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12.心霊逢瀬

 薄明かりの中で、ガルジアはゆっくりと瞼を開いた。
 双眸は白色の中に時折影を捉える。霧の中に居る様な気分だった。丁度、リュウメイと一緒に旅をしてすぐに遭遇した事態に似ている。
 遠くを眺めても景色は定かではなかった。ただ靄が続いているだけであり、どこへ行こうとも、どこへも行けないのだと悟る。
 夢の中に居ると直感で気づく。こんな状況がそう何度もあっては堪らない。少しだけ、苦笑した。
 夢から覚めようとガルジアが四苦八苦していると、不意に正面に影が映り、次第にその姿が鮮明になる。
 赤髪の蜥蜴人であるリュウメイが居た。思わずガルジアは口を開けてその名を呼ぼうとするが、何故か今は声が出てこない。
 リュウメイは黙ったまま、こちらを見ている。その瞳に自分ではなく、その先にある物を見ているのに気づき、
ガルジアはその視線を追って振り返り目を見張る。
 背を向けた、修道士達の姿が見える。その中に修道院長であるウル・イベルスリードの姿もあった。
 一様にガルジアに背中を向け微動だにしない彼らに、ガルジアは息を呑んだ。
 どうして、彼らは背を向けているのだろうか。
「あいつらが背を向けてるんじゃねえ。てめぇ一人だけが後ろを向いてんだよ、ガルジア」
「リュウメイさん……」
 声が聞こえてリュウメイを見る。咄嗟にガルジアも言葉を発した。先程までの沈黙が嘘の様に、しじまは破られる。
 ガルジアが抱いた疑問にリュウメイは答えていた。
「……どうして、そんな目で私を見るんですか」
 今のリュウメイの視線はガルジアに注がれていた。その瞳は細く、鋭く。ガルジアを非難する様にねめつけている。
「訊かなくても、わかるだろう? てめぇのせいで、沢山死んじまったな」
「そ、そんな言い方をしなくても……いいじゃないですか」
「なんだぁ? 今更自分のせいじゃねぇって、そう言いてぇのか。あれだけ厄介ごとを持ち込みやがった癖に」
 リュウメイはいつものからかう仕草も見せずに、剣で人を切り伏せる時と同じ様に、鋭い言葉の刃でガルジアを切りつける。身ではなく、
心を切られる痛みにガルジアは晒される。
 途端に涙が溢れる感覚を覚える。声と共にずっと忘れていたかの様なそれは、リュウメイの言葉でいとも容易く流れてきた。
「自分が居るから迷惑が掛かるって言ったよなぁ? お前が居たから、皆こうして死んだんじゃねぇのか。違うか?」
「それは……」
「違わねぇよな。お前は外に出たらいけない運命だったんだよ。
お前だけが死ぬまで我慢していれば良かったんだ。そうすれば、お前以外は幸せになれたろうさ」
 リュウメイが近づいてくる。後ずさろうとしたが、ガルジアの足は今や凍結した棒の様に動かなかった。
「お前のせいで皆死んだんだよ」
 耳元で囁かれたその言葉は、身体を通り抜け、心底へと達する。身体をびくつかせ、ガルジアは顔を跳ね上げた。
「でも、私は出るって言いました。盗賊が私を探していたから、私が」
「結局逃げたじゃねぇか。お前一人だけが」
「それは、他の人が」
「また、それか。そうだよな、いつだって、誰かが代わりを引き受けてくれたもんな。
お前はそうやって生きてきて、これからも同じ様に生きてゆくんだろうさ」
 耳を塞ぐ。蹲って、ガルジアは身を縮めた。必死に目を瞑って、どんな言葉も自分の中に入らない様にする。
「もう、止めてくださいリュウメイさん……」
「てめぇが白虎じゃなければ良かったんだ」
「止めてください! それだけは、言わないで……リュウメイさんだけは、言わないでください!」
 腕が掴まれる。強引に身体を引き摺られて、目を開けた。目の前にリュウメイが居る。
 金色の瞳に、涙を浮かべ憔悴した自分の顔が映る。
「てめぇは疫病神だ、ガルジア」
 胸に言葉が刻まれる。リュウメイの声が。あんなに自分を安心させてくれたその声が、今はガルジアを散々に傷つける。
 胸の内から、どろりと何かが溢れてくる。それが不快なのかどうかも、よくわからなかった。
「ガルジア」
 霧が徐々に晴れてゆく。次第に鮮明になった視界の先に、鬣犬の顔があった。
「しっかりしろ、ガルジア」
 沈痛な面持ちでクロムが声を掛けてくる。夢が、覚めたのだった。
