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18.ひとりぼっちの白虎

 細身の剣を握り締めたまま鬣犬の男とぶつかり合うガルジアを、ライシンはどうする事も出来ずに見つめ、息を呑んだ。
 音が聞こえ、何事かと視線を動かす。素早く剣を抜いたリュウメイは、ガルジアに切りかかろうと駆け出した。
 その行動をライシンが制止するよりも先に、それを察知したガルジアは一度身を引いて鬣犬から距離を取ると、
軽やかな足取りで素早く体勢を整え、リュウメイを迎えた。
 剣と剣がぶつかり合う。火花が散り、先程まで聞こえていた剣戟の音を辺りに響かせ、再び激しい戦いが始まる。
 リュウメイからの攻撃を受けても、ガルジアは変わらずに涼しい顔をしながら、時折笑みを浮かべ、
心底楽しそうにその相手をしていた。一方のリュウメイは無表情に剣を振るい、ガルジアの動きをつぶさに
観察している様だった。ライシンがそれを見守っていると、ガルジアと今まで打ち合っていた鬣犬の男が
こちらへとやってきたので、ライシンは慌ててそれを向かえる。
「大丈夫っすか!?」
「ん? ああ、平気だ。何度か切られたが、それぐらいだ」
「全然平気じゃないっすよ、あんた」
 呆れた様子でライシンはその男を見つめるが、確かに男の言う通り、切られはしたものの
出血はほとんど見られず、その仕草に無理なものを感じ取る事もなかった。
 それよりも気になるのは、男の出で立ちである。
 格好自体はどこにでも居そうな傭兵といったところだろうか。問題なのは、その男が身につけている革鎧だった。
 無残にも破け、もはやぼろも同然といった状態である。特に背中の破損が酷く、生身が見えている状態で、
どう見ても大きな傷を負い、それから然程時間を置いた様には見えないのに、男の身体にはガルジアから
受けたばかりの傷以外、目立った外傷は見られなかった。その様子と先程までのガルジアとの戦いから考えて、
早くもライシンはこの男は一筋縄では行かぬ男だと断じ、また敵に回すのは避けるべきだと本能が告げている事を感じ取る。
「そんな事より、今はガルジア……あの白虎をどうにかしなければ」
「ガルジア……やっぱりあんたも、ガルジアさんのお知り合いなんですか?」
 ライシンの言葉に鬣犬の男は微笑みながら頷く。
「なるほど、君はガルジアと知り合いの様だね。よく見れば、あの蜥蜴人の剣士は
前に一度会った事がある。その時はガルジアもその隣に居たのを見たし、
ガルジアが修道院まで守ってもらい、別れた二人というのは、君達の事か」
「って事は……あんたがガルジアさんを、ここまで」
「細かい話は後にしようか、今はガルジアをどうにかするのが先だ」
 何かを言いかけてから咳払いをし、改めて鬣犬は言葉を発する。
「自己紹介をしよう。私はクロムという者だ」
「俺っちはライシンっす。向こうに居るのは、リュウメイの兄貴っすよ」
「なるほど、ガルジアの言っていた通りだ。さて、君は私にこの状況を説明してほしいのだろうが、
生憎私もきちんと状況を伝える理解と言葉を持ち合わせてはいないのでね。手短に言えば、
少しの間ガルジアから目を離して戻ってきてみれば、あんな風にまるで別人になっていた、という訳だよ」
 苦笑いをしながら、お手上げだと言わんばかりにクロムは両手を肩の高さまで上げる。
 リュウメイと似た飄々さを持ちながらも、それよりも尚深く、禍々しい印象をライシンは受ける。
 しかし今はそんな事を気にしている場合ではなかった。今のガルジアは、明らかに異常である。
 普段のたおやかさは鳴りを潜め、抜き身の刃の様に鋭く、その凶暴さを惜しむ事無く晒していた。
 それは修道院から抜け出したガルジアを最初に保護したリュウメイ、そして最後に保護したであろうクロムの
二人にも予期せぬ事態だというのは、二人の態度から十分に慮る事が出来たし、ライシンとて
ガルジアとは数ヶ月共に旅をした仲である。ガルジアがこの様に自分達の事も認識せず、
我を失い暴れる事など初めての事だった。それ故に、どうしたら良いのか手を拱いているのだった。
 リュウメイとガルジアの激闘は未だ続いている。ガルジアの繰り出す剣をリュウメイは冷静に受け止め、
それ以上の事はせずに今は見守っているかの様にライシンには見えた。
「名を呼んでも反応をしない。それどころか、私を戦うべき敵と見做して攻撃をしてくる始末だ。
どうにか気絶でもさせられないものかと思ったのだが、これが中々に強くてね」
「クロムの旦那でもっすか?」
 苦笑しながら、クロムは頷く。クロムの腕前も先程の物を見て、充分な物である事はわかっていた。
「もしガルジアがただ我武者羅に剣を振るっているというのなら、あの剣……歌聖剣を折ってしまえば、
少なくとも取り押さえる事ぐらいは訳ないのだがね」
 揃って視線を向けた時、丁度リュウメイとの打ち合いを止めたガルジアは一度後退し詩を歌おうとする。
 いつもの朗々とした歌い方ではなく、ただ呟く様に軍兵の詩を歌い、同時に歌聖剣とクロムが言った細身の剣を振り回す。
 歌聖剣が空を切る度に、高雅な音色が高音で響き渡る。琴線に触れるかの様なその音色は、
宮廷の奥で王族貴族を持て成すために奏でられる数多の音色に比肩する程に美しく、また聞く者の心を奪う旋律を耳に届ける。
 しかしその音に聞き惚れ感嘆を漏らすよりも先に、驚きによりライシンは声を詰まらせた。
 ガルジアの声に導かれて炎を纏った異形の精霊が現れる。それだけならば見慣れたとまではいわずとも、
共に旅をする中で何度か味わった光景である。しかし今は、その精霊と同時に、金色の光を纏う別の異形も現れていた。
 現れたそれが静かに鳴き声を上げると、ガルジアの持つ歌聖剣に光が宿る。
「恐ろしい物だ。あの光のせいで、本来ならそれほどの強度がある訳でもない歌聖剣に、傷一つ付ける事か出来ない。
僅かでも傷が付けば、少なくともあの音色を損なわせる事が出来るというのに」
「ガルジアさんって、あんなに強かったんすか……」
 剣も碌に扱えない、ひ弱な男だと思っていた。しかし今目の前に居るガルジアは、それとは対極に位置する存在だった。
 流れる様に剣を振るい、実に楽しそうに剣戟に興ずるその姿は戦神の様で、身につけている粗末なローブだけが
ただ自分達と共に居たガルジアの、ただ一つの面影を残していた。
「そろそろ私も行こう。それと、ライシン君。君はこれを使って、私達の治療を頼むよ」
 そう言ってクロムは鞘を差し出してくる。最初はそれを見て訝しげにライシンはクロムを見つめたが、
