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ヨコアナ
17.流れ行く者
長方形の型に切り取られた窓から、通りを歩く人々をライシンは見つめていた。
退屈そうにしていると、声を掛けられ耳を振るわせる。卓の上に焼きたてのパンが置かれた。
「お待ちどうさん。どうしたんだい兄ちゃん、随分退屈そうじゃないか。
もう何日かずっとそうしているね。あんたみたいな若い者が、そうやって時間を潰してちゃいけないよ」
宿の店主である犀の主人が、柔和な顔をして話しはじめると、ライシンは視線を戻してそれを迎えた。
「おやっさん、ありがとっす。いやね、俺っち、流れ者でこういう街は初めてなもんでして」
「ははあ、そういう事か。他所から来ると、このヘラーの街は馴染み難いだろう?
ここは信心深い者が多いからね。兄ちゃんみたいな、見るからに男盛りな人にゃ、向かない街さ。
女を漁るのも、表歩いてちゃ上手くいかねぇぜ」
へらへらと、少し下世話に言った主人に対して、ライシンは苦笑いをし、供されたパンを手に取り、
紫水晶の様に見事な色合いの塗り物を乗せると頬張った。
とろける様な甘さと、芳しいパンの香りが口一杯に広がり、思わずうっとりと目を細める。
この街では肉類の取引もあまり盛んではなく、店で取る食事も穀物類が非常に多かった。
街に来た初日はそれに物足りなさを感じていたが、それも三日目となれば、慣れたものである。
「どうだい、そんなに退屈なら、向かいの宿にある階段を下りれば、賭場もあるぜ」
「はは、俺っちはどうもそういうのには月がねぇもんで」
「そうかいそうかい。まあ、何事も地道にいくのがいいかも知れんな」
そう言うと、店主は手を振り厨房へと引っ込む、ライシンは誰にも聞こえない様に溜息を吐いた。
随分前に別れた白虎の修道士であるガルジア、それを追うバインを更に追い掛け、ヘラーの街に
着いてから三日が経っていた。今のところ、ガルジアの手掛かりという物は見つかってはいない。
行き違いになってやしないかと心配するライシンを他所に、リュウメイは今、先程主人が口にした賭場に居る。
残されたライシンが出来るのは、こうして道行く者達を眺めるくらいのものだった。
もっとも、行き交うのは多くは白いローブを身に纏った者である。
ガルジアも目立つのを避けようとするのならば当然同じ格好をしているので、ともすれば見逃してしまいそうで
目を凝らすが、流石にそんな日々が続くと、段々とどうでも良くなって、結局リュウメイが戻ってくるまで
だらだらと時間を無駄に潰しているのだった。
そもそも、自分は別にガルジアの事など大して気に掛けてもいなかった。リュウメイが言うから、付いてきているだけである。
「だのに、兄貴ったら。捜しもしないで賭け事だなんて……ああ、ありゃあ女房になったら苦労するっすよ。
俺っちもいつか兄貴の手綱をしっかり握れる男になるっすよ」
ガルジアを求めるのならば、それこそサーモスト修道院へ訪いを入れるのが一番ではあるが、
これもやはり教会にガルジアについて尋ねた時と同じで、自分達の様な胡乱で、身元も不確かな者にそれを教えは
しないだろうというのは、容易に想像出来る事であった。
結局出来るのは、サーモストへ続く大通りの道に面した場にあるここで、日がな一日通行人を眺める事だけである。
しかしそれもそろそろ我慢の限界だった。ライシンも荒くれとまでは言わないが、規律を重んじる空気というのは苦手な性分なのだ。
パンを平らげ水を飲み干すと、会計を済ませて店を出て、そのまま向かい側の宿へと入る。
「おかえりなさいませ」
三日目ともなると、従業員にも顔を覚えられる。それに応えると、ライシンはそっと、宿の正面からは目に付かない
所にぽっかりと穴を開ける様に作られた地下へ続く階段を見遣る。
「お連れ様でしたら、まだ下から戻られていない様です」
「そりゃ、どうも」
地下へ続く階段へと足を踏み出す。土を削り固められた、少し長い階段を下りる度に、外の喧騒は遠ざかり、次第に空気も
ひんやりとした物へと変わってゆく。
サーモスト修道院のお膝元と言っても差し支えないヘラーの街は、第二聖都と呼ばれるだけあり、
町並みは白に塗り固められ、背の高い建物を建てる事は禁じられ、いつでもサーモスト修道院を臨む事が出来る様にされ、
規律を重んじる、はっきりと言えばつまらない、窮屈な街だった。信心深い者にとってそれは楽園の様にも見えるのだろうとは思うのだが。
しかしどんな者にも他人には曝け出せない一面がある様に、この街もまた、持ち得る顔は一つではない。