「クロムさん、私」
 自然と涙が頬を伝う。見えるのはクロムの顔と、薄暗い宿の天井。それらを仄明るく照らす朝の光。
「悪い夢を見ていたのかい」
 問われて、ガルジアは涙を拭いながら起き上がる。猫が顔を洗う様にしつこく目尻を擦りあげた。何度も擦りあげて、ようやく涙は治まった。
「……いえ、そんな事はありません。今の私が見なくてはいけない夢でした」
 忘れてはいけない事だった。自分が今ここに居るのは、彼らの犠牲があったからなのだ。
 それを思い出させてくれた。だから、悪い夢だと断ずる事をガルジアはしなかった。そうしてしまったが最後、のうのうと今自分が生きている事が
許せなくなりそうだったし、あの赤髪の男も、嫌いになってしまいそうだったのだ。
 身支度を済ませて部屋を出る。昨夜辿り着いた宿で熟睡したのが、夢を見た原因だろう。
 そう思ってガルジアは宿の一角にある食堂の窓から外を見遣る。外からは、喧騒と、水の音が聞こえていた。
 終わり滝はその雄渾な姿を曝け出していた。滝壺に落ちた水は霧の様に舞い上がり、晴れ晴れとした空に壮麗な虹を作り上げている。
 サーモスト修道院を目指して旅を続けていたガルジア達は、丁度行程の半分程に位置する終わり滝へと足を運んでいた。
 終わり滝という名の由来には諸説あるが、首が痛くなる程見上げなければ天辺の見えない滝は、
魔物には不可思議な作用をするのか、この辺りにはその気配が無かった。聖地と呼ばれる所以でもある。
「お待たせしました」
 給仕の女が声を掛けてくる。ガルジアは丁寧に礼を言い席についた。きびきびとした様子で働くその様子を見守り、思わず笑みが零れる。
 こうして異性と触れ合う機会というのも、珍しいものだった。
 無論女の修道士、修道女という者も居るのだが、彼女らは大抵は街中に建てられた修道院に居るために
ガルジアは幼い頃から参列者や付近の村以外の女とはほとんど言葉すら交わした事がないのだった。
 クロムと向かい合って黙々と食事を取る。こういう時、クロムは静かに食事をしたい様で、
そういうところも違うのだなと、ガルジアは物思いに耽った。
「ガルジア、そろそろ修道院が襲撃された時の事を聞かせてくれないか。
心苦しいが、後になればなるほど記憶は薄れてしまうし、手掛かりも無くなってしまう。
もっとも、君にとっては忘れたい事なのかも知れないが」
 食事を済ませると、申し訳無さそうな表情をしながらクロムが問い掛けてくる。
 ガルジアは表情を曇らせながらも、ゆっくりと頷いてみせた。
 今まではクロムに話す事を避けていた。クロムはそれを察して、尋ねてくる事もなかったのだ。
 しかしいつまでも口を噤む訳にもいかない。前に歩くために、今は過去を一度振り返る時期だった。
「あの日、ラライト修道院が襲撃を受けたのは本当に突然の事でした。
朝焼けがようやく見えてきた頃。遠くに見える沢山の影に気づいたのは、院内の教会を開放する準備をしていた頃だと思います」
 言葉を失いながら駆け込んできた修道士の表情は、今でも忘れられない。彼も、恐らくは命を落としたのだろう。
「質問を差し挟んでも良いかな?」
「私でわかる事でしたら、なんでも」
「ありがとう。まず一つ。自衛の手段はあったと思うのだが。小さい教会ならまだしも、修道院だろう。
敵わなかったにしても、そんなに容易く落とされるものなのかな」
 もっともな事をクロムか言う、ガルジアもそれを振り返っていた。
「確かにそうですね。修道院には、修道騎士団が居ますし、聖法に長けた者も多いです。それから、私の所属していた聖歌隊も。
ですから、少数の賊に抗う事は出来ます。……実は、数日前から近くより魔物の被害があると、救援の要請があったのです。
それで、騎士団の半分以上がそちらへ当たっていたのです。今思えば、それは陽動だったのかも知れません。
しかしあの辺りには纏まった戦力を持ち、救援要請を受けられる団体が無かったものですから、前々からしていた事でした」
「なるほど。要請の真偽は分からないが、そこを狙われたという訳か」
「院長様のお考えも裏目に出たのかも知れません。あまり大きな武力は持つべきではない、という方でしたから。
とはいえ、あの数では修道院側からの救援要請に応えてくれる人が居なければとても……」