その鞘を手に取って驚く。よくよく見れば鞘は魔力の塊であるかの様に強い力を有し、それが鞘を掴む手から
ライシンの身体へ伝わってくるのだった。
「こ、こりゃぁ……」
「使い過ぎなければ勝手に魔力が溢れてくる。上手く使っておくれ」
 それだけ言い残すと再びクロムはガルジアへ切りかかり、それと入れ替わる様にしてリュウメイが戻ってくる。
 浅いながらも傷を負ったリュウメイを慌ててライシンは迎えて傷の治療に専念する。
「どうだ、何かわかったか」
「いや。あのクロムって旦那も、どうしてガルジアさんが豹変したのか、どうしたら元に戻るのか。わからねぇそうです」
「……そうか」
 リュウメイは無言でガルジアを見つめる。その瞳には哀愁の色が混じっていたが、不意ににたりと、本性を剥き出しに
するかの様な笑みを浮かべる。
「本当に我を失っちまってるみてぇだなぁ。あんなに重い一撃が出せるんなら、あいつももっと戦闘に加えてやれば良かったな。
出し惜しみしやがって。あんなに面白ぇなら逃がしゃしなかったし、どっちが強いか確かめてやったのに」
 低く笑い声を上げ、痛快だと言わんばかりにリュウメイはうっとりとガルジアを見つめる。
「兄貴、ガルジアさんはきっと、自分が何をしているのかわかってないっすよ。じゃなかったら、あんな風に兄貴と戦えないっす。
だからまず、ガルジアさんを正気に戻さねぇと」
「んなこたわかってるんだよ。しかし勿体ねぇな。あのままだったら、退屈しねぇのに」
「そんな事言ってる場合じゃないっすよ、兄貴!」
 声を荒らげたライシンの事をリュウメイが見据えてくる。しばらく無言で視線を交わしていたが、
リュウメイから先に視線を逸らし、またガルジアとクロムの戦いを見守っていた。
「しかしあの鬣犬野郎。随分手を抜いてやがるな。防御も碌にしねぇで切られてやがるが……妙だな」
「出血が少ないっすか」
「なんだ、てめぇもわかってたか。深手は避けてるみてぇだが、だからといって、血が地面に落ちねぇのはおかしい。
あいつ、何かしてやがるな」
 クロムの表情は穏やかで、ただガルジアに訴えかける様な眼差しをしていた。時折ガルジアの刃に
自身が切り刻まれようと、気にする様子もなくその相手をし続けている。
 剣戟の音が止む事なく、サーモストの街に響き渡る。魔物の襲撃など、既にこの場に居る者は
深く考えてもいなかった。仮にこの戦いを妨げようと狼藉を働こうとしても、この場の誰と対しても長くは生きてはいられないのだ。
 遠くで聞こえる悲痛な叫喚も、雄強な咆哮も。全ては遠く、別世界の出来事であるかの様だった。
 金属のぶつかる軽快な音を聞きながら戦況を見守っていたライシンは、ふと違和感を覚えてガルジアを注視する。
「兄貴、ガルジアさんが」
「何か歌ってるみてぇだな。……何も聞こえねぇが」
 ガルジアの口が詩を歌う様に動いていた。しかしその声音は誰の耳にも届いていないのか、
二人には剣戟の音しか相変わらず聞こえなかったし、恐らくはクロムもそうだろう。
 歌い続けるガルジアの表情だけが、その口唇が何かを囁く度にどんどんと狂気に満ち満ちて、益々別人へと変貌してゆくのだ。
「試してみるか」
 リュウメイが剣を軽く振り身体の調子を確かめると、ガルジアへと突撃する。リュウメイを迎え入れるために
ガルジアが引くのを察知したクロムはその動きに合わせて前進し、ガルジアを逃さない。程なくして二対一へと発展すると、
流石のガルジアも分が悪くなっていた。
 元より二人とも、ガルジアに対して本気で剣を振るっていた訳ではない。リュウメイは防御をするか
かわすかしてその様子を観察していたし、クロムに至っては防御すらも疎かにしてどうにか血路を求めて出来る事を模索しているのだ。
 ガルジアは確かに強いが、それも二人掛かりとあっては長続きをする訳ではなかった。
 哄笑すら漏らしそうな程ににやついていた顔は、二人に追い詰められ今は厳しく引き締まり、
流石に詩を歌う余裕すら無くしたのか、その口元も歯軋りをしたまま言葉を紡ぐ事を止めていた。
「ちぃっ!!」
「兄貴、旦那! 下がるっすよ!」
 盛大に舌打ちをしたガルジアが、リュウメイとクロムに立ち入るのを禁じるかの様に無造作に大地を横に払う。
 ガルジアに寄り添う精霊から強い力を感じ取ったライシンは咄嗟に叫んでいた。
 大地の切れ目から、火柱が勢い良く上がる。間一髪のところで二人は身を引きそれをかわす事に
は成功したものの、距離を取ったガルジアは再び詩を歌いはじめてしまう。また、あの声音の存在しない詩だ。
 ライシンはそれを注視していた。怪しいといえば、あの詩は怪しかった。
 ガルジアの歌う詩は、大抵がその場で効果を発揮するものであり、説明を受けずともどういう詩なのかは
体験すればわかる様なものばかりである。しかし、あの詩だけは違っていた。詩を歌い終えたガルジアは
ただ口元に笑みを浮かべるだけで、その外見に目立った変化は見られはしなかった。
 しかしただ一つだけ、魔導に長けたライシンだからこそ気づく事の出来る変化があった。
「兄貴、旦那。あの詩はやっぱりおかしいっすよ。ガルジアさんが歌い終わると、大抵は精霊が出てくるっす。
当然精霊が出てくれば、俺っちはその魔力を感じ取る事が出来るっす。
けれど、あの無音の詩だと何も出てこない。勿論、ガルジアさんの他の詩でも、そういう詩はあったっす。
でも、目に見えなくても、俺っちは感じるっすよ。あの詩を歌い終わった時、ガルジアさんから強い魔力を感じたっす。
ガルジアさんは魔法なんて何一つ使えないし、魔力を感じる事もない人だったっすから、あの詩は、ガルジアさんだけに掛かる
何か特別な詩だと思うっすよ。だから……ガルジアさんを助けるなら、あの詩を歌わせない様にするしかないっす」
「もしくは、あの状態のガルジアを叩き伏せるか、だろうかね。詩はそれほど長くその効果が続く訳ではないみたいだし。
だが私はガルジアを傷つけるのには、反対だな」
 精霊を招き奇跡を起こすのが詩の原則である。だとするのならば、精霊はガルジアの身に宿る事で、
ガルジアに爆発的な戦闘能力の恩恵を授けている、というのがライシンの見方だった。
 その代償が無差別に人を襲う、凶暴で酷薄なあの姿なのだろう。
「とにかく歌わせなけりゃいいんだろ」
 火柱の奥に佇むガルジアを眺めながら、リュウメイは短く結論を出す。
 炎に赤々と照らされたガルジアの瞳は、ただ自分達に手向かう者達を冷酷にねめつけていた。
「ライシン。あの精霊を片付けろ、邪魔だ」
