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リュース


 暗い世界の中で、それは蹲っていた。
 それは、白に覆われていた。白い鱗。白い角。白い翼。全てが白く、そして、美しかった。
 それは、白き使者だった。自らの誕生をただ待つそれは、美しい姿に、美しい心を備えて、いつしか産まれては。全てから愛されて。全てを、愛して。そうして、いつか自分を見出してくれる存在をも包んで、全てを照らす
運命を持っていた。
 ある時。産まれるよりも先に、それに触れてくる者があった。触れてきた者は、それの、白い翼をもぎ取り、角を溶かし。最後に細工を施して、白い鱗も、染め変えていった。
 やがて、それは産まれた。
 それが、誰からも目を背けられる。青い竜の、リュースだった。

 物心が付いた頃から、リュースは己の身体が、他者から決して良い顔で見られる物ではない事を弁えていた。両親からして、リュースの事を直視せずに接していたのだから。わからないはずはなかった。
 青い竜は、不吉だという。それは、竜族の流れる血の色が、青いからだという。ただそれだけで、リュースは不当な扱いを受け続けていた。もっとも、それを除いても。リュースには、竜族が誇る様な立派な角も、立派な翼も
なかったのだから。確かにリュースの両親が目を背けるのも、決して理解できぬ事ではなかった。それでも両親は、リュースには事あるごとに、一つの話を語った。
「竜神様は、お前が来てくれるのを待っている」
 幾度となく囁かれたその言葉は、いつしかリュースにとってはただ一つの救いとなっていた。元よりこの身体では、同族から蔑まれるだけの日々を繰り返すに過ぎなかった。だからといって、ランデュスを出る勇気も、
幼いリュースには無かった。それに、竜族と他種族では、寿命が違う。得てして、竜族は竜族以外との触れ合いには消極的な者が多かったのである。また、リュースの両親も。リュースが竜神から必要とされるというから、
その様な姿であろうと、また家計が苦しくとも育てたという事情があった。竜神が、リュースを求めているのだから。そんなリュースを、勝手にどこかへやったりする訳には、ゆかなかったのである。
 リュースは懸命に己の腕を磨いた。竜神が、リュースが来るのを待っているというのならば。当然、傍に仕えてほしいというのだろうから。また、竜神が見立てた通り。リュースにはその才能があった。剣を取っても、魔を
唱えても。同じ年頃の竜族とはまるで違っていたし、大人の竜族であろうとそれ程恐れる必要もない程に、リュースはあっという間に力を身に着けたのだった。それは偏にリュースの、白き使者としての才覚でもあったが。それとは
別に、リュースの血を吐く様な努力の賜物でもあった。同族の中に居場所は無く、ランデュスを出る事叶わず。そして、両親の態度を見ればわかる。自分の存在する理由は、たった一つ。竜神ランデュスに必要とされている。
 ただそれだけであると。リュースは。そしてその周りの者は、思い込んでいたのだった。
 逃げる様に、リュースは兵となって。ランデュス城に詰める様になる。それこそが竜神の狙いであるとは知らずに。
 兵の一人となっても、リュースの心労は変わらなかった。ただ、極一部でのみ。リュースの存在を認めてくれる者も居た。それらはリュースの見た目に頓着しない者や。または本来のリュースの、白き使者としての力に、
見た目に惑わされる事なく評価を下せる者達だった。とはいえ、それも決して多くはなかった。ただ、遠くから見つめるだけであるのならば。リュースはやはり、何も持たぬ。その上で、青い。不吉な、嫌われ者の竜でしかなかった。
 それでもリュースは、懸命に竜神に仕えた。妬まれ、嫉まれながらも、少しずつ階級を上げて。やがては、空位となっていた筆頭補佐の座を勝ち取ったのだった。
「お前が来てくれるのを、私はずっと待っていたよ。リュース。私の目に、やはり狂いはなかったのだ」
 初めて通された竜神の間にて、その声を聞いた時。その場でリュースは泣き崩れて。竜神に新たに忠誠を誓ったのだった。今までは、ただ竜神が自分の存在を知っているというだけであった。例え、待っていると言われても、
