある。自分に劣る者を見つめて、優越感に浸る事もできる。ライシンならば、それは一層強い物でもあった。自分を見下していた、家柄だけは
良い者達の内、一体どれ程が自分よりも腕前に優れているというのか。まったく居ないという訳ではないが、大半はライシンの所にすら上がってこられぬ者ばかりだ。それも、そのはずなのだが。彼らは結局のところ、魔導を学んだという実績がほしいのであって、
その腕前を欲していた訳ではないのだから。
 それでも時折、思うのだった。その様な者達の中には、数少ない友人も確かに居て。しっかりと魔導について学んだが故に、胸を張って家業を継いだり、我が家に帰って家族から認めてもらう事ができるのだと、笑みを零していた者が居た。ライシンはいつも、
それを見送るだけだ。自分には、帰る場所が無いのだから。そういう時、ライシンは堪らない気持ちになる。言葉で正確に表現する事のできない自分のその気持ちに、翻弄される。今日も、結局はそれと似た様な気持ちになったのかも知れなかった。あれから
数年経ったというのに。自分はそれだけ強くなったというのに。
 結局はまた、この街に居て。そうして一人きり。
 もっと上手くやれたのではないのか。ベリラスの言葉通り、そう思った。自分がもっと、上手く事を運べる程の才を持っていたのなら。こんな蟠りを抱えて、酒に走る事もないのではないかと。その、上手く、という事が具体的にどの様な手段と行程に依る物なのかすら、
わからぬままに。ただ漠然と、そう思ってしまうのだった。
「先生は。そう思う時って、無かったんすか。もっと上手くやれたらって」
 なんでもわかった様な顔をして、けれどそうだと言う事は厭うベリラスに、ライシンは訊いてみる。ベリラスは、ライシンが寄りかかっても、慰めるかの様に優しく肩を叩くだけだ。それが父性を感じさせるかの様で、ライシンは思わず、もう少しだけ身体を
預けてしまう。本当に幼い時しか味わう事のできないった思いを、味わうかの様に。
「沢山ありますよ。数えきれないくらいにね。この謹慎だって、そうです。もう少し上手くやれたら、宝石をあんなに駄目にする必要は無かったかなって」
「そんなの、仕方ないじゃないっすか。寧ろ。先生以外じゃあんな風にできなかったし、先生だからこそ、できた事なのに」
「ええ。仕方がない。そうなんですよね、仕方がない。仕方がない事なんです。それがわかっていても、私は。私達は、つい振り返っては、しなくても良い後悔を重ねてしまうのかも知れませんね。後悔とさえ、言えないくらいに小さな事でも、それはもっと上手く
やれたのではないかと。もっと別のやり方が、あったのではないかとね。けれど、今まで生きてきた私だからこそ、一つだけ言える事もありますよ、ライシン君。それは、結局は前を向くしか、ないという事です。沢山の道が目の前に広がっていても、選べる道は
いつもたった一つで。そうして、たった一つの道を選んでしまったのならば。選ばれなかった残りの道というのは、何かがある度に、気になってしまう物。あなたの後悔を呼び寄せては、悔やませるための材料にしかならぬのだという事です。沢山の道が
あるという事は、実は贅沢な事でも、なんでもないのです。他に道が無かった、という状況よりも。ともすればずっと酷い時すらある。そうして、選ばれなかった道というのは。あなたが後悔をする事を、手ぐすねを引いて待ち構えているのですから」
「……要するに、深く考えても仕方がないんだから諦めろって言いたい訳っすね」
「流石。煙に巻く様な物言いでもあなたにはまったく通じませんね。まあ、そういう事です。悩んで解決できる事は、大いに悩むべきですが。あなたの今抱えている物は、どうなのですか」
 はぁ、と溜め息をライシンは一つ吐く。それでも、そうすると自然と笑みが零れてしまう。呆れてしまうくらいに、ベリラスの示した物は当たり前の、それでいてどうしようもない事でもあった。本当は言われなくても、わかっていた事でもあった。
 仕方がない。確かに、その通りだった。
「それでも、先生に言ってもらえると、随分違うもんっすね。……ありがとうございました」
「いえいえ。私で、あなたのお役に立てる事ならば、いつでも相談してください。あなたは私にとって、今この場では友人ではあるけれど。それでも生徒である事にも、変わりはないのですから。私はあなたより、少しは長生きをしているのだから。その分、
後ろを歩くあなたに、示せる物の一つや二つくらいはあると思うのです。というより、無いとすると、これはちょっと恥ずかしい。本当に学園で厄介事だけ押し付けられて、歳だけ食ってしまった様じゃありませんか」
「へへへ。でも、あんまり俺っちの事信用しちゃ、駄目っすよ。今だって、こんなに近いんすから。勘違いしちまいやすって」
「勘違い、ですか」
 不意に、ベリラスが肩に当てていた手に力を籠めて、ライシンを抱き寄せる。突然の事にライシンはされるがままになって、気づけばすぐ傍に、ベリラスの顔があった。ベリラスはそのまま鼻先を動かすと、ライシンの小さな耳元にそれを近づけて、僅かに鼻息を漏らす。
「勘違いしているのは、あなたの方だと思いますがねぇ。どうもあなたは、私がもっと厳格で。そうして生徒であるあなたがその様な行為に走る真似を厭うていると思っておられる様で。いえ、悪い事だとは思いますよ? そんな、碌々知らぬ相手に、身体を
差し出してしまうだなんてね。辛くて、苦しかったでしょうに。相談の一つくらい、してほしかったですよ。もっとも、当時のあなたには、そんな余裕はなかったでしょうし、あなたと私が今ここで、こうしている程に打ち解けた訳でもなかったでしょうから、難しかったのかも
知れませんが。私なら、あなたが望む条件で、あなたの援助をするぐらいの事はしてあげられたでしょうに」
「えっ……」
 耳がくすぐったい、などと思う余裕もどこかへと吹っ飛んで、ライシンはしばらく固まってから、かっと自分の顔が熱くなるのを感じる。大慌てで顔を離せば、ベリラスがほんの少しだけずるそうな笑みを浮かべていて、しかしそれも次第に、普段の柔和な物へと
戻ってゆく。ベリラスが顔を寄せていたのは、短い間であり、それより前からライシンは酔った振りをするかの様に寄り添っていたので、周りの者はなんとも思ってはおらぬ様だった。また、気づかれたとしても、何があった訳でもないのだが。
「さあ、もう少し飲みましょうか。それとも、私の部屋で飲みますか。普段は飲む相手が居ないので、一人で飲んでいるのですが。結構色々と、お酒を溜めこんでいるのですよ」
「あ、いや。えっと……。お、俺っちにはちゃんと、決めた人が居るんで、その」
「なんだ。なら、このままここで。それで構いませんね。その内に、あなたがその気になるかも知れないし、酔い潰れても、私はあなたの宿なんて、知りませんからねぇ」
 しどろもどろになっているライシンを、酷く楽しそうに見ながら。ペリラスがまた酒とつまみの注文をする。運ばれてきたそれにライシンは口を付けるも、味はよくわからなかった。酔っているのだろう。そう思う事にした。
 空が白みはじめた頃に、二人だけの飲み会はお開きとなる。ライシンはどうにか眠り落ちそうになる事を堪えて、這う這うの体で最後は宿へと戻る。相変わらず、同室のクロムの姿は無かった。