 ガルジアの呼び出した精霊は、今は自身が狙われるのを避けるために上空へと避難し主の戦い振りを眺めていた。
 その姿を見上げてようやくライシンは気づく。いつもガルジアが呼び出していた者よりも体格に勝っていた。
 精霊を失えば詩の効果は長くは続かない。それを警戒して、ガルジアをただ助けるためにああして遠くに居るのだろう。
「鞘を使うといい。君のその腕に巻いている物と同じ様に使えるはずだ」
「了解っす。……しかし旦那、あんたなんでこんな凄い物を」
「まあ、長く生きているとそういう物を手にする機会もあるのだよ」
「そうなんすかねぇ……」
「行くぞ」
 走り出したリュウメイの言葉で会話は打ち切られる。火柱の中からガルジアも飛び出し、
かつては共に歩いていた二人の激突が始まる。

 振り下ろされた刃が防がれ、返された刃がかわされる。
 そのやり取りを、治療を受けながら、クロムは黙然と見つめていた。
 蜥蜴人の剣士、リュウメイが身体を動かす度に、その見事な赤髪が陽の光を浴びてきらきらと輝く。
 こうして眺めていると、そのリュウメイの手並みにクロムは見惚れている自分に気づいた。
 まだ若い男だ。甘い部分は時折見受けられるが、それでも同年代で比肩し得る者など、
どこを探してもそう易々とは見つけられないだろう。その身ごなし、剣捌きに束の間うっとりとする。
 あの男と戦って、勝てるだろうか。束の間思案に耽る。答えは決まっていた、
自分が負けるはずはない。剣術では自分が勝っているし、仮にリュウメイの方が強くとも、
この身体がある限り、負けはしない。
 それに対するガルジアへと、ふと視線を移す。
 今はただリュウメイを睨み付けて、歌聖剣を振り回している。これもまた、見事な使い手である。
 しかしリュウメイよりも動きに関しては劣っていた。それはやはり、詩の効力で無理にその身体を
行使しているという点が大きいのだろう。元々、ガルジアには剣術の手解きなど数える程しかしていない。
 最初こそ俊敏だったその動きも、今は少しずつ息が上がってきていた。
 そもそもが、詩を歌いながらガルジアは戦っているのである。同じ体力であろうと、
詩を歌う事のない他者との戦闘において、自ずから持久力には差が出てくる。
 恐ろしい才能だとは思う。しかし、所詮詩は詩である。真価を発揮するのは、やはり集団戦においての補助という事だ。
「はい、これで大丈夫っすよ。旦那」
「ああ、すまないね」
「無理し過ぎっすよ。あんなに切られて。リュウメイの兄貴より命知らずっすね」
 命の終わりを知らぬ身体である。説明でもしようかと思ったが、苦笑するだけで済ませた。今は、ガルジアである。
「どうにかガルジアを助けなければな」
 変わり果てた白虎の青年を見つめる。柔弱で、温和な青年である。それが何故、こうなってしまったのか。
 自分が目を離していたせいでもある。責任を感じていない訳ではなかった。
 クロムが見つけた時、ガルジアはただ目の前に居る者を切り刻む殺戮者に成り果てていた。
 間一髪で人を襲うところは止めたものの、返り血を浴び、魔物を切り伏せるその姿を初めに見た時、
クロムは慄いた。これがあの、ガルジアなのか。今まで共に旅をし、いつも柔らかな笑顔を浮かべては、
人のためにその表情を曇らせ、自らのするべき事に気づき、まっすぐに歩こうとする。身も心も穢れを知らぬ、
神の使いと称したとて、なんら異議を申し立てる者とて居ないであろう。あの眩しかったガルジアだというのか。
 とても、信じられなかった。しかし現実的に、同じ場所に、背格好まで似通った白虎が居合わせるなどという事はありえない。
 信じぬ訳にもいかなかった。今はただ、ガルジアを正気に戻す必要がある。
 躍り掛かり、クロムは剣を振り下ろした。ガルジアは二人分の攻撃を受ける事になる。
 元よりリュウメイの攻撃ですら受けるのが厳しくなっていた頃合である。目に見えて反撃は減り、防戦一方となっていた。
「邪魔をするな」
 俺の獲物だと言わんばかりにリュウメイがねめつけてくる。負けじとクロムもそれを返した。
「リュウメイ、君はガルジアを助けに来たのではないのか?」
「助けられるなら助ける。無理なら切り殺す。それだけだ」
「賛成出来ないな。私はガルジアを守るためにここに居るのだから」
 一層強く押すと、ガルジアが耐えかねて刃を逸らし後退する。リュウメイは追わず、クロムを見つめていた。
「先にてめぇから片付けてやろうか」
「私を倒せるとは思わない事だ」
「ちょっとちょっと! あんた達、喧嘩してる場合じゃないっすよ!!」
 後ろからライシンの野次が飛ぶ。しかしクロムにとっては、ガルジアを殺させる訳にはいかないのである。
 ここでガルジアを失っては、自分は再び、味も色も無い終わりの無い時を生きる事になるのだから。
 僅かな間リュウメイと対峙していたが、新しい魔力を感じてガルジアへと視線を戻す。
 いつの間にか上空の精霊の数が減り、新しい精霊が、翼をはためかせた見事な大鷲が現れる。
 それを見てクロムは一旦リュウメイとのやり取りを放棄し、剣を構える。それが構え終わるよりも早く、ガルジアが目の前に来ていた。
 凄まじい連続攻撃が繰り出される。受け止めたと思ったら、次は別の角度から刃が忍び寄る。先程までは
ただ防御をし、下手に返してはガルジアを傷つけるかも知れないと手を抜いていたが、今度はそういう訳にはいかなかった。
 全力で防御に回っても、時折その刃がクロムの身を傷つける。出遅れたリュウメイが加勢に加わったところで、
ようやく斬撃は刃で止められる様になった。リュウメイが舌打ちをしながらそれを受け止めている。
「仕方ねぇな。殺すのは最後の最後にしてやる。てめぇも手伝え」
「ああ」
 風来の詩で翻弄する様に動き出したガルジアは、さしものリュウメイといえど一人では受けきれなかった。
 それはまたクロムも同様である。一撃は軽いが、しかし残像さえ見えかねないその剣捌きには、抗しようがなかった。
 正面からまともに戦わなければ良い。クロムの出した結論はそれだが、しかしそれではガルジアを助ける事は叶わなかった。
 クロムはリュウメイと共にガルジアの攻撃を受け続ける。今度はこちらが防御に徹する番だった。
「……本当に、詩の効果は凄いな。ガルジア。君がこんな風に、私に刃を向けるなんて」
 寂寥に苛まれぽつりとクロムは言葉を零す。
「私が助けるよ、ガルジア」
 不意に、空から激しい爆破音が響き渡る。ガルジアは驚いた顔をしながらも、その体勢を大きく崩していた。
 ライシンが宙に避難していた精霊を仕留めたのである。普段のガルジアが呼び出すよりも大きな精霊であるからして、