薄暗い階段を下り、少し広く作られた部屋には何人か男の影が見える。それに注意を払う事もせず、ライシンは
目的の扉へと向かった。分厚く、重い扉の取っ手に手を掛けると、ゆっくりとそれを開く。
途端に、その中から歓声と怒号が耳に飛び込んでくる。
薄暗さはそのままに、その中では男達が卓を囲み、女は着飾り色目で金の臭いのする男を誘惑し、
幸運の女神に微笑まれた者は歓喜し、見捨てられた者は落胆の声を上げる。そういう世界が作り上げられていた。
それはさながら、表と裏。それぞれにまったく別の装飾を施した硬貨を裏返した様に、
地上の厳かな空気などここでは欠片も残らず、今はただ、怪しい香りがこの地下の一室を埋め尽くしていた。
常ならば賭場とは夜の顔であり、昼の今は鳴りを潜めるというものだが、そこは何せ、サーモストとヘラーである。
昼間の間、陽光に照らされた白亜の街は荘厳な空気を持って人を迎えるが、夜ともなれば、陽光の代わりに
青白い月に皓々と照らされ、神秘的で、犯し難い、壮麗さを見せ付けてくる。
故にこの街には昼と夜などという区切りが無く、ただ硬貨の表と裏、それのみが存在し、
表からは裏の様子が見えない様に、人の表情が一つではない様に、地下深くにて別の表情をしてライシンを迎えていた。
「悪かねぇですが……今は、そんな気分でもないっすね」
しばらく、賭場の光景をじっと見つめる。壁際には賭場に興じる男達の、盗まれても差し支えの無いどうでもいい荷物が置かれている。その中に
修道士の証である白いローブも含まれているのが、なんとも滑稽で、しかし同時に親しみをも感じさせていた。
目的の人物を目敏く見つけると、それ以外には目もくれずにライシンは歩を進める。
壁から続く別の通路の奥からは、獲物を見つけた女の嬌声が聞こえる。
あまりにも堕落したこの世界は、まるで自分こそが表なのだと言いたげに、規律や道徳、そんなものは
かなぐり捨て、ただ人を妖しく誘う、退廃的な様子を見せていた。
その世界に耽溺する者達の中であっても、ライシンは目的を見失わないし、またその目当ての人物も同じであった。
薄暗い中にある緑、それだけなら少し珍しい被毛の色と言ったところか。しかしそれは被毛ではないし、
その緑を割る様に、鮮やかな長い赤髪が垂れ下がり、薄暗がりの中で揺れ、道に迷った者を導く蝋燭の炎の様に輝いて見えた。
その姿はどこに居ても目立つし、またその男は賭場の中に置いても、
決してその空気に呑まれる事もなく、ただ飄々と、まるでそこが彼の生まれついた場所でもあるかの様に、
平然と賭博に興じていた。
「兄貴」
卓に着くその背に声を掛けると、リュウメイの傍に居た女達がさっとリュウメイから距離を置く。
どの道リュウメイが女に靡くとも思えないが、リュウメイのその珍しい種族と、鍛え抜かれた肉体に、常ならば金の臭いのみを
嗅ぎ分ける事に尽力している女達も、引き寄せられている様だった。
最初は急に現れたライシンを訝しむ様に見ていた女達だったが、それがリュウメイと行動を共にしている男だとわかると、
今度は一遍し艶然として笑みを浮かべる。思い思いに纏った香水の臭いが漂い、ライシンは内心盛大な舌打ちをする。
「悪い虫がついちまいますねぇ」
誰にも聞こえない様に呟く。もっとも、自分の前に居るリュウメイには聞こえているのだろうが。
「兄貴、いつまでこうしてるつもりっすか」
「あぁ、てめぇか」
顔を上げたリュウメイは、まるで今自分に気づいたとでも言いたげな様子で、ライシンを迎える。
その前には既に銀貨の詰まった革袋が四つは並べられていた。今日はどうやら、調子が良い様だ。女が纏わりつくのも頷けた。
元々金に関してはどちらかが預かるという事もせず、思い思いに手にしている状況である。
仮に全て失おうともライシンは金を持っているのもあって、強気に出ているのが功を奏しているのか、
今のところリュウメイは大きな負けもなく、この三日を過ごしていた。
とはいえ、三日も続けは賭博の経験の浅いライシンとて、流石にリュウメイが何をしているかはわかってくる。
「兄貴、そんな事ばかりしてると、簀巻きにされて捨てられますぜ」
「何言ってんだ。俺はイカサマなんてしてねぇよ」
「まあ、大体はそうなんでしょうけれど」
戦闘、こと対人において絶大な強さを発揮するリュウメイの武器は、一つはその眼の良さにあった。
相手の表情一つでそれを見透かし、何が必要かを見分ける事が出来る。
賭場で鍛えた連中とて、顔に出さぬ術は当然心得ている。
しかし戦いに身を置いているリュウメイは、顔だけではなく、その身体の動き、息遣い、
相手の態度がそれまでと何か違ったか。所作に不審はないのか。同じ所作であっても、それに移るまでの時間の違いもある。