成長したリュース自身が示す力によっては、それはまったく無かった事として扱われるのは、わかっていたのだ。竜神の下まで辿り着いたリュースは、ようやく自らを必要としてくれる存在に出会い、不確かな保障の中で、
溺れそうになりながらも我武者羅に泳ぐ日々を脱したのだった。
 筆頭補佐となったものの、リュースに注がれる眼は、それまでと大きく変わったとは言い難かった。その原因の一つには、筆頭補佐がそれまで空位であった事が挙げられる。つまりは、筆頭補佐が担当するはずの竜の爪を、
筆頭魔剣士であり、本来ならば竜の牙の面倒だけを見るはずだったガーデルが受け持っていたからだった。無論、ガーデル一人で全てに目が行き届く事は無いから、ガーデルから見込まれた人材が実際にはそれには
当たっていたのではあるが。それが、つい先日までは大隊長であったとはいえ、同じ竜の爪の中に居る、自分達が蔑んでみていた相手が筆頭補佐として、正式に自分達の頭となったのだから、それを喜ぶ兵はあまり
多くはなかった。また、代理とはいえ竜の爪の面倒を見ていたガーデルの影響も強かった。筆頭魔剣士であるガーデルは、リュースとはあまりにも対照的な存在であったからである。炎の様に輝く鱗に、雄渾な体躯に、
立派な角に、大空を征する翼に。どれ一つとっても、それはリュースには無い物であった。体格に関しては、リュースも相当に鍛錬をしていたから引き締まってはいたものの、ずっしりとした印象を受けるガーデルからすれば、
やはり細かった。もっともそれが、翼すら持たぬリュースの戦闘時の機敏さにも一役買っていたのだから、ガーデルの様な体型では困っていただろうが。その様な理由もあり、竜の爪に属していようと、ガーデルを見つめていた
兵達からすれば。新たに自分達を導くはずの筆頭補佐が、何一つ持たぬ竜であるというのは、失笑を買うどころの騒ぎではなかったのだった。それでもリュースは忠実に仕事をこなしては、着実に影響力を強めていった。また、
確かにリュースは持たざる者ではあったかも知れないが。それは同じ境遇の竜族から見れば、希望の星であったのも、また事実ではあった。産まれた環境に屈さずに筆頭補佐を務めるリュースの姿は、表立った反応は
見られなかったものの、一部の者からは大変に好感を抱くものであったのである。また文官の様な、武官とは違い、何よりも成果を出す事を第一とされる者からも、リュースの評価は高い物があった。同期であり、同じ様に
昇進したユディリスなどはそれに当たる。とはいえ、それでも大勢からの意見は、見た目の割には、という様な言い方をされるのを免れはしなかったのだが。
 そんな中で、やはりリュースは孤立から脱する事ができずにいた。ガーデルにしても、そうだった。リュースは筆頭補佐になったのだから、当然ガーデルを補佐するのが第一の仕事となる。ラヴーワとの戦が続く中、ガーデルは
一人で必要な事を片付けていたし、リュースの出現には素直に愁眉を開いたものの。とうのリュースからすれば、やはり己とガーデルと比べてしまう。視界にガーデルが映る事さえ、リュースにとっては苦痛だった。筆頭補佐
としての日々が長く続けば、それは更に顕著な物になる。自らの腕を磨き続けていたリュースは、いつの間にか己の力量が、ガーデルを凌ぐ事にも気づいてしまったのである。しかし、リュースが筆頭魔剣士となる事は
なかった。表向き、竜神からは筆頭補佐の方が身が軽く。またガーデルは神声を聞くのを厭う性分であり。そこにリュースが収まってくれたのだから、このままの形が良いと、その様に言われたものの。結局はリュースの
見場が、筆頭魔剣士としてはふさわしからぬ物であるという理由がある事には、薄々感付いていたのだった。そもそも筆頭補佐の今ですら、あの様な者がと、散々に陰口を叩かれる日々なのだから。それが筆頭魔剣士にと
なれば、その声が更に大きくなるのは充分に予想できる事だった。また、相手がガーデルなのも悪かった。何もかもに優れており、ランデュスの英雄と讃えられている存在だった。それの代わりに、リュースがその席に座る