仕留めるにも相応の力が必要だったのだろう。そして今ガルジアは風来の詩の効果が切れ、体勢を崩す。昨夜サーモストから逃げ帰る時に
詩の効果が仇となった。丁度、それと同じである。
 リュウメイが目を見開き、瞳を燃え上がらせる。その時クロムにすら予想していなかった俊足により身体を前に出し、
そこから高速の一撃が繰り出される。それはガルジアの持つ歌聖剣の鍔の部分を的確に、強かに打ち、ガルジアの手から歌聖剣が零れ落ちる。
 そうと見るや否や、クロムは我武者羅にガルジアへと体当たりした。とにかく、歌聖剣を握らせない事である。
「すまないな、ガルジア」
 図早く剣を持ち替え、僅かに魔力を籠め、柄の部分でガルジアの腹を打つ。ガルジアはその一撃で気を失ったのか、がっくりと
膝を折り曲げてくるのをクロムは支えた。瞳を閉じたその表情は、既にいつも見ていたあどけない白虎のそれへと変わっている。
 剣を収めると、その身体を丁重に抱き上げる。
「とりあえず、どこか休めそうな宿でも探そうか。君達も一緒にどうだい」
「……そうだな」
 拾い上げた歌聖剣をしげしげと見つめていたリュウメイが、ガルジアが腰に履いている鞘を取ると、収める。
「街も大分静かになったみてぇだ。もう心配は要らねぇだろ」
 夢中で戦っていたがために気づくのが遅れたが、魔物の襲撃は既に止んでいる様だった。
 元々が規模の大きい街であり、そしてサーモストの者達の力量も体験済みである。
 恐らくはローが動いたのだろうと結論付ける。
「ああ、それならサーモスト修道院に行ったらいいんじゃないっすかね? 修道士のガルジアさんなら、きっと大歓迎っすよ!」
「いや、それがだね」
 言い淀んだクロムに、訝る様に二人の視線が突き刺さる。愛想笑いを浮かべながら、一度辺りを見渡した。
 魔物の襲撃に、続くガルジアとの激闘。魔物により人払いがされていたのは幸いだったが、それでも遠くにはちらほらと人影が
行き交う姿が見える。緊急時であり、またガルジアが望むからこそ人助けをしていたが、やはりヘラーの街の住人とて、
未だ信ずるに足るという確信を持つ訳にはいかなかった。ここでの会話が、どこへ流れるとも知れない。
「訳は後で話そう。ここで話すのは、少々憚られる事だ」
「……魔物は南側から襲撃してきた。サーモストの連中も今はヘラーの南側か、サーモスト修道院に多く居るだろうな。
それを避けるんなら、北東へ進んだ方がいい」
「ありがとう、リュウメイ」
 事情を察したのか素早く行き先の検討を付けたリュウメイに礼を言い、クロムは何度か確かめる様に
ガルジアの身体を揺さぶる。そうしていても、ガルジアが目を開ける気配はなく、微かな寝息を上げていた。

 残響が聞こえる。
 憎悪を抱いた一撃を振り下ろし、肉を抉る。
 そうしている事が快かった。どうせ、相手は魔物である。ただの魔物にそれを止める術も無い。
 身体の底から這い上がってくる様な感覚に酔い痴れた。それは切れば切る程、断てば断つ程、
指先から始まり、それは浸潤する。そしてまた、全身を甘美に包んだ。色欲とはまた別の、退廃的な喜びである。
 その感覚に声も出せず、ただ全身を震わせ、被毛が尻尾の先まで逆立っているのを感じ取っていた。
 なんと甘く、抗い難い快さだろう。禁じられた蛮行とは、これ程に自身を滾らせる物だったのか。
 うっそりとその幸福の中に漂っていた頃、不意に人影が現れる。それは、自分の行いを邪魔しようとするかの様に
駆け寄ってくる、酷く鬱陶しい物だった。邪魔をする者を切り伏せる。一人だった気もするし、もっと居た様な気もした。
 白い被毛が赤く染まる。それがまた、打ち震える程の喜びだった。汚れるというのは、こんなにも抗い難い幸福だったのか。
 足元に転がる物を見つめる。切り刻んでしまえば、魔物も人も、そう変わらない。
 赤い髪が見事だった。その髪と、血塗れの身体が。まるで一つの大きな塊の様であり、それはこの、
白色だけの広がる、なんとも味気ない地に咲いた薔薇の様だった。
「あなたがいけないんですよ、リュウメイさん。あなたが私に、背を向けたから」
 歌聖剣を放り投げて、身を屈め、その腕を取り頬擦りする。まだ温かい。そしてこれから冷たくなるその身体。
 ずっと、こうしていたいと思った。しかしやがては冷えて、腐るのだろう。
 動くことのない金色の瞳を見下ろした。赤色の中の、見事なその瞳は、自分を見つめていた。
 目が合った瞬間、急速に世界が消えて、闇に包まれる。次に視界が広がってガルジアが見たのは、薄暗く、
しかしまたしても、白い街の一部だった。
「リュウメイさん……」
 温もりがまだ、残っていた。あの男が残した、最後の温もりが。
 それがどういう物だったのかを理解してゆくと共に、ガルジアは正気に戻り、そして飛び起きた。
 全身が酷く気だるかった。しかし今は、そんな事を気にしている場合ではない。
 毛布を払い除け、そのままベッドの上で身を捩り床へ転げ落ちる。這い蹲って顔を上げた頃だった。
「なんだ。起きたのか」
 扉が開かれ、夢で見たあの男が現れる。赤髪以外には、赤色は見当たらなかった。
「リュウメイ、さん……。どうして、ここに」
 まだ夢を見ているのだろうか。リュウメイは、ガルジアをラライト修道院まで届け、そして自分を置いていってしまったのだ。
「戦ってた時の事は覚えてねぇのか?」
 少し意外そうな顔をしてリュウメイは言う。ガルジアはどうにか上半身だけでも起こし、その姿を目に焼き付ける。
 そして、徐々に思い出す。自分が何をしていたのかを。リュウメイの言う様に、忘れた訳ではなかった、
先程までの夢の中にそれは埋もれていて、一つ一つ、自分の行動を拾い上げる。
 自分は、リュウメイに剣を向けたのだった。
「リュウメイさん……」
「なんだよ」
「お怪我はっ、お怪我はありませんかっ!?」
 その腕を引き寄せ、縋り付く。リュウメイは目を細めて呆れた顔をするだけだった。
「見りゃわかんだろ。ほとんどねぇよ」
 そう言われてもガルジアは確認を止められなかった。深緑と黄土の肌をつぶさに見ては、何事も無いのだと何度も自らに言い聞かせる。
 確認が終えると同時に涙が溢れ出し、ガルジアは泣き崩れた。
「良かった……本当に……。リュウメイさんに剣を向けるだなんて、私……」
 目覚めた今となっては、先程までの夢の内容など、嫌悪以外の感情を抱くものではなかった。
 なんと恐ろしい夢だったのだろうか。剣を向け、それを快いと思うなどと。
 人を殺めて、それが喜びと感じるなどと。
