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ハゼン・マカカル


 ハゼン・マカカルは、赤狼だった。
 銀狼にとっての、ギルスが血統である様に。マカカルは、赤狼にとっての血統だった。もっとも、その扱いの差は大分違う物があるが。赤狼にとっては戦う事が全てであり、ギルス程、その血統が重く見られる訳でもない。
 ランデュスとの戦の中、ハゼンは自身がマカカルの次期当主である事、また幼い弟が居る事から、一族が戦に赴く中、留守を預かる身となり、それが一族を、そして弟を損ない、銀狼を憎む道へと繋がる。
 ガルマ・ギルスがハゼンに目を付けたのは、ハゼンが正統なマカカルの後継者であるという部分が大きい。ガルマは赤狼の対応に憂慮していた。これまでは、ギルスは赤狼を利用している部分があったが、そのギルスが
衰え、自身が最後の正統なギルスの後継者である事。そしてそのギルスの血統が、自分で途絶えてしまう事を理解していたガルマは、赤狼の問題を放置するのは、後に禍となりかねないという判断を下した。休戦の前ならば、
長く続いた戦が、赤狼の性格もあって共闘を良しとしていたが。再びの戦となり、そしてギルスの力が弱まるどころではない状態の今、赤狼がどういう動きを見せるのかは、わからない。休戦を終えて、再びランデュスと矛を
交えるにせよ、狼族が、狼族だけの国を造り独立をするにせよ。未だ残った赤狼の力は侮りがたく、その赤狼を味方とまでは言わずとも、ある程度の指示が通せる形を作り上げておきたかったのだ。そこで白羽の矢が
立ったのが、ハゼン・マカカルだった。ギルスの様に、銀狼の全てに影響力があるとは言えないが、それでも赤狼にとっては、マカカルの血統であるハゼンは、ある程度は敬うべき対象である事も確かだった。ガルマは、
危険を承知でハゼンを傘下へと招いた。とうのハゼンはといえば、復讐心に駆られて銀狼を。それも、つまらない。なんの興味もそそられはしないものの、虫酸の走る銀だからと辺りに居る銀狼に手を掛けていた状態
だった。ガルマから声を掛けられたハゼンに見えたのは、ガルマの寝所に忍び入った自分が、長年赤狼を虐げて、そして弟が死ぬ原因の一端にもなってしまった、こんな状況を作り上げたギルスの血統を始末できる自身の
姿だった。ハゼンは自身の思惑を隠し、そして銀狼の殺害も止め、ガルマの招聘に応じる。
 ガルマに召し抱えられたハゼンは、しかし当初の思惑とは違い、ガルマの館の外郭に置かれ。内郭に住むガルマには手が出せない状況となっていた。それも仕方がない事ではあった、内郭は銀狼のためだけの場であり、
それ以外の、しかも赤狼のハゼンが、足を踏み入れる事を許されるはずがなかったのだった。表向きは武術の師範として招かれたハゼンは、ガルマの兵の調練をするだけの、鬱屈とした日々を過ごした。当然、ガルマの
館には、ガルマに、そして銀狼に心酔し、そしてその対極であると言っても過言ではない赤狼に対しては、冷たく当たる者が多かった。ファウナックの街中ならば、それでもまだ、隅の方では赤狼が居るのだから、どうにか
耐えていられたが。外郭での暮らしは、ハゼンにとっては苦痛そのものだった。弟を失い、時が過ぎて。銀狼に手を掛けてはいたものの、それでも徐々に薄れはじめていたハゼンの心の激情が、ここにきて甦る事となる。
 丁度、そんな時だった。ガルマに呼び出されたのは。周りに兵が控えており、距離も置かれてとても手が出せない状況で、平伏したままのハゼンに、ガルマは言う。自身が子を成せぬ身体という事。銀狼を今各地から
集めていて、それは後継者候補として扱う事。そのための人手が足りず、ハゼンの力を借りたい事。そして。
「もし、ここに来た銀狼の誰かが望むのならば。お前はその従者となり、この内郭に上がると良い」
 ガルマにとって、人手が足りないというのはまったくの嘘だった。要は、少しずつハゼンに仕事を割り振る機会を、ガルマも探していたのだ。そうして適当な銀狼を見出せば、赤狼でありながら、内郭にまで上がる事が