その全てを、リュウメイは見てしまう。命のやり取りにおいて十二分に発揮される天賦の才は、こんな所でも役に立つ様だ。
ガルジアが居た頃は、その能力をガルジアをからかう事に注いでいたが、本来の使い方をすれば、こんな芸当も可能である。
「似た様な物じゃないっすか。出入り禁止食らっても、知らないっすよ」
「何、そうなったら別の店に行くさ。幸い賭博にお盛んなアイラスの不夜城とは違って、
表立ってやれないせいか、この街は店同士の繋がりも希薄みてぇだからな。まあ、これで機嫌直せよ」
そう言って、銀貨の袋を一つ差し出してくるのを渋々とライシンは受け取る。リュウメイが動かず、
外でガルジアを待っている自分は金を調達しに行く事も出来ずに居るのだ。これで当分の宿代にはなるし、
この後リュウメイが負けてもほとんど問題は無いだろう。
再び配られた二枚のカードをリュウメイは拾い上げ、しかしそれに対してはほとんど注意も払わずに卓を囲む
男達に眼を光らせる。そうしている間にゲームは進み、やがて最後の時が近づいてくる。
ふと、ライシンは妙な気配を感じて神経を研ぎ澄ます。卓を囲む一人から、微量ながらに魔力を感じ取ったのだ。
「……兄貴。あいつ、イカサマしてるっすよ」
「遊び過ぎたかな。さっきから負け続けだから、魔が差したんだろうよ。今回は下りるか」
そう言うリュウメイの姿をしばらく見つめてから、ライシンは思い立って掌で口を覆う。
「兄貴、凄いっす! これなら!」
「バーカ、そんな事言ったら周りが下りちまうだろ」
突然の言葉に、リュウメイは然程驚いた様子も見せず自然な返しをする。実際、リュウメイの手札は
場にある物と合わせると、良い物だった。しかしそれを聞いた周りは、訝しむ表情をする。
「まあ、お前がそう言うんなら、勝負してみっか。そら」
リュウメイが無造作に卓の中央の銀貨の袋をまるまる一つ置く。それを見てざわざわと男達は騒ぎ、
すぐに勝負を下りる者が出はじめた。残ったのは数名で、先程の魔力を見せた男も残っている。
掛け金が揃うと、一斉に手札が公開される。男の勝ち誇った様子もそ知らぬ顔でリュウメイはカードを出していた。
ライシンは男の手がカードから離れるのとほとんど同時に、指の隙間から息を軽く吹きかける。
一瞬だけ籠めた力は他の者に気取られる事もなく、そのまままっすぐに進むと男の置いたカードの上を通り過ぎる。
すると、どうだろうか。にわかに場が騒然となった。
「おい、なんだこりゃぁ!?」
残った参加者が声を上げる。男の目は驚愕に見開かれていた。出されたカードの表面から、薄い絵の描かれた紙が剥がれたのだ。
それは魔法で貼り付けた、カードの絵柄だった。ライシンの力で、それはいとも容易く主の力から開放されていた。
「なんでぇ、大枚叩いたってのに、イカサマかよ」
状況を見守っていたリュウメイが、興が削がれたと言いたげな声を上げる。
一部始終を見守っていた配り手の男が眉を顰めると、少し低い声で人を呼んだ。そのまま、がたいの良い男達に囲まれて、
ケチな男かどこかへと連れ去られ、後には参加者だけが取り残される。
「おい、こういう時はどうなるんだよ?」
「そうでございますね。今の男を抜きにして、勝者に全ての掛け金をお渡しします。この場合は、あなたですね」
「そうかい、悪ぃな」
「とんでもない。まだ、続けられますか?」
「いや、今日はもういい。白けちまったからな」
そう言って、リュウメイは掛け金の銀貨の詰まった袋を自分の出した分も含めて四つ受け取り、にたにたと
笑いながら席を後にした。
「助かったぜライシン。あいつら、俺があんまりにも勝ち続けるもんだからって、中々抜けさせてくれなくてよ。
ずらかる良い理由にもなったぜ」
店を出て階段を上り、宿へ戻ってくるとリュウメイが上機嫌で言う。
「兄貴、気をつけてほしいっすよ。恐らくあのイカサマした奴は」
「運営側とグルだったんだろ? わかってるよ。済ました顔して面子が潰れねぇ様にしていたが、
内心は相当悔しかったろうな。この賭場はもう使わねぇし、宿も今日は別の所にするか。
どうせ、観光用にサーモストへ続くこの道にゃいくつでも宿なんてあるしな。遊びは控えた方が良いかも知れねぇが」
如何に店同士の繋がりが希薄とはいえ、勝ち逃げの状態であっては、リュウメイの参加を断られる可能性があった。
見た目が目立つから、既にこの宿の賭場でリュウメイは噂になっているのだ。
宿を引き払うと外に出て、ぶらぶらとリュウメイは歩き出す。ライシンはその隣に付いて、肩を慣らす様に腕を回した。
「ガルジアさん、来ないっすね」
「おお、そうだ。忘れてたぜ。その、ガルジアについてだ」
