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24.千年の帰趨

 大地の鳴動が、止む事を知らぬかの様に続いていた。
 ダフレイはそれを耳にしながら、世界の終焉が訪れるかとも思える終わり滝の様子を眺めている。
 炎の様に煌く瞳が、ダフレイを見つめていた。かつて自分が焦がれた、白虎の召喚獣。
 利用される形ではあったが、それでも千年前の自分はヨルゼアと引き合わされ、その虜となったのだった。
 雄雄しく、逞しく。そして何よりもやはり、白虎の被毛が美しかった。
 例えどれほど優れていても、それが自分が持っている物では、ダフレイには実感が湧かない。それ故に、
初めて目の当たりにした自分以外の、優れた力を持つ白虎。それも、最強と謳われる召喚獣とあっては、魅せられぬ方がどうかしていると思った。
 白虎であるダフレイの人生は、筆舌に尽くしがたい程の苦難の連続であった。
 今でこそ幸運の証と呼ばれ、しかしそれであっても追われる身である事には変わりはしないが、当時は災厄の化身とまで
言われたのだ。まさに、不幸の権化という他はない扱われ方しかされなかった。
 親から見放され、出会う者達には蔑視され。土下座をして頼み込んだ先で、奴隷の態で生きていた。だからこそダフレイは、
召喚獣を欲したのだった。求めたのは、自分を敵視する者でも、同情の目を向けてくれる者でもなく、価値観を異とする者だった。
 そしてそれは、この世界の中では、少なくともダフレイの生きてきた道程では見つからぬ者だった。後にネモラという、ダフレイよりも
随分と歳若い召喚士だけがそれに当て嵌まる器の持ち主ではあったが、それはずっと後の話。当時のダフレイは、とにかく
自分の白虎という点を見ぬ者。それが特別だと思わぬ者を求めていた。そしてそれはやがて召喚獣という、価値観どころか、世界すら異なる
住人との邂逅を夢見るという答えを導き出し、それを希求し続ける事になる。皮肉にも、それが余計に周りからの忌避の目を強める結果にもなった。
 ただ一つ幸運だったのは、偶然求めて手を差し出したにも関わらず、ダフレイには召喚士としての才能があったという事だ。
 ダフレイの呼び声に応じて現れたジースホーンのバルゼリオは、まだ少年だったダフレイの言う事を黙って聞いた。黙りながら、ダフレイを追う者を始末した。
 それから、ダフレイの長い召喚士としての人生が始まったのだった。
 しかし実際に使役してみると、召喚獣もまた、白虎に対する特別な思い入れを持っていた。
 それは現在において、ガルジアが他人から抱かれるそれと同じで、見る者を自然と惹き付ける力だった。ダフレイは、落胆した。自らの
力で扉を開き、世界を超えた先で尚、縛りつけるかの様に白虎という種族は付いて回っていた。忌々しかった。しかしダフレイは
召喚士を辞める訳にも行かなくなってしまった。天涯孤独の身。ようやく手に入れた、とびきりの後ろ盾。投げ打つ事は、自決に等しかった。
 鬱々とした気持ちで、それからは生きていた。他人と出会う際は被毛を黄色く染め、瞳の色も細工をし、ただの虎人だと偽った。それでも召喚獣を使役する
時ともなれば、自らの白虎の特徴を惜しげもなく晒して、使える物はなんでも使った。気づけば、召喚士の中であって、指折り数えられる
程の使い手と称される様になった。しかしそこでもやはり、白虎なのだった。身を守るためにした事で名が知れ渡り、それがまた、厄として降り掛かる。
 振り払う。降り掛かる。逃げ出す。降り掛かる。その繰り返しだった。その度にダフレイは、召喚獣の使役と調教に没頭した。気づけば、後戻り
も出来なくなっていた。白虎であっても。そう言って、傍に居てくれる存在が居た。しかし既に、身を預けられる程ダフレイの身体は小奇麗
ではなくなっていたのだった。思考は厭世観に塗れ、召喚獣に差し出し続けた身体は汚れていた。妖しく、卑しい。召喚士の成れの果てだった。
 そんな生き方が、正しい生き方だと思いはしなかった。しかし他に道があったとは、どうしても思えなかった。
 そうした日々の中で不意に訪れた転機。それは、丁度今と同じ状況だった。ヨルゼアの召喚を企む輩。その生贄として
目をつけられたのが、他ならぬダフレイ本人であった。ヨルゼアの話自体は、ダフレイも知ってはいた。孤高であり、
孤独でもある。最強と謳われる召喚獣の噂。召喚獣に尋ねてみても、知っている者は多くはなかった。知っている者も、
やはりその名と強さをぼんやりと口にするだけ。ダフレイの中では、よくある言い伝えの類だろうという認識だった。
 ある日、迎えが来た。脅しに出た者をダフレイは始末させたが、残った者の話を聞く内に、段々と心はヨルゼアへと惹かれていった。
 ヨルゼアもまた、自分と同じ白虎であるというのは、ダフレイにとっては衝撃的だった。その共通点が、心を強く揺さ振った。
 無論、こちらの世界にはダフレイ以外にも白虎は居た。しかし大抵の者は長生きの出来る環境ではないし、元々白虎自体が少しひ弱なのだ。
 ダフレイだけは唯一、白虎であっても体格には恵まれていた。結局、大半の白虎は、一人では生きてゆけぬ力しか持ってはいない。
 だからこそ、ヨルゼアだった。強い白虎である自分と通じ合える者が居るとしたら、あとは、自分と同じく強い白虎しかいなかった。
 言葉を聞く内に隙を突かれ、かどわかされる。今となっては、本当にかどわかされたのかもわからない。望んでいたのではないのか。そう言われれば、
そうだという気もする。どうでも良かったのだ。ヨルゼアに会えるのならば。この心を共有し、身体を預ける事が出来るのならば、他の事など、どうでも良かった。