 抗うだけ、無駄だったのだ。全てを放棄して逃げなければならなかった。
 ガルジアが助かる可能性を上げるためだけに、他の者は残ったのだった。
 痛ましい出来事を思い返しては、しかしガルジアは必死に記憶を手繰っていた。本当に辛いのは、自分ではないのだから。
「続きを頼む」
「彼らは、まず馬小屋を迅速に制圧していました。遠くに影が見えたのと、ほとんど同時だったと思います。
止む無く私は徒歩で。といっても、私は馬にはほとんど乗れませんでしたが。
それからは、もう……あっという間でした。私は追い出される様に修道院の裏手から。残った方は全て、修道院の中で」
 薄っすらと涙を浮かべる。逃げたのは、自分だけだったのだ。
 誰か一人くらいは我が身惜しさに逃げてくるのではないか。そう思って時折振り返って見ていたが、
見えるのは無人の細道と、その先にある煙を上げたラライト修道院の姿だけだった。
 大火に呑まれた修道院から発せられる炎熱の感覚が、まだ忘れられない。
「敵の数は、わかるかい」
「五十人はくだらなかったと思います。それ以上は、ちょっと」
「本気で取りに来た、という事か」
「今までも、そういう襲撃がなかった訳ではありませんでした。修道院には基本的に聖物がありますから、
それを守るため、自衛の手段くらいは持っているものです。
しかし、あの日はあまりにも多かったし、こちらの手数も足りませんでした」
 信仰の中心として据えられる物が、聖物だった。どこの修道院にも、最低限の物はあるのだ。賊の被害などは慣れていた。
 ガルジアは考えを巡らせる。では何故、あれほどの人数が来たのか。答えがあるとしたら、やはり自分である。
「クロムさん、教えてくれませんか。白虎とは、いくらの値がつくものなのでしょうか?」
「ガルジア、それは」
 クロムが瞠目し、次いで目を泳がせる。知っているはずだ。傭兵として百年以上を生きた彼なら、知らぬはずがなかった。
「私が腑に落ちないのは、他の修道院ならいざ知らず、私達の修道院に賊が来た事です。
あそこには、宝石は確かにありましたが……聖物と比べると、それほどの価値があるとは思いません。
それなら、やはり狙いは私だったのでしょう。ですから、私は知らなくてはいけないんです。
自分の白虎としての価値を。どうか、お願いします」
 耳まで傾けて、深く頭を下げる。本当は知りたくなどなかった。しかし、知らぬまま生きていくのはもう疲れたのだ。
 クロムが暇を潰す様に空き皿を重ねる。重ね終えた頃、嘆息しながらゆっくりと口を開いた。
「金貨五十枚。それが、どんな白虎でも最低限つけられる値だと、私は聞いた事がある。知っているのはそれだけだ」
「金貨……五十枚。……そうですか。そんな、そんなもののために皆は死んだのですか……?」
 命の値段に、ガルジアは俯く。
 確かに大金ではあった。しかし、修道士達の命の代償にしては、あまりにも安い。
 しばらくこちらを見ていたクロムが、自慢の鬣を指先で梳くと再度息を吐き続ける。
「実は私もそれが気になっている。確かに、白虎というのは高値で売れるものだ。それを狙うのも、まあわからないでもない。
しかしそれが修道院に居る修道士となれば話は別だ。修道院と事を荒立ててまでする事なのか、私は疑問に思っている。
先に君が言った通り、修道院には宝石もある。私が見た爆発も、恐らくは誰かが宝石を砕いたのだろう。
手痛い反撃だ。部下を失ってまで、そうする必要があると連中は踏んだのだろうか。
盗賊ならば、宝石の扱い方も、その恐ろしさも、心得ているはずなのだがね」
「他に、理由があるかも知れないと?」
「恐らくは。そしてそれは、ガルジア。やはり君自身にあるものと私は推察する。
何しろ君以外の全てを投げ出して、君を守ったという有様だ。
これが何を意味するかは、わかるかい。賊が君を狙うのは、まだわかる。
しかし修道院の側もまた、君には特別な価値がある事を、知っていたという事だ」
「私に、白虎以外の価値がある。という事ですか?」
 押し黙る。自分にそれ以外の価値があると言われても、ガルジアにはわからなかった。
 ただ修道院で過保護に育てられただけの、ひ弱な一人の男に過ぎない。
「とはいえ、これが正しい事かはわからない。全ては今、ご立派に育て上げた机上の空論に過ぎないのだから。