 一人で歩いている間に、少しは酔いが抜けて。そうすると、ベリラスの様子を思い出してしまう。耳元で、生徒と教師の間柄であるというのに、或いはと思わされてしまう程の声音で。
「びっくりした……」
 そのまま、ライシンはベッドへと身を投げ出す。なんとなく、いつもの自分とは違う様な。そんな扱い方をされてしまった様な。そんな気持ちがあって、眠気があるはずなのに、結局そのまま陽が昇りきるまで眠る事もできなかった。

 息を切らせながら、ライシンは腕を払う。払った腕から飛び出した風の刃が、変則的な動きを宙に描いては、その通り道を切り裂いて。それは狙い過たずに、白熊の魔道士の下へと向かってゆく。
 その相手は、特に焦った様子も見せずに。ほんの僅か掌に力を籠める様な仕草をしただけで、風の刃を消し去ってしまう。
「うわっ」
 右側に、不意に強烈な力を感じて、ライシンは慌てて足を止めて反対側へと跳ぶ。何も無い宙が、弾け飛ぶかの様に。魔力の奔流を感じ取る。
「ベリラス先生、それ反則なので、マジでやめてほしいっす」
「そう言われましても。私はこの様に戦うのが、いつもの事なのですが」
 にこやかに返答をするベリラスは、さっきからその表情を崩す事なく、また然程歩く事もなく、ライシンの相手をしていた。
 ベリラスとの再会を果たしてから、数日後。ライシンは変わりの無い日々を。クロムの使う鞘の変わりを探しては、徒労に終わる日々を送っていた。当のクロムは、相変わらず何かの用事を見つけた様で、部屋には居ない。宿賃だけは丁寧に置かれていたし、
ライシンとてそれほど散財をしていたという訳ではないので、別に困りはしなかったのだが。
「ライシン君は自分の腕を磨きにいらしたのですよね。それなら、私と少し、魔導の勝負をしてみませんか」
 ある日、すっかり飲み仲間と化していた、恩師でもあるベリラスに、その様に誘われて。ライシンは今、ベリラスと街の外の、誰もおらぬ平野でその相手をしてもらっていた。元々ライシンがリュウメイと別れたのは、リュウメイの傍に居ると、何かなし頼ってしまう
という部分があり。そのために一度離れては、改めて己の腕を磨こうという決意を抱いてたはいたので、それは渡りに船であったし、その上でベリラスという、言うなれば自分よりも各上で、また魔導にも明るい者が指南をしてくれるというのは、またとない機会
でもあった。確かに終わり滝で、バインと対峙した者達は、今思えば錚々たる顔ぶれと言わなければならなかっただろう。大召術士と言われたネモラにすら匹敵する程のダフレイに、その血を引くリーマ。不死の身体を持ち、鞘の力という制限はあるものの、魔導と、
そして剣の腕もある傭兵のクロム。詩という、あまり効率的な手法とは言えないが。中々お目に掛かる事すら難しい修道士であり、また歌術士と呼んでも差支えのないガルジア。そして、魔導の類を扱う事はないが、抜群の剣術と、不屈の闘志を誇るリュウメイ。
 そして、その中において正邪を問わぬ魔道士として。時には体術をも使う自分の存在があったのだった。集めようと思っても、そう簡単には集まらぬ様な人物ばかりであったのは、確かである。
 ただ、その様な面々であったとしても。魔導に。特にライシンの分野に、明るい者は極僅かだったのである。クロムはそもそもが鞘を経由する事で魔導を扱う者であって、知識はそこそこではあるが技術には乏しく。リーマは召術を除けば聖法を少し嗜む
程度であり、ガルジアとリュウメイは、これは魔導を期待する方が愚かと言えただろう。唯一、ダフレイが。最強の召術士と言っても過言ではない、リーマアルダフレイ・セロスが居たし、彼こそは召術士の前身である召喚士であって、その上で己の研鑽を
怠らずに、聖法などにもかなりの知識を持っていたのであろうが、話す機会というものには恵まれなかったのである。それらを鑑みれば、今ライシンの目の前に居るベリラスという存在は、まさにライシンが己の腕を磨く事だけを考えれば、これ以上は無い
逸材なのは確かだった。ベリラスの提案に二つ返事で、その上で頭まで下げて、ライシンは頼み込んだ。ベリラスは快く、元よりその提案をしたのは彼であったので、頷いてくれたのだった。
 ただ、ベリラスはベリラスで、一つ問題が無かった訳ではなかった。それが今まさに、目の前で起きた突然の、純粋な魔力による攻撃である。有体に言えば、ベリラスは特殊な体質の持ち主であって。その点だけは、ライシンはどう足掻いても参考にしようが
なかったのである。
「せめてもうちょっと、予備動作を入れるとか。考えてくれないっすか先生」
「感じ取れる様に、攻撃して差し上げているのですが。それに、これでも大分手加減をしています。本気を出したら。ライシン君のお腹の中で爆発してしまいますよ。少し難しいですが、あなたが今口から吸いこんでいる微量の魔力が、あなたの身体に
吸収されて、あなたの物となる前に。私の手で操る事ができぬとは言いませんし。まあ、微量な魔力ではあるので、ちょっとどこかに穴が空いてのた打ち回るくらいが精々ですけれど。見えない部分で爆発させるのって、それだけでも難しいので、狙うとなると」
「すみませんでした」
 冷や汗が大量に流れるのを、ライシンは感じる。やはりベリラスの強さは、常軌を逸していると言っても良かっただろう。これで常識人ではなかったら、多分危険人物として扱われては、教師にはなれなかったやも知れぬ。
 一頻り、ベリラスの攻撃を往なす事を繰り返す。というよりはほとんど咄嗟にかわす事が限界ではあったものの、それでもそれは、魔力に対する感覚が非常に研ぎ澄まされる結果になったので、中々に良い鍛錬にはなっていた。
「先生の体質って、どうなってるんすか」
「おや、今度はそちらの授業ですか」
 一休みをする頃には、ライシンは寧ろそちらの方に気を取られて。手頃な岩に二人揃って腰かけると、すぐにでもその話題に触れてしまう。今、自分と同じ様に座っているベリラスは、飲みの時とは違いローブを身に纏い、一目で魔道士だという事がわかる様に
していて。そうしているところを見ると、この男はやっぱり違う印象を受けるなと思う。飲みの時の、そして、あの日ライシンを抱き寄せては普段とは違う妖しい声音で囁いていた様子を思い出せば、別人とさえ思えてしまう程だった。
「白熊だから、そんな体質だって訳じゃないっすよね」
「それはないですね。まあ、白熊も珍しい方ですけれど、私はそういう知り合いも居ますが、別に私の様な体質ではなかったですし」
 白熊といい、白虎といい。なんとなく普通とは少し違う物に、縁があるなと思う。ただ、白虎の様に不憫な目には遭う事はないらしく。その点については安心して接する事ができた。別にライシンは、ガルジアが白虎である事を厭う訳ではなかったが、それでも
共に居る時は、何くれとなく気を掛けてやらねばならぬのは、どうにも疲れを招く事でもあったのだった。事実、それで何度か面倒も起きている。ベリラスは、そもそも自分が心配する必要がある程の相手ですらなかった。
「さて、あなたの疑問なのですが。どうなっているのかと訊かれても、私にも上手く説明して差し上げる事はできませんね。調べても、よくはわからなかった事ですし」
「というか、よくその体質で教師できてるっすね。解剖されたりしないんすか」