 そして、満を持してのヨルゼアとの邂逅。
 しかし、ヨルゼアはダフレイを選ぶ事はなかったのだった。そして暴走に至り、それは千年前の災厄へと繋がり、
引いては召喚士という名の没落へと通ずる事になる。
 何故自分が選ばれなかったのか。困惑と絶望の中で、ダフレイはそれでもすぐに気づいた。強く、孤独であり、白虎である。
 しかしたった一つだけ相違点があった。ヨルゼアは、本当に孤独だったのだ。そしてダフレイ自身は、従えた召喚獣との契約に縛られていた。
 その身には召喚獣との契約を強めるための様々な痕があったし、身の内には宿したそれぞれの力があった。ヨルゼアは、それを見て拒んだのだった。
 制御をする者が居なくなったヨルゼアは、暴走した。ヨルゼアを呼び出すための餌として利用されたダフレイは、ほとんど奪われていた力で、
ただ見ていただけだった。自分を助け出そうとしていた男。ネモラの姿を。その勇姿を、今も覚えている。後の世でこの男が大召術士と万人に崇められ、
そして自分は、召術士ならとりあえずは知っている、程度の扱いなのも、仕方がなかった。心の内が知られれば、破滅を導いた者として極刑に処されても
おかしくはなかったのだった。流石にその点は事情を知らぬ者はダフレイが利用されたのだと同情するだけだったが、ネモラはそれに気づいていた節があった。
 ヨルゼアとの死闘を繰り広げたネモラは、何も言わず自分の手を取ってくれた。その時になって、ようやくダフレイは
自分が何をしようとしていたのかを理解した。後悔はしていなかった。所詮、当に見限っていた居場所、見限っていた世界だった。
 しかし、ネモラの気持ちには応えようという気にはなった。
 それからは、我が身を砕く思いで終わり滝に。あの日ヨルゼアの力により破壊された世界の中で、海を除いて一番強い力が
残ったこの場所で、ダフレイは熱心にヨルゼアへと語りかけた。ヨルゼアの強すぎる力は、環境に変化を齎し、周辺の魔物の力を
強めるという実害となって返ってきていたのだ。一度は拒まれたとて、それでヨルゼアとの関係を断つ訳にも行かなかった。
 拒まれたとしても、ヨルゼアと話せるのはダフレイ以外にはやはり居なかったのである。少しずつ意志を通じ合わせ、そしてヨルゼアの
力の一部を握ると、各地に残ったその力に工夫を凝らしていった。召喚士達は今回の事でヨルゼアについて二度と同じ事が
起こらぬ様にとあらゆる情報を闇へと葬っていた。もっとも、元々召喚獣に対して貪欲なダフレイですらヨルゼア
については多くを知らず、大抵の者は何が起きたのかもわかりはしなかっただろうが。ただ世間には、ヨルゼアの残した爪痕だけが、
不可解に残ってしまっていた。それについては、一番根の深い所はダフレイが手を加えたので、あとは時を待つしかなかった。
 それから程もなく、自らの寿命を悟ったダフレイは、いつかヨルゼアの力が誰かに利用されはしないかと危惧し、自らの命を封じて絶命する事になる。
 魔法陣の中で倒れ、意識が失われるまで、ダフレイは自分の人生を振り返り嘲っていた。遠回りばかりの、虚しい日々だった。求めた
物も、手に入りはしなかった。しかし不思議と充実していたとも思う。ヨルゼアの力で被害に遭った者達には、悪いとは思うのだが。
 時は流れて、そして、今だった。繰り返される出来事。その引き金になったのは、奇しくも自分を助けたネモラの遺した物だった。
 しかし遅かれ早かれ、こういう事態は予見していた。証拠の抹消によって出来た空白を訝った者が探り、
そして真実が掘り出される日はいつか訪れる。ネモラの召導書を巡る騒動は、それをわかりやすく知らせる狼煙に過ぎない。
 もう一度、ダフレイはヨルゼアの瞳を見つめた。寿命が尽きるまでの間だったが、意志を通じ合わせた相手。やはり、
自分をも憎憎しげに見つめている。それも仕方がなかった。ヨルゼアにとっては、自分ではなく、ガルジアこそが求める相手だったのだ。
 寝かされているガルジアへと視線を移す。こんな時ですら、自分は奥底では、嫉妬しているのだった。どうしようもないなと、苦笑するばかりである。
 修道院で、大切に育てられた白虎の青年。何一つ知りはしない、その身体。まっすぐな心根。何もかもが、自分とは対照的だった。
 自分もこういう風に生まれていれば良かった。そう考えて、また笑う。
 あの時代においてこんな性格で生まれていては、生きてゆけはしなかった。

 殺気交じりの強い力を感じて、その場に居る者達から僅かに声が上がった。
「来るぞ」
 短く言い放つクロムの声が言い終わるかどうかという内に、腕を上げたヨルゼアから光が放たれる。
「おっしゃあ!」
 黒の帯魔布を両腕にぐるぐる巻きにしたライシンが、飛び出してそれを受け止めた。半透明の障壁が光線を受け止めると、帯魔布が
ふわりと舞い上がり、そして端の方から焼けて消えてゆく。見兼ねてダフレイも補助へと加わった。加わりながら、自らに伝わってくる
ヨルゼアの力と怒りを受け止める。
「長くは持つまいな、やれやれ」
「ちょっと! 俺っち頑張ってるんすから、そういう事言わないでほしいっすよ!」
「別にお前を責めた訳ではない。まあ、生きていた頃なら私一人でなんとか出来る程度だがな」
 揺れる身体を、バルゼリオが支えてくれる。身体を支える力強い腕から、魔力が流れ込んでくる。バルゼリオも、かなり無理をしているのだろう。
「滑稽に思うか、バルゼ。人を憎んでばかりだった私が、今こんな行動をしているのは」
「お前は元々そんな奴だったよ、ダフレイ」
「そうだったかな。でも、お前に言われると、そんな気もするな」
 絶体絶命の窮地だというのに、ダフレイは不思議な充足に包まれていた。こんな風に、誰かを守るために戦うのも悪くはない。