単に君を大事に思っていたのかも知れないしね」
「それは」
 ガルジアは思わず顔を上げる。院長との思い出が胸の中に甦る。郷愁に、瞳を潤ませた。
「それは、嬉しく思います……しかし、そうであってほしくないです。
もしそうだとしたら、そのために死んだ人が、あまりにも不憫です。
大体、売られるのなら私一人を差し出せば、誰も死にはしなかったのですから」
「売られるだけなら、まだいいのだがね」
「え?」
「いや、なんでもないよ。とりあえず、話は以上かな」
 話を切り上げる様にクロムが席を立つ。尻尾を揺らしながら、朝食の代金を払いに行く様だ。
 残っていた料理を口に含むと、丁寧に口元を拭ってガルジアも席を立とうとする。
「あ、あの!」
 席を立ったところで突然声を掛けられる。ガルジアがそちらへ向こうとすると、素早く何かがガルジアの前へと滑り込む。
「クロムさん」
 声を掛けられたガルジアの元へ目敏く戻ってきたのは、クロムだった。その向こうに、虎人の青年が居る。
 突然の事に驚いたのはガルジアだけではなく、青年も同じだったのだろう。身体を硬直させてクロムを凝視していた。
「……ふむ、害はなさそうだね。すまない」
 柄にかけていた手をクロムは放す。虎人の青年は、息を呑んだ様だった。
「ご、ごめんなさい突然。あの、僕」
「い、いえ、こちらこそ。すみません」
 しばらくお互いに詫びの言葉を口にする。クロムも申し訳無さそうだったが、自分の護衛なのだ。
 その意味では今の動きは、ガルジアには安堵を与えてくれた。
「あの、突然ですがお話があるんです……そちらの剣士の方も、一緒に」
 そう言われて、ガルジアとクロムは顔を見合わせた。

 朝食の支払いを終えると、再び席に着く。先程まで対面していたガルジアとクロムは、今度は並んで座り
その向こう側に居る虎人の青年を見つめていた。
 青年は陽だまり色をしたローブを羽織っていたが、華奢な身体つきは布地の上からでも見て取れる程だった。
 そういう体質という事もある様だが、見た限りではまだ十五かそこらというせいでもあるのだろう。青年とは言ったものの、
まだまだ少年の盛りを抜けきっていない。あどけなさの残る顔立ちをしていた。
「自己紹介からさせていただきます。僕はリーマ・セロスという者です。リーマと呼んでください」
「リーマ・セロス? ふむ」
 虎人のリーマに名乗られて、クロムは訝しげに声を上げる。それを見てリーマは微笑んだ。
「私はガルジアといいます。よろしくお願いしますね、リーマさん」
「私は、クロムだ。傭兵、もとい騎士をしている」
「それ、まだ引っ張るんですかクロムさん」
「引っ張るも何も事実だろう」
 クロムの悪乗りにガルジアは呆れた様に溜め息を吐く。最近、クロムもなんだか自分の事をからかう様になってきた気がする。
「お二人は、終わり滝は……当然知ってますよね」
 和らいだ空気に笑みを浮かべながらも、リーマは話しはじめる。
「ええ、勿論。そこにある滝の事ですよね」
 サーモスト修道院へ向かう道中、ここに寄る事を提案したのはクロムだった。旅人の休憩地点としても賑わいを見せる地である。
 そしてガルジアは、この地が聖地と呼ばれる故に、修道院に居た頃から勉学の中で終わり滝についても名だけは知っていた。
 実際に訪れるのは初めての事で、昨夜は長旅により疲れてすぐに寝てしまったものの、今日はこれから終わり滝の観光をする予定だったのだ。
「実はお話というのは、この終わり滝に関する事なんです。最近この地に訪れた旅人の間である噂が起こっていて」
「噂、ですか」
「……出るらしいんです」
「へぇ。……えっ」
 最初は相槌を打ったガルジアだったが、リーマの言葉の意味を理解すると思わず顔を強張らせる。
「で、出るっていうのは、えっと、その」
「面白そうだな。今日はこれから終わり滝の観光に行こうとしていたところだ、丁度いいじゃないか」
「ちょっと、クロムさんっ!」
 慌ててガルジアはクロムの肩当に手を掛ける。突然何を言い出すのかと、目でクロムへ語りかける。
「聖地だからぜひ自分の目で見てみたい。そう言ったのはガルジア、君じゃないか」
「それはそうですけれど……いえ、今は話が先ですね。その噂が、どうしたのでしょうか」