「まあ、そういう魔道士を相手にする事がまったく無かったとは言いませんがね。その辺りは実力で捻じ伏せたというか」
「やっぱ先生怖いっすわ」
「その話は置いておいて。私にもわからぬ事が多い能力ではありますが。それでも、あなたと戦っていた時の様に、ほとんど不意打ちに近い攻撃ができる事についてはお教えできますよ。あれは結局のところ、私の身体がそれ程の魔力を持たぬ変わりに、
純粋な魔力の操作に長けているから、という事があります。ライシン君が魔法による攻撃をする際に、邪法を唱えるのと同じ様に。私が攻撃をする時は、あの様になる訳ですね。ただ、法術というのは己の内や、自然にある魔力。それから帯魔布などの道具を
利用して、それを各々の奇跡的な効果にあたかも置き換えた様にしてから放つ物であるので、どうしても手順が増えるという弊害があります」
「先生のはそのままぶっ放すからいきなり出てくるって事っすか」
「そういう事ですね。それに、炎だとか、氷だとか。何かの具現を伴う事もなく、したがってそれらを具現化するためのイメージを起こす言葉も、思考も別に必要とはしません。ライシン君が私と戦っていて、通常の魔道士の様に対峙する事が辛いというのは、まあ
その辺りの事なのではないでしょうかね」
「なんつーか。反則なんすけど。もうちょっとぶつぶつ言ってからとか。あ、今魔力練り上げてるなーとか。思わせてほしいんすけど」
「嫌ですよ。それに、これだって万能という訳ではありません。破壊力、という点だけを取り上げたとして。邪法よりは劣るし、その上で疲れます。それに、私が扱えるのは基本的には魔力のままの物ですからね。そこから具現化した。要は代価を支払い、顕現
させた事象である邪法に対しては、そう作用できませんし」
「あれ。でもさっき俺っちの邪法をすぐに消してた様な」
「あれは打ち消すだけの邪法や、魔力の波動を私も使っただけですよ。それらがぶつかって、魔力の残滓となって宙を漂うのを見て、すぐにそれを私が使っているだけです」
「言ってる事はわかるんすけど、やっぱおかしいっすそれ」
「とはいえ、それでも私の身体に眠る魔力の絶対量という物は、多くはありませんので。その様に私が打ち消す事のできぬ、強い邪法を放てば。私なんぞは逃げるしかなくなると思いますよ。まあ、そんなに強力な物を使ってしまった魔道士というのは、どうしても
無防備になると思うので。私も相討ち覚悟でそこを突いてしまいますがね。私にとって一番攻略しやすいのは、そういう隙を見せてくれる相手ですし。反対に、私と同じ様な力の使い手となると、純粋な魔力の取り合いになるので、互いに強い力を使う事も
できなければ、その内息切れしてしまうでしょうがね。殴った方が早そうですね」
「先生、腕っぷしもありそうっす」
 談笑をしながらも、ベリラスに稽古をつけてもらう日々が続く。ベリラスは謹慎中である事を理由に、ライシンへの協力は惜しまなかったし、夜ともなればやはり飲みにも誘ってくれるのだった。
「いいんすか? もう随分仕事を休んでると思うんすけど」
「ええ。せっかく君と会えた事ですし。それに、私も久しぶりに戦うという事ができますからね。どうしても教職という物に就いていると、他人を教え導く事が主となっては、己の研鑽は二の次となってしまいます。実際、教師は変人ばかりと言われますが、彼らの
気持ちも私はわからぬ訳ではありませんよ。己の力を誇示するのではなく、ただ磨き続ける事に生き甲斐を感じているのですからね」
「まあ、俺っちもそれは理解できるっすけど。教師になって、今よりも更に腕を磨いたり、知識を蓄える時間が無くなるってんじゃ、そりゃ痛い。学園にある、一般の奴らじゃ手に取る事も許されない様な資料を閲覧できるって言ってもね」
「それでも私は、あなたにも教師になってほしい」
「嫌っす」
 それでもその日々は、ある日突然に終わりを告げる。いつもの様に宿の一室で目覚めたライシンが、いつもの様に空いたままのクロムのベッドを見つめては。しかしいつもとは違う物に気づく。
 部屋の窓。その外に、白く大きな鳥が静かに佇んでは、ライシンが動き出すのをじっと待っている事に。
「おおっと。返事か。随分久しぶりっすね」
 眠気が即座に消え去ってゆくのを感じながら、ライシンは大慌てで窓を開ける。少し下がってそれを待っていた大鳥が、ゆっくりと室内へと入ってきては、ライシンの前で静かに座る。ライシンはさっそくその足に括りつけてある紙を貰うと、光り輝く様な大鳥は
己の役目を全うした事を確認したかの様に、淡い光となっては、窓から差し込む朝日の一となっては消えてゆく。それへ軽く頭を下げながら、ライシンは改めて室内に己以外が誰もおらぬ事を確認して、それをぞんざいに扱って破れてしまう事を恐れるかの様に
丁重に扱っては開いてゆく。
 開かれた紙には、それ程の事が記されていた訳ではなかった。簡潔であり、しかしライシンの行動を絶対的に決定づける物でもあった。とはいえ、手紙の内容が、そうしろと主張をしている訳でもなかった。
「そうっすか。……もう、決心をされてしまったのですね。あなたは」
 紙を握る指先に、力が籠って、くしゃりと音を立てたそれを、ライシンは震えながら見続けていた。 
 それでも、長くはそうしてはいなかった。指先に火を灯して、すぐにその手紙を燃やしてしまう。炎がその手紙を、記された字を燃やし尽くす間際。ライシンはまたその字面を見つめた。時が来た。そう記されているだけの紙が、燃えてゆく。燃えて、無くなった。
 いつもの様に、返事を書く事も、不慣れな大鳥を作る事も、しなかった。それをしたのは、終わり滝での一件の後が最後で。その内にまたそれを始める事もあるのかという期待も、たった今受け取った手紙の内容で、無くなってしまった。
 それから、ライシンは慌てて部屋に備え付けてある紙を引っ手繰っては、短い文を認める。急用ができたので、でかける事。この部屋は、不必要ならば引き払って良いという事。鞘の代わりは、見つからなかった事。呪いを解く方法も見つかなかった事。
 それらの全てについての、謝罪の言葉とをライシンは書き記した。クロムへ宛てた物だった。
 書き終えると、一度だけ読み返して。不備がない事だけを確認して、ライシンは荷物を揃えて、部屋を出ては、宿の主人にも事情を告げてその場を去る。街中を無言で歩き続けては、普段は使いもせす馬車を手配して、ディヴァリアを後にする。
 ディヴァリアを去る間際、ベリラスの事を思い浮かべた。宿の書置きに、ベリラスにもし会ったら、別れを言えずすまないと自分が述べたかった事だけは記しておいたが。その程度の事しか、できはしなかった。
 事は急を要するのだった。間に合わぬ事も、あるだろう。だからこそ、夜を徹してでも、行かねばならなかった。
 馬車に揺られながら、ライシンは車窓から小さくなってゆくディヴァリアを見つめていた。別の道。たった今、自分が外れてきた道。選ばれはしなかった道。ベリラスの言葉が、甦る。
 長く見つめる事もせずに、視線を逸らした。この道を選んだ事を、後悔はしないだろう。
 後悔をせぬために、今は独り。行くのだから。

 古びた紙の匂いが、鼻を擽る。
 右を見ても、左を見ても、そして上を見ても。目に入るのは、本の納められた棚の、背中ばかりだった。そんな場所に、クロムは今居た。