 それにここで自分が倒れれば、身体を借しているリーマもただでは済まないだろう。少なくとも今倒れると、この場に居る者は間違いなく死ぬ。
 指先から伝わるヨルゼアの怒り。一片の迷いもない強い憎悪の奔流が感じ取れた。そこまで、自分を憎んでいるのか。
「兄貴ぃ……すまねっすけど……」
「なんだ」
 弱弱しく喘いだライシンの声が響いた。光を強く弾いているからか、音すら遮られ、呟きを聞き逃す事もない。
「やっぱ、長続きしそうにねぇっす……。俺っちが押さえとくから、今の内にどこかに」
「馬鹿が、てめぇだけ格好つけてんなよ」
「それに、後ろも下がれる様な状況ではないよ。ライシン君」
 光はライシンの作った障壁に当たると一時的に二つに割れ、その場を通り過ぎると一つへと収束してゆく。丁度、川の流れの
中にある大岩の様に。安全な場所など、ここをおいて他は既に無くなっていた。そしてまもなく、岩自体が光の奔流に流される。
 ここまでか。そう思った。せめて、今を生きる者達だけでも。そう思って力を振り絞ろうとするが、既に自分とバルゼの力は弱弱しく、
身体の持ち主であるリーマの力も限界へと来ていた。ライシンの帯魔布も、既に燃え尽きて半分を切りかけている。障壁が破られるのは、
時間の問題だった。伝わる力からヨルゼアへと呼びかけるが、その返事もない。
「ああっ、もう! ガルジアさんが居るってのに、なんなんすかあいつは!」
「恐らくは、自分でも力の制御が上手く行かぬのだろうな。力の強い者はこちら側では誰かに制御してもらわなければ、己を持て余す事になる。
あのバインという男の力量ではヨルゼアを御しきれぬという証だ」
「結局襲って来るんじゃ意味ないっすよ!」
「ヨルゼア……」
 微かな声が聞こえて、全員がはっとする。リュウメイの腕の中で眠っていたガルジアの呟きだった。覚醒はしていない様だが、
その瞳からは一筋涙が流れている。
「仕方ないな」
 今まで加勢する事もなく静観していたクロムがそう言うと、剣を大地に突き刺し、ベルトを外して鞘を取り上げる。
 しばらくぶつぶつと何かを呟くと、不意に強く鞘が輝く。赤々と、それはまるで打たれたばかりの金属の様に、美しい夕陽の色に染まった。
 ライシンに下がらせると、クロムは鞘を障壁へ当てる。ライシンの力が減っても、障壁が破られる事はなかった。鞘は一層力強く光を放ち、
それは眺めているだけのダフレイにも強大な力の片鱗を感じ取らせる程の物だった。
「旦那、そいつは……」
「一度だけ、だよ」
 じっと、クロムが鞘へと目を落とす。慈しむ様に優しげな瞳で見ていたのは、ほんの短い間だった。
「すまないな、ゴルディオール」
 短く言い放つと、まるでごみでも放り投げる様に鞘を障壁へと、その向こうに居るヨルゼアへ向けてクロムは鞘を放った。
 途端に障壁が鞘と同じ色を放ち、そして今まで二つに割くだけだった光線を受け止めると、その場で光が渦巻いた。
 渦は光線が注がれる度に大きくなり、やがては輪となる。そして中央にある鞘が一際強く光を放った時、それは障壁で防音された
こちら側でも聞こえる程の轟音を立てながら、今まで散々こちら側に向かって放たれていた光線となって、ヨルゼアへと打ち出された。
 刹那の間ヨルゼアの力とそれはぶつかるが、それを物ともせずに打ち勝つと、そのまま動かずに居たヨルゼアにそれは達する。一瞬、
視界の全てが白く染まった。白いまま、終わる事はないのではないかと思ったが、すぐにそれは止む。光源であったヨルゼアからの光が止んだ
ために、辺りは急速に漆黒の闇に包まれる。その辺りでようやく、既に日は暮れていて、空には満月が昇っていたのだという事を思い出した。
 先程まで世界を照らしていた物と比べたら、あまりにも弱弱しく儚げな月光が、今はこの大地を照らしている。
 闇と同時に訪れたしじまの中で、ダフレイは思わず感嘆の溜め息を吐いた。
「今のは……素晴らしい威力だな。その鞘がただの安物ではない事はわかっていたが」
「ちょっとした最終手段さ。でも、もう使えない。この鞘はもう、ただの鞘になってしまった」
 足元に転がった鞘をクロムは拾い上げる。鞘からはもう力の片鱗すら感じ取る事はない。色合いも、鉄で打っただけの、
夜の色へと変わっている。鞘としては使えるが、魔法の補助としての機能は損なわれた様だ。
「良かったんすか? 旦那」
「仕方ないさ。ここで死んでは意味が無いしね。失うのは残念だが。……それよりも、流石召喚獣は違うな。今のを食らっても、生きているよ」
 立ち昇っていた煙が風に煽られ晴れてゆく。薄っすらと残る煙の中にある人影が誰の者であるのか。もはや、説明をする必要も無かった。
「今ので大分力は損なった様だが、まだだな。そしてそれはこちらも同じ。流石に、これ以上は無理か」
 鈍い光が煙の中から漏れ出る。それはヨルゼアの敵意が少しも揺らがずにいる事を、何よりも雄弁に語っていた。
 そして、光。戻りかけていた闇と月明かりを、再度掻き消すヨルゼアの力がまた集中する。多少の痛手など、なんの障害にも
なりはしないのだった。だからこそ、千年以上の長きに渡る時の流れに存在を埋もらせる事もなく、ここに居る。そしてその力は、
再び自分達を焼き払おうとするだろう。
 ダフレイは天を仰いだ。既に、全員が満身創痍。これ以上の手札も持ち合わせてはいない。運を天に任せる、というのは今更で、
あまりにも馬鹿げていた。顔を上げたのは、そうではなかった。視覚ではなく、空気が変わった。それはダフレイが少年の頃から
慣れきった気配。異世界からの干渉の気配がした。問題は、誰がそれを、という事だった。
「誰だ? こんな時に……それとも、新手だというのか」