 涙は止まず、嗚咽も止まらなかった。リュウメイが困惑した様に息を吐いているのは、知っている。
 しかしこの胸の内を晒す事も出来ず、ガルジアはただ涙に暮れる以外の行動を取る事も出来なかった。
 不意に腕が引かれ、身体を抱き締められる。夢で感じたよりも、熱かった。夢とは違い、生きているのだ。
「ぴーぴー泣くんじゃねぇ。ガキかてめぇは」
「ごめんなさい、リュウメイさん。私、私……」
 決して打ち明ける事の出来ない蟠りを抱えて、その胸の中でガルジアは泣いた。
 何かを言おうとしたのか、リュウメイが息を吸い込む。しかしそれ以上、何かを口にする事はなかった。
 ガルジアは恥も外聞も捨て、その肩を強く掴んだ。
「ごめんなさい。もう少しだけ……このままで、居させてください」
 背中を何度か、優しく叩かれる。返事としては、充分なものだった。これが、あのリュウメイなのだろうか。
 人を殺める事を気に掛ける素振りも見せず、いつも自分をからかっていた男と、同じ人物だというのだろうか。
 しかし今のガルジアには、それを深く考えている余裕は無かった。込み上げてくる涙が涸れるまでそうしていたし、
リュウメイもまた、動く事はなかった。やがて頬が乾き、呼吸も静かになってきた頃に、ようやくガルジアは身を引いた。
「ありがとうございます、リュウメイさん。もう、大丈夫です」
 距離を置いて、少しだけ笑う。痛々しい笑い方しか出来なかったが、それでも今のガルジアには精一杯の事だった。
「お聞きしたい事、沢山ありますが……今は二人だけで話している場合ではないですよね。
リュウメイさんだけじゃありません。ライシンさんや、クロムさんにも私は……お二人は?」
「ライシンは外の様子を見てる。鬣犬野郎もな。事情は奴から聞いた。待ってろ、今呼んでくる」
 リュウメイが身を離そうとするのを、ガルジアは名残惜しそうに見つめる。引き留めそうになった自分の手を引き、
戒める様に胸へと抱いた。リュウメイはそれを見て、薄笑いを浮かべる。
「そうしてしおらしくしてりゃ、中々のもんなんだがな」
「からかわないでください」
 軽口を言い残して部屋を出たリュウメイは、しばらくするとライシンとクロムを伴い戻ってくる。
 部屋に入ると同時にライシンは布扉代わりの布を垂れさせる。そして何やらぶつぶつと小声で囁き、やがて顔を跳ね上げる。
「これで音は聞こえ難いはずっすよ。……って訳で、ガルジアさん、ご無事っすか!?」
 ライシンとクロムを何度も見比べて、大きな傷を負っていない事を確認すると、ようやくガルジアは満面の笑みでそれを迎えた。
「お久し振りです、ライシンさん! ああ、良かった。皆さん、ご無事だったんですね。本当に、良かった」
「それは私の台詞だよ、ガルジア。無茶をしない様にと、あれだけ言ったのに」
「クロムさん……ごめんなさい。返す言葉もありません」
「しかし、君があれ程強いとは、知らなかったな」
「まったくだ。てめぇ、軟弱な振りして俺を扱き使ってやがったな?」
 恨めしそうに言いながらリュウメイは絡んでくる。その仕草からは、先程までの真摯にガルジアを
受け止めようとする気配は無くなり、共に旅をしていた頃の様に、すぐにからかおうとする。それを見て、
ガルジアは困りながら、しかし心の底では、途方もない喜びを感じていた。
「ち、違います! 私だって、まさか、あんな風になってしまうなんて……」
「あん? なんだその返事は。煙に巻こうってか」
「違うって言ってるじゃないですか! まったく、あなたって人は。しばらく会わなくても、
ちっとも変わらないんですから。意地悪ですね、本当に」
「まあまあ、落ち着くっすよ。とりあえず、席に着いて。ガルジアさんも、床に座ったままじゃないっすか」
 ライシンの仲裁が入る。これもまた、共に旅していた時のお決まりの流れであり、ガルジアを安堵させた。
 各自が席に着き卓を囲む。こうして三人を見つめていると、とても頼もしい味方を得た様な気がする。
 三人が三人とも、並の使い手ではない事はよく知っているのだ。
「どこから話しましょうか。……クロムさん。サーモストの事は、既に?」
「ああ。危うくサーモスト修道院に避難させられそうになったのでね。
君がラライト修道院を出てからの足取りも、大方は。この二人なら、問題無いだろう?」
 頷いて、ガルジアはそれに応える。今更足跡を隠す必要は無かった。リュウメイならば隠そうとすれば臍を曲げるだろうし、
また、隠し通せるものでもなかった。持ち前の鋭さで、嘘など容易く見抜かれてしまう。
「では、細かい説明は要りませんね。……一番聞きたいのは、やはり私が戦えた、という事ですよね。
ごめんなさい。悪気があった訳では無いんです。というより、私もこうなるとは」
「さっきからそう言ってるが、てめぇ、自分がどうなるかもわからずに戦ってたのかよ?」
「そういう詩なんです、あれは。ウル院長が私に教えてくれた、とても嫌な……けれど、私を助けてくれる詩。
歌いたくなんてなかったし、実際、あの時まで歌った事もありませんでした。
あの詩を歌えるのも、私だけだと思います。私にだけ、教えてくれたんです」
 腕を組みながら、クロムが興味深そうに見つめてくる。ガルジアは居心地が悪くなって、顔を伏せた。
「面白いね。君はいつも、詩は誰かのために歌われる。そう言っていたのに」
「あの詩は、そうじゃないんです。あの詩だけは、誰かのためではなく、自分自身のために歌えと教えられました。
誰にも頼る事が出来ず、どうしても死にたくない。そう思った時に歌いなさいと、院長様は」
「あのじじい、とんだ食わせ者だったな」
「それが、あんな事になるだなんて」
 自分でも、ここまでの詩だとは想像していなかった。助かるために歌うのだから、何かしらの力を
秘めているのだという事を漠然と考え、そしてまた、詩を歌うその瞬間は藁にも縋る思いだったのだ。
 それがまさか、見境無く目の前の者に刃を振るう、恐ろしい変貌を遂げる詩だとは、夢にも思わなかった。
 何を思いウルはこれを自分に教えたのだろうか。何れは一人になる。そう確信していたのか。
「話はわかった。どういう詩なのかはよく知らなかったし、見境も無くなっちまう様なものだった訳だ。
……確かに、俺達と居る時に歌う様なもんじゃねぇな」
「しかし、すげぇ芸当だったっすよ。精霊を身に宿すなんて、俺っち初めて聞いたっす。
詩ってのは、まだまだわからない事だらけなんすねぇ」
「私の話は以上です。……ところで、ずっとお聞きしたかったのですが、どうしてお二人がここに?」