 法術都市、と名乗るだけあって。何もディヴァリアで魔導について触れられる場所は、特定の。学園などに限られる訳ではない。それは市井で扱われる品にも反映されるし、ただ今クロムが足を踏み入れている、図書館にしてもそうだった。魔導についての
歴史を調べるのなら、或いは学園よりもと言っても、決して過言ではなかっただろう。実際、蔵書量ではこちらの方が上であるし、どちらがより沢山の知識を蓄えていると、競い合っているという話も耳にした。もっとも、本当に危険な知識。一般に開放されては
ならない物は、ここにしろ、学園にしろあって、それは厳重に秘匿されているのだろう。
 一介の傭兵として。そして冒険者として名乗っているクロムは、己が見ても不都合の無い領域にまで足を踏み入れて、熱心に本を漁っていた。鞘に対する事もそうだが、それ以外の知識も、今少し必要だと判断したのだった。特に、傭兵としてその日暮らしを
し続け、不死となってからしばらくの間は行方を晦ませていた時期もある。己の法術を扱う腕前が甘く、その上で鞘に頼っていたというのは。結局のところは知識不足と、研鑽不足に裏付けされていた。鞘について。それから、そのついでではあるが、
己の抱える不死についての資料も、なるたけ集められる様にしていた。ライシンに全てを頼んでいては、あまりにも勝手という物であるし、ライシンは学園に向かっては、こちら側には来ないであろうから、どうせなら自分はと。図書館へと足を運んだのである。
 めぼしい本を読み漁っては、本棚へ戻し、また新しい物を見つけては読み漁る。その繰り返しだった。気が滅入る様な作業と思う者も居るかも知れないし、クロムも最初の内はそう思っていたのだが。読み進めていると、思いの外この様な時間が、悪くはない
物の様にも感じている自分の存在に気づく。それは、新たな自分の発見でもあった。戦乱の世を生きては、いつ果てるとも知れぬ命と己の腕だけを頼り、走り続けていた傭兵には。その様な安息の中で、知識を貪る時間など、無かったのである。勿論、
生き延びるためには相応の知識も必要であったがために、敵として魔道士が出たらどうするべきであるとか。その様な最低限の物は修めていたが。それも、今目の前に広がる知識と比べれば、あまりにも小さく、狭い領域の話でしかなかった事を痛感させられる。
 それから。クロムがこの時間に倦まぬ理由が、実はもう一つあった。図書館の、奥。そこは本棚と本棚の間に設えられた、小さな一室だった。扉がある訳でもなく、袋小路と言っても差支えの無いその部屋は。本棚の背に囲まれ、無機質な机が一つに、
椅子がいくつか。読書をするための場というよりは、本の整理のために、一時的に置くための場所の様な。クロムにとっては態々手前の広場に戻る必要のない、絶好の場所である。
 そして、そこで静かに頁を捲る音を立てていれば。その内に聞こえる足音がある。既にその足音の調子も、聞き慣れてきていた。
「やあ。奇遇じゃねぇか。またここで会うなんてさ」
「よく言うものだな」
 本を読んでいるクロムの下へ、平然と歩み寄ってくるその姿は。赤い鱗に覆われた竜だった。先に魔人としてクロムの前に現れて、仲間にと勧誘をしてきたアキノは。どういう風の吹きまわしか、ここで本を読んでいるクロムの下へと、よく姿を見せるのだった。
 部屋の中へ入ると同時に、アキノが静かに魔法を発動させる。それで何かが変わった訳ではなかった。少し、窮屈な印象を受けるだけだ。実際には、部屋の外からこの小さな部屋の存在がわからぬ様にしているらしい。クロムの方から覗き見れば、部屋の
入口は相変わらず扉もなく。極稀にこんな奥まで本を探しに来る者が闊歩する様子も見えるのだが。確かに彼らは、クロムがアキノと共に居る間は、こちらの存在には決して気づかぬ様に歩き去ってしまうのだった。
「お前、要があったら自分を呼べと言った癖に。結局はそちらから顔を出しているじゃないか」
「別に。それはあんたから俺に用事があった場合の話だろ? 俺があんたに話がある訳なんだから、構わないじゃん」
「お前みたいな目立つ奴に付き纏われる方の身にもなってみろ」
「心配するなよ。この図書館に入る辺りから、もう人目につかない様に細工はしてあるからさ」
 それも、魔導の類なのだろうとクロムは思う。今のアキノの恰好は、以前のローブのそれではなく。どちらかと言えばどこにでも居る子供の。肩も膝も露出した、安っぽい布の服となっていて。その種族が、竜人であるという事を除けば。確かにどこを出歩いても、
目立つ様な恰好とは言えなかっただろう。その赤い鱗が。伸びた白い角が。決してその様な地味な恰好であっても、人込みに紛れる事を良しとはしなかっただろうが。アキノの行使する魔導は、それを超越する様だった。
「それで。また私の読書の邪魔をするつもりか」
「いいじゃん。あんただって、自分の求める答えがこんな所にあるだなんて、本当には思っちゃいないだろ。魔導の恐ろしさを、よく知っているからこそ。本当にヤバい奴は、秘匿されて然るべきだ。一般人が易々と本を手に取れるこの場に、そんな物があると
思う方が、どうかしてるってもんじゃないのかい」
「生憎と。ただ本を読むという事も、今は楽しんでいてね」
「なんだそりゃ。やめてくれよなーそういうジジィ丸出しみたいなの。もう完全に余生送っちゃってますって感じの発言じゃん」
「余生、という表現は今の私に適当だとは思わんがな」
「そりゃそうだ。あんたもう半分よりもう少しくらい死んじまってるしな」
 げらげらと、アキノが笑う。苦笑をして、読みかけの本をクロムは閉じた。この下品な男の事を、クロムはそれ程嫌ってはいなかった。自分よりは、年下だとは思うが。魔人を名乗り、それでなくとも元来から長命である竜人なのである。外見は青年であっても、
中身がその通りだという事は、ありえなかった。その割に、このアキノという竜人の男には、年齢に備えられるべき風格や落ち着きという物が欠落している様に見える。
「声が大きいぞ」
「別に、構いやしないさ。声も外には通らない様にしてあるしな」
「お前の声を煩いと思う私の気持ちを、少しは忖度してくれないだろうか」
「ひっでぇ言い方だなぁ。あんた、最初にあった時は、もう少し俺を丁重に扱ってくれたと思うんだけど」
「近所の悪餓鬼を構っている様な気分だから、改めただけだ。まったく。本当に、その辺の子供を相手にしている様な気分だよ」
「ふーん。まあ、いいけど。……それじゃ、本題に入ろうか?」
 不意に、がらりと雰囲気を変えて。ようやく入口から歩を進めて、クロムの向かい側の椅子に座ったアキノが、怪しい笑みを浮かべて話を切り出す。そういう仕草をすると、アキノは急に何十かは歳を取った様な印象を相手に与えるのだった。その辺りは
やはり、この男が長く生きた事を実感させる物があった。
「本題、というと。お前の、例の壮大な妄想の事か」
「相変わらず辛辣だねぇ! というか、そんなに妄想のつもりもないんだけど。よく言うだろ? 夢は見るんじゃなくて、掴む物だってさ」
「その前向きな言葉は結構だが。お前の言葉には、それを裏付ける具体性が酷く欠けている。よくそれで、国興しなどと」
「だから、今日はその辺の話も詰めようと思って、来たのさ」