事は、兵どころか、国民からすら反発を招きかねなかったのだった。影の薄い、筆頭補佐。結局のところ、リュースが最終的に辿り着いた立場というのは、その様な物であった。己がどれ程腕を磨き、功績を上げたとしても、
これ以上は無い。それを悟った時、今までよりも更に深く、リュースの心は沈んでいった。それでもリュースが生き続けられたのは、結局のところ、自分を必要としてくれる竜神の存在があるからに他ならなかった。同族からの
冷めた目に晒され続けたリュースは、同じ竜族との触れ合いをすら諦めては。出奔する道も、市井に紛れる道も望む事はなく。ただ、自らが竜神の意に沿い、その望みを果たしては。竜神を悦ばせる。
 たった、それだけの事しかできなくなっていたのだった。

 鬱屈とした日々を送るリュースの下に、ある日その時は訪れた。竜神からの呼び出し。その内容は、不可思議な物だった。神声により届けられた声は、僅かな戸惑いを孕んでいて。
 そうして案内された先に、それは居たのだった。黒い竜族の男。最低限の事情は聞かされたが、それでもリュースには半信半疑な物だった。異世界人であって。それも、涙の跡地の結界を、一部とはいえ壊してきた、などとは。
「私は。ランデュスの筆頭補佐兼竜の爪団長の、リュースと申します。よろしくお願いしますね。タカヤ様」
 それでも、リュースはその疑問に囚われる事もなかった。自分が納得できるかどうかなどというのは、竜神の命令の前には、あまりにも瑣末な事だった。こうしてリュースは、タカヤの生まれ変わった姿である黒い竜を。後に
筆頭魔剣士となるヤシュバの面倒を見る事を、引き受けたのだった。
 ヤシュバとの日々は、楽しかった。苛々とさせられる日も多かったが、それ以上にヤシュバは、やはり異世界人なのであった。竜族の常識。竜族から厭われるリュース。そんな物には、何一つ頓着せずに、リュースに接した。
 リュースは、戸惑った。ずっと。今まで、蔑まれて生きているのが当たり前だった。目の前に現れて、その力一つでガーデルと自分を剣で負かして、筆頭魔剣士の座に座ったこの男には、抗えぬ程に魅かれていた。ヤシュバが、
リュースよりも弱かったのなら。或いはリュースも、ここまでヤシュバに絆される事はなかったのかも知れない。ガーデルに対して、どうしても構えてしまう部分があったのには、それもあったのだから。自分よりも、弱い男が
筆頭魔剣士を務めている。容姿さえ、除けば。そんな惨めな妬みを、ヤシュバは更に強大な力によって、木っ端微塵にしてしまったのだった。何一つとっても、敵わぬ相手。見上げるしかない程の相手ならば、リュースもまた、
それに頭を垂れる事に異存はなかった。元より、真実竜族ではない相手。竜族の物の見方だけで、ヤシュバを計る事などできはしなかったのである。
 それでも、最初の内は。リュースはヤシュバに、それ程の期待をしてはいなかったのだった。とはいえ、筆頭魔剣士の座に就いたからには。竜神の気紛れなお遊びと、笑っている訳にもゆかぬ。笑い合う事もあれば、異世界人
である事が祟って、簡単に弱音を吐くヤシュバに怒りを表す事もあったけれど。結局は、リュースはヤシュバに魅かれていったのだった。リュースはそれを、ヤシュバが筆頭魔剣士であり、自分を簡単に下した相手であるからだと、
そう思っていた。真実は、そうではなかった。リュースは白き使者であり、ヤシュバは黒き使者であった。二人が魅かれ合うのは、当然の事だったのだが。リュースはそれを別の事柄から来る物と錯覚し。また、ヤシュバも。己の
掌から、零れ落ちていったハルの事を気に掛けるばかりだった故に。結局この二人は、きちんとした関係を築く事はできなかったのである。
 そうしている内に、ヤシュバが、ゼオロとなったハルをついに見つけ出す。最初の内、リュースはそれをあまり喜んで受け止める事ができなかった。相手は敵国に居て、また厄介事が増えたと。そちらの方ばかりが、目に
留まってしまうのだった。それでも、いざゼオロと顔を合わせれば。その銀の美しさが、例え竜族ではないもののそれであったとしても。認めぬ訳にはゆかぬ程の物を持っていた。何より、口を開けば。ゼオロは、ヤシュバに