「何かわかったんすか?」
リュウメイが得意気な顔をして、銀貨の詰まった袋を弄ぶ。そうしていると、自分とほとんど変わらない歳の様にライシンには見えた。
「俺だってただ賭場で遊んでた訳じゃねぇんだぜ? 表立って白虎について聞き回るなんて事は出来ねえ、あいつが修道士じゃなければ、
まだなんとかなったんだがな。まあ、それはいい。どうも、今朝方その白虎様がヘラーの街を歩いているのを見たっていう話だ。
単なる噂話ではあるが、何も情報がねえよりはマシって事だな」
「今朝……兄貴、それなのになんでのんびり博打なんぞ」
もたもたしていてはガルジアを見失ってしまうと、ライシンは詰め寄る。そうしてもリュウメイは少しも焦ったり、
急いだりする様子を見せはしない。そういう態度だから、ついつい興味の無いはずの自分が手を出してしまう、という事が続いていた。
「宿に泊まるのならまだしも、あいつはどうせサーモスト修道院に行っただろ。
当然、サーモストにはあいつの居た修道院襲撃の報は既に届いてるだろうから、少なくとも白虎の修道士を探しに来た奴なんて
下手したら街からも追い出されかねねえだろ。焦ってどうにかなるもんじゃないんだよ」
「そりゃ、そうかも知れないっすけど。それでガルジアさんがもうこの街を出ていたら、どうするつもりなんすか」
「まあ、待てよ。いくらなんでもまだ昼、サーモストはあの山道も考えりゃ結構時間は掛かるし、サーモストに行ったとしたら、
今頃はあの中だ。そんで、長旅をして帰る場所も失っちまった修道士様だからなあいつは。サーモストの連中も、
おいそれとは帰さねえだろうよ。よしんば帰しても、サーモスト近くで待ってりゃ会えるって寸法さ。
俺はどうせ引き止められて、出てくるのは明日だと踏んでるがな」
先程までの宿からは離れ、街の中心、サーモストへ至る道の近くにある宿へ入る。柔和な表情の店主が二人を出迎えた。
「いらっしゃい。聖者の渡し舟へようこそ」
「二人、空いてるか」
「ええ、勿論。うちはお題は入る時と出る時、半分ずつ頂戴いたしますので……」
男の言葉を聞かず、リュウメイは銀貨の袋を一つ卓の上へと放り投げる。
「面倒だ。適当に引いてくれ」
「……畏まりました。奥から二番目の部屋をお使いください。夕食もお運びいたします」
「ああ」
部屋の中へ入ったリュウメイをライシンは追う。部屋の入り口には扉代わりの布が吊るされており、それを閉じると
垂れ下がった紐を左右にある返しの部分で結ぶ。先程までの宿でもこれは同じであり、それはヘラーの表向きの治安の良さ
を表していた。結ぶ際にライシンは紐に細工をする。無理に破られた時に、派手な音を上げる、ちょっとした悪戯だった。
「そんな上手く事が運ぶんすかねぇ……」
二人きりになったのを確認してから、話の続きをライシンがぼそりと呟く。
「なんだよライシン。大体てめぇがちゃんと見張ってればな」
「それを言うなら兄貴っすよ、兄貴。遊んでないで、ちゃんと交代制で見張ってくれれば良かったっす。
大体置いてった男を今更追いかけるなんて、兄貴らしく……」
言いかけて、ライシンは押し黙る。リュウメイの瞳が怪しく光り、自分を鋭く見つめていた。
「ほぉ、てめぇはそんな風に俺のやる事を思ってたって訳か」
「だって、そうじゃないっすか。あんなにべったりして、そっぽ向かれて。結局修道院に置いてきたのに、
今になって捜したりして。俺っちだって、何も兄貴のやる事の全部を納得している訳じゃねえっすよ」
「何度も言うが、そうやって不満に思うならてめぇは来なくとも」
リュウメイの言葉が途切れる。ライシンは黙ったまま、その身体を抱き締めていた。
自分と比べればか細い身体は贅肉一つ無く、しなやかなものだった。被毛が無いのが、それに拍車を掛ける。
胸の内に抱いて、身体を弄る。艶やかな蜥蜴の肌は、少しざらつく様に出来ているのか、撫で付けるライシンの
指先を引き止める様に引っかかっては、ライシンを誘惑する。
リュウメイは特に何も言わず、されるがままだった。ただその瞳だけは変わらずにライシンを射抜いている。
「……大分傷も癒えたみたいっすね。これなら、もう問題ないっすよ、兄貴」
苦笑すると、見え透いた言い訳を口にしながらライシンはその身体を開放した。
名残惜しげにその身体を見つめる。もうすぐ、きっとガルジアに出会える。そうなったらまた、
こんな風には触れる事も出来なくなるだろう。
普段は特に反応を示す事もないリュウメイだが、それがガルジアの前となれば、別である。
「お身体、大事にしてほしいっすよ、兄貴。兄貴には、まだやる事があるんでしょうから」