「今までとは、違うと。そう言うのか。何度かお前は私の前に現れているが、その度に世間話の様な、よくわからない言葉で。ただ仲良くなったと言わんばかりの顔をしては帰ってゆくだけだったが」
「あんた、本当に口が悪いんだな」
「長く生きるとは、そういう事だろう。お前とて、それがわからぬはずもないと思っているが」
「まあ、そうだけどさ」
 傍から見れば、クロムもアキノも、まだ二十代の半ばか。多く見積もっても三十前後にしか見えぬだろう。それでも、互いのその精神性という物はとっくに老境に差し掛かったといっても、不思議ではなかった。特に、クロムはこの様な話を。魔人だけの国を
造ろうなどと言われても、それ程心が奮い立つ訳でもなかった。どちらかと言えばそれは若々しい発想と言わねばならなかっただろうし、夢物語を語る者が、その内に冷たい骸を無惨にも晒すところなど、クロムにとっては見飽きる程に見た光景でしかない。目の前の
アキノはその様な憂き目を見る程に弱い生き物でない事だけは確かだったが、それと実際に国を興しては、それを軌道に乗せるというのは、まったく別の話である。夢ばかりを語る様な若さを持つ訳でもないのに、夢を語っているアキノの姿というのは、クロムには
滑稽で。そうして、僅かばかりの羨望を抱く物でもあった。
「あんたの力が、必要なんだ」
「それは、前も聞いたが。お前は具体的に、どうなるのか。何をするべきか。その話を、していない。それをしない内には、何もかもが始まる事はありえないだろう」
「なら、あんたに訊くぜ。俺が語る夢を、現実の物にしようとすれば、どうなるのか。あんた。本当はそのくらいはとっくに考えてて、けれどそれは難しいと思うから、会う度に俺を小馬鹿にしているんだろう。そんな事は、やめとけって。老婆心でも見せる様にさ。だから
俺は、なんだかんだ言って、あんたの所に足を運んじまうんだけど。あんたはやっぱり、優しいよ。クロムさん。流石は、一昔は英雄って言われただけはあるね。鬣犬の英雄。馬鹿にする奴も、居ただろうけれど。それでもあんたの本当の名前を知っている奴は」
「アキノ」
 本を机に置く手に、クロムは力を籠める。それから、アキノをまっすぐに見つめた。僅かにその赤い竜の身体が震える。
「私は別に、お前の事を嫌いという訳ではない。正直に言えば、好きな方だ。お前のその奔放さも、別に気になるとは言わない。だが、私の過去にみだりがましく触れようとするのなら。お前に容赦をする必要も私には無くなる」
「……悪かったよ。今のあんたは、クロムっていう。ただの傭兵だったな。おお、それにしてもこえーなあんたは。剣は入口で預けてきたっていうのに、なんで一睨みされただけで、俺の方がビビらなくちゃならねぇんだか」
 アキノが素直に謝罪をしながら、両手を上げて降参の意を示す。その仕草もまた、ふざけている様には見えたが。この男にとっては、それなりの対応という物なのだろう。
「それで、なんだったか。お前が聞きたいのは」
「国興しの展望」
「お前が語るのならまだしも、何故私が」
「言っただろ。あんたなら、どうなるのか。それくらいは考えてるってさ。あんたは傭兵だからな。人の動き、国の動き、世界の動きには、とことんまで敏感だ。あんたの、そういう意見を。俺はもっと大切にしたい」
「……今はもう、戦争が無くなってしまった。そんな中で国を興すなどというのは、自惚れた発言だと。私は思うのだがな」
 身体から力を抜いて、クロムは静かにアキノを見つめる。アキノはただ、楽しそうに白い牙を見せて笑うだけだった。もっと、続きが聞きたいと。子供の様にせがむ表情だった。クロムは溜め息を吐く。
「小さな部族が背比べをする世も。そこからいくつかの集まりとなり、それぞれが覇を競う、群雄割拠にして、英雄が生まれる世も。そうして、それらを経て国という確固たる土台を築くに至り、武器ではなく外交と謀略が猛威を振るう世も。既に過ぎ去って
しまった。今の世は、ただ平和だけが望まれている。というと、語弊はあるのかも知れないが。しかし今、多くの国は。新たな国の誕生などは、望まないだろう。粒粒辛苦の果てに築き上げた調和が、いつか乱れる時が訪れる事を誰もが承知していようとも、それが
自分の代には現実の物となり得ぬ様にと願っているからだ。それでも、それがただの国であるのならば。或いはと思わなくもない。しかしそれが。アキノ、お前の言う、魔人の国などと。到底、周辺の国は。いや、この世界で、国という体裁を保ち続けている
全てが。その存在を許すなどとは、私には到底思えはしない。声を発した途端に、速やかにそれは芽を摘まれるだけに過ぎないだろう」
「ふうん。あんたは、そう思う訳」
「それとも。魔人の国だという事を隠して、国興しをするつもりか」
「そんな事したら意味が無い。俺達のための、国なんだから」
「なら、尚更だろう。お前の夢は、所詮は砂上の楼閣に過ぎない。今のままではな」
「あんたの意見は、わかったよ。……やっぱりあんたの話は、良いな。少しも優しくなくて。まっすぐでさ。あんた自身は、優しいのにね」
「当たり前の話だ。少し目端が利く者ならば、同じ答えを返すだろう。その上で、私は傭兵でもあるからな。己の命と武器とを全てに、戦に出るからには。己が力を貸す国の趨勢と。己の向かう戦の帰趨には。常に目を見張る必要がある。それができない奴から、
死んでゆくのだからな。それで。私の意見は、その様な物であるのだが。私のこの考えを崩すに足る、より具体的な話を。お前はできるのだろうな。まさか、それも無いままに。私を味方につけよう。その様な世迷言を日夜私に嘯いていたのならば、お前との
これ以上の問答は無用だと思うのだが」
「あんた、召術って知ってるかい?」
「は?」
 突然、なんの脈絡も無くそう切り出されて、クロムは僅かに虚を突かれてしまう。それでもすぐに、アキノの言葉を呑み込む。意味不明な返し方をして、相手を馬鹿にする様な輩ではない事は、流石に承知している。召術と、アキノは言ったのだった。ならば、
たった今クロム自身が口にした言葉を。凡そ、国興しなどという物は馬鹿げた妄言としか受け取れぬ世界の情勢を鑑みて、それでも尚可能性があるとするのならばと。その様に返したはずだった。ただ、召術と言われても。クロムにはわからぬ事も多い。
「召術か。精霊を呼び出す、あれだろう。高位の召術士であるならば、異界への門を開いては、その先に居る獣を呼び出すという。それが俗に言う、召喚獣であり。それが故にかつて召術士は、召喚士とも言われていた。しかし昨今の召術士は、その才が
無く。召喚士ではなく、召術士と、不名誉な呼ばれ方をしているな」
「百点満点の答えだね。適当に頁捲ってるだけじゃわからない事まで、きちんと把握している。長生きしていると、違うね?」
「それが、どうかしたのか」
「今、ディヴァリアで密かに噂になっているのが、その召術なんだ。知ってるかい? なんでも、それまで召喚獣を呼び出す事すら叶わない。要は、有象無象の木端召術士が。召喚獣を呼び出す事がある日突然、できる様になったっていう噂なんだ」
「ただの噂ではないのか」
「いいや、そうとも言い切れない。現に、それを裏付けるかの様に。法術学園の方では召術の授業の全てが取り止めになっているし、召術士の生徒の全てにも、決して召術を行使してはならぬと。その様なお達しが出ているそうだよ。これは、俺が確認したから、