聞いていた人物像よりも、大分怜悧な印象を受ける。力を持たず、それでもここまで生きてきたゼオロは、一筋縄ではゆかぬ様に見えた。そのゼオロと、カーナス台地を解放に当たった際には。どうしてヤシュバが、これ程
までにハルに、ゼオロに拘るのかも、理解できた。
 そうして、ゼオロの存在を知って。短いながらも、傍に居たからこそ。リュースは、尚更ヤシュバに己の想いを伝える事ができなかった。自分など、所詮はヤシュバが、ゼオロを手にするまでの間に合わせでしかなかった。また、
事実として。当初のヤシュバの考えは、そうだったのである。ハルを見つけ出す事に、竜神が手を貸す。だから、筆頭魔剣士にもなる。ヤシュバが今まで、どんな気持ちで、やりたくもない筆頭魔剣士をやり続けていたのかを、
知っているからこそ。リュースはヤシュバには、全てを曝け出せなかった。また、その頃には。確かにヤシュバの事を好いている自分にも、気づいたのだった。ガーデルとの戦で、ヤシュバを庇った時から。リュースは、自分に
とってヤシュバが、筆頭魔剣士という役職を抜きにしてでも、慕っては、守るべき相手であると。そう見定めたのだった。それはまさに、白き使者としての動きに他ならなかった。
 それでも。結局、リュースはヤシュバを振り向かせる事はできなかったし、またする事もなかった。何一つとっても、己がヤシュバにふさわしい存在ではない事を、リュースは今まで生きてきて、嫌という程に。それこそ、魂に
刻みつけられていたのだった。
 そうして最後には、竜神の言いなりになった。カーナス台地で、ゼオロを殺す様にと。この涙の跡地に、最初にヤシュバが落ちてきて。この地を覆う結界を壊した時。確かにヤシュバの感情は、負に染まっていた。ハルを
救えなかった事。ハルを追いこんだ責任が、自分にもある事。その気持ちを抱えたまま、自らもハルを追った事。何もかもに絶望した、剥き出しのヤシュバの。タカヤの叫びが。強大な力となって、結界に穴を開けた。竜神は
それを今一度、カーナス台地の上で。徹底的にヤシュバの感情を爆発させる事を、リュースに命じたのだった。リュースは、抗いたかった。抗わなければならないと思った。それでも、抗えなかった。ヤシュバが、ゼオロを
その手にする事ができないというのなら。リュースは、ヤシュバを解放したかった。筆頭魔剣士などという物からも、何からも。結界さえなくなれば、それは実現する。ゼオロには、悪いとは思ったが。リュースはそれを
引き受けた。また竜神の命に逆らうなどという事も、リュースには考えられなかったのだった。それに、目の前に、ヤシュバとゼオロが揃ったのならば。決して自分の力では、それを成し遂げられる事はできないだろうとも。
 カーナス台地の高台で、リュースは二人を見据えた。奇襲は、失敗に終わっていた。ヤシュバを絶望させるためには、目の前でゼオロを殺さなくてはならなかったが。結局は不可能な事だった。
「こちらへ、来ていただけませんか」
 リュースは、ヤシュバに手を差し出した。その手が。自分の手が、震えている事に、出してから気づいた。わかっていたのだ。この手が取られる事は、決してないと。たった今、ゼオロを殺そうとした自分を、ヤシュバが選ぶ
事などありはしないと。そしてそれを抜きにしても。自分などが、ゼオロに勝る訳はないのだと。そんな事は、わかっていても。リュースは最後に、ヤシュバに縋ってしまった。
 結局、その手が取られる事なく。そのままリュースは、竜神の手に掛かって死へと導かれる。目的は、カーナス台地の上でヤシュバを絶望させる事だ。そのために、ゼオロを殺そうとした。しかしそれがもし、成し遂げられぬ
時は。その代わりに、リュースを。それも、リュースは承知していた。承知していたが、例え自分が死んでも。ヤシュバがそんなに取り乱す事など、ありはしないと思った。少なくとも、ゼオロを殺した後に、ヤシュバに期待する様な
反応は、決して得られはしないと。
 しかし予想に反して、ヤシュバの感情は爆発した。その頃にはリュースも、己の身体の変化に気づいていた。己が、青い竜などではなかったという事に。ずっと、騙され、欺かれ続けて。ヤシュバを導くはずが、それすら