 自分の話を終えると、ガルジアが気になったのは、やはりリュウメイとライシンが目の前に居るという事実だった。
 別れて既に数ヶ月は経過し、どこへ行ったとも知れず。時折思い返していた二人が、何故かヘラーに居るのだ。
「観光……じゃないですよね。リュウメイさんが、こんなに厳かな街に来たがるなんて、絶対にありえません」
「よくわかってるじゃねぇか」
「ガルジアさん。俺っち達は、ガルジアさんが心配で追ってきたんすよ」
「私が、ですか?」
「話は聞いたっすよ。ガルジアさんの修道院、無くなっちまったって」
 ラライトの話を振られて、ガルジアは表情を曇らせる。
「その話は今は置いておけ。それよりも、ヤバいのが来てる。……いや、修道院を襲った奴が、そのまま来てるというべきか」
「ど、どういう事ですか!?」
 降り掛かった言葉にガルジアは身を跳ね上げ、思わず卓の上へと身を乗り出す。リュウメイは表情も変えず、
淡々と説明を始めた。召術士であるバインの事。バインがラライトを襲った賊の頭目である事。そのバインが
ガルジアを付け狙っている事。バインとは既に一戦を交えており、決して油断のならぬ相手だという事を告げてゆく。
「召術士の、バイン……。その人が、院長様達を」
「だとしたら、やはりここに長居は出来そうにないな」
 冷静に話を聞いていたクロムの発した言葉に、三名が頷く。
「説明した通り、サーモスト修道院の院長であるローもまた、ガルジアを狙っている。
 片方ならまだいいが、両方を相手になんてしていられないだろう。今はまだ、魔物の襲撃でごたごたしているが。
やはりさっさとここを出るべきだったかな」
「でもそのおかげでリュウメイさん達にも会えましたし。悪い事ばかりでは」
「まあ、確かに。しかし私としては、やはり君が狙われている原因が気になるな。
そこまでして、どうして君を求めるのだろうね。例えば君を一目見て気に入ったというのならまだわかるが、
そのバインという男、話を聞く限り君の容姿すら知らぬ様だし。
そしてここに来て、やはりウル・イベルスリードも気になる。君だけに特別な詩を教えたり、ね。
まるでこうなる事まで見通しているかの様で、気に入らないな」
「院長様は、悪い人では」
「どっちでも構わねぇだろ。死んじまった奴の考えなんざ推理してなんになる。
当座をどうするか。今は、それを決める時だろう」
「兄貴、そんな言い方しなくても」
「うるせぇ。時間は限られてるんだよ。今やるべき事をやらねぇで、何をするってんだ」
「それは、そうっすけれど」
「……リュウメイさんの、言う通りですね。ごめんなさい」
 場を制する様に、リュウメイの言に同意を示す。確かに今は、一連の裏を探っている場合ではなかった。
 サーモスト修道院長であるエフラス・ロー=セイム。そして、召術士である、バイン。この二人の手が、
すぐそこまで迫っているのだ。悠長に構えている余裕は無かった。
「こんな事になってしまった以上、今すぐにでもこの街を出るべきですよね」
「そうしたいのは、山々なんすけどね」
「……何か、あったんですか?」
 ガルジアが尋ねると、三人とも一様に難しい顔をする。
「何かあったっていうか、まあ、あの魔物騒ぎっすよ。
あれのせいで今ヘラーの街は、出入り口にはサーモストの連中がどこも待機してて、簡単には出られないっすよ。
ガルジアさん、修道院の連中には見つかりたくないんすよね? どうしようかって、そういう話もしてたっすよ」
「せめて、あの騒ぎに乗じて、その日の内に街を出てしまえば良かったかな。君の容態がわからなかったから、
どうにも踏み切れなくてね。逆に言えば、この街に大人数で賊が侵入するという事もないとは言えるが」
「その日の内に? ……すみません、私はどれくらい眠っていたんですか?」
「まる三日と言ったところかな」
「三日……えぇっ!」
 今更仰天して、ガルジアは仰け反る。随分と長い間、三人に守られていた様だ。
「だからすぐに出る訳にもいかなかったのだよ。無理に動かして身体に障っては困るし、
そんな君を守りながら旅をするのも、少々現実的ではないしね。一人二人ならまだしも、盗賊団一つでは。
君の行き先の検討を付けていたのなら、今もサーモストの外で出てくるのを待ち構えている可能性があるしね」
「ご迷惑をお掛けしました……。では、結局のところ今打てる手というのは」
「正直なところ、何も無いね。君が目覚めたからといって、街の出入りは厳しく制限されたままだし。
何も知らない者なら通行人を訝る事もないだろうが、ローの息が掛かった者は、当然君が通らないか目を光らせている
というのは、想像するに難くない。我々だけならまだなんとかなるかも知れないが」
「面倒臭ぇな。強行突破でもしちまうか」
「そんな」
 口の両端を裂ける様に開き、嫌らしい笑みを浮かべながらリュウメイは言う。本気の時の言い方ではなかった。
 しかしそれを聞いたクロムは、侮蔑とも苦笑ともつかぬ表情で首を振った。
「そんな事をしたら、もう大手を振って修道院や教会のある街を歩けなくなるし、普段私達が狙っているお尋ね者に
今度は私達がなってしまうよ。リュウメイ」
「なんだよ。サーモストから逃げる時に散々修道士を切っといて、てめぇ今更怖気づいたのかよ」
 負けじとリュウメイも挑発を孕ませた声音で言い返す。この二人は、反りが合わないと思う。ガルジアは、漠然と思った。
「そうじゃないさ。修道士を切ったのは、覚悟の上だったからね。しかしガルジアを手にするために強硬手段に出た事を
公にしたくはないのか、数日が経った今でも大々的に街中を捜索する事を、少なくともローは避けている様に見える。
しかし今ヘラーの街で同じ事をすれば、もはや隠し通す事は出来ない。そうなっては後々まで禍根を残す事になる。
取るべき手段が限定されていたあの時と今では、状況が違う。
このまま警戒が解かれるまでこの街で身を潜める事も、また手の一つじゃないかという事だよ」
「それを怖気づいたと言ってるんじゃねぇか」
「私はガルジアを守ると誓ったからね。ガルジアが後々不利になる様な事も、避けたいのだよ」
 金色の瞳が、少しずつ細められてゆく。それを見て、ガルジアは身を震わせた。
 いつもならリュウメイを諫めるはずのライシンも、今は考えているのか黙ったままである。
「だからそうだね。私はガルジアに意見を聞きたいと思うんだ」
「えっ」
「おお、そうだな。詰まるところ、そいつが許可したなら、正面突破でもいいって事だもんなぁ?」
 二人の視線が、自分へと注がれる。ぎらぎらと光る蜥蜴の瞳と、穏やかながらもその内に激しい炎を宿す鬣犬の