本当の事。興味が湧かないかい?」
「興味が無いとは、言わないが」
 召喚士と言っても差支えの無い、リーマアルダフレイの魂は、なんと言っていたか。束の間クロムは思い出す。今の召術士の衰退が、昔では考えられなかった事だと。それが確かな話であった事だけは、クロムは憶えていた。そしてそれに、終わり滝で
戦った、白虎の召喚獣であるヨルゼアが関与していると。もしその、今まで保っていた状態に変化が訪れたというのならば。その原因は、やはり先日の終わり滝での一件であると見ても、差支えはないだろう。ただ、何故その話を今、目の前のアキノが口に
しているのか。その真意を、クロムは図りかねた。それとは関係ないだろうと、言ってしまっても良かったが。当のアキノは、あからさまな笑みを先程から崩そうとしていない。この件が、アキノの計画と大きく関係している事を、認めるかの様に。
「なんでも、不用意に召喚をした事で。生徒の一人が、死んじまったって話だぜ」
「死んだ、か。まあ、召喚獣は、精霊と違って明確な意思と目的とを持つ存在であるのだろうから。実力の無い召術士に呼び出されて、もしくはその召術士が軽率に何かを働いて。その怒りに触れたのかも知れないが」
「そう。さっきも、言ったけど。実力の無い召術士が、呼び出したからだと。俺もそう思うよ。でもさ、なんでそんな事に、なってしまったんだろうねぇ? もうずっと長い間。召喚士は召術士という。不名誉な。蔑称その物の様な呼ばれ方をされていたのに。それが
何故、突然に。いきなり呼び出せる様になったもんだから、きっと今、召術士は。そして、召喚獣の方も。きっと、戸惑ってるはずさ」
「さあな。それが知りたいのなら、お前は国興しは止めて。教師にでもなって、その原因究明のために学園に就職でもするべきではないのかな」
「嫌だよ。俺は勉強は嫌いなの。知識を蓄えるのは、好きだけどね」
 適当に、クロムは答えをはぐらかした。それに、思い当たる節があるのは確かだが。それが確実な答えなのかは、専門外であるクロムには請け合える物ではなかった。ただ、アキノは。やはり笑みを崩さずに。今はその細長い竜の、赤い尻尾を、背もたれの無い
椅子の後ろで器用にくねらせていた。そうして赤い色がちらついているところを見ると、なんとなくクロムは、赤い髪の男を思い出してしまう。
 不意に、アキノが片手を上げては、掌を開く。すると、虚空に渦が生まれる。クロムは目を見張った。その渦の中には、何も見えたりはしない。ただ、果ての無い闇が、広がっているだけだった。しかしその光景に、クロムは見覚えがあった。終わり滝で、召術士である
バインがガルジアを利用して、ヨルゼアを召喚した際。中天に立ち昇った光によって開かれた、巨大な渦。それが異界へ繋がる門であり、魑魅魍魎が跋扈するその暗闇の中から飛び出してきた、光り輝く巨大な白虎の姿を。ヨルゼアを。クロムは確かに、この目で
見たのだった。
「アキノ。お前は、召術が扱えるのか」
「まあ、ただのお遊びだけどね。でも、今の俺でも、向こう側への小さな門を開けるくらいの事は、造作もない。自分でやってみると、よくわかるよ。前とは、感触がまるで違うんだ。前はね、こんな風に片手じゃできなかった。もっと静かな場所で、精神を集中
させて。その上で、全身全霊でやらないと、門を開いても、その維持まではできそうになかったんだ。けれど、今は違う。片手で、とりあえず開く。それくらいの事は、俺でもできるんだ。まあ、別に俺は召術士じゃないけれど。魔人ではあるから、その辺の
しょうもない召術士なんかよりはよっぽど召術に長けているけどさ」
 アキノが、掌を伏せる。そうすると、小さな渦は途端に霧散して、その先にある無機質な本棚の背中が見える様になる。
「これ、自分でやってて怖いんだけどさ。日に日に開けるのが、簡単になってゆくんだよね。それだけじゃない。その先に居る奴らの、息遣いが、聞こえてくる。もっと怖いのがさ。そいつらがさ。開けろ、開けろって。言うんだよね。声を介してじゃない。あいつらは、
声を発する事ができない奴も居るから。けれど、俺が少し開くと、向こう側からも、似た様な干渉があって。より簡単に、門を開く事ができる様になった。多分、学園で危惧されているのは、この部分なんだと思う。もしかしたしたら、召喚士が存在していた時代の様に、
この門は開かれる様になって。……いや、それも違う。もっと、酷い事になるのかも知れない。歯止めが効かないんだ。この現象には。なんでそうなったのかは、置いておくにしろ。召喚士の衰退の原因が、今の俺には、手に取る様にわかる。世界と世界の
繋がりが、希薄になってしまった。繋がりを作って、それを維持するのが、今までは困難を極めたんだ。だけど、今度は逆に。それがあまりにも容易になって。そして更に、それはより顕著な物へとなっている。これは、危険だ。最終的に、どうなるのか。それは、
俺にもわからない。俺は召術が専門ではないし。いや、召術の先生でも、わからねぇだろうな。これは、こちらとあちら。二つの世界が、近づきすぎて、密接になっている事からくる弊害だ。これがまだ、進行するというのなら。その内召術なんて、行使をするまでもなく、
あいつらは俺達の世界に足を踏み入れるかも知れない」
「……アキノ、お前は」
 不意に思い至った考えに、クロムは全身に怖気が走るのを感じ取る。歌う様に目を瞑って、言葉を並べ立てていたアキノが、薄く目を開いて。ただ口が裂ける様に微笑を浮かべる。
「召喚獣は、この世界の奴らよりもずっと、寿命が長いんだってな。そして、力も強い。それってさぁ。この世界の奴らが、忌み嫌う魔人と。そんなに、大差があると俺は思えねぇなぁ」
「お前は。時至れば、彼らの受け皿となるつもりなのか」
 どこまでも、飛躍した発想だと思った。あまりにも、夢物語で。突拍子もない。しかしそれが、現実に起こり得るのならば。これは、わからない。誰にも、わからないだろう。二つの世界が、肉薄した結果などという事を。正確に予想する事ができる者など、
どこにも居はしない。
「確かに、俺達は。魔人は、強い。本当に強い奴は、一人で百人を相手にできるくらいさ。けれど、普通の奴ら、は。もっと多い。数じゃ勝てるなんて、思わない。まあ、別に俺は争いがしたい訳じゃねぇけど? でも、あいつらはきっと、俺達を認めてはくれない
だろうさ。あんたが言った、国興しの展望は、何も間違った事じゃないと俺も思う。足りないのは、抑止力さ。そうして、新興の国はそれを持たぬが故に、あいつらは雛を殺そうとする。だったら、最初から。相応の力を持って産まれればいい。誰もが逆らえない様な
力が必要だ。けれど。俺達だけでは足りない。だからといって、雑兵を集めても意味はない。だったら。今まさに、都合良く現れる新たな力を、利用して。いや、それも違うけどさ? 共に手を携えて。ああ、そうだ。良い言い方だと、思わねぇ?」
「だが、そんな事が現実に起こり得るとは」
「わからないよな。でも、起こらないとも言い切れない。現に、門の創造は以前よりも簡単になっているし、更に世界の繋がりは密接になってきている。ともすれば、世界と世界がくっついて、地形やら何やらまで、滅茶苦茶になっちまうんじゃないかって、
俺の計画が元も子も無くなっちまうんじゃないかと心配になるくらいにさ。でも、国興しには、そのくらいの力と、賭けが必要だ」