「てめぇに何がわかるってんだ」
「……そうっすよね。俺っちは、兄貴の苦労はわからねえっすよ」
少し寂しげに言い、その日の話は終える。蝋燭の灯火を吹き消すと、それぞれ別のベッドへ横になる。
いつもならリュウメイに飛びつくところだが、今日はそれもしなかった。
暗がりに、窓から光が射し込む。空に輝く月の光を、街の家々が反射させて、外は夜でも明かりが要らぬ程に
視界が良いのだという。聖都と呼ばれるだけあって、ヘラーの夜は、穏やかだった。
当然、地下深くでは昼夜を問わずにあの堕落した世界を抱えているのだが、それは決して表に出る事はなかった。
背を向けて眠るリュウメイの見事な赤髪を、いつもとは違い蠱惑的に月光は照らし出す。
思わず、それに手を伸ばした。ベッドの間は離れていて、届かぬ事はわかっている。
こうして、手を伸ばして、しかし決してそれを掴む事もなく、時間は過ぎてゆくのだろうか。そしてやがて、あの男が
戻ってくる。リュウメイをたぶらかす、あの白虎の男が。
ライシンは思わず苦笑した。ガルジアは何も、そんな事をしている訳ではなかった。しかし、あの白虎に魅せられぬ者が居るのだろうか。
幸運の証だとか、そういう事ではなかった。あの白く、何にも染まらぬかの様な心。それがそのまま現れたかの様な、雪の様に
純白で、美しい被毛。しかしそれだけでは終わらぬとでも言いたげに敷かれた、普通の虎人よりも幾分薄い、薄茶の縞模様。
瞳の色も異なる。透き通る様な空とも、深く沈む海とも形容できる、青玉の様なその色。
柔らかな獣毛の手触りも、やはり早々あるものではなかった。虎の被毛は、普通はごわごわとしていて、
あまり手触りが良い物ではない。
それと比べれば、自分はなんとつまらないのだろうと、ライシンは途方に暮れるしかなかった。
元々は名も無い村の、ケチな貧民から産まれた嫡男である。
体格の良い熊人。それ以外に、なんら特徴など持ち合わせてはいなかったし、
ガルジアと比べれば、その差は歴然としていた。ガルジアが聞いたら、怒るだろうとは思うのだが。
家族を殺され、無力を嘆いた後は武道を学びはしたし、魔道の才能もあると知るや否や法術都市にまで赴き、
金に代えられる物は全て売り、学費に充て、寝食も忘れて鍛錬に明け暮れもした。その結果、充分な力を得る事も出来た。
しかし、それでは足りなかったのだ。白虎として生まれつき、そして清いままに育てられたあの男には、適うことはない。
追い求めてついに見つけたリュウメイは、出会って日の浅いガルジアを見ていた。
無論、リュウメイとて人を見る目はある。そのリュウメイに傍に置かれるという、それだけでライシンには充分だった。
しかしそれもガルジアが現れるまでである。何も出来はしないはずの者に、自分の場所を脅かされる。
それが、ライシンには酷く理不尽に感じられた。家族を奪われた時と同じ様な心境だった。
蹲って、瞼を閉じる。こんな気持ちを早く追い出してしまいたかった。ガルジアの事を嫌いになりたいのではなかった。
自分は自分の本懐を遂げれば良いと、必死に言い聞かせる。そのためにリュウメイをやっとの思いで捜し出したのだから。
それでも思い返されるのは、初めてリュウメイと出会ったあの瞬間の事であった。
賊に襲われて難儀していたところに現れたリュウメイの、心底戦いを楽しもうとするかの様に見開かれた目。
赤髪を振り乱し、それと同じぐらいに血飛沫を上げる。獰猛な一頭の獣の様な男だった。
その瞳に射抜かれた時の、電撃を浴びたかの様な感覚。その姿に見惚れた。
その時になって、ライシンは漸く気づいたのだった。
非力を嘆き、一人でも生きてゆける様にと武道と魔道を学び、貪欲に、直向に強くなろうとしていた自分が、
本当は、ただ誰かに守ってもらいたかったのだという事に。強い男を仰いでいたい事実に。
いつの間にか月は隠れ、室内は闇に覆われる。既に、リュウメイの赤髪も見えなくなっていた。
遠くから、朗々とした鐘の音が聞こえる。いつの間にか振り出した雨の立てる雨音を押しのけて、鐘は鳴り響く。
ライシンがそれに気づき瞼を開いた時、既にリュウメイは身支度を済ませて窓から外を窺っているところだった。
「兄貴、こいつは」
「黙ってろ」
朝の光に照らされたリュウメイは無表情に答える。まだ陽は昇りきってもいないが、
この白亜の街の中では、僅かな光ですら朝の訪れを告げる光源としては充分だった。
懸命に音を拾い上げようと、リュウメイが無防備に双眸を閉ざす。ライシンも同じ様にしてみると、
先程聞こえた鐘の音と、遠くからのざわめきが聞こえた。朝を告げるには少し早く、そして余りに急な連打である。