できたという実績を与える事ができる。これをもって、ガルマはハゼンを、言ってしまえば完全な配下としてしまいたかった。ハゼンがガルマに忠誠を誓うというのならば、赤狼の反発をある程度和らげる事ができるし、
また狼族、銀狼側からの赤狼に対する態度も、少しずつ改められると信じて。
 しかしハゼンにとって、この命令は更に復讐心を昂らせる内容に他ならなかった。形の上では主従であっても、ハゼンはガルマに対して、微塵も忠誠心など持ってはいなかった。ガルマのこの物言いは、お前の様な
赤狼が、銀狼の従者となれる訳がないのだからと、嘲笑を孕んだ言葉としか聞こえなかった。事実ガルマも、そうなってしまうのではないかという予想はしていたが。それでもハゼンの功績を上げるための一つとして、
ハゼンにやらせても良かろうという判断だった。また外郭に招いたとはいえ、ハゼンへの風当たりが強い事も、ガルマは充分に把握していた。銀狼を招くためとはいえ、そして招いた銀狼にも蔑まれる事もあるだろうとは
思いつつも、旅に出す事で多少の息抜きをしてほしいという狙いがあった。
 ハゼンは銀狼を、どれ程までの銀狼ならば、ガルマの館に招いて良いかをよくよく聞いて。そして言い渡された仕事を忠実にこなした。しかしその仕事もまた、決して楽な物ではなかった。これはと思う銀狼を見つけては、
声を掛け。その度に、侮蔑の目を向けられ。ファウナックからある程度離れた後は、特にそれが激しい銀狼に出会うと、ハゼンはしばらくの間禁じられていた銀狼狩りにも手を出していた。もっとも、目立って事が公になっては、
意味は無い。銀狼を探す仮定で、どうしようもなく腹が立った銀狼を少しばかり狩る程度だった。またそれが、銀狼殺しとしての噂となり、目当ての銀狼を招く際には役立った。赤狼であるハゼンが相手であろうと、それよりも
大切なのは自分の身の心配。ハゼンに対する不信感を抱きながらも、銀狼は続々とガルマの館へと送られていた。幼い者は、ハゼンが自ら案内をする形も取った。皮肉な事だが、招くに足る銀狼よりも、それに届かぬ
銀狼の方がハゼンの心を逆撫でる者は多かった。往々にして、それしか縋る物が無い者程、ハゼンにそれをひけらかしては、狩られてしまうのだった。
 そうした日々の中、ギルス領の中にはめぼしい銀狼が居なくなってきた頃に、ハゼンはギルス領よりも外へと足を運ぶ事となる。だがギルス領から出てしまえば、そこは狼族以外の姿も交じりはじめる。同時に自分に
向けられる、咎める様な視線も、いくらか和らいだものの、銀狼を探す無為な日々が続いた。そしてハゼンはその内に、ゼオロを見出す事になる。いつもの様に当てもなく銀狼を求めていたハゼンは、ミサナトに訪れて。そして
そこで銀狼について調べている内に、上等な銀を持つ銀狼の噂を小耳に挟む。その居場所を突き止めたハゼンは、ファンネスの店へ。そこで働いているゼオロの前に現れたのだった。
 実のところハゼンは、ゼオロがクロイスと親しい関係であるという事を知っていた。それはゼオロを調べる仮定で、スケアルガ学園の存在するミサナトでは、クロイスはとても有名だった事。またゼオロも決してそれに
負けず劣らず、目立つ銀狼であった事から、ゼオロについての聞き込みを熱心に続ければ、自然とクロイスとの関係も浮かんでくるのであった。本来であるのならば、銀狼とはいえ。とうの銀狼を貶めたスケアルガの
者と親しい間柄である以上、ガルマの下へ連れてゆくのかは苦慮する事であった。しかしハゼンには、そんな事はあまりにもどうでもよかった。ゼオロを遠くから一目見て、その銀に目を奪われて。銀狼を集めるために、
すっかり肥えてしまったハゼンの目にすら燦然と輝いて見えたその姿を見て、ハゼンは、もしやと希望を抱いた。この銀狼ならば、例え従者になる事はできなくとも、ガルマは充分に満足するのではないのかと。ガルマの前に
近づく事さえできればそれで良かったハゼンは、ゼオロがクロイスとの友人である事、それどころか、氏素性すら知れぬ相手である事、全てに目を瞑った。また、それまでハゼンが見出した銀狼の中に、ハゼンに対して