 中天にまた、穴が開く。ヨルゼアが呼び出された時程は大きくはない。しかしそれは先程のそれと同じ位置で口を開け、何者かが今まさに
そこから飛び出してくる気配がした。動揺して、ダフレイは辺りを見渡す。誰も、召喚を行使している様には見えなかった。そもそもこの場において
召喚士、或いは召術士と呼べるのは、自分と、自分の内で眠るリーマ。そしてヨルゼアの傍で蹲うバインの三名だけで、そのいずれも、召喚を
している者は居なかった。ならば何故、今扉が開かれているのか。
 その答えをしろうとして、しかしヨルゼアの次なる一撃は無慈悲に放たれた。ライシンが再びそれを防ごうとするが、無駄な事だった。一時
弱まったかに見えたヨルゼアの力は、更なる怒りを秘めた事で沸き立った湯の様に盛り返し、より強く、より鋭い攻撃へと変ずる。
 それが自分達に届くよりも前に、不意に大きな熱を感じた。光とはまた違う赤々としたそれは、太陽を彷彿させる炎の塊だった。
 その太陽がどこから来たのか、今更考える必要もなかった。中天から舞い降りたそれは凄まじい速度で大地へと、自分達とヨルゼアの間に
割ってはいる様に降り立ち、そしてヨルゼアの一撃を受け止める。衝撃波に全員が後ろへと下がる。ダフレイだけは、バルゼリオに支えられて
なんとか踏み止まった。視界はやはり、眩しかった。しかし衝撃が止めば、全容は明らかになってくる。ヨルゼアの力とぶつかった炎の塊は、
その衝突により炎を失い、そしてヨルゼアの力も相殺したために今ははっきりとその姿が見て取れる。炎そのものの様に赤く、僅かに光を発する鬣を
靡かせた、獅子の獣人。纏っているのはバルゼリオと同じく腰布と質素なものであったが、その腕には、輝く模様が身体をなぞる様に敷かれている。
 それは、ネモラに忠誠を誓ったが故に刻んだ物だと、ぼんやりと思い出した。その力ではなく、見覚えのあるその姿に、
ダフレイは絶句した。相手も振り返って、にこやかに笑みを浮かべる。
「お久しぶりです。リーマアルダフレイ様」
「貴様は、ネモラの……どうして、ここに」
 各々に疑問はあるのだろうが、話しはじめたダフレイと獅子の男を見てリュウメイ達は事態を静観していた。元より、相手は召喚獣である。
 対等に話せるのは、自分かバルゼリオくらいのものだった。
「主の忘れ物を受け取りに。それと、ヨルゼアに関しても」
「それはまた、随分と狙い済ましたかの様に現れた物だな」
 問い詰める様に返すと、柔和な顔の獅子は苦笑しながら鬣を揺らした。リュウメイの様に流れる長髪ではなく、ふわりと宙にそれは舞っていて、
鬣の一本一本が夜の中で怪しくきらきらと光っていた。時折先の方から小さな火が飛び、しばらく虚空を照らしてから、虚空へと消えてゆく。
「申し訳ございません。召喚士の力を借りられない私達は、自由に行き来する事も出来ず。ヨルゼアのために開かれた扉を利用する他
なかったのです。ネモラ様の忘れ物も、流石に世界を隔てては察知するのは不可能でした」
「まんまと私達を餌にした訳か。この世界にヨルゼアが召喚されるとなれば、ヨルゼアについての情報を記した物もそこに集まると踏んで」
「重ねて、お詫び申し上げます」
「まあ、良い。今はお前達のやっている事には、目を瞑ろうではないか。私が文句を言ったとて、どうなる物でもないだろう」
「ありがとうございます。リーマアルダフレイ様」
「礼はこの者達に言うのだな。私はヨルゼアの召喚を阻止するために、ヨルゼアの望む者……ガルジアを殺そうとしていた」
「そうですか。リーマアルダフレイ様も、ヨルゼアを」
 獅子人の背後で、激闘が始まっていた。遠くからでも見える、ヨルゼアと戦う者達の姿。
 一人は狼。金色に輝く、美しい被毛を纏った雄雄しい姿は戦神の様で、空に月があるのならば、その狼人は地上の月と言えた。
 もう一人は虎。電撃を纏い、間断なくヨルゼアに向けてそれを放っている。ヨルゼアからの光とそれがぶつかっては、轟音と閃光が走り回る。
 更にもう一人。その姿は、闇そのものだった。召喚獣ではなく、幻獣である。他の者達の発する強い光に照らされて、ようやくその姿は露に
なる。現れたのは、漆黒の狼だった。金狼と容姿は似ているが、しかしその被毛の色があまりにも違うが故に、別物にさえ見える。以前ダフレイが
聞いた話が本当ならば、あの二人は同じ種のはずで、あの黒い獣も黄金の被毛を持っていたはずであった。ここから見ているだけでも、背筋が
ぞくりとする。幻獣になるとは、あの姿になる事だった。バルゼリオには、そんな真似をさせたいとは思わなかった。
 三人掛かりで、ヨルゼアに対していた。弱体化したヨルゼアは、流石に苦戦を強いられる。それを呼び出したバインの魔力も、
もはや碌に残ってはいないだろうと思った。それに見惚れていた頃に、獅子人が手を上げると、バインの居る場所から何かが飛び出し、
その手元へとやってくる。それは、一冊の本だった。ネモラの召導書だろう、見た事もなかったダフレイでもすぐにわかった。本からは、
微かにネモラの力を感じている。そしてそれは、ここで戦っている召喚獣達からも感じ取れる物だった。見紛うはずもない。
「ネモラ様の書物。確かに、ここに」
 片手で受け止めたそれを、大事そうに胸へと獅子は押し当てる。安堵に解けたその表情が、主への忠誠を示していた。
「……そちらが、ヨルゼアの望んだ方ですか」
「ああ。ガルジア、という」
「ガルジア様」
 リュウメイに支えられたままのガルジアの元へと、獅子は歩いてゆく。いつの間に目を覚ましていたのか、ガルジアは瞼を開き、
自分の元へとやってくる召喚獣の男を見つめていた。
「お初にお目にかかります、ガルジア様」
「あなたは……」
