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ヒナ(獅族の少年)


「ハル。ハルカハルという人物を見つけたのならば。どうか、守ってやってはくれないか」
 旅立つヒナに、青い鱗を持つ、竜族のリュースが言った。何故なのかと、獅族の少年は。その竜から、ヒナと名付けられた少年は、問い返す事もせずに頷いた。

 傭兵である実の父親に連れられて、ランデュスへとやってきた少年は。竜族を雇い主とした他種族の傭兵などはそうそう簡単に務まる物ではないという現実を突きつけられて、しかしラヴーワに戻る事もできぬ後ろ暗い
理由を持つ父親に、捨てられたのだった。そこへ通りかかったのが、筆頭魔剣士のヤシュバと、筆頭補佐であるリュースだった。
「お前を拾えと言ったのは、ヤシュバ様だ。しかしヤシュバ様に、お前の様な身分も何も無い、そして竜族ですらない者を近づける訳にはゆかぬ。ヤシュバ様に感謝し、元気になったのならば。さっさと、出てゆけ」
 リュースの腕に抱かれて、ランデュス城へと連れ帰られて。身体を清め、食事を済ませて人心地ついた少年に告げられたのは、素っ気ない言葉だった。リュースはいつも、少年を見る時。嫌そうな顔を隠そうともしなかった。
 少年は、リュースの事が苦手だった。ヤシュバに言われたから、仕方なく面倒を見ているのだと、迷惑だと。繰り返し言われている内に、リュースを恐れて。そしてヤシュバを慕った。
「名前は、なんと言う」
 ある日。リュースに、そう言われた。少年は、答えたくなくて首を振った。父親が、付けた名前だったから。それをもはや、名乗りたいとも思えなくなっていたのだった。
「名が無いと面倒だな。……では、ヒナ。ヒナと、お前を呼ぼう。お前がここを出てゆくまでの間の、仮の名だ。鳥の雛の様に、弱々しいお前には、似合いの名前だろう」
 その日から、少年はヒナと呼ばれる様になった。また、自らを。ヒナと名乗る様にもなった。
 温かい食事と、清潔な寝床を宛がわれて。その上に、名前も貰ったヒナは。その頃になってようやくリュースの事を恐れずにいられる様になった。それに、筆頭魔剣士のヤシュバにおいそれと自分を近づける訳には
ゆかないとリュースは言ったものの。そのリュースでさえ、筆頭補佐であるからしてそれは変わらぬはずだから。だから、この男は、そう振る舞うのが普通なのだと悟る。
 痩せ細っていた身体に肉が戻って、充分に動ける様になった頃に。ヒナは、リュースに懇願した。自分を鍛えてほしいと。様々な思いがあった。純粋に、筆頭補佐だというリュースの力を知ってみたかったし、また今後、
どこで生きてゆくにせよ、今の自分の力では心許無いのも充分に弁えていた。父親からして、所詮は竜族の力を前にして音を上げたのだから。その父親にすら勝てなかった自分の力など、高が知れていた。
「良いだろう。ただし、私は出来の悪い奴は好かない」
 少しだけ考える素振りを見せてから、リュースは、ヒナの我儘に付き合ってくれる事になった。
 ヒナが喜んだのは、それから実際にリュースの指導を受けるまでの短い間でしかなかった。リュースの指導は、とてつもなく苛烈だった。血を吐く様な訓練を課されて、その上でリュースと対峙する。これもまた、話に
ならなかった。ヒナがどの様に攻めてもリュースは一切動じなかったし、その動きに優雅な物さえ見せては、棒切れで幾度となくヒナを打ちすえた。途中から、ヒナはまたリュースの事を恐れる様に。そして、嫌いになった。どう
足掻いても敵わず、退けられる度に、失望した旨をありとあらゆる言葉で吐き出されて。その度にヒナは、リュースに対する憎悪を募らせては立ち上がった。確かにリュースは筆頭補佐にふさわしい腕前を備えた男だった。今まで
ヒナは、大の大人相手であろうと、傭兵などの戦いを専門にした相手でなければ殴り倒せる自信ぐらいは持っていたが、それも砕け散った。いくら剣を振り回しても、それはリュースを捉える事はなかったし、自分が剣を
持っているのに対して、リュースが持っているのはただの棒きれだった。それでも、まるで歯が立たない。長引けば、次第にヒナは力を失って剣を振るう事が難しくなって。リュースはそういう時、執拗にヒナを打った。何度か
打って、棒が折れる様になってからは。軽く魔導の細工を施してそれが折れぬ様にしてから、更に打つ様になった。被毛の上からでも、棒で何度も打ちすえられるとやがて皮膚が裂けて、赤い血が飛び出してくる。
 ぐったりとして動けなくなったヒナに、またリュースの罵倒が飛んでくる。鬣を振り乱しながら、ヒナはリュースを睨み上げた。殺してやりたいと、そう思った。それに対して、リュースは冷ややかな笑みを。心底から、馬鹿にした様に
自分を笑うだけだった。その余裕を少しでも失わせてやりたくて、震える足に力を籠めて懸命に立ち上がって、ヒナはリュースの下へと向かう。
「その執念だけは、見事な物だな」
 ふらふらとした足取りで向かうと、そんな事を言われて。急速にヒナは自分の頭が冷静になってゆく事に気づいた。そういえば、これはただの訓練だったのだ。そんな事すら、忘れていた。それを思い出して、どうにかヒナは
一礼する。そうすると、リュースに腕を引かれて。そのまま抱き寄せられた。
「頑張ったな」
 最初。ヒナは、何を言われているのかわからなかった。わかった途端に、涙が込み上げてくる。リュースの指導は、確かに厳しく。あまりにも厳しくて、殺意を抱く程ではあったけれど。その上で、リュースはヒナの事を常に
煽ってもいたけれど。何も見ていない訳ではなかったし、ヒナの頑張りも、認めてくれていたのだった。
 抱いていた殺意と、新たに浮かんできた喜びが綯い交ぜになって。ヒナはただ、リュースにしがみ付いて。その胸に顔を埋めて泣く事しかできなかった。
 それから、ヒナはリュースに更に鍛えられた。それとは別に、魔導の指導もしてもらっていて。実は、こちらの方が成績が良かったというのは、皮肉な事だった。
 リュースから教えられる魔法の内、ヒナが扱える物は、決して大くはなかった。ヒナも、リュースも、魔導の素質は持っていたが。ここでも種族の壁が立ちはだかっていた。どの様に腕を磨こうが、すぐには発動させる事の
できない魔法を、リュースは軽く力を籠めるだけで操れてしまう。何をしても、種族の差、力量の差を見せつけられる毎日ではあったものの。ヒナは教えられる事は貪欲に学んで。少しずつ、自分の物にしていった。
「そろそろ、ここを出てゆけ。私とて、いつまでもお前に構っている余裕は無い。お前、ラヴーワに居た頃の記憶はほとんどないのだろう。自分の国の事ぐらい、知ってみてはどうだ」
 ある日。そんな事をリュースに言われた。ヒナは、とても悩んだ。その頃には、もはやリュースを憎む事すら忘れて。リュースの事を慕っている自分にも、気づいていたのだ。
 それでも頷いたのは、自分にはありとあらゆる物が足りないと。そう思ったからだった。腕っぷしは、リュースの指導もあって大分良くはなっていたが。相変わらずリュースと比べれば、大人と子供以上の開きがあったし、
それ以外にも様々な経験が自分には不足していた。
 リュースの下を離れたくはないと思った。しかし今の自分では、どこを取ってもリュースが必要としてくれる男ではない事を、ヒナは理解していた。出会った頃に、冷たく言い放たれた言葉を思い出す。ラヴーワ建国の祖である
獅族など、と。リュースは自分の世話をして、強くなれる様にと様々な事を教えてくれたし、そんなリュースをヒナは慕っていたけれども。リュースが自分を求める要素が、一つとしてありはしない事は、ヒナの負い目になっていた。
 リュースに、必要とされる様になりたい。それから、あまりにもそれは僭越な事だとわかっていたけれども。リュースの事を、守りたいともヒナは思っていた。竜族にはそれほど詳しくない自分でも、リュースが、青い竜である
事から他の竜族から良い様に思われてはいない事を、ヒナは理解していた。