「はい、その出るって噂されている幽霊なんですが、自分の事をリーマアルダフレイと名乗っているそうなんです」
「リーマアルダフレイ……ああ、そうか」
 リーマの言葉に、クロムは合点がいったと声を上げる。
「君はリーマアルダフレイ・セロスの後裔なんだね。道理で、聞いた名だと」
「はい、そうなんです」
「リーマアル……?」
「昔この終わり滝で終生を過ごしたといわれる、偉大な召術士の事だよガルジア。
終わり滝という名称の由来で一番有力なのも、この召術士が最後までここに居たからという話だ」
 間、髪を容れずにクロムが説明を入れてくる。召術士と聞いて、ガルジアは目の前に居るリーマを見つめた。
「という事は、リーマさんも召術士なんですか?」
「はい。代々うちの家系はリーマアルダフレイに連なる家として、皆召術士を目指してるんです。
でも、ダフレイ程の腕前を持つ者は輩出出来なくて。僕自身も、召喚獣じゃなくて、精霊を呼び出すくらいが精一杯なんです」
 話を聞きながら、リーマでも詩と同じ精霊を呼び出せるのだと説明を受けてガルジアは感心する。
 もっとも、優秀な召術士ならその上位といえる召喚獣を呼び出せるのだが。
「僕の名前も、ダフレイから肖ったものなんです。だから余計今回の噂については、真相を知りたくて」
「なるほど。確かにリーマアルダフレイの後裔なら、その真相を知りたいと思っても不思議ではないか。
ではどうして私達にその話を?」
 リーマが苦笑して、申し訳無さそうに項垂れる。それから、窓の外にある終わり滝を見つめる。
「実は昨日、僕は終わり滝の中、あの滝の裏にある洞窟に行ったんです。他の観光客の方と一緒に。
そうしたら、ぼんやりとした光が現れて幽霊が出たって、大騒ぎになってしまって。
でもその光は何を言う事もなく、薄っすらと人影の様な物が現れて僕を見つめているだけでした。
だから、きっと人払いをしてほしかったんじゃないかなって思うんです。
けれど、僕にはあの滝を貸しきる様なお金もないし、かといってここは聖地で観光名所としても名高いですから、
一日貸してください、なんてお願いも勿論聞いてもらえませんでした。
どうしようかと考えていたところに、ガルジアさん達が。何か知恵を貸してもらえないだろうかと」
「ふむ、事情は察したが、それだけではどうも弱いな」
 見透かした様にクロムが言う。今のリーマの返答では、納得しなかったのだろう。
 人払いを目的とするならそもそもクロム達を招く事も、リーマの目的に反しているのを目敏く指摘しているのだった。
 リーマもその点は心得ているのか、特に慌てる様子を見せずに二の句を紡ぐ。
「一人でどうにか会う手段がないというのもそうなんですが、不安なんです。
いくらダフレイの霊と言ったって、それが本物だという確証がなくて。
仮に本物でも悪霊だったら困りますから、腕の立つ方を探していたんです」
 今度は、クロムが何かを言う事はなかった。それに代わる様に思案に耽る。
 リーマの依頼を引き受けるか、純粋に検討しているのだろう。
 ガルジアは特に何も言わなかった。今のところ、自分は蚊帳の外である。リーマが求めているのはクロムの力なのだ。
「さて、どうしたものかな。ガルジア、君はどう思う? 一応君の旅路なのだから、君の意見を聞きたいのだが」
「そうですね、困っているのなら助けてあげたいところですが……それに、もし悪霊というのなら
聖地に不穏な影が現れているという事です。私としては見過ごせません」
「そうか。なら、決まりかな」
「引き受けてくれるんですか!?」
 感極まったのかリーマが席を立ち身を乗り出す。瞳はきらきらと輝いていて、本当に困窮していたのだろうとガルジアは同情を寄せた。
「良かった、ありがとうございます! ……あ、でも、お金は僕あんまり」
「私は、受け取れません。クロムさんには何かしら差し上げたいとは思いますが」
「私は出せる分だけでいいよ。無論、成功報酬でいい。どの道観光がてらにあの洞窟には行く予定だったしね」
「お二人とも、ありがとうございます。それと……もう一つ言う事があって」
 席に戻ったリーマが、少し辺りを見渡すと小声で続ける。
「これは本当なのかはわかりませんが、ダフレイ……つまり、リーマアルダフレイは、白虎だったって話を聞いた事があるんです」
「えっ、白虎?」