瞳を前にして、ガルジアは息を詰まらせる。思わず、視線を逸らした。
「あ、あの……私は、その……」
 なるたけリュウメイの目を見ない様にガルジアは口を開く。その瞳を見てしまえば、逆らえない様な気がしたのだ。
「……刃傷沙汰は避けるべき、ですよね。ええ。だって、悪いのはロー様であって、大体の修道士の方は悪くない訳ですし」
 小刻みに震えながら、ゆっくり、ゆっくりとガルジアは面を上げる。飛び込んできたのは、如何にも気に入らないとでも
言いたげな、不服そうなリュウメイの表情だった。挫けそうになりながらも、唾を飲み込み自身を奮い立たせる。
 こんな顔を見るくらいなら、神像の前で一日中懺悔をした方が、ずっと気楽である。
「リュウメイさんの案も、有効な手段だとは思います。私のためにここまで来てくれて。それは、本当にありがたい事です。
けれど、無用な血を流すのは、嫌です。クロムさんも言ってましたけれど、リュウメイさん達が
修道院側から必要以上に敵視されてしまうのも、やっぱり、嫌です」
 盛大な舌打ちが聞こえる。代案が無ければ、クロムの案に賛成を示したのと、同じである。
「それに正面突破をして消耗したところで、盗賊団を相手にするのは分が悪いです。ただでさえ私達、数は少ない訳ですし。
ここはやっぱり、落ち着くまで、もうしばらくここに留まった方が。……いい、ですよね? リュウメイさん」
 どうにか宥める様に言葉を選んで口にする。リュウメイは何も言わず、ただガルジアから視線を外していた。
 一応は、わかってくれたのだろう。口にはしなかったが、盗賊団との戦いで傷を受けた時の事もガルジアは心配していた。
 この辺りにはヘラーの様な大きな街という物は存在しない。ここでサーモストと事を起こし、その結果戻る場所を失えば、
それこそ自らの助かる道すらも失くしてしまう。逆に、今のままの状態で上手く行けば、
盗賊団であるバインと、修道院長であるローである。この二人が手を結ぶとは、流石に考え難い事である。
 よしんば通じていたとしても、少なくともローの方は下手には動けない。魔物が襲われた際に話しかけた
サーモストの修道士の反応を鑑みれば、ローの意向がサーモストの修道士の総意ではない事は確かであり、
またローとて、所詮はサーモストを束ねる者に過ぎないのである。少なくとも全てにおいて公平を掲げる中央修道会には
内密にしての行動で、それが露見してしまえば、修道院長のローの立場とて危ういのだった。それこそ、
自らが追い払った、前院長のイラニスと同じ道を歩みかねない。ローは自分がやった事ではないと言っていたが、
今となってはそれも、怪しいものである。あの若さで修道院長の座に居座っている男が、何もしなかった等とは、
流石のガルジアも既に信じていなかった。
「もう少しだけ、様子を見ましょう。それに、私はクロムさんも心配です」
「私かい?」
 考えを纏めると、ガルジアはクロムを心配顔で見つめる。
「本当に身体は大丈夫なのですか? いくら、その身体でも……あんな傷を負って。
普通だったら、死んでいてもなんの不思議もないんですよ」
 筆舌に尽くし難い展開の、連続だった。今になってようやく、ガルジアはクロムが本当に無事なのかという事が
心配になったのだ。無論、クロムのその身体が常人ならざる物だという事は、既に充分過ぎる程に理解している。
 しかし如何に強靭な身体とて、絶対に死ぬ事がない、などという事があるのだろうか。
「大丈夫だよ、私は」
「でも……」
「そういや、てめぇ、随分出血の量が少なく感じたな。あれだけガルジアに切られてたのに、
傷の治りも体調も、良すぎる。あれは、どういう種なんだ」
 割り込んできたリュウメイの言葉を聞いて、ガルジアは少し目を大きく開いてから、クロムへ視線を向ける。
 もしやその身体の事については話していないのかと思ったが、案の定、クロムは視線を絡めると軽く頷いた。
「だが、そこまで見通しているなら、隠しても無駄かな」
 観念した様にクロムは呟く。そして、自らの生い立ちを語る。それを聞いたリュウメイとライシンの二人は最初は驚き、
しかし次第にリュウメイは先程よりも更に機嫌を損ね、その胸の内に赫然としたものを秘めているかの様だった。
 それは、その隣に鎮座するライシンの表情からも察する事が出来た。ライシンは明らかに、リュウメイの様子を見て、
不味い事になったという顔をしているのである。
「不老不死だぁ……?」
「リュウメイさん、いきなりで信じられないのはわかりますが、落ち着いてください」
「ふざけんじゃねぇぞ!」
 激昂したリュウメイが身を乗り出し激しく卓を叩く。その勢いで椅子が倒れ、ガルジアは小さく悲鳴を上げた。
「不老不死なんてもんは、そう簡単になれるもんじゃねぇ。それを、都合良くなっちまっただと?」
「言いたい事はわかるが、事実だ。私は君達の四倍以上は生き続けているからね。
不老不死というのは言いすぎかも知れないが、致命傷でも死なない以上、それに非常に近いと見るべきだろう」
 光が閃く。素早く鞘から抜かれた刃が、いつの間にかクロムの首筋に当てられている。
「リュウメイさん!!」
「その首刎ねて確かめてやろうか。本当に死なないのか、古臭い手段でな」
「さて、どうだろうか。首から身体が出てくるのか、身体から首が出てくるのか。首のまま生きているのか。
それともついに死んでしまうのか。どう転んでも、結構面白そうだね」
「止めてください! どうしたんですか、いきなり!」
「てめぇは黙ってろ!」
 リュウメイに剣を収めさせるためにその腕を掴もうとして突き飛ばされ、ガルジアは尻餅を着く。
 何がリュウメイの逆鱗に触れたのか、先程までとは一変したその粗暴な態度に、ガルジアは混乱する。
 クロムが気に入らない。それは、感じ取る事が出来た。しかし如何なリュウメイとて、ただそれだけで
ここまで憤怒の炎を燃やし、まるで親の仇でもあるかの様にクロムに剣を向けるとは、思えなかったのだ。
 刃のぶつかる音がする。微睡みの中で聞いていたばかりのはずのその音は、随分と久しい様な気がした。
 クロムが剣を抜き、リュウメイの剣を払ったのだった。驚きながら、しかしリュウメイもすぐに構え直す。
「止めてください、二人とも!」
 痛みと気だるさに支配された身体を一所懸命に動かして、ガルジアは二人の間に入る。察したクロムが
素早く剣を引いたが、依然として剣は抜き放たれたまま、クロムの瞳もまた、戦時のそれへと変わっている。
 ライシンだけが、ただ騒ぐ事もなく、仕方ないとでも言いたげな表情でリュウメイを見つめていた。