危険を知らせるためのものだという事はそれで充分に理解出来た。
「どうやら魔物の闖入みてぇだな。それも、これだけ騒ぐって事は、結構な数」
「そりゃ、おかしいっすね」
ベッドから飛び起きてライシンも身支度を整える、解いていた帯魔布の白布を腕に巻き、腕を組んで思考に耽る。
「ヘラーの街って言やぁ、信仰を抜きにしてもこれだけでかい街な訳っすから、当然外周には魔物が近づかねぇ様に
魔力のある物は置かず、また魔物の嫌いな臭いを発する物を配し、ついでに自警団だって一定の担当区域があるにせよ
居るでしょうに。これだけの騒ぎと来たら、当然そいつらを突破したって事っすよね」
「最近魔物に関しては良い噂も聞かねぇからな。大方、何かしらの影響でもあったんじゃねえか」
「それで兄貴、どうするっすか」
袋を背負い、忘れ物の確認も済ませるとライシンはリュウメイの支持を待つ態勢に入る。
「ずらかる。……と、言いてぇがな。普段ならそうするんだが、それじゃなんのためにここに来たのやらって話になる。
仕方ねぇな。しばらく様子を見るか」
「もしガルジアさんが来るのなら、やっぱりここがどうにかなっちまうのは困るっすよね。
ここ以外、俺っち達は頼りもない訳っすし」
「そうだな。バインの奴に先を越されかねない」
短く話を終えると、宿を出る。遠くに逃げる人々と、ぽつりぽつりと魔物の姿が見える。
「もうこんな所まで来やがったか」
「時間が悪かったっすよ。これが昼間なら、それこそサーモストの担当っすけど」
「丁度良い。面倒事ばかりでイライラしてたんだ。鬱憤、晴らさせてもらうぜ」
剣を抜き放ち、リュウメイが身軽に駆け出すのをライシンは見送る。
荷物のある手前、自分は深くは戦闘には加わらない。必要なのは、この場所を守る事である。
振り返り、サーモストの山を見上げる。不気味な程に、その山と、その上に鎮座するサーモスト修道院は静まり返っていた。
あの修道院にガルジアも居るのだろうか。易々と招かれ、贅沢な持て成しでも享受しているのか。
「……兄貴」
身を翻しながら魔物を切り捨ててゆくリュウメイを、ライシンは見つめる。
「住む世界が違うっすよ。俺っち達と、ガルジアさんじゃ」
掌に力を籠める。白布は輝き、身に宿していた模様を魔力に変えそれを主へと戻しはじめた。
「いや、それも違うっすね。兄貴もやっぱり……」
無造作に力を解放すると、一陣の風が巻き起こる。それで、少し離れた場所に居た犬型の魔物は身を切り裂かれ、
悲鳴を上げながら家屋の壁に激突する。真白な壁に、赤黒い装飾を施してライシンの放った邪法は消えた。
辺りを見渡しそれ以上の新手が居ない事を確認すると、ライシンは一度宿へと泊まる。
聖者の渡し舟はしんと静まり返っている。既に店主と他の宿泊客は逃げ出して、当にサーモストにでも篭っているだろう。
「ちょいと失敬するっすよ。まあ、金は充分払ったから、許してほしいっす」
厨房へ入り込むと、杯と水を取り出し、注ぐ。それから干し肉をついでにくすねて、それを宿の入り口まで持ってくると、
客の応対のために使っている宅の上に置き、ライシンはどっかと椅子へ腰掛ける。
しばらくすると粗方掃除を終えたリュウメイが、返り血を浴びて帰ってくる。その頃になると雨は止んでいたのか、思っていたより
リュウメイは雨に濡れてはいなかった。その代わり、血に塗れてはいたのだが。ライシンが黙って手拭いを差し出すと、
血を拭い、役目を終えたそれを放り投げてから、卓の上に置いた水を飲み干す。
「怪我は」
「する訳ねぇだろ。こんな奥までは、そうそう来たりしねぇからな。外側に行くってなら話は別だが」
ガルジアを待っている手前、そうする事が出来ずにリュウメイは舌打ちをする。
「ガルジアさんもまだ見えないっす。外走ってるのは、さっきからサーモストに避難する連中ばかりで」
「こりゃ、見当外れかも知れねぇな」
「ここまで来てそりゃないっすよ兄貴」
たわいないやり取りをしていると、遠くから避難を呼びかける掛け声と共に、揃えられた足音が聞こえてくる。
揃って窓から外を見ると、武装をした集団が、サーモストの方角から行進をしている様だった。
その一団を先導する獅子人の男の表情は厳しく、苛立った様子を滲ませている。
「あなた達、何をしているのですか。早くお逃げなさい」
一行に目敏く見咎められ、その内の一人が声を上げると視線が一斉にこちらへ向く。
「何、ちょっとした慈善活動だ」
ライシンが何かを言うよりも先にリュウメイが席を立ち、返答をする。それで、獅子の男はリュウメイをじろじろと見つめては、
やがて得心がいったのか、小さく頷いていた。周りの者を腕で制止すると、男は前に出る。