 ガルジアが声を上げる。リーマの視線は他でもなく自分に注がれていて、そして自分が見つめているリーマは普通の虎人だった。
「白虎の事は僕も知っています。大変な事も多いって。僕かお二人を見込んだのは、白虎であるガルジアさんを
クロムさんが守っている様に見えたからでもあるんです。そして、もしダフレイが白虎だというのなら、ガルジアさんも
何かお話をしてみたらいいんじゃないかなって思って」
 召術士リーマアルダフレイ・セロス。その名がガルジアの心に刻まれる。
「……これは、是が非でも行かなくてはならなくなった様だね」
 こちらの顔を見て、クロムが流れに棹差す様に言う。ガルジアはそれを見て、強く頷いた。

 夜霧に紛れて、息を潜める。
 終わり滝の滝壺からふわりと上った水飛沫は留まる事を知らず、そこへ飛び込む水もまた尽きる事はない。
 いずれそれが尽きる事があるのだろうかとガルジアはぼんやりと考える。もっとも、それまでに自分の命が尽きている事だろう。
 足を忍ばせて三人が闇夜を歩く様は、傍からは奇妙に見えるのだろう、空に昇る月はこの闖入者達を眺めているかの様に笑みを形作っていた。
 終わり滝へ近づく。入り口には番兵の役割を担う男が朴訥と立っている。
 聖地というからには当然予想はしていたが、見張りはやはりそこに居た。
 人払いをしてほしいというリーマの要望通り、昼に洞窟に入るのは断念して夜を待ったは良いものの、さてこれからどうするかというところだった。
 近くの茂みに隠れて様子を伺う。
「それで、どうするんですか、クロムさん。それと、あんまりここに長居をすると身体が濡れてしまいます」
 身に纏わりつく霧をガルジアは何度か拭う。ローブだったら些かましだったのに、
今は修道士に見えない様に着替えているために滝の水分は四肢に纏わり付き、徐々に被毛は水分を吸いはじめていた。
「さて、どうしたものかな。金を握らせてもいいが、それであの男が退いてくれるならいいのだが」
 困るのは、同行を申しだされる事である。クロムの所持金ならば、それこそ終わり滝を貸しきるくらいの金は持っていた。
 しかし金を払ったとはいえ聖地は聖地で、彼らにとっては守るべき地であり、また自分達の食い扶持を稼ぐ場所でもあるのだ。
 おいそれとガルジア達だけが中に入る事を良しとするとは考え難かった。見張っていると言いついてくる可能性も充分にある。
 しばらく男を観察してから、ガルジアはライシンの事を思い出して表情を明るくする。
「そうだ、クロムさん。魔法です。眠らせる魔法って、あるんですよね?」
「あるにはあるが、残念だが私は使えない。ああいうのは行使する者の魔力と技術が必要なものだからね」
 申し訳なさそうな顔でガルジアの提案は却下される。それと同時に、ライシンが思っていたよりも熟達した魔法使いだという事を知る。
 同行していた頃のライシンといえば、いつもリュウメイにくっつこうとしては伸されてばかりだったが、
彼は彼で相当な実力者だったのだと、今にして思う。
「ガルジアはどうなんだい? 眠らせるといえば、子守歌。そういうのは歌えないのかな」
「子守歌は歌えますが……それで精霊は呼べません」
「そうか。リーマはどうだい」
「ごめんなさい、僕の呼べる精霊ではガルジアさんの詩とは大きくは違わないと思います」
「ふむ……仕方ないな。二人はここで待ってなさい。ガルジアはなるべく小さな声で、鳥を呼んでくれ」
「はい、わかりました」
 囁く様に風来の詩を歌う。こんな小さな声で来てくれるのだろうかとガルジアは心配に思う。
「ガルジアさん、僕もお手伝いします」
 不意にリーマがそう言うと、その隣で右手を光らせて虚空に陣を描く。
 ぶつぶつとリーマが詠唱をはじめると、陣は淡く光りはじめる。ガルジアは目を見張りながら、詩を続ける。
 陣が僅かな間眩く光ると、そこから大きな翼を翻しながら鷲が現れた。
「あれ、いつもと違う……」
「二人で呼んだから、普段より強い精霊が来てくれたのかも知れません」
「そんな事があるんですか」
 ガルジアは慌てて辺りを見渡し、傍にある打ち捨てられた太い木の幹を指し示す。
 恐らくその鉤爪は他の精霊の様にガルジアに害を成す事はないだろうが、肩に止まり翼を広げるだけで茂みからは食み出てしまうだろう。