友好的な者が存在しなかった事も、それを後押しした。
 そうして、ゼオロに声を掛けた。
 当初の予想以上に、ゼオロはハゼンの言うままに動いてくれた。熱心な説得の結果もあって、自分と行く事を決意して。そしてたった一人で、ガルマの下へと案内する事になる。
 その旅の途中、ハゼンは何度も驚愕する事になった。目の前の、銀狼の様子に。今までの銀狼と同じ様で、しかしそれはあまりにも違っていた。ハゼンが赤狼である事など、なんとも思ってすらおらず。それどころか、
ハゼンが赤狼であるが故に、他人から疎ましがられているのを見て、銀狼のゼオロの方が心を痛めているという有様だった。そして、自分を従者にしたいと。その銀狼はそう言ったのだった。この瞬間。ハゼンは自分が
本来の目的を果たせるやも知れぬと、本当に思った。そして、同時に。自分の命が長くはない事も、悟った。復讐の相手をガルマと定め、その命を狙う事がはっきりとしてしまった以上。実行に移せば、もはや生き残る道は
ない。僅かな躊躇いも、千載一遇の機会だという思いに消える。そしてハゼンは、ゼオロに忠誠を誓った。後継者が決まるまで、ではなく。心の中では、自分がガルマに飛び込み、命を散らすまでの間と思って。
 そうして旅を続け、ファウナックへ辿り着いたハゼンはガルマとの約束通り、内郭へ上がる事を許される。ようやく、始まった。そう思った。
 しかし、ハゼンにとっての誤算は。否、この計画の全ての誤算は、やはりゼオロだった。ゼオロが居たからこそ成り立つこの計画。あとはただ、ゼオロを良い気持にして、頃合いを見て捨てれば、それで良かったのだった。
 だが、接する内に、ハゼンはゼオロに絆されている自分に気づいてしまう。銀狼や、赤狼などという括りはくだらないと言い、銀狼でありながら、ガルマに匹敵する銀でありながら、族長になどなんの関心も持たず。それでいて
ただの無邪気な子供なのかと思えば、見透かす様な事を平気で言い。あまつさえガルマに会いに行けば、そのガルマを散々に馬鹿にして帰ってくる始末。ハゼンは大分混乱していた。こんな銀狼が、居てもいいものだろう
かと。同時に危機感を抱く。ゼオロのした事が広まり、問題視されて。ガルマに、自分を含めてゼオロがこの内郭から追い出されてしまっては。しかし問い詰めたゼオロは、特に驚いた様子も見せずに。そしてガルマも、それに
対してさまで怒りを示さず、ここから追い出される事もないとわかった時。今度は、ハゼンの胸に、無性にすっきりとした気分が広がったのだった。憎悪していた銀狼を、その頭であるガルマを、正面から罵ってしまったゼオロの
行動が。ガルマの下に参じて、内心では憎んでいるというのに、表面では犬の様につくばっている事しかできずにいたハゼンには。それはあまりにも痛快で、喝采を送りたくなる様な出来事でもあった。
 その内に、夜会へとゼオロは招かれる。そしてその宴で、ハゼンは絶好の機会を迎えていた。居並ぶ銀狼の中に、更に一段上として輝く、ゼオロ。そして、ガルマ。物々しい護衛も伴わずに、軽快な様子で歩み寄ってくる
ガルマがそこに居た。武器は持ち込めなかったが、体術だけでどうにかならぬかと、ハゼンは執拗にガルマを窺っていた。そして、いざガルマが目の前に来て、ゼオロと話しはじめた時。全身に力が。そして憎悪が漲る
のを感じていたハゼンは、しかし動けなかった。今動けば、もしかしたらガルマを討てるかも知れない。それも、多くの銀狼が見ている前で、惨めな姿を晒させてやる事もできるかも知れない。しかし、それでも。行動には、
移せなかった。自分の斜め前に居る、自分が忠誠を誓った、幼い銀狼がそこに居た。もしガルマが、抵抗を見せれば。それが魔法に拠る物だったら。ゼオロは巻き込まれる。それに気づいた途端に、ハゼンは自分の力が
抜けてゆく事を感じ、そして、同時に。いつの間にか、自分がゼオロの事を、とてつもなく好いている事に気づいてしまった。気づかされてしまったのだった。結局、ガルマがその場から離れるまで、ハゼンは何一つ行動を
起こす事ができなかった。