白いトーガを纏った精悍な顔付きの獅子人は、少しぎこちない仕草だった。恐らくはトーガの下に
防具も装備しているのだろうとライシンは見る。
「魔物の相手をしていたのですね。ご協力、感謝します」
「俺達も今はここを動きたくなかったんで、構やしねぇさ」
「……あなた達、周辺の警戒に当たってください。何かあったら、すぐに報告を」
一度獅子は手下に指示を出すと、それぞれが仕事へ行くのを見送ってから再びこちらに向き直る。
「その返り血……随分腕が立つのですね」
「そりゃ、どうも」
「あなたの様に腕の立つ者が、我が修道院にも居てくれたら助かるのですが」
男が溜息を吐く。しかしライシンはその仕草よりも、男の言葉に慌てて席を立ち、リュウメイの隣へ駆け寄った。
「我が修道院……? っていうと、もしかして修道院長さんっすか? あ、いやいや。修道院長であらせられますか」
「おっと、申し送れました。わたくしはサーモスト修道院長、エフラス・ロー=セイムと申します。お見知りおきを」
「おおっ、こんな所でこんな偉い人に……俺っち……じゃなかった。俺はライシンと言います」
「そちらの武人は?」
「…………リュウメイ」
「そうですか。リュウメイ様と、ライシン様。お二人ともしっかりとした実力を持っておられるのですね。
リュウメイ様だけかと思っていましたが、今見るとライシン様も、中々に強い魔力を感じます」
ローの言葉に、ライシンはちょっとはにかみながらもロー自身を観察する。
修道院長としては若すぎるその容姿とは裏腹に、その身に秘めている魔力はかなりの物だと思う。
「そうだ兄貴、この人に訊いてみるってのはどうっすか?」
「……そうだな」
「何か? そういえば、ここを動きたくなかったと先程言われましたね。その事と何か、関係が?」
ローの物言いに、リュウメイが僅かに睨みを強くする。
「いや、魔物が出ているのに自衛の連中が少ないから、それを気にして動けなかっただけの事だ。
修道院の連中が来たのなら、もういいだろう。俺はそろそろ引かせてもらうぜ。
なんせ、夜明けからこの調子でな」
「それは。お疲れでしょう。よろしければこのまま山道を登り、サーモスト修道院へ。
安全に休む事が出来る様に手配はしています。それでは、私はこれにて」
胸に右手を当て深々と礼をするとにこりと笑いローはその場を後にする。そのまま周りを魔物が居ないか
隈なく探し、少しずつ街の外側へと姿を消していった。
「兄貴、いいんすか? ガルジアさんの事、訊かなくて」
ロー一行を見送り、踵を返してサーモストの山を見上げながらライシンは呟く。
「ああいう目敏い奴は好かねぇんだよ」
「またそんな事言って……」
「いいじゃねぇか。サーモスト修道院に行けって言われたんだ。連中の中にガルジアは居なかったし、
これで堂々とサーモストに入れるってもんだ」
「それはまあ、確かに」
準備を済ませて南大通りをサーモストへ向けて北上する。
元々山道までそれほどの距離がある訳でもない。その入り口では、既に大勢の住民が避難目当てでサーモストの
山道を登ろうと詰め掛けていた。
リュウメイがその中に加わろうとするよりも先に、ふと何か小さな物がリュウメイにぶつかる。何事かとライシンは身構えたが、
すぐに元の姿勢に戻る。ぶつかってきたのは、猫人の少年だった。
「なんだ、おい」
子供相手でもまったく態度を変えずに声を掛けるリュウメイに、ライシンは苦笑いを零す。
子供は子供でそんなリュウメイを見て身を竦ませて、涙を滲ませていた。口を開けてはいるが、恐怖からか声が出ない様だ。
「あーはいはい、兄貴はどいたどいた。そんな怖い顔してちゃいけねぇっすよ」
「ぶっとばすぞ」
リュウメイの腕を無理に引いて、代わりにライシンは屈み込み、子供となるたけ目の高さを合わせようとする。
「どうしたっすか? おいちゃんで良ければ、話を聞くっすよ」
満面の笑みを湛えて声を掛けると、子供は涙を拭いながらも落ち着いたのか、少し表情を緩ませる。
後ろからリュウメイの心底呆れたと言わんばかりの笑い声が聞こえたが、聞かない振りをする。
「お兄ちゃん、助けてほしいの……」
「おうおう、助けるっすよ。俺っちで良ければ」
「ううん。熊のおじさんじゃなくて……。白虎のお兄ちゃん」
「えっ」
「おい」
ライシンの肩に手を置き、リュウメイが顔を突き出してくる。
「どこでそいつを見た」
「兄貴、下がって下がって。怖がってるっす」
ぬくもりを惜しみながらも、話が進まないとリュウメイをライシンは押し返す。
「白虎の兄ちゃんっすか……どうしてその兄ちゃんを?」
再び浮かんできた珠の様な涙を拭い、少年は俯く。