 現れた鷲は自らが座る玉座と思しき場所に最初は不満げというか、戸惑った様に呼び出した主達を見つめていたが、
その内に仕方ないと言いたげに少し身動ぎをしてから、幹の上へと身を乗せる。
「ごめんなさい、こんな狭い場所で」
 ガルジアが謝りながらその精悍で白く美しい頭部を撫でる。
 最初は不服そうな鷲だったがそれで機嫌を取り戻したのか、ガルジアが再度小さな声で歌うと自らは羽ばたいて音を出す。
 鷲から放たれる魔力が、ガルジアの声を介してクロムへと与えられる。クロムはそれを確認すると、足元に転がっていた石を放り投げた。
 番兵の後ろにそれは綺麗に落ち、物音に気づいた男が振り返る。それを確認するよりも先にクロムは駆け出した。
 その速さは脱兎よりも素早く、勢いがあり、素晴らしい速度でクロムは距離を詰める。
「あっ」
 思わずガルジアは声を漏らす。クロムは躊躇いもなく、鞘に収めたままの剣を振り上げると男の首筋へと打ち込んでいた。
 悲鳴を上げる事もなく男は意識を失う。慌ててガルジアも駆け出す。自分の足も早くなっているのために、転びそうになりながらも、
どうにかクロムの元へと辿り着く。
「クロムさん、そんな乱暴な」
「他に手段もないから、仕方ないだろう。安心しなさい、別に死ぬ訳じゃない」
 掌に光を灯してそれを男へ分け与える。致命傷になる心配は無さそうだった。
「それより、早く奥へ。まさか一晩中この男が見張っている訳ではないだろう。その内交代の者が来るはずだ」
 クロムの言葉にガルジアは倒れている男へ申し訳なく思いながらも滝壺の裏へと向かうと、
遅れてきたリーマが先導をする。流れる滝の真横に道が作られ、正面からは厚い滝の水に阻まれ
見えないが、滝の裏には確かに洞窟があった。
 騒々しい終わり滝のカーテンを横手に、その先にある滲みながらも微笑む月を見つめる。まるで、別の世界にでも
迷い込んだかの様に幻想的な光景だった。水滴が飛ぶのも忘れてガルジアはそれにしばし魅入る。やがて、洞窟へ
差し掛かるとその中へ足を運んだ。洞窟の中は夜だというのに薄っすらと明かりがある。壁に目をやれば、淡く光を灯す
石がある。光石の類なのだろう。よくよく見てみればそれらはかなりの年代物の様で、召術士リーマアルダフレイが
ここに居たという話も真実味を帯びてくる様な気がした。
「それにしても、ガルジアが終わり滝の事を知っているのにリーマアルダフレイを知らないのは意外だったな」
 歩きながら暇潰しを兼ねてクロムが話を始める。曲がりくねりながらも一本道の洞窟は、光石以外は特に見る物も無かった。
 湿り気のある大地に足を滑らせぬ様に気をつけながら奥へ奥へと進む内、次第に滝の音も小さくなってゆく。
「実はあまり外の事については教えてもらえなかったんです。終わり滝は聖地ですから、
修道士としての教養の一つとしては学んだのですが」
「ふむ、案外厳重に秘匿されていたのかな君自身は」
「そうかも知れないですね。外に出ても行くのは精精近くの村くらいでしたし、修道院に居ても
私が担当するのは一般参列者の部屋ではなく、ある程度回数を重ねた信心のある方が来られる部屋でしたから」
 聖物がある以上、そう易々と人を中に入れては盗難の被害に遭う心配もある。
 それを憂慮した結果が、そうして参列者をある程度区分けする方法だといつかウルから聞いた事を思い出した。
「それにしても、リーマアルダフレイさんですか……もしかしたら、召導書の事も知っているかも知れませんね」
「召導書? それは、ネモラの召導書の事でしょうか」
 先導をしていたリーマが振り返る。ガルジアはそれに頷いてみせた。
「ガルジアさん達はそれを探しているんですか?」
「ええ、そうなんです。今の話の通り、私は修道士でして。ですから聖物として収められていた召導書の行方を捜しているんです」
「そうですか。僕も召導書は一度は読んでみたいとは思っているんですが、情報が無くて」
「リーマさんの様な召術士の家系であってもですか?」
「はい。恥ずかしい話ですが、うちでもそんなに大層な物がある訳ではないんです。
蔵もありますが、目ぼしいものは何も」
 召術士の家柄でもあるリーマですら、召導書の存在を知る術は持たない様でガルジアは落胆する。
 やはり今になって無くなった物を捜すというのは無理があったのだろうか。