「私はネモラ様のしもべの一人。此度の事、お詫び申し上げます。本来ならば、あなたを巻き込んではならなかったというのに。
ご安心ください。ヨルゼアを召喚するのに使われたこちらの書物は、私が持ち帰ります」
「そう、ですか。……ヨルゼアは、どうなるのですか?」
「それも、私達が。普段の彼なら、中々に手強い相手ですが、今の彼ならば私共でもなんとか出来そうです」
「ヨルゼアは……救われますか?」
「ガルジア」
 つい、口から言葉が出たようだった。それを聞いた獅子は少し驚いた様子を見せた後、また微笑んだ。
「ヨルゼアを知ってしまったのですね、ガルジア様。その悲しみも、寂しさも。だからこそ、ヨルゼアはあなたを選んだのでしょう。
しかし、出来得るのならば、忘れてあげてください。あなたには、荷が重い。ヨルゼアにとって、あなたは軽すぎる。そしてまた、脆い。
今回の様な事がまたいつ起こるとも限りません。例え、その心が自分と似ているからといっても」
 獅子の言葉を、ガルジアは最初は納得出来ないと言いたげに身動ぎをして迎えたが、やがて大人しく聞き入れていた。
 自分と召喚獣とでは、寿命の長さが違う。それが、いつか再びヨルゼアの悲しみを深めてしまう事を、悟ったのかも知れない。
「ガルジア、召導書を渡してしまっても、良いのかい?」
 クロムが呟いた。そういえば、ガルジア達は盗難に遭ったネモラの召導書を取り戻すために旅をしていたのだと、ダフレイは思い出した。
「いいんです、もう。それに……本を返す場所も、もう無いですから。この本が諍いの種になるのなら、私は召導書を諦めます」
「そうか。……そうだね」
 ゆっくりと手を伸ばしたクロムが、ガルジアの頭を撫でている。黙したまま、獅子が数歩下がる。
「ありがとうございます。これで、私も主の失くした物を持ち帰る事が出来ます。では、私はこれにて。
ヨルゼアの相手を彼らにだけ任せる訳にもいきませんので」
「少し、待て」
 立ち去ろうと背を向けた獅子を、ダフレイは呼び止める。振り返った獅子の動きに合わせて靡く鬣が、またきらきらと炎を散らした。
「なんでしょうか?」
「時間が惜しかろう、端的に話すぞ。ネモラは、生きているのか?」
「どうしてその様な事を訊くのでしょうか」
「惚けるな。先程お前は自分でネモラのしもべと名乗ったではないか。それに、私が気づかぬはずはあるまい。
お前達からは、ネモラの力を感じる。彼奴は、どうなったのだ? 何故ここに姿を現さない? 召喚士の力を借りられぬとも言ったではないか。
なのに、お前達からはその力を感じる。病だと千年前は聞いたが」
「亡くなりましたよ、召喚士のネモラ様は」
 微塵も表情を崩さぬまま、獅子はにこにこと笑って言い放つ。それが逆に、ダフレイには納得出来なかった。
「だから私達はこうして、ネモラ様の意思を尊重して今も動いているのです。ネモラ様の忘れ物を回収したり、
リーマアルダフレイ様と同じく、案じていたヨルゼアを諫めるために現れたり。たた、それだけの話です」
「……やはり、ネモラはまだ」
「さあ、もう行かなければ。彼らも三人では苦戦しております。これから私達はヨルゼアごと、世界を移動しますので、
あまりお近づきになられませんよう。今回は、ありがとうございました。リーマアルダフレイ様。そして、ガルジア様。その供の皆様方。
それから、残されたあの者の処断は、ご自由に。この本……あなた達の言う、ネモラの召導書。これさえ無ければ、ヨルゼアを召喚しようと
画策する者の出現も大分抑えられるでしょう。本来ならば私が解決したい事ではありますが、もう時間が無いし、そちらに力を割く余裕もありません」
 それきり、振り返らずに男は歩いてゆく。激闘繰り広げられる中に至ったその時、天に扉が開いた。大きな渦が、四人のネモラのしもべ達、
そしてヨルゼアを呑み込んでゆく。少しずつ、五人の姿が薄れ、やがては消えてゆく。続いて、渦も。そこまで消えると、辺りは一変して
静かになり、優しげな月光が静寂を照らす、本来の姿を取り戻していた。残されたバインの、悲痛な呻き声だけが虚しく響いていた。
「どうやら、勝ったのは我々の様だな」
 既にこの場に残るのは、バインだけ。そのバインもヨルゼアの召喚に魔力を大量に注いだがために、大して余力を残していない。
 余力が無いのはこちらとて同じではあったが、それでも数では勝る。これからぶつかったとしても、負けはありえなかった。
「ライシン、ガルジアを」
 そっと、壊れ物を扱うかの様に緩慢な動作をもってリュウメイは抱えるガルジアを、ライシンへと預けた。そして膝を震わせながらも、リュウメイはどうにか立ち上がる。
「無様だな、バイン。結局、てめぇには何も残ってねぇぜ」
 それどころか、こちらは一人として欠けてはいない。奇跡に近かった。リュウメイは終末を教えようとするかの様に剣を振り、空を切った。
 当の老いたままであるバインは、それに注意を払う様子も見せてはいなかった。ただ這い蹲ったまま、呆然としている。時折何かを
ぼそぼそと呟くが、それが他人の耳に届く事は無かった。そうしているとより一層、老人にしか見えない。リュウメイが、黙ったまま剣を振り上げる。
「近づくな!」
 突然、声が響いた。リュウメイとバインの間の土が泥濘み、そこから泥の怪人が現れる。ここに来るまでの道中でも一度邪魔をしてきた、アローネだった。
 リュウメイは無造作に剣を振り下ろすと、アローネの身体がぐらつく。泥の召喚獣とはいえ、主からの力はほとんど途絶えている。崩れた部分を
即座に治す事も出来ず、しかしそれでもアローネは引かずに居た。そして、バインの背後からも泥が立ち上るとそれはたちまちの内に姿を変え、