「本当に、召喚獣が、こちらの世界にそのまま来られるというのか」
「それも、わからねぇけどさ。ネモラの召導書……。ああ、俺の知人がさ。そいつを持っている奴と、友人だったんだけどさ。それに書かれている内容によれば。世界を超えた召喚獣には、烙印が施されるらしいんだ。それは世界と世界。異なる次元へと至った、
罰だと言われているけれど。本当の所は、俺にはわからねぇ。ただ、実際のそのネモラが。ああ、もういいや。本名の方で。ネイス。ネイス・ネモラが言うには。烙印を施された召喚獣は、真黒く染まっては、それでも活動をする事はできるんだとよ。ただ、召喚獣とは
厳密には異なる存在となる。門を通して、この世界に現れるあいつらは、結局はその本体という訳ではなく、仮初の身体を利用している物だからな。だからこそ、少々の傷はなんともないし、その全ては呼び出した主の力で、いくらでも治してやる事も
できるんだが。世界を超えて、烙印をその身に受けた召喚獣は、そうじゃなくなるらしい。それは実際に、ネモラの手記にも記されていたそうだ。というよりは、ネモラの手持ちの召喚獣には、ルナファングっていう種族の召喚獣が、二人居たそうなんだが。その
片方のルナファングは、召喚士の力を借りずに世界を超えたせいで、烙印をその身に受けて。月の様な輝く被毛が、闇その物の様に染まっちまったらしい。それには、大層な苦痛が伴うらしいが。まあ、何が言いたいのかっていうと、ネモラの時代であった
としても、召喚獣が、召喚士の力を使わずにこの世界に現れる事は可能だった訳だ。そして、世界と世界の繋がりが、更に強い物になった今。それはより容易な物になるはずだ。その際、このやっぱり烙印が施されるのかは、知らねぇけど。いずれにしろ、召喚獣
というのは、このままではいつかはこちら側に自然と現れる存在だと、俺は考えている。そいつらを魔人である俺達が、受け入れる。それで、一先ずは外の奴らと戦うための戦力は充分に整えられると俺は踏んでるんだ」
 途方もない計画に、クロムはしばし返す言葉を失う、法螺話と、切って捨てる事はできそうにない。いや、例えそうしたとしても。目の前のアキノはもはや止まる気はないだろう。先程から、アキノの様子は既に、青年らしさなどかなぐり捨てては、老獪と謀略とを
孕んだ、危険な思想を持ち合わせる者のそれへと変わっていた。計画を語るその目は見開かれて、正常さを示す瞳の輝きすら、失われている様にも思える。その光景には、見る者を何かなし、圧倒し、魅了しては、聞き入らせる力が溢れていた。
「……それが、事実ならば」
 乾いた喉を、唾を何度か飲み込んで、湿らせる。クロムは、頭の中で様々な考えが巡らせては、しかし目の前のアキノに対する注意を、怠る事はなかった。ともすれば、敵にもなる存在。今は、ただそう思っている。
「アキノ。私はお前を、見過ごす訳にはゆかない。お前は、抑止力だと言う。だが、その力は危険な物には変わりがない」
「俺達が。そして、あんたが。平和に暮らすための場が、欲しいと願う事が。そんなにも、いけない事だって言うのかよ」
「気持ちは、わからんでもない。それでも、既にこの地には。生きている者が居る事を、忘れてはならない」
「だから、迫害される事は甘んじて受け入れろと? あんたの口から出る言葉とは、思えねぇな。気儘に生きて、気に入らねぇ奴。邪魔な奴を、散々に切り伏せてきた癖に。今のあんたは、まるでご立派な聖人の様だ」
「言うな。私も、己が虫の良い事を言っている自覚はある。だが」
 だが。クロムは、今はそれを認める訳にはゆかなかった。ともすればそれは、魔人の国を興すというだけではない。圧倒的な力を手に、この世界に覇を唱える事にも、なりかねなかった。終わり滝で、ヨルゼアと対峙したが故に。クロムは、召喚獣の真の恐ろしさを、
知っていた。ヨルゼアがそれだけ特別な召喚獣であるというのは、確かであったが。しかしその力が、何一つ制限の無い状態で放たれれば。例え不老不死という凄まじい能力を持っているクロムとて、生きていられるのかはわからぬ。身体が塵一つ残さずに
消し飛べば、どうなるのかなど。わからぬのだった。
 そして、その様な物が世に解き放たれてしまったのならば。少なくとも、この世界は滅茶苦茶になってしまうだろう。それこそこの世界の者は、その全存在を賭けて、戦いに臨まなければならぬやも知れぬ。
 少し前のクロムならば、その様な事は、だからどうしたと言っただろう。そのくらいの事があった方が、面白いと。永遠という物を手にしたが故に、尽きる事の無い無聊を慰める日々に、僅かばかりの細やかな楽しみができたと。喜びもしただろう。
 しかし、今は。
「そんなに、ガルジアが大切なのかい。あんた」
 アキノの口から放たれた言葉に、クロムは震えた。狼狽を隠す事さえ忘れて、席を立ちあがり、身を乗り出して、アキノを見つめる。アキノはもう、笑ってはいなかった。まっすぐに、クロムを見つめている。
「どうして、ガルジアを」
「……あんた。自分の事を、過小評価し過ぎだぜ。あんたは、サーモストで暴れすぎた。あんたみたいな有名人、裏の世界じゃそう簡単に忘れられるなんて、思っちゃいけないよ。あんたがサーモストでやった事。そして、そのあんたが向かった先の終わり滝で
起きた事。誰もが知らないなんて事は、ありえない。別に、あんたを責める訳じゃないさ。けれど、遠目から見ても。終わり滝でのあれを見た奴らは、今回の一連の流れには、既に感付いているだろうさ」
 思いの外、自分の行動が把握されている事に、クロムは内心驚くが。しかしそれよりも、優先すべきはガルジアの事だった。
「まあ、ガルジアの存在は、俺にとってはついでだったよ。あんたの方が、ずっとお目当てだったしね。でも、あんたと。そして、召術士のバイン。この二人は、俺が目を付けていた存在には変わりない。その二人が、揃って終わり滝に向かう。それを、俺が何も
知らなかったと思う方が、どうかしていると思わないかい。だから俺は、ある程度の事は知っているのさ。それから、あんたが危惧している。ガルジアの事もね」
「ガルジアを、どうするつもりだ。あれを巻き込むのは、止めろ」
「巻き込む? ……あんた。随分悠長な考えを持っているんだな」
 アキノが、気の毒がる様な視線を向けてくる。自分が酷く汗を掻いている事に、クロムは気づいた。じっとりと濡れた被毛が、鬱陶しい。
「巻き込むなんて、そんな考え方は甘いよ。ガルジアは、その中心なんだからな」
「どういう、事なんだ。アキノ。教えてくれ、頼む」
「あんた、本当にガルジアが大切なんだな」
「アキノ」
 詰め寄ると、アキノがまた両手を上げて。それから、落ち着く様にと言われる。クロムは取り乱した事を謝罪して、また座る。それでも、胸の中はざわついたままだった。
「クロム。あんた、終わり滝で具体的に何があったか、差し支えなければ教えてくれないかい。といっても、俺はもうある程度わかっているから。嫌なら話さなくてもいいけれど」
「いや、話そう」
 アキノに、その全てを打ち明けて良いのかはわからなかったが。しかしクロムには、それよりも優先すべき事があった。話していると、脳裏に甦る、鮮やかな白虎の姿。懐かしくて、親しみが湧いてくる。好きだった。しかし、恋をしているというのかというと、