「お兄ちゃんが僕の事助けてくれて。ここで待ってたら、お母さんも来てくれたけれど。僕、お兄ちゃんが心配で」
「ははぁ、そういう事っすか。勿論、そのお兄ちゃんも助けるっすよ。それで、お兄ちゃんはどこに?」
「僕の家、あっちの方だから。きっとまだ、向こうに」
そう言って小さな、ふわふわとした指先は東を指す。リュウメイが即座に走り出すのを見て、ライシンも慌てて立ち上がる。
「了解っすよ。それじゃ俺っち達が行くから、早くサーモストへ避難するっすよ」
「……うん」
腕を振りながらライシンは全速力でその場を後にする。先を走っていたリュウメイが速度を落とすと、隣へ付いた。
「ガキの証言か。つくづくあいつは、手懐けるのが上手いな」
ディヴァリアでの事を思い出す。あの時も拉致されたガルジアの事を知らせてきたのは、ガルジアが面倒を見た孤児だった。
「急ぐっすよ兄貴。ガルジアさん、今は一人みたいっす」
「街に着いたから、一緒に居た奴とは別れたのかもな。戦えもしねぇ癖に、相変わらず面倒起こしやがる。
さっさと逃げればいいんだがな」
それをしないから、気に入っている。そう言わんばかりに、リュウメイがにやりと笑うのを、ライシンは見つめていた。
白亜の街を駆け抜ける。足早に駆けてゆく内に、華やかな南通りとは違う、無機質な白色で整えられた、
簡素ながらも美しい町並みが常ならば見られただろうが、崩壊した壁から除く家々の中が見える事で今は
少しだけ別の色を孕んでライシンを迎えていた。
走る内に、魔物の死骸が目に付く様になる。サーモストの者達が来たばかりのところを鑑みるに、
街の者か誰かがそれを迎え撃ったのだろう。
街中へ視線を送る。惨状などは、今更目に留まる事もなかった。ガルジアが一人だとするのならば、
あまり時間の余裕は無かった。詩を歌う事以外、満足に戦う事を知らぬ男である。三人で旅をしていた時も、
自分は詩を歌い、あとは後ろに下がって様子を見ている事が多かった。それは、ある程度時間が経てば
精霊の力が弱まり、再びガルジアが詩で鼓舞しなければいけないという事情があったのだが、
それを差し引いてもガルジアの戦闘能力は無いに等しかった。男だから力が無い訳ではないが、
体力が無いし、何よりも戦う覚悟という物を持つ事が出来ず、魔物を殺める事すら躊躇う男だ。
そんな男が身を挺して少年を守るのだから、お笑い種である。
激しい剣戟の音が突如耳に飛び込み、ライシンは足を止めた。それはリュウメイも同じで、訝しむ様に
首を振り、その音の出所を確かめる様に遠くに目を遣る。
「この非常時に、決闘でもしてるんすかね? それとも、魔人でも……」
「偶然って訳ではなさそうだな」
剣戟の音は止む事なく、二度、三度と打ち鳴らされ、時折男の声が聞こえてくる。
「どうするっすか、兄貴」
「様子だけ見るか。場所も弁えない喧嘩なら、関わる必要はねぇな」
剣戟の音を頼りにリュウメイが気配を消して進む。壊れた外壁の影から、そっと奥を見遣る。
「……どういう事だ」
「兄貴、どうしたんすか?」
「見てみろ」
促され、後ろで控えていたライシンも言われた通りにリュウメイが見ていた場所に目を送る。そして、瞠目した。
二人の男がその場に立っていた。一人は白虎で、もう一人は鬣犬の姿をした剣士の様だった。
それだけならリュウメイも何も言わなかっただろう。しかし白虎の手には剣が握られており、
同じく剣を握った鬣犬と剣を打ち合い、その度にりょうりょうとした金属のぶつかる音と、火花を散らす。
ライシンの記憶に間違いがなければ、鬣犬の男と対峙しているのは、二人が捜していたガルジアである。
両者は流れる様に剣を振るい、交差させ、まるで踊っているかの様に一切の隙も見せず、ただ殺し合いをしていた。
「あれは……ガルジアさん、なんすか?」
いまだに自身の目をライシンは疑う。動作一つ取り上げても、とてもあのガルジアの動きとは思えなかった。
「ガルジア!」
しかし自分達の考えを否定するかの様に、鬣犬の男は、白虎の名を呼ぶ。それを聞いた途端、リュウメイが走り出した。
「兄貴!」
ライシンも荷物を捨てて走り出す。捜し求めていたガルジアをようやく見つけられた。
しかし目を凝らしてガルジアを見つめたライシンは、またもやそれがガルジアなのかと疑う事を自身に禁じ得なかった。
大きく開いた口は笑みを形作り、美しかった青玉の瞳は血走り、いつもの落ち着いたガルジアの影も形も見当たらない。
何もかもが変貌してしまったその姿を見て、ライシンはただ、リュウメイを見つめていた。
リュウメイもまた目を見開き、その姿を瞳に焼き付けているのだろう。
まるで、今まで自分の下に居たそれと同一なのかを確かめるかの様に。