今自分を切り刻んでいるリュウメイへと変ずる。そして、バインを抱えると走り出した。駆け出し大地を踏みつける度に、そこから泥が立ち上り、
泥の怪人が現れる。流石にこれにはリュウメイも足を止めた。一体、二体と切り伏せるが、自身の身体がふらつくのを見て一度下がる。アローネの残した
分身の数は少なくなるどころか、その間にも増え続けた。
「そこまでしようと言うのか。顧みられる事がないと、知りながら」
 寂しそうにダフレイは呟く。アローネの力からは、もはや主であるバインの力はほとんど感じない。名も冠する事もない惰弱な召喚獣の抵抗。
 それは先程まで繰り広げられていた戦いからすれば、あまりにも小さな物だった。
「それ以上続けるのは止めた方が良い。幻獣になってしまうぞ」
「例えこの身を窶す事になろうとも、我は主への忠誠を守るだけだ!」
「哀れな」
 掌に光を灯して、無造作にダフレイは放った。アローネの分身が一つ崩れ落ちる。
「どうする。奴は本気の様だ、あの男を始末するのなら片付けるしかないが、こうなった召喚獣は手強いぞ」
 今の状態では、誰かが命を落とす事もあり得る。それを言外に籠めた。ダフレイとしては、なんとしても始末しておきたかった。しかし
それを決めるのは、この場に残る他の者。これから生きてゆく者達が決めるべき事だった。元より、自分一人の力では既にどうしようもなくなっている。
 リュウメイは再び剣を構える。それを見て、クロムはガルジアを連れて下がる様にとライシンへ言付ける。ライシンが、少しずつ下がろうとした。
「もう、いいです。皆さん」
 弱弱しい声が響いた。はっとして、全員が振り返る。虚空を見つめながら、ガルジアが息も絶え絶えに呟いていた。
「無理をしないでください、リュウメイさん。ずっとあなたが私を抱えてくれていたから、ずっと……私があなたを傷つけていたから、私にはわかります。
これ以上無理をしたら、死んでしまいます。あの人を追わなければいけないのは、わかっています。
野放しにはしていられない事も。けれど……それでも、私はこの場の誰にも、生きていてほしいです」
「何言ってやがる、俺は」
「リュウメイさん」
 ガルジアが、そっと手を伸ばす。既に、バインの力は遠く離れていた。アローネの分身も音を立てて土へと戻ってゆく。
 機を逃した、という気もする。しかし同時に、他の者の命を守ったのだともダフレイは思った。以前の自分ならば、
きっとこんな風には思わなかっただろう。
 ガルジアの震える手に、剣を収めたリュウメイが歩み寄り、手を握る。
「ありがとうございます。やっぱり、あなたは強いですね。私がしてほしい事、私のためになる事。いつでも、自然にしてくれる。
私はいつもそれに気づけなくて。けれど、今は私の言う事を聞いてください。あなたが居なくなるの、私は、嫌です」
 黙ったまま、リュウメイがガルジアのほとんど力が入っていないであろう手を握っていた。既に、バインに追いつく事も不可能である。
 溜め息を吐いて、ダフレイは身を傾けてバルゼリオへと凭れ掛かる。全身から力を抜くと、そっと顔を上げた。
「意見を言っておいてなんだが、私も限界の様だ。一度、元に戻るよ。バルゼ。アーシャ達には、すまなかったと言っておくれ。
随分と久しぶりに呼び出しておいて、見送る事も出来ぬとな」
「ああ。……ダフレイ、これからどうするんだ?」
「さて。逃げたバインを始末してしまいたいが……とりあえず、それも後で考えよう。今は、眠りたい」
 バルゼリオが身体を抱きかかえるのを確認して、ダフレイは掌を差し出した。そこへ力を集めて、水晶珠を形作る。それを腹の上へと置いて
力を抜くと、そのまま意識を移す。ダフレイの視界の中で眠る、バルゼリオに抱きかかえられている人物の姿は、既にリーマへと戻っていた。

 腕の中で眠るリーマを、バルゼリオは見下ろしていた。未だ目は覚めず。惰弱というよりは、ダフレイが力を使い過ぎた影響なのだろう。
「バルゼリオ」
 小さくなっていた二つの力がやってくる。戦いを終えたアステシャと、イスフールだった。
「ダフレイ様は」
「もう、戻ったよ。この珠が、今のダフレイだ」
「そう……やはり、亡くなってしまわれたのね。この目で見るまで、私は信じたくなかったけれど」
 宙に浮いていたアステシャが、ゆっくりと大地へと降り立つ。そして、眠り続けるリーマをじっと見つめた。
「ダフレイ様の眷属なのね」
「リーマ・セロス。ダフレイの名の一部を与えられたそうだ」
「なるほど。だから、リーマではなく、ダフレイと言っていたの。あなただけは、ずっとリーマと言っていたのに」
「本人の希望だ」
 ゆっくりとアステシャの手が伸びる。たおやかな、女の手。それが常人と違うのは、水色で、透き通っているところだった。
 ぴくりとも反応を示さないリーマの頭を、何度も何度も優しい手つきで撫ぜる。くすりと、笑みを零した。
「ダフレイ様の子孫なのに、ちっとも似ていないのね。こんなに背が低い。ダフレイ様は白虎であっても、とても立派な方だったのに」
「千年も経ったんだ。ダフレイの血が入っていても、随分と薄まっただろうさ」
「そうね。たった、千年。私がダフレイ様を待ち焦がれていた時間。人には、長すぎるわ。
ねえ、バルゼリオ。この子もいつか、私達を従えるのかしら?」
「ダフレイは、それを望むかも知れないな。少なくとも俺は既に、リーマにも仕えている」
「私、嫌だわ。ダフレイ様以外の主なんて。ダフレイ様はいつもお強くて、お優しくて。私を見つめる、あの鋭い瞳。私の全てを知っているとでも
言いたげな、あの孤独で冷たい瞳は、私の心を捉えて放さないの。千年も待ち続けて、望んでいたの、あの人に命ぜられる事を。だのに、今更、今更だわ!