違うという気もする。ただ、クロムをありのままま受け入れてくれた存在であったから。ガルジアが無事に生き続けられる事が、クロムにとっては喜びだった。
「あんたの話は、よくわかったよ」
 気づけば、終わり滝での事を全て、クロムは話し終えていた。その上で、アキノは冷静な表情のまま。しかし一つ、溜め息を吐く。
「なあ。あんた、本当にガルジアが、ただの白虎だって、思っているのかい?」
「え?」
「召喚獣の力は、強力な物だ。しかも、ヨルゼアはその中で群を抜いて強い。それは、あんたの話を聞いても、その時の状況を遠くから観察していた仲間からの報告でも、よくわかる。あんなのは、凡そ俺達では到達する事のできない領域だと思うよ。少なくとも、
個人の力ではね。……そんな絶大な力を持つ存在を、宿してしまったガルジアの肉体が。まさか、今もまだ、それまでとまったく同じ。常人のそれであるだなんて、あんたは思えるのかい」
「それは」
 衝撃が走る。まさかと思う。戦いの後、ガルジアにはそれ程変わった様子は見られなかった。ただ、確かに傷の治りは早かったが。それはヨルゼアが憑依していた名残だと思っていた。現に、ガルジアの能力が飛躍的に上昇したという訳でもない。
「俺だって、そのガルジアって奴の身体にどこまでの変化が起きたのかは、推し計るしかねぇ。でも、さ。少なくとも、ガルジアの身体は」
「止めろ」
 思わず、クロムはアキノの言葉を遮ってしまう。そんな無駄な行為に、一体どれ程の意味があるのかと。己を責めたくなる。問題を先延ばしにしても、良くなる事はありえないのだと。そんな事は、わかっているのに。
「……良かったじゃねぇか。もしかしたら、だけど。あんたとガルジアは、もう同じなんだから」
 それでも、アキノの言葉は、クロムには堪えた。全身が切り刻まれたかの様な思いに囚われる。
「どうして、ガルジアがこんな目に遭わなければならないんだ……」
「本当に、大切なんだな。その人の事が」
「私は、別に良い。今の私が、こうあるのは。結局は私が、好き勝手に暴れた、その結果に過ぎない。そんなのは、自業自得だし、哀れんでもらおうとも思わない。だが、ガルジアは……。ただ、白虎に産まれただけだというのに。たまたま、歌術士であっただけだと
いうのに。それなのに」
 それなのに、次はクロムと同じ。異常な存在として扱われ、迫害されて生きてゆくのか。
 それは、あまりにもクロムには、辛い事実だった。己の事ならば、もはやどの様に扱われ様が、そんな事は慣れている。無味な生活を、また送るだけだった。そんな日々を送ると思っていた中で、不意に自分に手を差し伸べてくれた存在を、愛おしく
思っていた。それなのに、その相手すら。今度は自分の方へと転がり落ちてくる。白虎というだけで、散々な目に遭っていただろうに。その上で、魔人、或いは不老不死だなどとは。
 物音が聞こえる。アキノが、立ち上がっていた。静かに、クロムの下へと歩み寄ってくる。
「あんたは大切な物を守りたいんだろう」
 一歩、一歩と。近づいてくる。その音が、クロムの胸に恐怖を呼び起こした。自分が怯える事など、滅多にない事を、クロムは自覚していた。しかしそれは、受け止めなければならぬ痛みと、事実だった。
「あんた一人の力で、それは守れないかも知れない」
 静かに、足音が近づいてくる。魔人の足音。それは、自分も同じだった。自分も、魔人と同じなのだった。厳密には、違いはあるのかも知れなくとも。傍から見れば、それは同じ。
 そして、あの白虎も。
「あんたの大切な者を守るためにも。あんたの力が、必要なんだ」
 まっすぐに見つめてくるアキノの金色の瞳から、クロムは目が離せなかった。己の力で守る。それが、できれば良かった。しかしクロムは、そのための力を、失っていた。大抵の者に負けるとは思わない。しかし大切な者を守るための力を、損なっていた。
 力がほしい。クロムは、そう思った。

 静まり返った、宿の一室へとクロムは足を踏み入れる。同じ部屋を取っている、熊人の姿は見当たらなかった。
「ライシン君……?」
 居ない事を、わかっていながら。しかしクロムは、机の上の書置きを、見咎めて。その名前を呼ぶ。それを拾い上げ、静かに読んだ。
 ライシンは、旅立った様だった。どの様な用件なのかは、わからない。ただ、謝罪の言葉を残して、ライシンは去っていった。
 その手紙を、掌に火を灯して燃やすと。クロムも、荷造りを済ませて、宿の入口に向かっては、部屋を引き払う。
 外に出ると、懐に手を入れて。そこから、赤い色の。深紅のリボンを取り出した。可愛らしいその赤が、何に染められたかを知れば。それを可愛らしいと思う事もない。
「よう。クロム」
 声が聞こえた。顔を上げれば、いつの間にか、目の前には赤の竜人。
「呼ぶ前に、来るなんて。暇だな、お前は」
「暇な訳じゃない。それだけ、あんたには価値がある。それだけの話さ」
「他に、良い奴が居なかったのか」
「それは、否定しない。どいつもこいつも、様子見さ。でも、俺はそれを責めたりしない。皆が、怖いんだ。表立って、姿を現して。逃げ場を失うのが。また、自分の居場所を失うのが。せっかく手に入れたそれをさ」
「お前は、そんな事はしないのだな。アキノ」
「俺には、必要無い。俺に必要なのは、新しく拠って立つ、場所だから」
 それは、クロムも変わらないのかも知れなかった。帰る場所など、どこにもない。故郷など、当の昔に滅び去ってしまった。ただ、会いたい人が居た。帰りたい場所があるというのなら、そこだろう。
 しかしそこには、行く事はできそうになかった。
「どこへ、行くんだ」
「拠って立つ場所。そう、言っただろう。そこから、全部始めよう」
「そんなに都合の良い場所があるもんか」
「旧エイセイ」
 アキノの言葉に、全身が痺れる様な感覚をクロムは覚える。それから、思わず。笑みを浮かべてしまった。アキノも、同じだ。
「最悪の場所だな」
「最悪だから、誰も居ない。いや、居るには、居るんだが。それも、俺が目を付けている相手だ。ただ、協力は、してくれないと思う。その代りに、俺の邪魔もしないけれど」
「それなら、良いんじゃないか」
「クロム。あんた、本当に俺の力になってくれるのかい」
「ガルジアが、お前の言う様な状況であるのならば。ガルジアを守るために、永遠の命を持つ私が、必要であるのならば。この世界が、彼を拒むのならば」
「ベタ惚れじゃん。恋している訳じゃないとか、言ってた癖にさ」
「他の奴に、ガルジアが守れないのならば。私が守る。そう、決めただけさ」
 事情が、変わってしまったとクロムは思う。あの赤髪の男ならば、ガルジアを守れると、そう思っていた。しかし今は違う。ならば、自分は。
「行こう。アキノ」
 アキノが、頷いて歩き出す。クロムはその隣へ。
 大変な道を、選んでしまったと思った。困難と痛苦を極めては、決して報われる事もないのかも知れない道を。
 しかしクロムは、それでも構わなかった。既に一度は、死んだ身である。
 ならば、己が守りたい者のために力を使う方が良いと思うのだった。
 それでもって、少しは、生きている心地を今更感じられる気がした。

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