 銀狼をどれだけ憎んでいても、その枠の中にゼオロが入らぬ事に、ハゼンはよくよく気づいてしまった。ゼオロに稽古をつけている時も、そうだった。クラントゥース・ティアにも稽古を付けてほしいとゼオロが言った時、
ハゼンは咄嗟に、それを断ってしまった。クラントゥースはゼオロにとっては可愛い弟分であり、またクラントゥース自身も、赤狼であるハゼンに少しずつ心を開いてくれてはいたけれども。それでも、いざ対峙したなら。いつも
していた様に、クラントゥースを狩ってしまいそうな予感が、ハゼンには拭えなかったのだった。そうしてまた、ゼオロと対峙した際にはそんな気分は微塵も起こりもしない事にも、今更の様に気づかされてしまった。
 銀狼のゼオロと共に過ごす時間は、ハゼンにとっては、慣れぬ事の連続だった。気安く話しかけて、からかってくる存在というのは、本当に幼い頃、赤狼の中でだけあった出来事で。そして戦災孤児となってからは、一切
関係の無い事だった。赤を褒め、髪を褒め。そんな事をいくら口にされても、くだらない戯言だと、言ってやりたかった。まっすぐに見つめてくるその銀狼には、そんな事は言えなかった。
 それでも。その日は、来てしまった。裏切り者と、同じ赤狼に罵られた事が。ハゼンの心に、消えかけていた最後の火を灯した。同時に、赤狼が銀狼を襲ったという事実が、決して軽い出来事ではないとも、理解していた。
 自分はいずれ、この内郭からは追われる。決断をしなければならなかった。赤狼はやはり危険であり、決して館に踏み入ってはならぬと決まってしまっては。もう決して、自分はこの館に入る事はないだろう。そして館の
外であろうと、護衛に囲まれたガルマに近づく機会などあるはずもなかった。
 腕の中で静かにしている、自分が眠らせた銀狼の子をハゼンは見つめていた。夜を待ってから、その身体を横たえさせて、毛布を被せて。ほんの短い間、頬に触れてから。ハゼンは武器を取って、部屋を出た。
 そして、最後。深く眠らせたはずのゼオロは、自分の前に立ちはだかり。そして自分を止めようとした。ハゼンはたた、自分がもう決して、生きながらえはしないのだという事を告げた。
「私を兄と呼んで、縋りついてもよろしいのですよ。そういう止め方もあるでしょう」
 もしゼオロが、その様な手段を取るのなら。ハゼンはガルマを殺すつもりだった。その上で、ゼオロの様子を見て、ゼオロの事も殺そうと思っていた。
 しかしゼオロは。銀狼として、あくまでハゼンに接してきた。銀狼として、赤狼のハゼンを好いていたと。自身が赤狼である事を誇っているハゼンが好きだと。もっと、一緒に居たかったと。
 力が抜けた。
「どうか、あなた様が。銀狼ではなく、あなた様ご自身の事を。誇れる日が……いつか訪れます様に」
 全てを諦めたハゼンは、最期に、ゼオロにそう告げた。ハゼンは、ゼオロに何よりも、自分を誇ってほしかったのだった。他者に対してならば、ゼオロはハゼンが心配を募らせてしまうくらいに大胆不敵だったけれども、
しかし自分の事となると、何一つ自信を持たず。自分の事を認めようともしない。そんなゼオロの事を、ハゼンはずっと見ていた。いつもゼオロの銀を褒めてはみても、それで目の前の銀狼が心から笑う事など無い事も、
ハゼンにとっては不思議な事だった。だからこそ、誇りに思ってほしかった。銀狼を狩り続けていた、赤狼を止めた事を。その赤狼の中に確かにあった、銀狼への復讐心を解いた事を。
 それだけの事を、ゼオロは自分にしてくれたのだと。

 ハゼンにとって、復讐の相手とは銀狼であり。そして、何よりも。自分自身だった。弟を守れず第一に責を咎められるのは、銀狼ではなく、自分であった。
 ゼオロは、銀狼として接する事で、ハゼンの銀狼に対する復讐心を取り払う事に成功した。ハゼンは、最後に残った復讐の相手に、刃を突き立てる。
 そうする事で。銀狼として接する事で。ゼオロは、ハゼンを殺した。


 

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