別の主に仕えろだなんて。どうして受け入れられようというのかしら? バルゼリオ、あなたは、なんとも思いはしないというの?
かつての主人を悼む気持ちを、あなたが知らぬとは、私は思わない。どうして、こんな子供に易々と忠誠を誓えるの?」
 いつの間にか、アステシャの美しい顔は歪み、涙が溢れ出ていた。深い海の色をした人魚が涙するのは、悲しげというよりは、
寧ろ芸術的だった。バルゼリオはアステシャの言葉を、ゆっくりと咀嚼する。
「それが、ダフレイの望んだ事だからだ。忘れたのか、アステシャ。我が言葉こそ、神の言なり。それが、俺達とダフレイの交わした契約だ」
「そうね。あなたは、いつもそうだったわね、バルゼリオ。そして、私も……ダフレイ様の御心に背く訳にはいかないわ。
けれど、今はまだ私、ダフレイ様のしもべよ。いつかこの子が私を従えるその日が来るまでは、私はダフレイ様だけの物」
 ふわりと、アステシャが宙へと戻る。虚空から泡が溢れ、そして一際大きな泡の中に、アステシャは収まる。
 主からの力の供給が途切れて、既に結構経っている。リーマを未だ主と仰いでいないアステシャとイスフールには、残り続ける事も辛いのだろう。
「ねえ、バルゼリオ。いつか、この子も私の心を奪ってゆくのかしら? 初めてダフレイ様にお会いした時の様に、一瞬で、激しく、
強く。私の心を揺さぶってしまうのかしら? 嫌だわ、そんなの。ダフレイ様以外に恋をするのも、恋をした男が、私よりずっと早く死んでしまうのも。
私、嫌だわ……。どうして私は召喚獣で、彼らは召喚士なのかしら。私、時々呪いたくなるわ」
 そう言い残して、アステシャも泡となり姿を消してゆく。残ったイスフールはリーマに駆け寄ると、その顔を興味深げに見つめる。
「ほんとだ。アーシャの言う通り、全然ダフレイに似てないね。どっちかっていうと、僕みたいな感じ?」
「見た目はな。中身は違うだろうけどな」
「酷いな、バルゼは。……僕、この子の事、嫌いじゃないよ。ダフレイの命令じゃなくても、良いかなって思う。
ダフレイは沢山僕と遊んでくれたけれど、僕、僕と同じくらいの子とも遊びたかったから。でもきっと、この子もすぐ僕より大きく
なっちゃうんだよね。残念だなあ」
 イスフールが手を伸ばすと、眠るリーマの細く白い髭を引っ張っては、微かに反応を示す様子を楽しみはじめる。バルゼリオが叱ると、
ようやくそれは止んだ。楽しげな笑い声を上げながら、イスフールの身体は透けてゆく。
「それじゃ、またね。君が僕の主になってくれたら、僕は嬉しいな。ダフレイは、もうあんまり遊べないだろうし。
沢山遊んで、沢山、長生きしてね? 五百年なんて、我儘、僕は言わないよ。二百年くらいで、良いからさ」
「そんなに長生き出来んぞ」
「そうなの? そっか……それじゃあ、何年でもいい。短くても、僕と遊んでね。だから、早く僕を呼び出せる様になってね。リーマ」
 無邪気な笑い声を上げて、イスフールも姿を消した。ダフレイの水晶珠が、鈍く光る。今までの事は当然、その耳には入っているだろう。
「こりゃ、前途多難だな。リーマ」
 呟いてから、リーマの身体を持ち上げる。その腹の上にある水晶珠が落ちぬ様に細心の注意を払った。
 月はいつの間にか沈みかけ、東の空は僅かに白みはじめていた。長い夜が明けて、もうすぐ朝がやってくる。

 荒々しい息遣いと揺れに、混濁していた意識が覚醒する。
 全身の気だるさは甚だしかった。腕を上げる事も、満足に出来そうにない。
 そんな中で、バインは瞼を開いた。自分を抱える、男の姿。
「気がつかれましたか、バイン様」
「アローネ……」
 自分を見下ろしたアローネの、安堵に弛緩した表情。本来の持ち主は、決してしないであろうその表情が、今は滑稽に見える。
「何故、私を助けたのですか?」
「バイン様が、他ならぬ我の主でございます」
「意外ですね。召喚獣は、もっと狡猾で、寝首を掻こうとするものだと聞きましたが。それどころか、そんなに無茶をするとは」
「勘違いされては困ります。これも、我が一族宿願のため。全てがバイン様のためとは、言い切れません」
「そのために、自らの力は使いきってしまっても良いと?」
「我の宿願もまた、一族の名を賜る事でございます。そして我が主は、バイン様。自分自身に出来る事を、ただなすだけです」
「甘いですねぇ。こんな事をして弱体化してしまっては、益々遠ざかってしまいますよ。
もっと優秀な召術士……いえ、召喚士が居たら、そちらに鞍替えした方が良いのかも知れませんね」
「バイン様は、優秀な召喚士でございますよ。既に、私を含めて三人を従えられておられる。
しかし今回は運が無かった。いえ、お優しかったという方が、適当でしょうか。サーモストであの者達の内、誰か一人でも始末しておけば、
結果はもう少し変わっていたかも知れません」
「時間がありませんでしたから。盗賊団を集めてサーモストの門を突破させるのと、今宵の満月。多少の工作はしましたが、