できぬまま、先に死のうとしている事に。
 様々な感情が、一気にリュースの中を駆け巡った。もう、自分は死ぬ時だというのに。走馬燈よりも、色鮮やかにそれは駆け巡って。
 倒れた身体を、ヤシュバに抱き起こされて、最後にリュースは、ヤシュバと。その向こうに見える、空を見上げた。壊されたばかりの結界の破片が、瞬いて。見上げた空は、いつも見ている物と、変わらなかったけれど。
「空が、綺麗ですね。あんなに、青くて」
 今は、その青が羨ましい。青が自分の物である、空が。
「嬉しい。私でも、良かったんだ。あなたの、大切な物は。私でも……ああ、けれど。あなたが綺麗だと言ってくれた、私の青も。結局は……私の物では、ありはしなかった……」
 青い色を、嫌っていた。自分の青を、何よりも嫌っていた。けれど、今だけは。リュースはそれが、自分の物であれば良かったと。そう思ったのだった。そして、何もできなかったけれど。それ程までにヤシュバが、自分を
好いてくれていた事を喜んで。リュースは死んだ。

 それから、リュースは現れた竜神の手によって、魂だけの存在となって。その傍へと置かれていた。その状態では、何もできはしない。竜神に対して、語り掛ける事はできたが。とうの竜神は、ヤシュバ達の前に姿を現して
いるから、然程リュースの言葉に耳を傾ける事もしなかった。そんな中で、リュースは竜神と戦うヤシュバを見ている事しかできなかった。魂だけの存在となったリュースでは、元より魂として長らえていたランデュスを害する
事など、できはしなかったのである。
 しかし、竜神は破れた。リュースの見ている前で、ユラに足止めをされ。ヤシュバと、ゼオロの憎悪を受けて、その肉体は消し飛んだのだった。竜神が再び、魂だけの存在となり。造り上げた肉体を失った事で、消耗を
しているその時。リュースは全ての力を使って、竜神へと牙を剥いた。産まれた時から。いや、産まれる前から。忠誠を誓う事を定められていた相手に、力を振るう事など、リュースには到底考えられぬ事ではあったが、
それもこれまでだった。
 リュースは、どうにか竜神の魂を喰らった。しかしリュースの魂も、限界が来ていた。元より、竜神の加護を受けて。リュースの魂もまた新たな再生を得られるところであったのに、それすら捨て去り、自らでぶつかったのだから、
それは致し方なかった。竜神を喰らえど、自らの中にあるその魂が消え去ってはいない事を察知した。同時に竜神の力を得て、竜神となったリュースには。ヤシュバが壊したはずの結界の気配すら、今は察知する事が
できた。竜神も、それは感じていた様だった。その動揺を感じ取った隙を見て、リュースは竜神を喰らったのだから。そして、竜神となった事で。リュースは己を完全に消滅させてくれる存在を、求めるしかなかった。竜神の知識を
得た今は、このまま再び結界に覆われれば。その内は暗黒に閉ざされる事も、よくわかっていたのである。竜神に、止めを刺す事ができる人物。リュースは再び、ヤシュバを頼らざるを得なかった。
 竜神の間にて、リュースはヤシュバを迎える事になる。その際、ほんの少しだけ興味が湧いて。己の身体を作り替える事もした。竜神の力を得た今は、それも容易い。そうしながら、リュースは迷っていた。ヤシュバの前に
現れた途端に、何を言うべきか。最も正しい選択をするのならば。自分は、竜神の振りをするべきだった。そうして、ヤシュバの怒りを買い、ヤシュバを欺いたまま、自分を始末させる。それが、確実な事だった。多少、姿は
違えど。そもそも竜神の姿は一定ですらない。ヤシュバさえ騙せれば、それでどうにかなるはずだった。
 翼を広げて。ヤシュバを見つめた。その途端に、リュースは全身の力が抜けるのを感じた。駄目だった。この期に及んで。リュースは。自分が、ヤシュバと。リュースとして、まだ話がしたいのだと。その気持ちに負けた。
「愛しています。ヤシュバ」
 今更、言えた。もっと早く、リュースがこの言葉を口にする事ができたのならば。何かが、変わっていたのかも知れなかった。


 

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