「退け、ガルジア。そいつが本当に不老不死なのか、俺が確かめてやる」
「嫌です。退きません。クロムさんも、剣を収めてください」
「リュウメイが収めたら、ね」
「……リュウメイさん…………」
 哀願を込めてリュウメイを見つめた。どうしてこの人は、こんなにも今怒りを露にしているのだろうか。
「どうしてそんなに怒っているんですか? 何か理由があるのなら、話してください。リュウメイさん」
 しばしの間、硬直する。覚めたと思った悪夢が、舞い戻ってきたかの様な錯覚を覚える。
 せっかくこうして再び巡り合えたというのに、どうして。ただそれだけを想い、ガルジアはリュウメイを見つめていた。
 やがてゆっくりとリュウメイは剣を引き、鞘へと収めると何も言わず、乱暴に布を退けると、部屋の外へ出ていってしまう。
「リュウメイさんっ!」
 ガルジアはそれを追おうとして、しかし立ちはだかったライシンに阻まれる。
 その瞬間、ガルジアはライシンを睨んだ。初めてライシンに対して敵意を抱いた気がする。ライシンはただ、
悲しそうな顔をしていた。それを見て、ガルジアは怯む。
「すまないっす、ガルジアさん。兄貴は今、ちょっと機嫌が悪くなっちまったっすよ」
「どうしてですか……?」
「……俺っちからは、言えない事っす。今は、日を改めてほしいっすよ。
俺っちと兄貴は、サーモストの南通りにある、聖者の渡し舟っていう宿に居るっすから。
また、落ち着いた頃に。大丈夫、兄貴は、少なくとも今はガルジアさんを置いて、どこかに行ったりは
しねぇと思うっすから。だから、今日のところは」
 ガルジアは乱暴に両目を擦った。いつの間にか涙が滲んでいたのだ。
「わかりました。今度は、私の方から行きます。リュウメイさんをお願いします、ライシンさん」
 体格の良い熊人は、それを聞いて優しげに笑う。いつも見ている眩しい笑い方とはまた違う、相手を落ち着かせる様な笑みだった。
「心得たっすよ。それじゃ、今日はこれで」
 そう言うと、ライシンも部屋を後にする。残されたガルジアは俯いて、ただ床を見つめていた。
 背後から剣を収める音が聞こえて、ガルジアは振り返る。
「クロムさん……」
「私にも、何か言うのかい」
 涼しげな顔でクロムは言う。既に先程までの、傭兵の顔は鳴りを潜めていた。今はただ、
澄んだ瞳でガルジアを見つめている。この男は本当に百年以上を生きたのかと、時々疑いたくなる程に、
こうして澄み切った瞳で自分を見つめてくるのだ。それを見つめていると、ガルジアは二の句が継げなくなってしまう。
「……いえ、そんな事は」
「すまない、少し意地悪な言い方だったね。よくはわからないが、あのリュウメイという男、
不老不死には良い感情を抱いてはいない様だ。もっとも、気持ちはわかるがね。私だって、不老不死に
なったのが自分でなければまず信用しなかっただろうし、それを確かめるために、
常人ならば生きてはいられぬ様な事をしてみようという気にもなる。気味悪がるのも、仕方ないさ」
「リュウメイさんは、確かに気が短い人ではあるけれど、こんな風に怒って理不尽に剣を向ける様な人では
ないはずなんですが……。何があったんでしょうか」
「そうかな。私は、あの男は、そういう男だと思ったが」
「え?」
 何かを知っているかの様な口を利くクロムを、ガルジアは不安げに見つめた。
「君と対峙していた時、あの男はなんの躊躇いもなく、必要なら君を殺そうとしていたよ。
私には、良い印象には見られなかった。元から、そういう男だったんじゃないかい?」
「それは」
 ガルジアの記憶の中にも、リュウメイのその行動は微かに残っていた。
 しかしガルジアは、それがリュウメイの真意の全てだとは、決して思わなかった。
 それは先程まで二人で過ごしていた時のリュウメイを知っているからであり、
またクロムと出会う前までの、いつも自分をからかいながらも、道を示し、
そして最後には自分を突き放して去ってしまったリュウメイの姿を、自分が追っていたからでもあった。
「それは、違うと思います」
「何故?」
「あの人も、クロムさんと一緒なんですよ。本当は、私の事を考えてくれているんです。
そうでなければ、こんな所まで来てくれません。私は、あの人と別れるまで、そんな事にも気づけませんでした」
「君の事を考えて、君を殺そうとした、と?」
「……万が一、私がリュウメイさんやライシンさんを殺めていたとしたら。我に返った私は、きっと
正気ではいられなかったでしょう。皆さんに剣を向けていたと知っただけで、私は涙が止まりませんでした。
リュウメイさんは、それを止めようとしてくれたのかも知れません。例えそれで、私を殺す事になったとしても。
あの人はそうやって、私が辛いと思う事、私の重荷を、勝手に持っていってしまうんです。
口ではいつも私を馬鹿にしているから、ついそれに乗ってしまうのですが」
 クロムは黙ったまま、それ以上の事は言わなかった。ガルジアもまた、リュウメイを必要以上に擁護する言葉を続けようとはしない。
「すみません。私の勝手な思い込みです。けれど、あの人の行動はいつも後になって考えれば考える程、
私のためにしてくれた事ばかりで。だから、私はお礼を言いたかったのに……その時にはもう、いつもあの人は居なくて。
この街に来て、ようやく会えたというのに、やっぱりまた……」
「君の言い分は、よくわかったよ。彼と、長く旅をしていたんだね。君の言葉と、君の表情が、
彼の事を雄弁に物語っている。だったら、明日にでも今度は私達の方から出向こうか。
今日はライシン君の言う通りにしよう。それに、君もまだ目覚めたばかり。身体が辛いだろう」
「ありがとうございます、クロムさん」
「いいんだよ、ガルジア。……君と居ると、本当に退屈しないな。長い時の中で風化して、
忘れきっていた心の機微を思い出す事が出来そうだ」
 話を終えて、再び横になったガルジアは、リュウメイの事を思った。
 こんな所まで自分を追いかけてきた。バインという男との因縁があるとはいえ、やはりリュウメイは、
ただの野卑なだけの男ではないのだ。明日訪いを入れて、話し合いをしようと決めた。
 いつの間にか、自分のために手を差し伸べてくれる人が増えたと思う。
 それに応える事が出来るのだろうか。自分には、何が出来るのだろうか。
 その答えを見つけるよりも先に、睡魔の中へとガルジアは沈んでいった。
 窓の外からは、既に魔物の襲撃を忘れ去ったかの様な、穏やかな日々の喧騒が聞こえていた。

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