それでもサーモスト修道院の院長、エフラス・ロー=セイムが出てくる危険もありましたから。あまり時は掛けられなかった」
 殺すのを惜しんだというアローネの指摘は、間違ってはいなかった。自分は、強い者が好きだった。腕だけではなく、その心までも
気高い者。それはリュウメイであり、或いはヨルゼアであり。そしてまた、無力なはずのガルジアでもあった。
「結局、ヨルゼアの召喚は失敗に終わりましたね。それどころか、召導書まで。まあ、中身は全て覚えましたが」
「また、召喚に臨まれますか?」
「どうでしょうか。失った力が多すぎます。見なさい、私の姿を。老いさらばえた、醜いこの姿。若い頃は、全身黒かったというのに、
歳を取るとこうですよ。純白ならまだしも、そうではない。歳は、取りたくないものですね」
 ようやく動かせる様になってきた腕を上げて、見つめる。黄ばみがかった白の被毛。か細い腕。若い頃の自分を知り、
そして普段はその姿を取っているからこそ余計に強く感じる、老いとは、ただ自分を醜くするだけだった。
「今のバイン様も、よろしいかと存じます。普段のバイン様は、底が知れない。ようやく、主の事を知った、という気がします」
「物は、言い様ですね」
「変わられませんね。お姿が変わっても、そういうところは」
「アローネ。あなた、私がお仕置き出来ないからって、からかっているでしょう?」
「その様な事は、決して」
 優しげな笑い声が響く、束の間快い感覚に襲われた。幼い頃から憧れていた召喚獣が、今はこうして自分を守っている。
 しかし冷静になると、結局今回の件の事を思い出し、バインの表情は暗く、沈んでゆく。
「哀れなものですね。結局、ヨルゼアの使役は成し遂げられなかった。なんのために、私はここまで生きてきたのでしょう。
なんのために、沢山の命を犠牲にしてきたのか……。修道院まで、焼き払って」
 バインとて、無益な殺生を好むという訳ではなかった。強い者との戦いならまだしも、碌に戦う術を知らぬ者との戦など、ぞっとしない。
 しかしラライト修道院は、焼き払うしかなかったのだった。ガルジアを渡すつもりが無いのは承知していたし、院長のウル・イベルスリードは
ヨルゼアについての知識を持っていた節があった。だからこそ、ラライト修道院には、ヨルゼアに関する余計な物があっては困るのだった。ヨルゼアを
呼び出せるのは、自分一人だけで良い。粗方探した中にヨルゼアに関する物は見当たらなかったが、見落とした物を残して立ち去る訳にも行かず、
結局火を放って全てを無かった事にしようとした矢先、強い力の流れを感じた。間一髪で脱出すると同時に、ラライト修道院は爆発に呑まれて消えた。
 今思えば、ウルもやはりそれを危惧していたのかも知れなかった。
 自分がウルだったら、ガルジアを殺すだろうと思った。ガルジアは、ヨルゼアのための鍵である。それを封ずるためならば、手にも掛ける。
 それをしなかったのは、ウルにも狙いがあったのだろうか。或いは、本当は何も知らず、ただガルジアを逃がしたのか。
 今となっては、確認のしようもない事だった。ウル・イベルスリードは死に、ラライト修道院は無くなり、そしてガルジア・イベルスリードだけが残った。
 そうして臨んだヨルゼアを巡る戦いで、自分は敗れたのだった。
「しばらくは、大人しくしていましょう。ダフレイ様は、きっと血眼になって私を探そうとするでしょうしね。ふふ、私はダフレイ様を敬愛しているというのに」
「盗賊団と、合流なされますか?」
「それには及びません。この姿で彼らの前に出ても、命令が出来るとは思えないし、彼らもヨルゼアの降臨を見たはず。金で
使われているだけの連中の中には、及び腰になっている者も出ているでしょう。今は静かな場所へ。……そうですね、もう少し行けば、昔
使っていた住処の一つがあります。待ち合わせをしている相手もそこに。このままもうしばらくまっすぐ走ってください、アローネ」
「畏まりました」
 支える腕の力がぐっと強まる。アローネは速度を上げ、ひた走る。赤髪が、美しく風に靡いた。顔を見せはじめた朝日の光を受けて、
それは燃え上がる様に輝く。
「一つ疑問があるのですが、アローネ」
「なんでございましょうか」
「どうして、リュウメイの姿をしているのですか?」
 問い掛けると、あからさまにアローネが焦った様な表情をする。これもやはり、本来のリュウメイならば見る事の叶わぬ顔だ。
「申し訳ございません。見苦しかったでしょうか。やはり、リュウメイの姿では」
「いえ、そんな事はありませんよ。私は、リュウメイの事を気に入っていますし」
「身体能力が優れていますから、今化けられる中では、最適と判断しました」
「そうですか」
 焦っているアローネがおかしくて、くすくすとバインと微笑んだ。アローネはもう何も言わず、前を見据えている。
 今回は、負けた。しかし、次があるのならば。そう思いながら、バインは宙に舞う赤髪を見つめ続けていた。

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