「せめて、ディヴァリアのカスト先生が在位したままだったら何かわかったのかも知れませんが」
「カスト……ああ。その話は、私もディヴァリアで聞いた事があります」
 確か、厄介な魔法を受けリュウメイにときめいていた時に、ライシンが一人法術協会と学園に行った際に
戻って来たライシンにその話を聞いたはずだった。その後リュウメイが臥せっている間も、ライシンに同行している間その名を聞いた。
 それに付随する形でリュウメイとの事を思い出して、ガルジアは苦い顔をする。
「召術士の顕位、でしたよね? でも、今は不在なんですよね」
「はい。リオフォーネ・カスト先生。幼い頃は神童とまで言われた人で、僕の祖父や曽祖父はディヴァリアで彼に師事していたんです。
召術にとても熱心な先生で、カスト先生自身もまた素晴らしい召術の才を持っていたって聞きました。
そんな先生なら、きっと召導書が無くなったと聞けば力を貸してくれたと思うのですが……。
カスト先生自身も、召導書が盗難に遭うよりも先にどこかへ姿を消してしまったらしいんです。
僕もディヴァリアの学園へ入学したいのですが、召術士の先生がいまだに居ないので中々行く決心もつかなくて」
 ライシンも確かそんな事を言っていたと、ぼんやりとガルジアは思い返す。
 今のディヴァリアにはその召術士に代わる者が居らず、法術都市という名を冠しながらも、教師としての召術士は空位のままだという。
「つくづく召術という物は謎に包まれている様だね」
 隣で聞いていたクロムが感想を述べる。確かに、召術というのは不可思議な謎に包まれた分野だった。
 歴史が浅いという事もないはずであろうに、一般にはどういう存在なのかという事すら
あまりに認知されていないのだ。聖法、邪法と並んで呼ばれるにしては、ぞんざいな扱いである。
 召導書を求める内に、少しでもその謎が解けるのだろうか。これから確かめるリーマアルダフレイも、その鍵を握っているだろう。
「ここです」
 リーマが歩を止める。目の前にあるのは行き止まりと、その前にある古ぼけた石碑だけだった。
 光石や洞窟の状態などと同じ様にこれもまたかなりの歳月を重ねたのか、文字が彫られている様に見えるが読む事もままならない。
 長い星霜の中に身を置く間に、伝えるべき言葉を忘れてしまったのだろうか。
「……終わり滝に来てから思っていた事なのですが、ここは不思議な気で溢れているんですね」
 昨夜終わり滝へ到着した頃から思っていたのだが、ここでは不思議と、誰かに呼ばれている気がした。
 闇夜の中で方角もわからぬまま響く、導の様な気配。音に聞こえもしないが、自分を呼ぶ様にその感覚はガルジアを取り巻いていた。
 その事を伝えると、クロムとリーマは首を傾げる。
「私は何も感じてはいないが」
「僕もです。……しかし、終わり滝は聖地とも呼ばれる地です。ガルジアさんは修道士ですから、
きっと神聖なご加護があるのではないでしょうか」
 腑に落ちない態ではあるが、リーマの説明でどうにかクロムが引き下がる。
 論じても仕方のない事だというのは三人とも弁えていたし、ここにも長居はしていられなかった。
 改めて、自分達の前にある石碑へ視線を集中させる。
「なんと書いてあるのでしょうか」
「流石にこれは、読めないな」
「観光案内の時も、解読は上手くいっていないと聞きました」
 そっと近づいてみる。石碑は物を言う事もなく、ガルジアにその姿を晒していた。
「もしこれを書いたのか、召術士のリーマアルダフレイだというのなら、何か召術の研究に役立ったのかも知れないですね」
 ぽつりとガルジアは言葉を零す。
「世界の破滅が訪れた際に刻まれた傷跡。最も強く禍々しい傷がここに眠る。
ここは終わり滝。彼の力が破滅を招き、そして生まれた地。
……続きは、なんだったかな」
 聞き覚えのない声が聞こえて、三人が揃って振り返る。
 淡い光が見えた。目を見張ると、次第にそれは形作られてやがて一人の人型へと落ち着く。
 光の中から人が現れる。虎人の姿をした、壮年の男だった。
「待っていた。セロスの、私の血を引く者よ」
 落ち着いた声音で男は言う。ガルジア達の前に今、リーマアルダフレイが現れたのだった。

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