 ランデュスを出て、ラヴーワに入り。傭兵としての生活を始めて少し経った頃。ヒナに仕事が転がり込んできた。面倒な事になりそうな仕事だと思った。それでも、ヒナは引き受けた。この程度の事も、どうにかできない
様ならば。自分は決してリュースを助けられる様な存在になれはしないだろうと思って。
 現れた銀狼の少年の手を取って、ヒナはそれ程馴染の無いミサナトの街を抜け出した。そのまま、少年の言葉に従って、北東へ。ベナン領の、獅族門へと向かった。
 少年との別れ際に、ヒナは銀狼の少年の、本当の名前を聞こうと思って。けれど、口に出してから、やっぱり訊かずに。少年とも別れた。
 獅族門の一件で、ランデュスとラヴーワの関係の悪化は避けられない。戦の気配がするのだった。自分に充分な力が付いたとは到底思えなかったが、戦になるというのなら。ヒナは、例えどの様な形であろうとリュースの
下へと駆けつけて、守りたかった。
 しばらくは緩衝地帯の辺りで息を顰めて。両軍がぶつかり合うのを待った。その時が来て、ヒナはリュースを求めた。ランデュスに居る、とは思わなかった。リュースは出てくるだろうと、戦場に向かう。この時ヒナは、リュースが
とっくに筆頭補佐でない事などを知りもしなかったが。それでも呪いから解放されたというカーナス台地に興味が引かれた事もあって、そちらから様子を窺おうと思った。カーナス台地へ近づけば、そこに詰めているのが竜の牙
である事を知って。どうにかヤシュバに会えないかと考えを改める。ヤシュバが自分を憶えてくれているのなら、リュースの居場所も知っているだろうと。カーナス台地に侵入する際に、ヒナは不審な人物を見つけた。ローブに
身を包んだ、大柄な男だった。竜族ではなさそうで、ヒナは本能的にそれを訝しんで、後をつける事になる。

「……生まれてきて、よかった。でも、リュース様の事は、守れませんでした。ごめんなさい、リュース様」
 最期の時になって、ヒナは結局は何もできなかった自分を、リュースに詫びて死んでいった。
 本当は、リュースが守ってほしいと口にした、ハルを。ゼオロを守る事ができたのだが。結局はその真実を、明確に掴む事もなかった。


 

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